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2021-04-23

anond:20210423204855

明るい笑顔があれば良い×2(必死の願望)

(中略)

それでもアサリ今日もゆく~~♪(諦観

2021-04-21

酸素のない水

普通とは何なのだろうか。

普通でいることが善なのか、はたまた悪なのか。

よく「量産型」という言葉を耳にする。

個性的で、長いものに巻かれる。それは当たり障りない人生というテンプレートをなぞっていくような言葉にも感じられる。

しかし。

先天的発達障害(ASDADHD、DCDのトリプルコンボである)を抱えて生きてきたわたしには未だに今ひとつ普通」「没個性」というものがピンとこないのだ。没個性を目指してもなれない、普通を求めても手に入らない。最初約束と違ったことを言われたり、イレギュラー要求をされるとそれを「普通」にはこなせないし、0か100かしかないので50を求められても相手の思うように返せない。

その発達障害20歳になるまで見つけられることがなく、いわゆる定型発達の子どもたちと混ざって幼少期から常に「変な子」「面白い子」と揶揄されてきた。その度に普通でいることのハードルの高さを感じさせられた。

かに物心ついた頃から子ども特有の目のキラキラ感がなかったことも自覚はしているし、どこか冷めているというか物事純粋に楽しめなかった。その上父方の家庭が自分たち価値観の型にはめていく教育方針だったこからそれに当てはまれなかったわたしはそこでの居場所も失ったこともその後の成長過程に大きな影響を及ぼしていると思っている。幼稚園小学校に行っては大人にとっては「ちょっと変だけど元気で明るい子」を演じ続け、帰ったら帰ったで本ばかり読んでいた。そして当時月に2回ほど行っていた父方の祖母の家((今はもう6年ぐらい行っていないので祖母も叔母も元気にしているかどうかすら知らない))では、わたしを連れて行っていた父親含めほぼ誰にも話しかけられることはなかったのでずっと2階の広い部屋に引きこもってポケモンを捕まえ続けた。常にいい子でいなければ死ぬ、という感覚はこの頃からあるし、過干渉されると怒るくせに愛されたい願望が変に強いとにかくめんどくさい人間になった。

いわゆる「普通の子」との疎外感からわたしは気がついたら常に死にたいと思うようになっていた。記憶の限りではおそらく小学校に入る少し前ごろからだっただろうか。でも大人にそれを言うとまた色眼鏡で見られることや世間体を気にされることは子どもながらに理解していたので、誰かにそんなことは言えないでいた。何なら今の今でも誰かに言ったことはないので、ここで初めて誰かに気持ちをぶつけている。

死にたいという感情を悟られるまいと思い必死にその時その時に全力で自分の生きる意味を探した。特にこれといった特技もなく、決して健康子どもでもなかったのでその度に壁にぶち当たったし器用に生きられなかった。し、今でも器用に生きられないでいる。

そして小学校高学年からだんだん学校に行かなくなった。気がついたら中学入学後、完全な不登校になって1週間寝つくことがないまま夜を過ごしたりその間に考えるべきでないことばかりを考えるなどした。その頃から心療内科カウンセリングを受けるようになり、良くも悪くもならないままこの前気がついたら干支が1周していた((むしろここ半年仕事などの過労から抗鬱剤を飲む生活を送っているので正直悪化している、けれど新しい病院開拓するにも腰が重い))

高校受験の時だって、「普通の子」になりたくて偏差値部活の活発さも平均的なそれこそ「普通」の高校を選んだのに周りからは「もったいない」((無駄論理力だけがずば抜けていて他が壊滅的なIQであるために、自分で言う話でもないが中途半端に成績だけは良かったので同級生保護者たちからはあまりまれ子どもではなかった))「もっと上の学校に行けばいいのに」と批判された。この時ほどにわたしの追い求めていた普通否定された経験は後にも先にもないように思う。

その後その高校入学し、不登校経験した上での高校生活での目標に「皆にとっての当たり前の日常」を掲げた。しか高校2年生の頃に病気が見つかり、当たり前の日常はおろか出席日数もギリギリクラスでは孤立しながら廊下からすぐのいちばん後ろの席で生活した。こんなはずじゃなかったのに、と何度も思ったけれど、どこか仕方ないと思って諦観している自分もいた。

大学でも2年生修了時に高校時代からの持病が悪化し中途退学。自分人生の中で比較的イケていた時期だと思っているが、学校生活「すべて」を謳歌したことは一度もない。その結果通信制大学編入し、単位まったりまったりと取りながらズルズルとマイペース学生という身分を続けてしまっている。

20代も半ばとなった今でも時に日常会話で「普通に」とか「常識的に」と自分の中で繕った普通をぶった切られることもある。最初は何とも思わないが、それを同じ相手から何度も何度も言われることで自分の中での普通はまだ全然普通ではなくて、むしろまだまだ程遠いところにいると感じてしまう。そして「普通」という名の相手感情の押しつけに嫌悪感を抱くし、「あなたが言う普通だってあなた個人価値観だよね」と言ってしまうので感情的にカッとされることも少なくはない。((カッと、ということで余談だがリストカットなどの自傷行為に走ったことはほぼない。その時間無駄だと思ってしまうしもっと具体的でもっと苦しいものを選びたくなるしいつもそれを考えているうちに過呼吸になっている))

この普通適応できない息苦しさはいつまで続くのだろうかと思うと過去記憶フラッシュバックしてくることも頻繁にあるし、それで過呼吸を起こすことだってある。結果身近な人が迷惑を被ることになる。いつまで経っても身近な人の立場からしたらわたしは最高にめんどくさくて、普通には到底なれなくて、どこまでもまっすぐに生きていけないとても厄介な存在なのだ

からこそ交友関係もどんどん希薄になっていくことには慣れているし、距離を置かれていくことを察するようにもなった。自分から誰かと接するということも積極的にできないし、むしろ入られたくないゾーンに入られたら精神の平静を保つべく全力で拒むようになってしまった。自分友達だと思っている相手からしたらわたしという存在は知り合いないしは顔見知り程度なんだろうなと斜に構えてしまう。iPhoneアドレス帳なんて家族含め3人しか登録されていない始末だ。でも別に特別広い交友関係を持っていてもメリットもないし、むしろ自分に相応しくないように思えてきてしまうしそれを悩む時間無駄だなと思う。

結局ひとりぼっちでいることしかできないし、結局誰かに頼る強さを得ることもできない。いつまで経っても弱くて、いつまで経っても自分自身のことを好きになることができない。常にコンプレックスに直面している。

アポンプのない酸素の薄い水がたっぷりと入った広い広い水槽で、必死に呼吸をする魚のような感覚だ。

いつかひょんなことからこの文章を見つけた未来わたしが、少しでも笑ってこれを見られますように。

そして、今よりも生きることを楽しんでいる「普通の人」に近づけていますように。

2021-04-06

弱者男性に女をあてがう=アファーマティブアクションだろ

弱者男性フェミニズムについて増田エントリが続いていた。

その噛み合わなさに強い違和感を感じていたけど、メロンダウト記事を読んで、その違和感が決定的なものになった。

https://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2021/04/05/093629

フェミニストが求める女性政治家管理職比率是正と、弱者男性が訴える結婚仕事での救われなさの救済とは、雑に恋愛が~と言って同じテーブルに乗せていい物じゃない。

だが、いずれも第三者他人選択強制することは許されないという一点でのみは同じだと考える事も出来るだろう。


現状の女性管理職比率是正しようと思えば、アファーマティブアクションのようなことをしなくてはならないだろう。

アファーマティブアクションというのは、アメリカ大学黒人学生白人よりもアジア人よりも入学やすくなっている、という有名な不公平権化だが、社会的には

黒人差別歴史によって文化的な背景から家庭において十分な教育を受ける機会に恵まれないケースが多くみられる。黒人白人と同じ得点テストで獲得するには、より多くの努力必要とする。」

なんて言って正当化されるわけだ。

現在においては、貧しい白人学生は、豊かな黒人学生よりも幼少期の学習環境にハンデを背負っているはずで、もう黒人優遇にたいして意味はないと思うが、

アファーマティブアクション自体アメリカにおける黒人奴隷の歴史等を考えれば強く異議を言えるはずがない、という強制力のある不公平で今や誰も抗えない。

だが、そんなことを言ってる一方で、同じ基準で選べば楽々とテストクリアするアジア人学生には通常より高い壁が与えられている。

こんな試験に公平も糞もないんだが、大学自分たち意志自分たち必要とする学生を選ぶし、その基準選考である大学が定めるものだと考えれば

そう考えた時点で、第三者には文句を言う資格などなくなる。


ちょっと前に医学部試験女性合格しにくくなっていた事が問題となったが、それも同じことだ。

現場は、より体力があり出産などで離職しない男性医師を求めている」

という理由で、選考である大学恣意的選択をしたに過ぎない。

医師の数に対して異様に多い病床数によって医師の過重労働が続いている事と、医師の数が充足してない地域があるという医療行政上問題を、現場選考基準でいなそうとしてるというだけにしか俺にはみえない。

これに対して女性に対する差別だ、などと吹き上がる向きには、黒人白人も全く同じ基準で選ばれるべきだと思うのか?と問いたい。

医療現場男性医師を求めているという理由と、歴史的な理由黒人環境にハンデが残っているという理由

どちらも選考する権利を持っている大学が、試験結果に加えて加味する理由としては、十分に理解できるものだし、誰かにとっては不公平だと感じても、納得しておくしかない。



同じ様に、弱者男性女性に選ばれない。女性下方婚をしない、なんていう非難も、女性には自分が好きになる相手を選ぶ自由がある、という一点で考えて意味がない。

全ての人間に、自分が好きでもない人間とは結婚しないですむ権利はある。

人事考課が同程度の男女がいれば、ちょっと劣っても女性積極的管理職しろ

成績が許容範囲内であれば、ちょっと劣っても黒人積極的合格させろ。

年収学歴などが近しければ、より恋愛弱者の経験に乏しい男を伴侶に選べ。

から言わせれば、どれもこれも同じで、どんな理屈正当化したとしても、ただの迷惑まりない押し付けに過ぎない。

女性が、同じ年収イケメンKKO選択肢にある中で、KKOを選び取らされれば人権侵害だと荒れ狂うと思うし、それは応援したくなる怒りだが

大学教授が、優秀なアジア人と成績の劣る黒人とがいて、成績が劣る黒人学生研究室に当てがわれて怒ってはならんのだろうか?

俺はどっちも、本来は選べたベスト選択肢を不当に奪われたという理由で、怒っていいと思う。



弱者男性が言う不平等ってのは、要はこういうことなんではないのか。

女性女性であると言うだけで、アファーマティブアクションによって有利にすべきだと、能力もないのに社会における競争相手である男に強制しようとする。

ならば、女は恋愛結婚において、魅力もない弱者男性積極的に選ばされるとしたら、どう思うんだ?と、こういうことなんじゃないのか。

女性歴史的に不当な扱いを受けてきたら、そもそも競争の減資となる力がまだまだ男に劣るし、そういった偏見社会にある。

多少は強制しなくては社会は変わらないと、フェミニストは叫ぶ訳だが、医療現場男性必要としてる病院にとっては迷惑しかないだろうし

女子高が多すぎるがゆえにやむなく公立高校では男子学生を増やすしかなかった学区の担当者にとっては、怒りすら湧いてくる存在だろう。


弱者男性側の理屈を見ていると、自分境遇に対してはとっくに諦観を持っていて社会に対して救えと言いいたい気持ちもないが、

お前は男だ自助努力が足りないだけだと、弱者男性を踏みつけながら、能力がなくても管理職になったり救われるべき存在だと主張してるフェミが目に余るだけなのだろうと思うよ。

そんなことを言うなら、まずは弱者男性に女をあてがってみろ、と皮肉もいいたくなるってもんではないか

女性管理職比率だなんて言っても、他社にそれをやれとさかんに報道したがるメディアからして、女性管理職比率は低い。自分たちですら使えないと分かってるもの押し付けるのは不条理すぎるだろ。

フェミニストの皆さんは、不公平他者不利益押し付け社会的正義を、一緒になって社会押し付けて抑圧しようと、弱者男性を誘ってみてはどうだ。

anond:20210405201511

2021-03-30

無気力諦観・無感動が俺の心を占めている

2021-03-27

anond:20210327005113

うーん、他人幸せもたくさん見れば、同じ直線上プロットされないと思うんだけど。

幸せ見出し方は千差万別じゃない?

しかに振れ幅大きい人はいるけどさ、全部相手にしててもしょうがないし。

競ってもしょうがない部分は諦めるしかないし。(諦観

2021-03-23

プロフェッショナル庵野特集はリトマス紙だった

プロフェッショナル庵野特集の反応によって、その人の仕事観のリトマス試験紙になるなと思った。

 

共感庵野すごい!     1割

共感庵野クリエイターもすごい!でも自分にはできない 3割

共感違和感が半々。庵野すごいけどスタッフ可哀相 5割

④全く共感できない。支持しない 1割

 

ざざーっと、Twitter自分フォロワーやまとめなど見ての印象だけれど、分布としてはこんな感じかな。

フォロワーの偏りで割合の誤差あるかもしれん。

 

①は、もう完全にブラック思考ブラックに飼いならされてる奴か、ブラックとして使い潰してる側の人間

大抵そういう場合庵野自分を同一視して、自己肯定してる。使い潰す側なら庵野と、使い潰される側ならスタッフと。

でも、庵野は作るものが凄すぎるしその分の待遇スタッフに与えているから辛うじてバランス取ってるけど、普通のあなたがやったら(やられたら)ただの搾取からね、ってやつ。

 

②はクリエイティブ系とか企画系の職種に多かったかな。あとはフリーランス

まあ、庵野気持ちはわかるんだけど自分にはその気力や実力がないや、っていう諦観や、自分仕事自分の金で作ってないから同じことできない立場の人。

でも出来るんなら庵野側の立場になってちょっとやってみたいっていう気持ちもある

  

③はまっとうな社会人一般企業に勤めて、正社員経験しかない)

なかなか決まらない仕様提案しても方向性すら示してくれない上司、一度決まってかなり動いていたものがひっくり返るetc...

自分職場ではそんな事件起きてほしくないけど、でも、エヴァ面白いし、あの現場ドキュメンタリーとして見る分には面白いと思える。

 

④はブラック経験者だな。日常庵野現場のような、そんな奴ら

 

 

①と②は、上に立って条件が揃えば下を潰す可能性あるんじゃないかな。

 

 

あなた番組を見た感想はどれでしたか

2021-03-18

anond:20210318111049

訴えられたら嫌なので名指しはしないが○にも普通にIT部隊(開発、運用)があって、困ったちゃんをいっぱい飼ってるぞ

 

財閥系(メーカー系)は日立けがまともとで

日立以外は技術向上心もヤベーの多いんだけど日系で激詰めがないからかおっとりしてる人が多いんだよね

あと年功序列諦観があるからか『まぁいいか』がある

 

けど外資系の〜コンサル系の〜IT部隊(開発、運用)の子らは〜

技術向上心もヤベー上に上長から外資コンサル的な詰め方されるからか『まぁいいか』がねぇのよね

そのあふれる情熱あなたの足りな過ぎるスキル向上に是非まわして?と思いながらヨシヨシしてるよ

 

キミがいまアサインされているのはIT部隊メンバーであって、コンサルとしていまアサインされていないよ?ってヘッドホン強制装着させて24h聴かせたい

 

関連増田anond:20210318023059 anond:20210318022825

2021-03-11

諦めの微笑み

全能の神や、悟りに到達した仏がいたとして、人を眺めた時に感じるのは、人がいか悟りから遠く、救うことが難しいかということだろう。

神仏の絵や像によく表現される微笑、穏やかな表情を見るたびに、これは諦観からくるものではないかと思わされる。

2021-03-10

anond:20210310184536 anond:20210310185744

諦観じゃなくてbotレベルのご都合NPCしか住民がいないじゃん

宗教団体の村だってあんなにお行儀よかないよ。個々の人間からいろんな方向を向いてる

宗教団体じゃない場合は尚更でイケハヤとその周辺だってそうでしょ

 

もちろん記号的にサラッと描いて良い場合もある。10分やそこらで流す場合な?

けど、村編何分やったよ?って話ですよ、ダラダラダラダラとナディアの島編かよ

しかも、シンジが立ち直る、この場を守ると決意する、重要きっかけなはずだろ?

まだ もののけ トレスのがマシだったんじゃ?

 

世界自分のせいでめちゃくちゃになった、味方だったカヲルを目の前で喪った、

その鬱積と吹っ切れの表現は情感たっぷり緒方恵美がやってくれたからまぁ良いかみたい雰囲気になってるけど 

ストーリー上では何も起きちゃいないぞ

ポカ波が顔出しして『シンジくん好き』って言っただけ

そしてbotレベルのご都合NPCがそれに横槍入れなかっただけ

よく言えば成熟大人になる

悪く言えば諦観

ただ、シンエヴァについては現実を受け入れろって話だと思ったが

2021-02-02

独身税時間問題

現状すでに実質独身税みたいなものはあるわけだが、独身だけ狙い撃ちして税を課します!なんて流石に言わないだけの余裕はある(と思いたい)

しか高収入世帯への児童手当はついに廃止と発表してしまった

いよいよ形振り構わなくなってきたわけだ

そのうち独身税を導入しても「まぁ仕方ないよなだって独身フリーライダーしずるいもん」と諦観ムードが漂いそう

女友達が目の前でお持ち帰りされた件

別に彼女ではなかった、何度か遊んでて普通にインドア趣味が合うなーって程度。

恋愛感情があったかは今となってはわからなく、でも互いに付き合う相手はいなかったので、正直多少期待をしてた部分もあった・・気がする。

そんな女友達、昨夜バーっぽい居酒屋で(※緊急事態宣言の出てる土地ではない)俺と彼女二人並んで飲んでると、

一人の男が彼女の隣に座ってきた。

彼は見た目は冴えなかったが、クラスに一人はいそうな面白い男という感じでトーク面白く、

俺は最初は何だこいつと思ったが、気がついたら3人で普通に話をしていた。

そのうち、彼女が酔って気分が良くなったのか、俺の肩にもたれかかってきた。

別にドキっとかしなかった(のでやはり恋愛感情はなかったのかもしれない)が、人目もあって気まずい気持ちが少し沸いたので、

俺は少しヨシヨシとなだめた後、彼女にシャンとするようにした。

すると彼女は目の前のテーブルに少しうつぶせになったかと思うと、

何と今日会ったばかりの隣の男の方の肩へもたれかかった。

俺は「え?」とそこから訳がわからなくなった。

男も驚いた風を見せ、まいったなぁ〜とポーズだけとるが、嬉しそうにニヤニヤしている。

そしてもたれかかった彼女を話すまいと肩を抱いて、あとはずっとくっついてた。

繰り返すが、俺はただ訳がわからなかった。

かに話は盛り上がったが、今日会ったばかりの男にピッタリくっついていて

尚且つ彼女は全く抵抗も見せない(彼女は酔ってはいたがぐったりし切ってたわけでなくちゃん意識はあった)

再三繰り返すが、俺の頭は「理解不能」って感じになり、ただその時俺はイライラしていた・・と思う

その後飲んだあと3人で店を出る。男は「彼女のことを送る」と言い出した。

が、どう考えてもこの状況でちゃんと家に送る訳ない、ホテルか男の家かわからないが、性行為コースは間違い無いだろう。

俺は彼女にそれでいいか聞いた、すると、答えは「うん」だった。

俺は彼女の身の安全のこととかどうでもよくなり、ただ失望した。

そして俺は一人帰宅して部屋にいて、今日はなんだったんだろうとぼーっとしている。

少なくとも今後彼女と連絡を取る気持ちは全くなくなってしまって、LINEブロックしようかと思ったが、

とりあえず非表示にとどめといた。

3分の1は寝取られたような嫉妬気持ち3分の1はそういう女性だったんだという失望3分の1はまぁいいか・・と諦観

いややっぱり単純にどうしてこうなったのか分からなかった。

とにかく初めから、知り合わなければよかったのかなぁとか今考えてる。

彼女と過ごした時間が全て無意味になった気がする。

人生はクソ

2021-01-12

ハルヒ新刊読んだけどハルヒではない何かだった

何というかハルヒらしい尖りというのかな、それが全部取れてたというか

1巻にあったような思春期感情の甘酸っぱさ、瑞々しさもないし

個人的ハルヒの一番の特徴と思ってるのが語り手であるキョン鬱屈した精神性、

全てを諦観したようでありながら何かまだ諦めきれないような、何者でもない自分を受け入れようとする自意識と何者かになりたい無意識の衝突というか、

何者かであることを諦めず、実際に能力的にも何者かであるハルヒとの残酷さすら感じるコントラストというか

そういったものがあったんだが、新刊では単に老成した窓際族みたいになっちゃってる

考えたら谷川先生もう50台だもんな

瑞々しい感性ラノベを書けっていうのももう酷だよな

後半ほとんどミステリ談義とミステリだったしな

小説読むのと書くのは好きなんだろうと感じたよ

実際、読み手である我々も並行に同じだけ歳を重ねているわけだから、それはそれでいいのかもしれない

だけどそれはやっぱりハルヒではないんだよな

ハルヒキョンは、谷川先生や我々読み手と並行には歳をとっていないのだから

2021-01-05

まさか韓流ドラマにハマった話【追記あり2023年12月追記

俺用メモです。

韓流なんか見てたまるか、と思っていた基本韓国嫌いの俺ですが、ステイホームでうっかり「愛の不時着」を見てしまい、以来すっかりハマってしまいました。

良いものは良いと認めざるをえない。

というわけで俺のおすすめするトップ10+くらいをできるだけネタバレしない範囲で紹介したいと思う。

無人島ディーバ

1話、3話、最終話ラストシーンは涙。全編を通して人生訓にもなるような考えさせられる深い名言の宝庫。どん底から這い上がるたくましい生き方共感する。「強く願えばいつか叶う、意外な方法で」 パク・ウンビンの歌唱力に脱帽した。

恋慕

ウ・ヨンウ弁護士を好演したパク・ウンビンの魅力全開。韓流時代劇にはハズレなしだと思う。数奇な運命により、女であることを隠して王となり名君として良政を行う。女として生きたいが生きられない悲しみ。そして最後にたどり着く女としての幸せ。「欲しいものが一つだけありました。かんざしです。」最終話歴史に残る名作といってよい。

いつかの君に

君の名は。に大いにインスパイア()されたタイムリープ恋愛サスペンス恋愛物だがサイコサスペンスと謎解きがあり、時系列人間関係を立体図に書いてメモっていかないと頭の中がこんがらがるくらい複雑に絡んだストーリー。数々の伏線ラストで見事に回収されていくとても練り込まれ脚本。終わり方が本当に切なくて美しい。君の名は。オマージュ?というかそのまんまだけど。

紳士お嬢さん

76話もあって見終わるまで骨が折れるが、バカバカしくも続きが見たくなるよくできた秀作で結局最後まで飽きずに楽しく見られた。長かっただけに終わってからのロスが激しい笑

ウ・ヨンウ弁護士天才

心優しい、優しい世界の話。自閉症スペクトラム障害で人の心がわからないが写真記憶能力を持つ天才弁護士となって活躍する。ウ・ヨンウ弁護士がとにかくかわいい物語がとにかく優しい。心救われる映像物語現実的じゃないとかやぼったいことは言わない人へ。

私の開放日誌

なんかタイトルからして北朝鮮から逃げてきた人の話かと思ったら全然違った。人生なんてろくなことない、ただ心を無にしてやるべきことをやるだけ・・・という諦観の境地に達してしまった不遇な女性が、心を許せる「ヤクザ」と知り合って、互いに惹かれていく。自分こころ解放していく日誌をつける。人生がつまらないと心を閉ざしてしまったあなたへ贈る、こころが救われる物語主題歌が耳に残る。

王になった男

「恋慕」が明らかにインスパイアされてそうな、恋慕より数年前に制作された似たような作品こちらは女性男性と入れ替わるのではなく、庶民である道化師王様と瓜二つであったこから数奇な運命に巻き込まれていく。最終回はいろいろあったが一応のハッピーエンドでホッとする。

マイディアミスター私のおじさん

ラブコメみたいなタイトルだがコメディ要素が一ミリも無いとても重い話。不幸な生い立ちのせいで社会底辺で生きてきた少女が、人生に生きる意味を失っているものの誠実で心優しい「おじさん」と出会い、互いの人生に影響を与えていく。ヒロイン韓国トップアイドル歌手と知って驚いた。演技力素晴らしい。最終話は観ながら一時間ずっと泣いていたくらい。誠実な二人の幸せ未来を感じさせるラストが素晴らしい。

椿の花咲く頃

私が人生で一番泣いた作品かもしれない。登場人物の全員(ただし犯人を除く)に深く深く共感できる心理描写にとても優れた作品

不遇な人生のせいで自己肯定感どん底に落ちた未婚のシングルマザーが、苦労して苦労して子育てをする中、褒めて褒めて褒めまくるスーパーポジティブマン警官出会って立ち直っていく話。身近にありそうな人生ドラマであり、恋愛ドラマとしても素晴らしく、サスペンスドラマ殺人事件を軸に話が展開していく)としても秀逸。笑いもある。主人公の男女がとにかく魅力的。子役も魅力的。演技力凄い。最後まで視聴した後の読後感(余韻)が素晴らしい作品

梨泰院クラス(イテウォンクラス

ビジネスドラマであり不遇な青年人生をかけた復讐劇でもある。その点でよく半沢直樹っぽいと言われるが半沢直樹オモチャに見えるほど脚本が素晴らしい。群像劇なので登場人物それぞれの人生が並行して描かれるが、どの人物もとても魅力的。恋愛ドラマとしても秀逸。

貧乏な男との結婚はイヤ。だから好きな男は私の手で成功させる。私が努力してあなた金持ちにして差し上げます。」という恋愛観が衝撃的であり新鮮であり新しい女性像を描いていると感じた。

トランスジェンダーや肌の色の違う外国人への差別問題を扱った社会作品でもあり、彼女ら/彼らへの応援歌でもある。これも読後感(余韻)が素晴らしい作品。泣けるシーン多い。

スタートアップ 夢の扉

ビジネス恋愛ドラマIT系スタートアップ企業が生まれて成長していくさまがわりとリアリティをもって描かれている。恋愛ドラマとしても秀逸。笑い多め(3話ラスト死ぬほど笑ったw)恋愛ドラマとしてはラストの切なさが半端ない。結末には賛否両論あるようですが私はあれで良かったのだと思っている。メインキャストの一人、ジピョンは名前文字並べ替えると「手紙」になるというアナグラムになっているそうだがそういう緻密で心優しさに溢れる脚本が素晴らしい作品。あとシャレオツ音楽がとてもいい。OSTサウンドトラック)は必聴。

愛の不時着

クッソしょうもない笑いあり、シリアスあり、派手目なアクションありの総合エンタメ作品基本的には恋愛ドラマですが北朝鮮生活などが興味深く描かれておりエンタメ作品として極めて優秀。笑えるシーン多め。登場人物みんなに愛嬌があり魅力的。メインキャストではない二人のサイドストリー悲恋号泣。このドラマ音楽がとてもいい。Flowerという曲の和訳を読んで泣いた。サントラ欲しくなるドラマNo.1でもある。

ストーブリーグ

ストーブリーグとはプロ野球世界オフシーズンの冬の間の公式試合のない期間のこと。万年最下位で荒れたチームが門外漢ゼネラルマネジャーを迎えたことで劇的に変化していく。マネジメントとは何か、リーダーシップとは何かを考えさせられる。世の中の企業トップ経営者やチームのリーダーとなる方々に是非見てほしい作品

グリーンマザーズクラブ

サスペンスあり、子育てに悩む母親の姿あり、嫉妬あり、多くの要素が絡み合った複雑なドラマだが根底にあるのは女同士の真の友情と思いやり。前半は子育て中の、あるいは子育て経験のある男女ならとても胸にくるものがあるのではないだろうか。子役迫真に迫る演技もすごい。韓国ドラマはどうしてこれほどまでに心理描写に優れているのだろうか。

ラストまで展開が読めない見事な脚本で、終わった後の余韻も良い。41歳のイ・ヨウォン(ウンピョ)が美しい。音楽も良い。

39歳

人生の大半を共に過ごしてきた3人の女友達友情物語。三人のうちの一人が病気余命宣告されてしまう。親友っていいな、というお話

二十五、二十一

フェンシングスポ根物語かと思ったら、友情あり、恋愛ありのごった煮青春群像だった。いろいろ設定が非現実的だけど心理描写がうまくてとにかく泣けるドラマラストハッピーエンドではない。後味が必ずしも良くないけどドラマが終わって振り返ってみると色々なことがあった約20年間の出来事が一つ一つ思い出深く、本当にこの5人の若者たち自分も一緒に青春を過ごしてきたかのような思いに駆られる。記憶に残る作品青春ていいな。

注:韓国では数え年のようで、実際の年齢はマイナス2歳して下さい。(23歳と19歳)

ミスターサンシャイン

これは極端な反日感情描写を含むので日本ではあまり宣伝されないが、大河ドラマなみの超大作だと思う。完成度の高い傑作。朝鮮の「ザ・ラストお嬢様」と、偶然に彼女人生にかかわってしまった3人の男たちを中心に、李氏朝鮮崩壊していく時代の流れに翻弄される数奇な運命を描く。切ないお話

キム秘書はいったいなぜ?

笑いに全振りした恋愛コメディサウンドエフェクトの使い方が面白くて笑える。泣けるシーンもある。全編楽しんで見ることができ最後まで飽きない。悪人が一人も出てこない。登場人物みんながそれぞれとても魅力的。

その年、私たち

幼馴染の男女の成長の物語。7話くらいまでかったるいけど8話あたりから面白くなってくる。最後まで見てとても後味のよいドラマハッピーエンドなのもいい。そして音楽がほんといい。サウンドトラックを買いたくなるレベル

気象庁の人たち

キム秘書ことパク・ミニョンさんはもう完全にコメディ女優になってしまった笑。基本コメディ貴重の恋愛ドラマラストハッピーエンドだけどあんまりスッキリしないなあ。ミニョンちゃん可愛いだけのドラマ。まあ見ていて飽きないしドラマとしては面白くはある。

ミセン(未生)

ビジネスドラマ。「未生」とは囲碁用語で、まだ安全が確定されておらずいつ死ぬ相手に取られる)かもわからない碁石のこと。囲碁棋士を目指して挫折した青年(学歴ナシ)が26歳で初めて一般企業インターンとして勤め、ボロボロになりながらも人間として、ビジネスマンとして成長していく様子を描く。社会経験のある人なら涙なしには見られない真面目なドラマ韓流には珍しく笑えるシーンはあまりないド真面目一本勝負就活を控えた学生達にはぜひ見てほしい作品最終話は完全に蛇足で無いほうが良かった。

ヴィンチェンツォ

ヴィンチェンツォとは人名ビンセント」のイタリア発音と思われる。イタリアマフィア一家コンシェルジュ(最高相談役)として上り詰めた弁護士韓国に隠した財宝を取り戻すため帰国し、市井の人々と巻き起こすドタバタ劇。基本的にはコメディで泣ける要素はあまりないがサスペンス要素もあって面白い。

mineマイン

韓国財閥一族の熾烈な権力争いを描くドロドロの昼メロサスペンス。泣ける要素はあまりないが面白かった。

刑務所ルールブック

プロ野球チームでエースピッチャーだった兄が、暴漢に襲われた妹を助けたものの過剰防衛犯人を殺してしま刑務所に投獄される。プロ球団から解雇され引退か、となるが刑務所内で地道に練習を続け、最後プロ野球に復帰するという物語淡々と進むストーリーで退屈な部分もあるが、いいドラマだった。

秘密の森

検事ドラマ。腐敗した検察庁の悪を暴こうとする若い検事女性刑事シーズン2は退屈でイマイチだった。

番外編

評価高いものイマイチだったのは以下の作品かな。

トッケビ

トッケビとは韓国に伝わる妖精妖怪?みたいなもの輪廻転生を超えた普遍の愛を描いたファンタジー。一大ブームを起こした作品のようですが私には合わなかった・・・

サイコだけど大丈夫

人気があるみたいですが私には合わなかった。登場人物にあまり魅力がない気がする。共感できなかった。

まぶしくて - 私たちの輝く時間 -

25歳の女性が浜辺で拾った古い腕時計を巻き戻すと自分だけ時が進みおばあちゃんになってしまう。見た目おばあちゃんの中身25歳が繰り広げるドタバタ劇。ネタバレになるので書かないがラストであかされる真実はとても重い話だった。

とりあえずこんなところで・・・

2020-12-28

自民党は支持されてるわけじゃなくて、もうこの国は良くなることはない、なら日本すげぇと言ってくれて気持ちよくなれる党に入れよう、という国民諦観自慰で選ばれているだけなので…。

まぁ自民党自身国民が諦めたことを良いことに口八丁で徹底的に底辺から搾取して、自分たちとお友達けが生き延びるように行動しているか自民党も本気で自分たち国民から支持されているとは思ってないと思う。

気付いていないのは底辺国民の大多数)だけという。

じゃあ野党真剣に国のことを考えているのかというと、そんなことはなくそいつらもそいつらが自分が生き延びるためにしか行動してないからな。

日本の政治家にとって国民搾取する対象しかない。

2020-12-19

anond:20201216163157

富野作品には厭世観人間不信が感じられるので、生殖恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。

下世話に言えば、アムロカミーユ機能不全家庭育ちで恋愛や家庭への不信をこじらせ幼なじみにも冷たい非モテっぽいのに、ララァやフォウとは出会って即スマートにいい感じになるのはNT共感を踏まえても納得できないってこと。

これは富野自身結婚子供を作っていることへの「こんな作品作ってて家族持ちなの!? だから子孫肯定なのかもしれんけどよく結婚する気になったな!?」という戸惑いとも近い。

ここら辺は小説版ガンダムを読めば分かりやすいかもしれない

アムロカミーユも家庭を省みず仕事にのめり込んだり不倫する両親を軽蔑していたし同時にそんな親に愛されたかったけど叶わなかった

そこで「あの両親を見て恋愛なんかする気が起きる訳ないだろう!」とはならず気になる女を見かけたらすぐに口説いて親密になろうとしてしま

その理由簡単で、単純にあの二人は性欲が強くその上で自分欲望にとても正直なので、両親という最悪のケースを知っていても性愛肯定出来てしま

アニメだと生々しすぎて描かれなかったけど、小説版ではあの二人が戦争に巻き込まれる前頻繁に自慰を行っていた事や女性性的な目で見ていた事が明かされている

アムロセイラさんと寝たり親父のPCエロ画像見ていたり、カミーユはファの体操着写真性的オカズにしていた事が匂わされていた

他人と一緒になっても良い事なんてある訳が無いだろう…って諦観と、それでも異性とやりたくて仕方ない…という本能肯定が同じ作品で描かれるのが富野作品の生々しさなのかもしれない

2020-12-16

anond:20201216163157

個人的には、富野作品には「生命賛歌」のような思想共通してあるように思う。

命のすばらしさとそれがあっという間に消え失せるリアルな儚さとでもいうのかな。

で、「生命賛歌」を個人だけの視点で捉えたら親とか恋人とかは足枷になり得るんだけど、そういう存在がいないと人間生命を生み出すことができない。

結局人間地球に生きる動物に過ぎないんだよっていうある種の諦観と、それでも人間らしくいようとするジレンマに折り合いをつけた結果が富野作品のなんともいえないリアル表現を作ってるんじゃないかと思う。

2020-12-04

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2020-11-10

PS5を買ったつもりがエコバッグだった

という夢をしばらく見ている。

正直なんで俺が初日Amazonで予約できたのか、全く理解できないでいる。

界隈の名だたる方々が抽選にはずれ続けている、

という悲鳴諦観と憤りの感情ミサイルのごとく飛び交うそ真下

マジで本当に予約できたのか、騙されているんじゃなかろうかと疑心不安になり、

ねずみのように息を殺しながら日々Amazon購入履歴を開き、

どうやら現物12日に到着予定である、ということを指差し確認しては

ブラウザバック」をせずにそのまま「ウインドウを閉じる」ということを繰り返している。

それにしても、特典のAmazon限定エコバックというものがわからない。

俺はPS5を買ったつもりで5、6万円くらいするPS5型のエコバックを買ってしまったのではなかろうか。

かに、あの形状であるサイズである

取っ手さえつけば、横からの衝撃に強いエコバックにもなろう。

マチもあるっちゃある。ディスクを入れる部分はおそらくポケットで、

会計金額の端数のための小銭入れでも忍ばせておこう。


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思えば日々負けの人生だった。

この手のもので予約サイトそもそも接続できたことがないし、

唯一カートに入れられたスイッチあつもりverも、

次の画面では京都怪獣に食われていた。

この世界交差点信号は俺のために赤になる。

道の角をまがり駅が見えたと思えば、同時に減速中の電車を見てしまう。

レジに並べば前のお客さんが、おそらくあるはずのないクーポン券を探し始めて

他の列が快調に進む中、ダメ押しとばかりに丁寧かつテクニカルな小銭の出し方をする。

また仕事では念願の独立をした翌週にダイアモンドクルーズしてきた。

そんな俺が素直にPS5を手に入れられることができるとは思えないのである

別にゲームで食っているわけでもなく、配信も何もしていないウルトラ一般人が、

PS5を入手することあらゆるリソースを割いている方々に先んじるという、

そんな道理があるだろうか?

よしんば手に入れたとして、

それと引き換えに知らないうちに何かを差し出しているのかもしれない。

制約と誓約

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いや、もう考えるのはよそう。

大人になって最も学んだことは「期待をしない」ということだ。

忘れたのか。

12日の夕飯は何にしよう。時節柄鍋だろうな。

長ネギのはみ出したPS5を抱えてスーパーから出るのだ。

笑えるよな。

2020-11-06

anond:20201106161618

コンプライアンス的にNGですねで終わる

けど各種メディアフツーに見る光景だよ。美人過ぎる○○とかアスリートにもやってる

どうしようもないダブルスタンダード

 

これおっさんにやった場合は長年の諦観から炎上しないけど (おっさんは雑に扱われても良いみたいな空気感)

チー牛世代ならフツーに炎上するんじゃないの?

チー牛って差別的スラングを使わなくともね

からこそ、とんねるずみたいな笑いや、誰かを傷つける小馬鹿にする笑いは、

若者に受けにくくなったという認識だよ

2020-11-01

anond:20201101180113

そう

隣の芝生なんだということは分かっている

そしてもう取り返しがつかないということも

もし研究を捨てて、普通に結婚して出産していたならば、同じ病気死ぬ人の話を聞く度に、「どうして研究を諦めたのか、もしかしたら自分が頑張れば救えたかもしれない」って葛藤するんだろうとも思う

二つを選べればよかった

だが自分にはそこまでの能力はなかった

それも理解している。諦観するしかない

2020-10-29

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

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