はてなキーワード: 1987年とは
私は1985年(昭和60年)生まれで、自分より下の世代との付き合い方に日々苦労していたのですが、その一つの答えとも言える事柄に気づいた。
それはわりと言われがちでもう死語とも思わるような言葉だが、彼らは『ゆとり世代』と言われる人たち。
ゆとり教育が始まったのが私より2つ下の、1987年(昭和62年)生まれの世代からで、私が普段から接することがよくあり、仕事や遊びでも常に周りにいる世代である。
彼らは稀に頭に疑問符が浮かぶような行動、言動があり、それは付き合いが長くなればなるほど気になってくるもので、「なぜそのような行動を取るのだろう?」と理解しがたいことがあった。
これはおそらく相手を理解できない自分自身が悪いのだろうと思っていた。
しかし私より上の世代や同年齢の人からは腑に落ちない行動がほぼなく、話をしていても一緒に仕事をしていてもほぼ納得ができる人ばかりだった。それは私が嫌いなタイプの人の行動においても、「まあ理解はできる」と思える部分があった。
それに対して、ゆとり世代と言われる人はまったく理解ができない場合もあり、それが世にいうゆとり世代の問題行動ということだった。
ゆとり教育のボーダーライン付近の世代は、年齢が近いが故、接する機会が多いにも関わらず、学校教育による基本的人格形成に差が付いてしまい、コミュニケーションに齟齬が発生しているのだ。
この問題に気づいた今、私は自分より年下の人間を理解することを諦め、脱ゆとり教育を受けた人間が世に溢れる日を待つことにした。
これももちろん考える。
『理解できないお前が悪い』『ゆとり世代を上手くコントロールできない無能』『若い人に合わせられないだけ』
分かるよその気持ち。
ゆとり世代には幅があるが、
1980年度から2010年度までの学習指導要領にもとづくのが広義のゆとり教育、
2002年度から2010年度までの学習指導要領にもとづくのが狭義のゆとり教育となる。
そして一般に「ゆとり世代」というと小・中学校で1年でも後者の教育を受けた世代(1987-2003年度生まれ)を指すことが多い。
出生年度 | 小1 | 小2 | 小3 | 小4 | 小5 | 小6 | 中1 | 中2 | 中3 | 高1 | 高2 | 高3 |
1987 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 |
1989 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 |
1990 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 |
1991 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 |
1992 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 |
1993 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 |
1994 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 |
1995 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 |
1996 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 |
1997 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 |
1998 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 |
1999 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 |
2000 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 |
2001 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 |
2002 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | 2020 |
2003 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | 2020 | 2021 |
こうして見ると、小・中・高の12年間においてゆとり教育が半分以上を占めているのは1989年生まれから1998年生まれまで。
特にゆとり教育を最大9年ぶん受けたのは1992年生まれから1995年生まれまでとなる。
というわけで、ゆとり世代のコアは「90年代前半生まれ」ということになるだろう。
(念のため書いておくと、私は(狭義の)ゆとり世代ではないが、「ゆとり世代はダメだ」などと言うつもりはない)
1985年生まれについて言えば、1987年に近いということで大雑把にゆとり世代扱いしたのだが、
ゆとり世代の重心が90年代にあるとすると、85年をゆとり世代に入れるのはさすがに苦しいので訂正する。
でも1985年前後生まれって、氷河期世代(83年まで)でもないし、ゆとり世代(87年から)でもないし、どこにも属せない感じで面白いね。
ポプテピピック第五話の絵コンテの一部?が作画監督のTwitterで公開されて、「ついにこのネタをやる日がきたのか」と思った。
ポプテピ原作では、今回の「蒸気船ウィリー」のパロディの回はポプテピピックがリプライ画像用以外で名実ともに有名になってきた時期の回だったと記憶している。
その当時も、「やべえwww」「D社に消される!」みたいな感想をよく見かけた。
結論から言うと、蒸気船ウィリー自体はすでにパブリックドメインとなっているためミッキーマウスそのものの商標を除けば(基本的に)問題はない。
プニキを含めて差し替えを食らった、という演出ありきの構成だった。
とてもがっかりしている。
nice boatのネタと引っ掛けたかったのか、蒸気船ウィリーのパロディは「圧力でなかったことにされた」となっていた。
正直、ポプテピピック製作サイドの意図は読みきれないのもあってどこまでネタだったかはわからない。
ただ、結果的に「著作権ヤクザネタ」で終わってしまったのがたいへん残念だ。
いや、ポプテピピックに残念もクソもねーだろ、といわれてしまえば本当にそのとおりだとは思うんだけれど、
自分の中ではうっすらと
「PPTPなら山寺宏一(ドナルド、その他)をディズニー回にぶつけてきて、相棒が島香裕(グーフィーの声優)」くらいのことはしてくれるかな、と暴走を期待していたのだ。
消される!ネタをやるなら本気で消されるような面子をそろえてくれるかと勝手に期待していた。
ディズニーのファンをやっていて、著作権ヤクザネタでなんとなくいつもいやな気持ちになっているファンは少なくない、と感じている。
何かあると「消される!」「ハハッ」と言われ、ツイートするだけなのに面白おかしく伏字にされたりして自分の大好きなキャラクターたちがまるでヴォルデモートのような扱いを受けている。
子供が好きなディズニーのダークサイド、というのは確かに面白いのかもしれない。
ただ、ディズニーというと一辺倒にそんな扱いを受けがちで心のそこから残念に思っている。世間に。
ディズニーが日本で著作権ヤクザの認識を得たのは学校のプール消去命令事件なのは有名な話だが、それも1987年の話で、もう31年も経っている。
あの事件は簡単に言うと、ディズニーの著作権意識と当時の日本の著作権意識の低さから起きた事件である。
線引きは何事にも必要で、それの犠牲になってしまったのがあの小学校ではないかと自分は思っている。
別のアプローチから話すと、ミッキーマウスの商標は現在もまだ続いているので、1987年当時、あの小学校をきっかけにミッキーマウスを無断であちこちの商品に使われては(訴訟とかも含めて面倒になるので)たまったものじゃない、という判断でもあったのだと思う。
商品に無断でミッキーを使うな、何かを貶める目的でミッキーを使ったらさすがに怒るよ、程度の扱いだ。(極論を言ってしまえば)
ていうか、普通につまんねーぞそういうの。
・PPTP #5のおかげでまた圧力著作権ヤクザネタで話を振られると思うとうんざりする。
・ミッキーの「アルバイト危機一髪」ドナルドの「総統の顔」程度を見せてこっちががっかりすると思ってる人が居て本当に嫌だ。ピクルスとピーナッツを見てから言え
古市憲寿は社会学、落合陽一は学際情報学で分野は確かに違う。だが、古市憲寿を使うほとんどの場面で、落合陽一の方が良い仕事をすると思う。
単純にいつ頃が好きかとか
そういう話
自分はだいたい昭和後期、バブル開始時期(1987年前後かな)
いい曲が生まれ、お笑いが流行り、活気があった、いわゆるサブカル隆盛時代
美形やアイドルの感覚が自分のものとかなり一致していて、今でもたまにYoutubeで古い動画を漁る
確かおニャン子全盛期だっけ?(そこら辺は興味ないんだが)
1997年頃も人気だと思うんだが
あの頃から今にかけては、どうにも流行りのデザイン、美形、アイドル、歌、お笑いなどがしっくりこない
一番やらかしてたバブル後期もちょっとしっくりこないし(若干20代中心になったイメージ)
まあ私生活がどうだったかは知らないから、実際に体験すると違う感想なのかもしれないけど
その頃はまだ幼稚園児だった
団塊の世代 38歳くらい
と、若者向け文化が隆盛するには非常にいいタイミングだったのだろうと思う
アレはもう起こせないだろうな(他国ならまだしも)
韓国キム(海苔)、日本より少なくとも1200年先に登場…アジア越え欧米でも成功的定着
http://www.todaykorea.co.kr/news/view.php?no=250194
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1514296020/
北朝鮮の工作員金賢姫によって、大韓航空機が飛行中に爆破されたテロ事件。
何故なら実行犯の金賢姫が日本国籍の偽造パスポートを所持していた為。
公安はまず金賢姫が本当に日本人なのか確認する必要があった。その為日本人なら必ず知っているはずの物をいくつか持参して収監されている金賢姫に見せた。その内の一つを見た金賢姫の反応で彼女が日本人でないことを確信した。
公安が持ってきた海苔を見た金賢姫は「紙を焼いてどうするの?」と応えたそうだ。
このことから1987年以前の朝鮮に海苔を食べる習慣がなかったことが確認できる。
"I feel Coke"は1987年から89年にかけて展開されたコカコーラ社のキャンペーンで、CMにはたくさんのバリエーションがある。映像はYouTubeにまとめて上がっている。
1つ目は、松本孝美、ケン・ブレニスらのモデルが出演する20代後半くらいの、都会の会社員の男女の生活を書いたもの。
2つ目は、一般人が登場し、日本らしい日常生活の風景を描いたもの。
とくに1つ目の系統の映像は、何度見ても目が離せない。これは日本が舞台なのだろうかと、いぶかしく思ってしまうほど、垢ぬけている。
出演しているのが美男美女のモデルだということもあるのだけれど、描かれている日本の会社の風景が、あまりにもパワフルで、アメリカンで、楽天的なのだ。
今から30年前、日本がもっとも経済的に自信にあふれていた時代につくられた映像であるせいか、東京にある日本の会社はこのようにとにかくカッコいいものというイメージで徹底して作り込まれていることが、衝撃的ですらある。
こんなふうに楽天的に青春を謳歌できる時代に生まれたかった、と氷河期世代の自分は思う。
I feel Cokeで検索してネットサーフィンしているうちに、このCMを作っていたらしい人のブログを見つけてしまった。
その人によれば、「このキャンペーンは、日本人の普通の暮らしの中に入り込んだコカコーラの世界を描こうという企画だった。だから、今までのような美しいモデルは使わず、できるだけ素人っぽい人をキャスティングした。全員素人だと緊張してしまうので、ところどころにモデルを配して撮影する。モデルの演技や笑顔に、いつのまにか素人の人たちも撮影の雰囲気をつかんでいく。キャメラは、モデルを撮影していると思わせて実際は素人の表情を狙うという作戦」だったそうだ。
函館で1か月間のロケが行われ、運動会のシーンは、実際に、このCMの撮影のためだけに本物の運動会を開催したらしい。
このCMの世界観が普通にあったらしい時代と同じような日本を、自分は生きたいが、生きることができるのだろうかと思う。
訂正:88年→89年
松任谷由実の楽曲、および、JR東海が製作したCMだ。たしか1987年と1992年に1作ずつ作ってる。
CMの登場人物は、1人の女性のみ。1作目は河合美佐、2作目は横山めぐみ。
東海道新幹線、東京発新大阪行きの最終を舞台に、ホームに残された女性視点の心境を綴るCM。
発車時刻まで恋人とともに過ごす大切な時間、そして定刻になり、発車する列車。
当時は、スマホはおろか、携帯電話すらなくて、"会うこと"がなによりも大切だった。
今考えればありえない、連絡手段が固定電話と手紙しかない遠距離の恋。
すごく悔しくなった。
現在の発達した情報化社会に過ごしている故の、馬鹿で、甘えていて、前時代的で、この時代を一生懸命に過ごしていた人々にひどく叱責されそうな、でも、本当に正直にそう感じた。
何もかも便利になりすぎた。
便利になった、それ以前の世界を知らない。
世の中は、どんどん発達する。
人々の声は、口から耳に直接入るのではなく、信号化され、電波となり、機械を通して会話となる。
日々は益々忙しく、時間効率が技術に追いつかなくなった寝台列車は新幹線によって淘汰される。
人の代わりに、電脳が答えを導き出す。
別に嫌なことばかりじゃない。むしろ、便利なのは個々の生活をより豊かにする。
でも。
きっと"豊か"に慣れてしまったとき、心はある意味で疲弊してしまうのだろう。
もう二度と、手に入らないものを見たとき、人はそれを美しいと思う生き物なのだろう。
美しい、とともに、悲しいという感情も生まれてしまうのはなぜだろう。
病的にまで、余裕をすり減らして喜ぶ。
もう、"こころ"は戻らないのだろうか。
FFも、第1作のFF1(1987年)の時点で「光の戦士」という言葉は使われてた。
もちろんウルトラマンの方がずっと前(1966年)だが、主題歌に出てくる言葉は「光の戦士」ではなく「光の国」。
歌詞以外の場で公式に、あるいはファンの間で非公式に「光の戦士」という語が使われていた可能性はあるが、専門外の分野なのでよくわからない。
(2014年の関連作品の主題歌では「光の戦士」の語が出てくるので、ウルトラシリーズのどこかでこの語が使われるようになったのは間違いない模様)
話をFFに戻すと、FF2以降で「光の戦士」という言葉は使われなかった。
あくまで「FF1の主人公(たち)」を指す語でしかなく、「“勇者”といえばドラクエ」のようには定着していない。
元増田も書いてるが、2008年のディシディアのプレーヤーキャラとしてFF1の主人公「ウォーリア・オブ・ライト(光の戦士)」が登場。
翌2009年には原点回帰をコンセプトにした「光の4戦士 -ファイナルファンタジー外伝-」が発売され、この頃から「光の戦士」という語がフィーチャーされ始めた感はある。
80年代前後の24時間テレビのメインテーマは、必要な支援は何かということを明確化していた。
気持ち悪さはあまり感じない。むしろ誠実さや実直さといった、プラスのイメージを抱くテーマである。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第1回(1978年)・第2回(1979年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を! |
第3回(1980年) | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! |
第4回(1981年) | アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念 |
第5回(1982年) | ストップ!ニッポン姥捨て時代! |
第6回(1983年) | 君の地球のボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念 |
第7回(1984年) | この地球の未来は子どもたちのもの! |
第8回(1985年) | アフリカ飢餓救援 |
第9回(1986年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! |
第10回(1987年) | SAVE THE CHILDREN |
第11回(1988年) | 君は地球のボランティアお年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! |
第12回(1989年) | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! |
第13回(1990年) | 地球を救え!10年計画 |
第14回(1991年) | 雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を! |
90年代ごろ、何が必要な支援かということがメインテーマから消えた。
その代わり、メインテーマが薄っぺらい美辞麗句だけで構成されるようになった。
個人的にはポジティブの押し売りみたいな薄気味悪さを感じるし、一抹の気持ち悪さすら感じる。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第15回(1992年) | 愛の歌声は地球を救う |
第16回(1993年) | 出会い |
第17回(1994年) | チャレンジ! |
第18回(1995年) | もう一度、チャレンジ |
第19回(1996年) | ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜 |
第20回(1997年) | 勇気を出して |
第21回(1998年) | いま、始めよう |
第22回(1999年) | 伝えたい…夢のちから! |
第23回(2000年) | がんばる…君のために! |
第24回(2001年) | 家族って何? |
第25回(2002年) | 家族で笑ってますか…? |
第26回(2003年) | あなたを一番愛する人… |
第27回(2004年) | あなたの夢はみんなの夢 |
第28回(2005年) | 生きる |
2000年代の中ごろ以降、メインテーマは90年代以降の薄っぺらい美辞麗句路線を維持しつつも、
本来漢字やひらがなで表記すべきところを意味もなくカタカナで表記(キズナ・キセキなど)したり、
一般受けしやすい単語(絆・愛など)に薄っぺらいポエムをドッキングさせたりしている。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第29回(2006年) | 絆(キズナ)〜今、私たちにできること |
第30回(2007年) | 人生が変わる瞬間(とき) |
第31回(2008年) | 誓い〜一番大切な約束〜 |
第32回(2009年) | START!〜一歩を踏みだそう〜 |
第33回(2010年) | ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜 |
第34回(2011年) | 力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜 |
第35回(2012年) | 未来 みらい |
第36回(2013年) | ニッポンって…?〜この国のかたち〜 |
第37回(2014年) | 小さなキセキ、大きなキセキ |
第38回(2015年) | つなぐ〜時を超えて笑顔を〜 |
第39回(2016年) | 愛〜これが私の生きる道〜 |
第40回(2017年) | 告白〜勇気を出して伝えよう〜 |
数十年もの間、毎年数億円単位の募金を集め、それを社会福祉のために役立てている24時間テレビの存在には頭が下がる思いだ。
そういう実績がある以上、今後も続けていくべき番組だろうとは思う。
日本の現状について見て頂きたい。
その国では、鉄道がBART・新幹線の時代からやがてTGV、そしてリニアモーターへと時代が移り変わる時でも国民を超古典的ルールでガチガチに固める様な事が行われ、E235系が山手線に集中配備されて2年後にようやく廃止されるのだ…
日本のバカどもは外国の常識のことをスルーして平然と19世紀、20世紀を続けてきた。ソビエトですら21世紀になる9年前に民主化されたというのに…
2020年現在の日本は民主暦2年、帝国暦は2679年続いてたと言ってもおかしくありません。
1980年の光州暴動は2011年の東日本大震災、1980年代の学生運動は2016年の熊本地震をも連想させる。2018年もしくは2019年のXデーはまさに韓国民主化の1987年になるのではないか。そうすると2020年の東京オリンピックは新時代最初の日本のイベントとなる。(日本の国名すら変わっているかもしれないが)
東日本大震災と熊本地震と2016年8月8日で旧日本(今の日本国)から新日本への移行の機運が高まった。
本当にこれはどうにかしたほうがいいと思う。新しい時代が目の前に迫っていることを。
ゆとりのブームを生んだ日本社会は、このたびゆとり世代の社会問題をめぐる自身の見解を発表したのだが、これがゆとりの評価は「意図と大きくかけ離れた結果」だと、「日本人のイメージアップとしては成功だった」と、開き直りが酷い。
結果的に、1987年以前生まれと1997年以降生まれは猛反発している。しかし、国民みな兄弟という国柄か、ゆとり世代を特殊な世代としての緊張関係を持たず同じ「日本一家」の横並び意識があるので、彼らがゆとり世代の歪んだ問題点を厳しく批判・非難することは、できないのである。
これは大げさな話ではない。ゆとり以前の日本は人間性と個人の自己同一性がしっかりしていて、向上心の高さが評価の的だった。欧米人や中国・台湾人を見習ったようなものになれないぶん、差別化をはかっていたのである。
しかしその時代の教育がパッとしなかった。テコ入れが必要になり、順次まともな教育スタイルを打ち切って、今みたいな和製韓国人の巣になったのが1988年~1996年生まれの世代の環境である。で、これで不良の人口はほぼゼロ人に、学歴のレベルは平均的に底上げとなったが、人間の質という点では最悪になった。結果、韓国人みたいな精神を持つ人が増えて、究極的に没自アイデンティティで、現実を冷笑し理想を求める努力すらしない、韓国人と北朝鮮人の間並みにダメになった人間が氾濫し、いじめが不良校でないところでも起きるようになり、行き着いた先がブラック日本的ムードだろう。先人の求めた夢や努力など壊死しているのである。
すべては日本の社会のを蝕む「ゆとり残滓問題」である。世代の名前が変わり、ネット原住民、没民族主義になって、既存の王道型のモデルがうまくいかなくなった時に、ひねくれた形で、せこい形で、低劣な手段で弱者をだますやり口に転換し、すべてが単調で低級に卑劣になっているというわけである。
で、ゆとり世代の卑怯な精神性がわずか20年で中高年を筆頭とした日本人全体に染まった。日本の右傾化もSEALDsもそうだし、それに感化された支配層もそうで、愛国精神や日本版阿Q精神という形で国民性はもっとひどくなり、メディアやネットのこれでもかと続ける冷笑・サブカルの悪化を右から支えて助長している。
しかし、虚偽放送、ヘイト番組が社会問題になっているように、この手の世代の精神が社会的に与える悪影響はあまりに大きく、韓国社会の精神をまねたようなマインドがまかり通れば、やがて彼らが日本人である証拠がなくなる。それでもかまわないと麻痺しきって、ユーチューバーや(一部の)商業小説・漫画作家並みにイカれた連中がますます幼稚になっているのが、今のブラック日本たる原因の象徴である。
ドイツのナチス精神の克服ならぬ、中韓の日帝残滓克服ならぬ、ゆとり残滓の克服こそ必要なのである。大人の努力次第で、きちんとした社会環境や本人のセンスさえあれば私みたいな三十路の独身中流現役2ちゃんねらーでも不良を更生させられる時代で、まして上流が人間的に落ちぶれてもそれなりにパワーがあって様々なノウハウもあるのだから、ゆとり世代の再教育とゆとり残滓の精算は思い切り次第で簡単にできるはずだ。
日本社会よ。今こそ人間的に落ちぶれたゆとり世代を、再教育させ、立ち直らせよ。欧米どころか中台にさえ抜かされた名誉を取り戻せ。人間性から、社会環境から、商業社会から、あらゆる常識を世界水準に底上げしなければならない。支配層も。今、ゆとり社会を脱しなければ、一生ゆとり社会、リトル韓国のままだぞ。
夕方の静かな時間、私は1987年に出版された本のページを繰っていた。
B・バルトークの「遺書」の一部分を掲載したページにきたとき、その下にブダペストについて脚注が書かれていた。
1989年にハンガリー共和国憲法が施行され、ハンガリー第三共和国が成立するのだ。
ストーブの微かな駆動音の他にはなにも聞こえない暮れ方で、自然と読む速度も上がっていった。
しばらく読み進めていくうちに、今度は藤原新也の「満月の海の丸い豚」が紹介されているページにきた。
チベット Tibet 中国四川省の西、インドの北、パミール高原の東に位置する高原地帯。現在、中華人民共和国チベット自治区。
私の目は今度はまじまじとこの脚注を見た。
しかし私はこのチベットについての脚注が今も正しいことが間違いだと思った。
時間もたって落ち着いた感もあるので。
フジロックで昨年、シールズがトークショーに参加したことで批判を浴びた。
という批判だった。
その際にメディアで盛んに主張されたのが
という文脈を無視して(あるいは知らずに)政治との関わりを絶つというのはネトウヨ或いは無知蒙昧な馬鹿である。
と言う主張だ。
※ちょっと語気荒いけど、大体こんな感じだったと思う。
私はこの類の主張を目にして、言っている内容は筋道が通っているけどもやはり少しずれているなとも思った。
というより、今の音楽界隈に対する不満や足りない点が見えてきたというところだろうか。
・トークテーマは「参院選を振り返る。安保法制、沖縄、憲法、原発」
ちなみにアトミック・カフェというのは以下のようなイベントである。
アトミック・カフェ・フェスティバル(ACF)は、映画『アトミック・カフェ』の上映運動に由来するフェスティバルであり、日本で1984年に開始した。
「音楽を通じて反核・脱原発を訴えていく」がテーマのイベントで、1980年代には加藤登紀子、浜田省吾、宇崎竜童、尾崎豊、ザ・ブルーハーツ、ルースターズ、エコーズ、BOØWYらが出演していた。1984年に日比谷野外大音楽堂で開催された第1回目のライブでは、尾崎豊が高さ7メートルの照明から飛び降り左足を骨折するも、ステージに這いつくばりながら「Scrambling Rock'n'Roll」を最後まで歌い続けたという有名なエピソードが残っている。1980年代の最後の開催は1987年であった。
2011年のフジロック・フェスティバルでアトミック・カフェ・フェスティバルは復活した。フジロックでの開催場所はバイオディーゼル燃料や太陽光などを電源に使用するNew Power Gear Field/AVALONエリアにあるGYPSY AVALONステージとNGOヴィレッジの2か所。
ロックフェスティバルで、このようなイベントをするのはロックが政治と密接に関わってきたからでもある。
ヒッピー文化とかカウンタカルチャーとかまぁざっくり説明するくらいでもはてな民ならなんとなくはわかるだろう。
※というか俺もそれほど詳しくないし。
ロックの曲自体に反体制的メッセージが直接なくても社会的盛り上がりから、そういう文脈があるとか
まぁそういう感じだ。
ここからが本題だが、上記のような事情を知った上で違和感を感じたことが2点ある。
②安保、沖縄、反核・脱原発というトークショーのテーマの妥当性
そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?という疑問点がまずある。
詳しく調べればまぁ、まず政治的なメッセージの込められた歌はあるだろう。
しかしながら反核・脱原発を訴えた曲がそこまで多いのかといわれればぶっちゃけそんなイメージは全然ない。
2016年のフジロックで反核・脱原発系と解釈できる曲があるのであれば教えて欲しい。※一応補足しとくと1曲、2曲程度の話ではなくここで言いたいのはフェス全体の傾向である。
つまり、現在のロック界の表現している内容とトークショーの内容があまりに乖離しすぎではないのかということだ。
アジカンの後藤さんはTwitterで以下のような発言をしていた。
あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブのMCで政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。
正直この発言を見てずっこけた。
そりゃ客も面食らうわ。
なんかイキナリ「実は政治的メッセージあんのよね」的な感じになってしまう。
10台の客捕まえて、「俺達は政治的な発言しないけど、過去の人はしてきたからロックは反体制」
とか言われてもえぇぇ!?と言う感じになる。
今のロックの雰囲気みてるととても反原発的な話をするかんじではない。
そしてもう一点気になったのが以下である。
正直、安保、沖縄、反核・脱原発というテーマはやっぱ乖離しすぎじゃね?
と思うわけだ。
「この世界の片隅に」で植民地に関する議論、あるいは軍部どうたらとか、あるいは市井の人の生活について語る
とかならまぁわかる。
というのもまぁわかる。
そんなに好きじゃないけど。
「シン・ゴジラ」と「君の名は。」と「聲の形」と「この世界の片隅に」で「ルワンダ虐殺を語る」くらいに違和感があるわけだ。
いや、そりゃまぁ戦争だし、日本軍も虐殺したけどねって感じだ。
どうにも、そういう「あまりにも飛躍しすぎである」感がアトミックカフェからはぬぐえないのだ。
と言いたくなるのはわかるのだがなんか批評のレベルが50年前走ってねぇかと思うわけである。
と言うわけで反体制的であることをちゃんと今の人達に広く伝えるには今のロック歌手も定期的に政治的なお話をして
また、周囲もちゃんと批評も行ってレベルを高めるべきだと思う。
正直時間も立ちすぎてロックそのものが反体制であるというのは無理が出てきている。
そんな状況ではロックは存在そのものが反体制とは安易には主張できない。
岡井ちゃんがはじめて私たちの前に姿を現した2002年6月のハロモニを
当時20歳だった私は、一人暮らしのワンルームマンションの14型のテレビデオでぼんやりと見ていた。
8歳の岡井ちゃんはアイドルとは無関係に思える「カントリー・ロード」をたどたどしく歌っていた。
その姿はどうしても有名になりたい才気あふれる特別な女の子というよりは、
大人が笑ってくれたり褒めてくれたり叱ってくれたりすることがうれしくてしょうがない、
ただの人懐っこいひとりの子どもというように見えた。
私はハロプロキッズに対して得体の知れない忌避感と哀れみを感じた。
あんなにもかわいい子どもたちにも関わらず、なにかマズいことが起きているという直感は
それをどういう言葉で表したかは人それぞれだが、ネット上ではそれなりに共有されていたように思う。
ただ、彼女たちが成長し魅力を増していく過程のなかで、それは杞憂だったと誰もが手のひらを返した。
私もその一人だ。
ところで、「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」がいるとして
(それに何を感じ、どう行動するかは個人差はあれど)
私やこれを読んでいるあなたと大きく違わないのではないだろうか。
どうしたって突き付けられる事件が多すぎる。
そしてそこに無頓着なのは私だけではなかったのではないかと思う。
モーニング娘。がブレイクする1999年まではアイドル冬の時代と言われていた。
諸説あるだろうが、その始まりをおニャン子クラブが解散する1987年とするなら
もはやその連続性のなかでアイドル文化を捉えられる人たちはきわめて少数になっていた。
多くの人々が祝福し、「CAN YOU CELEBRATE?」が日本中の結婚式で歌われた。
ジャニーズでも20代になれば結婚してアイドルのまま家族を持つ時代がやってきたのだと誰もが思った。
そのようなおおらかな空気の中でモーニング娘。が女性アイドルを復活させ、岡井ちゃんはオーディションに合格した。
意志をもってアイドルになった、というより気づいた時にはなっていたというほうが近いのかもしれない。
ハロプロが女性アイドルに再び春を呼び戻した頃も、恋愛は絶対的な禁忌ではなかった。
週刊誌報道はスルーされ、ファンのため息がなにか風を起こすようなことはなかった。
今とあまりにも違う。
その時代の空気の変化の中に一番最初に巻き込まれ傷ついてきたのが
実は℃-uteであるということはもっと知られてもいいと思うし、
℃-uteのファンでも忘れてしまっている人もいるのではないだろうか。
詳しくは書かないが、ファンや事務所の締め付けが厳しくなる中で
実績のある先輩たちはある種の図太さを見せながらサヴァイヴしていったが
℃-uteのメンバーはいきなり力尽きるように表舞台から次々と姿を消していった。
℃-uteやBerryz工房のことを、きれいな空気のなかで大切に育てられ
人生の大半をアイドルに捧げた純粋性の高いエリートであるように言う人は多い。
長い時間をかけて深く引き裂かれてしまったのもまた彼女たちなのではないだろうか。
そして、岡井ちゃんやまいまいや梨沙子のような、本当に幼い頃からキャリアをスタートさせた子ほど、
その欺瞞を合理化するような術をいまだ持てず、混乱の中にいるのではないだろうか。
「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」や
ここ数年でアイドルを好きになったファンたちとは見えている世界があまりに違うのだ。
舞美ちゃんのブログの更新を待っている間、夢幻クライマックスを何回も聴きながら
岡井ちゃんにとって「強くなりすぎた」とはどういうことなのか、
なにが舞美ちゃんを「さみし」くさせているのか、私はずっと考えていた。