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2020-06-16

家事を担っている人にお伝えしたい

増田夫は特にキッチン周りの家事を主導で担っているのだが、増田シンクに皿がたまったりしてるのをつい洗ってしまうと自分が遅すぎたからだ...とショックを受けてしまう。

たまに増田料理をしようもんなら、なんで素晴らしい人なんだ、僕は世界一ラッキーだ...と大袈裟なまでに感動してくれる。

いいんだ、ありがたいんだけど、べつに夫婦なんだからそんなに気負わなくていいんだ。収入だって同じくらいだし家事は分担していいんだよ。と伝えてるんだけどやっぱり僕が主導でやる!みたいな責任感が強すぎる気がする。

けどよく考えたら日本人奥さんって増田夫みたいに、家事自分がやらねば!みたいに気負ってる人結構いるような気もする。

なので家事責任を感じて気負ってしまってる人に男女問わず伝えたいんだけど、そんなに気にしなくていい!分担していいんだ!恐縮しなくていいんだぞ!いつもやってくれてありがとう!!

2020-06-15

勤務時間が大幅に違う彼氏の、深夜の大音量目覚ましが億劫で、寝ずに起きている

2時には起きるらしい

最初は起こさぬよう早く起きたりしていたけど

最近はもう、大音量で鳴らしては止め、止めては鳴らしている

休みの日なら我慢もできるけど

やっぱり平日はちょっと厳しい

どうしたってこちらも目が覚めてしまうから

しょうがいから、相手が寝て起きるまでは

一人の時間と割り切って、少々夜更かしすることにしようと思い

暗いキッチンでだらだらとネットなどをしている

ねこと部屋掃除

部屋を掃除する。

ソファねこタワー、キッチンテーブルを寄せ、箒でフロアを隅々まで掃き、清め、空気を入れ替え、洗濯物は洗濯を、洗い物は洗い物をして、ゴミ出しをする。

そうしてものを元の位置に戻す。ねこは模様替えがきらいである。だから極力、もとの通りに。

基本配置は同じでも、新たに発見される土地というのがある。

それまで洗濯物が積まれていた座布団の上、猫の毛がたまっていた絨毯やフローリングの端、隅、ものを寄せて生まれた新たな動線

そういったところを、ねこは見逃さない。

ひとまわりし、こちらにいちど立ち寄って頬を寄せてから新天地に鎮座し、そのうしろあたまさんは、まるで隣に寝そべる下僕守護する者の象徴のようでもある。

流しに退避させていたねこの水入れと食器を戻す。

新鮮な水に汲み換えながら、下僕は思う。「また、こまめに掃除をしよう。なんていい気分だ。こんなことなら、ねこちゃんのために、もっと早くすればよかった」

そして下僕は別れた女や、亡くした母親のことを思い出す。わざわざ、思い出すことなんてないのに。

「おれに片付けをさせるのに、やいのやいのいわなくてもよかったんだ。ね、○○ちゃん

「にゃーん」

ねこの背に鼻を寄せようとしたら、彼女は窓辺へ向かっていった。

2020-06-14

父の死

寒さの厳しい二月の終わり頃、その知らせは突然やってきた。

母親から父親が息をしていないと連絡が入り私は急いで実家のある埼玉県へと向かった。

池袋駅の4番線ホームにて母親から再度電話が入った。

「お父さんはダメだった」

私は来た電車に乗れず、一本後の電車に乗って実家へと向かった。

死因はお風呂場でヒートショック引き起こししまい亡くなってしまったという。

父親の死亡診断書には心不全と書かれていた。

それからすぐに葬儀が執り行なわれた。

恐らく葬儀で涙を流していなかったのは、親族の中で一人息子である私だけであっただろう。

父親は私が中学生になったあたりからひどく酒に溺れるようになり家庭は崩壊寸前だった。

暴れるは母親暴力を振るうわで家庭内環境はひどいものであった。

父親の働いている会社の業績が悪くなり今まで出ていたボーナスも全く出なくなり、早期退職募集するようになっていた。

今思うと父親が酒に溺れてしまったのは分からなくもない。

私はその頃から父親を良くは思っていなかった。

社会人になり家を出るまでは、私にとって家は居心地が良いものでは無かった。

そんな事を思い出していると、私は葬儀中は涙が出てこなかった。

そして葬儀は何事もなく執り行なわれた。

それから月日が経ち、父の死後1年程であっただろうか、私は久しぶりに帰省した。

実家に帰ると母親カレーを作ってくれていた。

ひどく腹をすかせていた私はおかわりをしようとキッチンへと向かった。

鍋の中を見るとカレーの量が明らかに少なかった。

そこにあったのは父親のおかわりの分はないカレーの量であった。

その時私は父親が本当にこの世からいなくなってしまった事を改めて痛感した。

父親は大変な人ではあったが、私にとってこの世でたった一人の父親であったのだと感じた。

心の中で「ありがとう、お疲れさん」とだけ残しテーブルへと向かった。

2020-06-12

料理レシピでさ

最初に、「まずは野菜を洗ってよく水気を切ります」ってさも簡単なことのようにさらっと書いてあるじゃん

実際この工程いちばんめんどくさいし大変だし難しくない??????小松菜とか水菜とか根っこの泥を落とすのがめちゃめちゃ大変だし、きゅうりとか茹でたほうれん草とか絞っても絞っても水が出てくるんですけど!!!!!!!!キッチンペーパー爆速でなくなる!!!!!!

あと「材料3つ!簡単○○」とかで「卵白を泡立ててメレンゲします」とか書いてあると、メレンゲ作らないといけない時点で簡単じゃね~~~材料5つ使ってもいいからやりたくね~~~~~ってなる。

2020-06-11

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-10

ご飯をよそう増田仕事1日日医と後試打州間ウソよをンは後(回文

おはようございます

最近ずっとマスクしてるから

マスクしてるからファンデーション使わない問題いかしら?

というかさ、

今日は大忙しよ。

お友だちのキッチンカーのお手伝いというか、

私はひたすらバックヤードご飯をよそっていた作業を今の今までやってたところよ。

もう一段落したので、

私はお役目終了!

憧れのキッチンカーの中のキッチンでと思ったけど、

私は事務所の奥で一升炊きの炊飯器と格闘していたご飯担当係だったので、

憧れのキッチンカーとは無縁の作業ではあったわ。

から今日はもうお仕事終了よ!

なんかご飯をよそおい続けて続けて

ピタッとと言ってもまぐれだけど

狙って量ったグラムぴったりにあうと嬉しいわね。

技極めたーって感じで。

達成感よ!

衛生のゴム手袋を外したら汗がじゃーって出てきたかビックリ仰天よ!

こんなに水出んのかよ!って

今日はそんなご飯よそい仕事に達成感を覚えたてのところなので、

くたくただから今日はもうこの辺にしておくわ。

今日はきっとルービーが美味いわ!

ではでは。


今日朝ご飯

トマト野菜サンドね。

リピ中のリピのお気に入りサンド

デトックスウォーター

漬けて作って置いた塩レモン炭酸割りして作る

特製塩レモンウォーラー

塩分も摂れるわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに大別できる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 記憶というもの原理的に忘却可能性を含んでいて、それがどんな尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである。とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるのだ。

 例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類の記憶だ。

 これから話す記憶は、恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は、恐らくは一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。


 タフな人生を生きようとする人間功罪の常で、僕は重要記憶とそうでない記憶峻別することができる。多くの場合その判断は極めて正確だ。

 僕は自分にとって重要物事とそうでない物事を多くの場合峻別できると思っているし、何よりも、自分にとって重要人間とそうでない人間峻別できると思っている。そこが功罪なのである人間自分にとって重要人間とそうでない人間並置し、比較し、時に冷徹判断する。いざという時に切り捨てることのできる人物と、そうでない人物を頭の中の整理棚に分類する傾向がある。とは言え僕は冷酷な人間を自認してる訳ではなくて、基本的に分け隔てなく親切に接することをモットーにしてるのだけれど。それでも、自分にとって大切な人物とそうでない人物は分けて考えなくてはならないと考えている。

 さて、そんなこんなでこ記憶は恐らく僕の人生においてそこまで重要記憶ではないと、僕ははっきりと峻別している。


 大した記憶ではない。道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からないが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っている。既に絶命している。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの車はゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見た。

 さて、帰宅する。薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時には猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に引かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、偶に、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車であった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンに戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が猫の死体の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし僕自身にとっては多少の教訓と呼ぶべきものはある(どっちだよ)。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタル部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタル部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-09

キッチンの大きさって法律規制されないんだろうか

コンロが1つってのはまだいいけど、まな板置く場所もないところも多い。

2020-06-07

anond:20200607213529

鶏肉?洗うと細菌シンクドン!だからやめたほうがええって話をかいてる人が居たような。

これだ!

しかアメリカの農務省(以下USDA)、疾病管理予防センター(以下CDC)は、調理前に鶏肉キッチンシンクで洗うのは絶対に止めるようにと強く注意喚起を促しています

鶏肉を洗うと、鶏肉に付着している細菌があらゆるところに飛び散ってしまい、食中毒などに感染するリスクが上がるそう。

これまでに何年も生の鶏肉を洗い続けてきた私がこの記事を読んで一瞬にして青ざめてしまったのはいうまでもありません…。

https://www.lifehacker.jp/2019/09/197824-dont-wash-chicken.html

出典・ライフハッカー

渋谷から30分くらいのアパート

渋谷から電車で30分くらいの駅の、駅から徒歩5-6分くらいのアパートに住んでいた。駅の付近は起伏の多い地形で、谷のように降っていく地域と、丘のように登っていく地域があった。住んでいたアパートは駅から緩やかに丘の上へ登り、2車線の道路を渡って降っていくかという場所にあった。アパート名前は忘れた。なんとかハイツとか、なんとかハイムというような、地名と無個性単語の組み合わせだったと思う。

アパートは確か5階建てくらいで、その3階に住んでいた。

部屋のドアの色は鮮やかな青色で、そこだけが新品のようにつやつやした手触りだった。ドアを開けるとキッチンの向こうにベランダがあり、やけに大きな窓が2方面に開いていた。窓は西向きだったのか、夕方に部屋の奥まで光が差し込んだ。アパートの向こう側は下り坂になっていたので窓の向こうの景色は開けており、他の建物から視線が気になることがなかった。カーテンはつけず、部屋の中の照明も控えめなものにして、1年中夕焼けが見えるようにした。冬は寒く、1日中毛布にくるまって過ごした。

駅の近くにあるスーパーで買い物をして帰ることができた。ぼけっとしていてスーパーを通り過ぎても、セブンイレブンがあったので弁当を買うことができた。何かの拍子にセブンイレブンも通り越すと、小さな蕎麦屋が家の向かいにあった。夜は半分居酒屋メニューで、テレビがいつでも小さな音量でついていて、麺がやわらかい店だった。

蕎麦屋メニューを覚える頃には、別のお店がないかと探した。Google Mapは今よりもずいぶんいい加減な情報を表示していて、個人のお店は載っていないことが多かったように思う。通りの雰囲気と人の流れを頼りに、アパートの向こうの下り坂を降りて、自室の窓から見えていた桜の咲く公園の近くへ歩いた。

この下り坂を降るとき、いつも不思議不安なような気持ちになった。あたりは夜でも十分に電灯はあったし、人通りもそれなりにあった。建物は2階建て個人宅が多く、昔から住んでいる人たちの木造建築はどれも立派な造りに見えた。アパートマンション比較的新しい建物のようで、大声が聞こえることも、不審に思える人物とすれ違ったこともなかった。

だが気になるのは、家々の窓から漏れ出る光。白からオレンジ色の光が、どの家からアパートからマンションからも、どの方角からも道に向かって漏れている。電灯から次の電灯までの間、辺りを見るとこの窓の光だけがぽつぽつと目に入ってくる。

それぞれの窓の中の景色想像する。自分と同じ一人暮らしの人も多いだろう。渋谷へのアクセスが良く、駅徒歩も10分以内といったところだ。不動産屋も紹介しやすいことだろう。二人暮らしの人もいるだろう。駅から離れるにつれてアパート敷地は広くなり、一部屋の間取りにも余裕が生まれる。ファミリー層向けのマンションには子供が生まれたばかりの夫婦が住むだろうか。昔から建っている立派な木造建築には、3世帯で住んでいる人たちもいるに違いない。夕飯の時だけは1階に集まって、テレビをつけながら談笑したりしているだろうか。そうした想像をすると、窓の光の一つひとつ生活があり、違った人生があるという当たり前のことが、リアリティをもって感じられた。この実感は、私をとても不安気持ちにさせた。

通勤電車が混むことが苦痛になり、2年でその町から引っ越した。今は生活が変わり、住宅街を通ってもあの時と同じ気持ちにはならない。でも、あの町の、あの坂道を通ってみたらどうだろうか。あの部屋で、夕焼けを直に受けるクローゼットの扉を見たらどうだろうか。

たまに思い出すが、何の用事もないような場所なので、あの駅に降りることはもう無いだろうなと思う。

2020-06-06

どこからか腐った肉の臭いがする。

臭い。と帰宅した妻に言われてキッチンを探すが、臭いの発生源は見つからない。三角コーナーではピーマンのへたが萎びているだけだ。排水口は昨夜掃除したばかりで、念のために開けるとヌメリはない。

ゴミ箱は午後の陽気に蒸れて臭い始めていたが、不意に鼻をつく甘い腐臭が本当にここから発しているのか、蓋の隙間から中を嗅いでみても確信が持てない。

ちょっといい加減にしてよ、これじゃ晩ご飯食べる気にもならない。向こうの部屋で着替える妻からクレームが飛んでくる。そこらじゅうをひっくり返しても、動物の腐乱死体のような臭いの発生源はわからない。

まさか、と思い、サンダルをつっかけて玄関から外に出る。マンションの共用通路を歩きながらそれとなく各戸の前で鼻から息を吸うが、恐れていた臭いはしない。

部屋に戻ると、妻はこちらを見ようともせず無言で片付けをしている。

ゴミ箱、と彼女は言う。

さっき探したよ、と言い終わる前にいいから探して臭いの、と叩きつけられる。

言われてみると、臭いかもしれない。

ゴミ箱の蓋を外すと、例の臭いが立ち昇る。中に手を入れて探ると、あった。小さなレジ袋を縛ったものから、むせかえるような腐臭がしている。

袋の中身は、一昨日のお昼に食べた甘エビ尻尾だ。毎日1時を過ぎるとスーパー惣菜コーナーで寿司に値引シールがつく。最近知ってからその時間帯に買いに行っている。

「なにそれ」

「え、エビ

「なんでエビがそこで腐ってるの」

あなたが出勤した後、私は昼下がりに割引の寿司パックを買いに出てお得感に浸っていたのだよ。とは言えない。

季節を考えずに痕跡を残したのはまずかった。どれほど小さくても肉片は肉片で、暖かくなった途端に腐り始めたのだ。

緊急事態宣言が出てから私は在宅勤務となったが、妻は千代田線通勤した。朝、私の顔を見ると彼女マスクの奥からため息をついて出て行った。毎日毎日マスクすらしていない乗客もいる電車に詰め込まれて、感染の恐怖に怯えながら、町屋から赤坂までの距離がどれほど長く感じられるか、家にいるお前にわかるか。面と向かってそんなふうに言われることはなかったが、気まずかった。

悪いのは私なのだろうか。お前の健康大事から、今は仕事になんか行くな、減った収入はおれが稼ぐから気にするな、とでも言えばよかったのだろうか。言ったとしても、ようやく正社員転職した仕事を辞めるのに彼女同意しただろうか。

いや、一日働いて、疲れて帰ってきたら家じゅうが腐臭に満ちていたことへの説明が今は必要だったか。そういうものはどこかにあったかそもそも可能か。

「鼻がもげそうなんだけど。こんなに臭いのに、一日中家にいてなんで気づかないの。ほんっと無神経だよね。おかしいんじゃないの」

彼女は勢いよく窓を開ける。

ずっと家にいるからこそ鼻が慣れて臭いに気づかないのだが、指摘するとますます怒りを買うだけなので、謝罪して一階のゴミ置き場まで袋を捨てに行く。

夕食はレンジでチンするだけでいい。だいたい午後、作業会議の合間に作る。毎日、私が夕食を用意しておくことがいつの間にか暗黙に期待されていた。在宅勤務は座りっぱなしだと身体がつらくなってくる。ちょっと頻繁すぎるくらいに立ち上がって、野菜を切ったり鍋の火加減を見たりするくらいの方が、疲れが溜まらない。だからこれはこれでよいのだろう。

妻は無言で酢豚をつついている。適切な話題腐臭を打ち消す、賑やかな話題

最近、新しいラーメン屋が近所にできたよ」

「そういうのはいいよ。もう暑いから

運動不足解消のため、夕食後は隅田川沿いを走ることにしている。馬頭観音を過ぎて尾久の原公園まで来ると、夜は人気がなく暗い。対岸の足立区に建つマンションの灯りだけが黒い川面に揺れている。

走りながら、レジ袋の中で腐っていた甘エビのこと、こちらを向かない妻の背中を思う。もうだめなのだ。一時しのぎは。暑くなると、あらゆるものが腐りはじめる。エビも、人間関係も。いや、あらかじめ茹でたエビならどうか。ちらし寿司にのっている薄い車海老のような。明日ちらし寿司にしようか。そうだ、それがいい。1時過ぎまで売れ残っていれば。

2020-06-05

関東で 1ルーム キッチン2口

5万円 って どうですか?駅30分

もしOKなら、こんなもん。あんまり高いお部屋に お給料の1/3目安 とかいってると お給料が 50 100 あるIT業界は 家賃が20万ぐらいということになるので 死ねます

お安は お給料の 3分の1か、7万円ぐらいの どちらか小さい方 というのはどうでしょうか?ひとがしなないように

2020-06-01

年収350万円のリアル(過去形)

https://anond.hatelabo.jp/20200530164357

年収1000万の増田に350万に転職しろかいう、中々認知が歪んだ増田粘着している

過去都内年収350万(正確には370万円だけど誤差の範囲)で、転職数回で現在800万円になったので、リアルに書いてみる

スペックアラフォー独身男性

家賃

53000円の練馬区の築30年鉄骨アパート(3点ユニット20平米1K)。新宿池袋まで大体30分ぐらい。リノベしてたので部屋自体はきれいだったが、水回りがひどくて風呂場では定期的にラバーカップでぐぽぐぽしないと水が流れなくなるボロ物件だった。

あとアパート治安は悪く、隣やら上やらの部屋が夜中に騒ぐ、公共料金税金年金学費留学生らしい)の督促状がエントランスに散乱している。ゴミの出し方でアパート住民しょっちゅう近隣住民トラブルになる。しまいにはエントランスに猫が捨ててあった(もちろんペット禁止)という事件があり、転職タイミング引っ越した。

現在豊島区の1LDK40平米15万のマンションに住んでるが、この手の輩系の住民はいないしオートロック+管理人+監視カメラなのでエントランス治安は概ね良い。築年数古めだが管理がされているので、練馬区アパートみたいな水回りトラブルもない。家賃が上がれば利便性建物のグレードだけでなく、住民民度も上がるので家賃ケチらないほうがいい。最近リモートワークで通勤してないが、職場までは15分ぐらい。

普段食事

350万円時代通勤時間がかかる+残業多い+キッチンが狭いでまともな自炊ができず、ファストフードスーパーの半額弁当ばっかだった。栄養状態も良くないが、何よりもこの手の食事メンタルに来る。

現在残業ほとんどない+通勤時間短い+キッチン実用レベルになった(システムキッチン自動食洗機付き)ので自炊している。この間はアクアパッツァを作った。

ただ地域的にスーパーがお高めなので、西友ネットスーパーとかを使ってる(コロナ禍のせいで配送在庫が壊滅的だけど)

飲み会などの食事

350万円時代は安月給なのに飲んで騒ぎたがるタイプのやつが多い職場だったので、学生が使うようなチェーン居酒屋で定期的に飲み会が開催されていて最悪だった。飲み会での話題仕事愚痴下ネタ年収の安い職場はこうなりがち。

現在はこの手のイミフ飲み会は無くなり、たまに有志で少しだけいいお店に行く。少し良いお店は店員接客も悪くなく、出てくる料理もうまく、輩系の客がいないのでたまに行くならとてもいい。話題も少なくとも不愉快になるような内容ではなくなる。家族の話とか趣味の話とか。あと、この間リモート飲み会やった

コンビニスーパーでの買い物

上記の通り自炊するようになったのでコンビニはあまり使わなくなったが、以前より物価が高い地域引っ越したので、結果的に食費は350万時代とあまりかわらない。たまにUberEats頼む。

ファッション

今も昔もGUユニクロAmazon

女性関係

350万円時代は同僚に風俗キャバクラに誘われるなどして大変嫌な思いをしたが、今はそれがなくて大変良い。あと周囲では社内恋愛も多かったがそれが不倫やらセクハラ騒ぎになってクビになるやつも結構見た。現在はそのようなことはない。

車について

今(豊島区)も昔(練馬区)も乗っていない。練馬区に来る前は(神奈川県)は中古コンパクトカーに乗っていたが処分した。近所の駐車場を見ると外車レクサスばっかなので、高い高い駐車場台を払える人はそういう車に乗るものなのだろう

貯蓄・投資について

350万円時代はろくに貯金もできなかった(数万円預金するだけ)

現在投資信託(つみたてNISA+特定口座)とiDecoに月に15万ぐらい入れている

結論

350万円に転職しない理由をおわかりいただけたであろうか?年収が上がれば上がるほど労働環境改善される。単に待遇が良くなるというだけでなく、そこで働く人言のレベルも上がるので不愉快な思いをすることが少なくなる。多分あの職場にいたらリモートワークもなくコロナに怯えながら通勤してただろう

家賃にしても安い物件・安い地域はそれなりの人が集まるので、民度はお察しになる。

2020-05-31

年収400万のリアルを教えよう

https://anond.hatelabo.jp/20200530164357

そこの学生君!年収1000万でも贅沢で優雅暮らしができないのなら、その半分以下の年収人間(雑にググったら日本の平均年収が420万、中央値が350万くらいらしいぞ!)がどういう生活か気にならないか

年収1000万なんて全然生活ラクじゃないっすよ~」という上流階級無自覚自虐自慢に歯ぎしりを覚えつつ、今日中流階級生活レベルの実際を教えよう。


まず自分スペック

31歳男、独身関西在住、去年の年収420万ほど。400万も420万も変わらないのでこれは誤差だ。今年はコロナの影響で賞与激減だから300万台いくぜ!

なお年収400万未満の方にとってはマウンティングなどと言われるかもしれないが、そんなつもりは全く無く、

ただただリアルを伝えるために書いた記事である

家賃について

家賃は4.5万、1K。社員寮。社員寮で4.5万は高い。

キッチンは激せまで、キッチンの横にカラーボックスを置いてキッチンに置けるもの拡張しないと何もできない。コンロは1口。というかそもそも自炊はしないほうがいい。後片付けやかかる時間考慮したら、自炊金持ち道楽だということがわかる。

そもそも冷蔵庫が小さいので、あまり野菜冷蔵保存できない。

定時退社して少し家でだらだらして7時くらいにスーパーに行ったら惣菜が半額になってるので、基本的にそれを食っている。

風呂普通。ザ・一人暮らし風呂って感じ。

から綺麗な夜景が見れるとかも無い。シャンデリももちろん無い。

駐輪場はある。普通アパート

普段食事について

吉野家とかコンビニ飯、ラーメンなど。俺も年収1000万の人と同じものを食っている。親近感わくな!

安いスーパーの売れ残った激安弁当とかは食っている。平日は基本的にそれ。俺が食にあまり興味がないからかもしれんけど、これで苦痛はない。

成城石井がなんなのかわからない。

飲み会などの食事について

先輩後輩とか大勢で飲みに行くときワタミとかそんな系。

年に一度高校の同級とか数人で飲むときは、さすがにそこには行かないけど、まあ一人あたり5千円くらい。

焼き肉も勿論行くけど、一人あたり1.5万円は行ったことないですね。牛角とか、地元焼肉屋でひとり1万円いかいくらい。

食に興味がないのか貧乏舌なのか、飲食店はそこまで高級店は行かない。

基本的飲み放題の店ばかりなので、そういう意味では値段を気にせず飲む。

ウイスキーワインもよくわからない。

コンビニスーパーでの買い物

俺もコンビニスーパーは値段を気にせず買っている。というかコンビニに売ってるものなんてたかが知れてるし。

ファッション

ユニクロ

女性関係について

街コンとか、趣味ロードバイクオフ会とか、出会い系でやってる。

基本的趣味の集まりに行くようにしてて、どちらかというと話がある人に会いに行ってるというスタンスで遊んでるので、あまり「カネ目当ての女性」に出会たことはない。

女性との飲食代は、基本自分持ち。でも趣味イベントとかは割り勘というか、女性女性で買いたいものがあったりするので、当然会計は別。

車について

バイクは持ってる。まあ都内じゃないから足は必要

タクシーは使わない。


というわけで年収400万の生活でした。

読み返してみたら年収1000万の人とたいして生活変わらなくない?と思っちゃったけど、でもたぶん固有資産で差がついてる。俺はドラム式洗濯機ルンバも大きな冷蔵庫ソファダイニングテーブルもないけど、たぶん1000万の人はそういうの持ってるよね…?あと貯金額もぜんぜん違うんじゃないかな。俺貯金ほぼないよ。

まあ東京家賃高そうだし、あまり中流と上流の分断を煽るようなこともしたくないので、それぞれ生活が大変ってことで。

まあ当然だけど、年収1000万でも豪勢な生活ができないのなら、年収400万なら言わずもがなで。

結論

年収400万の人間は、そうは言われても年収1000万の夢を見ている。

2020-05-29

anond:20200529175740

良くいくDSPBサプリが気に入ってる。比較安価で、とてもいいんだもん。

たまにいくDSPBのやっすいやっすいキッチンペーパーも使える。

仰ることは確かに、そうなんだけども。

良い処もみてあげてよー。

2020-05-28

anond:20200527202213

次亜塩素のは、私も少々使ってたけど、キッチンペーパーに吹き付けて、それで拭いてた。あとで水拭きもいるし、

面倒なのでラベルは貼ったままだけど綺麗に洗って、中身はキッチンソープ希釈液にしてる。

2020-05-27

anond:20200527222440

女に教育を!なんていうが、男はキッチンに立つなという家庭で自活できる能力を付けることができない男性が多かったことの方がずっと問題だと思う

女の不幸は社会のせい、男性の不幸は自己責任だとでも言いたいんですかね

炊飯器内部でゴキブリ繁殖やすいのはセキュリティホールだと思う

買ってから2年ほど経った炊飯器の内部でゴキブリの巣が形成されている。調べてみるとよくあることらしい。炊飯器の内部は非常に暖かく、裏面に排熱用の穴が空いているため出入りもしやすい。キッチンならゴキブリが食べるもの豊富に揃っている。これほどゴキブリ繁殖に適した環境もそうないだろうと思う。

食品を扱う家電で虫が発生するというのはなかなか最悪で、自炊する気も失せるし、もちろん衛生的にもよくない。にもかかわらず、家電メーカーがこの問題真剣に考えているようには見えないことに苛立つ。こんなあからさまなセキュリティホール放置しておいて、象印タイガー以外のメーカーFAQすら用意していない。

家電にはバルサンを炊くこともできないし、たとえ撃退したところで、いちど巣として糞や体液が溜まってしまった場所にはすぐにまたゴキブリが集まってきてしまう(専門的にはローチスポットというらしい)。結局、メーカー有償修理に頼るほかない。

住んでいる家が古いと、ゴキブリ繁殖を完全に防ぐことはむずかしい。定期的にバルサンを炊いてはいるが、家電内部で繁殖されてしまってはお手上げで、素人対処できる範囲を超えてしまう。メーカーには早急に、ゴキブリ繁殖させないための対策を打ってほしい。

アンデッドアンラック 1巻

はてブに上がってた紹介記事を読んで買ったけど、1巻に載ってない範囲ネタバレ食らっててふざけんなってなった

とんがり帽子キッチン 1巻

ホモホモしいぞ

2020-05-26

追記あり母親に教えてあげたい日用品

ルックプラス バスタクレンジング

「こすらず落ちる」バスタクレンジング

一生手放さないと誓う。噴きかけて1分置いて流すだけで浴槽がピカピカ。仕上がりはキュッキュッと鳴る。最初は週1で手でも掃除してたけど必要無かった。普段使わないスポンジで洗う方が汚いと思うくらい風呂が綺麗。スポンジを捨てた。

追記

落ちない、すぐ無くなるのコメント多数。浴槽との相性がある。家は築3年、まだコーティングされてる可能性もあり相性が良いのかも。風呂入ってすぐ流してる。シャワーはお湯でジェットにしてよく流してる。ちなシャワーヘッドはサイエンス ウルトラファインミスト ミラブル。これも最高。

あと確かにコスパは悪い。毎日使って3週間で無くなる。多少高くても洗いたくない、時短したい人向け。

スコッティファイン 洗って使えるペーパータオル

洗って使えるキッチンタオル

5回は余裕で洗えて非常に優秀。破れるより前に汚れて捨てる。ドラッグストアで300円弱で61カット。2・3日に1枚しか使わないので1シーズン持つ。数ヶ月使う布巾より衛生的な気がするしコスパ抜群。

追記

コストコのバウンティニトリの布巾が良いとコメントあり。使ってみたい。

三輝 詰め替えそのまま

ボディソープシャンプーの詰め替えパックを吊るして使えるアタッチメント

通常の3倍サイズを吊るして使ってる。半年くらい詰め替え作業無し。詰め替えても一瞬。風呂の棚も掃除やすい。もっと早く知りたかった。

スコッティフラワー 3倍長持ちトイレットティッシュ―ダブル日清紡でもOK

3倍巻きのトイレットペーパー。

トイレットペーパーの取り換え頻度が1/3になる。紙は凸凹があり普通に良い。ストックが嵩張らない。以前5倍巻きダブルを使ったが、ダブルなのにシングルと同じくらいの厚さでペラペラだった。3倍巻きがおすすめ防災用バッグにも入れてる。

スクラビングバブル 超強力トイレクリーナ

トイレ掃除ならこれ一択

2週間に1回かけるだけでトイレの輪ができない。便器についた大も一撃。便座まわりはスクラビングバブルキッチンペーパーに少し垂らして拭いてゴミ箱に捨てる。トイレシートもブラシも家には無い。

マグネシウム洗濯マグちゃん

洗濯洗剤の代わり。

市販マグネシウム100円ショップの小さい洗濯ポーチに入れて使ってる。(ポーチ最初から入って売られているのが洗濯マグちゃん洗濯約6kgで300gくらいでOK。汚れも臭い問題無く落ちる。(激しい泥汚れは不明トマトソースが付いたシャツ問題無く落ちる。)香りを残したい人は柔軟剤と併用すれば問題なし。シーズンに1回クエン酸を入れて表面のマグネシウムを溶かすと半永久的に使える。私は十分満足なので洗剤を暫く買ってない。

追記

効果ないというコメント多数。マグネシウムの力ではなく普通に水だけで綺麗になってるとのこと。効果はよくわからないが汚れも臭いも気にならないので私はこれからも使う。水だけで洗うのは勇気が無いので気休めと思っておく。

母親についての追記

母親に教えてあげたいのタイトルに深い意味はない。便利だから知らなかったら使ってみてと勧めたいくらいの軽い気持ち母親は生きてるけど遠方で年1しか会わない。電話でわざわざ伝えるほどでもないから教えてないだけ。

世の中の母親に教えたいと思って書いたのではなく、自分母親にいつか教えたいメモが誰かの参考になればと公開しただけ。父親は知らん。

2020-05-25

Vol.106 政府による布マスク生産調達について、皆様の疑問にお答えします。

医療ガバナンス学会 (2020年5月21日 06:00)

 

経済産業省 政策統括調整官

江崎 禎英

2020年5月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

新型コロナウイルスへの対応のなかで、その危機シンボルのように扱われてきたマスク。ここに来て仮設店舗飲食店などでも50枚入りが一箱2000円前後販売されるようになり、ひと頃のようなマスク不足の状況は改善しつつあります

そうした中で、政府実施している一世帯2枚の布マスクの配布について、これを疑問視する意見が増えています。配布されたマスクに髪の毛や糸くずが入っていたり、カビと思われる変色したマスクがあったとの報道を耳にされた方もいらっしゃるでしょう。問題のあるマスクは速やかに交換する対応を行っているところですが、実際に手にされた方に不安と不信感を与えてしまいましたことは、心からお詫び申し上げたいと思います

 

マスクを巡る一連の対応への批判は、政府としてこれを真摯に受け止めるのは当然です。しかしながら、実際にマスク製造した事業者にも厳しい批判の目が向けられていることは、この作業をお願いした立場にある者として誠に申し訳なく思っております。今後市場に出回るマスク供給量が増え、マスク不足に対する危機感が薄れるにつれて、今般の布マスク生産に携わった事業者に対していっそう厳しい目が向けられる可能性があります緊急時対応平時基準によって評価されることは往々にしてあり得ることですが、懸念すべきは、そうした評価が広がることによって、今後、国の緊急事態に協力しようとする企業が現れなくなってしまうことです。

先日の国会審議の中では、「政府が配る布マスクはその大半が不良品であり全て廃棄すべき」といった趣旨議論が展開されたため、その経緯を理解していただくために、質疑に割り込む形で答弁をさせていただきました。しかし、私の答弁は通告された質問に答えるものではなかったために、怒号と叱責の中で十分にお伝えすることができませんでした。そこでこの場をお借りして、多くの方の疑問にお答えする形で、その背景と経緯について書き記しておきたいと思います

 

<なぜ、布マスクだったのか>

再利用を前提とした長期間使用可能な布製マスクを大量に生産調達することによって需給ギャップを埋め、使い捨てマスク医療関係者等に優先的に回せる環境を整えようとしたのが、布マスクに取り組んだ最大の理由です。

本年1月から、それまで国内供給の8割程度を占めていた中国からマスクの輸入が途絶え、マスクの品薄状態が始まりました。このため2月にはマスクを求めて早朝から店舗の前に行列ができる状況となり、国会等でもマスク供給を増やせとの指摘が相次ぎました。2月下旬には、マスクの買い占め防止のためにネットオークション自粛を求めると共に、国内生産設備の増強を含めた供給量拡大に取り組みました。

しかしながら、当時の国内におけるマスク供給能力は月産4億枚程度であり、その殆どが不織布を用いた使い捨てタイプでした。国内生産力増強のための補助金に応募した企業も全て不織布を用いた使い捨てマスク用の設備投資でした。この頃、感染症専門家などからは、使い捨てマスク再利用を行うべきでない旨の見解が出されており、需給ギャップは拡大の一途を辿るおそれが生じていました。

このため、ハンカチキッチンペーパーによる手作りマスクなど、使い捨てマスク以外の対応を考える中で、政府としてたどり着いた結論が、ガーゼマスクでした。かつて小学校などで給食当番の際に使っていたガーゼマスクは、洗濯して何度も利用されていました。そこで「健常者による飛沫感染に対する予防としては、手すりやドアノブなどに触れた手で自らの鼻や口に触れないことが重要との観点から、布マスクによっても有効対応可能である」と医療関係者確認し、布マスク生産調達プロジェクトスタートしました。

 

<布マスクは何時までにどれくらいの量を調達しようとしたのか>

マスクが手に入らないことに対する国民不安を軽減するためには、繰り返し使用できる布マスクを来月(4月)末までになんとか1億枚規模で調達できないか」というのが当時の認識でした。私自身がこの布マスク生産調達プロジェクトに参画し、事業者との調整に携わったのはまさにこの頃です。

本年3月には、ドラックストアやスーパー店頭からマスクが消え、一日中マスクに関する報道が流れ、国会でもマスク供給不足に対する政府対応非難する質問が続き、マスク供給のためにあらゆる手を尽くせと責め立てられる状況でした。全国民が一斉にマスクを買い求めるというこれまでに経験したことのない爆発的な需要増の一方、中国からの輸入が全く見通せないなかで、1億枚という規模の目標形成されていきました。

 

<なぜ、日本製マスク調達しなかったのか>

そもそもマスク材料となるガーゼ中国しか生産しておらず、ガーゼ国内在庫殆ど存在しない状況でした。

このため、国内供給できる布マスクは、せいぜい1万枚から多くても10万枚のレベルで、およそ1億枚といった規模には届かない状況でした。仮になんとか国内材料となるガーゼを持ち込んでも、布製マスクを縫製する設備ミシン)や人員を揃えることも困難な状況でした。現在でも、「布製マスクを作るなら日本生産すべきだ」との意見も多いのですが、国内生産設備殆どが不織布を用いた使い捨てマスク用の機械装置です。

 

<なぜ、「興和」を始めとする特定企業とだけ契約したのか>

今年3月時点で、海外で1億枚規模のマスクガーゼ調達するネットワークを有し、布製マスク材料調達から裁断、縫製、検品、袋詰めまでを一貫して行える企業は、興和しかありませんでした。

ただ、興和単独では1億枚規模の生産は困難であったため、中国で縫製関係業務経験のあった伊藤忠とマツオカコーポレションの協力を得て生産体制を構築したものです。

当初、これら3社からは、4月末までに1億枚の生産など到底無理だと言われましたが、日本の窮状を救うためにあらゆる手を尽くして目標を達成して欲しいとお願いしました。結果、ベストシナリオで約9千6百万枚まで積み上げ、1億枚規模の目標達成の可能性ありとして、直ちに材料の確保、製造ラインの立ち上げをスタートしていただきました。

 

<実際のマスク生産体制はどうなっているのか>

4月末までに1億枚規模の生産を行うために、興和だけでも中国において約20カ所の縫製工場と約1万人の縫い子と検査要員を確保しています

これには、興和中国に有する様々なネットワークを駆使して、尋常でないスピードでこの体制を整えたと聞いています伊藤忠やマツオカコーポレーション独自ネットワーク東南アジアの国々に縫製工場人員を確保し、生産を行っています

これだけの人員を集めても、縫い子さん1人当たり1万枚ものマスクを縫製する必要があり、24時間体制での生産を行っています。各工場一定量生産が進んだ段階で検品梱包し、直ちに航空機日本に運ぶといったオペレーションになっています

 

<なぜ、不良品が発生したのか>

当初、興和からは「興和名前が出る以上、従来通りの国内検品を行うのでなければこの仕事は引き受けられない」と強く言われました。しかし、興和国内検品は、一旦全てのマスクを一か所の検品施設に集め、1ミリ程度の縫い目や折り目のずれ、布のほつれも不良品として弾いてしまうというレベル対応です。このため従来どおりの国内検品作業を行っていたのでは目標の半分も達成できない可能性があり、緊急避難的な対応として現地検品を基本とするオペレーションに変更してもらいました。

日本に持ち込んだ後は、配布準備段階で最終チェックを行うのですが、ここでのチェックをすり抜けた不良品利用者の手元に届いてしまたことは誠に申し訳なく思っています。また、自治体によっては、こうした作業保健所に依頼したことで、保健所職員作業を増やす結果になったことも反省点として認識しています

ちなみに、特定医療マスクを除き、マスクに対する国際的品質基準存在しません。また、国内におけるマスク業界団体が出している品質基準ホルムアルデヒドの検出基準が示されているだけで、各社毎の自主基準による検品が基本となっています

不良品報道を受けて、現在では事業者においても自主的に国内検品実施していただいているところです。「受注した以上、企業完璧製品を届けるのが当然だ」といった意見もっともですが、それはあくま平時における常識で、緊急事態対応にまでこれを要求することは酷だと思います。それ故に、これを補う形で国が改めて検品を行っているのですが、この費用に国費を充てるのは問題だとの意見が寄せられているのが現在の状況です。

 

<なぜ、配布が遅れているのか>

4月末までに1億枚の布マスク生産して国内に持ち込むというのは、元々極めて厳しい目標でしたが、緊急事態ということで各社全力で取り組んでいただきました。しか現実には、急遽集めた1万人に及ぶ縫子さんの教育からまり中国国内での物流障害企業活動制限)、更には中国政府によるマスクの輸出規制によって通関で止められるなど次々に問題が発生しました。

しか入国制限によって、これらの問題解決するための職員中国派遣することができません。大使館の協力も得ながらなんとか通関を突破しても、日本へ運ぶ航空機の確保ができないといった状況にも見舞われました。生産物流、通関等々、二重三重障害を乗り越えて国内に持ち込む中で、スケジュールが後ろ倒しになる状況が続いてしまいました。

これに加えて、今般の不良品問題の発生によって、メーカーが全量回収の上国内検品を行うとともに、更に万全を期すために国による検品も行っているために、配布スケジュールしわ寄せが生じる結果となっています

 

最後に>

現在も、関係者尋常ならざる努力によって布マスク生産調達が続いています国民マスク不安を解消するための布マスク生産調達でしたが、状況が落ち着くにつれて、「量、スピード品質」全てに完璧が求められるようになりました。まだ全体のオペレーションが終了していませんが、こうした一連の作業の結果、事業者にとっては大きな持ち出しになることを懸念しています興和では今も職員を総動員して布マスク検品作業を行っています

また、現状では不良品や国による検品費用ばかりに議論が集中し、こうした布マスクの取り組み自体が全て失敗であったかのような議論がなされているのは誠に残念なことです。特に日本危機的な状況を救うために協力してくれた事業者が、結果的社会的批難を受けることがあってはならないと感じています。また、日本のために今も昼夜に亘って布マスク製造してくださっている1万人を越える海外の縫子さん達のためにも、是非事実を知っていただきたいと思い、筆を執りました。

もちろん、だからといって不良品が許されるわけではありません。現在検品には万全を期していますが、万が一不良品が届いた際には速やかに交換させていただきますのでご協力をお願いします。その上で、不良品の状況はきちんと確認評価し、今後の反省材料にしてまいります

なお、まだ一部の方々にしか届いていない布マスクですが、実際に手にされた方からは良い評判もいただいております新型コロナウイルスへの対応は長丁場になる可能性が高いと言われています。是非、多くの方々の努力によって届けられる布マスクをご活用いただき、この災禍を乗り越えていただきたいと思いますよろしくお願い致します。(令和2年5月18日

2020-05-24

Vol.106 政府による布マスク生産調達について、皆様の疑問にお答え

医療ガバナンス学会 (2020年5月21日 06:00)

 

経済産業省 政策統括調整官

江崎 禎英

2020年5月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

新型コロナウイルスへの対応のなかで、その危機シンボルのように扱われてきたマスク。ここに来て仮設店舗飲食店などでも50枚入りが一箱2000円前後販売されるようになり、ひと頃のようなマスク不足の状況は改善しつつあります

そうした中で、政府実施している一世帯2枚の布マスクの配布について、これを疑問視する意見が増えています。配布されたマスクに髪の毛や糸くずが入っていたり、カビと思われる変色したマスクがあったとの報道を耳にされた方もいらっしゃるでしょう。問題のあるマスクは速やかに交換する対応を行っているところですが、実際に手にされた方に不安と不信感を与えてしまいましたことは、心からお詫び申し上げたいと思います

 

マスクを巡る一連の対応への批判は、政府としてこれを真摯に受け止めるのは当然です。しかしながら、実際にマスク製造した事業者にも厳しい批判の目が向けられていることは、この作業をお願いした立場にある者として誠に申し訳なく思っております。今後市場に出回るマスク供給量が増え、マスク不足に対する危機感が薄れるにつれて、今般の布マスク生産に携わった事業者に対していっそう厳しい目が向けられる可能性があります緊急時対応平時基準によって評価されることは往々にしてあり得ることですが、懸念すべきは、そうした評価が広がることによって、今後、国の緊急事態に協力しようとする企業が現れなくなってしまうことです。

先日の国会審議の中では、「政府が配る布マスクはその大半が不良品であり全て廃棄すべき」といった趣旨議論が展開されたため、その経緯を理解していただくために、質疑に割り込む形で答弁をさせていただきました。しかし、私の答弁は通告された質問に答えるものではなかったために、怒号と叱責の中で十分にお伝えすることができませんでした。そこでこの場をお借りして、多くの方の疑問にお答えする形で、その背景と経緯について書き記しておきたいと思います

 

<なぜ、布マスクだったのか>

再利用を前提とした長期間使用可能な布製マスクを大量に生産調達することによって需給ギャップを埋め、使い捨てマスク医療関係者等に優先的に回せる環境を整えようとしたのが、布マスクに取り組んだ最大の理由です。

本年1月から、それまで国内供給の8割程度を占めていた中国からマスクの輸入が途絶え、マスクの品薄状態が始まりました。このため2月にはマスクを求めて早朝から店舗の前に行列ができる状況となり、国会等でもマスク供給を増やせとの指摘が相次ぎました。2月下旬には、マスクの買い占め防止のためにネットオークション自粛を求めると共に、国内生産設備の増強を含めた供給量拡大に取り組みました。

しかしながら、当時の国内におけるマスク供給能力は月産4億枚程度であり、その殆どが不織布を用いた使い捨てタイプでした。国内生産力増強のための補助金に応募した企業も全て不織布を用いた使い捨てマスク用の設備投資でした。この頃、感染症専門家などからは、使い捨てマスク再利用を行うべきでない旨の見解が出されており、需給ギャップは拡大の一途を辿るおそれが生じていました。

このため、ハンカチキッチンペーパーによる手作りマスクなど、使い捨てマスク以外の対応を考える中で、政府としてたどり着いた結論が、ガーゼマスクでした。かつて小学校などで給食当番の際に使っていたガーゼマスクは、洗濯して何度も利用されていました。そこで「健常者による飛沫感染に対する予防としては、手すりやドアノブなどに触れた手で自らの鼻や口に触れないことが重要との観点から、布マスクによっても有効対応可能である」と医療関係者確認し、布マスク生産調達プロジェクトスタートしました。

 

<布マスクは何時までにどれくらいの量を調達しようとしたのか>

マスクが手に入らないことに対する国民不安を軽減するためには、繰り返し使用できる布マスクを来月(4月)末までになんとか1億枚規模で調達できないか」というのが当時の認識でした。私自身がこの布マスク生産調達プロジェクトに参画し、事業者との調整に携わったのはまさにこの頃です。

本年3月には、ドラックストアやスーパー店頭からマスクが消え、一日中マスクに関する報道が流れ、国会でもマスク供給不足に対する政府対応非難する質問が続き、マスク供給のためにあらゆる手を尽くせと責め立てられる状況でした。全国民が一斉にマスクを買い求めるというこれまでに経験したことのない爆発的な需要増の一方、中国からの輸入が全く見通せないなかで、1億枚という規模の目標形成されていきました。

 

<なぜ、日本製マスク調達しなかったのか>

そもそもマスク材料となるガーゼ中国しか生産しておらず、ガーゼ国内在庫殆ど存在しない状況でした。

このため、国内供給できる布マスクは、せいぜい1万枚から多くても10万枚のレベルで、およそ1億枚といった規模には届かない状況でした。仮になんとか国内材料となるガーゼを持ち込んでも、布製マスクを縫製する設備ミシン)や人員を揃えることも困難な状況でした。現在でも、「布製マスクを作るなら日本生産すべきだ」との意見も多いのですが、国内生産設備殆どが不織布を用いた使い捨てマスク用の機械装置です。

 

<なぜ、「興和」を始めとする特定企業とだけ契約したのか>

今年3月時点で、海外で1億枚規模のマスクガーゼ調達するネットワークを有し、布製マスク材料調達から裁断、縫製、検品、袋詰めまでを一貫して行える企業は、興和しかありませんでした。

ただ、興和単独では1億枚規模の生産は困難であったため、中国で縫製関係業務経験のあった伊藤忠とマツオカコーポレションの協力を得て生産体制を構築したものです。

当初、これら3社からは、4月末までに1億枚の生産など到底無理だと言われましたが、日本の窮状を救うためにあらゆる手を尽くして目標を達成して欲しいとお願いしました。結果、ベストシナリオで約9千6百万枚まで積み上げ、1億枚規模の目標達成の可能性ありとして、直ちに材料の確保、製造ラインの立ち上げをスタートしていただきました。

 

<実際のマスク生産体制はどうなっているのか>

4月末までに1億枚規模の生産を行うために、興和だけでも中国において約20カ所の縫製工場と約1万人の縫い子と検査要員を確保しています

これには、興和中国に有する様々なネットワークを駆使して、尋常でないスピードでこの体制を整えたと聞いています伊藤忠やマツオカコーポレーション独自ネットワーク東南アジアの国々に縫製工場人員を確保し、生産を行っています

これだけの人員を集めても、縫い子さん1人当たり1万枚ものマスクを縫製する必要があり、24時間体制での生産を行っています。各工場一定量生産が進んだ段階で検品梱包し、直ちに航空機日本に運ぶといったオペレーションになっています

 

<なぜ、不良品が発生したのか>

当初、興和からは「興和名前が出る以上、従来通りの国内検品を行うのでなければこの仕事は引き受けられない」と強く言われました。しかし、興和国内検品は、一旦全てのマスクを一か所の検品施設に集め、1ミリ程度の縫い目や折り目のずれ、布のほつれも不良品として弾いてしまうというレベル対応です。このため従来どおりの国内検品作業を行っていたのでは目標の半分も達成できない可能性があり、緊急避難的な対応として現地検品を基本とするオペレーションに変更してもらいました。

日本に持ち込んだ後は、配布準備段階で最終チェックを行うのですが、ここでのチェックをすり抜けた不良品利用者の手元に届いてしまたことは誠に申し訳なく思っています。また、自治体によっては、こうした作業保健所に依頼したことで、保健所職員作業を増やす結果になったことも反省点として認識しています

ちなみに、特定医療マスクを除き、マスクに対する国際的品質基準存在しません。また、国内におけるマスク業界団体が出している品質基準ホルムアルデヒドの検出基準が示されているだけで、各社毎の自主基準による検品が基本となっています

不良品報道を受けて、現在では事業者においても自主的に国内検品実施していただいているところです。「受注した以上、企業完璧製品を届けるのが当然だ」といった意見もっともですが、それはあくま平時における常識で、緊急事態対応にまでこれを要求することは酷だと思います。それ故に、これを補う形で国が改めて検品を行っているのですが、この費用に国費を充てるのは問題だとの意見が寄せられているのが現在の状況です。

 

<なぜ、配布が遅れているのか>

4月末までに1億枚の布マスク生産して国内に持ち込むというのは、元々極めて厳しい目標でしたが、緊急事態ということで各社全力で取り組んでいただきました。しか現実には、急遽集めた1万人に及ぶ縫子さんの教育からまり中国国内での物流障害企業活動制限)、更には中国政府によるマスクの輸出規制によって通関で止められるなど次々に問題が発生しました。

しか入国制限によって、これらの問題解決するための職員中国派遣することができません。大使館の協力も得ながらなんとか通関を突破しても、日本へ運ぶ航空機の確保ができないといった状況にも見舞われました。生産物流、通関等々、二重三重障害を乗り越えて国内に持ち込む中で、スケジュールが後ろ倒しになる状況が続いてしまいました。

これに加えて、今般の不良品問題の発生によって、メーカーが全量回収の上国内検品を行うとともに、更に万全を期すために国による検品も行っているために、配布スケジュールしわ寄せが生じる結果となっています

 

最後に>

現在も、関係者尋常ならざる努力によって布マスク生産調達が続いています国民マスク不安を解消するための布マスク生産調達でしたが、状況が落ち着くにつれて、「量、スピード品質」全てに完璧が求められるようになりました。まだ全体のオペレーションが終了していませんが、こうした一連の作業の結果、事業者にとっては大きな持ち出しになることを懸念しています興和では今も職員を総動員して布マスク検品作業を行っています

また、現状では不良品や国による検品費用ばかりに議論が集中し、こうした布マスクの取り組み自体が全て失敗であったかのような議論がなされているのは誠に残念なことです。特に日本危機的な状況を救うために協力してくれた事業者が、結果的社会的批難を受けることがあってはならないと感じています。また、日本のために今も昼夜に亘って布マスク製造してくださっている1万人を越える海外の縫子さん達のためにも、是非事実を知っていただきたいと思い、筆を執りました。

もちろん、だからといって不良品が許されるわけではありません。現在検品には万全を期していますが、万が一不良品が届いた際には速やかに交換させていただきますのでご協力をお願いします。その上で、不良品の状況はきちんと確認評価し、今後の反省材料にしてまいります

なお、まだ一部の方々にしか届いていない布マスクですが、実際に手にされた方からは良い評判もいただいております新型コロナウイルスへの対応は長丁場になる可能性が高いと言われています。是非、多くの方々の努力によって届けられる布マスクをご活用いただき、この災禍を乗り越えていただきたいと思いますよろしくお願い致します。(令和2年5月18日

2020-05-22

anond:20200522234043

webプログラマはやること多いんだよ

料理だけじゃなくてキッチン作ったり包丁作ったり

材料調達どころか野菜とか家畜育てて屠殺したり

ビジネスサイドから投げられたものを全部やるのがプログラマから

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