なぜ文字書き女オタクはフェミニズムと長時間触れ合わなければならないのか?
まず先に謝罪しておくが、表題の件に関して書くに至ったのは完全なる私怨である。
何年も前から視界に入っていた話題ではあったが、今年に入り、恐らくはコロナ禍によるネット上での情報交換の活性化によって、フェミニズムを取り巻く環境はどうやら次のフェーズに突入していると体感したからだ。
ちなみに本稿ではフェミニズムとツイフェミとミサンドリー(男性嫌悪)をあえて区別しない。
本人たちがフェミニズムを名乗っている以上、第三者あるいは敵対者である私がレッテルを押し付けることは人倫にもとるからである。
さて、ある程度年嵩のいった文字と縁のある腐女子ならSNS上で一度はフェミニズムという言葉と出会ったことがあると思う。
出会ったことがない、という人はある意味幸運かもしれないし、この記事を読む必要が無いかもしれないが、おおまかに「女性が女性の権利を救い守るために必要な知見や思想」と踏まえれば本稿を読むにあたっては事足りる。
ひとつ踏み込むならば、本邦のSNS上で扱われるフェミニズムは「男女不平等の現実への批判」の議論を積極的に取り扱うものであり、所属コミュニティや個人によって定義があいまいな杓子定規として運用されている、と否定的な立場で記させていただく。
閑話休題、一行目に戻る。
なぜ文字書き女オタクはフェミニズムと長時間触れ合わなければならないのか?
かねてから私の心中で重く鎌首をもたげていたこの疑問はこのほど「自分の周辺コミュニティではない遠い誰かにさまざまな意見を出してもらわなければ気が済まない」までに肥大化した。
現段階で答えを持っている、もしくは類似の体験報告があるようであれば何はなくとも発信して欲しい。
どこが発端だったのか?
なにが親和性をもたらしたのか?
政治や宗教の話題をタブーとしているような人でもフェミニズムで人と繋がり始めるのはなぜなのか?
ファンフィクションで繋がった同好の人間のそれまでの生き方や思考、時には学歴まで否定して啓蒙しなければいけない理由はなんなのか?
フェミニズムを説きながら既婚や子持ちオタク女に家族や恋人たる男との離縁を推奨するアカウントが現れたとされる現象は、局地的なものなのか、それとも同時多発的に各地で起こっているものなのか?
今日もまた、昨日までフェミニズムを知らなかったようなアラサーがフェミニズムに関心を持ち、数時間のうちにフェミニスト文字書きオタク女に囲まれて飲まれていく姿を見てしまった。
彼女は傷ついていた。自分の無知を恥じるようになっていった。焦るように周囲の男性を否定し始め、その気づきを「よくやった!」とアラフォーたちが持て囃し、恐らくあの経験は固定化されるなと確信できる流れが形成されていた。
こうなると待っているのは反射的にフェミニズムの話題をRTしまくる、思考を伴わないゾンビになるだけだなと過去の見てきた経験を思った。
せめて自分の言葉で考えられるように導いてあげればよいのに、といつも思う。フェミニズム文字書きオタク女の心情を察してアタリハズレで採点される恐怖をこれから味わい続けながら、アタリを引き続けるためにあの雛鳥は親鳥の真似をし続けるのだろう。
もううんざりとしている。