はてなキーワード: 準ひきこもりとは
紀要論文「大学生における準ひきこもり行動に関する考察」の中で提唱した概念であり、
内閣府は自分の趣味に関する事柄が目的の場合のみ外出する者を指しており、
2010年に行われた調査では約46万人が存在しているという結果が出た
現状引きこもってないのに、引きこもりという言葉が使われるのはおかしく思える。
学者気質の本をひたすらに読んで、ほとんど人と話さない学生も準引きこもりになるし、
セーフティとして学歴を手に入れたいだけで、創作活動に力を入れている学生だって準引きこもりになる。
自分の趣味に生きる人はそれだけリスキーではあるけど、リスクを恐れない精神は尊敬できるし、
準引きこもりとは呼びたくない。
僕は自分のことをいわゆる準ひきこもりってやつだと思っていて、学生時代は学校に行くこと以外で外に出かけることはありませんでした。
学生時代(2年前くらい)、就活に対して本当にやる気が起きなくて、周りがやっているからとりあえずよさそうな会社を調べてみるものの、
実際に説明会にいったり、面接を受けたりはほとんどしませんでした。
最近の就活事情はすぐに変化しているので、今はどうだか知りませんが、当時(2、3年前くらい)の就活は大学3年の12月に一斉に募集が始まるルールで、
一般的な意識の持ち主は大学4年の4月には内々定・内定を持っているのが普通で、このときまでに決まってないと焦るくらいの雰囲気でした。
もちろん中には決まらない人もいて、そういう人は内定式までに決めようと夏休み返上でいろいろ頑張ってましたが。
僕は大学3年のときに一生懸命会社をネットで検索して会社概要や面接要項を眺めたりはしたのですが、いざ面接となると気後れしてしまって、
説明会も面接も受けず、ネットや求人票を眺めるばかりで、実際に行動に移すことはしませんでした。
僕は人と話の苦手だし、極度の恥ずかしがり屋(チキンハート)なので、とにかく知らないことをやりたくないし、
一度も入ったことないローカルのお店とか1人で行けないし、銀行・郵便局・市役所みたいな受付のあるところも苦手です。
何かを振り込むときに(学費だったかな…?)銀行に行ったことはあって、そのときは使命があったので行きましたが、
そういう理由がない限りできるだけ未知なるものは避けたいと思ってしまうのです。
そんな僕ですが、大学4年の4月に、みんなが内定をもらっているころに、ようやく教授にとにかく一社は受けてみろと言われて、一社受けました(まぢ褒めて欲しい)。
見事に一次面接で落ちましたが。
割りと高望みだったのと、技術試験がボロボロで自分でもあきれるところがあったので、落ちたことに対してショックは少なかったです。
むしろ、また面接しないと行けないのか、また東京行かないといけないのかというので、だいぶ憂鬱でした。
教授に落ちたことを伝えたら、だいぶ励まされました。
次に受けたのが内定式の過ぎた大学4年の10月ごろでした(半年後…)。
この時点でまわりはみんな内定を持っていました。
教室での友達の内定・会社の話には入れないし、逆に話をしないようにと気を使わせてしまっているのがありありとわかって、
で、この会社は筆記試験、面接4回(最終面接含む)受けて、採用担当から口頭で内々定もらったけど、やっぱゴメンって言われて、また就職活動することに。
並行して面接を受けていなかったのと、この時点で大学生活残り3ヶ月なのに受けた会社はたった2つという、就職に対して低すぎる意識で自業自得ですが、
内々定もらったと両親・教授・親戚に伝えてしまったのが痛かったです。
もうこの頃になるともう卒研やらなんやらで就活から逃げて、来年はプーしたいなと思っていたのですが、
そうは問屋や親が許さず、なんでもいいから来年やることを見つけろと言われました。
(ここでようやく両親登場。まあ僕は春休みに春休みをこじらせて卒業が危ぶまれていたのを持ち直したので、いろいろ多めに見てくれていたのですが…)
で、卒研終わったあとにまた教授に促されて就活を始めたのですが、とある御仁に就職エージェントなるものを教えてもらって、これに登録しました。
就職エージェントは学生の希望する業種の会社を紹介してくれて、学生を採用する会社からの紹介料でお金儲けするビジネスです。
で、この就職エージェントへの登録が功を奏して、大学4年の2月末に登録して、3月中旬には内定をもらえました。
自分の場合の簡単な流れを説明すると、就職エージェントに登録した次の日に「貴様のスペックとどんな会社がいいかを今すぐ教えろ」という電話がかかってきて、
次の日には希望に近い会社を20社くらい紹介してもらい、その中から希望に近い会社を2社選んで、面接をすることに。
紹介された会社は玉石混交で、保守・運用だったり、開発だったり、一部営業だったりとバラバラで、2社しか選べなかったともいえる…。
面接日程等の段取りはほとんどエージェントがやってくれました。
希望したうちの1社に受かって、無事に入社して、今に至っています。
ええと長くなりましたが、何が言いたいかというと、僕のようなものぐさ・恥ずかしがり屋で就活したくないという人は、
お尻をひっぱたかれでもしないと動かない人だと思うので、そういう人はエージェントサイトを使ってみたらいいのではということです。
会社を探して、エントリーシートを送って、面接日程を決めて…。
しかし、エージェントサイトの中の人は、内定による紹介料(結構高額)で自分の給料をもらっています。
金がかかっていて必死ですので、恥ずかしがり屋でメンドーなことが嫌いな僕のお尻をひっぱたいてくれます(電話もかかってきます)。
幸いにも僕は今の会社に満足していますが、自分の希望しない会社を紹介される人もいるでしょう。
せっかくの新卒という切り札をエージェントの金儲けに使わせていいものだろうかと考える人もいるでしょう。
でも僕は何もせずに就職できないよりも、エージェント使ってでも就職してよかったと思っています。
(というかたぶん本当に電話かけてもらって催促でもされない限り気後れして何もできなかったと思う…)
親戚同士の集まりであいつはいま無職なんだみたいな目で見られることもないので、使ってよかったと思っています。
ちなみに自慢ですが、内定をもらったときにエージェントの人に聞いたのですが、3月はじめの時点で登録者が90人くらいいて、
僕が内定をもらった3月中旬までに(つまり2週間で)内定をもらったのが僕を含めて2名のみということで、つまり門はそれほど広くないようです。
(こんなことバラしてよかったのだろうか、エージェントさん…)。
さて、推己してないし、書きっぱなしのまとまりのない文章ですが、最後に。
人との関わりを避け、ネットの文章を漫然と眺めるだけの日々。
気がついたら、もともと不得意だった日常会話が更にできなくなっていた。
パソコン以外で文章を読むのは久しぶり。
前頭葉機能とか、ワーキングメモリとか。そんなものが低下しているらしい。
ひとり用神経衰弱(http://homepage3.nifty.com/puzzlehouse/kg30/kg30.html Javaプラグイン必要)をプレイしてみた。
デフォルトの14枚だと全くうまくいかない。8枚くらいが限界だ。
何度も何度もプレイするうちに、大体同じ回数でゲームが終了することに気づく。
そこで考えたこと。
どれだけカードの枚数が増えようと、1度でもめくったカードの数字と場所の組み合わせを決して忘れない。
そんな人が、一人神経衰弱で最悪でもこれだけのターン数あれば1回のゲームを確実に終わらせることができる、
そういうターン数を「最悪ターン数」と呼ぶことにしよう。これを割り出したい。
簡単のため、互いに相異なるn種類の数字が書かれたカード2枚ずつ、
このときの最悪ターン数をF(n)とする(ただしn≧2)。
n≦2kとなる最小のkについて、
kターン目まで一度たりともカードを取り除くことに成功できなかった場合について考える。
このとき、(k+1)ターン目以降では取り除くことに失敗することはありえない。
kターン目までに引かなかったカードを1枚引けば、
このカードと同じ数が書かれたカードをkターン目までに1回引いており、
その位置と場所をプレイヤーは記憶しているのだから、間違えずにそれを引けばよい。
よって連続で外れ続けるターン数は最も不運な場合でもk(=int((n+1)/2))ターンであり、
その後はnターンでゲームを終了させることが出来る。
このときの合計ターン数はint((n+1)/2)+nだ。
F(n)はint((n+1)/2)+nに一致する。
そのことを数学的帰納法により示す。
F(2)=3であり、これはint((2+1)/2)+2に一致する。
F(n-1)=int(n/2)+(n-1)となる任意の3以上のnについてF(n)=int((n+1)/2)+nになることを示す。
そのためには以下の二通りの場合について考えれば必要十分だ。
1≦i≦int((n+1)/2)なるiが存在してiターン目に同じ種類の2枚のカードを引く場合、
この条件下での最悪ターン数はF(n-1)+1に一致する。
iターン目に引いたカードを除いた2(n-1)枚のカードについて
最悪ターン数となるようなカードの引き方を考え、
そのどこかにまぐれ当たりのiターン目を挿入したものが
(a)のときの最悪ターン数となるようなカードの引き方に一致するからだ。
int((n+1)/2)回までに一回も成功しない場合、
この条件下での最悪ターン数は先に述べた通りint((n+1)/2)+nに一致する。
F(n)はF(n-1)+1(=int(n/2)+n)とint((n+1)/2)+nのうち小さくない方、つまりint((n+1)/2)+nに一致する。
F(n)=int((n+1)/2)+nが任意の2以上の自然数nについて成立する。
ちょっと今大学の授業が1コマ開いてるから、授業の復習と人生の反省をかねて自分に当てはまり過ぎた自己同一性の拡散について書きます。青年期の人は軽かれ重かれ体感しざるを得ないらしいので、共感できる部分があるかも。
アイデンティティとは
(自己)同一性とは
同一性の拡散
1.親密性の失調 対人不安、コミュニケーションがうまく取れなくなる
2.時間的展望の拡散、生活の緩慢化 時間的な見通しが出来なくなり、堕落した生活を送る
3.勤勉性の拡散(職業的同一性の獲得の回避) 努力することへの価値観が失われ、それに伴い勤勉さが失われる
4.否定的同一性の獲得 社会が望む役割、同一性への憎悪、軽視から否定的になる
5.自意識過剰 他人の評価を気にし過ぎる
なんというか、全部当てはまってるんですよねー。
同一性の拡散が起こる原因としては簡単に言うと、人生に躓いたときらしいですけど、多分自分の場合は大学受験失敗した挙句に見学にも行かなかった滑り止めのFランに浪人する度胸が無かったっていうので、そのまま入学しちゃって、馴染めなくて、言うところの準ひきこもりみたいな感じなんですよね。
大学では表面的な関係がほんの少しあるだけで、家に帰ればダラダラしてて、勉強する気も全然起きなくて、自分が悪いのに環境の事に文句ばっかりで、外に出れば人の目が気になるから学校行く以外はほとんど家出なくて、バイトしようかと思っても心配が多すぎて踏ん切りがつかない。
あーぁ、どうしちゃったんだろう本当に、なんかもう自分と身の回りに対する嫌悪とか嫉妬とか憎悪とかで塗れてる、自分でどうにかする以外に手は無いんだと思うと、絶望する、別に人にとっちゃ大したこと無くても自分を客観的に見ることができない今、一歩を踏み出す勇気が無い、あぁ女々しいな、これでも名前はすごい猛々しいんだけどな、こんな皮肉はいらねえよ
今から10年位前、大学生、ひとり暗い部屋で、馬鹿騒ぎの深夜番組から、「おはようございます」とニュース携えたアナが爽やかに挨拶する夜明けまでずっと、光るテレビ画面をひたすら眺めていた自分。
膝抱えて、ビクターのラジカセでスピッツの大宮サンセット聞いていた自分。
今自分がタイムマシンかなんかであの時に帰れるなら、今でも当時の自分に何て声掛ければいいか分からんが、よしよし大丈夫大丈夫だとひたすら頭をなでてやりたい。
ド田舎から出てきて、妙にプライドだけ高くて、東京の最高学府にぎりぎり滑り込んだはいいが、周りのあまりの賢さやリア充(当時こんな言葉はなかったが)の眩しさやオサレさに思いっきり打ちのめされる。
生来の引っ込み思案も手伝って溶け込めず、クラス仲間とも当然疎遠になった。
1年の終わり、ろくに出なかった第三外国語のテストの口頭試問で、優しい外人先生に、心から心配そうに「あなた友達いないでしょう」と流暢な日本語で言われたのを今でも傷みたいに思い出したりする。
何とかしようと真面目系サークルに入っても皆勤なくせに和気藹々も出来ず、ゼミもしかり、真面目キャラのくせに勉強ができるでもない。まさに準ひきこもり(当時こんな言葉は(ryだった。
んでもあのとき必死だったと思う。
悩んで悩んで自分何やりたいんだろうか、どうして友達できないんだろか、学校辞めようかでもせっかくこんないい所入ったんだしとも思うしうじうじ、でも行動もどう起こしていいのか分からない、授業に足を踏み入れればクラスメイトが散らばっててどの席座ったらいいのか分からない、食堂もどこ座っていいのか分からない、
卒論もお情け合格、就職するにあたっても当然面接落ちまくり進路も決まらず、最後は学歴だけで採用してもらったようなもんだが、まあ職場の人間関係にも恵まれたのか、今何とかこうやって生きていて、そう苦しくもなく、恋人は無論いないものの、中高大と合計して片手で足りるほどの友人と、たまに会ったりして今ではそれなりに心安い生活を送っている。
これくらいの年月生きてきて、ようやっと社会人として、いやそれ以前に人間として、他人とコミュニケートできる素地が育ってきたと思う、大学の同窓会にもやっと出られるようになって、当たり障りない話して笑えるくらいになった。
そして今大学時代を思い返してみると、大半の暗い思い出の中で、痛痒かったり楽しかった瞬間も思い出せるっちゃあ思い出せる。今は無き新宿リキッドへ初めて連れてってもらったよなーとか、文化祭で皆で夜中じゅう寄ってたかって変な食べモノ作ってたよなーとか、ゼミ旅行で酒飲んで初めて記憶失ったよなーとか、もう卒業だってんで好きだった優しい先輩に告白してうん、とだけ言われて玉砕したよなー、とか。
ビタースウィートシンフォニーっていう、ヴァーヴのヒット曲のタイトルがあるがまさにそういう感じ、90パーがビターで10パースウィート、昔は思い出したくもなかったが、苦さの中からスウィートのほう思い出せるぐらいには成長して、自分を卑下するには年を取りすぎたのかもしれんし、人生に耐性がついたのかもしれん。遅っ。
ネットでよく非コミュで大学辛いぜと泣きそうに笑っている人を見て、あの時膝を抱えて暗い部屋の隅っこでじっとしてた自分の姿とダブりまくって、ああ大学なんて人生の一部だ、あと10年も生きればなんとかなるなんとかなると頭をなでたくなってくる。
人生の輝かしい時期を棒に振ったと言われりゃその通りかもしれんが、うあああーと朝まで苦悩していた自分を思えば、今の時点からえらそうに後悔という言葉を当てるのも痛々しい程だから、せめて今の自分はあのときの自分を肯定してやりたいのだ。
いまさらだが、大学生における準ひきこもり行動に関する考察に好き勝手コメントしてみる。
10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもない
それは問題だ。そんなにいるならなんとかしないと。
思うに、文章全体を読んで
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。
この点以外は、別にこんな人いてもいいんじゃないのと思う記述ばかりだ。別に、あんま喋らない、人間関係が不器用な人が、対人関係をあんま必要としない性質の仕事をしている分には全然問題無いと思う。実際過去にもいたし、過去に社会に出た人でいまの社会に現役で働いている人の中にも結構いる。そのまま寡黙な人として生きていけるような環境を用意したらいい。貴重な労働力だ。
ただし最近の大学生のシュウカツみたいなもんを経由させようとするとそこでつまづいてしまう。大学生は自分を売り込むようなシュウカツをするもんであるという習慣が、準ひきこもり層が本格的なひきこもりになるきっかけを作り、労働力の無駄を招いているのではないか。もはや大学生の全てにこの通過儀礼を経由させるのは現実的ではないと思う。通常のシュウカツをする学生とは待遇が異なることは許容しつつ、言われたことを真面目にやりさえすれば務まる性質の職場に大学側が送り込んだらどうだろう。
これらの人々は、自分で選んだり自分を売り込んだりといったことが出来ないだけで、エスカレーター式に送り込まれた先にはそれなりに適応出来るのではないか。そういった中でとりあえず職業生活のスタートを切ることが必要なのではないか。
2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・
樋口 康彦
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―(富山国際大学・紀要2006年3月号)
http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf
http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生がリクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。
就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業の情報を集めています」と答える。
「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」
「はあ、危機感は感じますね…」
そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。
それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー、合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。
とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。
また心配した両親が一度、筆者と大学の就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。
しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。
ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点が矯正されたわけではないことである。就職活動、職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境に適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋なひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。
準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。
大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独な大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生の準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。
一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動や社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会不適応を起こす状態のこと。
通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。
■準ひきこもりのルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学・高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。
■大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想と現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビ、パソコン、コンピュータゲーム、漫画やアニメなど)を延々と楽しみ、自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋なひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。
■就職活動をうまく行えない。知らない会社に電話でアプローチしたり、OB・OG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。
■就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全な社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもりの大学生の全てが社会に適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。
ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。
■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもりは男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。
■社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。
■精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。
■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。
■レポートや卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。
■無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動やアルバイトの類はしていないし、体育大会や大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。
■アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
■人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。
■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。
■孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通の大学生に見えるためである。
■若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。
■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。
■青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもりの学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。
■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。
■過保護で、親が甘い。子どもに不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。
■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。
■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。
今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもりに不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。
それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。
最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイト、ボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。
筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場の生産現場、農業、造園業関係の仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業に就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動、職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。
将来、社会に適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会に適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。
最近、提出しなくちゃならない大事な書類を受け取って、期限ギリギリまで何もチェックしていなかった。
忘れていた訳じゃないんだ。記憶の隅にしっかりとひっかかっていて、「あー、チェックしてないなぁ」と
いつも思っていた。でも何もしなかった。
例によって、今になって「どうして覚えていたのに何もしなかったんだろう?」とか自己嫌悪しながら
その書類と格闘しているんだが…ちょっと言い訳を考えてみた。
…考えてみたが、何も思いつかない。
忙しかったから?否、作業量自体はちょっとの書類だ。充分、通常作業の合間にできたはず。
忘れていたから?否、ちゃんと目を通してから、だいたいこれぐらい時間がかかると理解していたし、
覚えてもいた。
どうして何もしなかったんだろう?
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうして・・・
…結局、理由なんてなかったのだ。
「今までまったく手をつけていなかった」から、
「手をつけたら『今まで何もしなかったのはなぜ?』と考えなくてはならない」。
それが嫌だったから、何もしないままズルズルと引き伸ばしていたのだ。
確かに俺の責任だ。性格の問題かもしれない。
でもな。3を4にするより、0を1にすることの方がよっぽど大変なことなんだよ。
俺みたいな準ひきこもりレベルが久しぶりに社会から行動を要請されて、その結果がこのザマだ。
俺は今「どうして」を自問しつづけているけど、それは1になったからだ。動き出したからだ。
動き出した途端、「今まで何もしてこなかった」は牙を剥いて自分に襲いかかってくる。
その凶悪さは、どれだけ「何もしてこなかったか」に比例する。
『来年から本気出す』
『ハンターハンターが再開したら本気出す』
とか言っているお前!そんな簡単に本気になれるとでも思うなよ。
(本人が一番わかっていると思うけど)
本気なんか出さなくていいんだ。0から1にするところが一番大変なんだよ。
何かのきっかけで少しでも動き出せたとき、0に戻ってはいけない。
戻らないようにすることの方がよっぽど大切なんだ。
戻らなければ、きっといつか、自分の好きな時に本気を出せるようになるよ。
(・・・たぶんな)
7 : ペスト・コントロール・オペレーター(長野県):10/07/27 16:27 ID:VXzEcToP
俺も人を信じないけど表面上は信頼してるように見せないと色々面倒だろ
その程度の処世術は遅くても中学までに会得しておくべき
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
[8760時間][2920時間][可処分時間][可処分所得][年収][時給]
誰のことばにも耳をかせ。こちらのことはむやみに話すな。 シェークスピア
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
[友人][友達][友情]困難な情勢になってはじめて、誰が本当の味方だったかわかるものだ。
世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。
友人友情は偶然や便宜のための付き合いやなじみ深さをいうに過ぎない
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
彼女にも、友達にも、上司にも、部下にも嘘を付く
建前と本音
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots
最近、他人を説得したり、意見することにエネルギーを使うことをやめました。それよりも、自分を変えることが大切。
私は他人の心を理解するだなんて超能力を持ち合わせてはいない。できるのは、他人の心を推測することだけ。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
完全に自分の事をわかってもらえない、完全には相手の事がわからない
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
[人間関係]「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ
他人をあてにしてはならない。それは期待するほうがまちがっている。
リチャード・ハミング「あなたとあなたの研究」前半 - らいおんの隠れ家
2 それに取り組んでいますか?
3 なぜ取り組んでいないのですか?
らいおんの隠れ家 - ポール・グレアム「良い後回し、悪い後回し」
[代返][録音][ICレコーダー][声紋鑑定][除籍][退学]
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
慶應義塾大学-塾生HP-平成26年度(2014年度)塾生スケジュール(学事日程)
青山学院大学 | 学事暦・行事・イベント - 学生生活・進路
「frepa」サービス終了のお知らせ - ソーシャルネットワーキングサイト (SNS) - フレパ
[悪口][ICレコーダー][録音]口の虎は身を破り、舌の剣は命を絶つ。
頭まで登って、顔まで舐めだす奴がいる。 俺はそういう奴が大嫌いなんだ。
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
全ての人を疑ってはいけない、然し、全ての人を信用してもいけない。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースが挙げられる。
また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりみたりした事がないにも関わらず、良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
はてなブックマーク - 【2ch】日刊スレッドガイド : 大学の学食で、楽しそうに談笑するサークルの連中を見て嫌な気分になった・・・
若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。
外見には自信のなさが滲み出ている。
気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。
はてなブックマーク - Discommunicative - 大学における準ひきこもりという存在
FrontPage - 大学生にもなって今さら聞けないコト。まとめwiki
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
大学生活の根幹を形成している諸処の行為を充実の中行っている人間を指す言葉である。
「リア充」に慣れるか否かの決定的要因となるのは、
新しく作られるコミュニティに対しすぐさま順応できる能力を持っているか否かであり、
また見ず知らずの他人に対し仲良く話しかけることが出来るか否かである。
これは「リア充」と呼ばれるにふさわしいテニサー達の行動を見ていれば分かる。
あの行動の源泉になっているのは他でもない「コミュ力」であり、
1 名前: 早稲田大学助教授 投稿日: 2001/04/19(木) 20:16 ID:l0RjqOe.
学生さんを見ていて思うことは、やはり大学生活が楽しいものとなるか
つまらないものとなるかの決め手は積極性が全てのようです。
なんだ、簡単じゃないと思う方もいると思いますが、この積極性があるか
ないかを大きく左右するのはマスクの良し悪しにかかっているのではないでしょうか。
マスクがある程度よいと、自分に自信ができるため自然と積極性も身についてくる
ものです。ところがそうでない人は、どこで何をしても誰も評価してくれないので、
ますます消極的になりついにはひきこもりにまで発展する人も多いようです。
皆さんの小中高時代を思い出してください。
登校拒否やいじめられっこというのは大抵肥満児やマスクが悪いおとなしい子が
多かったのではないでしょうか。木村タクヤさんのような顔で、
登校拒否というのは例がありません。特に我が早稲田大学の場合、
学生の数が著しく多いため、マスクが悪い人は相当な苦労を要しているようです。
さらに本学の定期試験は、過去問が大量に出回る為それを手にいれるか否かが
重要なポイントになっています。これは大学側が仕向けていることであり、
早稲田大の定期試験は社会に出てから要求されるこれらの能力を試す
留年する人は、いわゆるチャライ人ではなくおとなしい学生が多いのはこの為です。
就職でうまく行く人も、授業に毎日出ているまじめな人ではなく、
サークル恋愛アルバイトをこなす活発でおしゃれな学生が多いようです。
これは就職課でも言われていることです。
受験生の皆さんはこのあたりのことも充分考慮してください。
学部生の頃には勉強が好きでもなく、試験前の一夜漬けで単位を稼いでいただけの奴らが、どんどん論文を書いて実績を残したりしている。
彼らは既に現在世界を舞台に活躍しつつある。
釈然としないが、それが現実だ。
私と彼らの明暗を分けたのは何かと考えるとき、どうしても才能とか努力以外の点が目についてしまう。
彼らは平気で先輩や教官に頼った。それでも彼らのプライドが挫けることはなかった。
知識も経験もないくせに、やりたいことだけは一人前に主張した。
「努力していなかったのだから今できないのは当然、でも俺はやればできるんだ」そう思ったことが彼らの勝因だったのだろう。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
遠くを見通し得たとするならばそれは巨人の両肩の上に立っていたから
【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】
成功するのに実力なんて半分くらいしか影響しない。残りの半分は人との駆け引き。
はてなブックマーク - コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由 - 分裂勘違い君劇場
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「講義ノート屋」氷河期 京阪神の大学で「閉店」続出 - 社会
一人で行動して「あいつは友達がいない」などと見られるリスク(必ずそう見られる訳ではない)はありません。
しかし、いつも同じ人といることで時間を束縛されるように感じたり、自分の思うように行動できない、
相手に合わせてしまう自分を変えたいと感じている人は、
高校までのやり方と自分を少しずつ変化させようと試みていると思うのです。
アルハラ、アルハラ、アルハラ。一日目からこんなことをやらされるとは思わなかった。
オリ合宿ではもっとひどいという。コールだとか馬鹿らしいからやめてくれよ。テストは適当に切り抜けてあとはコンパ、サークル、バイトって・・・そんなんでいいのかな。これが「常識」となっているのって少しおかしくないの?
入学おめでとう。ところで中退した気になって完全燃焼してみないか。
その頃の出会いのためにはいくら金と時間を使っても高くない。冬学期までにそういうAクラスの名刺を100枚は集めとけ。4月中に自分の名刺作れよ。生協で作れるから。
[友人][友達][友情]お互い友人だといっても、それを信じるのは愚か者。
友人友情は偶然や便宜のための付き合いやなじみ深さをいうに過ぎない
ヤピカメハメ日記:西川史子の本。 - livedoor Blog(ブログ)
いい学校に行く意味は自分が努力してもかなわなかったりすごい先生や友人に出会える確率が少しだけ高いことである。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
友達が
いて非常に迷惑だった。
☆ゴミの通院日記☆:波浪注意報 - livedoor Blog(ブログ)
私はあんたのことなんて知らない、お前が男とどうなろうがしったこっちゃない。
言いたいのに、いえない。
私へのメールは日記じゃないのです。
うざいからやめてくれない?
泣きながら電話するのやめてくれない?
「次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない」
政略論 211頁
噂が怖いのは、聞き耳を立てその噂をかぎつけた人は、今度はそれを他人に言いふらすからです。
見出しのコトワザのいうように、
とくに他人の噂を伝えてくれる人や、
あなたのことを根ほり葉ほり聞きたがる人には、
気をつけなければなりません。
その人はあなたの噂を次の人へと伝えるからです。
「信じて打ち明けたら次の日みんなが知っていた!どひゃー!」なんてこともあるのではないでしょうか?
話をしているうちに彼女が、なんだか私の噂を他の人間に言いふらしているということに気づいたのです。
元々噂話が好きな友人で他人と盛り上がるのも分かるのですが、
さらに私自身の所謂女性関係を私に気づかれないように探ろうとしているのです。それがありありと分かるのです。
私がそれに気づいるか否かを彼女自身が気づいているかは別として、
話の展開をコントロールされてなんとなく時間を損したと同時に、
無神経な彼女にショックを受けました。
844 :可愛い奥様:2007/08/16(木) 16:48:00 ID:fnRtS9eLO
友達付き合いは腹六分が一番だね。
裏も清い人間なんてまずいない。
全て晒け出すと相手への尊敬はなくなるわ、秘密握られて怖いわ、ろくな事ない。
飲みの席で過去の心の傷(中絶)を告白した子(友達の友達で私にとっては知り合い程度)がいて、
その流れで友人が私に目配せで「あんたも最初の子流産した話しなさいよ」と訴えてきた時はぞっとした。
26の既女となった今、残っている友人は皆、距離をわきまえ尊敬出来る人。
友達は「大好き」でなく「好き」で十分。
「大嫌い」な部分がないことが重要。
中2の女子です。他人が信じられなくなりました。他人の心は読むことはできないと思います。 - Yahoo!知恵袋
他人の心は読むことはできないと思います。
自分の心も、表情とかにださない場合は他人にはわからないと思います。
私は心の中では最低な人間です。
他人のことをけなして、けなして、関わらないでくれ、と、つねに考えながら、笑顔でお友達と話をあわせているんです。
そんな自分が最低だということがよくわかっているからこそ、
他人も同じように考えているのではないか、と考えてしまい、不安で不安でしかたありません。
三人いる所で言ったり、したりしたことは、秘密にはできない
誰のことばにも耳をかせ。こちらのことはむやみに話すな。 シェークスピア
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、
行動のない所に幸福は生まれない。
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分の努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、
受験は努力と運でなんとかなるから。
それは準ひきこもりというやつですね(http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf )
ていうか別に自分は生きる意味を探してこなかったから今悩んでいるというわけではなくて、ほんとは自分の目の前の現実から逃げたいためにいろいろ言い訳を探っているようにみえます。自分でもわかってるとおもいますが
今まで人生のすべてに逃げてきた、というひとはよくいるので(私もそう)自分だけが駄目なやつで困ってるんだ、と思わないこと、じゃないでしょうか。目的云々じゃなくて1回(でも2回でも100回でも)頑張ってみないとどうにもならないとおもいます。
個人的には、「生きる目的」なんて無い、と思います。何故か人間として生まれてきただけであって、生まれたから生きるのでは。ていうか死ぬの嫌だし...痛そう。生きる目的とかいうと鬱になるのは、多分ほかのところに原因があって(コミュニケーションが苦手だとか)まあ言い訳ですよね、自分と向き合わないと何も進まないとおもいます。
と、じぶんにいいきかせるまいにち
「話しているととても楽しいんだけど、彼氏としては見れない」の話とか でも、正直、おれはそいつを女としてみれなかったの話とかを見て思い出したんだけど、 今では準ひきこもりの僕にも中学生のときには彼女がいたのね。
別のクラスの子で、もともとほとんど接点はなかったんだけど、 たぶん委員会か何かが一緒だったんじゃないかと思う。 委員会は学期ごとの交代制で、 委員を辞めてからのことだったと記憶してるのだけど、 私と付き合わないかと言われて了解した。 だけど具体的に何をすればいいのかわからないから、何もしなかった。
これが同じクラスだったら毎日顔を合わせるんだからいいのだけど、 別の階の別のクラスなわけで、まず会わない。 エロゲー的には下校するところを待っているのが正解だったのかな。 当時はそんな知識もないから、本当に何もしなかった。 1年経って別れたけど、 それまでの期間で1回挨拶をしただけだったと思う。
最後に好きなのか嫌いなのかどうなんだと詰め寄られて、 好きとか嫌いとかよくわからない、と答えたという話。