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はてなキーワード: 通夜とは

2024-03-05

率直な意見欲しいんだが俺冷たい?

片道5時かかる遠方に住んでる祖母が亡くなったんだが、俺は葬式がすごい嫌いで、親戚と会うのも酷く疲弊するし、疲弊しすぎたのがトラウマぶっちゃけ葬式に行きたくなかった。

だが祖母の顔は最後に拝みたく、別れの挨拶はしたかったので、通夜前の弔問にいってお別れをしてきた。

葬式に行くと周りがガヤガヤしててひどく疲れるので、弔問できてよかったと思った。落ち着いてお別れが出来た。葬儀には参列しないので、相場より多めに包み、香典を渡した。俺は静かに祖母とお別れ出来てとても満足だった。

が、葬式が終わったあと、孫の俺が不参加だったので、親戚からは「冷たい」、「世話になったのに恩知らずだ」と非難があった。

親戚がそう思うなら、祖母もそう思ってるのかな。って思った。やっぱり個人の納得よりも、冠婚葬祭ぐらきでしかあわない、親戚付き合いを優先させるべきなんだろうか。

2024-03-01

旦那死んで犬と二人きりになった

こないだ旦那死んだんだけど、お通夜終わって家帰って犬に出迎えられたときが一番涙出たな

犬のこと家族って思う感覚よくわからなくて、ペットペットだろって思ってたんだけど

普段走り回ってるのになんかしおらしくリビングの床に座っててさ

あー、なんか空気読んでくれてんのかなって

なんて優しい奴なんだって思ったね いやまあ犬ってそういう生き物なのかもしれないけど

犬の散歩旦那が連れて行くことが多かったんだけど

まあ仕方なくというか、私が連れて行くようになった

犬はまあ毎回うきうきしてる

それで駅の周りとかてくてく歩いてたらタンクトップ1枚でストレッチしてるおじさんがいて

旦那が「変なおっさんいる」っていつも言ってたのこの人かなって思ってさ

ももう変なおっさん見たとか言えないもんなーもういないし

犬も喋れたらいいのにな

なんか子どもかいたらさ、頑張って生きようとか仕事頑張ろうとか思えるんだけど

子ども作る間もなくサクッと死んだから

何をモチベーションというか、軸にして生きればいいのかわからない

別に死にたいわけじゃないんだけど

急に一人になったから変化についていけてない

2024-02-22

anond:20240220153725

いろんな書き込みを見て某アグーとの違いに引いてる。

サカ豚ってなぜこんなに攻撃的で余裕が無いなのか。

某アグーの場合焼き豚は彼を擁護しなかった。

状況によっては業界トップの戦力が強制的引退させられる危機であったのに冷淡ですらあった。

司法当局処分により一定の潔白が認められ、業界追放危機は脱した。禊として所属先と単年契約するかと思いきや、なんと彼は、より大きな契約を得て金満組織移籍した。元所属ファンはぼろ糞に彼を詰った。

移籍会見は通常華やかに取り行われるが、彼の移籍会見はお通夜のような空気だった。

焼き豚はその後の混乱も含めエンタメとして存分に消費した。

2024-02-21

イギリス考古学者が「建物のどこで幽霊が出るか」研究してたが、幽霊トレンドの変遷を感じて面白い

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2317601

 

唯一の心霊体験

友人母が友人の電話を使って、私に彼女の死を伝えてくれた。

他の友人に通夜のことを知らせようとしたらまた電話が鳴り、伝え忘れでもあったのかと出たら

パコソンのキーボード打鍵音だけがずっとしている。

彼女小説を書いていたこと、その性格から本人からの「知らせるな」の訴えだと思い

「じゃあやめとくな」と電話を切り、打ってる途中だったメールを閉じた。

通夜で友人母に確認したら、こちらには着信が2件あるけど、あちらには発信記録は1件しかなかった。

 

幽霊がどこに出るかの話で、ガラケー時代パソコン打鍵音で伝えてくる心霊現象を思い出したので書いておきたかった。

2024-02-19

ブラッシュアップライフが羨ましい

羨ましすぎて涙が止まらない

私も小学校からの仲良し4人組だった

時代も全くおんなじ。みんなバラバラの進路に進んだけど、30代になっても月2、3で会って他愛のない話をずーーーーっとしてた。プリクラも撮った。カラオケ旅行も行った。老人ホームの話だってした。写真だって何百枚もある

一昨年、そのうちの1人が事故で亡くなった

通夜も行った。葬式も行った。親御さんから受付係を頼まれて、入り口に飾ってある遺影を信じられない気持ちで眺めていた。親戚ではなかったけど、釘打ちまでさせてもらえた。棺に入っていた品物は、ほとんど私たちの思い出にあるものだった

もしドラマみたいにやり直せたら

来世がアリクイでもいい。シロアリでも、フナムシでもいい。彼女に会えるなら、また4人で他愛のない話なら、生まれ変われなくてもいい

羨ましい。寂しい。会いたい

2024-02-11

祖父お葬式無双した

おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する

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私はどこに出しても恥ずかしい陰キャオタク

更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。

5歳下の弟は国立大入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業新卒採用された。

私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日

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絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。

あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家事業継いだり、東京仕事したり、そんな感じ

親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。

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そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父訃報が届いた。

深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。

夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。

すごく綺麗な姿をしていた。

れいなのだ

おばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」

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おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ

伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め

葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。

私は車から仕事道具を持ち込みながら言った

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「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」

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葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃん葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ

専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた

私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている

親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた

半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。

とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。

気がつくと、他の親戚たちから目線

どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。

…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。

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その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃん相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。

直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。

そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。

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翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。

この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。

そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。

代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表あんたじゃないでしょ」と否定的

そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。

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そんなこんなで、本番。

お経が終わって、孫代表弔辞

名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。

読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。

今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫から言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。

最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧

振り向いたとき揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。

葬儀屋さんも泣いていた。

私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。

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葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。

あんなに素晴らしい弔辞いたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。

まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。

否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。

どんな仕事でも、活躍の場があるということ。

なんだか、ありがたい経験だった。

からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから大人しく、お葬式は姉に任せなさいね

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そして、おじいちゃんありがとう

三回忌法要、お参りにいくから

2024-01-30

妹が自殺して2年[追記しました]

追記

 

いっぱい見てくれてありがとう

気遣ってくれたブクマカたち、ありがとう

もちろん、事実真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想憶測曲解邪推で補完して膨らまして、

俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう

それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。

でもまあ、それはいいんだよ。

それが欲しくて増田に書いたし、

俺は生きてるから

俺の言動意図ねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、

自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、

自身が弁明や訂正をできるから

俺は生きてるから

 

死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。

死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。

 

自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。

漫画家さんの自殺テロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。

自殺者の自死テロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。

 

俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。

だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。

 

こういう現実が、こういう思想自殺メリットを感じる価値観と地続きと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20230715095602

 

妻子を気に掛けたくれた人もありがとう

俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう

これ以上自殺呪い(と言い換えますテロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。

 

人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものから、切ないね

無意識のうちに、自分妄想憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。

俺もまだまだ勉強中だから、偉そうに言る立場じゃないのだが。

 

追記ここまで

 

はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。

気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーリスカハンスト家族を萎縮させる。

妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものから

最後の方はYESマンに徹していたな。

とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。

心によりそうのは2の次いや3の次、もっと後回しだったかも。

そうすればとりあえず刃物しまってもらえたから。

 

勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、

まり社会生活不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。

 

大学は県外へ行き実家を出た。

卒業と同時に、大学出会った彼氏地元に嫁いだ。

俺たち家族はほっとした。実家環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。

の子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。

 

妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世住宅を建て、両親を呼んだ。

実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたとき痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。

妹が壁に書き込み続けた呪詛言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。

リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。

今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。

 

新居に引っ越しから一度、妹は旦那さんと一緒に遊びに来た。

旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。

俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。

一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。

今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。

妹にとって、自分実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、

自分親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。

 

嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。

なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、

先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。

この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。

 

妹が嫁いで8年くらいの頃かな。

仕事から帰ったら母親が血相変えて玄関まで出てきて。

「妹が離婚する」って。

から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。

 

俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。

もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?

もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?

そりゃ一時的には問題ないが、ずっととなると。

俺には子供が二人できていた。

言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。

 

あのとき俺らは利己的だった。

8年大丈夫だったんだから、なんとかなろう。

妹の癇癪持ちは、もう治ってるって。大人もの

仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。

離婚なんてしなくても済むはずだ。

だってあの気さくで温厚な旦那さんだもの

妹の問題点も笑って許してくれるさ。

 

母はその晩、妹に電話をかけた。

離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。

から、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。

今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。

 

妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。

俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。

 

旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。

俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものから、両親を残して通夜だけでお暇した。

空港までは旦那さんが送ってくれた。

旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。

この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。

旦那くんは悪くないよ。一番つらいのは旦那くんだろ。」

そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。

 

俺は本当に浅ましかった。

あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊たかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。

そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。

そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか

妹の幸せにも妹の未来にもなんの興味もなかったのではないか

旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。

旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。

はやくこの地を離れたい。

 

そういう気持ちでいた。

 

あれから2年が経った。

1周忌は仕事言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。

今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。

曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。

そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。

そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺からなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。

法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。 

旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。

 

2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。

思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。

から、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。 

 

記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。

幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、

脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。

だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、

妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。

 

今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。

分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。

俺には知識教養も度胸もなくて、何もしてやれなかったな。

妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごま蔑ろにしてしまたかな。

あの頃俺がつらかったのも事実だし、

妹がつらかったもの事実なんだろうなあ。

 

そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。

母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。

俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあん電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。

妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。

俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。

の子どもたち、母にとっては孫であるの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまたことの前では、無価値なのかなあ。

 

父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから認知症も進行したように思う。

から、3回忌は、俺もボイコットができなかった。

ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。

俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。

こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。

いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。

 

最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。

だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。

 

それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。

俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。

そして母への怒りを感じた。

俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目からって、俺に頼り切りでなく、大人として責任果たしてしかったよ。

妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。

の子病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか

俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。

 

色んな感情が渦を巻く。

妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。

妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分重要性を知らしめたかったのではないか

まり自殺ってテロ行為なんだ。

他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。

他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。

まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、

妹の思うつぼだということだ。

彼女は、あの世でほくそ笑んでることだろう。

 

でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。

本当に逃げたかっただけだ。

俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしま現実から

見捨てられる恐怖から

もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまたかもしれないじゃないか

 

そんな弱い子でもない。

あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。

怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。

自殺だって彼女彼女なりに選択したことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。

同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。

から外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測妄想をして、勝手因果関係見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。

 

とにかく。

自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、

外野勝手悲劇エッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。

これは俺の認知が歪んでいる自覚は有る。

にしてもだ、自殺って脳天気バカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。

自分のクソデカ感情シェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。

発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。

しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。

フィクションじゃないんだよ。病死事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。

自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。

自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。

生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。

俺は芸能人有名人自殺しても勝手憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。

死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。

本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。

称賛も憐憫必要ない。ただ愛を込めて心のなかで悼んで差し上げろ。

自分が救われたいだけなら、自分にあう死生観宗教にでもたよってくれ。

2024-01-15

個人的レア体験

小学校高学年でタンニンしてくれた若い男の先生が、俺が中学ときに死んだ

死因忘れたけど確かなんかの病気

奥さん子供もいるのになあと

通夜?に当時のクラスメイトと行った

そいつがぼそっと「全然死んでるようにみえんよな つっついたら普通に起きそうじゃね」みたいに話しかけてきたことを今でも覚えてる

別の話

高校とき、高1の最初クラス笑顔かわいい女子ひとめぼれしてずっとひそかに好きだった

3年までずっと同じクラスだったけど3年のとき奇跡的に仲良くなれて両想い状態告白したら付き合うの確定ってとこまでいって付き合えた

マジ奇跡だった

あれが人生ピー

3か月でなにも しないまま振られた

俺は死んだ

2024-01-09

坊主「お通夜葬式はしっかり金かけてやれよ!あと四十九日一周忌もあるから金と飯用意しとけ!!」

仏陀葬式坊主を呼ぶなと言ったのに

坊主葬式で金儲け

遺族が悲しんでいるのに金の話をする

地獄があるなら落ちるのは坊主

2024-01-05

新年会で学友がアスペすぎて悲しくなっちゃった

新年会があったんだけど、いわゆるアスペネットで言われるような自閉症スペクトラム障害ってぽいやつがやらかして悲しくなっちゃった

新年会教授主催で、なんでも好きなもの頼め〜って言ってくれたんだけど、それ聞いたアスペっぽいやつが、な、なんでも頼んで良いんですか!?とか言って、クッソ高いやつ頼もうとしてんの

最初ギャグかと思ってはははってわらってたんだけどどうやらガチらしいぞと

いやいや程度ってもんがあるだろはははとか周りが言ってたら段々キレ始めて最終的に教授に詰め寄ってた

ちょっと席離れてたか過程はよくわかんないんだけど、バカにしてんのかみたいな感じで教授もキレてお通夜なっちゃった

若い教授で明るく楽しい感じの人なのにあんな怒っちゃって…

教授アスペをひと通り叱って終わりにしたけど、アスペは飲み中ずっと不満そうにしてて、終わってから全体ライン教授糾弾の長文ライン流してきた

すっげー被害者ヅラなの

文体は丁寧だけど怖いくら罵詈雑言だし

悲しいよ俺は

アスペ高校生時代までで何度もいじめられた経験があるらしくて、そういう話をゼミカミングアウトしてて、研究に活かしたいみたいな話もしてたんだけど

それっていじめっていうか…こういうことだったんじゃね…?となってしまって

なんか、ありえねーわこいつって気持ちとともに、物凄く悲しい気持ちになってしまった

同情とも違うんだけど、凄く悲しいよ…

フェイク入れてるけど、特定されても参加者多かったか別に困らないし吐き出しで書いた

がーっと書いて推敲もしてないんで変だったらごめん

2024-01-01

「1/2から新年初売り!」とかやってたところ全部売れ残るな

この雰囲気の中で初売りとかもう無理やろ。

通夜ムードや。

ちゃーんと1/1から店開けてた1/1に売り切った所は逃げ切りやな。

やっぱ何事も早目早目にやなー

2023-12-27

anond:20231227014517

時限のイベントなどへの参加状況で手持ちの駒が変わる状況はある。

だがそれがゲーム体験上の問題にならないように、何重にも防護柵が練られているんだよ。

そもそもとして、それがユーザー間の有利不利にならないよう、ソロゲー指向に今業界は向かっている。

競技性の高いFPSMOBA系は違うが、非競技ゲーム(主に育成が軸となるゲーム)では、対戦や競争の要素が排除されている流れがある。

基本無料の、特に市場規模50%を占めるモバイルゲームの主流は、もうソシャゲ全盛の頃のようなランキング競争やらギルドバトルやらではなくなっている。

から、時限のアイテムキャラを復刻ではなく初出時に入手している、ということは自己満足しかないわけ。諦めフレンドリーな作りと言える。

その差がユーザー体験として致命的になることはないし、原神あたりは特にキャラゲー」にとどまらないよう、本編のオープンワールドが作り込まれている。

時限イベントがまるっと同じ形で復刻されることがなくとも、HoYoverseなら次はそれを上回るより作り込まれた形で似たようなイベントが開催される。

HoYoverseのゲームはその特徴として、凡百のソシャゲと違ってイベントが毎回異なる、ミニゲームシンプルゲーム並の単体ゲームクオリティのものを開催ごとに作り込んでくる、という癖がある。

ある意味では、一回逃してしまえば同じ体験が二度とできないと言えるからソシャゲのようなガワだけ変えて結局毎回アイテム収集するみたいなものよりも残念かもしれないが。

全体的に見て、そういうソシャゲガチャ特有のしんどさのようなものは、最小化するように非常によく考えて作られている。

イベント毎日やらなくても休日に一気にやればいい作りと分量になっているのもそう。

時間を奪われる日課やスタミナ消化みたいな作業要素もあるにはあるが、それにかかる時間は5分や10分で済むようになっている。

スタミナは原神の場合は21時間半、スタレは24時間放置すると溢れてしまうが、長期遊べなくても途中で一瞬でもインできれば、それを全てストックアイテムへと変換することができる。

なので通夜葬儀のような不測の拘束があったとしても、2日間くらいはゲームを離れていてもそれほど執着感を持たなくて済む。

これによって、むしろリアル生活リアルイベント公式コミュニティなどで人生を楽しむ、他人と関わることを公式が推奨する気風が生まれているし、

単純にゲームとして見ても、雑事に煩わされることがなく、一番おいしくて作り込まれているメインシナリオなどに集中できるよう工夫されている。

なお、このスタミナというのは育成素材とハクスラ的な装備品厳選のために使われるが、実はスタミナ消費にそれほど執着しなくてもいい作りになっている。

最低限のレベル上げなどは必要だが、FFで言うレベルシンク的なシステムがあるため、自分が弱ければ敵も弱くなり、進行上詰まることはあまりない。

詰まっている人はおさぼりのせいというよりも、元素反応や敵のギミックといった戦闘メカニズム理解が不足していることが主因だろう。

以前ちょっとソシャゲ界隈に触れた人が「こんなの疲れるしゲームじゃないわ」と思った部分は、ほとんどがしっかり改善・改良されている。

体質として、基本無料ゲーがユーザーを縛り付けてDAUコミットしたほうが収益が出やす構造なのはそうなのだが、

売れていて、なおかつ縛り付け体質ではないメーカーという特異点としてもHoYoverseは注目する意味がある。

ゲームリアルを完全に分離することは達成できていないが、そもそもゲームリアルの一部にすることに問題があるのか?

粗製乱造で荒稼ぎして売り逃げ、みたいなゲームリアルに組み込んで年月を共にすることは苦痛かもしれない。

けれど、ここは自社IPを終わらせたことはないし、最低10年くらいは続くと思うが、その間共にした時間がいい思い出になるよう、

ここは1年おきにゲーム内外の振り返りをユーザー個別のページを用意して丁寧に見せてくれる。

他にも多数の取り組みがある。YouTubeを見れば、いかファン還元する模範的な開発運営かが分かるだろう。

5chでさえ、ここの運営を叩く人はあまり見かけない。運営叩きが一コンテンツだったネトゲソシャゲ時代とは違う。

ゲームリアルの一部になることを恥ずかしがる時代は、もう終わりつつあると思う。

2023-12-22

葬式マナー

これ義務教育で教えてくれたらいいのにってよく思う

大半の人が、他人人生の節目である大事な式で恥も迷惑もかけたくないと思ってると思う。俺はそう

多分幸運なことに俺は身内がみんなピンピンしていて葬式に出たことが無いんだけど、さすがにいつかは関わる日が来るだろう

でもそれを想像した時、「だれかが死んだことの悲しさ」とかより未知の式で自分が何かやらかさないかを先に心配してしまう(実際死に直面したらもっと考えることあると思うけどね)

香典くらいは包んだことあるよ。そういうののマナーピン札使わないとか額面数字とか)を大恥かく前に教えておけばいいのにって思う。道徳かいうためになってそうでためになってない科目やるよりずっと役に立つだろ

いや道徳道徳子ども意識を変えてると思うから大事なんだけど、事実冠婚葬祭はだれだっていずれ通る道じゃん。主役が自分じゃないしてもだよ

てか正直成人するまで通夜葬式区別もついてなかったよ俺は。これは俺が無知すぎるだけだから極論なんだけど

坊さんに一礼してなんちゃらで(もう今銀魂しか出て来ない)とか作法も手順も分からんし、不安になって両親に聞くと「前のひとと同じようにやればいいの」とか言われるけど前の人がいなかったらどうすんのとか考えてしま

2023-12-21

アノン通夜じゃん…w

今のうちに堀口様に土下座したら?

2023-12-10

日清不買してる奴は創業者安藤百福クズさは許してたのかよ

アンミカ日清CMに出演したため不買しているという人達がいる

彼らが挙げる理由

1.アンミカが7年前、杉田水脈LGBT差別発言批判たか

2.アンミカ韓国出身で、幼少期に日本に渡った際のTV番組での再現動画で乗っていた小舟が小さく、密入国っぽいか

3.前にCMパーソンだった吉岡里帆の方が好きだから

反論としては

1.杉田水脈クズなので批判されても仕方ない。アンミカ子供がほしかったけど産めなかったので、「同性愛者は子供を作れないので生産性がない」という趣旨杉田発言ノンケだけど子供を作れなかった当事者として抗議した。

2.予算問題番組スタッフが小さい船しか容易できなかっただけじゃ? 仮に入ってきた時が密入国だとしても、キッズだったアンミカ選択権はあったのか? アンミカ仕事フランスへ行き、日本帰国している。仮に密入国だとしても現在では清算されて入管問題なく扱われている証拠

3.アンミカCMを務めるのは、高価格帯の「最強どん兵衛シリーズで、前にCMパーソンだったのは美輪明宏。ゴージャス売りのCMシリーズ吉岡里帆本家どん兵衛で、半年前に降りてアニメシリーズに変わっている。

エロ関係匿名の一個人批判されただけで表現の自由ガーとうるさい表現の自由戦士がダンマリどころか、CM中止や日清不買を求めて規制運動中。

海外ルーツと、密入国という良から疑惑が今回の炎上

愛国のために海外ルーツ排除せよ、良から過去を持つ者は排除せよというならそもそも日清創業者安藤百福いかんでしょ。

なんで安藤百福を許せないか最初から日清は買いません、とはならずアンミカCMにきて初めて不買やってんの?

安藤百福は呉百福という名前台湾人だ。

当時の台湾では、息子のいる親が女児を買ってきて嫁とすべく育てるのが慣例であり、百福は18歳の時に親にあてがわれた女と結婚した。

でも親にあてがわれた女では満足できなかったので、ナンパして二人目の妻をもうけた。そして日本で更に三人目の妻をもうけた。

三人目の妻との結婚により日本国籍を得られ、妻の実家が太いため生活を支えられ、百福は台湾の妻二人を棄てた。

百福は一人目の妻が産んだ長男だけ後継ぎとして引き取った。

二人目の妻との間にも子供がいたが、娘であるため冷遇した。

後継ぎたる長男も、百福の都合で育ての親がコロコロと代わり、百福と確執があった。

百福の後をついで社長になるも、百福が急に長男を下ろして社長に返り咲くなどの曲折があった。

長男は百福の通夜にすら行かず、葬式出席も拒んだがそれは頼み込まれて仕方なく出席。

嫌がる長男葬式に出させる一方で、望んで父を弔うため来日した娘は拒絶され、親族席に座ることは許されず、渋々大量の警備員をつけられた状態一般席に置かれた。

娘は百福の莫大な資産を一銭も渡されず、今も存命で台湾で70代の高齢ホームレスとして困窮した生活を送っている。

百福カスすぎだろ。

クズが関わっててもメシの味に変わりはないというならなんで今不買運動してんの?CM中止しろとか言ってんの?外国人は関わるなって言ってんの?表現の自由爆笑

2023-12-05

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-11-22

終わりの季節

15年働いた会社を辞めるので、沢山の人に挨拶をしている。上司や先輩、後輩と部下、全方位と毎日あちこちで話をしている。話す度にとても寂しい気持ちになる。

高校時代親友が死んだ。この数年、会っていなかったが、本当に寂しい。初めて行ったフジロックの話、20年前の話をもう一度したくても、もうできない。美術室でのあの日々を語らう相手はもういない。

兄も仕事を辞めるという。会社事情でやむにやまれないけど、心配になる。

Tver廃村ドキュメンタリーを見て、涙が出た。私の生まれ集落高齢化過疎化が進む。親友通夜帰省をしたばかりなので、余計に堪える。生まれ育ったあの地も、20年後には無くなっているかもしれない。

https://t.co/FNsavRklTH

先週末の全感覚祭へのドネーションをし忘れた。あの活動凄さへのリスペクトを表す方法ドネーションだった。色んなことが重なって、自分のことしか考えられなくなっている。

大学院もあと少しで卒業で、同級生ともお別れである修論を完成させなければならない。ますます視点自分フォーカスされていく。

できるだけ沢山のものを見たいはずなのに、どんどん視界が狭くなっていくこの矛盾をなんという。うっかりタップした絵文字が、自分の焦燥をあざわらう。

^_^^_^^_^^_^^_^

2023-11-20

岸田は義理父親葬儀を切り上げて葬儀済みの池田大作を弔問した

首相動静(11月18日)

(略)

 19日午前0時13分、米サンフランシスコでのAPEC首脳会議出席などを終え、政府専用機羽田空港着。同30分、同空港発。

 午前0時53分公邸着。

 午前1時25分現在公邸。来客なし。

首相動静(11月19日)

 午前7時46分、公邸発。同8時9分、羽田空港着。

 午前8時33分全日空673便で同空港発。

 午前9時37分、広島空港着。同46分、同空港発。

 午前11時4分、広島県三次市斎場「平安祭典 三次会館」着。裕子夫人の父・故和田二郎氏の葬儀に参列。

 午後1時39分、同所発。同2時5分、同市の火葬場「三次市斎場悠久の森」着。

 午後3時28分、同所発。

 午後4時36分、広島空港着。

 午後5時18分、全日空682便で同空港発。

 午後6時41分、羽田空港着。同7時1分、同空港発。

 午後7時28分、東京信濃町創価学会本部別館着。同30分から同45分まで、同会の故池田大作名誉会長の弔問。原田稔会長池田博主任副会長と面会。

 午後7時49分、同所発。同58分、公邸着。

 午後10時現在公邸。来客なし。

和田二郎さん(わだ・くにじろう岸田文雄首相の義父)11日死去、94歳。通夜は18日午後7時、葬儀は19日正午から広島県三次市十日市西6の8の1の平安祭典三次会館で。喪主長男成一郎さん。

創価学会名誉会長SGI創価学会インタナショナル会長池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。葬儀17日、近親者のみで家族葬として執り行われた。

いやわかるよ、政党トップとして所属議員たちを食わせにゃならん、そのためなら池田先生のケツでも遺灰でも舐めてやるってんだろ

全く支持はしないが覚悟はわかる、ずいぶんな賭けだな、俺は立派だと思うよ

でもさ、それって義父の葬式をさっさと切り上げてまですることか?池田葬儀は2日前にとっくに終わってるんだぞ、時と場合ってもんがあるだろ

アメリカAPEC会議ついでに6カ国との首脳会談ほか行事たくさん、深夜に帰国し義父の通夜には出られず、翌朝一番広島入りして葬儀、そして信濃町創価学会本部トンボ返り

大変なスケジュールだと思うよ

からってお前、火葬滞在1時間23分間ってまともに骨拾えたのかよ

義父との別れを、妻への慰めを、喪主への労いを、広島滞在7時間でまっとうできたと言えるのかよ

それらを投げ打って既に葬儀の済んだ創価学会本部に馳せ参じてまで票が欲しいか

政治家岸田文雄は立派かもしれないが、俺は今、人間岸田文雄軽蔑しようとしている

https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111800255&g=pol

https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111900133&g=pol

https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15791659.html

https://www.seikyoonline.com/article/1105A80AC3B8C9691D68205F3E12D455

2023-11-13

anond:20231113014406

増田嫁みたいな人生狙って離婚されてお通夜になってるアカウントをたまに見るわ

2023-09-21

人の死の距離感

人の死の距離感

先日仕事で関わっている方が突然亡くなった。

残された家族の方の悲しみは相当なものだと思う。

ただ、私にとっては「辛いんだな可哀想」と想像することはできるけど、所詮人の悲しみ具合は他人にはわからない。

世間体があるから香典も出すし通夜葬式には出席するけど、本心ではお金出したくないし、自分時間が削られるのも正直いやだ。

自分家族が亡くなれば、それは大変悲しい。家族喪失は考えたくもない。

でも、それは私の悲しみであって、誰かに悲しんでもらおうという気持ちは全くない。

しろ、しばらく距離置いてくれただけの方がありがたい。

香典なんかもいらない。

冷淡なのかな、私。

2023-09-11

母には親友がいて

母には親友がいて、毎週末おうちに遊びに来てお茶してた。

同じ職種で同じ年代。その仕事ならではの悩みもあったようで、子どもの私からみても仲がいいよね、親友だよね、って思っていた。

ある日、母の親友が自ら命を絶った、と聞いた。娘さんが今で言う反社の人と結婚したとか、お通夜に分厚い香典持ってきて追い返した、とか。そんなことを言っていた記憶がある。

母にはそのあと親友と呼べる人はいなかったような気がする。あのころどんな気持ちだったんだろうな。大人になった今だったら受け止められるのにな。

母が認知症になってしまって、本当のところは何もわからなくなってしまった。

2023-09-08

追記)人が亡くなったらその人のお茶碗を玄関先で割る

追記0909 19:55

※ごめん、西日本関西書き間違えたので修正

思ったより情報が集まってくれて嬉しい。

ありがとう全国の増田

とりあえずまとめるとこんな感じかな。

 

30年前に鹿児島でもやってたという情報は親が鹿児島にいた時期とも被るので同じ地域(もしくは宗教?)だったのかも。

あと、我が家がトンカチでお茶碗を割ったことについてはそういう作法があるのではなく、住んでた家が安アパートの2階で玄関先で陶器を思いっきり割ると下に落ちて危ないからと丁寧に叩いて割ったという経緯がある。全然割れなくて大変だった。袋に入れて叩きつけるのは正解だと思う。

 

とても興味深い情報が集まってよかった。

こういう文化好きな人も集まってきてるみたいなので、心当たりがある人は引き続き情報を書いてくれると嬉しい。

本文

当方神奈川出身の30代。

親に人が亡くなったら「もうここに帰るんじゃないよ(あるべきところに行くんだよ)」と言う意味玄関先で亡くなった人のお茶碗を割るんだと教えられた。

そして父が亡くなったときは、実際にトンカチでお茶碗割った。

 

なので、お通夜お葬式みたいな人が亡くなった時の決まりごとだと思ってたんだけど、これ全国共通文化じゃないらしい。

というか関東文化じゃないらしい。

教えられてから30年近く生きてて初めて知った。

 

かにうちの親は鹿児島出身なので、関東圏の文化じゃないのは納得。

でも、調べると鹿児島文化でもなさそう。兵庫とかの文化な気がする。

どこの地域の人ならお茶碗割るの?

うちの地域お茶碗割るよって増田いたら、その地域を教えて欲しい。

2023-08-22

嫁がアホすぎて旦那カワイ

義理の弟の結婚式を欠席する方法

https://anond.hatelabo.jp/20230822095700

こいつさあ。 

 

 

新婦普通に会う分にはいい人なのだが、若いのにTVに毒されているおばさんのような価値観をしており、

根本的なところでわたし絶対性格が合わない。

別に性格が合う必要なんかねーだろ

ただの親族であってお前が結婚するんじゃないんだから

余計なお世話だそんなもん。

  

TVが大好きでワイドショーバラエティ日本ドラマ高校生が見てるようなやつ)を一日中見ている

TV以外の文化的活動に一切興味がない。映画館にも美術館にも図書館にも書店にも行かないし、旅行も嫌い

地方局アナウンサー契約社員なので週に3日くらいしか働いておらず、残りの日は家でTVを見ている

文化的活動に興味がなく常に家にいるのに、自然豊かな田舎義理の弟の出身地)は嫌がっており、子供が生まれたらとき教育環境のためと言って県庁所在地に家を建てたがっている

全くご飯をつくらないので、菓子パンばかり食べてぽっちゃりしている時期と、痩せるために変なサプリしか飲まずガリガリになっている時期を交互に繰り返している

からなんなの?

ていうかなんでそんなことをそんなに詳しく知ってるの?

俺はそこまで細かく生活を把握してる親戚一人もいないぜ?

お前親戚づきあいしたいのかしたくないのかどっちだよ

 

この人が結婚式を取り仕切っており、たびたび義理の弟からその内容を漏れ聞くのだが、聞くたびに行きたくなさが募っている。

わたしはもともと結婚式があまり好きではなく、特に自分人生の主役になれるのはここしかいから!」とばかりに参列者よりも自分たちのために余興を考えたんだな、という式は特に苦手だ。

お前が好きかどうかなんかどうでもいいんだよ。

お前の式じゃねーんだから

お前が苦手かどうかなんかどうでもいんだよ。

好きだから楽しいから行くアーティストライブじゃねーんだから

 

逆に聞きてえけど、慶弔ってものは好きだから楽しいから行くものなのか?

通夜に出席する人間もあれが楽しいからクワクしながら現れてるのか?

お前の結婚式の出席者も余興が面白いからって理由で出席したのか?

 

ちげーだろ、出席すること自体重要から行くんだろ。

ちゃんと付き合いを保ちますとか、あんたに義理を通しますとか、そういうことを示すために行ってるの。

余興の内容が自分趣味に合うか合わないか、好みか好みじゃないか、そんなことで出席を決めるものじゃないの。

 

こんなもんどこの国のどの社会のどの文化でも同じだぞ。

反社構成員ですら行きたくもない義理掛けにみんなで行く。

犬とか猿だって挨拶はする。

楽しいからじゃなくてそれが必要からやるんだよ。

 

別に結婚式に出る出ないは究極的には勝手だし

俺もその弟嫁は嫌いだしその余興はウザそーだなーって思うよ。

でもお前の出ない理由って「性格が合わない」「余興がキツい」なんてことじゃん?

それで出ないっていうのはちげーだろ。

 

なんでそんなお前の好き嫌い感情で決めるんだよ。少女か?

俺はお前の旦那が本当に可哀想だなって思うよ。

立派な大人を伴侶に選んだはずなのに、こういう全く道理を解さな子供みたいなことを言われたらキツい。

 

お前の旦那は好きなことだけやってるのか?

嫌いなことや性格が合わないことは回避してるのか?

親族の一生一度の式典すら我慢して出席せずに自由気ままに生きてるスナフキンなのか?

ちげーだろ、みんなちゃん自分好き嫌いの外で責任ある行動してるだろ。

 

お前の義父だってイタい嫁の一生一度のお願いだからと歌いたくもねえ歌を歌う決心したんだろ?

なのにお前は「私があの女と性格合わないから出たくない、凄いストレスー、励まして―」ってか。

励まされたいのはこんなガキ女を嫁にもらった旦那の方だよ。 

 

あとそうやって人のキモさをネチネチあげつらうならおめーの義弟との距離感結構キモいからな?

お前の義弟嫁へのあたりの強さはけっこう義弟への変な感情に見えるってことを理解しとけよ?

 

一方的悪口ばっかり言われてるけど、自分の夫への義姉のキモ感情距離感容認してるアナウンサー女はむしろ結構度量が広いんじゃないのか?

相手の女は何も我慢してないと思うのか?

ほんとにガキみたいな世界で生きてんな。 

 

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