はてなキーワード: 求人とは
ホンマ、察しが悪いな
不幸な結婚を肯定して欲しいブクマカを喜ばせる非実在性結婚願望増田か
いつもの結婚する気ないけど結婚したいしたい言っている謎増田の亜種か
って言ってるんやで
2019-12-30
どんな結婚がしたいのかまず方針を決めろ
結婚ガー嫁ガー旦那ガーの話題のなにがそんなに楽しいのか1ミクロンも理解が出来ないが
まとめサイトもあり毎日なにがなんでも話したい輩もいるようなのでワイ様からの提言である
まず方針を決めろ
C:社会的に妻/夫がいないと困る
A経営者はB社員を探してください。B社員はA経営者を探してください
営利活動ですので求められる役割が出来なくなったらプレイヤー交代です。
経営者としての信頼度が低い場合、低いなりの人材しか雇用できません。身丈にあった求人と運営をなさってください。
経営者としての信頼度が上がればスタートアップ時の人材は解雇してより良い人材を採用しても良いでしょう。
C社会的に妻/夫がいないと困る
あなたはプレジデンテか何かでしょうか?まず、気のせいではないかその可能性を検討してください。
気のせいではないという結論が出たのであれば、契約結婚や日本国籍を欲している方々との結婚を検討してください。
D なんでも良いから結婚したい
なんでも良いから結婚したいというのはなんでも良いから働きたいと同義です
健全とは言い難いですが、それでもどうしてもなら日本国籍を必要としている人をターゲットにするとよいでしょう
E 愛ある家庭を築きたい。ただ好きな人と一緒に暮らしたい
祈ってください。行動してください。
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/149758
若い人がほしいタクシー会社さんは、自動運転に替わったあとも働き続けられるキャリアがしっかりある(自社情報システムを交代で兼任とか、やりたいアイデア社内事業化応援、副業OKとか)、あるいは今後人員削減やむなしとして、異業種で通用する何かのスキルを身につけられる(自動車整備士を取得して兼任とか、運転手ならではのAIシステム応用環境をつくるとか)、みたいなポジションを明示して求人しては?
21歳からの取得要件を19歳に変えたところで、タクシー運転手の高齢者偏りが変わると本当に思ってらしているのか。30代や40代も少ないのでしょう?裏の理由が何かあるとまでは思ってはいないけど。匿名で批評めいてすみません。
回避性パーソナリティ障害は、自己否定が強く、失敗や批判を極端に恐れ、対人関係や社会活動において臆病になってしまう障害だ
診断を受けたのは回避性パーソナリティ障害と気分変調性障害
長いことうつ症状と付き合っている
過干渉の母親とネグレクト父親のもとに育ち、小学校・中学校・高校では理不尽な難癖をつけてくる教師達に勉学と道徳を説かれた
当時、容姿が悪く性格も捻くれた私にとって勉強は唯一誇れるステータスだった
特に決定打となる具体的なきっかけは無かったが、明らかに肉体的にも精神的にもエネルギーが枯渇していた
徐々に学校にも通えなくなっていき、しまいには実家の自室に籠りっぱなしになっていた
毎朝自室に起こしに来る母親に対して「胃が痛い」「頭が痛い」「動けない」と言い続けるのは苦痛だった
「気のせいだから学校に行きなさい」とまくし立てる母親に対して、口が裂けても「死にたい」だなんて言えなかった
高校は、当時の担任(私が唯一感謝している先生)が尽力してくださったおかげで不登校ながらもなんとか卒業できた
最初の数カ月こそ解放感にハイになっていたものの、すぐにまた引きこもりに戻ってしまった
親に金を出して貰ってまで一人暮らしの引きこもりをやっていること、
自分より遥かに成績の悪かった連中がAOや指定校推薦で難関大や医学部に行き、未成年飲酒の様子をSNSに垂れ放蕩の限りを尽くしていること、
心が進学を望んでいるのに体が言うことを聞かないこと、
全てが酷だった
それでも進学を諦めたくなかったので一人暮らしで浪人生活を続けていたが、翌年遂に進学を放棄し、引きこもりニートが完成した
ずっとバイトを探しているが、ここで回避性パーソナリティ障害が真価を発揮している
まず、一番求人件数の多い接客業であるが、厄介な客1人にでも出会おうものならすぐに辞表を叩きつけるであろうことが目に見えている
10代にして大人達の醜さに触れ、理不尽さへの耐性が異常に無くなってしまっている
コロナ禍においてマスクの欠品が相次いだ時、マスクが無いからと店員にキレる客が社会問題となっていたが、もし私が店員だったらすぐにでも自死していただろうと思う
接客がダメなら事務系か?とも思ったが、求人サイトで事務系として募集している仕事内容にはだいたい電話応対が含まれている
それを省いたとしても残る求人件数は数少なく、社名を検索すれば悪評が湧き出てくるようなものがほとんどだ
私は某求人サイトでヒットした事務系の求人の社名を全て検索し、ああでもないこうでもないと虱潰しに探していったら全てダメだった経験がある
頭のどこかには「やってみたらなんとかなることもあるだろう」という考えはあるのだが、それよりも「失敗が怖い」という感情が遥かに上回ってしまう
あらゆる職種に就こうと思えず、かといって今更進学を目指す気持ちにもなれない今、本当に行き場を失い、詰んでいる
誰だって失敗は嫌だ、ただ逃げているだけだ、甘えだ、そう思われるかもしれないが、
私にとってこの問題はそんな言葉で片付けられるほどのものではないのだ
人の感情を矮小化する行為ほど無礼なものは無いと私は思っている
10代にして人への信頼、新たなことに目を向けるエネルギー、ここぞという時に踏ん張る力、自己肯定感、
あらゆる人生の楽しみを失ってしまった私は、これから先どうすればよいのか
私はもう疲れてしまった
「性に対してオープン」ということばをよく耳する。私はこれを、「月経とかそれにまつわる問題(低用量ピルとか、ストレスで起こることのあるカンジダとか)や恋人とのセックスに関する話をひとと気軽に話せること」と理解している。これはいいことだと思う。例えば、生理のナプキンがかぶれる話をして布ナプキンについて教えてもらい、それを使ったらかぶれが治ったとか、友人が普段恋人とどんなセックスをしていて、ここが良さそうだったから自分も取り入れてみようとか、良いと思った他の人の知恵を取り入れると日々の暮らしがよくなったり豊かになったりする。(きっと他のことも同じはず)
今までタブー視されてきて一人で悩むしかなかったものが、料理や掃除を教わるような感覚で話せたりするようになったら良い。とくに体なんて、切って生きていけるものではないから、これがオープンになればQOLの向上に大いに期待できるのではないかと思う。
私の「性に対してオープン」という言葉の認識が間違っているのかもしれないが、この言葉を疑問に思う場で使われていることがある。先日、私が受験する予定のうちの一つである大学の女子学生がAV女優デビューをしたという記事があった。その記事に、この言葉が使われていた。その記事や、他のAV女優のインタビューなどでは「自分が不特定多数の異性とセックスしている映像を公開すること」を「性に対してオープン」と表現しているような印象を受けた。自分の持っている「性に対してオープン」という言葉への理解に自信がなくなってきたのでググったが、明確な定義が出てこなかったたし、当然辞書にも載っていないと思うからここはいったん保留にする。
考えているうちにだんだん、「性に対してオープン」という言葉が都合のいいように使われているような気がしてきた。最近、低くなっていると言われているアダルトビデオへの出演のハードルもこれに関係がある気がする。
“最近は「性に対してオープン」になってきているので不特定多数の異性とセックスしている映像に出演しても問題ないです! 整形費用も出るから可愛くなれます! 売れれば明日花キララや紗倉まなみたいな仕事もできます! あなたもそんな存在になりたくない? 誰かに応援される、影響与える存在になりたくない?”
AV女優の求人やインタビューはこういうことを言っている印象を受けた。ここは完全に私見だが、AVに出て、もらう応援や与える影響って誰かの一時的な「消費」で、それが終わった次の消費への欲求と期待で、本当の応援や影響ってどのくらいなのだろう? それに、明日花キララや紗倉まなみたいな人気のAV女優は人気じゃないAV女優がいるから、彼女たちになんらかの才能があるから人気なわけで、なんの才能も素質もなかった人は出たあとをどう生きればいいのだろう? AVって、コンプレックスや承認欲求につけ込んだモノなのだなと思った。(その他、純粋に性欲でしている人などもいると思うが)ここで言う「性に対してオープン」と言うのは、これに煽られて応募しようか迷っているアホな女を正当化し、売り物を増やすためにあるような気がしてならない。
そもそも、セックスって娯楽のために存在しているのではないと思う。セックスに快感が存在して人間がそれを感じることができるから娯楽としての側面が誕生したのであって、元はと言えば子供を作る行為である。「性に対してオープン」と言う言葉のもとに、そう気軽にするべきことではないと私は考える。
でも、私の身の回りの人間でそれを理解している人はほぼいないし、実行している人なんて全くいない。ヒトに快楽を感じる能がある以上セックスを楽しむのは良いことだと思うが、「セフレ」とか「ワンナイト」とか、「不特定多数に、自分が不特定多数とセックスした映像を公開すること」とか、そう言ったことを肯定するために「性に対してオープン」という言葉を使うのは間違っていると思う。
私はW大学の女子学生が学生証を咥えて裸で映っているグラビア(?)に瞬間的に強い嫌悪を覚えた。「AV女優」としての彼女だけでなく、彼女の私生活まで売り物にしようというのに違和感がある。まあどうせAV女優なんてなったら私生活に影響ありまくるだろうから関係ないのかもだけど、その商魂が気持ち悪い。
一時は200万の借金に加えほとんど引きこもりに近い生活を送るほど荒れていたが、
少しずつ生活を立て直し。実家を飛び出しても2ヶ月くらいは生活できるほどの貯金もできた。
心機一転満を辞しての転職活動。今さら焦っても仕方ないしオリンピックの余韻が続く来年3月ごろまでに決められれば御の字だろうと悠長に構えていた矢先のコロナ禍。資格試験をキャンセルしポートフォリオ制作も投げ出し、ひたすら求人検索エンジンやコーポレートサイトのリクルートページをチェックし片っ端から応募。エージェントにも6社ほど登録した。
現在の仕事は夜勤も多く、仕事が終わってからエージェントのヒアリングや面接のために6時間待機し、その後反省点をまとめる作業に1時間かかり、2時間の仮眠のあとシャワーと食事を済ませてまた出社…というような日が4日続いたり、1日置きに1週間という感じでこの3ヶ月を過ごした。
丸一日休みをとれても、不安でうまく眠れないしやらなければいけないことがいくらでもある状況下なので寝てはいけない。
そんなことは何の言い訳にもならないが、転職活動を始めてから現職の方でミスが増えてしまい、上司にも目をつけられるようになってしまった。
正直いうとここ最近半狂乱に近い状態で、病院の予約時間を1時間早く間違えたくらいで「自分はこの程度のスケジュール管理もまともにできないのか」と帰りの車中で泣き喚き散らしてしまうくらいで、何にしても冷静な判断がくだせるという自信が持てない。
内定までの経緯が少し変わっていて、内定をもらった会社をA社とするとそこと全く別のB社にもともと俺は応募していた。すると採用担当とは別のB社社員から個別に電話がかかってきてA社を紹介された。A社社長と数回電話面談を行ったあと直接会って内定が決まった。
サイトを見る限り俺にとってA社は魅力的ではある。学生時代から未練があった業種に携わっていて、そこに未経験から挑戦するとすれば今が俺にとってラストチャンスかもしれない。しかし選考時の豪快さが妙に気になって仕方がない。
そしてここにきて俺はフロントエンドやWebデザインのポートフォリオ作りに熱をあげている。
もともとHTMLやCSSやらはテキストサイト全盛期だった小4の頃から見様見真似で暇つぶしに書いていた。書いていたといってもレンタルサーバに手打ちしたファイルをあげたり、WordPressに自作のテーマを仕込んだりはてなブログのカスタマイズ機能にCSSやJavaScriptをちゃちゃっと加えてたぐらい、だが、そらである程度書けるぐらいの知識はあった。
イラレやフォトショも大学の課題制作で嫌になるくらい使った。というか卒業してからもフライヤー制作とかで使った。
これくらいのことなんて常識の範疇で、AT限定免許所有者くらい取るに足らないレベルなのはわかっている。しかし病んで人と会話できなくなったりパソコンがお釈迦になって何もできなくなったりとそんな風に何かが起こっても常に俺が関心を寄せていたのサイトやWebデザインだった。
もともと転職活動で当初志望していたのもデザイナーやフロントエンドだった。借金を完済したのを契機に念願のラップトップを買ったので今年の2月から意気揚々とポートフォリオ制作を始めていた。この時はまだかっこよくてかつしっかりしたサイトが作れさえすれば、どこか拾ってくれるんじゃないかと思っていた。いや、就職できるかどうかは二の次で、かっこいいサイトを作りたい、サイトをもっとちゃんと運用できるようになりたい、もっとフロントエンドの知識を深めたいというのが一番の動機だった。
コロナ禍で転職活動を方向転換してからは求人があるうちに動かなくてはという思いで、ひたすらお気持ちポエムみたいなPR文を募集先に送りつけた。手元に何もない俺にはそれしか出来ることがなくていつも情けない気持ちだった。そんな嫌な毎日の中でポートフォリオ作りに関することが俺の逃げ場になっていった。借りてるさくらサーバー、VirtualBox上のFreeBSD、CentOSを仕込んだラズパイ、稚拙な知識を黙示録として書き記した雑魚虫なQiita…こんなとこに俺の未来なんてあるはずもないのに、もはや使い捨ての傭兵のようにこきつわれるだけで死んでく分際なのがほとんど決まってる癖に。
コロナ禍はリーマンショックとも震災とも違った。業界業種で影響の度合いに差がありすぎるし、情勢の変わり方も激しい。いきなり悪くなったり劇的に改善したりする。じわじわと影響が露出してきて経済が回復するのも長期的だった従来の経済的混乱とは違い、病床数やワクチン開発などの医療の状況、緊急事態宣言等の社会情勢で一変する。その時が来れば一気にコロナ禍による経済不安はなくなる。現に緊急事態宣言のあの騒ぎは劇的に落ち着いてしまった。
そんな中でこれは未曾有の危機!20年代は暗黒の時代だ!とヒステリックになり、よくわからない企業に飛び込んでしまうのはかなりのギャンブルなのではないかと感じ始めている。その反面これが自分の宿命なのだと得体の知れない企業で怨念にずぶずぶ浸かりながら野垂れ死ぬことを受け入れなければならないんじゃないかとも思う。
考えがまとまらずとっ散らかった文章になってしまったが、俺は何がしたいんだろうか?何が一番ベターな選択になるのだろうか。
フロントエンドの知識なんて俺にはたいしてない。30年近く生きているにも関わらず。でもだからこそもっと知りたいし、知らないことが悔しいし、しょうもない雑念に囚われて何のスキルになるのかもわからない仕事で時間を消耗することを受け入れられない。どう気持ちに折り合いをつければいいのかわからない。
もう十数年も前だが、私の周りで面接落ちまくっていたのは二人いた。
一人は任天堂とかゲーム会社の有名どころばっかり志望した人だった。私達の学部学科はゲームに必要な分野には掠りもしないし、マニアック方向性な文系なので事務方としても使えそうにない。ひょっとすると商業ビジネス学部みたいなとこの学生の方がチャンスあるんじゃないかと思った。
もう一人は、面接に受けにいくときの服装がヤバすぎる女子だった。茶金に染めた髪を夜会巻きにして、青いアイシャドウに真っ赤なルージュ、きらっきらのピアスとネックレス、胸元までざっくり開いて胸の谷間が丸見えで肩丸出しの袖無しシャツに、太ももの付け根までスリットの入ったミニスカート、きらっきらのアンクレットに何cmか知らんが踵のめちゃ高いピンヒール。そんな格好で「どうしてあたし採用されないのかな?」ってため息吐かれても、むしろお前何でそれでイケると思ったの? と聞き返すしかない。
逆に一人で何社も内定もらった人はなんというか、普通オブ普通な人だった。大学事務局に置いてあった求人票から適当に選んだ会社を志望して、言われるがまま・就活本の通りにエントリーシート書いたり、面接受けたりしていた。
北欧でポスドク(fellowship)ポジションを得た経緯と準備をまとめました。こちらの記事(https://www.notion.so/Facebook-London-13743da603ce4632bd9f96672faa0d74)を参考に書かせていただきました。特定回避のため少しぼやかした表現で書いたところがあります、ご了承ください。
私は今年のはじめにオランダ語圏の大学でPhDを取得し、その後も欧州に留まろうと就活をしていました。PhDの就活は、博論執筆やディフェンスと就活期間がかぶるものだと思いますが、そのあたりの事情も書いていこうと思います。私の専攻は数値計算・解析の一分野です。「数値解析」と言っても実際には何も数値計算をしない研究があり、また「数値計算」と言っても何も数学的な裏付けのない研究があります(どちらもそれ自体がネガティブなことだとは思いません)。ただ私は自分の強みとして、この2つ両方をやっていることを打ち出して就活をしました。
2-5月 公募、面接(オンライン)、オンラインセミナー講演など
オランダ2
ドイツ1
です。面接に呼ばれたのが2箇所、そのどちらも面接の数日後にオファーをもらいました。
当たり前ですが、ポスドクをやるために最も大事な要件はPhDを取得していることです。私は昨年10月に今年1月のディフェンスが急遽決まったため、大慌てで博論を書くことになりました。私の大学では外部の教授2人+内部の教授3-4人からなるexamination committeeがあり、 博論提出→(4週間:committeeの教授が博論を読む)→private defense (プレゼン15分+committeeによる質問2時間)→(3週間:博論修正、博論印刷)→public defense(プレゼン50分+質問1時間半) というスケジュールでした。私のディフェンスが急遽決まったのはこのcommitteeの教授たちのスケジュールによるものでした。
9月頃からアカデミア求人サイトを見ていたのですが、実際に応募しだしたのは11月からでした。周りのポスドクの人や教授に使えるリンクなどtipsを聞いておくと良いと思います。私の場合は例えば、mathjob.org, SIAM mailing list, euro-math-soc, NA digestなどをこまめにチェックしていました。
私の分野はあまり大きな分野ではないため、私のプロファイル・専門に合う求人は、多くて月に2-3件くらいしかみつかりませんでしたが、そこに力を入れて応募していました。公募求人のページは締切後に消えてしまうので、(面接の前に見返すなどのために)ローカルに保存しておきました。
私はCVとカバーレターの雛形を用意し、それぞれの公募に合わせて少し変えていきました。どちらも教授や周りの人に読んでもらってコメントをもらいました。ここでスペルミスや文法ミスがあると、後から見返してしんどい気持ちになります。
これは指導教員と副指導教員にお願いしていました。プロセスとしては、自分が応募する→相手方が自分に興味を持つ→相手方が自分のレファレンス先にレコメンデーションレターを書くよう要請する、というもの(が多数派だと思う)で、あらかじめ指導教員たちに「〜〜から連絡あるかもしれないから、見落とさないように」お願いしなければなりません。
面接は二回しか経験していませんがどちらもオファーをもらいました。聞かれたことは、そのポジションにおける自分の強み・弱み、自分の研究成果、教育の経験などでした。どちらも英語での面接でしたが、英語が公用語の国ではないため、ある程度の「社会に溶け込もうというモチベーション」を見せるために終わりの挨拶をその国の言葉でするなど、印象を良くするように努めました。
PhD取得後、すぐにコロナの広がりがやってきました。就活真っ只中の私としてはとても薄暗い気持ちになったのを覚えています。連絡を取っていた他大学の教授から突然メールが返ってこなくなったり、応募していたポジションの選考プロセスが突然止まるなどの事態が起こりました。
ポスドクは自分の研究活動を通したコネで決まることがわりと多いかと思います。もしそれで決まるのであれば、そうするに越したことはありませんが、私の場合は土地の制約やタイミングからそれだけではうまく決まりませんでした。そのため、全くつながりのない教授・大学にある程度の説得力を持って応募することが必要でした。私が応募したものの中にはあとから「ああデキ公募だったんだな」とわかるものもありましたが、これは世界中どこでも起こりうるものだと思って割り切りました。
選考プロセスはほとんどの場合、応募者側からすると不透明ですが、スウェーデンとノルウェーでは透明性を重視しているのか、現在の段階や全応募者の評価シートまで応募者に公開しているものもありました。クオリファイされた24人の応募者全員の名前、年齢や出身大学、業績、プロジェクトとのマッチング評価などが書かれたドキュメントは読み応えがありました。
twitterなどを見ていても思いますが、博士課程は思うように結果が出なかったり、悩みを共有できる人がいなくて孤独だったりと閉塞感が出がちだと思います。私も博士号取得後の数ヶ月、無職期間を経験し気が塞いだこともありました。この閉塞感がくせ者で、そのせいでパフォーマンスが落ちたり更に人と話さなくなるなどの悪循環なども生まれると思います。ただ、自分が思うよりも状況は悪くない、ということをどうやってか自分に客観的に説得できると、この閉塞感も緩和されるんじゃないかと思います。
カネにならない勉強してるくらいなら、ハロワでSE募集してる会社片っ端から当たって、未経験でも入れる会社に入って経験積んだ方が良いぞ。
大手ばかり話題になるし、転職エージェントもカネにならない会社は紹介しないから目立たないだけで、国内の小規模な老舗システム開発会社は腐るほどあるぞ。
老舗だから転職エージェントなんて信用出来ん!みたいなジジイが社長だったりして、昔ながらのハロワしか求人出してなかったりして、ここで経験積んで大手に入るなり、何処かの社内SEになるなり好きにすれば良い。
数年前から福祉に関心があって、ソーシャルワーカーの資格を取った。
地元で障害福祉サービス事業所を作りたいと思っていたが、総量規制という問題があり、新規で事業所を作るのに人口に対しての適正な事業所数というものがあり、自宅のある地域では設立するのが難しかった。
そこで2016年、会う人会う人にこんな事業をやりたいんだよねって話をしていたら、近隣地区の福祉施設経営者のご子息を紹介された。
その人と話をして、ふわっとした話をする人だなという認識ぐらいしかなかったけど、渡りに船とばかりに一緒に事業所を作りましょうという話になった。
それから週2~3日ぐらいその会社に行って、事業所設立のスタッフとして、設立準備を始めることになった。
地域の困り事を誰かと誰かがつながることで解決できることがある。
コミュニティデザインの手法やソーシャルデザインなどこれまでNPOで培ってきた経験が生かせると感じていた。
ただ少しずつ違和感を感じていたのも否めない。
管理職と話せば話すほど、実社会と会社との断絶を感じてしまった。
最初違和感なく働いていたけれども、最初に起きた出来事は外国人技能実習生の問題だった。
自社で技能実習生を雇用するという話になり、現地説明会があるのでPVを作ろうという話になった。
ムービーは別のスタッフが撮ったが、当職が編集し、英字字幕をつけることになった。
出来上がった会社案内はイメージビデオとしてはかなり良い線を行っていると感じた。
だが程なくしてフィリピンでの説明会のようすを聞いて愕然とした。
複数社で合同会社説明会を開き、当職の編集したPVでは会場から拍手が沸き起こったらしい。
そこまではよかった。
なんとじゃんけんで決まるという。
そして各雇用者側が順番に選んでいくと聞いて悲しくなってしまった。
更に極めつけは採用するときにどこに注目したのか当職の上司に尋ねると、子どもがいて仕送りが必要でばっくれない人という視点で選んだと言い放った。
そもそもなんで外国人実習生を雇うのか尋ねると、借金背負って来日するので、日本人を採用するより離職率が低そうだからと言う。
現に当職の会社にいた普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。
フィリピンからの送り出し機関管理会社も当職の会社を退職した普通の人が立ち上げていた。
そしてその管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ。
そして雇用される側の実習生は技能実習という名の下に人員配置基準を満たすための駒として、シフトに組まれてしまう。
現場の日本人スタッフもどのようにして介護現場での微妙なニュアンスを実習生に伝えるかを悩まれていた。
もちろん法人内で英語ができるスタッフは1割もいない。タガログ語に至ってはなおさらだ。
この技能実習生は日本の介護技術を学んで本国で実践するという名目で、日本人と同じ雇用形態で仕送りたくさんできていいじゃないかという人がいるが、現実はそうではない。
どこに住まわせたとしても、実習生らは住居費として家賃や光熱費等を控除される。
そして管理会社の管理費という名のピンハネや渡航費用の借金も引かれる。
それで残ったお金を本国で待つ子どもやその子どもを子守している両親宛に送金するのだ。
そして彼ら実習生が雇用されるということは日本人を高い給与で雇わなくてもよいので、今働いている人たちの給料も上がらない。
理念で洗脳されて働く現場スタッフと一部のボランティアや近所の善良な人たち頼みの地域包括ケアシステムの限界がすぐに予想できた。
福祉業界にいて困っている人ために働こうと思っていた矢先に、理念もへったくれもない企業に関わったのが私の運の尽きだったのかもしれない。
私も人を見る目がなかったんだろうな。
また書くと思う。
昨日の夜中に書いてこんなにブクマしていただけるとは思わなかったので、びっくりしています。コメントありがとうございます。
また自分自身が遭遇した問題を相談させてください。度重なる退職勧告を受けています。
当職も障がい者の日中支援をしていて、知的の方でお尻が拭けない方の排せつ介助をしていて、今まで教えてもらえなくて辛かったろうねと思いながら、どうやったら自分でできることが増やせるか常に考えています。
実習生無しに高齢者の下の世話を誰がするのかというブコメがありましたが、お年寄りが好きで働いている方も大勢いらっしゃいます。
給料が上がれば良いのです。
仰るとおり以前はシングルマザーに研修受けさせて、介護現場に放り込むというのが定番でした。
それでも低賃金重労働で人が離職するので、外国人をとなったわけですね。
農業の世界では農福連携というお題目の下に、障がい者の農業分野での参入が推奨されていますが、厚労省と農水省の足並みが揃わず、残念な制度になりそうな予感です。
とりくみとしては農福連携はとても面白くて、障害の種類によっては回復につながる制度だと思っています。
それを私はやりたかった。
知的の方で性教育を受けていない方はマスターベーションも自己流で、性器を傷つけるやり方で行っているし、支援していて辛いです。
でも福祉の世界では障がい者の性欲についての支援のノウハウは定まっていないし。会社はうちの業務じゃないからって問題と向き合おうとしません。
ここまで伸びるとは思わなかったので、関心の高さに少々驚いています。
コメント一つ一つに返信したいところですが、ネガティブなのを読むと今は辛いのでいくつかだけレスします。
高校生が福祉コースを選ばなくなったのは熊本地震以前から既にそうでした。地元の高校で唯一福祉科のあるところで5年前は2桁はいたんですけど、今は1クラスで1桁になってしまい、消滅の危機が訪れています。
地元の介護の求人はものすごく給与が安く、NPOが運営する障がい者施設などでは額面で13万スタートとか。
だから高校で福祉科しかなくて入学した子は卒業後にすぐ就職するのではなく、専門学校に進んでPT(理学療法士)など少しでも条件のよい仕事に就こうとしています。
もしくは働きながら看護師の資格が取れる夜間の学校とのダブルワークとか。
更にハロワに求人出すのに賞与なども記載しないと応募がありませんが、うちの会社は処遇改善加算という加算が付くのですが、その分だけを賞与で渡すので、求人票との相違があります。
初めてもらったときは0が1桁足りないんじゃないかって聞き返してしましました。
当職と書いたのはソーシャルワーカーは一応社会福祉士という国家資格なので、士業だから書いただけです。
弁護士・司法書士の先生しか使っちゃダメというのがあれば、ごめんなさい。不勉強でした。
この技能実習生は3年ぐらい前から準備されていたけど、2国間協定が結ばれなかったので延び延びになって、今年の来日になりました。
またなぜフィリピン人なのかは私も聞き漏らしましたが、語学ができる若い優秀な人材はもっと条件のよい欧米諸国に行くそうです。
そして日本だと監理団体経由で来日する必要があり、かなりの渡航費用がかかるので、飛行機を使う必要のない中国へ出稼ぎに行くのが主流になっており、それができない層が今回のように来日しているとのことでした。
ちなみに農業の方では、私の地方はベトナム・カンボジアの方が増えて、中国・フィリピンの方は見かけなくなりました。
直接上司から聞いた言葉は明言できますが、来日した当事者からはまだ話を聞いていませんので、推測の域を出ていないか所があるかもしれません。
でもそんなに推測で書いている場所はないです。というか私の書き方が自分の意見を言うときに「~と思います」と書くくせがあるようです。
まだ入職してきたフィリピン人の方々とお話しできていませんが、退職前に機会を作って地元にあるフィリピン人支援機関の連絡先だけは伝えようと思っています。
あと私がこの業界を選ぶのが頭悪いと仰る方の意見はごもっともです。
お金だけで考えれば、もっと効率のよい稼ぎ方がありますからね。
ただ、私も40歳前後になってからアスペルガーの診断が付いた当事者なので、仕事があまり選べる環境にはありません。
今までの経験を活かしつつ。「当事者の視点でなんとかこの業界を地方から変えていきたい」と思ってスタートしました。
あまり自分自身のことを書くと私がどのブクマカか身バレしそうなので、ご容赦ください。
また事業立ち上げ時に当事者が主体となって新規事業を興そうとしているというのは聞こえが良いので、良い宣伝マンだったのでしょうね。
そして私自身が多くの支援者に支えられて生きていますので、その人脈も会社は欲しかったのだと思います。
いろんな方に支えられて引きこもりからここまでやってこられたので、他の誰かの役に立てればと思っていたのですが、自分の限界を知る良い機会でした。
もうそろそろ普通の仕事が良いかなって思い始めていますが、たくさんのコメントに励まされています。
ただ経営者が介護事業を「給付金ビジネス」と呼んでいる時点で終わってますよね。
このまま離職しても会社は何も変わらないし、今働いている人も不幸になるので、いわれのない退職勧告に負けず、会社からの謝罪を得ようと思っています。
そもそも前職でもうやってけないって思ったことがきっかけだワン…。
モノがほぼ完成していてクライアントとの合意が取れていても、なぜか最後に部長がしゃしゃり出てきて全部をひっくり返して最初からやり直しになることがたくさんあったんだワン…。
どんなに頑張っても成果を出させてもらえない、それが辛くて、退職を決意したんだワン。
フリーランスも考えたけど、受動的な自分にとって、自分で仕事を取りに行くなんてとてもじゃないけどできないんだワン。
言われたことをやるだけで衣食住が保証されればそれでいい、と思ったときに犬になるという選択肢がでてきたんだワン!
たまたま未経験可の求人を見つけたから、勇気を出して応募してみたらすぐに内定を貰えたワン。
こういう経緯があったワン。
毒親から逃げ出してきた友人が、我が家に居候している。娘が検討している歯列矯正の案内書を見つけて「許さないよ!」とか言ってビリビリ破るような親から突発的に夜逃げし、行く宛がないのを気の毒に思って、1LDKの狭い部屋に受け入れたのだ。
あれから二ヶ月ほど経過して、友人はなんだかワガママになった。先程も私が洗面台を使っていると、「私は7時出発なんだから、洗面台を占領するのやめて」と言ってきて我が耳を疑ったよね。いやアンタ家賃入れてない居候ですやん……
当初、最長でも三ヶ月の約束で居候することになったが友人は一向に仕事もバイトも家も見つからない。コロナだから……と言っているが、なんだか眉唾だ。近所のホムセンやスーパーには相変わらず求人票貼ってあるし、新聞には求人広告も入る。
仕事が決まってなかったら約束の三ヶ月を延長しても良いと言おうと思ったけど、無理だったわ。今すぐ追い出すほど非情ではないので、期限いっぱいまでは居候を許可するけど。良い友人だったのがなんだか嫌な感情を持ってしまうし、後悔しかない。
それならますます効率的に技術習得できて、コネや求人まで得られる専門なんかのほうが有利でしょ。
問題は「家」の単位で扱ってもらえないので、職人周辺の地縁は得られなくなるけど。
それだって今どき大企業がフリーミニアム等で大きく勝負に出るビジネスモデルとは相容れないし。
職人側もでかい大企業チェーンの大きな店舗で名を売ったほうが有利でしょ。
どうしても実体験がほしい人は就学したあとで弟子入りすりゃいい。
先日、ゲーム会社に面接したも落ちてしまったという人がかなりの時間をかけて一つのゲームを作り上げSNSで呟いていた。
その際にお祈りメールと作ったゲーム画像をアップしていたのだが、作成者的には落ちちゃったけど、やっぱりその会社が好きなので作ってみたいゲームを作り上げましたという感じで
落ちてしまったという証明的な意味で画像のアップをしていたようだったが、それにゲーム業界の人間がケチをつけていた。
その一般人の意図を知ることもなく、ゲーム業界人は「お祈りメールを晒す人は性格的にちょっとね」というニュアンスのつぶやきをし、
それに同調した同じ業界人のコメントを読んで「お祈りメールを晒してるのは腹いせだろ」といい始めた挙げ句に「本当にその会社が好きだったのかよ」と嫌味をいい始めた。
人によっては表現が違うわけで、ゲームを作り上げた一般人は、ただ『本当に求人に応募したんだ』という証明としてお祈りメールをアップしただけだった事をゲーム業界人はボロクソに叩いていた。
とにかく人の出入りが激しい会社だった。先輩いわく出入りが激しい業界ではあるけどさすがに辞める人多すぎらしい。
特にマネージャーが苦手で、たしかに見た目もよく仕事ができる人ではあったけどエグいくらい他人に厳しくて、スタッフが業務中少しでもミスると「死ね」、出勤して1分のスタッフに「死ね」みたいな人だった。
新人のことをとにかくしごきにしごいてメンタルが強いやつだけが生き残るようにする教育方針みたいだけど、今のところ誰も生き残っていない。なので一年中ずっと求人を出している。
入ったばかりの頃、「基本雇ったスタッフほとんど俺が潰してきたからな〜」と自慢げに言うマネージャーを見て、やばいとこ来ちゃったなと思った覚えがある。
人としてどうなんみたいな人は他にもいっぱいいて、
アルバイトできてくれている学生スタッフのことを面と向かって「ゴミ」と呼ぶ人もいた。
すこし気が弱く要領がよくない感じの男の人は標的にされやすく、いつも寄ってたかって何かを言われていた。
わたしはわたしでテンションの上下が激しい女性の先輩に強く当られることが多くてしんどかった。この人自分よりひと回りも上なのにダサいなあと思いながら、どれだけキツいことを言われてもヘラヘラしていた。
わたしが辞めると知ったとたん、「キツく当たることもあったのにいつも笑顔でありがとう」みたいなLINEがきて、やっぱダサいなあと思った。
いつも誰かが誰かに怒っていた。たしかにある程度緊張感が必要な仕事だったから、ピリピリしてなきゃいけなかったんだとは思う。わたしがそれに耐えられなかっただけで。
みんな若くておしゃれで華やかな会社だったけど、長く続けてるのはメンタルが強靭な人たちだけだった。
なにより、自分が怒られることより誰かが怒られているのを見るのがつらかった。人が人をゴミと呼ぶところなんてとても見ていられなかったけど、それを怒る勇気もなかった。
彼らと同じレベルにはなりたくなかったし、近々辞めようと決めていたから、誰かにキツく当られようが怒られようが反省した顔で「すみません」「ありがとうございます」とだけ返すようにした。
入社してすぐ、わたしの直後に入ってきた人に仕事を教えろ(同時進行で通常業務を進ながら)と言われたら、笑顔で一から説明した。
それでも怒られたり嫌味を言われたり怒っている人を見たりするとサーッと血の気がひいて目の前がぐらぐらした。
なんで自分はこんなに弱いんだろうと嫌になった。
そしてある日例のマネージャーに、「やっぱり怒ると動きが良くなるね😊これからどんどん成長していこう!指導中死ねとか言うこともあると思うけどがんばってね!」みたいなことを言われて、なんだか全てがどうでもよくなってしまった。
次の日辞めますと言った。めちゃくちゃ辞めたかったので明日で辞めますと言った。最もらしい理由は用意していたので、スムーズに辞められることになった。
わたしはまだ全然怒られてる方じゃなかったし、ここで辞めるのは根性なさすぎるかなとも思ったけど、もういいやと思った。
実質半年も働かなかったと思う。
辞める日の前夜、なんかずらーと人が集まってきて、メッセージボードみたいなのもらった。部活かよ。
今まで誰かが辞めるとなったら悪い意味で泣きながらとか何も言わずに飛ぶとかだったから、ちゃんと辞めます宣言して辞める人間が珍しいらしい。
いつもクールだった女性の上司がちょっと泣いていた。マジかと思った。
とまあこんな感じで無職になってしまった。辞めて正解だったのかわかんないけど、わたしが根性なさすぎただけかもしれないけど、もう辞めちゃったもんはしかたない。
いやーでも、マジか。マジか〜。
しかも次の仕事決まってないからまあまあ詰みの状況なんだよなあ。
あーあ。