はてなキーワード: 諦観とは
便乗して。
完全な地方都市に生まれて、国立大や早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。
周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分は
勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。
高校は電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベルの学校)
そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系の国立大の一橋大学だった。
東大や京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大は社会の科目が一つ多く、
京大は数学の範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)
この頃から、自分は地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが
上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体のほとんどすべてを費やして
なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。
話してみると、同級生の大半は東大か医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋が限界だったとか
高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。
で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。
卒業できるのか不安になったけど宿題芸人の気質のある自分は単位はなんとかとれて滞りなく卒業、就職できた。
民間の就職に強い大学のブランドの恩恵にあずかって世間的には立派な会社に就職できた。田舎の出の自分が
こんな会社に入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。
もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティは東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである。
留学したり帰国子女で英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと
通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)
その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。
で、いつからか思うようになったのは「自分は東京に移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくまで東京という国においては外人で異物に過ぎない。
結婚して自分の子供が生まれたら、その子は移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た
地頭のいい純粋培養の都心のエリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方と都心では格差があることは事実だなーと。
一方で就職してから仕事の関係でアメリカとアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本の格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。
タイトル通り。
『2億ドルもブチ込む映画でよくこの脚本でOKが通ったな』って言うドラゴンボール・エボリューション級の驚き。
この映画に投資した人・制作進行管理する人らは、この脚本をチェックした時に絶句しなかったんでしょうか?
配給会社はこの仕上がりに試写会で気絶しなかったんでしょうか?
『もうどうにもならない・・・。知名度ある監督だしアクションシーンあるし赤字にはならんだろ(ならんよね?)』と言う、ドラゴンボール・エボリューション みたいな諦観???
『イッツアメェェェジィン!!!我々がハリウッド映画の新ジャンルを切り開く!!!』と言う、フロンティア・スピリッツ???
どういった経緯で TENET がお偉いさんたちの Go を取り付けることが出来たのか?
そちらの方が TENET の明かされていない謎よりも遥かに興味をそそられます。
まず最初にこの映画が誰向けの映画なのかを書いておきたいと思います。
TENET はミステリー小説好きの人向けのための映画です。SF好きの人も本作を見るべきですがSFはフレイバーです。
ミステリーは好きだけどSFは好みじゃ無いんだよなぁと思っていた人は是非とも映画館へ足を運んでみてください。
逆にSF好きの人はSFはフレイバーなので過大な期待はしないでください。でも映画館へ足は運んでみてください。
念のためもう一度書いておきますが、TENET はミステリー小説好きの人向けの映画です。
根幹といえるべき事柄なのでもう一度更に書きますが、TENETはミステリー小説好きの人向けの映画です。
ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。
ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。
ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。
おわかりいただけましたか?
おわかりいただけましたよね?
おわかりいただけたところで、TENET の楽しみ方について記載したいと思います。
観客も作中の主人公も、同じ目線・同じ情報量のまま進行する本作ですが、『黒幕が誰なのか』予測してください。
ぶっちゃけスタート30分くらいで映画のオチの予測がつき、とあるシーンで確信に変わるのですが、それは根拠なき直観ってヤツです。
ミステリー小説好きのあなたは、TENET 作中に散りばめられているヒントを元に『 “根拠” を持って黒幕を予測してください。』
どうせXXXだろ?っていう過去みた映画・マンガ・アニメ・ゲームからの無根拠予測はダメです。ちゃんと TENET 作中のヒントを使って予測してください。
どの時点で “根拠” を持って結末を予測出来たか、友人・家族と競い合ってみると楽しいと思います。
フレイバーのSF要素が『はてな???』となるような事ばかりです。
たとえば、本作のテーマは時間逆行なのですが、時間逆行すると肺呼吸が出来なくなります。
でも目は大気から酸素を取り込む事が出来ますし、光を取り込む事もできますし、視覚の情報処理も正常ですし、
おそらく臓器・神経の働きも正常、自意識も正常、自立した活動が可能です。
そして (作中の描写では) 特定の “炎” に限定して熱エネルギーが反転され凍りつきます。
未来道具では無いノーマルな現代の車は普通に運転出来る(動く)んですけどね。
作中で描写されていないところを補完しながら、勝手にいろいろ考えてみてください。
あなたが、上記に当てはまらない場合、映画館へ足を運ぶ必要はないのでしょうか?
いいえ、下記のどれかに当てはまるようでしたら、是非足を運んでみてください。
婚活の一環で、アプリで約束を取り付けた女性だ。今回はドタキャンされずに済んだ。
「こんにちは」
どう思われているだろうか?
38歳の、貴女より10歳も年上のおじさんを見て、表情が曇らないか気がかりだ。
男だって同じ生き物さ。
落胆を取り繕っているのだろうか?まあいいさ。
諦観くらい知っている。
席に通され上座にエスコート、当たり前のマナー。評価ポイントだろう?
そんなことより店員への態度。注文の仕方、テーブルマナー。気配りとタイミングが大事。
ところが思わぬ落とし穴。
気付いたらコーヒーカップに何度も口をつけていた。空だというのに。
当たり障りのない世間話では済まないらしい。
「将来どうなりたい?」
「どんな子どもだった?」
沈黙。。。
なぜだ?
「ひょうきんだった。今は真面目ばかりが残ったつまらない人間」
沈黙。。。
相手は話を変える。
精一杯絞り出した言葉は
「なるほどなぁ」
無念。
無念?
相手に好かれなかった悔いではない。
円滑なコミュニケーションができなかった悔いだ。
〝貴女はまだ僕のことを知らないだけ〟
そうさ、スタートラインに立ったところだ。
これから人となりを知り、
応援したくなって、
愛着を育むというもんだ。
愛というのは、
自分が損失を被ったって構わない、
僕はあの温かさを知っている。
さあ御礼のLINEを送ろう。
どこに出しても恥ずかしい無能のワイくんが唯一自信があるのが、事実と妥当な推論と妄想をちゃんと切り分けられることなのだ。これは全体的に自分の能力に自信がないからこそ、「ここまでが自分とは関係ない事実」「ここまでが事実から導き出せる妥当な推論」「こっからは無能なワイくんが考えた妄想なのだー」って分けられるのだ。そんなわけで、今からダラダラ書くのは無能なワイくんが経験という事実を通して考えた妄想なのだー。
ワイくんが無能なのは生まれつきだし、ワイくんが楽しんでるものを即取り上げて「社会は理不尽で厳しい」と言ってくる予言の自己成就タイプの理不尽に育てられてるから、ワイくんは何をやっても無力感しか湧かないのだ。できないことなんて探すまでもなく、森羅万象できないことなのだ。○○さえできたら、なんてものすら思いつかないくらい、できないことだらけなのだ。そんなワイくんが仕事で普通に給料分くらいは働けているのは、神ではないし有能でもないワイくんが、ワイくんのことを全く信用してないからにほかならないのだ。ミスがあったらすんごい予算の無駄になるような資料のチェックとか、報告資料で妄想と推論がごっちゃになってないかとか、そういったチェック業務をワイくんはできるのだ。ワイくんは細かいことぐちゃぐちゃ言ってくるキモメガネハゲおっさんとウザがられてても、とってもすごい無能なのだ!
そんな人の粗探しが得意なワイくんにも、素敵な友人がいるのだ。仮にY君と呼ぶのだ。大雑把だけど、思いついたことを口に出せて間違ってたらちゃんとリカバリもできてトライアンドエラーが大得意な、ワイくんと正反対な有能な友人なのだ。憧れるのだ。自分のためにも他人のためにも頑張れる人ってすごいのだ。そんなY君も、できないことがあったのだ。彼は文章を書くのが苦手だったのだ。報告書とかの端的に要約するような文章も、読書感想文も作文も書けなかったらしく、卒論はたたき台だけ作ってほとんどは先生の添削どおり直して乗り切ったらしいのだ。Y君はそれをかなりコンプレックスに感じてるらしく、「文章さえ書けたらコンプレックスなんてなくなってもっと幸せだったのに」とたまに言ってるのだ。
正直に言うけど、Y君の文章は全然ヘタクソじゃないのだ。普通に書けてるのだ。ワイくんが細かいことぐちゃぐちゃ言いたい性分だから添削してって言われたらぐちゃぐちゃ言うだけで、別にそのままでも全然問題はないのだ。そもそもそんな愚直な努力ができるのがすごいのだ。ワイくんがY君だったらワイくんみたいな奴にできないところは丸投げして、得意なことで勝負するのだ。なんか知らないけど、Y君は文章が書けることに対して過度な期待を持っているのだ。本当に普通に書けてるならもっと幸せになっていないとおかしい、くらいのメンタルを持ってるかもしれないのだ。
何もできないワイくんは、たとえ何か1つができても大して人生かわらんし、幸せになることなんて無いと思ってるのだ。なんでもできるY君はだいたいなんでもできるからこそ、できないことに目が行って、それができたらすごいことになる、なんて過度な期待をしてしまっているのだ。すごいことにならないから、自分はできていない、なんて思うほどなのだ。文章が書けたって、文章が書ける以上の良いことなんてないのだ。
できないことができるようになったって、劇的な変化はないのだ。自己満足にとどめておくのが吉なのだ。それ以上は地獄なのだ。足の長さが足りない、頭が足りない、学歴が足りない。ワイくんはコンプレックスの塊なのだ。でも冷静さが足りていれば、それらが解消したって大したことにはならないことがわかるはずなのだ。足りないことに冷静になるのだ。ワイくんは色々足りてないけど、冷静さと諦観が十分に足りてるから、できることをやることにしてるのだ。他人の粗探しならワイくんにおまかせなのだー。
と言うと一部の人が「自己中心的」と罵り始めるが、自己中心的なのは本来当たり前です。
なぜなら、その人が「自己中心的と言っている理由」が、「自分(その人)の考えを基にした『自己中心的』思想」だからです。
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「嫁夫が一番大事」
「子供」
「親」
「親友」
ほとんどの人は(一番)大切な人がいる、あるいは大切なものがあると思います。
しかし、その「1番」はあくまでも「自分を除いた1番」であって、本質は「自分が1番で、お前が2番」。
理由なんて簡単で、 自分を大切にできない奴が自分以外を大切にできる訳がありません。
「0番の自分」がいなければ、「1番」どころか「2番」も大切にできないと思いませんか?
「自称・(自分を犠牲にして)相手に尽くすタイプ」って一定数いると思いますが、
尽くした相手が犠牲になったお前がを心配していたら、それは尽くせてないのではないでしょうか。
「僕私はこんなにあなたに尽くしたのに!〇〇〇うんぬんかんぬん!!」
考え直せ。
「私は違う」?わかりました。(諦観)
私違さんはさておき、どうやって自分を大事にするかというところですが、
一言でいえば、「2番目ごときに大きく左右されないこと」です。
「2番目」の人が「連れてって!〇〇〇に行きたい!」と言ってきます。
行く目的を伝えて、「2番目」が、「そっちは興味ない(嫌い)のでイヤ」と言って、本来の目的を達成できなくなりそうな時です。
「2番目」を切り捨てます。
「2番目」を連れて行くのは2回目でもいいからです。
ただ、お前という1番目が「「「無理をしない程度」」」に折衷案を作れるなら、それがベストです。2回目に聖地巡りをするとか。
譲れないなら、容赦なく「2番目」を捨ててください。この例で言うと、目的がイベント期間中であるなど、折衷案が難しい時などです。
この「無理をしない程度」というのが重要で、無理して「2番目」ごときに合わせようと「1番目」を押さえつけると、長期的にはストレスやら何やらですべてが壊れます。
最悪、お前の命が壊れます。
切り捨てるという表現をしていますが、当然「2番目」に大切な存在なので、丁寧にやんわりと断ってくださいね。
どんなに大切であっても、お前という「1番目」が生きている限り、そいつは「2番目」にすぎません。
趣味嗜好に関する話だと、この辺りを覚えている人が多いのではないでしょうか。
最後に繰り返しますが、どんなに大切な人や物があっても、それを大切にする「1番目」が心身ともに健康で余裕がなければ、大切にすることはできません。
自身のやりたいこと、好きなこと、それらが「2番目」に阻害されそうになった時、
先に捨てるのは「2番目」です。
そんなもんやで(諦観)
サプボをもらった時から、光のためにつけられたんだなということは分かっていた
ヒーローヴァーサスのイベントも光の既存ユニットイベントを消化するためのものになるだろうとは分かっていた
曲も特撮風になるだろうと予想はしていた
自分は特撮の知識は全くなく興味もないが、それでも知ってる唯一の曲は結構かっこよくてノリも良い曲だったから、そういう曲が来てくれたらいいなと思っていた
予告を見てダメだと思った
いや採石場の背景で喜べねーよ
タイトル本当にそれでいいのか?私は良くないが
実際にイベントが開催された
少なくとも救いようのないほどダサい曲ではなかった
それはそうだ、自分は光Pでも特撮好きでもない、ああいう曲も普段聞かない
でも聞く人が聞けば良い曲なんだろうか、分からないけど
でも、一応コミュの中のバトルでレイナが勝って、光と一緒にレイナが主導で考えた曲があれだとは到底思えないし思いたくない
どこにレイナの要素があるんだ
あの曲光1人でもいいじゃん
悪役いらないだろ
コミュでレイナが勝った、レイナが上位報酬のイベントであそこまで特撮色一辺倒にする必要はあったのか?
レイナに特撮的な悪役要素は一切ない、単純に悪を目指しているのでヒーローとは相容れない存在ってだけだ
3歳児の発想か?
きっとCDに収録されるソロバージョンはそれぞれ歌詞が違うんだろうけど
レイナが彼女のためを1ミリも思われてない曲調で薄っぺらな台本の悪役をやらされるのを聞くのは耐えられないからおそらくCDは買わない
自分は自閉傾向が強い。非常にうっかりしやすいところがある。スペクトラムとされるように、自分は日常生活でも勉学/仕事でもさほど支障はない。
なぜ、さほど、程度で済んでいるのかと言うと、全てを覚えゲーのようにこなしているからだ。この会話の流れではこう返す、こうなったときはああする。そういった成功を覚えて、間違わないように気を配る。フリーな会話や大人数での会話はパターン化が難しく、ほぼ沈黙で終わってしまう。しかしそれも、さほど、の範疇だろう。
熱中症の報道、自分も最初現地リポーターの返しが唐突でなにかシュールなコントを見ている気分になった。多分自分も最初はアナウンサーのように笑ってしまうじゃないかと思う。もちろん「とっさに大丈夫?を言うべき」「アナウンサーがパワハラ・ひどい!」「これはアナウンサーが悪い」とのコメントを覚える。こういう熱中症の兆候、気を回した放送事故回避の方法があり、まず心配してみせることが大事だと覚える。おそらく次には活かせるはず、でも、過去には?
自分の発想の至らなさ、それをわかっているから努力を続けている。でも、いつか絶対に悪い側に回ってしまうんだろう。諦観が続く。
私が今この世に居るのはあの犬のおかげだと思う。
出会いや犬種を書くのは気が引けるが、私がたった1週間弱の一人暮らしをした時、母と衝突した時、何もかもが上手くいかなくて事ある毎に「死にたい」と思った時、脳裏によぎるのはいつもあの犬の笑顔だった。
はてな匿名ダイアリーで、なぜこんなことをいきなり書いたかには理由がある。
先日あるSNSで、【自分の飼っている犬が満月の夜にほんの一瞬、数分間だけ人間の形を成して言葉を交わせるとしたら、何を伝える?何を聞く?】という発信を見た。
ありふれた想像だが、多くの愛犬家がほんの一瞬でもこの子に言葉が伝わったらと思ったことがあるだろう。
普段の私はというと、気持ちが強いときにある、物事を諦観しているような“おもて”がある。
なんとなく、自分の名前を明かして書くには気恥しさに耐えられなかった。
色々なことを考えた。
拙い語彙で、陳腐な表現で、どうにか美しく私の想いを飾ろうとした。
人並み以上に本を読んできたし、国語の成績もずば抜けていた。
作文や小論文も自信があった。正直、犬に対する想いを言葉にすることくらいなんとでもない、と舐めて掛かっていたのだ。
こう書くともう亡くなっているかのようだが、もちろんまだ生きている。
あなたの毛並みは本当に素晴らしく、まるで輝く宝石のようだった。あなたは言葉の通じない私に対して深い深い思いやりがあり、何度その心に救われたかわからない。あなたが生きて、健康で、傍にいてくれることだけが私の幸せなんだと、伝えたいことは沢山あった。
だが、いざ数分間で何を伝えるか、と考えると感謝の言葉しか出てこなかった。
あの犬を褒め讃える言葉はいくらでもある。あの犬の素晴らしさをほんのひとかけらでも伝えられる。でも、私があの犬に伝えたい言葉は「ありがとう」だけだった…。
“あの犬”と言っている犬は老犬で、犬種的にもそうそう長生きは見込めない。
出会ったのはあの犬が4歳の冬。空は分厚い雲に覆われ、風は無く、何枚着ても冷たさが足元から這い上がってくるような日だった。
あなたが私を嫌っても、死ぬまで、死んでも傍に居る。新しい犬を迎えて、あなたが思い出になっても、あなたは誰とも比べられない私の1番の友。どうか来世でもきっと、あなたの友になりたい。
追伸
はてな匿名ダイアリー初投稿、感情が乱れているので文章がごちゃごちゃです。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
私も「子どもがほしい」という感情をほぼ持たないまま、30年近くの人生を生きてきました。
根本にあるのは間違いなく家庭環境で、親は苦労して私を育ててくれたけど、道具で叩かれたり蹴られたり、外に長時間出されたり、ひどい時は下着一丁で家を追い出されたこともありました。「今すぐ窓から飛び降りて死んでこい」と言われたこともあります。生活の質に直結するから必死で勉強したけど、幼い頃やはり子どもたちを木刀で殴っていたという祖父は、そんな私の成績を外で自慢していました。
一方で、子供の学費を稼ぐためにパート先で苛められている親の姿を見て、子どもであることも親であることも、大きな苦しみであると学んでしまったことが、子どもをほしいと思わなくなった大きな原因です。小さい兄弟の面倒を見るのもそれなりにしんどかった。
今はこの親とほぼ絶縁しているけど、結婚して子どもをもつことは、私にとっては、成人してせっかく得られた自由を手放すことのように思えて、とても受け入れがたい考え方でした。私にとって、家族は幸福な経験ではありませんでした。
今は結婚しています。現時点ではDINKSですが、夫は子どもを持つことを希望しています。
あなたが挙げられていたような理由(すべてに同意します)を述べて、交際を始めて早いうちに、子どもはほしくないと伝えていました。夫は、子どもをほしいと思う感情に疑問を持たないまま人生を歩んできた人でした。私は、この関係を続けるか、子どもをほしくないという結論を出して別れるか悩んだけれど、どうしても目の前の恋人と別れるという決断を下すことができなかった。
(この人の子どもがほしいと思えないなら、愛情が足りないから別れたほうがいい、と人様には言われたり……)
結局、「いつかは子どもを持つことになるのだろうな」という半分諦観のような予感を抱えつつ、結論をだせないまま結婚しました(本来なら、きちんと結論を出してから結婚のような一大事は進めるべきです。間違いなく)。私が折れて子どもを持つことになったとしても、このひとは家庭人として子育てにともに関わり、一緒に悩んだり喜んだりしてくれるひとだという確信だけが頼りでした。
今は、「いつかは子どもを持つようになる」の具体的なタイミングも、見えてきた気がします。結婚を契機に実家と絶縁して、新しい家族を作るうちに、その延長線として子どものいる未来が視野に入ってきた感じです。実家との絶縁と新しい家族の形成を機に、自分の人生の舵を自分でとる感覚を得たり、読書や書くことを通じて自分の人生(ネガティブな記憶も含めて)を振り返ったり、家族観を見直す契機が得られたことが大きいです。とはいえ、今でも子どもを持つ持たないの間で揺れたり(「二人で十分幸せでいられるのに」)、メンタル不安定な日には泣いたり、過去の極端な日には「相手が子どもがそれだけほしいなら、子どもだけ産んで死にたい」と考えたこともありました。
育児漫画は見ないようにしています。やはりSNSはSNS、現実は現実で、両者は必ずしもイコールではないなと最近強く思います。
妊娠・出産にまつわるトラブルや支援、ありうる疾患、失職のリスク、失われる自由時間、アイデンティティの変化、そうしたものについて、よく考えたり、勉強したりするようにしています(もちろん生まれてみないとわからないことばかりで、最後は賭けですが、覚悟がないよりはましかなと……どんな決断にもリスクはあると)。
子どもを愛せるか、自分の持つ疾患の遺伝可能性等々、感じた不安は必ず夫に伝えて共有してもらいます。夫は、自分が子どもがほしいという理由について考えたことがなかったらしく、周囲の育児中の家庭に機会を見つけて聞いているらしいのですが、結局曖昧な答えしか返ってこなかったらしいです。色々話し合っていますが、たぶん生まれたらたくさんの「こんなはずじゃなかった」があると思います。
ここまで、結局「子どもを持ちたくないと思っていたけど、なんとなく子どもを持つのだろうなと予感している女の話」で、何かしらのマウントや自慢に聞こえるかもしれません。不愉快にさせたらごめんなさい。どちらかというと自分に向かって、自分の気持ちの整理のために書いてきた気がします。
あなたが子どもを産みたくない理由のすべてに共感しますし、尊重したいと思っています。この先の人生で、無理に子どもを持つ必要はありませんし、一昔前に比べたら私達は自由意志の時代に生きているわけで、どんな決断だっていいと思います。
あなたの持つ違和感や不安や憤りに対して、「子どもを持たない」という選択はひとつの大きな解決策です。
子どもを持たないひとから税金をとれみたいなことを言い放つ発想には(税制上は事実そういう側面があるわけですが)、反吐が出ます。何もしなくたって私達みんな、社会の一員じゃないですか。
ただ、子どもを持たないことに対して理解のあるパートナーを見つけることや、あなたの意見に耳を傾けてくれて、真剣な話し合いのできるパートナーを見つけること、別れ話をされるという今の相手の方とも、よく話し合うことをすすめます。別れ話をするにあたっても、できるだけ言語化して自分の考えを伝えること、相手にも自分の意見を言語化してもらうこと、などがあったほうがいいと思います(書き終わったあとで気付いたのですが、割とそういう感じでない方っぽいですね……すいません)。
タイトルから言うまでもないけども、自分は今の政権は支持してない
こんなタイトルだと、むしろ政権の不支持派が叩かれそうなタイトルだけども、もうそれでもいいやって思って投稿した
今はおもに観光業界の人たちからの、Go Toキャンペーンの話題がホットだ
(それでも後1ヵ月もしたら、みんな忘れるんだろうけど)
でも、観光業界なんて、これまでは中国、外国をたくさん呼び込んでくれる今の政権にずっと入れてきたんじゃないの
彼らが、自分の身の回りしか守ろとしない人たちだってのは、森友とか加計とか、それ以前の諸問題でずっと前から、化けの皮は剥がれてた、それでも、彼らを支えてきた人たちなんじゃないの
それにGo Toがあったとしても、もうあの政権はそれぐらいで傾くことはないんじゃないかって諦観がある
現に、コロナの諸対応ですら、あのザマなのに、それでも、なんの義務感なのか、自分の足元が崩れてきてるのに、ずっと海の向こうをにらみ続けて、この政権を守る人たちがそれなりにいる(この増田・はてなブックマークですらも)
以上、東日本大震災以降、民主党政権から今の政権に切り替わって、それから18歳初の選挙権をもらってから、頑張って投票してきたけれども、何も変わった感じがしない人の愚痴でした
キャンパス内で三密を避けながら講義を行うことは困難だ。徒歩で通学できる学生に限定して対面授業にするくらいなら現実的だけど、その方法を採ったとしてキャンパスに行けるのは全体の何%なんだろう。
大学でクラスターが発生した日には医療機関に多大なる負担をかけ、大学と生徒は白い目で見られることになる。そしてコロナは罹患したら最悪死ぬ。
自分も大学生だ。友人にはロクに会えず、お粗末なリモート授業はどう考えても学費に見合っていない。就職する頃にはおそらく大不況。はっきり言って、コロナのヤバさを知っていたくせに春節でのこのこ来日してきたボケナスどもと目先の利益に目が眩んで大した規制もしなかった政府、クルーズ船から下りた後大人しくしなかった老害が許せない。
しかし、いくら文句を言ったところでコロナは収束してくれない。過去は変えられない。GoToキャンペーンの是非は置いといて(個人的には反対寄り)、義務教育である小中学校よりも対応が後回しになるのは致し方ないことだと思う。
歴史においてどの時代もどこかしらがクソで、令和においてはそのクソな部分がコロナなのだろう。
例のハッシュタグを見つけたとき当初は恨み辛みを書き連ねてやる気満々だったけど、書いてるうちに諦観の方が強くなってしまったのでこっちに書いて投げた。
男は年齢を経ることに諦観みたいのがないよね。お前も同い年だろ…と思う。
表立ってネット右翼だったりしないのだけれど、自分にはそのケがあると思う。
たとえばその辺をちょっと散歩して、小川とか用水路とかを見下ろしてみるとほぼ確実に空き缶とかプラ容器とかビニール袋が捨てられている
でもそれを見て毎回強い怒りを感じる人はあまりいないだろう 「世の中そういうもの」っていう諦観を学んできてるから いくらゴミ捨てるなって言っても平気で捨てるバカはいるし、怒ったってどうしようもない
女性が(できたら男性も)夜中に一人で人通りの少ないところを歩いてはいけない っていうとき、襲ってくる暴漢とか性犯罪者は熊みたいな扱いだ 話が通じる相手じゃないし、いくら社会が成熟しても完全にいなくなるってことはない
反社会的な行動をとるバカとか犯罪者ってものの存在は天災とかどうしようもないものとして受け入れられてるよな
10人しかいなくて訪問者も来ない村で川にゴミが捨てられてたら問題になるけど人口500万人の街だと無視されるっていうのはわりと面白いような気がする バカは天災として確実に存在するし、それに対していちいち腹を立てても仕方がない っていう諦め
自分が弩級メンヘラだから周りに隠してる子のメンヘラ臭もわかるし相手もこっちが頑張って隠してる諦観を敏感にかぎ取ってくる 「メンヘラはメンヘラにひかれ合う!」 これはマジ
今まで知り合ったメンヘラは9割9分恋愛とかで悩んでる外向型メンヘラだから相談とか聞きつつ全肯定して包容すると勝手に落ちてくる 長いことメンヘラやってると相手のメンヘラが何をしてほしいか何を望んでるか手に取るようにわかるよね なんかゲームみたいで楽しいけど知り合ってそんなに経ってない人間に自分の全てを差し出して大丈夫なのか!?
しばらくして相手の全部を知ると飽きてきちゃうから向こうが人間関係になじんできたあたりで適当にLINEの返信そっけなくしたり飲みの誘い断ったりでフェードアウトしてきた ほかにも友達できたみたいだしそんなにしつこく追いかけてこないでしょ!という打算だけど実際1か月もしたらときどき恨めしそうな視線をよこすくらいでLINEも誘いもこなくなる
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。