はてなキーワード: 肥大化とは
なぜ文字書き女オタクはフェミニズムと長時間触れ合わなければならないのか?
まず先に謝罪しておくが、表題の件に関して書くに至ったのは完全なる私怨である。
何年も前から視界に入っていた話題ではあったが、今年に入り、恐らくはコロナ禍によるネット上での情報交換の活性化によって、フェミニズムを取り巻く環境はどうやら次のフェーズに突入していると体感したからだ。
ちなみに本稿ではフェミニズムとツイフェミとミサンドリー(男性嫌悪)をあえて区別しない。
本人たちがフェミニズムを名乗っている以上、第三者あるいは敵対者である私がレッテルを押し付けることは人倫にもとるからである。
さて、ある程度年嵩のいった文字と縁のある腐女子ならSNS上で一度はフェミニズムという言葉と出会ったことがあると思う。
出会ったことがない、という人はある意味幸運かもしれないし、この記事を読む必要が無いかもしれないが、おおまかに「女性が女性の権利を救い守るために必要な知見や思想」と踏まえれば本稿を読むにあたっては事足りる。
ひとつ踏み込むならば、本邦のSNS上で扱われるフェミニズムは「男女不平等の現実への批判」の議論を積極的に取り扱うものであり、所属コミュニティや個人によって定義があいまいな杓子定規として運用されている、と否定的な立場で記させていただく。
閑話休題、一行目に戻る。
なぜ文字書き女オタクはフェミニズムと長時間触れ合わなければならないのか?
かねてから私の心中で重く鎌首をもたげていたこの疑問はこのほど「自分の周辺コミュニティではない遠い誰かにさまざまな意見を出してもらわなければ気が済まない」までに肥大化した。
現段階で答えを持っている、もしくは類似の体験報告があるようであれば何はなくとも発信して欲しい。
どこが発端だったのか?
なにが親和性をもたらしたのか?
政治や宗教の話題をタブーとしているような人でもフェミニズムで人と繋がり始めるのはなぜなのか?
ファンフィクションで繋がった同好の人間のそれまでの生き方や思考、時には学歴まで否定して啓蒙しなければいけない理由はなんなのか?
フェミニズムを説きながら既婚や子持ちオタク女に家族や恋人たる男との離縁を推奨するアカウントが現れたとされる現象は、局地的なものなのか、それとも同時多発的に各地で起こっているものなのか?
今日もまた、昨日までフェミニズムを知らなかったようなアラサーがフェミニズムに関心を持ち、数時間のうちにフェミニスト文字書きオタク女に囲まれて飲まれていく姿を見てしまった。
彼女は傷ついていた。自分の無知を恥じるようになっていった。焦るように周囲の男性を否定し始め、その気づきを「よくやった!」とアラフォーたちが持て囃し、恐らくあの経験は固定化されるなと確信できる流れが形成されていた。
こうなると待っているのは反射的にフェミニズムの話題をRTしまくる、思考を伴わないゾンビになるだけだなと過去の見てきた経験を思った。
せめて自分の言葉で考えられるように導いてあげればよいのに、といつも思う。フェミニズム文字書きオタク女の心情を察してアタリハズレで採点される恐怖をこれから味わい続けながら、アタリを引き続けるためにあの雛鳥は親鳥の真似をし続けるのだろう。
もううんざりとしている。
創作界隈(一次二次限らず)において、創作者の承認欲求を何か不純なものとして扱ったり、それを持つ創作者を下位のものとして扱う雰囲気があるがそれが附に落ちない。
色々なテーマを混ぜこぜにして、「創作者は創作欲のみを持つべきで、承認欲求を持たないべき(小さい方が好ましい)」になってしまっている気がするので、何故こうなっているのかを考えたい:
「承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。」
詳しくはWikipediaを読んでもらえればわかるが(投げ)、確かに承認欲求があまりに大きいとお金や地位ばかりを追いかけて幸せになれないが、そもそも承認欲求自体はマズローの基本的欲求でも出てくる、人間として当たり前の欲求である。
また一般的に認知度の高い欲求である一方、その厳密な分類は多岐に渡る。(詳しくはwikiへ)
ここで、オタクの文脈で語られる"承認欲求"とは、大体以下に挙げられるものだと思われる:
これらがどのような承認欲求に当たるかというと、
にあたると考えられる。
よって本ログで以降"承認欲求"と記載した場合は、主に他者承認、対等・上位承認を示すと思ってほしい。
創作欲について、weblio辞書では以下のように定義されている:
文芸作品や絵画などの芸術作品などを創作しようという意欲や情熱を意味する表現。
つまり、なんの利害も考えず、ただ何となく創作者が自分の想いや想像を形にしてみたいと思う、その最初のシンプルな欲求を意味するのだろう。
今回のオタク言説(アンチ承認欲求)でよく出てくる、"純粋な創作欲"とは概ねこれを意味するのだろうと思う。
人が絵や小説、またその他の創作物を作り始める時は、最初はこの欲に突き動かされて作るのかもしれない。
しかし、その作品を何らかの形(SNSへの投稿など)で発表しポジティブなフィードバックが返ってくると、またそれを報酬(目的)とした創作の欲求がでてくることは、人間として至極当たり前なことではないだろうか。
これは"純粋な創作欲"からは外れて承認欲求の域に入ってしまうわけだが、創作者にとって何の問題もないし、健全な欲求として創作を推進させると思う。
これが問題になってくるとすればこの承認欲求が肥大化し、創作者の活動や心身に害を及ぼし始めた時だろう。
実際、色んな創作者(男性向け・女性向け問わず)の増田が承認欲求により破滅した旨のログを書いているし、それらを目にしたこともある。
ただそれはあくまで承認欲求(やその他の欲求、感情)がいきすぎてしまった一部の例であって、これらの例を掲げて「創作者に不純な承認欲求は不要」とまで言ってしまうと、それは本質から"ズレた"言説だなあと感じる。
ここで、創作者にとって承認欲求そのものが害かどうかという問題に加えて、「外部から求められる"創作者"の像の問題」が絡んできてもっとめちゃくちゃになる。
つまり、読み手が書き手に承認欲求の所持を認めたがらないという問題である。
こうなる原因はいくつかあると思っていて、例えば以下が挙げられる:
これらの要素が混ざり合って、「(読み手にとって)創作者は承認欲求を持ってない方が好ましいナァ」という気持ちや言葉が生まれるのだろう。
それらの読み手側の気持ちは否定しない(支持もしない)が、問題は、創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題では、承認欲求とはそもそも何か、そしてそれが誰の為に好ましくないのかという部分が曖昧なまま、なんとなく承認欲求は良くないし汚い、といった雰囲気が醸成されているところにあるのではないだろうか。
なんとなく"承認欲求"というワード自体が含蓄する否定的なニュアンスを分解しないまま、なんとなく創作者にとって承認欲求はない方が良い的な雰囲気になっているのが嫌で解体してみた。
結論としては
というありきたりなものに落ち着いたが、「創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題の解体」という目的は達成できたので、ここまでにする。
芸能人やテレビ屋は、インターネットにかつてあった文化も何もかもすべて無視して土足で踏み込んできて、タダ乗りで利用しまくり
欲しいだけ金を稼いできたあげくに木村花が自殺したから誹謗中傷を規制しろとか抜かしている。
木村花を殺したのは、テレビ屋だ。今回もどうせSNSの闇がなどと責任転嫁して、ほとぼりが冷めるまで時間を稼ぐつもりだろう。
でも、今まで世間一般とはまったく違う価値観で生きてきて、むしろ「芸能界のしきたり」などと言い一般常識との乖離を売りにし、
スポットライトを浴び、その醜く肥大化した承認欲求を満たし、贅沢三昧して暮らしてきたのに、
コロナで仕事が無くなり、人々から忘れ去られたら困るからといって、突然「アベ政治が……」などと言い出すような奴が馬鹿にされるのはインターネットでは当然だ。
芸能人でも普通と同じ人間扱いされたいなら、芸能人の◯◯だとか匂わせもせずに普通にID取れ。
そのIDで何か書いて、本当に意味のある意見ならそれなりに扱われるはずだ。
急に起業やベンチャーを増やすためにリスクマネーを増やせばいいんだみたいな言説が増えまくってる。
それにしても痴呆患者の資産をリスクマネーに使えっていうのは頭くるってるとしか言いようがない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebdd2f6378d0df9b9e8f3de7a5d9b5e4fea8c968
リスクマネーなんか余裕資金と、本当に案件の吟味と、たずなをもっての制御なしにやったところで詐欺師の温床にしかならない。
そもそも詐欺師をどう取り扱うか?の制御ができないからこそ、たまたまちょっと運が良くて事業がうまくいった小金持ちが真っ当なエンジェルになろうとしても、闇に失望し辞めるのがリスクマネーの世界だろう。
そんな状態で痴呆患者の資産を、いったい誰が、どこに投資するのか決めんの?痴呆になるのは自己責任だからそんな奴の財産は守る必要ないし、世界を救うために使いつぶせってか?
そもそも新自由主義はリスクを完全に評価できるという幻想を基に成り立っている。だけども実際は新自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら企業が保身に入り、金をため込み設備研究投資をしなくなる。
金をため込むから経済が落ち、設備研究投資をしないから競争力が落ちていく。例として1930年世界恐慌、1990年日本バブル崩壊、2008年リーマンショック、そして2020年コロナショックも起きるだろう。
バブル崩壊は日本単独の大規模経済危機だったため、日本一国だけが競争力が駄々下がりで、IT半導体の大敗北につながった。
それから本当に萌芽に過ぎるもののリスク評価なんてものもできない。難しい数学を使えばできるみたいな幻想を基に難しい数学でオブラートに包むことはする。だけど数字の一番底は思い付きと鉛筆舐めなめだから難しい数学を使ったって無意味な結果しか得られない。
大規模経済危機後の新自由主義はただずるずると敗北を連なるだけだ。だが起業やベンチャーはまあアホ一人が歩みだせば一応創業率として数字にはできるから煽る。ましてや奴隷や、ただ同然での事業の種が生まれれば万歳だからなおさら煽る。
種を作ったやつは報われない。絶望的に弱い存在だから奪いにかかったり嵌め込みにかかわるから。
そのように実際は芽が出る前に土足で荒らしまわり、せいぜい他の起業やベンチャーを増やすための餌としてメディアだけには出させ、そして捨てるだけだろう。
もともと新自由主義はケインズ主義が政府の肥大化に伴い硬直化とイノベーションが起きない。財サービスの供給が細りインフレになるということの批判として生まれた。
だが実際を見れば新自由主義社会の1990年以降の現代の方がはるかにイノベーションは起きていない。1990年以前の日本はソニーや京セラなどメガベンチャーが生まれている社会だった。
なぜなら弱い奴をそのまま萌芽の段階でほかのすでに金を持ってるやつのいけにえに供するだけだから。解決案がないから、情や使命感を煽り、麻痺させて突撃させることしかできないから。
ケインズ主義が日本に導入されたのは第二次大戦後のことである。それ以前の日本は自由主義の時代。
例として挙げられるのが資源も時間も与えずに、精神論ばかり煽るだけの牟田口廉也のインパール作戦。新自由主義の連中が起業煽りをするのはインパール作戦の再来にしか見えない。
リスクマネーなどビジネス投資のリターン評価は売上以外ありません。しかし往々にして萌芽であればあるほど投資とリターン評価に係る、期間、費用、想定収益が読めません。むしろ読めないからこそ失敗したときに石が投げやすくて便利♡
リスクマネーに金を出すというのは期間、費用、想定収益が読めないか、あからさまに鉛筆舐めなめだとわかってる案件にどうやって金出すかって話。
ただ一つ言えば、萌芽研究は「科学成果」とは売り上げとは別軸での評価ができる世界。そして受け皿として大学や公的研究所を使えば金の使途ぐらいは制御できる。まああまり細かくやりすぎるのも問題だが。
リスクマネーというのは基礎・萌芽研究投資の金と、運営費交付金としてのアカデミックポスト拡充以外ありません。
むろん政府の関与以外の何物でもないから新自由主義の政府が何もしないのが望ましいという連中は嫌うのだろう。だからアホをはめ込むようなことばかり叫び言い続ける。
まあ緊急事態の時は大事な政策に注力するというのが正しいし、新自由主義的な余計なものを切る、リーダーが仕切るのが正しいように見える。
1980年代ごろからケインズ主義が政府の肥大化や、オイルショックのような供給不足によるインフレに対応できないためにケチがついた。そのために1930年代以前に主流だった自由主義が復活した。
といっても大規模経済危機が起きたら、企業は保身に入り金をため込み、設備研究投資をしなくなる。自由主義の元ではできることはない。
1990年バブル崩壊後はそれ以前のケインズ主義の政府の肥大化や規制こそが悪いのだ。構造を変えればよいのだと石を投げたが全く改善する見込みは見えてこない。
そもそも財政破綻というのは自国通貨建て国債の問題ではない。外貨借金の問題だ。
たぶんれいわ山本も本気で小池知事に勝とうと思ってないだろう。しかし維新が東京知事選に候補者を掲げている以上放置しておけば維新新自由主義の「何か構造を変えれば経済が良くなる」が野党の主題になる。
N国みたいな「声のでかい暴れ者が良い方向に変える」みたいなのもあるだろう。
国民民主の前原もどうも維新に近づいてきな臭いしな。掲げているのは地方分権。
地方分権は構造を変えて規制をなくして政府の関与をなくせば経済が良くなるという新自由主義の亜種。
国民民主の中の馬淵と前原の間の主導権争いという側面も裏であるだろう。そして新自由主義(維新、国民民主前原)VSMMT(れいわ、国民民主馬淵)という側面もある。
だから小池に勝てないまでも、維新に票数で勝てばよいというのではないだろうか。そして国民民主や立憲民主の日和見がれいわMMTの側につくだろうと。
右派左派がケインズVSマルクスだったのは1930年-1980年の間だけだ。
ケインズよりさらに強者よりな物として自由主義/新自由主義(政府が何もしないのが良い)がある。1930年の世界恐慌に自由主義は対応できず世界中から放逐されていたからケインズ(右)VSマルクス(左)だ。
自由主義が復活して主流である以上右にまず自由主義/新自由主義がある。相対的にケインズ、マルクスは左になる。
後ケインズが金を配るというのは一面にすぎない。他にも金利、財政出動、税制を組み合わせる。
ケインズが政府の肥大化を招くという側面はある。そして外貨借金が積み重なっていけば財政破綻懸念もある。
最終的には萌芽・基礎研究をきちんと政府が行い、企業を低貯蓄高設備研究投資に導いて、国内・海外に売れる新しいものを作り続けないとならない。
これらはすべて自分の思い込みであるかもしれない。それを前提に、各々判断された上で、できれば助言を賜りたい。
多少長くなるが、最後まで読んでもらえれば伝わるはずだ。これは決してはてなユーザーにとって無関係の出来事ではないと自分は考える。
ある迷惑系YouTuberがいる。(そもそも「迷惑系YouTuber」なるジャンルが存在している時点でげんなりするが)仮にAとしよう。
自分がAを認識したのはおそらく半年ほど前。自分がたまに動画を見るYouTuberにAが絡んできて、ごちゃごちゃしていたのがきっかけだ。
「ああ、炎上芸ね」と思って、自分の中でAの存在をミュートした。
それからも、ちょこちょこAの存在がちらつくこともあった。相変わらず、有名YouTuberに凸をして知名度を稼いでいるらしいということは知っていたが、特段気にしていなかった。
先日ほぼ初めてAの動画をまともに視聴する機会があった。詳細は省くが、その動画では、とあるYouTuber(Bとしよう)の自宅に凸し、B本人ではない関係者(つまり一般人)に対するプライバシーの侵害が堂々と行われていた。
考えるより先に当該動画をYouTubeに通報していた。当然、チャンネルごとBANされた。
(余談だが、当該動画がBANされる以前にこの動画を取り上げていたYouTuber系情報サイトがあり、PVほしさにプライバシー侵害に加担しており、あまりにevilと言う他ない)
そもそもそのチャンネルも2週間ほど前に新設されたチャンネルで、迷惑行為、時には犯罪行為を動画にして、その度にチャンネルがBANされている。
まず当該動画を観た時点で、強い嫌悪感と同時に、違和感を覚えた。
BANされた当日、チャンネルをまた立ち上げ、1本目の動画では、「もう迷惑行為はしない、Bの自宅にもいかないと思います」と宣言(?)していた。その数時間後には、そのチャンネルに、BANされるきっかけとなった当該動画を再び投稿。新チャンネルも即座にBANされた。
本題はここからだ。
Aの行動はもう、炎上で知名度を稼ぎ、再生数を伸ばして金を稼ぎたい、という初発の動機から逸脱しているからだ。
別のYouTuberが「何がやりたいのかもうよくわからない。当初、戦略的に迷惑行為をしていると考えていた。けど、本当に何にも考えてない奴なんだ」と言っていた。その通りだ。
「承認欲求」が現代ではまるで悪かのように語られることが多いが、それ自体は自分を愛するためには必要なものだ。ただ、Aの承認欲求はどんどん肥大化して、暴走が始まっているようにしか見えない。
このまま彼を放っておけば、取り返しのつかないことが起こるかもしれないと思っている。
自分の考えすぎであればそれが一番いいが、過去の痛ましい事件を教訓にするなら、何かアクションを起こすべきだと考え、悩んだ末に増田に書いている。
言うまでもないが、Hagex氏の殺害事件を念頭に置いている。
あらかじめ言っておきたいことがある。ここまで書けば、Aについて思い当たるユーザーもいるかもしれない。しかし、ブコメで当該人物の名前やリンクを貼るのは止してほしい。このエントリが本人に届くことは本意ではない(だからタイトルも抽象的にした。正直伸びるか不安だ)。
実は、Twitterで本人に注意することも考えた。しかし、それは逆効果ではないかと考え、対応に窮したため今この増田をしたためている。
はてなとは文化圏が違いすぎるため、このエントリーが自然と本人に届くことはない。
自分は、AからYouTubeを取り上げるべきだと考えた。当該動画のサムネイルがすでにプライバシー侵害にあたり、そのサムネイルが投稿されているため、Twitterも通報しようかと考えた(まだしていない)。
しかし、それでは何も解決しないどころか、逆効果かもしれないと思った。
自分には専門的な知見はないが、Hagex氏の殺害事件については、多くのはてなユーザーと同じく、衝撃を受け、その後の裁判の推移を見守り、どうすれば防げたのかについて考えた。
https://anond.hatelabo.jp/20191114021558
Hagex氏の殺害事件について、犯人について、「何度も通報されてBANされ続けた犯人は、はてなという居場所を奪われ、運営やユーザーを敵と認識し、殺意が芽生えたのではないか?」という指摘がある。
もともと犯人の言動はおかしかった。通報は妥当だった。しかし、それが彼の行動をエスカレートさせた側面がなかったとは言えない。
今YouTubeでも同じことが起きている。Aは今後も、何度もBANされるだろう。その度に、行動がエスカレートするかもしれない。
当該動画の再生数は、自分が確認した段階で数十万再生ほどあった。味をしめて、ますます過激化するかもしれない。
コメント欄は、YouTuberキッズで溢れている。読まずともわかるだろう。そこには、Aを煽り、犯罪行為を助長させるコメントが並んでいる(もちろんまともなコメントも沢山ある)。
そして、YouTuberは、他のYouTuberの言動をたびたびネタにする。的を射た批判もあれば、炎上に乗っかって再生数を稼ぎたい中身のないものもある。
例に漏れず、Aについて、他のYouTuberがこぞって動画のネタにしている。これも、Aを助長する要因になってしまいかねない。
凶行に対して自衛することはできる。しかし、このまま放っておけば、AあるいはAの周囲で、痛ましい事件が起こるのを防ぐことはできないのではないか。
先のエントリでも書いた通り、自分は、日々起こる事件の一部は、経済的支援(例えばBIの導入など)によって防ぐことができると考えている。しかし、この国でそれは期待できない。
例えばAが、犯罪行為以外の動画配信に切り替える。あるいはYouTube以外の食い扶持を確保する。
例えば身近な人間がよくAの話を聞く。その上で、必要に応じて、しかるべき機関(病院や警察)に協力を仰ぐ。
自分が考えられるのはそのような方法だが、調べた限り、Aの身近な人間で、そのような提案を受け入れ協力してくれる人は見つかっていない。Aの仲間やスタッフ(マネージャー?)と思しき人間は存在するが、その人間に期待することはできない。
正直に言ってとても面倒くさいが、自分自身が警察に通報することも辞さないつもりだ。ただ、Aが犯しているのは軽犯罪の類で、反省しているふりさえしていれば執行猶予がつくだろう。またすぐにでもYouTubeを再開するのは目に見えている。
Hagex氏の殺害事件は痛ましいものだった。自分ははてな民として、せめてあの事件を教訓としたいと思っている。
(今日1日とても忙しくしているためほとんど反応を追えないし追記などもできないので悪しからず)
反応見ました。コメントも全部読みました。読んで、ましてやコメントをくれてありがとうございます。
そしてこの期に及んで、ブコメで名前を出したり、Hagex氏の刺殺犯を蔑称で呼ぶユーザーがコメントを残していることに、多少なり失望しています。
まず、その後について報告します。
Aは、逮捕された可能性があります。スタッフがSNSでそう投稿し、本人も沈黙を守っています。
報道されたわけではなく事実の裏どりができているわけではありません。
ただ、彼に迷惑行為、あるいは犯罪行為をされたYouTuberは多く、そういう意味ではいつ逮捕されてもおかしくないため、事実である一定の可能性があると考えます。
自分は当初、逮捕されても意味がないのではないか、といった懐疑的なことを書きました。
悶々と眠れない夜を過ごしそのままの勢いで書いた今朝から時間を置いて、冷静になった今、皆さんのコメントを読んだ上で、多くのユーザーが指摘されている通り、やはり司法の手に委ねるのが一番いいと思い直しました。
コメントに答える形で、もう少し、自分の立場と考えを説明させてください。
親愛なるとかいっといて自分は増田で身分隠して書くのかおめでてーな 増田を汚すなよカス
指摘はその通りです。しかし、自分は匿名をかさに、普段、対面で言えないような言葉遣いはしないように最低限気をつけています。
自分が顔と実名晒してその迷惑系ユーチューバーとやらを攻撃してターゲットを自分に移せばいい話
そのくらいの覚悟なしに他人を集団でイジメて何か解決すると思ってんのかクズが
これもその通りです。覚悟がないわけではありませんが、現時点ではその覚悟を固められていません。しかし、大きな誤解があります。Aを批判する意図はなく、単に無駄な人死にをできれば防ぎたいというだけです。理由は後述します。
たとえどういう文脈であろうと、低能先生の内心を慮ったり心情を推察したりHagexに殺された理由を求めてみたりしたくはないし、するべきではないと思う。意味不明幼稚な動機で人を殺した奴を絶対に赦してはならない
自分は、そうは考えません。人生を踏み外す瞬間は実にあっけなく訪れます。必ずその時、本人は思います。「まさか自分が」と。
今日と同じ明日が来ることを何も疑わないでいられればそれは幸せですが、その幸せはある日、何の理由も脈絡もなく奪われることがあります。
これは単なるつまらない事実です。その事実を踏まえて、自分は、明日自分が被害者ではない確信も、明日自分が加害者でない確信も、持つことはできません。
主張と意思には同意するけど「犯罪やりそうな奴がいるので、実際にやる前に『矯正』してあげよう」という事でもあるしなあ。
もしかしたら、そうかもしれません。昔でいう『マイノリティ・リポート』、今でいう『PSYCHO-PASS』みたいな世界観でしょうか。
しかし、ことが起きてしまった後に「こうしていればよかった」と自分自身が悔やまないために、痛ましい事件を未然に防ぐために、今この時自分に何ができるか、それを考えるのがそんなにおこがましいことでしょうか?
自分は、「人を救いたい」とは思っていません。人が人を救うなど、おごりが過ぎると考えます。単に、必ずしも起きなくてもよかった悲劇をできれば避けたい。そう思っているだけです。
Bもsamyuの実家にいる両親に凸して晒しあげて稼いでだから嫌いだわ。
自分も同意見です。自分は、そもそもYouTuberというジャンルが苦手です。中でもBは比較的嫌いな部類に入ります。YouTubeを見る時間は、はてなを見る時間のおよそ20分の1程度です。
しかしAの件に関しては「Bも嫌い」という話ではありません。好き嫌いの話ではなく、このままでは抜き差しならない事態になるのではないという危惧を表明しています。
来られた方もロクなもんじゃない事には触れないのな。hagexの時と同じで卑怯者だよ。お前は生前のhagexや◯◯◯◯には苦言を呈そうとしたのか?どういう行動原理で動いてんだよ。(勝手に伏せ字にしました)
大きな誤解があります。自分は、たとえ被害者であろうが、Hagex氏の言動は看過できないものと考えています。Bも同じです。できればBにも、他人を煽り、「〜〜〜を救いたい」みたいなクソにクソを塗るような妄言を垂れ流す動画を投稿するのは金輪際やめてほしいと、そう思っています。
しかし、B自身は“戦略的”で“打算的”な人間です。再生数ほしさに犯罪行為に走るほど血迷っていない、という意味で。その点、抜き差しならない状況にあるのは、Bではなく明らかにAです。
増田は何を守りたいの?A自身?Aに迷惑をかけられているYoutuber?事件を未然に防げたかもしれないのにと悔やむ未来の自分?自分が絶対守りたいものをひとつだけ選ぶと自ずと行動が決まるのでは。全部は守れないよ
目の前で、命のやりとりが行われそうになっているとしましょう。自宅の隣で、今にも、誰かが誰かの命を奪いそうな状況を察知しているとしましょう。
できれば止めたいと自分は考えます。それは、誰かのためではないのです。強いて言えば自分のためでしょう。
隣で殺人が起きても、自分は平和に暮らせるでしょう。でもある日きっと、わからなくなる。あの日、殺されていたのはどうして自分ではないのか。あるいは、あの日、殺したのはどうして自分ではないのか。
あの日の自分を止めたい。ただ、それだけです。この感覚を伝えることは非常に難しい。ただ、自分はAのためでもBのためでもなく、“AにもBにもなっていたかもしれない自分”のためにだけ、胸を痛めています。
単なる一視聴者に過ぎないのに責任を感じすぎ。もうYouTubeを見るのをやめたら?精神が持たないぞ。いやむしろ既に精神的にヤバくなってるからこそ首を突っ込んでる可能性もあるか…
ヤバくないです。むしろ、ヤバくならないために、どうすれば防げるかということを考え、質問しています。
すごいこと発見した!「愛なるは」を反対から読むと「はるな愛」だ。
ほんとだ!
人は、放っておいても死にます。何なら、すぐにでも死にます。だから、無駄に命を縮める必要はない。自分はただ、そう思っています。
よくある話だが、地元の底辺公立中学で自分は優秀だと勘違いし、自分は優秀である、そうでなくてはならないという願望が無視出来ないほど肥大化すると、それ以降の人生が悲惨なものになる。自分の話なのだが。
大学選びでは大学名にのみ拘り、就職を考えないといけない今、年収や社会的ステータスのみに拘っている。しかし、大学入試はAO入試という裏技を使ってどうにか切り抜けられたが、就職はそうはいかない。大学四年生の今になってアクチュアリーになろうと思い立ち、勉強を始めてみたが、優秀であるという自意識は、あくまで消せない願望であり、カルマであり、現実の能力はゴミなので、全然問題が解けなくて鬱になっている。死にたい。
人生をやり直せるのなら、灘や筑駒、東工大や一橋、マッキンゼーやゴールドマン・サックスとか言われても、全く反応しない、気にならない、勝手に負けた気分にならない人生を送りたい。そういう大学名や会社名を一切気にせず、気にならず、青春を謳歌して、特段努力せずに地元の大学に進み、地元の企業で年収400〜500万そこそこを得て、適当に結婚する人生が良かった。
男女比が偏っている進学校に進み、男女比が甚だ偏っている大学に進んだ結果、彼女いない歴=年齢で、当然、童貞である。勿論、これは自分が低身長ブサイク低能隠キャなのが一番の原因ではあるのだが、例えば、地元の雑魚い高校だと、一番は無理でも、上位にはなれただろうから、それで少しはモテたかもしれない。大学ももっと偏差値が低く、貞操観念も低い大学に行けば、童貞くらいは捨てられたかもしれない。そういうifを考えて、毎晩歯ぎしりしている。
まぁ、でも、全部自分が悪いんよな。モテないのも容姿に加え、このゴミみたいなマインドがいけないし、優秀になりたいんなら人一倍努力をすれば良かったという話。結局、何事にも努力をせずに結果だけを欲しがった自分が悪い。
スポーツにしても芸術にしても、持って生まれた能力やセンスで、学校時代はスターになれるので自意識が肥大化するんだよな。
学生時代のスターとプロのスターの間には、マネタイズの仕組みを仕切る大人たち(プロダクションとか画商とか球団・クラブとか)が介在するんだが、そんなことは子供にはわからないし、大人たちもなるべく裏側を知られないようにしている。
子供たちのなりたい願望を金に換えるスクールビジネスで飯を食う大人たちもいる。
才能さえあれば、っていうのは建前で、大人たちにとってみれば商売なんだから、才能あっても売れない奴よりは才能なくても人気ある奴の方が金になる。
元来、自分以外に対する批判だとか罵倒だとかが、まるで自分に向いているかのように錯覚してしまう。その様な厄介な性格を抱えた人間がコロナ禍で精神を保てるだろうか。勿論そんなことはありえない。
日常会話でも、マスメディアでも、SNSでも、コロナへの愚痴・政府への批判・外出自粛を行わない人への苦言に出会わない日はない。そしてそれらの言葉の矛先が自分であるかのように感じる。言葉をナイフに喩えるなら、ありとあらゆる方向から絶えず刺され続けるような感覚に陥っている。
周りの人が私を傷つける訳ではなく私が勝手に傷ついているだけだという自覚はある。その結果、「誰も私にナイフを向けていないのに、私はあらゆる人にナイフで刺される」という不思議な現象が起こっている。
無論、コロナウィルスへの恐怖や自粛生活のストレスは感じているし、政策の全てを肯定する気はない。自分以外に対しても不要不急の外出を避けてほしいと願っている。しかし、コロナ等への愚痴に受けるダメージの方が大きいのが正直なところである。
追い打ちをかけるかのような辛さは、「コロナ等が何よりも辛い人」が圧倒的多数だということである。
少なくとも私の周りでは、ほぼ全ての人がコロナ等に対して愚痴を吐く。勝手な憶測だが、そのような人々は私のような「コロナ関連の愚痴を聞くのが辛い」という感情をあまり持ち合わせてはいないのだと感じる。
コロナ・政府・自粛しない人への愚痴は共鳴し合い、肥大化してゆく。マジョリティが結託してゆく。自分へと向かうナイフが益々増えていくのと同時に、果てしない疎外感に襲われる。
先述したように、私に対して攻撃しようとする人がいる訳ではない。故に彼らを責めようとも思えない。しかし、「明確な敵がいて、共に戦う仲間が日本中・世界中にいる」という彼らの状況が羨ましくてたまらない。
最近では、多くの著名人が「みんなでコロナに立ち向かおう」「お家で楽しく過ごそう」などとポジティブな言葉を投げ掛けている。非常に素晴らしいムーブメントだと思う。だが、ここでいう「みんな」は誰を指すのだろうか。
答えは簡単だ。コロナと身体的・精神的に戦う人々。今の日本の状況にストレスを抱える人々。
そこに私はいるのだろうか?
コロナやそれに関わる社会問題以上にそれらへ対する非難に苦しむ私は、「みんなで戦おう」「みんなで笑顔に」の「みんな」に含まれるのだろうか?
残念ながら含まれるとは思えない。
最早、ポジティブな言葉が溢れることさえ、疎外感を強めるきっかけとなってしまった。
だけど、仮に今自殺したとなれば「コロナ鬱の犠牲者」として世間から扱われるのだろう。私の「コロナ鬱」の実情は理解されることのないまま、「コロナへの社会不安により自ら命を絶った人」として終わる。そして寄せられるコメントはきっと、「コロナが許せない」「アベは辞めろ」だ。皮肉にも程がある。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 184 | 111413 | 605.5 | 162.5 |
01 | 63 | 4938 | 78.4 | 35 |
02 | 37 | 3046 | 82.3 | 35 |
03 | 13 | 2017 | 155.2 | 20 |
04 | 10 | 752 | 75.2 | 38 |
05 | 10 | 1133 | 113.3 | 95 |
06 | 32 | 1316 | 41.1 | 24 |
07 | 39 | 2221 | 56.9 | 39 |
08 | 82 | 5359 | 65.4 | 30 |
09 | 112 | 7391 | 66.0 | 25.5 |
10 | 143 | 12522 | 87.6 | 37 |
11 | 144 | 9386 | 65.2 | 27 |
12 | 130 | 8206 | 63.1 | 24.5 |
13 | 164 | 10330 | 63.0 | 33 |
14 | 121 | 11899 | 98.3 | 38 |
15 | 151 | 13208 | 87.5 | 43 |
16 | 181 | 11021 | 60.9 | 25 |
17 | 141 | 10099 | 71.6 | 29 |
18 | 188 | 16379 | 87.1 | 31 |
19 | 149 | 12273 | 82.4 | 35 |
20 | 113 | 10109 | 89.5 | 39 |
21 | 110 | 8213 | 74.7 | 35.5 |
22 | 123 | 13244 | 107.7 | 45 |
23 | 92 | 8223 | 89.4 | 33 |
1日 | 2532 | 294698 | 116.4 | 35 |
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俺は2000年くらいまでのところを歴史としてしっかり習ってそれ以降は「最近はこんなこともあります」って感じで流されたけど、たとえば2500年に生まれた子供(それまで人類耐えてるかな)は2500年くらいまでの歴史をやるわけじゃん
歴史学とか考古学も進歩するし情報の保存方法も増えるから今後の歴史資料は増えこそすれ減りはしない(核戦争とか起きたら別だけど) 今1600年代の映像資料はないけど、2500年に2100年代の映像資料はたぶんある
人類が社会を維持し続ける限り歴史ってどんどん増えていくと思うんだけど、将来どうやって勉強するんだろ やっぱ細かいとこを切り捨てていくのかな そうすると4000年に歴史の教科があったら(なさそう)すごいデカイ事件だけを掻い摘んでいく感じになってるんだろうか 第20次世界大戦まであるんならまあ十字軍的な覚え方になるよなあ
色んなコンテンツに触れてきた。ゲーム、漫画、アニメ、小説、Vtuber、ボカロ、二次創作…。
最初は見るものの全てが輝いていた。煌めく世界がインターネットの先に広がっていて、私はその虜だった。
そのうち、恐る恐る二次創作をするようになった。元々本も絵も好きで、小説もイラストも書いた。(といっても絵はお世辞にも上手とはいえず、小説が主だったが。)
自意識モンスターは多分、このころから心の中にいた。そうして小説に多少の評価がつくようになると、ブクマの数を養分にモンスターはむくむく育っていった。
有り難いことにTwitter、pixivの両方でフォロワーはどんどん増えた。仲良しのフォロワーも増えて、それに伴って投稿後のブクマやファボも増えた。
しかしこのころ、生来の人間嫌いも相まってTwitterでのフォロワーとのやりとりの全てが面倒になってきていて、ある日いきなりアカウントを消した。
とはいえオタク趣味が消えたわけじゃない。心機一転、新しいアカウントを作った。小説を投稿したり、くだらない妄想を呟いたり。昔と変わらない、楽しいオタク活動だ。
そう思った。思おうとした。だけど私の心は満たされなかった。ファボが、ブクマが、つかない。悔しい。
それだけのことが私の【楽しい】を奪うのだった。肥大化した自意識に吐き気がした。つまり、私は、「私の小説は、呟きは、もっと評価されるべきだ」なんて馬鹿なことを思っているのだ。
多分、人間嫌い、なんて言って人との関わりを面倒臭がっていたのも、高いプライドのせいなんだと思う。だから私は#繋がりたい #RTした人全員フォロー なんてこと死んでも出来なくて、Twitterでの人との繋がりに興味もなくて、そんな神絵師でもない私のアカウントに、フォロワーがつくはずもなかった。(最初のアカウントでは、初期に所謂繋がり活動をしていた。当時私は幼くて、モンスターはここまで肥大化してはいなかったから)
これだけならまだいい。満たされなくなったモンスターの矛先は、他人に向かった。TLで回ってくる人気の絵師さんやSS作家さんの作品が、素直に読めなくなった。
つまりこういうことだ。「私の作品(ないし呟き)は、そもそもの閲覧数が少ないから評価の絶対数が少ない。それなのにコイツは、繋がり活動でフォロワーを増やして、閲覧数を増やして、そうやって評価の数を上げてる。私のと作品の質は変わらないのに。こんなのは不等だ」
あまりに愚かで、醜くて、可笑しい。そんなこと誰よりも私が分かっている。大体私のようにひねくれていない人間は、ただ同好の仲間と楽しみを共有したくて繋がり活動をしているだけだ。私だって繋がり活動を同じくらい積極的したっていい。だからこれは不等じゃない。作品の質は同じ、なんて、それを決めるのは私じゃなくて読者だ。そんなこと分かっている。冷静に分かっていて、それなのに私はモンスターになってしまっているから、憤りを抑えられない。
だけど推しのことは今日だって大好きなのだ。推しの二次創作が読みたい。そう思って小説を開いても、少しでも粗が見つかれば自分の作品との評価数の差が悔しくて話に集中出来なくなって、最後にはブラウザバックだ。狂っていると思う。「この人は天才だ」と思った数人の作家の小説しか読めない。それにしたって、上手い文章を見つけると、天才じゃない自分が悔しくて涙が出る。作品が大好きだから二次創作や呟きをして、そのせいで作品が楽しめなくなる。こんな馬鹿げたことがあるか?ない。わかってる。分かっているのに感情が止まらない。苦しい。いつかオタク趣味からすら離れなければならなくなるのが怖いし、誰かに迷惑をかけてしまうようになるのも怖い。
愚かで、醜くて、間違っているのは私です。それでもこの文章を投稿したのは、一人で自分のなかの化け物に向き合うことに疲れたからです。それから、もしも私の他にもこのレベルの自意識モンスターがいるのなら、とりあえず世界にもう一人はお前みたいな人間がいるよと教えたいと思った。何の慰めにもならないかもしれないし、お前の目にとまるまでにこの文章についた何らかのレスポンスにさえ苛立ちを感じているかもしれないけど、救いになるかも知れないと思って。私は、人間なんてこんなもんだよ、隠してるだけなんだよ、って誰かに言われたくてたまらないから。
良いとか悪いとかじゃなくて。「これからは人を傷つけない笑い」とか聞いて考えた。
表現には「幅」がある。ある表現方法を規制されても、他の表現をすることは可能である。
しかしそれは幅を狭めているのは間違いない。だってタブーゾーンがあるんだから、その分は狭まっているのである。
「その分深堀すればよい」という人もいるが、それは詭弁だと思う。深掘りったって、そこには飽きがあるよ。一部のマニア向けならいいけど。そのなかでたまに光る石も拾えるけど、それって絶対数少ないよね。
で、幅が狭まると、今度は別のものが気になってくるよね。例えば不快指数が
とかあったとして、これ2000やべーだろとそれを規制する。まあそれはいい。
そうすると、次は50が気になってくるわけ。excelで表書いてみ。気になるから。
そうするとしばらくすると50を規制しようとするよね?以降繰り返し。どこかのごく細い幅に帰結する。その幅だって、小数点まで気になってくるかもね。
こんなこと大昔からわかってるはずで、だから規制って慎重にならなきゃならないね~みたいな話があったはず。(規制に慎重という理由はそれだけじゃないけど)
だけど、規制ってやっときゃ文句も出なくなるから、文句そんな言ってない人も「やりゃいいじゃん」でやっちゃうんだよね。
規制は麻薬なんだよね。そうしていつの間にかスッカスカの体になっちゃう。
でも悪いものを規制しないと、それはそれで肥大化して死んでしまう。
バランスが大事なんだよね。バランスってなに?主観でしかないよね。
規制ってのは、広くとって、好みともいえるよ。どつき漫才みて笑ってた人でも、ひとたびステレオタイプにさらされれば、もう逃げられない。同じもの見たって、「うーんこれはダメでしょ」となって笑えない。
ただ欲求だけは中々解消しないんだよね。そうするとアングラがどんどん膨らんでいく。はけ口がないからね。
アングラにも階層ができるかもしれない。地獄と大地獄みたいに。
でもアングラはアングラで、上にいるつもりのきれいなつもりの人々からは結局蓋されるんだよね。欲求は存在しているのに、あたかも無いかのように扱われる。
そうして抑圧の先に何があるのか?なんだろうね、新人類の誕生かな?
Bye-Bye ピープル。