はてなキーワード: ズバリとは
お、ズバリだったようだな。
で?って感じ。
・作品を未読の、鴻巣評が「誤読だ」と言われていることを知らない(「うちの地元の高齢者」のような)朝日新聞読者にとって「読み」が閉ざされうることには変わりない。私小説である都合上、鴻巣の「読み」を人々が真に受けると本人および周囲へのダメージが大きいため、桜庭は「必死になって訂正をお願い」している。一方で「読み方の可能性を新たに開く可能性もある」のは当然の話で、それを指摘したところで上記の問題が相殺されるわけではない。
・「これは解釈である」とわかる様式や内容でもって「解釈が断定的に書かれる」ことはそりゃあるでしょう。例えば「これはケアをめぐる物語だ」とか。ふつう作品自体にそのままズバリ書いてあるわけないんだから。あるいは序文とかではっきり書いてあるなら、書いてあるのだと示した方が評者にとって得。「作品に書いてあること」についてなのか「著者の解釈」なのか、区別できるように書かれていれば断定で問題ないけど、今回はそうじゃないから大変ですねって話。事前情報なしに当該箇所を読んで「おお、ここは作品に書いてあることではなく、鴻巣の解釈が断定で書かれておるなあ」と確信できるとしたら超人でしょう。超能力者しか「文芸批評や研究」を読んではならないのか。
俺のBLに対する解像度が低くて理解できていなかっただけなら申し訳ないんだけど、金田氏は受けが喜ばないガチレイプはBLでも絶対NGという人なの?
自分も金田氏の呟きを全て追っている訳では無いので断言しかねるけど…
今取り上げられている発言を見るに「本当は受けも火照ったカラダを路地裏のモブにもてなして欲しかったから実質和姦」という理屈を持ち出しているので、自分の愛するキャラのガチレイプはNGって人、なのではないかと
う~ん、でもやっぱり「結果的に受けが喜んでるからOKです!」が通るなら、勇次郎にレイプされた登山家は「その雪辱があったから男を磨くことに繋がり充実した人生を送っているからOKです!」もアリになっちゃわないか?
それとも氏の言うところの問題のないレイプは受けが「レイプされてぇされてぇされてぇヒャッホーッ!」くらいのノリで喜んでレイプされていて、結果的に喜んだレイプも氏的にはNGなのか?
その辺りの氏の認識が分からないと正確なところは分からないけど、増田の引用した氏の発言を見た範囲じゃ『BLに甘い人』というのが素直な感想になっちゃうかなぁ。
「結果的に喜んだレイプ」は「レイプされる前は本気で嫌がっていたのにレイプされている内に段々気持ち良くなって満足してしまった」という男性向けでよくある文法だしなぁ…
そういう「レイプだろうと結果的に気持ち良くなったんだから良いだろ?」という考えはありとあらゆる女性が忌み嫌っている男性特有の思い込みって事はもっと広まるべきだと思う
BLに甘い人という認識はズバリ正しいと思う。金田氏はBLが好きでBLに救われている人だから、どうしてもBLの肩を持って擁護してしまうんじゃないかと。
あと、流石に
刃牙は男性作者が描く男性読者の多い作品で「過去に性暴力を受けた男性」への影響を危惧するのも分かるけど
金田氏のBL妄想は金田氏の同好の士の女性の目にしか入らないし、金田氏のBL妄想を読みに来て傷付くBL好きの女性というのも考え難い存在だし
これはないわ。
この程度のふんわり予測が成り立つなら「バキは弱い者は喰われる世界観だと読書が認識して読んでいるから大丈夫」とか「興味本意で金田氏のBL妄想を見てあまりのエグさに女性不信になる男性がいるかも」とか「過去寂しさから複数人に体を許してしまい、そのことを後悔している女性が、性別は違えど受け男性に自分を重ねてしまって傷心になった」とかそういう真逆の想像だって容易にできるよ。
その可能性は十分あり得るね…ちょっと金田氏に都合が良すぎるあまりにも楽観的な想像だったかもしれない
BLを読む女性は自分と登場人物を切り離して客観的に見れるというのは40年以上前のBLがまだ少年愛物と呼ばれていた頃からある傾向だけども
そういえば、宮崎駿は安倍晋三を愚劣よばわりしたり30000はてなポイントの成果物を生命に対する侮辱とか言ってたな。駿は世代的に戦争や死をこねくり回して弄ぶことへの後ろめたさを抱えているので、安倍や30000ポイントに対して同族嫌悪を感じているのだと思う
しかしかわいいかわいい庵野秀明に対しては、彼が演出というものにしか関心がなくひたすら戦争や死をこねくり回してる創作者であるにもかかわらずものすごく特別扱いしててやっぱり人間だなと思う
(風立ちぬで抜擢したのとかも、庵野の病気をどうにかという側面の他に、そのものズバリのテーマで自分の考えるあるべき思想を忖度してほしいとか考えたんじゃなかろうか。もちろん庵野にそんな目配せが通じるとは思えぬ)
この度「有機ELモデル」という新型が発表されたニンテンドースイッチ。
だが、一部ネット上で噂(あるいは期待)されていたのは、所謂Proモデルだったので、その界隈からは落胆の声も上がっているようだ。
では、どうしてSwitch Proは出なかったのか?
その理由を考えてみた。
それはズバリ
だ。
身も蓋もない言い方をすれば、nvidiaの力不足という話だ。
Switchというゲーム機は据置機と携帯機の両方の性質を持つ特殊なハードウェアだ。
そのため、搭載するSoCは「性能」と「省電力性」の両立が求められる。
例えばプレイステーションやXBOXのように、世代交代を重ねるごとに電力バカ食いモンスターのCPUやGPUを採用する、なんて事が出来ない。
「Tegra X1と同等の省電力性を最低限維持しつつ、より高性能なSoCの開発を!」と言われた事だろう。
そして、残念ながらそのハードルを未だクリア出来るものを生み出せなかったのではないか?
という推測だ。
その他、噂されていたSwitch Proの要素はだいたい今回の有機ELモデルで実現している。
なので、実際に水面下ではProモデルの開発と検証自体は進められていたのだと思う。
その結果、SoCだけが目標をクリア出来なかったと思うと、悲しいな。
また、2年後に期待しようか…。
原始、女性は太陽だった。って誰の言葉でしたっけ。それはそうと昭和、中年男性はヒーローでした。現在令和に突入した日本ですが、平成の中頃から中年男性(以下おっさん)の存在価値が暴落した印象があります。さて、おっさんに何があったのでしょうか。これはもうすぐ50歳になるおっさんど真ん中の筆者が、おっさんの存在価値と生存戦略について真正面から向き合ったレポートです。
おっさんとは
さてまずおっさんとはどのくらいの年齢範囲でしょうか。ここではズバリ「35-60歳」と定義します。35は転職市場の実質上限、つまり「若者」と言えるギリギリってことです。60は定年とすると「お爺さん」と言って差し支えない歳ですね。真ん中は47.5歳。筆者は真ん中も過ぎた中堅おっさんなので、そろそろおっさんを語っても許されるでしょう。
そして現代のおっさんは「社会における苛烈な被差別階級のひとつ」と言えます。少なくとも日本ではそうです。そんなことないだろ?と思ったおっさんのあなた、まだ練度が足りません。例えば小売店のレディースデー。女性優遇の施策ですが、かつておっさんデーがあったことがありましたか?ありませんね。例えばおっさんが痴漢の被害者になったとします。あまりにレアなので笑い話にはなるかも知れませんが、誰が同情してくれますか?ほら、おっさんはおっさんというだけで無視され虐げられ、疎まれているんです。そんなことないだろ?まだ言いますか。そう思ってるのはあなただけかも知れませんよ。
男に生まれて35年も経つと、この被差別階級たる「おっさん」に強制編入されます。見た目は緩やかに老けていくだけですが、社会は突然突き放してきます。それは「人権剥奪」と言っても良いくらいの仕打ちですが、当の本人はそれに気づかず猛烈に困惑します。ルーキーおっさんの洗礼ですね。
まず転職。ほとんどの会社が35歳までとしています。つまりこれは「ゼロから教育するのに柔軟な脳を持った最後の歳の相場」なわけですね。もちろん40歳を過ぎても柔軟な脳を持った人だっていますが、そんな言い訳は通用せず転職市場からは脱落です。筆者も転職には苦労したクチなので、おっさんになった最初の実感はこれでした。
そして恋愛。35歳にもなると見た目も老けるので若々しさは失われかけますし、若い世代とは会話も合わなくなってきます。現実的には35歳前後の女性と付き合うのがベストなはずなのですが、さも当然であるかの如くおっさんは若い子を求めがちです。35歳のルーキーおっさんにはおっさんになった現実が見えていないので、こんな図々しい希望を持つのですね。なにより若い子がおっさんと付き合うメリットがありません。心身ともに若くて会話が弾んで体力もある、ついでにイケメンならそっちと付き合うに決まってます。
そんなおっさんが人権を保障される、つまり若者を含めた社会に参画するには「権力・経済力・名声(または一芸)」のどれかがなければなりません。権力がないと若者に意見できません。金がないと若者と付き合えません。名声(または一芸)がないと若者に尊敬されません。どれもないおっさんは「おっさん餓鬼界」に転落し、いないものとして扱われます。若者へ接近してもガン無視されるがウザがられるだけなので、せめて慎ましく生きましょう。
ということは、そのくらいしか取り柄のないおっさんが人権を必死に守ろうとした結果がこれまでの日本社会と会社形態であり、女性の社会進出を本能的に拒んで来たと考えると納得できます。しかし現在はその砦も陥落寸前であり、ますますおっさんの人権はなくなりそうな勢いで、お先は真っ暗です。
なるほど昔の人は言ってました。若いうちに一生働ける定職に就いて早目に結婚しろと。これらはおっさんになってからでは得られないことばかりです。気づいた頃には崖の下にいるってわけですね。とほほ。
ではなぜおっさんがこんなにもショボい存在になってしまったのかを考えます。冒頭にも述べましたが昭和時代、おっさんのヒーローはたくさんおりました。古くは鞍馬天狗に月光仮面、時代劇も刑事物もバラエティー番組の司会までおっさんのオンパレードでした。筆者も若い頃、いつかは三船敏郎さんや岡田真澄さんのようなカッコいいおっさんになることを夢見て来ましたが、全然なりませんでした。いやそれはさておき、平成に入ってから明らかにおっさんの需要は減り、メディアにおけるおっさんの比率はもはや消滅寸前です。まーかろうじておっさんのお笑い芸人や高齢ジャニーズが残っていますし全滅ではないのですが、とりわけ男臭いおっさんのドラマは全滅したと言って差し支えありません。
さてなぜおっさんは死んだのか。それはズバリ「インターネットの普及」にあると筆者は考えています。もう少し詳しく言うとSNSですね。これによってある意味神格化されていたおっさんのベールは剥ぎ取られ、尊敬できる存在ではないことがバレてしまったのです。とりわけTwitterによるおっさんへのダメージ(悪印象)は無視できません。近年高田純次さんは「おっさんの禁忌三箇条」に「説教・自慢話・昔話」という定義をしておられましたが、まさにこれしかツイートしていないおっさんが溢れ返っているなうです。ところが本人は良かれと思ってやっており、かくしてここに「教え魔」が誕生します。もちろん説得力を持たせるため偉い、金持ち、どっかでは有名などのアピールは欠かしません。が、頼んでもいないアドバイスほどウザいものもなく、またそれが知らないおっさんからならウザさも倍増です。おっさんはSNS禁止とまでは言いませんが、若者のツイートへのリプライは自重した方が確実に良い結果になるでしょう。
しかし自分だけ自重したところで教え魔のおっさんは後を絶たず、おっさんへのヘイトはますます溜まる一方です。そうでなくても昭和時代からセクハラパワハラし放題だった一部の悪代官のようなおっさんのお陰で潜在的なヘイトはあったというのに、事態は悪化の一途です。「自分だけはウザくないしおっさんじゃない」という勘違いが、その他大勢のおっさんを苦しめてるんですよ、ご同輩。
おっさんと性欲
ではなぜこんなにおっさんは必死なのでしょうか。それは「欲」の問題です。食欲、睡眠欲はまー健康の証で問題はありませんが、性欲はおっさんになったらとっとと捨てるべき劣悪な負債です。持ったままだと良い事は一つもありません。
女性の性欲は閉経という定年があるので、中年になっても男を漁るような行動をすることはごく稀です。しかしおっさんには閉精なんかないため、いくつになっても女漁りに暇がありません。まーこれは言い過ぎですが、少なくとも女性に興味がなくなることはほぼありません。いつかは衰退して楽になるものと筆者も待ってはいますが、残念ながら今のところピンピンしています。
おっさんの性欲はこの世でいちばんムダなエネルギーです。しかし埋蔵量は無限なため、上手く運用すると大きなお金が動かせます。風俗に水商売、アイドルに声優にアニメにゲーム。凡庸な商品も何かしら若い女性を絡めるだけで売上は数倍になるでしょう。これらは全ておっさんのエロエネルギーを採掘した結果です。もうおわかりですね。おっさんは「お金を払わないとエロにありつけない」のです。エロ産業から見ればおっさんはお金に付着したタンパク質であり、もはや人間ですらありません。嘘だ、と思ったらキャバ嬢や風俗嬢のツイートを覗いてみてください。その類のツイートが死ぬほど出てきます。
そこでおっさんは考えます。コスパ良くエロにありつきたい。ここに「教え魔×出会い厨」というハイブリッドモンスターが誕生します。上手くいけば若い子から尊敬されついでにオフパコまでできちゃう!…実におめでてえ最低野郎です。こいつらはネットインフルエンサー女子のリプ欄でよく見かけますが、上手くいった話はひとつも聞きません。
なるほど昔の人は言いました。辛抱しろと。性欲さえなければおっさんのウザい要素のほとんどは消えます。しかし消し方はほぼ自然消滅のみなのでそれまで辛抱しましょう。SNSはそれまでお預けでも良いかも知れませんね。
性欲の他にあと一つ、消し去るべき欲があります。それは「自己顕示欲」です。おっさんがおっさんのツイートにリプライする際に発生しがちです。「俺の方がすごいぞツイート」ですね。俺の方が悲惨だぞツイートなんかもありますが、いずれにしてもこの「マウント」がおっさんがおっさんを嫌う理由に充分なり得ます。そう、おっさんはおっさんからも嫌われているのです。同一カテゴリにいながらも連帯意識はほとんどなく、むしろ「コイツよりマシ、コイツよりは嫌われてない」と思い込みがちですが、全て幻想です。
教え魔も出会い厨もマウントもダメなら、おっさんはツイートする内容が非常に無味乾燥なものに限られます。正直つまらないのでSNSなんかやらないのが正解です。実際おっさんがいない方が平和なので、若者はおっさんに侵略されていない新し目のSNSを好む傾向にあります。いやー嫌われたものですね。
以上の見解から今後おっさんが復権というか若者にウザがられず社会参加するためには、おっさんというおっさん全員が足並みを揃え
自慢話
昔話
を禁止とする必要があると考えます。実際性欲と自己顕示欲の抜けたおっさんは、渋くて魅力的に映るでしょう。とりあえずそれを目指しましょう。そしてカッコいいお爺さんになりましょう。これでもなおダメならおっさんに明日はありません。辛抱ですよご同輩!
ネタバレしとくと始祖ユミルは王様への恋が断ち切れなくて2000年悩んでてその悩みの解決先をミカサに託したわけでミカサの恋心がキュンする度に頭痛が下のはユミルが脳を覗き見してたからなのんでミカサとエレンは相思相愛だったんだけれど戦争と運命のせいでガッサーー引き裂かれてたけれど最後はミカサがエレンを斬首し且つキスすることでユミルはんもニッコリというプロットやわそいでエレンも相当先の未来を見通してたんだけれどユミルはんは皿にその一歩先を見通しててだからエレンは最終的に巨人の居なくなる大団円な未来は見通せたけれど何でそうなるかは分からないし味方同士の殺し合いはハラハラ感あったけどユミルはん的にはそこはお見通しではあったがそこから先がわからんだからどうなるかミカサおせーてといった塩梅でオカピ使いながら吉田沙保里よろしくこっそり然るにしっかりヲッチしてたらミカサが一瞬夢と妄想の現実逃避しそうになったが最後のガッツーン来た頭痛で真の愛を見出して何故か分からんが巨人のエレンの口の中に首のエレンがいることを伏線1オングストロームもなしにズバリ言うわよと細木確信でリヴァイを使役しつつ前述した首チョンパアンド情熱のキッスでエンドや。
最近洗たくマグちゃんが景表法違反で指摘を受けたが、ああいう報道をされると消費者は効果がないイメージを持ってしまう。
実際はそんなことはない。何百万個も販売した大ヒット商品が実は効能ありませんでした、なんてことになったら今以上の大騒ぎである。回収だけでは済まない。
他にも、これは知らない人のほうが今では多いだろうが、某家電メーカーが電解水で洗うという画期的な製品を開発し、これまた有名になったのだが、すぐに廃番になってしまった。なぜだろうか?
双方に共通するのは「洗濯洗剤を使わなくても汚れが落ちる」という謳い文句である。ここが重要。
洗剤を使わずに今までより汚れが落ちるだなんて消費者からすれば願ったり叶ったり。しかしそれで割を食うところがある。
一体どこだろうね?
日本には数多の新宗教と呼ばれる宗教が存在する。そして大体の宗教は聖地を持っている。そんな聖地に信者でもない人間が入ってもいいのか?と思ってしまうが開放している宗教はそこそこあるので行ったことがある宗教本部の思い出を辿ってみる
・霊友会
法華系新宗教の先駆けであり数多くの分派を輩出したことで知られる霊友会は東京都港区麻布台という都内の一等地に「釈迦殿」と呼ばれる巨大な建物を保有している。最寄り駅の神谷町駅からとぼとぼ徒歩で行ったが、自分は平日に行ったのでほとんど人が居なかった。巨大な礼拝スペースががらんとしているのはこの世の終わりを感じさせてなかなか楽しいものだった。霊友会には小谷喜美と久保角太郎という二人の教祖的な人物がいるのだけれど歴史紹介コーナー的なところはほとんど小谷恩師小谷恩師と書かれていて久保角太郎の名はあまり見受けられなかった。(霊友会の元会長が久保角太郎の息子なのだが、平成に入って分裂騒動があり現在の霊友会と袂を分ったためか)
奥の方には食堂もあったが行く前に食事してしまったので食べずに終わった。
上に書いた霊友会の分派として戦後期に創価学会と並んで肥大化した新宗教である立正佼成会の本部は杉並区和田にある。方南町駅から北に向かって歩いていくと円柱が多数取り囲んだような形の立正佼成会の大聖堂が見えてくる。道を挟んで南側には「吹奏楽の甲子園」と呼ばれた教団所有の普門館があるのだが、自分が行った2019年のクリスマスには耐震上の問題から取り壊しが行われていた。
中に入ると一階には土産物屋があった。教団関連の書籍や仏具とともになぜか国旗が売られていたのを妙に覚えている。上の階の展示室では脇祖・長沼妙佼の特集が組まれていた。若いころの開祖・庭野日敬の写真などもあったがなかなかいい顔立ちだなと感じた。展示を見終えた後、屋上に上がり中野から東京を見たりした。
昼ぐらいになったので食堂に行った。この日はクリスマスだったのでシフォンケーキが売られていた。仏教系とかあんまり関係ないのね…大聖堂の外にもいろいろあったが博物館的なところは休館だったのでコロナが収まったら行ってみたいと思います。
・国柱会
さっきから法華系の新宗教ばかりに偏ってる気がするけど次に国柱会の説明を。戦前に日蓮主義を引っ提げた田中智学の国柱会の本部は江戸川区一之江にある。一之江駅からバスで行くものの最初はどこが入り口かわからずぐるっと回りを一周してしまった。やっとこさ入口らしき道を見つけたが、教団が経営する老人ホームが本部の中にあって驚いた。老人ホームの道を進んでいくと国柱会の本部が見えてくる。ただまあそんなにデカい建物ではなかったのですけどね。道の端々にいろんな石碑が残っていたけどあんまり記憶にない。本部の中も恐る恐る入った。術師みたいな恰好の人が居た位しか覚えてないですね。本部の中のパンフは教団関係のやつもあれば右派的な主張のものもあった。そこは戦前からの流れがまだ生き残ってるんだなあ…と思った。
・霊波之光
いままでは東京都内だったが今度は千葉県野田市にある霊波之光本部へ。東武野田線運河駅を降り東京理科大学を横目に歩いていく。途中で信者らしき人々がすれ違いざまに挨拶をしてくる。霊波之光は教義上挨拶を重視してるようでまあ返さないと申し訳ないな…という感じで返事をする。
入り口についたころはちょうど正午で礼拝タイムだったのでそれを眺めてから境内にINする。入り口で記念撮影ができるようだが内部では写真は撮影禁止らしかった。休日であったこともあり先に述べた三つの本部よりも人が多かった。とりあえず腹ごしらえに一部オタクに認知されているドムドムバーガーの生き残りの店で昼食を食べた。お好み焼きバーガーって炭水化物ばっかじゃん!!!!
施設内のことで覚えてることが花が多いとか焼き物が飾ってあったとかその程度しかない…教団について知らなかったので資料館的なところも見たかったけど休館だった悲しみ。
・金光教
中国地方に18きっぷ旅行した時にせっかくだからと行ってみた金光教本部はその名もズバリ金光駅から歩いて行った。
本部までの道にある店が軒並み金光教マークの提灯を掲げていたのは流石宗教都市だな…と思ったりしました。本部に入ったけど手水鉢とかもあって割と神社に近い感じでしたね、教派神道ですから。
歩き回ろうと思ったけど信者の方々が掃除の奉仕活動的なことをしてたからなんか申し訳なくなってそそくさと退出してしまいました。帰りに買った金光教マーク入りのまんじゅうはなかなかおいしかったです。
…と、ここまで駄文を垂れ流してきたわけですが、見に行ける新宗教施設は割とあるように思います。ただ、そこにいる信者の皆さんに失礼とならないようなふるまいは必要となってきます。あくまでアウトサイダーなのですから…
あと、創価学会でおなじみの信濃町なんかは行ったけれど学会本部は厳重に守られてますし土産物屋で三色グッズを買うくらいしかできないからあまり面白くはなかったですね。
今後もいろいろな新宗教施設を訪ね歩きたいと思います。天理とかまだ行ってないですからいずれコロナが収まったら行きたいですね…!
最近女性の自殺率が例年の数倍に跳ね上がっている、という嘆かわしいニュースを見た。
本来なら穏やかに生きていける筈だった女性が自ら命を絶つという信じられない悲劇が、最近の日本では急激に増えている。
私と一緒にニュースを見ていた母も、「幾ら何でも数倍って異常じゃない?」とこの残酷な現実に憤っていた。
このはてな匿名ダイアリーでもよく目にする、「日本人の自殺率は女性より男性の方が高い」という話題だ。
「男性の方が自殺率が高く女性は低い、なので男性の方が不幸で苦労している」という風潮を身近な人はどう思っているのか気になっていた。
母の答えは明瞭だった。「男の方が弱いから追い込まれるとすぐ自殺に逃げるんでしょ」と、ズバッと言ってくれた。
男の方が女より弱い。これは肉体的な意味ではなく、きっと精神的な意味で、という事なのだろうか。
つまり、負荷をかけられた際に耐えられる強度が女性より男性の方が低く、女性なら耐えられる事も男性なら耐えられず死を選んでしまうのだろうか?
なるほど。明確な根拠は無いけれど私より長く生きてきた母の言う事だから、確かに全てが間違っているとも思えない。
女性は出産の際に、鼻の穴からスイカを出すような激痛に耐えて子供を産むらしい。その痛みに男性は耐える事が出来ず死んでしまうそうで、女性の方が痛みに対する耐性は高いそうだ。
それに、女性は毎月自分の意思に関わりなく気分が落ち込んで体調を崩す人生を否応なく送らされている。そうやって理不尽に対して耐える能力が自然と鍛えられているのかもしれない。
私の母は妻として、仕事のストレスに耐えられず体を壊すまで酒や煙草に逃避し、家族に暴力を振るい家の外に女を作った夫を見てきた「経験」からその事を学んでいたのだろうか。
勿論この母の答えが絶対の真理と決めつけようとは思わない。
だけど「男性の方が自殺率が高いから女性は男性より恵まれている」という論法を見た時に対する受け取り方もまた少し変わってくるかもしれない。
「それは男性が女性より辛いからではなく、単純に男性が女性よりメンタルが弱いからじゃないかな?」と、こういう考え方があっても良いのだと思う。
【追記】
「男の方が女より弱いからすぐに自殺する」という言い方ではあんまりに思った男性が怒るんじゃないかな?と、私が母に尋ねると
「どんな男も母ちゃんのお腹の中で育って産んでもらって生きてるんだから偉そうな事を言わない方が良い」とこれまた明確な答えが返って来た。
全ての生き物、全ての人間は皆母親から生まれてくる。そりゃあ「母親」って強いよな…と思わずにはいられなかった。
【追記2】
コメントやトラックバックの中に↑の文章の中から正確に私の母の情報をプロファイリングしている方が何人か居て驚いた。
“男の方が女より弱い”←家父長制で虐げられてきた女性が溜飲を下げるための自己暗示では。こう思うことで主観的な辛さが軽減したとしても、構造的に不利な立場は何も変わらない、そのことがもどかしい。
どうも母は長年連れ添った夫に愛憎入り混じった感情を抱いてるようで、その姿を見て恨みも込みで「男は弱い」論者になったんじゃないか、と思っています。
増田の母世代、おそらく60代くらいの女性って自立できないから夫に何されてもただ我慢するしかなかったから増田の母はおそらく夫をはじめとした男性全般のことを嫌いなんだよ、ただそれだけだ