はてなキーワード: キャッチフレーズとは
どうも中国の商標制度は日本から見るとちょっと考えられないところがあるらしい。
下記の記事参照。
栗原潔 | 弁理士 ITコンサルタント 金沢工業大学客員教授
4/2(火) 20:51
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20190402-00120755/
ただし、ここまでの話は海外で商標登録されている場合に共通の話であって、元号だからどうしたという話ではありません。元号特有の問題点として、たとえば、酒瓶に大きく「令和元年醸造」等と書いてあった場合に、中国における「令和」の商標権を侵害するリスクがないとは言えない点があります。日本においては、このパターンは「商標的使用ではない(ブランドとしての使用ではない)ので商標権は及ばない」と抗弁すれば済む話なのですが、中国の裁判所は「商標的使用」という概念が薄く、この抗弁が通用しにくいケースがあるからです。
ここで別の会社がお酒に対して「令和元年醸造」と表示した場合・・・
日本では商標権侵害にはならない。何故なら「令和元年醸造」はただの説明語句だから。混同を狙った表示は別にしても。
ここで言う「商標的使用」とはどういう考えか?「商標的使用論」とも言われるものだ。
商標権侵害と認められるには商標が識別マークとして表示されている必要がある・・・という事はただの説明語句や飾り文字は商標権侵害にならないという考え方だ。
※法律の条文でいえば商標法第二十六条一項一号から六号までを見ると良いと思う。
商品や広告に対して商標が無断で表示されていると商標権者が訴えたが、判決では商標権侵害が認められなかった判例がいくつもあるのはこの為だ。
塾などに家庭教師事件では、他人の登録商標をキャッチフレーズとして広告にあれだけ大きく表示していたのに商標権侵害にならなかった。何故ならキャッチフレーズが商標的な機能を果たしていると認められないから。
ということなのだが、中国では「令和元年醸造」が商標権侵害になる可能性が否めないというのは、私からすると難しいというか、なんとなく不安を感じる部分ではある。
ウサク曰く「票が欲しけりゃ媚を売れ。媚びは売っても賄賂にならぬ」
東に単純な子供がいれば、行って芸を見せてやる。
北に暇な老人がいれば、行って長話を聞いてやる。
そして、公約を掲げて期待を煽る。
「役所で要求される面倒な手続きはシンプルに。ハンコなんていりません!」
公約を守れなかったら当然その信頼を裏切ることになるが、その時はその時。
“努力及ばず”、“結果及ばず”なんて、この世の中じゃあ日常茶飯事だからな。
演説の最後にキャッチフレーズを入れて、自分に投票せよと言うのも忘れない。
そんな調子で市長は様々な場所に顔を出し、有権者への評価を獲得していった。
今まで対立しながらも邂逅すらなかった二人が、ここにきて初めて直接的な戦いを繰り広げたんだ。
「市長は『クールビズ月間』というのをやったことがあるが、あれは明らかに電気供給を間違えた結果の苦肉の策だ」
フクマはいつも通り、市長が考えたこれまでの政策を挙げて、その結果や過程がビミョーであることを指摘していく。
だけど、コレに対する対処法をウサクは伝授済みだ。
「フクマさん、あなたが選挙運動で一般市民から寄付という形で金を受け取っていたように、私はそこに致命的な問題があるように思えません」
「うん?……どういう意味?」
これがウサク直伝の戦法。
反論しにくい指摘に対しては、毅然とした態度で“反論している感じ”を出す。
分かりにくいことを言って煙に巻き、指摘する側の事情を絡めて理解を遅らせるんだ。
「フクマさんは様々な公約を掲げていますが、それらを実行するための具体的な予算の配分について教えてください」
「配分?……えー……」
市長を引き摺り下ろすためだけに立候補した人間がそこまで考えているはずもなく、フクマは言葉を詰まらせる。
「先ほど電気供給の話をフクマさんはしましたが、我が市がどこの発電所から、どの程度の電気を頂いているかご存知ですか。我が市には風力発電もあり、理論上何パーセントを賄えているかを踏まえた上で足りなかった場合の代替案も数種あるわけですが、フクマさんの案もお聞かせください」
「それは……」
市長は捲くし立て、フクマはそれに言葉を途切れ気味に挟むことしか出来ない。
『ネットのレスバトルをちょっと上品にしたレベルでいい。大衆は雰囲気で世相を観てる』
そんなことを市長選に関わるこの場面でやっているのだから、世知辛いと思わずにはいられない。
とはいえ事実、市長が優勢な雰囲気を醸し出していたのは否定できなかった。
「私より有能で、町をより良くしたいと志す人間はきっとどこかにいるでしょう。ですが、それは少なくともあなたではない。今日の討論会で良く分かりました」
そして投票が終わり、結果が発表される。
実はフクマ支持者の半数は投票すらしていないという、締りの悪いオチもついたが。
「我が知恵を出したのだから当前の結果だが、実行したのは貴様だ。その点は誇りに思え」
「ありがとうございます皆さん。政治に長年関わってきて、ここまで市民の方々に応援していただいたのは初めてです」
周りの力が大きくても、多少アレなところはあっても、市長には市長でいるだけの相応の理由があるのかもしれない。
弟も何か思うところがあったのか、嫌っていた市長に賛辞の言葉を述べた。
「市長、あんたはカレー味のウンコでも、ウンコ味のカレーでもない。美味しくないカレーだったんだな」
そう言って市長の背中を叩いて、すぐさまどこかへ行ってしまった。
弟も随分と軟化したものだ。
「え……どういう意味ですか、今の」
出た、のコメは元増田じゃないんだ。信じてもらえないかもしれないけど。
主語大きめ、全体的にやや攻撃的なところは狙ったのでまあそういうこと。
新幹線云々はNGTが来ることが決まって多分まだ開演する前のTVでの発言で、書く前に当時一緒にTV見た人に確認取ったけどそいつも覚えてて間違いないと思うんだがググってもソースが見つからなかった。
指摘されてる通り、当時北陸新幹線が新潟を通らないことに落胆して(せめて越後湯沢分離を望んでいた人が多かったはず)、メディアも金沢のPRばかりしていたから、本当にがっかりだったんだよ。
最終的には、新潟のことを理解しようとしてくれて、新潟のために頑張っていただいたのかな、とコメント見て思った。(この一文、上から目線で余計だけど)
外資系は決して非難してるわけじゃないんだ。でも、地域密着をキャッチフレーズにうたってるわけだが、それを実感できないのは事実。
指摘されてるとおり、新潟にはnegiccoとRYUTistがいる。
どっちも古町どんどんの顔。RYUTistのどんどんは非オタからみたらまじだから。
オレ自身はチラ見で素通りする方の人だけど、あの熱気とファンの行儀の良さ?っていうの?すごいと思うんだよ。
スゲ~悪い言い方だけど、ふつ~のちっちゃい子が、アイドルっていうのは微妙な感じ?だけど頑張ってるふつ~のティーンエイジャーになっていくの、年2回見てたから親近感があるんだよね。
NGTはファンが多すぎて規制しないといけない、とかあるかもしれないけど、食の陣で万代もしくはふるさと村に出るとか、
新潟まつりで特設ステージ作って民謡流し出るとか、キラキラパレードに出るとかさ、地域密着イベントに出る方法はあったんじゃないかなと。
ミッキーマウス以下だよ。する気がないんだろうな、と正直思ってしまうわけよ。
県警云々は蛇足、そこまで真剣に書いてない。ここだけ被害者の主語が違ってわかりにくかったことは謝る。
でも加害者が新潟出身じゃなさそうだってことは、田舎根性だろうし排他主義と言われるだろうけど書きたかった。あんな第三者委員会の報告書の後だしね。
観光バスにNGTってのを知ってる人がいるってことはNGTのために新潟に来てくれた人がいるってことで、NGTは新潟に貢献してくれてるんだなと改めて思う。
海外の人が日本に来るための観光資源、と同じ意味で、新潟に来てもらうための観光資源ってのがオレにとってのNGT。
観光資源は地元の人にとっては必ずしも身近なものではないけど、大事なもの。
だからこそ、全国規模での宣伝もしてほしいし、よいイメージ戦略もしてほしい。地域密着じゃないけど、ダメだと言ってるわけじゃない。
今のNGTは、公的機関や地域企業がスポンサーとなった地域活性化事業が失敗した可能性がある状況、というのが今のオレの正直な捉え方。
私が通ってるスポーツジムにある自転車は、漕ぎながらテレビやネットが見れるようになっている。
私は、闘争心をかきたてるためにアフリカのサバンナの動物達を(自転車をこぎながら)検索した。
ハイエナがヌーを生きたまま喰らうという内容だ。私は動画にのめり込み、時間が経つのがあっという間だった。
だが問題が一つ発覚した。他のお客さんが私の次に自転車を利用した時に再度それが再生されてしまうという仕様に気づいてしまった。つまり、次の人がyoutubeを見た時、前の人が最後に見た動画が再生されるのだ。
動画はあまりにもグロすぎる内容なので、私は最悪なケースとして、店舗にクレームが入ってしまう可能性を想定した。
さらに悪いことに、私が見終わった動画の後にも関連動画として、グロいやつが次々と出てきてしまった。
早く全然違うキーワードで検索して、グロい動画の痕跡を消さなければと私は自転車をこぎながら焦った。
そして、苦し紛れに出てきたキーワードが「リラックマ」だった。ここは若い女性もそこそこ利用するので、リラックマなら悪くないだろうと思った。
検索結果からネットフィリックスの「リラックマとカオルさん」の予告動画を再生した。
まあこれで、グロい動画を見つけた利用者が店舗にクレームを入れるという最悪の事態は避けられた。
リラックマはダラダラしてばっかりだし「週に一度はがんばらない時間を」なんていうキャッチフレーズまで出てきてしまうのだ。
今頑張らなくて、いつ頑張るんだよ?
ということになってしまう。
「来年のGWは○○に旅行いこう!いまから予約しとかないと!」
大学生くらいになったら、なんか周りの人たちみんな手帳というものを買ってて。
なに社会人ぶってんだよ、と小馬鹿にしていたが、大馬鹿は僕のほうだった。
正直言って、「来週飯いこうよ」という誘いすら悩む。
疲れてるかもしんないじゃん。
なんか気分のらないかもしれないじゃん。
でも、そういうのって予定を断る理由にはならないらしいよね、一般的に。
風邪ひいたとかならまぁ一般論にも、ギリ対抗できる気がするけど、
この世には「風邪でも絶対休めないアナタへ」というキャッチフレーズで風邪薬が売られている。
「それは、大事な仕事とかなら休むわけにはいかないでしょ」って言うかもしんないけどさ。
そこで「一回休み」が許されてないと思い込んで人生ゲーム自体からリタイアする人もいるじゃん。
リスケもなんか回数制限あったりするじゃん、物理的に期限あるならわかるけど、雰囲気レベルのやつとか。
なんか回数制限ブッチしちゃって、中止にするか、って話なるとなんか変な感じになるし。
まあそんなんだから気づいたら他人の誘いを受けられなくなっていて、自分から誘うこともできなくなった。
もはや他人に向けて唯一できるのは「この後ヒマ?」レベルだけだ。
人から誘われるときも、その時うれしかったとしても、結局期日までそのテンションでいられる確証がないから不安になる。
ちなみに逆に誘われたときは全然だけど、期日になって突然テンションがぶちあがったりすることもまれにある。
まあこれって他人が関わってくるからなのかな、って思ってたんだけど、最近個人的な予定もダメだと感じてる。
自分で自分を誘ってる状態なわけで、自分が気分のらない、ってリスケしたら誘った自分ががっかりしてたりする。
タイムマシーンで未来にいけたらとか言ってるけどさ、一瞬先の未来のことすら考えたくないよ。
「○○したい」みたいな感情が芽生えた瞬間、それにむけたスケジューリング始めないといけないの?
今を生きてぇ。
東京国立博物館 平成館で開催中の特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」に先週行きました。
目玉となっている顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は平日午後で、30分待ちでした。
入口の券売機コーナーに待ち時間が表示されていますので、心構えを持って行列に臨むことができます。
これは祭姪文稿に限らない注意点なのですが、展示物は小さいものが多いです。
現代書道では畳の大きさである全紙、それを縦半分にした半切、のような大きな紙を使用しそれに大きな字を書くことが多いかと。
展示されている古い作品は、小学校の習字で使う半紙を横にしたようなサイズ。それが横につないであります。
日本でも昔の巻物はそんなサイズですよね。その縦のサイズに字が12~15文字記されております。大体のサイズ感はお分かりいただけますでしょうか。
祭姪文稿全体は、横2メートルほどあるでしょうか。しかし、メインは半紙(横長)×2ぐらいです。
残りはこれを手に入れた歴代の所有者のコメントやらハンコやらで埋まっています。
歴史的に有名な作品にたくさん付いてくるこのおまけは「千社札みたいなもの」と聞いたことがあります。
お宝を手に入れたら、何かしら自分の足跡を残さずにはいられないということでしょう。
長い長い待ち行列のあとにこれを拝むことができるわけですが、たくさんの人が並んでおりますので、立ち止まって鑑賞することは許されません。
立ち止まらないで見ると、本当に一瞥、ちょっとみた、という感じです。
祭姪文稿に特に思い入れのない人があれで感動するのは至難の業と思われます。
そのあとに祭姪文稿の拓本が展示されていますので、じっくり見たい方はそちらで。
拓本なので真筆と違い、墨、筆運びは感じ取れませんが。
PCモニタが大きい人は、公式サイトをPCで表示したほうが大きいサイズで見られるかもしれません。
ポスターが明朝体を使用していることを批判されているブコメを見ましたが、よく見ていただければ明朝体ではない、顔体に似たフォントであることがわかるかと思います。
展示パネルに、明朝体の大本は顔真卿の字体(顔体)という説明がありました。見間違う程度には似ているということでしょう。
顔真卿以前の欧陽詢、虞世南、褚遂良は、縦画・横画の線の太さが大きく異なりメリハリがあること、横画が右肩上がりで外形の角度が鋭角になり正方形、長方形ではなく菱形っぽくなる特徴があります。
癖のあるかっこよさ、というのでしょうか。
顔真卿の楷書は、縦画・横画の線の太さの違いが少ない、横画が水平に近く字の外形が正方形・長方形に近い、という特徴があります。大変にプレーンです。
欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿(だったと思う)の同じ字をモーフィングで写してどのように違うのかを見せてくれるモニタ展示があります。
字形の違いだけではなく、たった1字からその人の性格が透けて見えるような大変に面白い展示です。
王義之、欧陽詢をはじめ著名な人の作品にはキャライラストがついています。
本当にこんな顔だったの? 絵が残ってるの?と疑問が沸きますが、キャッチーではあります。
はっと気が付くと、顔真卿のキャラのポーズが違うのがいて二度驚きました。
「まだまだ北風です」「はじまりはいつも顔真卿」などキャッチフレーズがつけられている作品もあり、大変まじめでしっかりした展示であるにも関わらず、一生懸命キャッチーです。
拓本の展示が多く、これは当然本のサイズです。
しかし石碑全体の拓の展示もふんだんにあり、整然と統一された一面の書の美しさに圧倒されます。
メインは唐ですが、その後の時代も日本、中国できちんとフォローしている幅広い展示でした。
唐の玄宗皇帝、則天武后の書も展示されております。そんなに書を上達させる時間があったなら政治にもっと力を入れたほうがよかったんじゃないかな、と思わせる達筆です。
最澄の書が空海と並んで展示されているのはいわゆる公開処刑のように思われました。
唐に遣唐使として滞在していた折に、最澄が空海に代筆を頼んだ、というエピソードを読んだ覚えがあります。
本人も空海の書のほうが遥かに優れていると知っていたわけであえて並べて展示しなくても。
蘭亭序、孔子廟、九成宮をはじめ有名どころが勢ぞろいしていますので、書道に興味のある方は是非。
ただ展示数が多いので足早に見ても二時間半(祭姪文稿の待ち含め)かかります。
観覧者の7割は中華圏の方ですので、春節終わった後がいいかもしれません。
日本人観覧者より、中華圏観覧者の平均年齢は20以上若いと思われます。
20代のカップル、グループ、小学生ぐらいの親子連れもいます。
多少閲覧マナーがどうであれ、お若い方に観ていただくのはとてもいいことだと思います。
祭姪文稿の待ち行列で順番ぬかしを一度静止しましたが、二度目は見送りました。
そんなに焦っていっても、ちょっと見て終わりなんですけどね。
と、言えば春の七草!
そんでさ、
昨日はなんか思いっ切り料理とは言えないけど料理したい気分だったので、
特に何かを切り刻んでグツグツと煮たい気分!
思いっ切り豚汁お鍋なみなみに具だくさんのを作っちゃいました。
帰りが遅かったので、
豚汁できあがったのが深夜2時!
ちょっとだけ出来たてを味見っ!
あの野菜の旨味が溶け出して、
んまいわ!
そんなサンバのリズムで踊りたくなりそうな豚汁フェスティバルがひっそりと開催!
もうさ、
この時期の豚汁は最高よね!
でさ気付いたんだけど、
豚肉のバラバラな肉の詰め合わせだと思ったらそれは細切れなのかしら?
で、ふとまた気付いちゃったの。
野性爆弾のクッキーの野性爆弾ってクッキーのキャッチフレーズだと思ってたら、
あれってコンビ名なのね。
おなじく、
バカリズムさんも
一人なのにコンビ名みたいなのね。
ほんとコンビだと思ってたわ。
豚汁たまに作ってみるといいわね。
うふふ。
この組み合わせにサンドーしてくれる人!
正に優等生!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昔、某テレビ番組で島田○助が「俺は差別はしねえ、だが区別はする」って言っていたのを最近ふと思い出す。このあと確か出演者から「変わんねえじゃんか!」と言われそのくだりは終わっていたと思うのだが、未だになんだかこのフレーズが気になって仕方ない。
ジェンダーとか色々言われる世の中で、マイノリティを肯定していきたいという心は自分にもあるんだが、どこからがマイノリティに対する「差別」になるのかわからない。例えば「男性はスカートを履いてはいけない」は明確な差別だと思うが、「トイレのマーク、赤は女、青は男」の認識は差別に当たるのか?とか。
テレビのCMで「理想の女性に」とか言ってるのとか「男らしさ」とか「女らしさ」とか言ってるのにもいちいち「これは差別に当たるんだろうか?」とか考え始めてしまう。
物事を円滑に進めるためには区別は必要だ。それがどこから「差別」に変わってしまうのかがわからない。正直、「理想の女性に」と謳った広告を出した会社に「理想の女性というキャッチフレーズはジェンダーに配慮しているのか」っていう電話が入ったとして、それが「正当なジェンダー的抗議」なのか「クレーム」なのかもはやわからない。難しい。
立憲フェス(立憲民主党の党大会)に行ってきたんですが、発表された2年目の活動方針(下記リンク、PDF)で、政策面で全然まったく労働を大きく扱ってなくて、その割には俺たちはやったんだ的に浮かれていて、本当に心の底からがっかりしました。経済界の代弁者である与党に対抗する野党第一党、それも労組が支持基盤の党が、ほぼ労働について政策において触れないというのは、ありえないことだと思います。
https://cdp-japan.jp/files/download/4pgV/vHZ0/QBri/yycr/4pgVvHZ0QBriyycrboOtW2EG.pdf
どうして労働について向き合わないのか。フェスのフィナーレで幹事長が言ってたんですが、民主党が労組臭が強すぎたことへの反省で、労組のお偉いさんを壇上に持ってこないとかの流れがあったようです。なので、あえて外してるっぽいと増田は思いました。
しかしそれをした結果、原発政策やセクシャルマイノリティ、女性政策が目立ち、イデオロギーとアイデンティティ政治にしか見えず、今現在長時間労働を筆頭に、様々な形で労働に苦しめられている大勢の労働者に対する視線が全く感じられず、現役世代に対してこれはあまりにも酷いだろうと増田は感じたフェスでした。
イデオロギーやアイデンティティの政治をするのは悪いとは言わないです。増田自身セクシャルマイノリティですし。でもさ、労働環境を改善をしてみせるって言ってみせてよ……次は長期政権を取る?意気込みは良いけど、そこはちゃんと今の政権と違って労働を良くしててみせるって言ってからでしょう。
枝野幸男の演説のうまさ、カリスマ性で最後に高揚感得られちゃうんですよ。ちょうど1年前、ゼロからの出発というストーリーもあるんですよ。でももう1年経ったんだし浮かれるのはやめてちゃんと労働と向き合ってよ。労働問題に関して詳しい議員さんたくさんいるじゃん。子供向けの政策、「子どもの権利条約」の理念を現実化するコンセプトでめっちゃいいじゃん。それを労働でもやってよ。
はてな的に熱いのは参議院比例の候補者だと思いますし、当初はそっちをしっかり見てこようと思ってたんですが、そんなことよりも労働の改善に力を入れない野党のほうが断然良くないので、ここに書いた次第です。
彼女が候補者に入ったのは、フェスで言及されてた政治参加のジェンダー平等に関する政策の影響ありそうですが。
だってそうじゃないですか。
例えばサッカーとか。いい大人がボールを蹴り合ってるのなんて、あんなものマスコミが作ったイメージがなければぶっちゃけ只の抽象的な行動をしている社会の役に立たない集団でしかないじゃないですか。
勝手にルールを作ってボールが網に入った一点だって言って喜んでるの、はっきりいって馬鹿みたい。
その証拠に、テレビとか雑誌では選手の人生とか人柄とか生い立ちを一生懸命掘り下げて興味をもたせようとしている。これってスポーツそのものの面白さとかとは全然関係ないよね。
しかも、なんかユニフォームとか妙にこったデザインにしたり、しかも選手ごとに変なキャッチフレーズつけたりして、もう本当にくだらないのだけれども、そうしないと興味を皆もたないのでは?
百歩譲ってスポーツをすること自体が楽しいってのは分かるよ。体を動かす快感てのはあるし、速く複雑に動けるようになるという喜びも分かる。
でもスポーツ観戦はどうだろう。ぶっちゃけ超くだらないよね。あんなにスポーツ施設とか作って盛り上げる価値なんかないと思う。ボケナスが。
まあ、今日び、スポーツなんぞをヨダレを垂らしながらみているのなんて、どうしようもないスパゲティであることは疑いのない事実だと思うのだけれどもね。
あくまで個人の趣向のことだから、とやかく言うつもりはないけどさ。もっと淡々と粛々とやってほしい。騒がないで欲しい。
オリンピックとかそこら辺の市民体育館で十分だと思う。というか野原とか河原でやっていればいいと思う。
というのが私の希望なのだけれども、現実問題、オリンピックは大々的にやられるだろうし大衆も騒ぐ。私の希望が叶うのなんて、謂わば砂漠の中のケシゴムを探すことぐらい難しいのだろう。はあ。
NEC全盛期を知っている人間からすると、今の凋落ぶりは目を覆うばかりだよ。バブル前に『C & C』- コンピューティング & コミュニケーションだったかのキャッチフレーズの元、コンピュータ / 通信 / 半導体を3本柱にして世界を席巻していたのがすべて壊滅だもんな。
後知恵で今から振り返っても、この分野は90年代から21世紀にかけて伸びまくってたわけだし、バブルのころは理系就職人気No.1で優秀な人材が殺到、半導体は世界1、PC / 携帯電話では日本1のシェアを獲得。
出勤したら仕事が増えていた。なんでもオーナーの持ってる店のどこかでかなりヤバいミスがあったそうで、今後同じ事が起きない様に新たに帳票を作ったのだそう。しかも書き方がえらいややこしいのだが、ご親切な事に書き方と記入例がファイルの表紙裏に貼ってあるので、それを落ち着いて読めば間違わないはずである。
落ち着いて読む暇があれば、いいけどね……。
しかしこんな仕事一度も受けた事ないんだけどこの帳票が活用される時が特に私らの勤務時間帯にあるのかね?って相方と話した矢先に来たんだよ!その仕事が!!早速実地で勉強させていただきました。ははぁ。
けれども、誰かがミスをする度に帳票やチェック表が増えるって、昔勤めてた職場みたいで、つい艶消しブラックな日々を思い出して胃が痛くなった。その職場では実際に必要な仕事は大して沢山ある訳でもないのに、正社員だが一番立場の低かった私とパートさん達は膨大な量の帳票とチェック項目に振り回されてエブリデイ・エブリタイムてんてこ舞してた。常にケツに火が着いてるみたいな。
出勤して一時間くらい息つく間もない様な忙しさだったせいか、相棒の機嫌がとても悪かった。それで一々私の仕事にケチ着けてくるんだもん。普段は客が細かい事でネチネチ言ってきてウザいって文句垂れてる癖に自分だって同じじゃないか。
「ちょっと、その仕事やるの早すぎでしょ!それは9時からでしょ!」
ってプリプリしていたが、作業割当表には19時にやれって書いてあった。表見ようよ。
この間、仕事をちゃんと作業割通りにやれ(それで仕事ぶりを評価するから)っていうお達しが来たのだけど、相棒は何故か作業割を見ようとはしないしサインもしない。かくいう私も作業割をちゃんと読んだ事無かったんだけど、今までやったこともやれって言われた事もない作業がさらりと記されていて衝撃を受けた。えっこんな事やらなきゃならなかったんだ、しらなかったー。でもどうせ相棒に言えば「こんな事やれって言われてないからやらなくていい」って怒られるだけだろうと思って黙ってその仕事はしないでおいた。
9時台はそんなに混まないけどやらなきゃいけない事が多いので、相棒に怒られるかもなーと思ったけど7時にやったら怒られた例の仕事を8時半にやった。その仕事のノート見たら昨日はやってなかったらしい。昨日のシフトは相棒と店長で、店長はいつもその仕事はバイトに任せているので、やってないのはバイトのせいだ。まあ何かあったら責任取らされるのは店長だろうけど。
そういえばこの間、相棒、店長からその仕事をちゃんとやれって注意されてたなぁ。何で頑なにそれだけはやらないのか謎だ。
(私らバイトがその仕事をやらなかったとしても、夜勤の人が暇を見てちゃんとしてるから問題は起こらないんだけどね。ただ記録には残らないけど。)
絶対に売れ残るパンが二、三種類ある。それら共通するのが、少量入りで食べやすい的な事をキャッチフレーズにしているという事。
いくら少量ったって中にチーズとかチョコホイップとかカロリー高そうなものがみっちり詰まってるパンなんか、少量だけ欲しい民が買うわけないだろう。
トイレ掃除を始めようとしたら、二つある個室のうちの一室が使用中で、中からおっさんがゲロを吐いている音がした。最悪のタイミングだ。
そのせいでトイレ掃除を半分だけやって中断して他の仕事をしてまたトイレ掃除をするはめになった。やっと空いた個室が吐物で汚されてなかったのは幸い。変な臭いしたけど。
もし冬場にノロに感染した誰かが嘔吐した直後のトイレ掃除をする事になったら、感染間違い無しだよな……と考え、憂鬱になりながら掃除。
仕事上がりに事務所の机にあった社内回覧板を見たらなにこれダイイングメッセージ?って感じの、意味不明な超短文の指示が書かれていた。
帰宅した後で、ふと帳票の記入漏れがあったのを思い出して店に電話した。電話に出たのは先月入ったばかりの新人バイト氏(といってもコンビニバイト歴はたぶん店で一番長い)だった。
帰ってからツイッターを見たらこんなツイートがRTで回ってきた。
https://twitter.com/koumizusawa/status/1023876929139568642?s=19
そんなもんなんだろうか。
私と上記のベテランアルバイター氏が働き始めた事によって、誘蛾灯の様に人を惹き付けるイケメン正社員氏が夕勤の時間帯にシフトに入らなくなった。
そう言われてみれば、以前イケメン正社員氏をつかまえて長話に興じていたお客様は殆ど来なくなったし、まだ来ているお客様も来店時間が以前とは違う。やっぱりあの人達、イケメン氏目当てに来てたんだなぁ。
でもイケメン氏が居なくなったことで売上げが変わるほど客足が遠退いた感はないかな。立地に恵まれているお陰でコンスタントに繁盛している様に見える。
いつだったか、イケメン正社員氏との仕事だった日にすごく美人な若い女性のお客様が来店された。そしたらイケメン氏が人が変わった様にパリッ、シャキッ!ってして
「来てくれたんだね✨」
といい声で言い、美人なお客様がもじもじしているという、ドラマチックなシーンが展開されて私はおののいたのだけれど、美人なお客様がお会計の時に限ってイケメン氏がバックヤードに下がっていたので私がレジを打ったんだが、美人なお客様の反応が物凄く塩だったのが、とても印象的だった。
イケメン正社員氏にご用の女性のお客様は他にもう一人いらっしゃったがやはり都合上私がレジを打つと塩だった。
お二人とも最近とんとお見かけしない。
デレステ内のコンテンツであるデレぽで、杏botとそれに対する冴島清美、および他のアイドルの反応について、問題があると感じている人もおられるようです。
ただ、この件、問題があると思った人は強く主張するが、問題があると思わなかった人は特に言及しないため、後に「すべてのユーザーが問題を感じていた」というイメージだけが残る可能性があります。
そこで、問題があると思わなかった私から見て、あのやり取りをどのように解釈していたか、というのを書こうと思いました。
杏botの件に問題があると思っている人は、これを読んでも意見を変えることは無いでしょう。
あくまで、「こう考えた人もいた」という程度の駄文と思ってください。
これは明言されていませんが、杏botがbotであることを隠さず再開できていることから、デレぽには「bot禁止」というルールは存在しない、と考えるのが自然です。
そのため、杏botの問題点は、「botを使っていた」ことではなく、「自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という点になります。
この問題点に対して、最終的な「botであることを明示する」というのは、妥当な落とし所だと思われます。
それに対して、「botを即時停止させる」という冴島清美の行動は、行き過ぎがあったと思われます。
では、この行き過ぎた行為は、冴島清美というアイドルの株を下げるための表現でしょうか。私はそうは思いません。
私は、botを即時停止させたという冴島清美の行動は「張り切りすぎたがゆえの勇み足」だと感じました。
彼女がデレぽのマナーに関して張り切っていることは、4/27の以下の投稿から窺い知れます。
このように、マナーやルールを大切にしたいという思いが強すぎ、時にそれが勇み足や空回りに繋がるというのは、この冴島清美のアイドルの魅力ではないかと、私は思います。
(もちろん、私が冴島清美について正しく理解できていない可能性も高いので、担当Pから「そんなことはない、誤解している」という批判があれば甘んじて受け入れます)
ただ、こうした空回りは、必ずしも悪いものではなく、それが魅力となることは十分にあると思います。
隙あらば担当について語ってしまいますが、私の担当する今井加奈というアイドルも、「張り切りすぎて空回りする姿」を見せることがあり、それもまた1つの魅力だと思っています。
次に問題となるのは、botの即時停止が冴島清美の勇み足だったとして、双葉杏がなぜそれを受け入れたか、という点です。
これは、単に双葉杏が「正当性を争うよりbotを止めた方が面倒ではない」と考えた、ということだと思います。
これもまた、双葉杏というアイドルの特徴をよく捉えている部分だと思います。
こうして、張り切りすぎた冴島清美と、面倒くさがった双葉杏という2人の特徴を踏まえて、杏bot停止という1つの結果に繋がります。
ただし、このままでは冴島清美は「勇み足をしただけ」になってしまいます。
この部分は、蛇足だと感じる人もいるようですが、私はこの再稼働こそが今回の勇み足をフォローし、冴島清美のもう1つの魅力を表現する部分だと思っています。
杏bot再稼働後、冴島清美が反省していることについて、「なぜ反省する必要があるのか」という意見を見ました。
ですが、「bot禁止ではない」という前提をもって、冴島清美の投稿の以下の部分をよく読んでみましょう。
「私の一存で」という部分は、非常に重要です。
この時点で冴島清美は、本来は自分にbot停止を強制する権限がなかったという点に気づいており、そのことを反省していると捉えられます。
このことは、先述した冴島清美の「張り切りすぎて勇み足をする」という魅力に加えて、「勇み足に気づくことができる」という点、そして何よりも、その2つを総合した魅力としての「生真面目さ」が表現されていると思います。
双葉杏側にも「botの投稿を自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という非があったにも関わらず、あまり反省していない双葉杏と深く反省している冴島清美の対比には、やはりこの2人の性格の違いがよく現れており、この一件の特徴的な締めくくりとなっています。
ただし、先述したように、争うことを面倒くさがっている双葉杏をbot再稼働に向けて動かせるためには、「杏に有利な状況」が作られないと、話が進まないという問題があります。
ここでbotを止めたままにしてしまうと、冴島清美の勇み足のフォローを行うことができません。
(デレぽをbot禁止という設定にしてしまうと、今後他のbotを生み出す余地がなくなる、という事情もあるかもしれません)
そこで、杏に有利な状況を作る「他のアイドル」が割り込む必要があったのだと思います。
そのためのメンバーに深い意味を持たせる意味はなかったと思うので、最近のイベントで杏と一緒に組んだメンバーが選ばれたのではないでしょうか。
この部分のやり取りが陰湿に思われることが今回の問題の本質であり、ここへの言及が少ないことへの批判を複数の方からいただきました。
この点への言及が少ない理由は、まず1つには、私はこのbotを巡る一件でデレぽ内で表現したかったメインの部分は先に述べた部分にあり、この部分は本質ではない、と考えているためです。
もう1つの理由は、私はこの部分のやり取りが陰湿だと感じなかったためです。
前段に書いたように、この記事は私がどう解釈したか、ということを書いたものであり、今回の問題への解答をしようだとか、他の人にこう解釈すべきと押し付けるものではありません。
まず、そのことを前提としてご理解ください。
ですが、この部分への言及が必要だという意見をいただいたため、私が陰湿だとは考えなかった理由について、述べさせていただきます。
くどいようですが、あくまで他の人にこの解釈に従って欲しいというものではありません。
まず、この件では、全員が一方的に冴島清美を責めてはいません。
むしろ、直接的には誰も冴島清美の行いを責め立てる発言を行なっていません。
この「正しく楽しく」という言葉が、私は最初に引っかかりました。
この「正しく」というのは、冴島清美のキャッチフレーズである、「清く正しく」に繋がっているのではないでしょうか。
続く「楽しく」は、それへの対比として、双葉杏を表している言葉だと考えられます。
ここで、「正しく楽しく」という表現をあえて用いることで、冴島清美と双葉杏の2人の落とし所として、その次の2人の相談に繋げていると思えます。
冴島清美も、本来はデレぽの利用を締め上げたいのではなく、悪用を防ぎたいという考えで行動しています。
そのため、佐久間まゆの発した「正しく楽しく」は、彼女にとっても自分の意思を曲げずに受け入れることのできる考え方です。
私はこのように、
の流れと、直接冴島清美を非難しないことにより、書き手の配慮としては、一方的に追い詰める形にならないようにする意図があった、と思っています。
問題があったとすれば、この描写が中途半端であり、中途半端に配慮したことで返って裏の意図を感じて「陰湿」に思う人がいたということかもしれません。
ですが、私はここで4者の発言に裏の意図などはなく、小日向美穂も本心から冴島清美の事情を肯定していると解釈しました。
顔ぶれを見ても、思ったことを隠して遠回しな発言をするようなメンバーではないと思います。
ここまで、私がこの件をどう感じたかを書きました。
このように、冴島清美というアイドルの魅力を感じることができたため、私はこの件が問題だとは感じませんでした。
ですが、この件の表現に問題がある、という受け取り方を否定するつもりはありません。
ですが、2つだけ、気をつけてほしいことがあります。
まず、多数を持って1人に圧力をかけているような構図に見えることを問題視しながら、「皆でこの件を問い詰めよう」と拡散を呼びかけている人がいます。
その構図こそ、この件を問題視した人がけしからんと言っている行動に近いのではないでしょうか。
SNSにおける数の力による圧力を醜いと思うのなら、自分もSNSを使った数の力で圧力をかけるのではなく、個々で意見を送ればそれで良いと思います。
問題に感じた人が多ければ、自然とその意見は力を持つはずです。
もう1つは、「この件を問題に感じない人は、他者が傷つく気持ちに鈍感である」という中傷を行なっている人がいることです。
ですが、果たして、本当に他者が傷つく気持ちに敏感であれば、相手の意見も聞かずに一方的に「こういう人は鈍感だ」と非難するでしょうか。
人の気持ちを語るのであれば、本当に自分は相手の気持ちを考えることができているか、気をつけたほうが良いかと思います。
1人でも多くの人にこの件を問題視して欲しいのであれば、このような人格攻撃はかえって逆効果となります。
複数の方から、先にこの件を問題視していない人から、問題視している人への「陰キャ」などの中傷があった、という指摘をいただきました。
私のTLではこの意見を見ておらず、この経緯を把握していませんでした。
この点は、記事を書く前に経緯を調べ切れていなかった私の落ち度です。
これに関する言及がないことについて、不快に思われた方には申し訳ありません。
記事内で何度も言及しているように、私は「問題だと感じることも、一つの捉え方」だと考え、そこに優劣は無いと考えています。
この記事も、優劣をつけるために書いたものではなく、私の解釈が優れていると主張するつもりもありません。
はじめに書いているように、「こう考える人もいる」ということの主張です。
そのため、問題視した人を下に見て人格を攻撃するということは、私が記事で書いた考え方とは完全に対立する考え方です。
自分が問題だと考えなかったからといって、この件を問題視した人を中傷するということは、あってはならない行為です。
(上記で私が行なっている批判と矛盾している、と感じるかもしれませんが、私が批判しているのはこの件を問題視することではなく、それを主張するための一部の行動です)
問題視している人は、こうした中傷を受けて、腹が立ち、「相手の主張になど耳を貸すものか」と頑なになったことでしょう。
これは当然の反応だと思います。
ここでもまた、人のふり見て我がふり直せという言葉が価値を持ちます。
この件を問題視している人も、自分の主張を伝える際に、そこに中傷を混ぜてしまうと、相手は「そんな主張になど耳を貸すものか」と頑なになってしまいます。
私が気をつけてほしいと思っているのは、まさにこうした点になります。
また、この記事自体が他者への批判になっており、以下の点が自己矛盾しているのではないか、という批判もいただいています。
開き直るつもりはありませんが、これはまったくご指摘の通りで、私もこうしたことが実践できている訳ではありません。
これはとても難しく、だからこそ、常に気をつけなければならないことだと思っています。
今回の件で、単に騒動に乗っかって楽しんでいるだけ、という人もいないわけではないと思います。
そういう人に対して私から言うことは何もありません。
「私たちは闘ってるのよ?」
妹はそっぽを向いたまま、振り返りもせず私の言葉を反復する。話を訊いていないのだ。予想通りの反応とは言え、ため息が出てしまう。
彼女の視線は私の肩越しに背後にすり抜け、その先にはテレビがある。その画面には、丁度お気に入りのコマーシャルが流れていた。妹はそのコマーシャルソングを口ずさみながら、私の手を離れ、脱衣所を抜けて、テレビの方へ歩き出す。
「こら、服を着なさい」
「こらふくをきなさい」
妹は振り返りもしない。体から落ちた水滴で畳が濡れる。歩きながら子供っぽい無造作な動作で乳房を掻く彼女の、体の曲線はすでに女性のものだ。心の成長を待たずに大人になってしまうことに、不安な感じを覚える。身長はもう姉の私と変わらない。
私の妹は人と少し違う。
人と同じようにふるまうことが出来ない。人と同じように考えることが出来ない。人と同じように感じることが出来ない。そしておそらく、自分が人と違うことにも、気が付いていない。
たとえば、
「あろえ」
私は妹の名前を呼ぶ。おそらく妹はテレビ画面を眺めたまま返事をしないだろう。上半身をふわふわと前後に揺らしながら、ブラウン管を凝視しているに違いない。
「あろえ」
声を少し大きくして、もう一度繰り返す。妹はそれでもテレビから視線をそらさない。画面には、栄養ドリンクのCMが映し出されている。もしかしたらそのとき妹は、タフビーム、タフビーム、と抑揚のない声で商品名混じりのキャッチフレーズを連呼しているかもしれない。
商品や映像の内容に興味を持っているのではない。めまぐるしく変わる画面、軽快なコマーシャルソングの与える刺激のとりこになっているのだ。妹は小さいときから、点滅する光や繰り返される音へのこだわりが強く、光ったり音の出るものを与えると、いつまでも飽くことなく戯れていた。規則的に繰り返す刺激が好きらしい。
日に何度も同じ内容が流されるテレビコマーシャルは、そんな妹にとってうってつけの娯楽で、テレビ番組そのものよりもずっとお気に入りだ。目を見開き、口を薄く開け、食い入るように画面を見つめている。
「あろえ」
三度呼んで、なお妹は振り向かない。耳には聞こえてはいるはずだ。好きな音、あるいは嫌いな音が、たとえ傍にいる私が気が付かないような小さな音で鳴ったとしても、妹は即座に反応する。耳は悪くないんだ。きっとこの呼びかけだって聞こえてはいるけれど、言い方が悪くて伝わらないんだろう。だから、
「あろえ、こっちを向いて」
と具体的に指示をすれば、妹は振り返ってくれる。と思うけれど、もしかしたらそれでも駄目かもしれない。彼女に意思を伝達させるのは難しい。妹にはコミュニケーションのための能力がほんの僅かしかない。
人は普通、こんなふうにただ名前を呼ばれただけでも、その声の抑揚、言われたときの場面から、そのとき自分が望まれていることをなんとなく想像出来る。もっと小さな子供だって、いたずらをしているときに強い口調でその名前を呼べば、それだけで自分が咎められていることを理解するだろう。だけれど、妹にはそれがない。反応をしないからといって、逆らおうという意図があるわけでもない。本当に、ただわからないだけなのだ。
そして、私の方からしても、妹の気持ちを察することは難しい。目を離すと部屋のなかをぐちゃぐちゃにしてしまったり、意味の通らない言葉を繰り返していたりする。彼女には彼女なりの理屈があるのだろうけれど、私にはその心の論理が理解出来ない。体系が違うのだ。まるで宇宙人の子供みたいだ、と誰かが漏らしていた。
これが妹が人と生きていく上での大きな困難になっている。医者では自閉症と診断されている。この障碍は今のところ本当の意味で完治する方法は見つかっていないのだそうだ。
「それは足を失ってしまった人に、二度と自分の足が生えることがないのと似ています」
診療室で医者は言った。根本的に困難自体をなくすことは出来ないが、車椅子や義足、そして本人や周囲の努力が彼らの生活を改善してゆくように、自閉性障碍者の困難もそのための技術や知識で解決できるものがある。
ただ、障碍は目に見えないものだから、どこまで出来るのか、どうすればいいのか、努力と勉強を積み重ねて手探りで戦ってゆくしかない。
イオンでは神奈川県内限定で「神奈川のイオングループは横浜DeNAベイスターズを応援しています!」という
コマーシャル中にはしつこいくらい神奈川という言葉を散りばめているのだが、神奈川県民は基本的に「神奈川」という
地名に対する思い入れが浅く、むしろ「横浜」「川崎」「湘南」というより細かい地域にアイデンティティを見出す場合が
ほとんどだから、イオンのそれは、そういった地域性をろくすぽ知らないよそ者がマニュアルに沿って作った愛情の欠片も
無いキャッチフレーズであると、神奈川県民のおおよそが見抜いている。
そして恐らく、イオングループは全国のプロ野球チームのある都道府県でこれと同じものを、地域名とチーム名だけを変えて
流している事と思われる。
実に姑息で、意地汚い愚行である。こんな事をしてまで地域住民に媚びへつらおうとする姿勢に唾棄せざるを得ない。
しかし、さはさりながら、このような姑息で卑怯な宣伝手法を繰り出すイオングループが全国各地を席巻する勢いであるのもまた事実だ。
かつて、まだ時代が昭和から平成に変わった位の時代であれば、企業がプロ野球チームの応援をしたり優勝セールをしたりするというのは
一途に一球団に絞って展開したものである。イトーヨーカドーは巨人のセールをやるために巨人のスポンサーになって巨人が優勝した時だけ
どこどこのチームが優勝したらどこどこがセールをやるという情報は野球に興味のない主婦の間でも当たり前のように共有されていたから
優勝しても名古屋以外ではセールが行われない中日が優勝すると主婦からブーイングが飛び交っていたのも、記憶に新しい。
だからつまり、かつて当たり前のように持っていたこのような日本人の矜持というものは、もはや消失して、なんでもありのいい加減な
国民性に成り果てたと言っても過言ではない。
民主党政権下の菅直人首相が言い出しっぺとなったTPPの参加協議に、当時野党だった自民党は猛反発していた筈だったが、今では180度転換して
全力で推進する立場になっている。しかしそれを咎める声は、自民党支持者の間からすらも聞かれなくなった。
民主党政権下で小沢一郎が中国の習主席を天皇陛下と会見させようとした時には「皇族の政治利用だ!」と猛反発していた自民党も、その後
秋篠宮殿下を加計学園のイベントに出席させて、恥ずかしげもなく皇族の政治利用をしている。
そこまでしても支持率が安定しているからと図に乗った自民党が、国有資産を次々と身内にバラ撒いて私腹を肥やすようになったのは、当然の帰結とも言えよう。
それでもまだ、自民党政権の支持率は底堅いのだから、これはもはや、ズルいやつに寛容な国民性が醸成されつつあると言えるのではないだろうか。