はてなキーワード: 上前とは
いま話題になっている南青山の児童相談所。その学区である青南小に通っていたので経験を書きたい。もう20年以上前になる。我が家は、私が小学校にあがる時期に合わせて南青山(5丁目)に引っ越した。卒業後は、他県の私立中に入ったので、引っ越したし、私は今は別の区に住んでいるので、最近の南青山事情は知らない。この話は、表参道の駅が綺麗になる前のことだ。(いまは本当に綺麗な駅だよね)
だいぶ昔なので、いまは少々事情が異なるかもしれない。はじめに結論を書くと、“貧乏な子”たちは児相云々以前に青南小に存在していたし、家庭に事情を抱えている子もある程度いた。そして、私はそういった子たちを受け入れられるような教育を受けた。
児相が出来てもし青南に通うことがあったら、恐らく学校の中で受容されて社会になじめるようになるだろうし、“金持ち”の子たちも多様性を理解できるようになると思う。特に、中学校受験をして私立に通えばそういうバックグラウンドを持った人たちと関わることはほぼ無くなるので教育上プラスに働くのではないか。私はプラスになったと、いま感じている。
さて、青南小学校に通っていた頃、私の学年には100人弱の生徒がいた。その内、4割が越境(近場はガーデンヒルズ。あとは世田谷が多かった)、2割が地元に元々住んでいた人、4割が私のように小学校に合わせて南青山に引っ越してきたり公務員住宅に住んでいた人だったと思う(引越民)。越境の割合はほぼ間違いないが、地元民と引越民の割合はすこし違うかもしれない。
そう、越境が意外と多い。そして越境はだいたい金持ちだ。緊急時の下校班みたいのがあって、帰る路線別に班になっていたので、学校の先生たちも越境前提だったと思う。いまは越境のハードルが下がったと聞くので、もっと多いかもしれない。
また、校舎の目の前とフロムファーストの裏の2箇所に官舎が有り(当時)、財務省が外務省などの役人の子息が多かったように思う。彼らも金持ちだったし、親がプライド高いのか、本人らもプライドが高い子が多かった。とは言え、根は優しいので少なくとも表向きは皆と仲良くしていた。
地元民は意外と質素な暮らしをしていた。彼らは北青山の団地や、根津美術館の脇から西麻布に抜けるエリアに住んでいた。家に遊びに行くと築40以上の一軒家に住んでおり、車も持ってなかったり、持っていても国産車だったりした。家の中も取り立てて豪華でもない。共働きも多かった。団地の子たちは片親だったり、何かしら事情がある子だった。そう、児相に駆け込まざるを得ない子たちと同じ背景を持った子たちである。
そうした子達が問題を抱えていることは教師が生徒たちに説明することもあり、ある子が不登校になった時は(いじめはなかった)、皆で解決策を考えて受け入れられるように環境を変えたこともあった。
私は“金持ち”の部類だったと思う。だが、“貧乏な子”たちも遊んだ。小さい公園が西麻布の手前にあるのだが、その公園でなわとびをしたりしてよく遊んだ。赤坂の米軍基地の裏のサッカー場でみんなでボールを持って行って遊んだりもした。こどもの城のラウンジでカードゲームをして1日中過ごしたりした。子供の間では親の所得や職業などは知っているが特に意識せず、それによって階層が出来たり、仲間はずれができたりしたことはなかった。
過半数の“金持ち”の子は育ちの良いので素直だ。まだ自意識などが固まらないうちに、多様な背景を持つ子と生活することで、損得や利己的な感情ではなく、人と人として向き合えるようになると思う。
いま児相建設に反対している親は他人の子が「かわいそう」などと思わず、自分の子が将来心の広い人物になれるように、児相建設に賛成するようになってほしい。
一年以上前に書いたのをたまたま読み返したら「そう言えばこれを書いた頃は『転スラ』はアニメ化決定していなかったのに、今はもうアニメ放送されているな」と思い返したので、つらつらまた書いてみることにしました。
前に書いた時には期待を込めた予想・想像でしたが、本当に『転スラ』がアニメ化された上に、更にもう放送されているという現実の展開の早さに吃驚です。
しかも適当に描いた予想・想像でしたが、実際に2クールで制作され、今のストーリー展開のペース、そしてOPから読み取れる予想では前に書いた通り書籍版である6巻か7巻あたりのところで終わる展開になりそうです。
予言ではないですが、適当なことを予想して書いておくと(本当に正解した場合の時だけは)自慢できるから、書いておくもんですね。
まあ本編を読了済みで、ある程度は知見のある人なら予想できるであろう範囲のことでしょうけど。
とりあえず『転スラ』のことはこれぐらいにして、前に書いた時以降に「なろう系」と呼ばれそうなウェブ小説からアニメ化されることが発表された作品に注目して、今の現状を整理してみましょう。
もう数日で年末年始、つまりコミケになるのでこの時期には色々なアニメ化の情報が公開されると思われ、その中には「なろう系」のアニメ化もあるかもしれません。
そのコミケ前になってしまいますが、年末年始はバタバタしてしまう人も多いので、その少し前に情報を整理してみましょう。
まずは前に書いた時にはもうアニメ化の発表がされているものをチェックしてみましょう。
これらは最近色々な情報が解禁されましたが、『盾の勇者の成り上がり』がまさか2クールで制作されるとは思いませんでした。
これは『転スラ』の予想はほぼ正解したのに対して、こちらの予想は反対にハズレました。
書籍版が結構長々と刊行されていてまだまだ終わる気配がない作品なので、博打……なのかはお金を出すスポンサーと制作側の判断なのでなんとも言えませんが、前にも書いたとおり私の考えでは2クールで制作するとは思わなかったです。
ただ書籍版が20巻を超える大長編なので、アニメ化を機に動けば大きいリターンはあるかと思います。
「なろう系」と呼ばれる作品の多くは大長編なので、今後のアニメ化の試金石になるのかもしれません。
同じ会社から出版され、そして同じ雑誌でコミカライズを展開している『無職転生』のアニメ化に繋がる流れの一環なのかもしれませんしね。
こちらはネット民的な視点からのウォッチ対象になりやすいネタ枠的な存在ですが、「ED主題歌アーティストの “女性バーチャルタレント限定“オーディション」というのを開催し、斜め上なのか斜め下なのか分からないですが、予想するだけ無駄な方面にネタを散らしつつ、2019年4月に放送が決定していることを知ることになりました。
前に書いた予想では強引に1クール……とか書いていましたが、『盾の勇者の成り上がり』が2クールで制作されるならこちらもワンチャン……とかそんな想像も頭の片隅に。
さてどうなるでしょうか?
そして今回の本題ですが、前に書いた時以降にアニメ化が発表された順番にリストアップしてみます。
最近は本当に多いので、ここに挙げた以外での「抜け」があるかもしれません。
あったらごめんなさい。
まずは上には挙げませんでしたが、アニメ化が告知され、そのわずか数日後には制作中止となった『二度目の人生を異世界で』を取り上げないと、今年は語れないのかもしれません。
中止になった経緯は余りにもイレギュラーなパターンなので言及するにも難しいですが、(なろう系には出版社からデビューした現役の作家さんもいますが)素人が下手に残すログって怖いですね。
「チャイナリスク」という本来の言葉の意味とは違うのか違わないのか微妙なところですが、今の時代はアニメの海外配信も当たり前の時代なので、色々と各方面に向けてのチェックというかフォローが難しくなってきています。
そしてそれとは別パターンですが、『ありふれた職業で世界最強』はアニメ化と放映時期を発表してわずか一か月程度で、TVアニメの放送延期を告知するというよく分からない流れでした。
以降は動きをほとんど確認できないので、アニメ化がキチンと動いているのかは自分は業界人でもなんでもないのでその辺りはよく分かりません。
『私、能力は平均値でって言ったよね!』はアニメ化の発表がありましたが、今のところ特に追加情報はほとんどないのでよく分かりません。
出オチな系なコメディ色が強い作品なのでアニメ化した場合は、最終回をどうするんだろう?ってシリーズ構成の人の苦労を想像して出来上がりを楽しみにしたいと思います。
『異世界チート魔術師』。こちらもアニメ化の発表以降は追加情報はほとんどなし。
少年エースでコミカライズが連載されているので、ヒーロー文庫よりももしかしたら、KADOKAWA方面からの情報公開があるのかもしれません。
最近よく分類されやすい、チート&イキリなキャラにカテゴライズされる系統の作品なので、主人公に変な呼び名が付く可能性が高いかもしれません。
『蜘蛛ですが、なにか?』は既にショートPVが存在していて、それを観る限りはもしかしたら(大迷宮内での描写は)全編フル3Dのアニメ化作品の可能性も。
PV以外はこちらも追加情報はほとんどないので、展開待ちでしょうか。
書籍版はKADOKAWAから、コミカライズはヤングエースUPと、KADOKAWAが表立って展開している作品です。
なろうの本編は今の展開に区切りがつけば完結の可能性が高いと思われますが、なろうと書籍版に展開の違いがみられ、それを並行で進めようとしているからか、最近ではなろうも書籍版も進みがスローになっているのが難点でしょうか。
作品の人気的には大迷宮での成長・進化のテンポの良さが売りの一つだったと思われ、それが失われる後半のストーリーはアニメ化には不向きな印象があるので、個人的には1クールで強敵連戦の危機・成長・進化の連続で怒涛のハイペースがどう描かれるかが注目と思っています。
『魔王様、リトライ!』は「モンスター文庫」という双葉社からの出版で、「モンスター文庫」からは初のアニメ化になります。
「なろう系」としては余り際立った特長を感じるタイプの作品ではないですし、固定ファンが多いというわけでもない作品なので、アニメオリジナルなラスボスが終盤に登場する展開もありそうな気がする作品です。
『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』は「なろう系」としては、女性向け作品のアニメ化としてはお初のモノになるのかもしれません。
基本的に女性読者向けの作品ですが、内容的には恋愛コメディになるので、メインキャラの男女比率も同数程度ですし、アニメの仕上がり次第では男性にも幅広く楽しめる作品として受け入れられる可能性は高いです(最近は女性向けのアニメ化作品が、男性にも受け入れられる程の人気を得るような作品が出ていないので、久しぶりにそういう作品を見てみたいという期待を込めて)。
原作のイラストを担当されている方がそのままコミカライズの作画をやっていて、コミカライズも評判が良いので、個人的には何気に期待している作品だったりします。
『この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる』は「小説家になろう」ではなく、KADOKAWAの「カクヨム」から生まれた作品になります。
まあ色々と面倒なので「なろう系」と大別しても余り問題はないと思いますが、そういうことにうるさい人も多いので注意しましょう。
この作品が成功するかどうかは分かりませんが、KADOKAWAとしては「小説家になろう」(株式会社ヒナプロジェクト)にアクセス数と、最終的な公開管理権的なものを握られるのは悔しいことと思われるので、「カクヨム」でのヒット……はともかく、アニメ化作品があるんだよという実績は欲しいでしょう。
『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』は転生・転移系ではなく、VRによるMMORPG系もの。
転生・転移系とは違う「なろう系」の定番パターンの舞台設定で、簡単に言えばSAOからデスゲーム要素を抜いたものと説明するのが正解でしょう。
あれ?そう言えば今回リストアップしたアニメ化作品は、この『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』を除けば、全て異世界転生・転移系になりますね。
そして巻数・売上的にも妥当とは思いますが、別要素の問題があったので、『八男って、それはないでしょう!』がアニメ化の発表にはまさかと吃驚しました。
作品そのものは内容的に特に問題はないと思うのですが、同じ作者の別作品が「チャイナリスク」がありそうな状態だったのでアニメ化はないなと自分は考えていたのですが、いつの間にかその作品はなろう上から削除されたので、リスク管理した上でアニメ化の動きを進めていたようです。
個人的に注目は、『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』と『蜘蛛ですが、なにか?』ですね。
『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』は「悪役令嬢モノ」とも分類される系統の作品で、これがヒットすると他の女性向けの作品のアニメ化への追い風となるかもしれません。
『蜘蛛ですが、なにか?』はショートPVの出来が良かったので、これならアニメ映えしそうだなあと思いました(大迷宮編は好きなんですよ……)。
という感じでアニメ化が発表されている作品を軽く紹介してみました。
整理して見直してみると、多いですね弾数が。
実際どれがヒットするのかはアニメ本編の出来次第なところもあるので予想は難しいですね。
そうなると今後アニメ化しそうな作品を予想してお茶を濁すのが一番でしょう。
自分としては、コミカライズが(一応は)少年向けの限界突破な『異世界迷宮でハーレムを』を挙げてみたいと思います。
なろうの方の原作は更新がほぼ止まっていますがストーリーのストックはありますし、エロ系は一定の需要があるので(笑)、これはアニメ化するんじゃないかなあと予想しておきます。
あと2019年は「カクヨム」からのアニメ化をKADOKAWAが積極的に展開しようとするのではないかと思わるので、『豚公爵に転生したから、今度は君に好きと言いたい』あたりも候補に挙がっているんじゃないかと予想しておいてみます。
そして今年『転スラ』がアニメ化されたことで、残る超大物は『無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』と、「このライトノベルがすごい!」では単行本・ノベルズ部門で2年連続1位と圧倒的な強さを誇る『本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~』ぐらいになるでしょうか。
本編そのものはどちらも完結していますが、そのどちらも超大長編なので1クールでのアニメ化はまずないかと思われます。
4クール用意しても多分完結しない可能性が高いですが、かつてはNHKでは『彩雲国物語』や『ログ・ホライズン』など分割になりますが4クール以上放映したこともあるので、『本好きの下剋上』はNHK枠でのアニメ化ならありえそう……と予想してみます。
そうなると『無職転生』に関しては、先行している『転スラ』のメディアミックス展開の成功具合次第でしょうか。
あとはPV数と売上的には、『とんでもスキルで異世界放浪メシ』と『転生したら剣でした』あたりが候補に挙げられるかと思います。
「なろう系」の書籍化の際には「絵師ガチャ」で当たりを引けないとヒットしないみたいな話がネットに転がっていますが、更にアニメ化まで繋げるには「漫画家ガチャ」で当たりを引くと倍率ドン!のような気がしますので、『とんでもスキルで異世界放浪メシ』と『転生したら剣でした』の2作品に関してはコミカライズの出来が良いので、そういう意味でアニメ化に近いような気がします(笑)。
さて他に識者の意見を参考にしたいと思うので、ブックマークした上でアニメ化される作品を予想してみてコメントしてくれたらありがたいですね。
株式会社アイビスは、お絵描きアプリのアイビスペイント出しています。
私は、株式会社アイビスで2年ほど働いていましたが、精神的肉体的に社会復帰できなくなってしまったので退職しました。
1つ目は、営業の人が案件とエンジニアの技術力を考えないで、プロジェクトに任命させることです。
私は、言語としては、C++を基本的に触っていましたが、営業の方から案件がないからGo言語でもいい?というか、それしかないからお願い、と頼まれました。案件は水ものだししょうがないよねと、営業の方自信が自分にいいきかけせている感じでした。それでプロジェクトに入りましたが、現場ではめちゃくちゃ怒られる毎日でした。そもそものお作法(変数の型宣言が後置である)も知らないからです。
このことでプロジェクトに合っていないと営業の人に言って離任を申し出ますが、うちではみんなこんな感じだから我慢してと言われるだけでした。そのまま、3ヶ月が過ぎたら10キロ以上も痩せて、配属先の会社から離任を申し出てきました。
離任後は、自社に戻ると営業の人は、顔も合わせず次のプロジェクト先をメールで伝えるだけでした。
もちろん次も経験のないJavaとAWSの環境でインフラ設計、製造です。しかも、プロジェクト先が都内から1時間30分以上もある厚木です。対応できなくものすごく怒られ1ヶ月でお客さんから離任を告げられました。
このことで、求人に書いてあることは自分の得意な言語で仕事出来るはずじゃないですかと営業の方(採用も担当していた)に問い詰めますが、仕方ないじゃん、案件は水ものなんだしと。そんなことなら、もっと遠方に行かせるか炎上案件に行かせるよと言われました。その後も、同じような案件で数か月で終了する感じで2年続けて精神的肉体的にまいりました。
2つ目は、1つ目と似ていますが、求人内容と書いてあることが全く違います。
私は、C++でモバイルのアプリが少しつくれる程度で会社の人とチームを組んで、開発がしたいがためにこの会社に入りました。
求人に研修では、あなたに合わせた研修とありますが、基本は放置です。
ワードのドキュメントにテトリスをつくってください。仕様は○○ですとA4の1ページにも満たない、仕様書があるだけです。更新日も5年以上前になっています。
基本誰とも話さずググって下さいと。質問してもググって下さいと言われるだけです。Redmineを使って質問ができますが、一日一回だけです。しかも、研修用で使えるPCはメモリは2GBで、2つ以上アプリを開いたら、フリーズします。
研修は、4ステップありますが、ほとんどの人がステップ1も終わらないで、現場に行くことになります。
現場に行く時は、もちろん営業としての単価がいい案件なので、炎上か高難易度の案件です。未経験の人でも大丈夫で4割が未経験でチームでプロジェクトに入りますと求人表に書いてありますが、一人で案件に行かされます。チームで行くことはたまにありますが、みな個人プレーで自社の人とは関わりません。フォローもなく、むしろ出来なかった時だけに怒鳴られます。平成終りなのに、やっていることは昭和初期の根性論のような会社です。
最後に、会社のトップの人は自社開発のアプリしかしていなく、全く経営をしていません。
例えばですが、今だに、派遣先での勤怠を自社に提出する際は紙ですし、社内システムは10年以上前のものを使用しています。
社長はめんどくさい事は、管理職に丸投げをして、暇さえあればツイッターをしているような人です。そんな暇があるならば、社内インフラを少しでも良くしてほしいですが、それも気づいてないです。
さらに、今後上場を考えています。上場したら優秀な人材が集まり、今いる人と競わせて、優秀な人だけ残すと言っているのです。社員をただのお金としてしか、考えていないので非常に残念な経営者です。
ちなみに私は、中途で入り手取り20万円で入社しました。しかも一年目はボーナスなし。年収300万円も行かなかったです。しかし、今転職した会社では、月給は32万で、手取りは28万円になりました。やっている事は変わっていないのにです。年収も400万円までいきました。これでも、他の会社と比べたら少ない方ですが、株式会社アイビスがいかに低賃金で働かせていることか身に染みました。
エンジニアを安く買い叩かれることがないように、間違えて自分と同じようなミスをして欲しくないために今回記事を書きました。
※色々とコメントありがとうございます。
今回の記事は株式会社アイビスが都合のいい人だけ集めていること、SES(システムエンジニアサービス。エンジニアの派遣です。)に問題があることをもう少し説明します。
株式会社アイビスは、都合のいいエンジニアだけ集めて、後は切り捨てるという考えです。プロジェクトにマッチしない人でも、辛抱強く続けられる人は会社としては利益になる。優秀でなんでもできる人ならマッチしなくてもどのプロジェクトでも活躍できる人が残っている人の2パターン。仮にマッチしなくてもやめる人のケースの場合でも、責任は営業とエンジニアになりますが、実質エンジニア(話し合っても、普段話しなれていなエンジニアは、丸め込まれる。または、受け流されて、変わらないことに気付いてやめる)になる。会社としての損害はほぼなく、利益は減るが、新たなプロジェクトを探し出せることになっている。常に求人をしているので、そんなことを知らない人が同じようなループに入ります。そこで、続けられる人が見つかれば会社としてはラッキーという感じです。そして、そこに残っている人はすごい低賃金で歯を食いしばってやっている人か、ものすごい技術力がある優秀な人かの両極端になります。自分がどちらか気付いたときは、そのポジションの言動をとるようになっています。歯を食いしばるか、サクサクコードモンキーになるか。
https://tenshoku.mynavi.jp/jobinfo-214515-2-3-1/?ty=kyujin&src=ssS
もう一つ、SESの問題点は上記であるように派遣でプロジェクトに入るところです。チームで何かしらをつくりますが、この時に株式会社アイビスの営業、会社、エンジニア、お客さん(1次受け、2次受けで責任者が複数にいる状態)いますが、そもそもプロジェクト自体が炎上していて、失敗したら責任はお客にあり、エンジニアは地獄をみます。営業と会社は「しかたないでしょ」となります。もちろん、成功したら「よかったよかった」になります。ほとんどの場合は、微妙に燃えています。そこでカギになっているのがエンジニアの力量ですが、プロジェクトによって使う技術が決まっていないので、地頭力か歯を食いしばる力(お客は求めていないが、自社は求めている。派遣するだけで利益になるのだから)が求められる。結果的に優秀な人は、機械学習(Python)であったり、Reactであったり、クラウドの(AWS、AZURE、Google Cloud Platform)にも対応できます。お客さんもエンジニア便りになって、正しくプロジェクトが成功できるかは、優秀な人を揃えられるかどうかです。歯を食いしばったところで意味がないのに、会社というポジションでそれをやらせる会社はどうかなと思います。しかし、会社も利益を出さないいけないということで、目先のお金(SES)で稼ぐのです。
当時言ってたよね?
そのまんまの状況になってきてる。
「まだ大丈夫」ってあと30年言い続けるつもり?
となりでそう言ってた人、駄目だったみたいよ。
給与を上げない。
そして低賃金。
物が売れない。
以下、ループ。
なんでこれを解決しないの?
借金が多かろうが少なかろうが日々の国民の生活、他より苦しくないか。
今は1つや2つじゃない大企業が毎年賃金や環境で問題頻発してるよね。
経済って回すことでしょ?
なんで低賃金で回ると思ってんの?
ねえ、これ読んでる政治家の人いたら
日本はもう終わりってことでいいの?
少ない賃金で共働きで日々苦しければ何とか子育てできるかもしれない。
でも未来は明るいの?
色々詰んでるでしょ。
30年前から苦しくなる一方じゃん。
60年前は苦労すればするだけ成長した。
未来は明るかった。
たまご。
ネギ。
すき焼き。
誰も日本によくなってほしいなんて思ってないでしょ。
みんな低賃金を行動で受け入れてるし。
終わりだよね。
バイバイ。
すげーなー、詳し過ぎて驚いたわ。
20年以上前に、どこか(銀行か保険だと思う)でもらった印鑑ケース。
フタの裏に鏡がついているんだけど、ずっと理由が分からなかった、というか気にも留めていなかった。
今朝、NHKのニュースを見るでもなく流していたら、その鏡の使い方をやっていた。
なるほど!今までずっと、わざわざこっち向けて確認してたわ。
ちなみに、テレビでは日付印みたいに左右反転していると読みにくいやつも、鏡に映せばそのまま読めるってことで紹介されてた。
寝つきが良くなるような気がして、缶チューハイから手を出しやがてワイン、ウィスキーとどんどん強い酒へとはまっていった。
ワインは一晩でひと瓶、ウイスキーなら一晩でボトル1/3飲んでしまった。泥酔して多幸感に包まれて気絶するように眠りにつく毎日。いつしか夜が来ると嬉しくてソワソワするようになっていく。
酒が楽しくてたまらなくなっていった。依存症の自覚はあったがやめる気は全くなかった。ところがある日男ができて、そっちに関心が行くとプッツリやめてしまった。飲みたい気持ちが全くなくなってしまったのである。禁断症状のようなものは特になかった。
22歳から5年間、一日一箱吸っていた。吸い始めたきっかけは何人かの友人がヘビースモーカーで、それに影響されてしまったように思う。
当然ニコチン依存症になったがアルコールと違いこちらは早くやめようと思うようになっていた。ある時インフルエンザにかかり、高熱が出ている間体がタバコを受け付けなくなると、回復してもそのまま吸わなくなった。禁断症状はなし。再び吸いたくなることもなかった。10年以上前のはなし。
これも20年くらい、コーヒー毎日4~6杯飲んでいた。たまたま豆を切らして24時間飲まなかったらガンガン頭痛がしてきたから、ああこれはカフェイン中毒かとわかった。
面倒臭いのでやめてしまおう、と思い立ったのが4日前。頭痛は2日で収まった。今のところ飲まなくても平気なかんじ。
以上が私の依存症歴でありますがはたして依存症になっていたのかどうかわからない。あまりにもあっさり、一切苦しまずやめてしまったから。
こういうことって珍しいんですかね。アルコール自助会とかニコチン外来の記事を見ると、常習者は必ず断つのに苦しむかのように書いてあるんだけど…。
差別をする側は、「自分が差別をしている」という事実を認識しにくい。
肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、
それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。
出身の土地や職業で差別することが当然の時代で生きてきた人間は、
「区別をつけるのは当たり前のことだ」
むしろ一部のグループを迫害することを「正義」だと考えてしまう。
今の我々は「それが差別である」という認識の社会で生きているから
だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしまい
と思ったことだろう。
愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という
罰則が定められている。
>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの
現在、日本では愛護動物に対する虐待は法律的にも倫理的にも「悪」とされ、
非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。
だが、ここであえて問いたい。
「何故?」
と。
「動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。
それでは、理由もなく人種差別、部落差別、同性愛差別をしてきた人々と
同じ間違いをしていることになる。
基本的には、法律の第一条にはその法律が作られた目的が記されている。
>第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。
なるほど、「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」。
確かに、生命や友愛、平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。
だが、ここで当然の疑問が生じる。
↓
という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。
・2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件。
・2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパートの大家をサバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件。
・2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件。
ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。
したがって、「動物を愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。
恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に「動物を愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、
そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは
哺乳類、鳥類、爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。
命の大切さを謳うこの法律では、魚類、両生類、無脊椎動物については何一つ保護の対象になっていないのである。
イヌやネコやウサギを殺すと「生命尊重、友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、
金魚やカエルやカブトムシは別に殺してもいいので無問題という、
この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。
さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、
動物虐待行為を「悪」として迫害することの正当性を担保するものは何も無いことがわかった。
だからといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、
なかなか受け入れられる人はいないだろう。
冷静に考えると「○○というグループは犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想の典型なのだが……
実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。
聞くところによると、FBIの専門家が、虐待は精神に悪影響を与えると言っていたらしい。
FBIといえば犯罪捜査のプロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、
きっと「動物虐待者はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。
自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。
さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である。
犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリングの技術を確立したFBI捜査官だ。
その手法については彼の著書である『FBI心理分析官』に詳しい。
そして、愕然とした。
実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待が殺人にエスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。
彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、
動物虐待癖についてはシリアルキラーを発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。
別に動物虐待と殺人や暴行の因果関係については一言も言及していない。
(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人は過去に○○しているパターンが多い」と、
犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物は犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)
「FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待は人間への暴力にエスカレートする』と言っていた」
というフェイクニュースを作り出したのだろう。
実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。
そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。
『FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、
一度もそれを確かめようとはしなかった。
もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前に出版された本であり、
だが、軽く調べただけでも
暴力段階説(動物への暴力が人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。
ここに来て、私は動物虐待行為を「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。
結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。
それも、かなり悪質な差別だ。
何しろ法律まで制定して、公然と動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから。
そして、「動物虐待者はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの
何の根拠もなく(ヘイトスピーチはそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定のグループへの誹謗中傷を行っているのだから。
もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。
動物好きな人は可憐な犬や猫を殺す行為は社会悪であると思いたがってしまう。
http://www.ishiyuri.com/entry/2018/11/25/bohemian-rhapsody_
こちらのブログは結構好きなのだけど、この記事にはううーんと首をひねってしまった。
特に『この映画がよくないのは、それらの価値観を現代の視点から洗い直したり、疑義をさしはさんだりする部分がひとつもないということ。』部分だ。
この映画はフレディの伝記映画であって、少なくともスクリーンの中には存在する彼の『現実』に、疑義をさしはさむべきだろうか?
といっても私はクイーンについてはまったく知らないので、私がもやもやしたのは、私自身を投影したからである。
腐女子になった理由は逃避だ。現実がしんどかった。家族がしんどかった。自分自身を愛せなかった。フィクションに救いを求めた。
かつて栗本薫が中島梓の名義で『コミュニケーション不全症候群』という本を出した。1991年だ。その本の中で著者は『(自己愛の発露と解釈されることもあるが、現実には)彼女たちは自分を愛してなんかいないのだ。』といったことを書いている。その一文は私の胸を貫いた。また栗本薫が受け取ったファンレターには、彼女が描くBL小説の主人公になることだけが自分の望みだ、と書かれていたという話もある。
つまり誰もかれも自分自身を愛せなかった。そこには女性性の否定が強い人もいるだろうし、とにかく自身への嫌悪が強いという人もいるだろう。理由も割合もそれぞれだ。ただ辿り着いた場所だけが同じだ。自分自身を愛せない。別人になることで得られる愛に一時の救いを求めた。そうしなければ生きていくのは苦痛でしかなかった。
……しかし、1991年には大勢の腐女子の賛同を集め救いとなったこの本も、例えば今ツイッターに載ったりしたら、ボコボコに叩かれるのだろうなあと思う。
今の腐女子の間では『腐女子はただの性癖だ』というのが大勢の賛同を集める。ただの性癖だから、現実逃避だとか自己否定だとかそういう理由はないそうなのだ。実際に、そういう人が多数派なのだろうし、1991年にだっていたのだろうとは思う。
思い出すのはねほりんはほりんで腐女子がテーマだった時だ。BLは現実逃避といった類の答えに、ツイッターでは反論が渦巻いていた。
そういわれてしまうと、いやあなた達にとっては偏見であり抑圧であっても、それが真実な人間だっているんですよと言いたくなる。
話を映画に戻そう。
だからもし、クイーンのメンバーがこの映画を『フレディはこんなに孤独ではなく、もっと幸せだった。この映画はゲイへの偏見に基づいた創作的悲劇だ』と批判したなら、受け取り方はまったく違っただろう。
しかしメンバーはこの映画に好意的だ。それはブライアン・メイのツイートからも感じられる。
私がそうであるように。
私が私の人生を描いたらきっと一昔前の古臭い偏見に基づいた腐女子像といわれるのだろう。この偏見に現代の価値観 ─── 腐女子は性癖であってそれ以上でも以下でもない ─── をさしはさんで改めて見つめるべきだといわれるのだろう。
お断りだ。
ステレオタイプが真実の人だっている。それを、そうではない幸福な人間に否定されたくない。
ちなみに。
私は映画を見て彼の孤独に自分を重ねて泣いたけれど、エイズで可哀想だと思ったことは、そういえば、映画を見ている間、一度もなかった。
あの映画のどこからも、泣かせるための病気だという意図を感じなかった。
私が一番見ていて辛かったのは、ソロ活動を始めた後、馬鹿騒ぎをする来客たちがいる中で、二階でフレディが一人で座っているシーンだ。
ゲイだろうがヘテロだろうが関係なく孤独になる。孤独は辛いが孤独を感じない人間は一人もいない。
それこそ、友達が全員結婚して子供もいる中で、シングルでいる腐女子だって孤独を感じるのだ。
フレディの孤独はあまりにも露わに描かれていて、私は始め、この映画が批判されていると聞いたとき、てっきりスターの孤独をステレオタイプに描きすぎだ、という批判なのかなと思ったくらいだ。
センター小説の問題は、本文と選択肢の事実関係が合致するかを見るだけでは解答できない。
それだけで4つから2つには絞れるのだが、そこから1つを決めることができないのだ。
傍線部と選択肢のニュアンスを比較してより近いものを選ぶ。これにより必ず答えが導ける。
このコツに気づいてからはほぼミスがなくなり本番でも50点を取れた。
充電ができなくなった。
ACアダプタが断線してるっぽいけど、ACアダプタを買い替えてももう遊ばないしな。
10年以上前か?ゼルダにめちゃくちゃはまったけどもうさすがに遊ばない。
そういえばWiiフィットもあるはずだから、あれも探し出して捨てよう。
あれも捨てなきゃ。
前回やたらめったら書きなぐってから半年、ようやく内定が出たので気持ちを落ち着けるために、やっぱりまた書きなぐる。
くっそ時間かかったので正直もらった内定を未だに信じられてない。内定出たら出たで「裏があるんじゃないか」「超絶ブラックなのでは」などと不安要素で押しつぶされる。
結局転職活動して分かったのは、「それ独立してもやってけるんじゃねぇ?」くらいのスキルじゃないとマジ食いつかれない。
自分では頑張ってたつもりでも、面接では「それはそれとして・・・」というノリで粗探しが始まる。「新卒時は大したこと言えなかったけど今なら」と思ってても結局また高校や大学での武勇伝を求められる。なんなの。
自分でもこんなに長々と時間がかかるものではないと思っていたが、明確な答えが見えない中で精神的ダメージとその回復に付き合ってると1ヶ月2ヶ月一瞬で過ぎていく。身の回りの同じようなスキルの人がすぐ転職できたから自分も~というのは無理。それは転職スキルが高いやつや。
企業は何やかや転職サイトなどでそれなりのコストを払ってるらしいので、すぐ辞められると困る=辞めにくさを非常に重要視してくる。
実家ぐらしだともう「辞めにくさ観点」では0点くらいのノリで見られてる気がする。給料低いから実家ぐらしで転職先探してんですけどね。
そもそも転職である以上前職を辞めてそこに行くわけで「辞めにくさ」とは矛盾しまくりなんですけどそれは。その辺り企業が「自社自身の自信のなさ」なのか知らんけど。
逆に、ここでは年齢についての正解がなくなる。若いと次があるので辞めやすいだの、じゃぁ歳行ってりゃ良いのかってったらそうでもなく。知らんけど。
転職活動が長引くと、結構自分の趣味に合致する求人を見かけるようになる。
待遇もそれなりであれば当然応募するのだが、趣味になりうる求人というのは大抵が高倍率でほぼ落ちる。
書類審査で落ちればまだ軽傷で済むのだが、面接まで行ってしまうとあら大変。基本的にはディスられます。他に返答の仕方あるんじゃね?
それこそ採用されれば「試されてた」でめでたしですが、万が一意地が悪い系の面接官に当たると「はん! もうこの会社の商品見るのも嫌だわ!!」くらいのダメージを受けます。
ただ、何社か受けた中でもなぜか「そうは言われてもこれは好きなんや・・・」というものがいくつかあって、その時々の流行やらで趣味になってただけのものを整理するのは良いかもしれません。本当に好きなものは何を言われても好きなんだなと気づけます。面接官次第ですが。
なお、転職活動を通して趣味の出費が以前の半分以下になりました。
「こないだの3連休、休めた?」休めるわけがない。常に転職のことが頭にチラつく。これじゃいかんと気分転換に山登りに行っても、頭の片隅にはどうしても顔を出す。
面接のための交通費や試験勉強、なんだかんだで金がかかるので派手な買い物もできなくなる。転職してもブラックだったら辞めるために貯金が必要、とかしょうもないことも考え出して結局金が使えなくなる。
結局内定こそ出たものの、転職活動を通して持ち前の自分の武器が充実したなんてことはなく、無様な面接の末という感じでした。成長感ない自分が悪いんですが、成長=無様な過去の自分と向き合うのが辛いです。過去の自分は変えられないので極力嘘つかずに何とかするしかありません。辛くない人は微塵も辛くないでしょうけど。
実技試験・筆記試験とかあるやつのほうが多分ちゃんと見てくれてる感じがします。「面接1回でOK!」ってやつのほうが簡単そうに見えて難易度高いですし、準備が面倒です。何の質問されても良いように備えないといけないので。向こうも質問がザルで「え、それに答えなきゃいけないの・・・?」ってのが結構あります。何でその下手な質問でこっちがドモッたらこっちのマイナスになるねん。
あーーーーーもう、理不尽さの嵐だし、誰もこの状況を変えやしないし(変えれる力を持つ人はそもそも就活とかで躓かない)、何なら中高時代から準備できてなかったら無理ゲーなんやけど「学生時代は遊ぶもんやで」とか適当コク大人ばっかだったし、え?自分で気づいて調べるべきたったの?とか、もうもうもう。
まぁこれだけは言いたいんやけどね?
クソうざくてCMばかすか打つくらい転職系サイト儲かってるみたいだけど、そういう中抜きがなくなれば人材の流動性上がんじゃねーのって気がするよね。
ネットが発達した現在ならSNSとハローワーク、あとは企業の工夫次第でよくなくない?
知らんけど。
衣食住足りて礼節を知りたい。