はてなキーワード: 富士山測候所とは
トシヤーッス
本日は国際行方不明者デー、日本においては富士山測候所記念日、マッカーサー進駐記念日、冒険家の日、ハッピーサンシャインデー、矢沢の日となっております。
暑さがまだ続きますね、暑さがひどいと汗をかきますからね、タオルが必要になりますね。
タオルと言ったら、そう、矢沢さんですね。
矢沢さんが汗っかきでタオルをよく使うからと、そのタオルに矢沢さんのロゴが入っていたらカッコいいんじゃないかで始めたら今や矢沢さんのライブはタオル投げで有名になりました。
いろいろ端折って書くとこんな感じです。
やっぱり端折り過ぎはいけませんね。
いくらタオルが折り畳みやすいといっても、丁寧に使わないとすぐダメになりますからね。
訳がわかりませんね。
ということで本日は【タオルの携帯よいか】でいきたいと思います。
高知県立大学の蔵書の整理の件、ブコメでいろいろ意見出ているが思うところを述べる。
ブックマークコメントの粗さがしをしたいわけじゃないので、論点となりそうなところを適当に項目立てて書いていきます。
そんなことはない。図書は刊行物なんだからどこからでも手に入る。
裏返しで、どこにもない一点モノの本や史料を捨てたらそりゃ問題だ。
刊行物の場合、一ヶ所の施設が捨てたとしても代替措置がいくらでもある。
記事には古そう、かつ郷土に関係する、かついかめしいタイトルがならんでいるが、これに騙されてはいけない。
刊行物か一点モノか。ここで判断すればいい(もちろん「○○氏文庫」とかを崩すのは問題があるけれども)。
むろんその境界はあいまいで、限定された刊行物なんてのもあるんだが。
これも一点モノor刊行物の機軸で考えてみよう。
他所にもある刊行物をあえて電子化する意義はどこまであるだろうか。
当然、コストの問題がある。膨大な資料をスキャンする。そしてそれを常に使えるようシステム保守していかなくてはならない。
記事には『国史大辞典』『日本国語大辞典』が燃やされたとある。
いやあ国史も日国も重要な辞書ですよ。でも、それ使ったことある人どれだけいますか? 手に取ったことある人どれだけいますか?
私は日本史学専攻だったのでアホほど使ったけれど、世の中のみんながこれを使っていたとは思えない。むしろみんな使ってたらすごい社会だと思うが。
他の本もそうだと思う。私は記事で上がっている書籍について、恥ずかしながら国史と日国以外、ほとんど手に取った事有りません。
本が一冊一冊貴重なのは重々みんな承知している。だけど、それをどの程度で使ったり読んだりしているのか。
そんな中で廃棄の判断がなされた。国史も日国も重複してるんだし、今は電子化の絡みで言えばジャパンナレッジあるし。
その通りで、未来に向けて予算が限られるなか建物を建て替え、未来に向けて増え続ける蔵書を合理的に整理していかなくてはならない。
一見すると蔵書の焼却は知の後退のようにみえるけれど、実際、今後数十年数百年存続していくための知的なチャレンジであるように思う。
高知県立大学の今回の措置で責められるべきは、焼却の前に頒布の機会を持つべきだったということ。
新聞記事にもあるが、大学図書館の蔵書を処分する際にはいくつか頒布の方法がある。
私の大学では、書庫の大改修の際に本が放出された。エクセルの表になっていて、希望者は随時図書館を訪れ、本を受取る。
また、しれっと近くの古くからある古書店に図書館のラベルが付いた本が並ぶことがあった。
事務処理的には、入札して適正に古書店に販売したのだろうと思う。
表を作ったりなんなりと事務作業量は増えるけれども、このあたりは本の処分の前に出来ることだったのではないかと思う。というかほかの大学ではやっている。
ただし、これはこれで問題になることがある。どうしても、一点モノに近い貴重書が混ざるのだ。
先輩から聞くところには、農学部が放出した書籍の中に著名な植物学者の記名のある本が含まれていたことがあると言う。
そういう「瑕疵」みたいなのを露見しないためには燃やしちゃえ! となるのかもしれない。いずれにせよダメだが。
高知新聞の書き方は、いらずらに問題を騒ぎ立て過ぎな印象を受ける。
貴重な書籍が失われた、というところに力点がありすぎる。述べてきたとおり、刊行物は貴重かというとそうでもない。失われた、といっても代替物はいくらでもある。
頒布の機会もなく燃やしたこと、図書館の蔵書管理、キャパシティに関する話題と絡めて語るのであったならばどれだけ良かったか。
本が燃やされた! 残念! という感情に訴えるところに力点があり、この辺りに記者の見識・力量の限界が見える。
刊行物はそれほど貴重ではないよ
使用頻度を考えた方がいいよ