はてなキーワード: ありすとは
昨日、出勤したら相棒がヘロヘロになっていて、どうしたんです?って聞いたら
という。
相棒さん出勤したの一時間前じゃあないですか、この一時間にどんだけ色々あったん、っていうと、
「もう本当にね、色々ありすぎて、覚えてないわもう」
とのこと。
プロアルバイター氏に今日は忙しかったんです?って聞いたら、お店の近所のあちこちでイベントが催されていたらしくて、その関係者が沢山ご来店したそうな。さすが秋って感じだ。
出勤後三十分位は忙しかったけど、あとはかなり暇だった。
前回のバイトの時、私が客からお金を盗んだだろうと言い掛かりをつけられて大変だったという話をした。
相棒は、この仕事は結構長いけどそこまでおかしい客には遭った事はないと言っていた。
ただ、老人はよく自分がお金を払ったか払ってないかわからなくなるので、気を付けた方がいいという。あと外国人でもお釣りの計算が出来なくてなんか言ってくる人いるから気を付けな、とも。
お年寄りには確かにそういう人いるよなぁと思うが、外国人で単純計算がおぼつかない人には今のところ会ってない。彼らは日本語をよく話すし、支払いはお釣りがキリよくなるようにしてくれる。
確かに十年前、工場勤務だった頃、派遣されて来た外国人実習生の中に、全く教育を受けた経験がなくて3より大きい数を数えられない人がいたけど、今お店にいらっしゃる外国人のお客様には、そこまで教育に見放された人はいなさそう。
外国人のお客様といえば、いつだったか揃いの作業服を来た外国人のお客様の団体が、皆それぞれ千円分の商品券をもってご来店された事があった。なんなんだろう、まさかこの方達、お給料の一部が商品券で支給されるとかじゃないよな?とレジ打ちながら思った。
ある日、外国人のお客様が大量のカップ麺を購入されたので、お箸は何膳ご入り用ですかと聞いたら、
「4膳お願いします。僕んち四人で住んでるんです」
と仰った。複数人でアパートに共同生活してるのだろうか。工場勤務時代に知り合った中国人実習生のお姉さん達も、四人で一部屋に住んでいると言っていた。
前回のバイトの時に、黒ネコさんから来ているはずのお便りがどこにもないので誰が食べちゃったんだと思ったら、今回はレジの下に貼られていた。宅急便の届けられない地域についてのお知らせだ。
北海道全域と関空と近畿地方の一部、そして広島の呉の辺りは宅急便受けられないそうだ。
「呉の方はもう長いですね」
「もし東京がやられちゃったらどうなちゃうんだろうって思うのよう。東京が駄目になっちゃったらこれだけじゃ済まない。もっと沢山の地域が不通になるでしょ」
って溜め息まじりに言うから、
「大丈夫です、その時はネコさんからのお便りは何も来なくなりますから!どこも受付られないから全然大変じゃありません!」
って答えた。
もう疲れた。
停電で電気止まって「充電ないから以降 返信できないけど無事だから心配しないで。」とかで打ち切ろうとしても
「返信は大丈夫だよ」
「落ち着いたら連絡して」
とかわざわざ送ってくる人 マジでいらん!
比較的ちゃんとした人たちは最初のメールだけで以降はストップしたり、代表者が連名でまとめて連絡してくれたりして負担かけないようにしてくれたけど、いまいち空気読めない人は
その後も「どうですか?」と気づかいを装った被災地の状況めっちゃ知りたいんですメールやLINEをバンバンよこしてくる。
中には本心からどうしても心配心配でそう言ってくれる人がいるのもわかってるけど、被災してる身からすれば全てがもうしんどい!
「しばらく食べられないからいいダイエットになるんじゃない?w」
だとか
いつもと同じ感覚と距離感で冗談めかして言ってくるその神経がわからん!
そっちは安全圏から高みの見物でLINEできてるからいいけど、こっちは幼子抱えて余震に怯え、いつ復旧するかわからないライフラインを疲弊しながら待ち望んでんだよ!
もうなんか真剣度というか温度差に差がありすぎてマジでイラつく!
あとお見舞いの挨拶もそこそこに
「電車さえ動けば 出勤できるか?」
「出勤したら被害状況を逐一 知らせて」
会社の連絡メールに状況報告 あげておいても見てもいない連中や外野のお偉いさん方がアホなのか興味本位なのか直接 電話してくるからずっと気の休まる暇もなかった!
地震以上に自分の知り合いの人間たちに家族全員それぞれ振り回されて疲れた。
反対に縁もゆかりもない道民の方が手招きしてコンセントを貸し出し、そっとお茶やお菓子を握らせてくれたり
某日某動画配信サイトでマクロスデルタ映画公開記念としてマクロスシリーズ作品(超時空要塞マクロス、マクロスII、マクロスプラス、マクロス7、マクロスゼロ、マクロスフロンティア)が公開されていた。マクロスをちゃんと見たことがなかったのでマクロスII以外全部見たところ、めちゃくちゃ面白かったのでネタバレ全開で感想を書く。
なお、IIを見なかった理由は特にない(ビジュアルに惹かれなかったからだっけ?)
(2018/9/3 修正。感謝 b:id:dynamicsoar)
さすがに80年代のSF作品なので、今から見ると古臭いだろうなと覚悟していたのだが、正直なところストーリーは一番面白かったかもしれない。
外宇宙より流れ着いた高度テクノロジーを回収し、マクロスとして改修したところ、機関が暴走して地球から冥王星までワープしてしまう。 しかも開発拠点となっていた土地も、街ごとすべてマクロスと共に移動してしまう。 そして孤立無援のなか民間人を抱えたマクロスは、絶望的な戦力差のゼントラーディー軍と対峙することになる。
民間人の街を含む生活圏ごと宇宙空間に放り出される、という SF 設定がまず素晴らしい。地球を遠く離れ、マクロスに依存して生きることになる市民と、市民を抱え込みながら作戦を実行しなければならない統合軍という、対立を設定したことで生まれたドラマの重みが他の作品に無い魅力だった。マクロス艦内に街を作る流れとか、マクロスが主砲発射のため変形すると道が割れ家が崩壊し市民に甚大な被害が出るというジレンマが、作品がただのヒーロー物となるのを防いでおり実に良い。最初の数話はずっと、マクロス艦内の(一条とミンメイの)サバイバル生活や、統合軍の武力を軽蔑する一条の話であり、マクロスという作品は戦闘が全てではないということを描いているし、ロボットアニメなのに一条が統合軍に参加するまでにも紆余曲折あって一筋縄ではいかないという序盤の展開の遅さも、今から見れば一条の若者らしさが強調されているように感じる。
またゼントラーディー軍とプロトカルチャーという一つの設定から、圧倒的戦力差があるのにゼントラーディー軍がマクロスを殲滅しない理由、逆にマクロスが基幹艦隊に対抗できる理由が自然に説明されている。プロトカルチャーとは何か、なぜ敵は様子見をしているのか、その謎が作品全体の軸となっていて最後(27話)まで楽しく見れた。
個人的には早瀬少佐を陰ながら応援していたのだが、ミンメイが強すぎて三角形がほぼ直線に見えてしまうのが問題だと思う。早瀬少佐ほとんど最後まで片思いじゃないか。
まあ一条は三角関係にピリオドを打ったのでよしとしたい。しかし主人公の一条光は本当に等身大の若者として描かれている。いい雰囲気だったミンメイには袖にされるし、それまでの経験からエースパイロットとなるけど、あっさりマックスに絶対エースの座を奪われるし、超人的なところがない。この等身大の恋愛が、作品にいい意味で青くささを与えているのだろう。
世界一カッコいい兵器である戦闘機が、さらにスタイリッシュなロボットにも変形するのだ!!!最高以外のなにものでもないではないか!!!!!!
...... ふう。
某小説家によると、自動車などと違って、飛行機というのはデザインがそのまま性能に直結するため、極限まで無駄が排除された存在であるらしい。飛行機の美しさ・カッコよさというのは機能美であると。つまり戦闘機であるバルキリーは必然レベルでカッコよく、その戦闘機が変形するバトロイドはカッコよくないはずがないのだ。
バルキリーの外見以外の話をすると、基本モードがファイターであることが徹底されているのがよかった。人型ロボットが高機動戦闘に不向きなことなんて自明なので、ヒットアンドウェイはファイター、飛翔体迎撃や地上行動はバトロイド、水平移動やランディングはガウォークという役割分担がはっきりしていたのもグッドポイント。
【懺悔】はじめはガウォーク形態を、ノーズに手足が付いていてなんか不恰好だと思っていました。全話見終わってようやくガウォークのカッコよさに気がつきました。いまではファイター >> ガウォーク > バトロイド の順で好きです。不当にガウォークを貶めてしまい申し訳ありませんでした。
正直、歌にこんなにバリエーションがあるとは思っていなかった。
しかしこのストック数があったおかげであの伝説の最終決戦(ミンメイアタック)が実現したのだと思うと、マクロスと歌は不可分なのだと実感する。
「私の彼はパイロット」と映画版だけど「愛・おぼえていますか」がマクロスを象徴する曲だと思う。
最高。ミュンを中心とした三角関係とむせかえるような戦闘機野郎臭にクラクラした。また電子歌姫、AIの暴走、有人戦闘機は無人戦闘機に勝てないなどの描写は未来予測として見事だった。
冒頭の強烈なドッグファイト、ステルス機 YF-21 のお目見え、YF-19 の超マニューバと1話から戦闘機づくし(後退翼前進翼!!)!さらに地面効果やチャフグレネードといったマニア向けの細かい描写まできっちり!トドメとばかりにミサイル増しまし、サーカス全開!ファンタスティック!!!最高の戦闘機アニメだった!!!
初代の青々しい恋愛とは異なり、皆が古傷を抱えたちょっとスパイシーな恋愛だった。はじめからガルドの負けは決まっていたけどな。
シャロンのトランスするような曲(BGM)は、未来の音楽という感じで演出も含めて作品を唯一無二のものとしている。それに対してミュンの素朴な歌声が要所で差し込まれることで、全体としてメリハリがついて音楽性の幅を獲得している。つまりは菅野よう子さんすごい。
歌(というかバンド)に振ったストーリーなので戦闘描写が薄い(マクロスプラスの後に見たせい?)。バンドマンサクセスストーリー -- 熱気バサラ伝記 -- といった感じ。
サウンドパワーが出てからかなりファンタジー方面になっていくところは SF を期待していた身としては少しがっかり。面倒くさい SF 勢としては、違う次元から来たのにプロトデビルンが人間くさすぎるところがもにょる。とあるプロトデビルが「破壊美〜」とか美学を叫ぶけど、美学なんてもっとも文化に隷属しているものだろう。
ただ、移民船やマクロス艦(バトル7)の設定は、フロンティアへ繋がるマクロス世界を広げた良い設定だった。
バサラ --- ミレーヌ --- ガムリン のトライアングルだけど、バサラは何考えているのかわからないし、ミレーヌはお子ちゃまだし、ガムリンは奥手で死ぬ死ぬ詐欺だしあまり恋愛要素は無かった。というかあのよく叫ぶシビルはなんだったん? バサラのエゴ?
主人公が非戦闘員だから仕方がないのだけど、戦闘描写が薄い。バサラは戦わない設定なので、敵弾は避ける防ぐだけだし地味。基本的に、敵襲来→守備隊が壊滅→バサラ達が出てきて歌う→ガムリンが頑張る→もっと歌う→敵が逃げるのパターンでバンク処理が多いし、ファイター形態で戦うパイロットがほとんどいないのも残念。熱いドッグファイトが見たいのだ。
初代も当時のTVシリーズとしては驚きの楽曲数だったが、今作はバンドマンストーリーなのでフルアルバムが作れるくらい楽曲が生み出されている。バサラとミレーヌのツインボーカルなので、バサラの熱唱からミレーヌの透明感のあるバラードまでバラエティも豊か。特にミレーヌボーカルの曲が好き。
しかし楽曲は良いのだけど、演出が今ひとつのところがある。最終決戦など、バサラとミレーヌがそれぞれの持ち歌を歌う場合だ。それぞれ曲調が異なるのに交互で歌うので音の統一感が無くなっている。もっと DJ などのように統一感のあるミキシングをして欲しかった。
良かった。3DCG で作ったマクロスプラス。カーゴカルト的なストーリーは自然回帰にみせかけたマクロスだった。基本的にバルキリーに興奮するアニメだと思う。
果たしてサラは帰ってこれたのだろうか。後にシンの手記が出版されているのでシンは帰って来たのだろうが。特に三角無し。
3DCG になってダイナミックな絵作りができるようになったせいか、マクロスプラス並みのドッグファイトを見せてくれる。まだバルキリーが普及していない時代という理由からか、戦闘は基本的にファイター + ガウォーク形態でここぞ!というところでバトロイドに変形するのだが、そのメリハリが素晴らしい。
一番良かったのはフォッカーが初めてバトロイドに変形するシーン。ガキンガキンガキンとリアルタイムに変形するシーンは魂がふるえた。
マクロス7と歌ラッシュ比べると、サラの歌と鳥の人の歌程度なのであまり印象にない。むしろフロンティアでのランカのアイモの方が印象に残っている。
最高(2回目)。超時空要塞マクロスからマクロスゼロまでのまさに集大成。初代から久しく無かった、ゼントラーディー部隊の再登場、ミンメイアタック、マクロスアタック(旧名ダイダロスアタック)、娘娘、ミスマクロスなどなどものすごい初代リスペクト。加えて オズマが Firebomber のファンとか、マクロスゼロを劇中ドラマとして登場させるなど、過去のマクロスの引用や展開がさりげなく大量にありまさにマクロス集大成。
また SF 面も、ヴァジュラの生態やフォールド波など骨太設定がしっかりとしていて良かった。
SF 好きで、戦闘機好きで、ロマンス好きで、歌好きオタクは皆撃ち抜かれるのではないだろうか。
少しこれまでの三角関係を総括する。初代の三角関係のよくないところは、早瀬少佐よりもミンメイが強すぎるところにある。歌う姿がインパクトありすぎるのだ。逆にマクロス7はバサラは何もしないしガムリンはパッとしないので、盛り上がりに欠ける。
上記の悪かったところを念頭に置いた上に本作を見ると、ヒロインのシェリルとランカは両方ともトップアイドル(ベテランと新人)なのでその問題はない。どちらが好みかだけである(増田はシェリルに幸せになってほしい)。よってシリーズ中一番三角関係がくっきりしているし、どちらもタイプの異なるヒロインで初代のように片方が強すぎるというのはない(と思う)。
逆によくなかったところは三角関係に決着がつかないところ。アルトくんはっきりせいや!少女漫画風に見れば王子様のアルトをスターダムを駆け上がるランカ(主人公ポジ)が射止める流れだが、シェリルもそれはかわいそうな背景を背負っているので簡単には決着をつけられなかったのではないかと思う。なお個人的には、兄が二人もいて、友達(一部友人以上の愛を向けられる)もたくさんいるランカと、天涯孤独で唯一信頼していたマネージャーに裏切られ命に関わる病気を負いアルバムが投げ売りされるくらい人気がガタ落ちしたうえ、アルトと恋人になったと思いきや無意識に恋人としてのロールを演じられていただけという仕打ちを受けたシェリルでは差がありすぎるので、ランカはシェリルにアルトくんを譲ってあげてよと思う。
正直なところ少し不満がある。特に戦闘機の花である地上でのドッグファイトがほぼ無かったところが残念。
ただ、マクロスプラス以後の作品では、YF-19 以降のバルキリーの何をアップグレードするのか難しかったのだと思う。思うに現代で知られている戦闘技術はほぼプラスで描かれているので、プラス以上の何かを新たに作り出すのはそれこそ革新が必要だろう。実際マクロスゼロは時代設定を初代より前に置くことでこの問題を避けている。
それにプラスで、ゴースト X9 というシリーズ最強の敵を作ってしまい有人戦闘の可能性にリミットを設けてしまったこともある意味よく無かったのかもしれない。どれだけ高性能なバルキリーを出そうにも、それにゴーストの AI を組み込めばお手軽に最強になる。人の反射神経や視界などのセンシング能力が機械に勝つことはないのだ。
あとバルキリーでは無いけど、ケーニッヒ・モンスターがめちゃくちゃ渋い。重爆撃機のようなフォルムから恐竜みたいなデストロイド全て重量感があって良い。動きも武骨なデザイン通りの重い動きをして、背中の砲台から反応弾をドッカと撃ち出す。かっこうよすぎる。
女性ボーカル好きとして最高だった。12話の星間飛行ライブと15話のデュエット、そして最終話は4回は見直したぞ!
好きな曲がありすぎて書ききれないのだけど、12話は伝説だった。12話はそれ自体が星間飛行の PV と言っていよいだろう。あと What 'bout my star は印象に残るシーンが多かった。ランカの路上ライブバージョンではアカペラから入って、ギター、ドラムと段々と音色が増して行く構成が見事だし、15話の What 'bout my star のヒロインズによるデュエットはとにかく破壊力が高すぎる。途中で終わってしまうのが残念でならない。それから外せないのは最終話のメドレーだろう。最終話はシェリルとランカのリレーとデュエットなのだが、二人が歌い始めた時点で勝ち確定で、実質的にも最終話は冒頭からエンディングだった。特にこの最終話で印象に残ったのは、オープニング曲であるライオンを二人で歌うシーンと、シェリルが短いフレーズだけ歌う私の彼はパイロット。前者は演出の定番だが歌詞の内容もありやっぱり盛り上がるし、後者は歌の繋ぎとしての採用だがまさかシェリルが歌うとは思っていなかったのですごく上がった。
マクロス7のところで苦言を呈した音楽のミックスについてだが、この最終決戦は完璧だった。全体のテンポを崩すことなくシェリルとランカのそれぞれの持ち歌とそのほかの歌たちが見事にメドレーとして再構成されていた(まあその完成度のせいで冒頭からエンディング状態だったのだけど)。
個人的に声優に興味が無いため個人名をほとんど覚えていない中で、中島愛さんはランカの歌声の人として覚えた(ちなみにもう一人は皆口裕子さん。この人の声は耳に優しいのに耳を捉えて話さない魔性がある)。声優としてはすごくうまいとは思わないが、歌声が満点すぎる。とにかく歌が上手い。声質も綺麗なんだが、伸びのある声と聞き取りやすい音域でうっとりする。
某日某動画配信サイトでマクロスデルタ映画公開記念としてマクロスシリーズ作品(超時空要塞マクロス、マクロスII、マクロスプラス、マクロス7、マクロスゼロ、マクロスフロンティア)が公開されていた。
マクロスをちゃんと見たことがなかったのでマクロスII以外全部見たところ、めちゃくちゃ面白かったのでネタバレ全開で感想を書く。
なお、IIを見なかった理由は特にない(ビジュアルに惹かれなかったからだっけな?)
さすがに80年代のSF作品なので、今から見ると古臭いだろうなと覚悟していたのだが、正直なところストーリーは一番面白かったかもしれない。
外宇宙より流れ着いた高度テクノロジーを回収し、マクロスとして改修したところ、機関が暴走して地球から冥王星までワープしてしまう。 しかも開発拠点となっていた土地も、街ごとすべてマクロスと共に移動してしまう。 そして、孤立無援のなか民間人を抱えたマクロスは、絶望的な戦力差のゼントラーディー軍と対峙することになる。
民間人の街を含む生活圏ごと宇宙空間に放り出される、という SF 設定がまず素晴らしい。地球を遠く離れ、マクロスに依存して生きることになる市民と、市民を抱え込みながら作戦を実行しなければならない統合軍という、対立を設定したことで生まれたドラマの重みが他の作品に無い魅力だった。マクロス艦内に街を作る流れとか、マクロスが主砲発射のため変形すると道が割れ家が崩壊し市民に甚大な被害が出るというジレンマが、作品がただのヒーロー物となるのを防いでおり実に良い。最初の数話はずっと、マクロス艦内の(一条とミンメイの)サバイバル生活や、統合軍の武力を軽蔑する一条の話であり、マクロスという作品は戦闘が全てではないということを描いているし、ロボットアニメなのに一条が統合軍に参加するまでにも紆余曲折あって一筋縄ではいかないという序盤の展開の遅さも、今から見れば一条の若者らしさが強調されているように感じる。
また、ゼントラーディー軍とプロトカルチャーという一つの設定から、圧倒的戦力差があるのにゼントラーディー軍がマクロスを殲滅しない理由、逆にマクロスが基幹艦隊に対抗できる理由が自然に説明されている。プロトカルチャーとは何か、なぜ敵は様子見をしているのか、その謎が作品全体の軸となっていて、最後(27話)まで楽しく見れた。
個人的には早瀬少佐を陰ながら応援していたのだが、ミンメイが強すぎて三角形がほぼ直線に見えてしまうのが問題だと思う。早瀬少佐ほとんど最後まで片思いじゃないか。
まあ一条は三角関係にピリオドを打ったのでよしとしたい。しかし、主人公の一条光は本当に等身大の若者として描かれている。いい雰囲気だったミンメイには袖にされるし、それまでの経験からエースパイロットとなるけど、あっさりマックスに絶対エースの座を奪われるし、超人的なところがない。この等身大の恋愛が、作品にいい意味で青くささを与えているのだろう。
世界一カッコいい兵器である戦闘機が、さらにスタイリッシュなロボットにも変形するのだ!!!最高以外のなにものでもないではないか!!!!!!
...... ふう。
某小説家によると、自動車などと違って、飛行機というのはデザインがそのまま性能に直結するため、極限まで無駄が排除された存在であるらしい。飛行機の美しさ・カッコよさというのは機能美であると。つまり戦闘機であるバルキリーは必然レベルでカッコよく、その戦闘機が変形するバトロイドはカッコよくないはずがないのだ。
バルキリーの外見以外の話をすると、基本モードがファイターであることが徹底されているのがよかった。人型ロボットが高機動戦闘に不向きなことなんて自明なので、ヒットアンドウェアはファイター、飛翔体迎撃や地上行動はバトロイド、水平移動やランディングはガウォークという役割分担がはっきりしていたのもグッドポイント。
【懺悔】はじめはガウォーク形態を、ノーズに手足が付いていてなんか不恰好だと思っていました。全話見終わってようやくガウォークのカッコよさに気がつきました。いまではファイター >> ガウォーク > バトロイド の順で好きです。不当にガウォークを貶めてしまい申し訳ありませんでした。
正直、歌にこんなにバリエーションがあるとは思っていなかった。
しかしこのストック数があったおかげであの伝説の最終決戦(ミンメイアタック)が実現したのだと思うと、マクロスと歌は不可分なのだと実感する。
「私の彼はパイロット」と映画版だけど「愛・おぼえていますか」がマクロスを象徴する曲だと思う。
最高。ミュンを中心とした三角関係とむせかえるような戦闘機野郎臭にクラクラした。また電子歌姫、AIの暴走、有人戦闘機は無人戦闘機に勝てない、などの描写は未来予測として見事だった。
冒頭の強烈なドッグファイト、ステルス機 YF-21 のお目見え、YF-19 の超マニューバと1話から戦闘機づくし(後退翼!!)!さらに地面効果やチャフグレネードといったマニア向けの細かい描写まできっちり!トドメとばかりにミサイル増しまし、サーカス全開!ファンタスティック!!!最高の戦闘機アニメだった!!!
初代の青々しい恋愛とは異なり、皆が古傷を抱えたちょっとスパイシーな恋愛だった。はじめからガルドの負けは決まっていたけどな。
シャロンのトランスするような曲(BGM)は、未来の音楽という感じで演出も含めて作品を唯一無二のものとしている。それに対してミュンの素朴な歌声が要所で差し込まれることで、全体としてメリハリがついて音楽性の幅を獲得している。つまりは菅野よう子さんすごい。
歌(というかバンド)に振ったストーリーなので戦闘描写が薄い(マクロスプラスの後に見たせい?)。バンドマンサクセスストーリー -- 熱気バサラ伝記 -- といった感じ。
サウンドパワーが出てからかなりファンタジー方面になっていくところは SF を期待していた身としては少しがっかり。面倒くさい SF 勢としては、違う次元から来たのにプロトデビルンが人間くさすぎるところがもにょる。とあるプロトデビルが「破壊美〜」とか美学を叫ぶけど、美学なんてもっとも文化に隷属しているものだろう。
ただ、移民船やマクロス艦(バトル7)の設定は、フロンティアへ繋がるマクロス世界を広げた良い設定だった。
バサラ --- ミレーヌ --- ガムリン のトライアングルだけど、バサラは何考えているのかわからないし、ミレーヌはお子ちゃまだし、ガムリンは奥手で死ぬ死ぬ詐欺だしあまり恋愛要素は無かった。というかあのよく叫ぶシビルはなんだったん? バサラのエゴ?
主人公が非戦闘員だから仕方がないのだけど、戦闘描写が薄い。バサラは戦わない設定なので、敵弾は避ける防ぐだけだし地味。基本的に、敵襲来→守備隊が壊滅→バサラ達が出てきて歌う→ガムリンが頑張る→もっと歌う→敵が逃げるのパターンでバンク処理が多いし、ファイター形態で戦うパイロットがほとんどいないのも残念。熱いドッグファイトが見たいのだ。
初代も当時のTVシリーズとしては驚きの楽曲数だったが、今作はバンドマンストーリーなのでフルアルバムが作れるくらい楽曲が生み出されている。バサラとミレーヌのツインボーカルなので、バサラの熱唱からミレーヌの透明感のあるバラードまでバラエティも豊か。特にミレーヌボーカルの曲が好き。
しかし楽曲は良いのだけど、演出が今ひとつのところがある。最終決戦など、バサラとミレーヌがそれぞれの持ち歌を歌う場合だ。それぞれ曲調が異なるのに交互で歌うので音の統一感が無くなっている。もっと DJ などのように統一感のあるミキシングをして欲しかった。
良かった。3DCG で作ったマクロスプラス。カーゴカルト的なストーリーは自然回帰にみせかけたマクロスだった。基本的にバルキリーに興奮するアニメだと思う。
果たしてサラは帰ってこれたのだろうか。後にシンの手記が出版されているのでシンは帰って来たのだろうが。特に三角無し。
3DCG になってダイナミックな絵作りができるようになったせいか、マクロスプラス並みのドッグファイトを見せてくれる。まだバルキリーが普及していない時代という理由からか、戦闘は基本的にファイター + ガウォーク形態でここぞ!というところでバトロイドに変形するのだが、そのメリハリが素晴らしい。
一番良かったのはフォッカーが初めてバトロイドに変形するシーン。ガキンガキンガキンとリアルタイムに変形するシーンは魂がふるえた。
マクロス7と歌ラッシュ比べると、サラの歌と鳥の人の歌程度なのであまり印象にない。むしろフロンティアでのランカのアイモの方が印象に残っている。
最高(2回目)。超時空要塞マクロスからマクロスゼロまでのまさに集大成。初代から久しく無かった、ゼントラーディー部隊の再登場、ミンメイアタック、マクロスアタック(旧名ダイダロスアタック)、娘娘、ミスマクロスなどなどものすごい初代リスペクト。加えて オズマが Firebomber のファンとか、マクロスゼロを劇中ドラマとして登場させるなど、過去のマクロスの引用や展開がさりげなく大量にありまさにマクロス集大成。
また SF 面も、ヴァジュラの生態やフォールド波など骨太設定がしっかりとしていて良かった。
SF 好きで、戦闘機好きで、ロマンス好きで、歌好きオタクは皆撃ち抜かれるのではないだろうか。
少しこれまでの三角関係を総括する。初代の三角関係のよくないところは、早瀬少佐よりもミンメイが強すぎるところにある。歌う姿がインパクトありすぎるのだ。逆にマクロス7はバサラは何もしないしガムリンはパッとしないので、盛り上がりに欠ける。
上記の悪かったところを念頭に置いた上に本作を見ると、ヒロインのシェリルとランカは両方ともトップアイドル(ベテランと新人)なのでその問題はない。どちらが好みかだけである(増田はシェリルに幸せになってほしい)。よってシリーズ中一番三角関係がくっきりしているし、どちらもタイプの異なるヒロインで初代のように片方が強すぎるというのはない(と思う)。
逆によくなかったところは三角関係に決着がつかないところ。アルトくんはっきりせいや!少女漫画風に見れば王子様のアルトをスターダムを駆け上がるランカ(主人公ポジ)が射止める流れだが、シェリルもそれはかわいそうな背景を背負っているので簡単には決着をつけられなかったのではないかと思う。なお個人的には、兄が二人もいて、友達(一部友人以上の愛を向けられる)もたくさんいるランカと、天涯孤独で唯一信頼していたマネージャーに裏切られ命に関わる病気を負いアルバムが投げ売りされるくらい人気がガタ落ちしたうえ、アルトと恋人になったと思いきや無意識に恋人としてのロールを演じられていただけという仕打ちを受けたシェリルでは差がありすぎるので、ランカはシェリルにアルトくんを譲ってあげてよと思う。
正直なところ少し不満がある。特に戦闘機の花である地上でのドッグファイトがほぼ無かったところが残念。
ただ、マクロスプラス以後の作品では、YF-19 以降のバルキリーの何をアップグレードするのか難しかったのだと思う。思うに現代で知られている戦闘技術はほぼプラスで描かれているので、プラス以上の何かを新たに作り出すのはそれこそ革新が必要だろう。実際マクロスゼロは時代設定を初代より前に置くことでこの問題を避けている。
それにプラスで、ゴースト X9 というシリーズ最強の敵を作ってしまい有人戦闘の可能性にリミットを設けてしまったこともある意味よく無かったのかもしれない。どれだけ高性能なバルキリーを出そうにも、それにゴーストの AI を組み込めばお手軽に最強になる。人の反射神経や視界などのセンシング能力が機械に勝つことはないのだ。
あとバルキリーでは無いけど、ケーニッヒ・モンスターがめちゃくちゃ渋い。重爆撃機のようなフォルムから恐竜みたいなデストロイド全て重量感があって良い。動きも武骨なデザイン通りの重い動きをして、背中の砲台から反応弾をドッカと撃ち出す。かっこうよすぎる。
女性ボーカル好きとして最高だった。12話の星間飛行ライブと15話のデュエット、そして最終話は4回は見直したぞ!
好きな曲がありすぎて書ききれないのだけど、12話は伝説だった。12話はそれ自体が星間飛行の PV と言っていよいだろう。あと What 'bout my star は印象に残るシーンが多かった。ランカの路上ライブバージョンではアカペラから入って、ギター、ドラムと段々と音色が増して行く構成が見事だし、15話の What 'bout my star のヒロインズによるデュエットはとにかく破壊力が高すぎる。途中で終わってしまうのが残念でならない。それから外せないのは最終話のメドレーだろう。最終話はシェリルとランカのリレーとデュエットなのだが、二人が歌い始めた時点で勝ち確定で、実質的にも最終話は冒頭からエンディングだった。特にこの最終話で印象に残ったのは、オープニング曲であるライオンを二人で歌うシーンと、シェリルが短いフレーズだけ歌う私の彼はパイロット。前者は演出の定番だが歌詞の内容もありやっぱり盛り上がるし、後者は歌の繋ぎとしての採用だがまさかシェリルが歌うとは思っていなかったのですごく上がった。
マクロス7のところで苦言を呈した音楽のミックスについてだが、この最終決戦は完璧だった。全体のテンポを崩すことなくシェリルとランカのそれぞれの持ち歌とそのほかの歌たちが見事にメドレーとして再構成されていた(まあその完成度のせいで冒頭からエンディング状態だったのだけど)。
個人的に声優に興味が無いため個人名をほとんど覚えていない中で、中島愛さんはランカの歌声の人として覚えた(ちなみにもう一人は皆口裕子さん。この人の声は耳に優しいのに耳を捉えて話さない魔性がある)。声優としてはすごくうまいとは思わないが、歌声が満点すぎる。とにかく歌が上手い。声質も綺麗なんだが、伸びのある声と聞き取りやすい音域でうっとりする。
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というわけで、マクロスシリーズめちゃくちゃ面白かったのでおすすめ。初めて見るなら、超時空要塞マクロスの Permalink | 記事への反応(0) | 00:32
某日某動画配信サイトでマクロスデルタ映画公開記念としてマクロスシリーズ作品(超時空要塞マクロス、マクロスII、マクロスプラス、マクロス7、マクロスゼロ、マクロスフロンティア)が公開されていた。
マクロスをちゃんと見たことがなかったのでマクロスII以外全部見たところ、めちゃくちゃ面白かったのでネタバレ全開で感想を書く。
なお、IIを見なかった理由は特にない(ビジュアルに惹かれなかったからだっけな?)
さすがに80年代のSF作品なので、今から見ると古臭いだろうなと覚悟していたのだが、正直なところストーリーは一番面白かったかもしれない。
外宇宙より流れ着いた高度テクノロジーを回収し、マクロスとして改修したところ、機関が暴走して地球から冥王星までワープしてしまう。 しかも開発拠点となっていた土地も、街ごとすべてマクロスと共に移動してしまう。 そして、孤立無援のなか民間人を抱えたマクロスは、絶望的な戦力差のゼントラーディー軍と対峙することになる。
民間人の街を含む生活圏ごと宇宙空間に放り出される、という SF 設定がまず素晴らしい。地球を遠く離れ、マクロスに依存して生きることになる市民と、市民を抱え込みながら作戦を実行しなければならない統合軍という、対立を設定したことで生まれたドラマの重みが他の作品に無い魅力だった。マクロス艦内に街を作る流れとか、マクロスが主砲発射のため変形すると道が割れ家が崩壊し市民に甚大な被害が出るというジレンマが、作品がただのヒーロー物となるのを防いでおり実に良い。最初の数話はずっと、マクロス艦内の(一条とミンメイの)サバイバル生活や、統合軍の武力を軽蔑する一条の話であり、マクロスという作品は戦闘が全てではないということを描いているし、ロボットアニメなのに一条が統合軍に参加するまでにも紆余曲折あって一筋縄ではいかないという序盤の展開の遅さも、今から見れば一条の若者らしさが強調されているように感じる。
また、ゼントラーディー軍とプロトカルチャーという一つの設定から、圧倒的戦力差があるのにゼントラーディー軍がマクロスを殲滅しない理由、逆にマクロスが基幹艦隊に対抗できる理由が自然に説明されている。プロトカルチャーとは何か、なぜ敵は様子見をしているのか、その謎が作品全体の軸となっていて、最後(27話)まで楽しく見れた。
個人的には早瀬少佐を陰ながら応援していたのだが、ミンメイが強すぎて三角形がほぼ直線に見えてしまうのが問題だと思う。早瀬少佐ほとんど最後まで片思いじゃないか。
まあ一条は三角関係にピリオドを打ったのでよしとしたい。しかし、主人公の一条光は本当に等身大の若者として描かれている。いい雰囲気だったミンメイには袖にされるし、それまでの経験からエースパイロットとなるけど、あっさりマックスに絶対エースの座を奪われるし、超人的なところがない。この等身大の恋愛が、作品にいい意味で青くささを与えているのだろう。
世界一カッコいい兵器である戦闘機が、さらにスタイリッシュなロボットにも変形するのだ!!!最高以外のなにものでもないではないか!!!!!!
...... ふう。
某物書きによると、自動車などと違って、飛行機というのはデザインがそのまま性能に直結するため、極限まで無駄が排除された存在であるらしい。飛行機の美しさ・カッコよさというのは機能美であると。つまり戦闘機であるバルキリーは必然レベルでカッコよく、その戦闘機が変形するバトロイドはカッコよくないはずがないのだ。
バルキリーの外見以外の話をすると、基本モードがファイターであることが徹底されているのがよかった。人型ロボットが高機動戦闘に不向きなことなんて自明なので、ヒットアンドウェアはファイター、飛翔体迎撃や地上行動はバトロイド、水平移動やランディングはガウォークという役割分担がはっきりしていたのもグッドポイント。
【懺悔】はじめはガウォーク形態を、ノーズに手足が付いていてなんか不恰好だと思っていました。全話見終わってようやくガウォークのカッコよさに気がつきました。いまではファイター >> ガウォーク > バトロイド の順で好きです。不当にガウォークを貶めてしまい申し訳ありませんでした。
正直、歌にこんなにバリエーションがあるとは思っていなかった。
しかしこのストック数があったおかげであの伝説の最終決戦(ミンメイアタック)が実現したのだと思うと、マクロスと歌は不可分なのだと実感する。
「私の彼はパイロット」と映画版だけど「愛・おぼえていますか」がマクロスを象徴する曲だと思う。
最高。ミュンを中心とした三角関係とむせかえるような戦闘機野郎臭にクラクラした。また電子歌姫、AIの暴走、有人戦闘機は無人戦闘機に勝てない、などの描写は未来予測として見事だった。
冒頭の強烈なドッグファイト、ステルス機 YF-21 のお目見え、YF-19 の超マニューバと1話から戦闘機づくし(後退翼!!)!さらに地面効果やチャフグレネードといったマニア向けの細かい描写まできっちり!トドメとばかりにミサイル増しまし、サーカス全開!ファンタスティック!!!最高の戦闘機アニメだった!!!
初代の青々しい恋愛とは異なり、皆が古傷を抱えたちょっとスパイシーな恋愛だった。はじめからガルドの負けは決まっていたけどな。
シャロンのトランスするような曲(BGM)は、未来の音楽という感じで演出も含めて作品を唯一無二のものとしている。それに対してミュンの素朴な歌声が要所で差し込まれることで、全体としてメリハリがついて音楽性の幅を獲得している。つまりは菅野よう子さんすごい。
歌(というかバンド)に振ったストーリーなので戦闘描写が薄い(マクロスプラスの後に見たせい?)。バンドマンサクセスストーリー -- 熱気バサラ伝記 -- といった感じ。
サウンドパワーが出てからかなりファンタジー方面になっていくところは SF を期待していた身としては少しがっかり。面倒くさい SF 勢としては、違う次元から来たのにプロトデビルンが人間くさすぎるところがもにょる。とあるプロトデビルが「破壊美〜」とか美学を叫ぶけど、美学なんてもっとも文化に隷属しているものだろう。
ただ、移民船やマクロス艦(バトル7)の設定は、フロンティアへ繋がるマクロス世界を広げた良い設定だった。
バサラ --- ミレーヌ --- ガムリン のトライアングルだけど、バサラは何考えているのかわからないし、ミレーヌはお子ちゃまだし、ガムリンは奥手で死ぬ死ぬ詐欺だしあまり恋愛要素は無かった。というかあのよく叫ぶシビルはなんだったん? バサラのエゴ?
主人公が非戦闘員だから仕方がないのだけど、戦闘描写が薄い。バサラは戦わない設定なので、敵弾は避ける防ぐだけだし地味。基本的に、敵襲来→守備隊が壊滅→バサラ達が出てきて歌う→ガムリンが頑張る→もっと歌う→敵が逃げるのパターンでバンク処理が多いし、ファイター形態で戦うパイロットがほとんどいないのも残念。熱いドッグファイトが見たいのだ。
初代も当時のTVシリーズとしては驚きの楽曲数だったが、今作はバンドマンストーリーなのでフルアルバムが作れるくらい楽曲が生み出されている。バサラとミレーヌのツインボーカルなので、バサラの熱唱からミレーヌの透明感のあるバラードまでバラエティも豊か。特にミレーヌボーカルの曲が好き。
しかし楽曲は良いのだけど、演出が今ひとつのところがある。最終決戦など、バサラとミレーヌがそれぞれの持ち歌を歌う場合だ。それぞれ曲調が異なるのに交互で歌うので音の統一感が無くなっている。もっと DJ などのように統一感のあるミキシングをして欲しかった。
良かった。3DCG で作ったマクロスプラス。カーゴカルト的なストーリーは自然回帰にみせかけたマクロスだった。基本的にバルキリーに興奮するアニメだと思う。
果たしてサラは帰ってこれたのだろうか。後にシンの手記が出版されているのでシンは帰って来たのだろうが。特に三角無し。
3DCG になってダイナミックな絵作りができるようになったせいか、マクロスプラス並みのドッグファイトを見せてくれる。まだバルキリーが普及していない時代という理由からか、戦闘は基本的にファイター + ガウォーク形態でここぞ!というところでバトロイドに変形するのだが、そのメリハリが素晴らしい。
一番良かったのはフォッカーが初めてバトロイドに変形するシーン。ガキンガキンガキンとリアルタイムに変形するシーンは魂がふるえた。
マクロス7と歌ラッシュ比べると、サラの歌と鳥の人の歌程度なのであまり印象にない。むしろフロンティアでのランカのアイモの方が印象に残っている。
最高(2回目)。超時空要塞マクロスからマクロスゼロまでのまさに集大成。初代から久しく無かった、ゼントラーディー部隊の再登場、ミンメイアタック、マクロスアタック(旧名ダイダロスアタック)、娘娘、ミスマクロスなどなどものすごい初代リスペクト。加えて オズマが Firebomber のファンとか、マクロスゼロを劇中ドラマとして登場させるなど、過去のマクロスの引用や展開がさりげなく大量にありまさにマクロス集大成。
また SF 面も、ヴァジュラの生態やフォールド波など骨太設定がしっかりとしていて良かった。
SF 好きで、戦闘機好きで、ロマンス好きで、歌好きオタクは皆撃ち抜かれるのではないだろうか。
少しこれまでの三角関係を総括する。初代の三角関係のよくないところは、早瀬少佐よりもミンメイが強すぎるところにある。これは早瀬少佐が堅い軍人でミンメイがアイドル歌手だということにあると思う。歌う姿がインパクトありすぎるのだ。逆にマクロス7はバサラは何もしないしガムリンはパッとしないので、盛り上がりに欠ける。
上記の悪かったところを念頭に置いた上に本作を見ると、ヒロインのシェリルとランカは両方ともトップアイドル(ベテランと新人)なのでその問題はない。どちらが好みかだけである(増田はシェリルに幸せになってほしい)。よってシリーズ中一番三角関係がくっきりしているし、どちらもタイプの異なるヒロインで初代のように片方が強すぎるというのはない(と思う)。
逆によくなかったところは三角関係に決着がつかないところ。アルトくんはっきりせいや!少女漫画風に見れば王子様のアルトをスターダムを駆け上がるランカ(主人公ポジ)が射止める流れだが、シェリルもそれはかわいそうな背景を背負っているので簡単には決着をつけられなかったのではないかと思う。なお個人的には、兄が二人もいて、友達(一部友人以上の愛を向けられる)もたくさんいるランカと、天涯孤独で唯一信頼していたマネージャーに裏切られ命に関わる病気を負いアルバムが投げ売りされるくらい人気がガタ落ちしたうえ、アルトと恋人になったと思いきや無意識に恋人としてのロールを演じられていただけという仕打ちを受けたシェリルでは差がありすぎるので、ランカはシェリルにアルトくんを譲ってあげてよと思う。
正直なところ少し不満がある。特に戦闘機の花である地上でのドッグファイトがほぼ無かったところが残念。
ただ、マクロスプラス以後の作品では、YF-19 以降のバルキリーの何をアップグレードするのか難しかったのだと思う。思うに現代で知られている戦闘技術はほぼプラスで描かれているので、プラス以上の何かを新たに作り出すのはそれこそ革新が必要だろう。実際マクロスゼロは時代設定を初代より前に置くことでこの問題を避けている。
それにプラスで、ゴースト X9 というシリーズ最強の敵を作ってしまい有人戦闘の可能性にリミットを設けてしまったこともある意味よく無かったのかもしれない。どれだけ高性能なバルキリーを出そうにも、それにゴーストの AI を組み込めばお手軽に最強になる。人の反射神経や視界などのセンシング能力が機械に勝つことはないのだ。
フロンティアでは、ゴーストを軍事的に封印し、バルキリーのバリエーションをブースターパックにより広げた。これは良い選択だと思う(スナイプについては思うところもあるが)。
あとバルキリーでは無いけど、ケーニッヒ・モンスターがめちゃくちゃ渋い。重爆撃機のようなフォルムから恐竜みたいなデストロイド全て重量感があって良い。動きも武骨なデザイン通りの重い動きをして、背中の砲台から反応弾をドッカと撃ち出す。かっこうよすぎる。
女性ボーカル好きとして最高だった。12話の星間飛行ライブと15話のデュエット、そして最終話は4回は見直したぞ!
好きな曲がありすぎて書ききれないのだけど、12話は伝説だった。12話はそれ自体が星間飛行の PV と言っていよいだろう。あと What 'bout my star は印象に残るシーンが多かった。ランカの路上ライブバージョンではアカペラから入って、ギター、ドラムと段々と音色が増して行く構成が見事だし、15話の What 'bout my star のヒロインズによるデュエットはとにかく破壊力が高すぎる。途中で終わってしまうのが残念でならない。それから外せないのは最終話のメドレーだろう。最終話はシェリルとランカのリレーとデュエットなのだが、二人が歌い始めた時点で勝ち確定で、実質的にも最終話は冒頭からエンディングだった。特にこの最終話で印象に残ったのは、オープニング曲であるライオンを二人で歌うシーンと、シェリルが短いフレーズだけ歌う私の彼はパイロット。前者は演出の定番だが歌詞の内容もありやっぱり盛り上がるし、後者は歌の繋ぎとしての採用だがまさかシェリルが歌うとは思っていなかったのですごく上がった。
マクロス7のところで苦言を呈した音楽のミックスについてだが、この最終決戦は完璧だった。全体のテンポを崩すことなくシェリルとランカのそれぞれの持ち歌とそのほかの歌たちが見事にメドレーとして再構成されていた(まあその完成度のせいで冒頭からエンディング状態だったのだけど)。
個人的に声優に興味が無いため個人名をほとんど覚えていない中で、中島愛さんはランカの歌声の人として覚えた(ちなみにもう一人は皆口裕子さん。この人の声は耳に優しいのに耳を捉えて話さない魔性がある)
毎年ろくに内容もみていないし、なんなら見たい番組が潰れるので裏番組(というと語弊すごい)を見ることが多い。
正直言うとこの番組は嫌いだ。
24時間もスタッフを稼働させ、現場が常に動いているライブ番組だからか、出演者の態度や放送ミス、ロケーション取りに必死になりすぎて周囲の生活を妨害するなど、諸々行動に隙がありすぎる。
毎年毎年、ネットで炎上レベルで拡散されるのにニュースには美点だけ出てくるあたり、気持ち悪いを通り越してもはや怖い。
(問題の場面は全く見ておらずSNSで流れてきただけの知識しかないが、今年の放送事故についてはいくつか大々的に言及されるべきことがあると思う)
身体的、社会的弱者を晒し者にし、「頑張っている」と謎の応援とやらをするのも意味不明過ぎてもはやギャグでしかない。
そんなことするくらいなら1時間でもいいからその枠でアドベンチャーワールドのパンダに密着した特集を組んでくれたほうがわたしは嬉しい。パンダはかわいい。
ダウン症の女の子が踊ったり、聾者が楽器を演奏したり、なんの偏見もなくドキュメンタリーとして見れば称賛できる内容かもしれないが、この番組を通し健常者と一緒にしているところを見て楽しいとは思えないし、称賛できない。健常者であるタレントも、見る限り理解があるとは思えないのもわりと問題ではあると思うが。
これがエンターテイメントだというのなら、昭和さながらに裸の女がでてくる下品なコメディ番組のほうが断然エンターテイメントである。
印象操作と視聴率のためとしか思えないジャニーズタレント、アイドルグループの起用も大人の事情がありありと見えて気分が悪い。
オタクなら崇拝対象が映れば見るし、ユーザーによっては、見かけだけでも崇拝対象が「良いこと」をしていたら誉めちぎり持ち上げるだろう。アイドルやジャニーズのオタクならほぼ間違いなく制作側の思惑に乗ってくれる。少なくとも番組を見て、感想を世間にばら蒔いてくれるはずだ。
視聴率確保とあわよくば好印象をばらまく一石二鳥、本当にずるい仕組みだと思う。それに負けないくらいに炎上しているのもすごいと思うが。
テレビに限らず、この手法はかなり昔から使われていると思うので、もやはこの点にについては、これ以上の批判をする気も起きない。
なぜ放送するのか、という疑問について「純粋に金になるから」以外の回答を見いだせない程度には、わたしはひねくれている。
明日から、この番組を振り返り美点を称えるニュースが一日中流れ続けるのだろう。この番組は既存の帯番組を潰してまで放送し、美点だと称えられるだけの価値ある番組なのか、批判される点のない完璧なエンターテイメント番組なのか。
こんにちは、初めまして。匿名なので初めましても何もないとお思いになるかもしれませんね。
初めましてと言ったところで確認のしようがないのだから、そんな挨拶は不要だと。
私は本当にこちらに書くのが初めてなので、こんな挨拶をしているけれど、もしかしたらそう装っているだけかもしれない。
この記事を読んでくださった方が、実は私の知り合いで匿名越しに知り合い同士でやり取りをしているのかもしれない。
匿名とはそういうものなのでしょうが、不思議ですね。匿名という考えが広がったのはインターネットができてからなのではなかろうか、なんてことを考えています。
前置きはそれぐらいにしておいて、ブログの開設が面倒臭い話をします。
ある日、私はブログを始めようと思いました。なぜなら文章を書くのが好きだから。某SNSに普段はいるのですが、少々使いにくさを感じていました。
ご覧の通りだらだらと文を書く、もとい垂れ流すのが好きな身としてあの場所は狭すぎました。
日記もつけてみたのですが、書いていくうちにそれは日記というよりも考えのメモのような雰囲気になってしまって続かなくなってしまった。
それに、少し恥ずかしいことではありますが何か反応が欲しくなったのです。いわゆる承認欲求というものでしょうか。ずっとなんとなく目を背けていた承認欲求に突き動かされる形で、私はブログサイトを探し始めました。
どのサイトにも作法があるようなことを目にしてしまい私は一気にやる気を失いました。(しかもたくさんありすぎて選ぶのも面倒臭い)
承認されるにはなんらかの集団に身を置かなければならないし、集団が集団である以上はなんらかのルールがあることでしょう。
ですが、ただ社会の中で生きていくだけでもいつの間にか複数の集団に身を置いているというのに、さらに所属する輪を増やすのは、その面倒くささは私の承認欲求を利口にさせるに足るものでした。
本当にいまさっき登録したので勝手がよくわからないのですが、これ、もしかして匿名といえどその人が書いた他の記事とか見えるのかな?
もしそうだったらさようなら。次にお会いする時にはまた新しいIDで、始めましてからスタートします。
自分の書いた記事が連なって評価されるのも素敵ですが、言っていることが矛盾しているなどと言われるのは嫌ですから。
私には前者に比べると後者のほうが勝るわけです。
別に主張に一貫性がなくてもいいかな、と思うのですがそうでないこともあるので。
一貫性のある人は素敵ですが、人間らしさというのは矛盾からも生じると思います。(人間らしさという言葉を使ったせいですごく面倒くさくなった。人間は皆、人間らしいでしょう。でもそれについては書きたいことがまとまっていないからこの辺で)
承認の裏側には否定があると思います。いやむしろ承認単体ではプラスでもマイナスでもないというかどちらもありえるようにすら思う。
私はプラスの承認のみが欲しくマイナスの承認が欲しくなかった。でもそんなことは不可能でしょう。
子供ではないのですから、そんな主張が通るわけがないことを知っている。(子供でも知っているかも。)私は矛盾しているのです。
そんなことを考えていると、自分の矛盾とその馬鹿馬鹿しさ加減に嫌気がさして何もしたくなくなってしまう。
そんなのうじうじ言ってんじゃねぇ!と奮い立つ元気さも失ってしまった。
元気がないと本当に何にもできないですね。
元気がないことを他人にいうのすらしたくない。おかしいなんて言われたくないですし、何しろ説明が難しいです。
まぁ、そんな感じで。いつか、また。
藤原は舞台のお芝居に適正がありすぎて、映像作品に出るとちょっと浮くんだよね。
舞台だと、生身で遠くの席の観客にも芝居を届けなきゃいけないので、やっぱり「普通」の所作、言葉と比べるとどうしても必要以上に大きくせざるを得ない。しょうがない。大きな舞台で、目線を動かすだけの芝居をしたって、最前列の観客にしかそれは伝わらないからね。顔ごと視線を向けるような動きになってしまう。
そんなわけで、日常生活を基準に考えたら大げさすぎる動きになるのさ。藤原は舞台中心にやってきた役者なんで、そっちの方向性で巧い。生身で勝負してきただけの迫力もあるし。
映像作品だと、カメラが近寄ってくれるんで、そんなに大きな芝居をしなくてもいい。逆に、舞台では映えないような小さな小さな芝居もクローズアップが可能。そういう違いはある。
男親から性的虐待受けたり母親からネグレクト気味に育てられた中学生の女の子
母親が海外にいっとき出張するからということで、母親の昔の恋人に預けられる
その元恋人は昔小説家だったけどとある事件で小説が書けなくなってた
それぞれ抱えてるものはあるけど、徐々にお互いを思いやるようになるのと同時に自分の問題とも向き合っていく
絵柄と設定からメルヘン丸出しのオジサマx女子中学生ものだと思ったらいい意味で予想を裏切られた
でもまあ1巻でちょうどいいくらい
これ以上gdgd続けてもしょうがないし
ただ1個だけ気になったのは元恋人のオッサンと同年代と思われるおっさんとの書き方の差がありすぎたこと
見た目おじいさんのキャラと、どうみても30そこそこにしか見えないおっさんが馴れ馴れしく話してるのはすんげー違和感あって最初意味不明だった
下手すりゃ親子レベルに見える書き方だったし
あと用務員になる部分は余計だったと思う
若手俳優厨をやめたいと何度も何度も繰り返し言ってきた私が、とうとう降りようとしている。
10代の頃は、推しぴのオタク(ハート)と名乗り、同じ公演に何回も入ることも、地方へ遠征することも凄いと言われ調子に乗っていた。
何故こんなに入るのかと聞かれたら板の上に立つ推しが好きだからと常に答えていた。
セリフが冒頭のシーンしかない時でも、総合的に出演するのが10分くらいでも、死ぬほどつまらない舞台でも、私の推しが一番上手いと思っていたし、回数を重ねるごとに本当に上手くなっていく姿を見るのが好きだったから何度も足を運んだ。
カテコで誰よりも深いお辞儀をして笑顔で去っていく推しを見る度に何十万もつぎ込んだ甲斐があったと思っていた。
でもいつしかそれが変わっていった。
ひょんなことから入待ち出待ちをするようになり、公演内容より入と出で彼に会うことのためにチケットを買っていた。
初めはよそよそしかったものの、名前も顔も覚えてくれて、容姿の変化に気付いて褒めてくれたこともあった。
公式では言えないことも沢山教えてくれたし、推しの愚痴だって聞いて一緒に悩んだりもした。
誘われて一緒に帰ったり、出待ちしなきゃ出来ないことが沢山ありすぎて、私は一生出待ちを辞めれないと思ったし、この人から降りれないとも思った。
今は良い面を書いてるから出待ちっていいんだと勘違いする子もいるだろうが、実際はこんなにキラキラした世界ではない。
出待ちした分公式での構い方が変わるし、向こうは絶対来てくれると思っているから、感謝の言葉は少なくなるし、言葉だって砕けてはくるというが、少し乱暴になる。
町の対応をしたくない時には、冷たい態度を取られるのでそこは空気を読んで話しかけないようにしなきゃいけないし、今日は話しかけられなかったとか、冷たかったとかもうそんなことで落ち込んでられなかった。
次第に出待ちのオタクが増えれば、新規の方が大事にされ、蔑ろにされる。
私にとっては高い貢物だって、彼からしたら底辺なものなのか反応は少なくなるし、ほかのオタクより高額なものをあげないといけないのかとプレッシャーにもなる。
気付けば社会人になり、平日公演に入れない事も増えた。私はいないのに他のオタクが待ってると聞けば心は不安になるし、会わない期間が長いと忘れられてるのではないかと心配にもなる。
可愛い子がいれば出待ちしてても公式で構ってもらえるのだと見せつけられ、その差を見て死ぬほどつらくなることもある。
抜け駆けした子がいい思いをし、今まで話した内容も自分だけに話してくれたわけじゃないんだと気付いてひどく落ち込んだ。
所謂ガチ恋とかリア子なのではないかと悩んだ時期もあったが、そういう時に限って彼女と歩いてるところを何度も目撃し、自分は俳優をしてる彼が好きなんだと思いながら彼を待ったこともあった。
彼を応援して9年待って7年。
いつしか結婚適齢期オタクになった私は1人取り残されていった。
周りは彼氏を作り結婚し子供を作り、そんな中私は貯金もせず、もう若手と呼べないアラサーの俳優に貢物を贈り何時間も彼を待ち10代の子たちと何かを張り合っている。
リアルには目を向けないで彼だけを見てきたから、何も思わなかったのに、あるイベントで私は夢から覚めてしまった。
最前にいた私を見て位置を確認した後、一切見向きもせずファンサもしなかった。
してもらえるだろうと思っていたからこそ何故という疑問が浮かびイベントも楽しめないまま終盤を迎えた。茶の間や町勢関係なく自分のオタクを探して手を振っていたのに、彼は私に見向きもせずステージから去っていった。
今まで出待ちしてるからファンサをもらえないと思っていたし、一年に数回程くれるファンサで十分だと思っていたのに、ここぞとばかり出待ちに対応していたのに私だけされなかった。
だから思った、
あ、なんだオキラだったのか、と。
いつの間にかファンだった私はオタクになり出待ちをするクズオタに成り下がり最期はオキラという地位にたどり着いた。
覚えてもらってカテコで見つけたよって言われただけで舞い上がったし、自分のファンだという認識のされ方に優越感を感じていた。
次第にファンが増え、対応が周りと変わらないことに気付き、それでも特別が欲しいと思い追っかけていたのに、自分の中いる彼と実際の彼とのズレが生じ、解釈違いを起こしていた。
無視される理由がわからなかったし、出待ちで聞く勇気もなかった。
ただ私の脳裏に焼き付いているのは見下すような視線を向けた彼の顔だけだった。
ファンサが無いことなど今に始まった事ではないが、オタクを辞めどきか続けるべきかと悩んでいた私にとっては夢から醒める良いきっかけになった。
今私が彼に対していくらお金を使っても、高額なプレゼントをしてもこの対応をされるんだろう。
残るのは、ただの紙切れであるチケットの半券や、大量の写真集、そしてブロマイドだ。
好きという気持ちを継続させたいのであれば、ちゃんとファンと俳優との距離を保ち、大勢いるファンの中で、自分だけ飛び抜けておいしい思いをしようと思わないことだ。
あーん!スト様が死んだ!
ストさまよいしょ本&ストさまF.Cつくろー!って思ってたのに…
くすん…美形薄命だ…
・゚・(ノД`)・゚・うっうっう…ひどいよお…ふえーん!!
この間「今、時代はストレイツォだ!」の葉書きを出してまだ2週間じゃないですか!
どーして、どーして!?あれで終わり!?嘘でしょ!?
信じられないよおっあんなJOJOごときに殺られるなんてっ!! ディオと差がありすぎるわっ!!生き還りますよね?ね?ね?
……泣いてやるぅ・゚・(ノД`)・゚・ 私はあのおそろしく鈍い彼が(たとえド田舎人でもさ!ヘン!)大好きだったんですよっ!!
ストさまあっ!死んじゃ嫌だああああああっ!!
P.S '88 1・2号は娘さんとくっつきすぎだ!!
anond:20180819023849みたいないつもの「みんなに気に入られるタイプのゲイ」が出てきたので
みんなに気に入られないタイプのゲイの俺も一言言っておきたい。
※ そういや日本はゲイにとって住みやすいみたいなことを言ってる人がいたな。それはあなたがまわりの人に恵まれてるんだよ。心底うらやましいよ。
「日本は住みやすいし俺の周りはいい理解者ばかりだし人生幸せ」って言って叩かれたゲイが居るけど、俺は彼が何でああいうこと(一部では叩かれるであろうこと)を言ったか痛いほどわかる。
叩いてるやつらは「無神経なんだ」とか「思慮が足りないんだ」とかいう認識で彼のことを叩いてただろ。
つまり「このゲイは叩いてる俺たちより馬鹿でゲイについて考えが足りないんだ」っていう前提でさ。
んなわけあるかよ、思い上がるのもいい加減にしろいっつもいっつも。
グジグジしないでオープンにして仕事も交友も頑張って同じようなタフな結婚相手も見つけて
派手な結婚式開いて自分の友達を大勢招待してみんなに祝ってもらえる、
(同性婚を前面に出してマスコミやお前らみたいなよいこぶりたいやつらに祝ってもらうんじゃなく)
そういう人生を歩んでるわけ。
自分の頑張ってきた人生に自信を持ってるから「日本は住みやすいよ」「頑張ったらちゃんとこんな人生送れてる」って言ったの。
仕事の話でもそうだけど
日本なんて当人が努力とコミュニケーションの両輪おろそかにしなければなんでも出来るじゃん。
日本で人生詰んでるのなんて努力かコミュニケーションのどっちかを相当おろそかにしたケースでしょ。
だからおろそかにせず生きてきた人は「日本はいい国だよ」って言うけど
そうでない人は文句ばっかり言って「日本は最低!」「ジャアアアアップ!」っていう弱者の振る舞いをする。
イケゲイの彼を叩いてたやつらが彼を指して「モデルマイノリティ!」とか言ってるのが噴飯したんだけど。
彼はお前らマジョリティ(ノンケだけどおろそかに生きてしょぼくれた弱者の人生を選択したやつら)にとって都合がいいか?w
都合悪いだろ。ゲイの癖に強者の論理で来るからむかついて叩いちゃっただけだろーが。
現代の「モデルマイノリティ」ってのは元増田みたいなやつのことだよ。
ゲイで、
人生つらそうで、
これこそがお前らにとっては最高に都合がいいんだよなw
お前らだよ。しょぼくれた人生歩んでて仕事も友達もパッとしてないノンケのみなさん。
父親や母親になれる可能性持ってる人はエライ!とか持ち上げてくれて
暗い顔をしてくれて抽象的な助けを求めてくれる。
仕事も交友もパッとしないノンケのみなさんがノンケであるだけで肯定されて優越感持たされて頼られて人の役にたってる気までしてくる(でも何も持ち出さなくていい)。
わかった。心に留めておく。
きっっっっも!
パッとしないではてなでグジグジやってるようなやつらが世間様に対して優位に立てるのってサベツの話とかそんなんばっかだもんな。
「雑な生き方で仕事も交友もパッとしないけど差別については一般人よりも知識があり意識が高い自分」ていうお前らにとって
「心に留めておく。」「忘れないよ」なんて言うだけで善人ぶれてさあ。別にそのあと何するわけでもないのにw
これが「休日つぶしてゲイパレードに参加してください」「活動費1万円を毎月寄付してください」だとちょっと困るよなあw
元増田ちゃんの何の負担も求めず哀れっぽくノンケ様に優越感と善人自認だけをあげる誘い方完璧だわw
こういう卑屈な振る舞いが身についたゲイだけにはなりたくないものよ。
俺は元増田と叩かれたゲイの中間ぐらい(親も周囲もゲイと知ってるしはてなの暗いやつらの大半よりは収入も友人も多い)だけど
ゲイが強者として振舞って社会を肯定しただけでああいう叩かれ方するのって
「ゲイのくせに」じゃないならなんだっつーの?
差別される側があまりにも弱かった時代のモデルマイノリティは「社会で成功した移民」だった。
マジョリティはみんな自分の人生に自信持ってたから、マジョリティはみんな「この社会はいい社会」って言いたがった。
けど現代日本のモデルマイノリティは「社会に馴染めない暗い顔のゲイ」なんだよ。
マジョリティでも自分の人生に自信持てない負け組が増えたから、マジョリティでありながら「この社会は駄目!」って言いたがってる。
負け犬マジョリティはちゃんと生きて人生や社会を肯定するゲイが邪魔で邪魔で
「ゲイの癖に強者人生を生きやがって!」っていう嫉妬を持つんだけど
それを「モデルマイノリティ!」「意識が低い!」って言い方に変えて因縁つけるわけ。
はーやだやだ。
以上、
元増田みたいな「気に入られるタイプのゲイ」が作る予定調和だけだとバランスが崩れるので
「気に入られないタイプのゲイ」である俺からマジレスしてみましたー。
ゲイはお前らしょぼいやつらの精神的オナホじゃないでちゅよ~。あばばばば~。
お前らの「心に留めておく。」がより良い社会の到来にどう貢献してるんだ笑わせんなw
ほんとに社会を良くしたいんならネットで善人ごっことリンチに使う時間でもっと生産的なことに打ち込んでるはずじゃねーか?
ブコメしてる人が強者だとは限らないのでは。性的マジョリティではあっても、貧困だったり病気だったり障害あったりして異なるフェーズで弱者であり、同じ弱者への共感がある。私は少なくともいつもそうだよ
「お前らはマジョリティであるにも関わらず弱者なので上から目線で同調しつつ善人ごっこまでできる娯楽ツールとしての弱者マイノリティ(元増田みたくウジウジした腰の低いゲイとか)を求めてるんだよね」
って話をしてるのに
「ブコメしてる人が強者とは限らないのでは。」ってどういう国語力だこの知的弱者が。
ゲイだというだけでお前らみたいな劣等に同調されたり見下されたりしなきゃならんってどんな罰ゲームよ。知能に差がありすぎるのに。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm33711254
この今日更新された茶番回(ゲームをしない寸劇をする形式のときこう呼ぶ)がすごかった
あーあ
だいたい、ゲーム部プロジェクトのこの二人は普段から距離感が怪しいんだよ……
まあでもさ
これがちゃんと演技というか、フィクションだから、まだ耐えられるんだよ
他の演技なのかどうなのかよくわからない、本物のVtuberの人たちが見せる圧は俺には耐えられないんだ
有名どころだと、委員長が相性診断のサイトで特定の人の名前を入力したとか、そういうのが俺にはもう圧がありすぎて耐えられないんだ
こちとら、声優の百合営業に、やまなこ時代から付き合ってるんだよ
だけども、無理なんだ
俺には生身の人間がする百合営業(BL営業)を、虚構としては楽しめないんだ……
いやそうじゃなくて
のめり込みすぎちゃう
距離感を正しく測れない
本当にこの人たちはお付き合いしてるんだ、本当にこの人たちは恋人同士なんだと思い込んでしまう
もっといえば
アニメで演じているキャラと、声優の区別すら実のところついていないのかもしれない
俺の中では、古谷徹は本当にサンドイッチが作るのが上手だし、池田秀一は鬼子なのだ(鬼子を未だに何かわかってないから、ふわっとした使い方をする典型的学ばないオタク的な文章)
もっともっといえば、絵日記漫画に描かれていることは事実だと思い込んでいるんだ
文芸部の伊藤くんは本当に文芸部で本当に猫で、猫だから犬と喧嘩したと思っているんだ(いやこれは事実だろ)(事実ではない)
俺の中では、庵野秀明と山賀博之は今も仲良しなんだ……(今も仲良しだよ!)(そうなの?)(多分……)(ググるといっぱいへんな情報が……)(うーむ)
高知県立大学の蔵書の整理の件、ブコメでいろいろ意見出ているが思うところを述べる。
ブックマークコメントの粗さがしをしたいわけじゃないので、論点となりそうなところを適当に項目立てて書いていきます。
そんなことはない。図書は刊行物なんだからどこからでも手に入る。
裏返しで、どこにもない一点モノの本や史料を捨てたらそりゃ問題だ。
刊行物の場合、一ヶ所の施設が捨てたとしても代替措置がいくらでもある。
記事には古そう、かつ郷土に関係する、かついかめしいタイトルがならんでいるが、これに騙されてはいけない。
刊行物か一点モノか。ここで判断すればいい(もちろん「○○氏文庫」とかを崩すのは問題があるけれども)。
むろんその境界はあいまいで、限定された刊行物なんてのもあるんだが。
これも一点モノor刊行物の機軸で考えてみよう。
他所にもある刊行物をあえて電子化する意義はどこまであるだろうか。
当然、コストの問題がある。膨大な資料をスキャンする。そしてそれを常に使えるようシステム保守していかなくてはならない。
記事には『国史大辞典』『日本国語大辞典』が燃やされたとある。
いやあ国史も日国も重要な辞書ですよ。でも、それ使ったことある人どれだけいますか? 手に取ったことある人どれだけいますか?
私は日本史学専攻だったのでアホほど使ったけれど、世の中のみんながこれを使っていたとは思えない。むしろみんな使ってたらすごい社会だと思うが。
他の本もそうだと思う。私は記事で上がっている書籍について、恥ずかしながら国史と日国以外、ほとんど手に取った事有りません。
本が一冊一冊貴重なのは重々みんな承知している。だけど、それをどの程度で使ったり読んだりしているのか。
そんな中で廃棄の判断がなされた。国史も日国も重複してるんだし、今は電子化の絡みで言えばジャパンナレッジあるし。
その通りで、未来に向けて予算が限られるなか建物を建て替え、未来に向けて増え続ける蔵書を合理的に整理していかなくてはならない。
一見すると蔵書の焼却は知の後退のようにみえるけれど、実際、今後数十年数百年存続していくための知的なチャレンジであるように思う。
高知県立大学の今回の措置で責められるべきは、焼却の前に頒布の機会を持つべきだったということ。
新聞記事にもあるが、大学図書館の蔵書を処分する際にはいくつか頒布の方法がある。
私の大学では、書庫の大改修の際に本が放出された。エクセルの表になっていて、希望者は随時図書館を訪れ、本を受取る。
また、しれっと近くの古くからある古書店に図書館のラベルが付いた本が並ぶことがあった。
事務処理的には、入札して適正に古書店に販売したのだろうと思う。
表を作ったりなんなりと事務作業量は増えるけれども、このあたりは本の処分の前に出来ることだったのではないかと思う。というかほかの大学ではやっている。
ただし、これはこれで問題になることがある。どうしても、一点モノに近い貴重書が混ざるのだ。
先輩から聞くところには、農学部が放出した書籍の中に著名な植物学者の記名のある本が含まれていたことがあると言う。
そういう「瑕疵」みたいなのを露見しないためには燃やしちゃえ! となるのかもしれない。いずれにせよダメだが。
高知新聞の書き方は、いらずらに問題を騒ぎ立て過ぎな印象を受ける。
貴重な書籍が失われた、というところに力点がありすぎる。述べてきたとおり、刊行物は貴重かというとそうでもない。失われた、といっても代替物はいくらでもある。
頒布の機会もなく燃やしたこと、図書館の蔵書管理、キャパシティに関する話題と絡めて語るのであったならばどれだけ良かったか。
本が燃やされた! 残念! という感情に訴えるところに力点があり、この辺りに記者の見識・力量の限界が見える。
刊行物はそれほど貴重ではないよ
使用頻度を考えた方がいいよ