はてなキーワード: 成果物とは
元の意見が「制限時間が一定ある仕事について」だとすると、少し同意する。
テストは、制限時間が数十分~数時間と短かく、ここで満点が取れない原因は多く有るし、仕方ない部分もある。一方で、仕事は(即時作業が必要な仕事やたまにあるスピード勝負な仕事を除くと)、制限時間が1日以上あるタスクも多い。(特にホワイトカラー的な仕事。)
1日以上を費やして良いなら、途中でググったり有識者に聞ける。タスクを振った上司に直接聞ける場合も多いと思う。ブラックかもだが、最悪は、ランチタイム削減や残業や徹夜で時間を追加投入することもできる。こういう状況下での成果物の品質が低めな人を見ると、学校でもっと訓練しても良いなと思ったことはある。
「完璧」と言うとハードルが高いが、自分は「自分の報告内容の範囲で、隅々まで責任を持てる状態」くらいだと思う。それが「何かを理解した」という状況だと思う。
ダメな例として、提示資料の中で内部矛盾していたり、資料記載の意味を聞かれて答えられなかったり、聞かれて「深く考えてなかったです」、というのを避けてほしい。
ケアレスミスや深いレベルでの考慮不足はたまに有ると思うが、テストだと90点以上のような品質は求めたい。全員ではないが、一定給料以上の人にはそのレベルを求めたい。その意味で、見たらすぐ気付く間違い、すぐ思いつくだろう考慮不足、主題が不明な資料、体裁の大きなミス、などはちょっとひどいと思う。
なので、学校で「2日掛けてこのテスト用紙を100点に仕上げて提出する。」とかの訓練があると面白いかもしれない。教え合いが横行すると思うが、教え合いでも良いと思う。全写しして終わると意味が薄いけど。
1. 成果物の出来に関する話は人格に関して言及しているものではない。成果物の出来が最悪だということは、人格が最悪と言っているわけではない。
2. 「イライラする」「死んでほしい」は単語選びが悪いだけで、一方的に迷惑を受ける側の感想としての「締め切りが短くなってから回されてめんどくさい」「最初から自分がやったほうが早かった」みたいな内容に置き換えたらよくある感想だと私は思う
3. 「遅刻癖が治らない」「ホウレンソウのタイミングが苦手」は業務以前の話。自覚してるのに何年もやり方変えずに同じこと繰り返しやってるならただの怠惰。
そうはいっても、世の中の仕事は上下関係の枠組みで降ってくるのが多いよ
当たり前じゃん。なんでワイちゃんが身銭を切って手に入れたマシンの性能をどこぞの誰かの計算資源として召し上げられなければならないのか。
広告収入で成り立ってるサイトにアドブロック入れて突入して成果物だけチューチュー吸って賢ぶるのが現代のネットユーザーよ。
そういう風潮に嫌悪感を抱くみんなはもっと広告を見て物を買ってくれ。特に紙メディアの広告を。そして最終的に印刷費を負担してくれ。それと同じ。タダ乗りはよくない。だから計算資源も提供して、広告代の乗った価格のものを購入して最終的にそれを負担してくれ。嫌味じゃない。本当のことなんだ。
ああ、だから全てのWEBサイトは訪問時に「こういう仕組みの広告が表示されます。続行しますか?」というクッションが必要な時代がきてるのかもな。
元増田が競走馬や品種改良を例に挙げている通り、人間においても、優秀な(望ましい)遺伝子を掛け合わせたら、優秀な(望ましい)個体が生み出せる確率が上がる、というのは真でしょう。もし、人間のみが例外だと考える人がいれば、それは人間を神聖視しすぎでしょう。
実際に個人で実践したのが室伏重信であり、その成果物が室伏広治ということになります。
ただ、国家や他人がそれを強制して良いかというと、そんなことはありません。その理由は単純に人権で、ある個人が誰と子を成すのか成さないのかは、個人の自由だからです。ましてや、人種や障害で人を差別したり、虐殺したり、断種したりはもっての他なわけです。
"優生学"は優秀な人間同士を掛け合わせて、優秀な人類を作っていこうという、思想自体を含み、人種差別などにも繋がることから、人権観点で否となるわけです。
なお、人権のことをいったん忘れて、実践するとしても、ある時点での優秀さの基準が未来での基準に合致するか分からず、またある特性を追い求めた結果、別の特性が悪化することも考えられます。そのため、実践してうまく行くかは難しいところでしょう。
不当解雇のタイミングで妊娠が発覚、求職活動していたけど妊婦が採用されるはずもなくそのうちつわりも始まったので早々に就職をあきらめ今は専業主婦。
ここまではいい、貯金もあるし旦那のおかげで生活にも困ってない。
不当解雇さえなければ産後に戻る会社もあって産休・育休の取得もできたし、妊娠後期まで休職や時短を挟んだとしても多少の収入を得ることが出来た。
さらに転職して半年そこそこ、前職が古い体質の会社だったため時代の流れについていけない部分もあったがそこは採用面接時に説明済み、ようやく新しいやり方にも慣れてきた矢先の不当解雇だった。
採用後すぐにコロナでリモートになり十分な教育もされておらず、細かいミスは色々あったけどそれでも大きなミスはなかった。重めの成果物も上げていた。
そんな感じなのでまあ裁判起こすんだけど、それでもこの妊娠で動けない期間や産後の仕事のことを考えると金銭的な部分だけではないマイナスを感じる。
案件の経験も多少積めただろうし、産休・育休はもちろん保育園だって求職がうまくいかないと入れない。バイトやパートも考えてるけどキャリアにならない仕事はしたくない。
なんで就職決まってない俺が就職決まってる奴より率先して卒論まとめてるのかわからない
冬は気分が常に最悪になるし改善しようと思ったら食べて寝る以外何もないんだけど寝ても全然眠れないし食欲湧かなくて1日1食だしペットは死ぬし
俺がボドゲで遊ぼうって言った時は誰も返信すら寄越さないのにお前がカラオケ行きたい時は俺含めてすぐ返信するし
俺は友達と遊べるだけで楽しいからいいけどもう数ヶ月ずっとボドゲが遊びたいって言ってるのに聞こえないふりするし
俺より馬鹿な奴が勉強ちょっとやっただけで褒められるのに俺が毎日頑張って学校行っても誰も褒めてくれないし
俺がこんなに辛い死にたいと思っててもみんなどうせ同じこと思ってて
○ご飯
お菓子は…… てへりんちょ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、うーん。
仕事の中で昔は別の会社が作ってた成果物を、作ることになった。
ただその成果物のクオリティが低く常々苦労してたので改善ポイントをたくさん提案した。
見やすくしたり足りないところを補うだけじゃなくて、面倒くさいやり方のところを早く作れるようにするなど、とにかく沢山のポイント。
ところが「たしかに前例よりも君のやり方の方が成果物のクオリティが高くなるしスピードも早くなるのも認めるけど、成果物のクオリティを上げることよりも早く作ることよりも大切なことがある。それは前例踏襲を全員が合意することで、この成果物の責任を我々が取らないことだ」と言われたのが重石のように頭をグルグル巡っててシンドイ。
なんだかなあ。
ナーフされたけど、割と戦えてるな。
と思ってたけど、たしかに進化守護ビショップとの相性が絶望的だ。
ナーフ前も不利だったとは思うけど、再誕無くなったのはあまりにもデカい。
いやあ…… ナーフ前の再誕強かったなあ。あれとベルエンジェルの組み合わせの盤面除去しつつ手札も墓地も貯める動き異常だったわ。
2021年は例年より多くの本を読んだ年だった。
本に手を伸ばす理由は、過ぎる時間の虚無を埋めてくれるからだ。
暇な時間にふと、理由のない虚無感や今まで自分の行ってきたことがふと無意味だったのではないだろうかという思いに襲われる。
そんな中、以前では現実逃避や問題の先送りが悪と捉えてきたものを、積極的に物事を放置、物語や文章に没頭することが心地よくなってきた。
恐らく、以前はもっと人生とは自分の思うように舵を切って、自身に起こりうる出来事は自分次第で制御できると考えていたのだ。
もちろん、突拍子のない願望や生まれ持った環境など、制御しようがないことが存在することはわかっていた。
しかし、心の奥で、自分の願望は全て叶えられる、変化できると思い込んでいたのだ。
そんな気持ちで日々を制御しようとしていた10代、20代、さぞかし理想と現実の差に苦しみ続けてきただろうと考える。
どこまで求めて、手に入れても満ち足りない日々は確かに何かを手に入れて、成長したこともあったのだろう。
けれども、取り組んできた物事の難易度が時間と共に上がり、自身の行動の影響する範囲が大きくなるにつれて、自分の能力では制御しきれない領域もあることを徐々に感じ始める。
精神が一気に崩れ落ちて、自身を鼓舞していた心のどこかにあっただましだまし、綱渡りのスイッチで稼働していた力の源泉から何も沸いてこなくなりついには割れてなくなってしまった。
この虚無感はいったい何なのか?答えを本の中に求めて、小説、エッセイ、ドキュメント、啓発など色々読んだ。
なるべく同年代の主人公で人が死なない日常の物語を最初は求めていたのだけれど、いつしかその縛りは忘れて、自由なジャンルのものを読み始めて没頭していた。
自分は何している時が満たされているのだろう?とふと考えた時にパソコンのキーボードを打ち込んでいる時と思った。
仕事柄キーボードは毎日叩くのだけれど、キーボードを打ち込むそれ自体の行為が好きなのではなく、打ち込んでできた成果物が完成した時に満足している。
のだと思っていたが、単純に今キーボードを叩いて文章を書く行為が気持ちいい。
そして、今さっきまだ読み途中なのだが、「中年の本棚」という本を読んでいた。
その中には超おおざっぱにいうといわゆる中年あるあると中年の虚無感を古今東西の本から該当する要素を抜粋してそれに対する思案を述べているものである。
当初自分が求めていた内容が書いてある本にようやく出合えたと謎の手ごたえを感じた。
その本の中で「隠居」について掘り下げて書いてあった。
では何も思い浮かばないが、
では真っ先に「隠居」がしたいと筆者は語っている。
自分も同じ考えだ。
そこから、「隠居」について書かれている本をピックアップしている。
その中で、「日曜〇〇家」というキーワードがでてくる。
要は、「日曜〇〇家」で社会人生活を60歳まで過ごし、以降は「日曜」ではなく「〇〇」を毎日やるのだ。
例として、そのような小説家を何人か取り上げている。
医師を平行して、小説を書き、定年後は本業、ないし隠居しながら小説を書くというものだ。
エッセイやら随筆やら小説やら、結局は自分のために書きたいものを書けばいいというメッセージがふと強く突き刺さった。
自分には教養も知識もないが、キーボードをひたすら打ち込むと心地がよいという属性がわかったので、これから何かしら文章を書きたいと思っている。
タイピングソフトでもやればいいのでは?という問いには、自分が何かしらの成果物を作り上げているという達成感がなければ意味がないと答える。
というわけで、なにかカタカタ打つからには、自分か他人に何かしら意味のあるものを書こうと思っている。
また自分の思考を整理する過程も好きなので、一石二鳥ということで。
難しいことはわからないし、無理に着飾ってもしょうがないので、自分が面白いと思うものをひたすら書こうと思う。
趣味は「キーボードをひたすら打ち込んでなにかしら成果物を作ること」にしたい。
一言でいうとなにになるのだろう。
作文かな
今ちょうど対処法に頭を悩ませてる、ここまでの人は正直人生初。
バグが多い、レビューの指摘数が多い、投げた仕事がわからない・できないで投げ帰ってくる、基本的なアーキテクチャが理解できてない、成果物が出てくるのが遅い
ざっくりとこんな感じ。
今のところこんな感じで対処してる。
正直「こんなに時間をかけて詳細に指示書いてこんな数の指摘を説明しなきゃいけないのだったらその人に振らずに俺が1から対応した方が数倍以上早いしこれは一体何を生み出している時間なんだろう」みたいなことを自問自答しながら作業してる状態。
これが新入社員とかだったら多分立ち回り方も結構変わると思う、できなくてもそれは経験不足から来るものだし、多分『教育』って形で結構時間かけて丁寧にペアプロして習熟度を上げてもらう感じかな。
2年目くらいでまだ戦力になれてない社員だったら多分3年目とか4年目くらいの誰かしら(できれば数人)と相談して教育係として俺との間に誰かを挟んでコミュニケーション上の距離を置いて負担をチーム内で分散する形にすると思う。
ただ経験年数長いで今更新人教育みたいなことをするとプライドを傷つけかねないし、ぶっちゃけこの経験年数でこれなら教育にパワーかけても効果薄そうっていうのもある。
あと単純に社内リソースが足りなくて俺がなんとかしなきゃいけない状態。
これどうすっかなぁ。プログラミングとはまた違う頭使うぞ。
自分のブログに上げようかと思ったけどリアルすぎるので増田に供養する。
書きづらいことは書かないので超表面的な振り返りになるけど、こういう言いにくいこともきちんと表現していくことが大事なんだろうなー
プラス面
〇引っ越した
よくも悪くも生活がかなり変わった。
在宅勤務の質も上がったし、生活の質が全体的に上がったような気がする。
〇医者を変えた
以前から続けていてあんまり効果がないと思っていた治療法をやめた。
代わりに別の医者に掛かり始めたのでそっちが改善することを期待。
マイナス面
×ゲームしすぎ
Apexやりすぎ。
やるならほかのゲームやった方がまし。
職場環境が悪すぎるんだけど、まともに成果も出せないし変なことに固執しすぎ。
ルールを守ってたら成果がまともに出せないっていうのもあるけど、ルールを守ることよりも正しく求められている成果を出せるように努力すべき。わかっちゃいるんだけどね~~。。できないので異動か転職を考えている。
人手不足で、成果に直結しない泥臭い部分での努力を何とか評価してくれているような現状だけど、同じことを続けてても成果にはならないしもっと新しい価値を埋めるような仕事をしていくべき。自分用だけじゃなくて人に見られるような成果物をもっと出していくしかないんだろうなー
以上が、K市の特定任期付き職員としてのキャリアの棚卸しになる。
退職の背景などを述べて結びとする。
K市を辞めることになった原因は、私をスカウトしてくれた人が市長ではなくなったからだ。政争に負けたのだ。新しく来た市長は、前市長の行っていた改革的内容のうち、いくつかを元に戻す選択をした。
特に、私達がそうだ。『私達』というのは、国や民間企業やNPOなどからK市に採用された特定任期付き職員だ。当年度の終わりでの任期満了が言い渡された。
私達はまだいい。転職先を探せるだけの時間があるのだから。副市長などは、新市長の就任から1週間でお役御免を宣告され、二か月後には議会で辞職が承認された。政治任用の悲しいところだ。
いまだに納得がいかない。私達は全員、結果を出していたからだ。地域産業の活性化を担当した人も、福祉事業の効率化を担当した人も、庁内インフラ設備の刷新(今でいうDX)を担当した人も、そして私も、全員が数字で証明できるだけの結果を出していた。
にもかかわらず、「あなたの任期は今年度限りです」と三行半を告げられた。それが許せなかった。
私は、以下の成果を確かに達成している。
・手がつけられないレベルの問題職員への退職勧奨。主にB子さんの時に登場した人事課長と二人三脚で行った。成果として、計13名の問題職員(全く仕事をしない職員、犯罪を犯した職員、度を過ぎたハラスメントを行った職員)に始末をつけた。一人頭での人件費(職員の雇用にかかる全ての費用。年収ではない)が最低でも年800万以上はかかっていたので、13名で約1.2億円のキャッシュフローを削減できたことになる。
・面接試験の構造化及び検証手法の確立。これまでは、面接時に予め決まった質問を受験者に行ったうえで、面接官と受験者がフリートークを行い、最終的に点数を決めていた。この慣習を原則廃止した(少しは残した)うえで、統計学の知見に基づき、面接時評価と採用後査定を追尾検証できるシステムを構築した。コンサルは入れていない。庁内でプロジェクトチームを立ち上げ、皆で作った成果物だ。
・新規採用職員の試用期間内分限免職の基準化。当時のK市では、新人職員が20名入ってきたとして、1~2名がどうしようもなく向いていない人間だったとしても本採用していた。その結果、問題職員や無能職員が跋扈・放置される原因となっていた。私が2年目の折、試用期間内での分限免職の基準を明確化した。その職員が所属する課に明白な責任が見られず、かつ当職員との面談において度し難いほどの悪い結果が得られた場合、分限免職ができる旨を要綱で固めた。以後、数年分の結果として、新規採用職員の約1割が本採用に至らずK市を去っている。これについても、問題職員を40年間も世話するだけの人件費(K市の場合は約3億円/人)を節減できたことになる。
さて、便宜上は『問題職員』と表してきたが、一度として私は、能力が低いことだけを理由に当人の分限免職を決めたことはない。例えば、臓器に異常があって年に5分の1は休まなければならない新人職員がいたが、退職勧奨は行っていない。
能力の高低は関係ない。人格的に救いようがないほどの諸傾向が見られた場合に限って当人を辞めさせる行動に出る。そういう者は、他の職員、特に市民や企業のために頑張っている職員に悪い影響を与えるからだ。
恨みつらみを書きはしたが、新しい市長の行いは正しい。頭ではわかっている。特に、私などは前市長のスカウト(政治任用)により採用されたわけだから、トップが交代すれば成果に関わりなく切られる。それが普通だ。
K市で〇年以上も暮らしたのだから、当然哀愁は募る。最初の頃は、都心から外れたところにあるK市を心の底で憐れむような、蔑むような、自分とは関係ない存在だと思い込むような――そんな感情があった。
庁舎の3階から中心市街地を眺めている時、家屋や工場の間にポツポツと居並ぶ田園を眺めていて、これまで東京都内のコンクリートジャングルにいた頃が懐かしくなった。
いつの間にか、この町が好きになっていた。高い品質の地元名産品はあるし、創造的な力のある子どもを何人も見ることができた。山の上にあるワンルームマンションから見える大きな河川に囲まれたK市の街並みは、今でも記憶に残っている。
さて、さんざんと人事関係の効率化を進めてはきたものの、後悔も当然ある。最後の年には、「私がやってきたのは正しいことなのか?」と考えるようになっていた。
私が採用されたのは、「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」というミッションを果たすためだった。民間企業においては標準的な考えだ。しかし、官公庁はそれでいいのだろうか。人格に難のある人や、能力が低い人や、病気などで働く事ができなくなった人を追い出していった場合、民間企業も官公庁の真似をするのではないか? つまり、要らないと判断した人間を組織から追い出すようになる。
その『要らない』が、本当に正しいのか分からないから厄介だ。仮に正しかったとしても、日本の社会全体で考えた場合に最適である保証はない。とある組織が不要な人間を切りまくるという行為は、部分最適ではあっても全体最適ではないのでは?
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
副市長がある時に言っていた。「同僚を馬鹿にする奴は市民も馬鹿にする」と。成績不良の職員のクビが簡単に切られる世界では、きっと能力の低い人間がバカにされているのだろう。すると、市役所に最後の助けを求めに来ている、社会的に恵まれていない人間もバカにするようになるのではないか? 私はそう考えた。
人材とか、人財とか、人罪などという経済的な問題ではなくて、理念なのだ。官公庁はすべての国民のためにあるのだから、様々な社会的属性を持った人を、ネガティブな特性を持った人まで含めて、多様性を意識した雇用を行っていくべきではないか。そう感じるようになっていた。
例えば、上で述べた受験者のポジティブチェック・ネガティブチェックのリストは最たるものだ。採用される職員の多様性を担保するという観点からは、あれは悪手だ。これから採用しようとする人間は有能か? という視点でしか見ていない。一公僕の恣意的な判断で、ある特定の社会的属性を有した人間を排除している。
もっと早くに気が付いたとしても、私の力では変えられなかった。市長の採用ミッションとは反対の方向に舵を切るのだから――今になって思う。A夫さんの事件の時に副市長が言ったことは正しかったのだ。
私は間違っていた。最後の最後で気が付いてしまった。馬鹿だった。愚かだった。今さら気が付いても遅い。
結論:公務員業界における身分保障という考えは正しい。法律上は免職処分にできる場合であっても、多様性の保持の観点から、可能な限り回避すべきである。
Gさんを覚えているだろうか。
市民課で働いていた女性だ。K市にいた間、毎週休日出勤をする中でほぼ必ず見かけていた人だ。どうしても、このGさんが気になっていた。彼女の残業時間は月にアベレージ70超えだった。ゴルフのスコアではない。サービス残業まで含めた残業時間だ。
難しい仕事はGさんに集中していた。ストレスチェックは毎年悪い結果で、そんな状況にあっても市民への思いやりを忘れないでいる。人材会社で転職支援をしていた人間からみると、民間でも通用するタイプの公務員だった。私は、Gさんが自らの意思で地獄から抜け出すきっかけを与えようと思った。
私が退職する5か月前、隣の市町にある社会福祉団体に声をかけた。ずっと前に、私が当団体に職員をリクルートしたことがあった。
「K市にこういう経歴の人がいるのですが、本人に希望があれば面接はできますか」
との問いかけに、社会福祉団体の事務長は乗り気だった。果たしてGさんは話に乗ってくれるだろうか、と不安になりつつも、ある土曜日の昼だった――うす暗い市民課の机の上でパソコンのモニターと向き合っていたGさんに声をかけた。
Gさんとは、あれからいろいろあって仲良くなっていた。Gさんは朗らかな笑顔で、「〇〇くん。おつかれさま。なにかあったの?」と返してくれた。件の話に入る前に、今の状況を簡単に聞き取ってから、私が年度末で辞めることと、社会福祉団体のことを伝えて、採用案内のしおりと事務長の電話番号を手渡した。
「この辛い環境であなたは十分頑張ったよ。お疲れ様でした。転職しようがすまいが、応援しているからね」
それだけ伝えて私は、残りの仕事を片付けるために人事課のある3階に向かった。
「あ~、疲れた!」
今これを書いている私は、都内にあるマンションの一室にいて、革製の書斎椅子に背中をもたれている。
当初は2万字くらいかと思ったが、ここまでになるとは思わなかった。だが、これでいい。この内容をベースにして職務経歴書を作ろう。
一応言っておくが、もし貴方が現役もしくは退職済の公務員だった場合、職場の問題点などをブログで暴露したいという欲求に駆られることがあるかもしれない。
やめておいた方がいい。その欲求は、なにか別の方法で発散するか、貴方の中で雲散霧消するのを待った方がいい。守秘義務違反だからだ。行政機関がその気になれば、運がよくて処分、運が悪ければ起訴に至る。
私の場合は、『武器』があるからこういうことができる。もし、この日記をK市の幹部が見て問題視し、「覚悟しろよ」とばかり私を攻撃する手筈を整えても、断念する可能性が極めて高い。
私は、K市の重大な法令違反の情報を握っている。それも3件。証拠付きだ。うち2件は管理職の何人かが処分を受ければ済むが、うち1件が明るみに出た場合、今の市長は退職せねばならない。前市長や、前々市長をも巻き込むことになる。そんな危険な賭けをすべきではない。だから、こうして日記を書くことができる。
さて。今はフリーランス個人で請ける仕事も面白いのだが収入が少ない。何百万かもらった退職金もそろそろ底をつく。また、会社員に戻ってみたい。この年齢で就職できるかはわからないが、挑戦してみよう。
K市で働いていた日々に想いを募らせていた私は、仕事の疲れを癒そうと思い、デリヘルを呼ぶことにした。
私のスマホは旧型のiphoneだ。通信が遅いので、いつもパソコンを使う。今時はインターネットで嬢を予約できる。便利な世の中だ。
コーヒーを伴にしながらモニター越しに嬢を選んでいる。せっかくの秋晴れの日だ。作品も完成したし、就職への挑戦の第一日目という意味を込めて、まったく知らない子を指名してみよう。
私の瞳は、画面中央にいるアスミちゃんに夢中だった。物憂げな瞳、身長は高すぎず低すぎず、顔の形は綺麗だ。ふっくらとした卵型で、唇の形が美しい。肩から下は見えないが、そこはまあ、チャレンジだ。突撃してみよう――空いている予約枠をクリックした。
背丈は160に少し届かないくらい。写真どおり物憂げな瞳で、胸は普通くらい。太ももはそれなりにある。
ぼうっと立っている姿は今にも消えてしまいそうだが、私の瞳を釘付けにするだけの強さでもってマンションの一室の前に佇んでいる。
さっそく部屋に招き入れて、プレイを始める。今日は奮発して1時間のコースだ。お店のメニュー表にある一通りのことをやってもらうことにする。自分で言うのもなんだが、この年になっても30代並みの持続力を持っているとの自負がある。
さて、肝心のプレイだったが、これがまた最高だった! 私はこのデリ店舗のメニューをソラで暗記している。計11種類のプレイを、休むことなく30分以上続けてもらった。私のモノは張り裂けそうになっている。
同時に、アスミに対して敬意を抱くようになっていた。普通であれば、「顎が痛い」と訴えるのだ。それで、大抵の嬢は後ろに下がって、私に敵意を向けながら、無料での延長を要求されない程度に休憩をする。
しかし、アスミは一心不乱に注文に応え続けている。「いや、これ絶対痛いやろ」という角度になっても、ひたむきな眼差しで私の肉体を愛撫してくれる。これでまだ半年未満のキャリアだという。驚きだ。
……心の中でひたすらに、どこかの鬼狩りのように、「うまい、うまい、うまい!」と唱え続けていた。やがて、私の柱は張り裂けてしまったが、立ち上がるまでに時間はかからなかった。私は、連続さんになっていた。連続さんは負けてない! また何度でも立ち上がるのだ。
私は今、聖なる空間にいる。
いつも夜がくると、この家に戻る。そして、書斎に入る。都会の喧騒やら何やらで汚れた毎日用の服を脱ぎ捨てて、仕事をするための部屋着を身に付ける。
物事に取り組むことに対する礼節をわきまえた格好に身を整えてから、いつもパソコンに向かっている。直近で書いていたのは、この日記だ。
私の心は当然、K市に存在している。私の心は、あの懐かしい人々のいる、あの懐かしい庁舎へと参上している。そこでは、同僚から親切に迎えられ、あの仕事、私だけのための、そのために私は生を受けた、仕事という食物を食すのだ。
そこでの私は、答えが出やすいことも、出にくいことも彼らと話して物事を決める。自分の考えを伝え、彼らの考えの理由を尋ねる。彼らも私を信頼していて、人間らしさをあらわにして応えてくれる。
いま私は、記憶の世界に全身全霊で移り棲んでいる。時間というものの退屈さを感じない。すべての苦悩はなくて、失敗も恐れなくなり、筆を進めるだけになる。
記憶の世界が終わると、どっと疲れが出る。それを癒すための神聖な存在を呼ぶと、私の心は晴れやかになる。今、私の目の前には、一流の才覚をもった天使がいる。
残り時間も少なくなったところで、私は何度か指名したお気に入りの子にするような綻んだ笑顔で問いかける。
「アスミさんはすごいな」
「なにがですか?」
「そんなことないです」
「そんなことあるって!」
「ないです」
私の物は猛々しくいきり立ち、有頂天に達しつつあった。
初めて指名するのにどうかなという想いを押さえつつ、ここは堂々とお願いしてみる。
「アスミさんは、お店じゃなくて個人のメニューはあるの? 意味、わかるかな」
「ないですけど、できます。やってみたいです」
「いくら?」
「……」
アスミは俯いた。考えている様子だ。残り時間は、あと10分ちょっと。
颯爽と、キリのいい数字を提案してみる。すると、アスミは「本当にいいんですか?」と、眼を真下にあるベッドシーツに向けて答えた。
そして、私がアスミを知り終えると、残り時間がゼロになった。思う存分にプレイをさせてもらった私は、最後にアスミを抱きしめた後、問いを投げる。
「アスミさんは、この仕事に向いているね」
「ありがとうございます。また呼んでください」
「こんなことを聞いて申し訳ないけど、この仕事が嫌になることはない? ひどい触り方をしてくる奴とかいるだろう」
「いますけど、いいんです。その人もなにか辛そうにしてるから。痛いのは痛いですけど、その人が辛くなくなるんだったら、それでいいです」
「えらいね」
「えらくないです。だってこんなの」
「立派な仕事だよ。アスミさんは、風俗がどんな仕事かわかってる?」
「そうなんですか!?」
ベッドの上でアスミは、大きく瞳を見開いて身を乗り出した。
「さて。社会福祉活動の実践とかけまして、風俗店のサービスと解きます」
「……その心は?」
「どちらも、人を立(勃)たせるための道です」
ベッドの縁に座っていたアスミがクスッと笑った。右手の親指を頬に置いている。
しばらく考えたと思われる。口を開いた。
「使命(指名)がたくさんあると大変ですね……でも、心身(ちんちん)ともにしあわせになってほしいです!」
いい子だった。また会ってみたい。
P.S
この日記の第一稿ができた後に、元副市長と飲みに行った。以下、情報交換の内容。
・元副市長は、市内の機械部品メーカーの取締役に納まったという。人望があると引く手あまただ。
・人事課長は私と同時期に定年退職した。すでに故人である。最終役職は管理監(≒部長)だった。思いやりがあって誠実な人間だったのに。惜しい人を亡くした。
・C郎さんは職場復帰した。が、専門職としての任は解かれたらしい。定年までの長い時間は厳しいものになるだろう。組織に逆らうというのはそういうことだ。
・E太さんは県の本庁への出向を打診されたが断ったという。どこまでも彼らしい。こんな働き方ができるのも地方公務員ならではだ。
・私はこの日記の推敲中に内定を取った。今度は福祉団体を人事方面からサポートする。
・A夫さんはK市を退職後、ホームセンターで働いていた。当時、人事課の必要物の買い出しに行った際、彼を見かけることがあった。ごく普通に接客や商品運搬をしている様子だった。A夫さんの見た目や行動は普通だ。一般的な50代社会人のように思える。だが、彼は万引きに手を染めてしまった。何かストレスがあったのか、それとも本来の気質なのか。人間は、よく見ないとわからない。
・B子さんは、あれから雌伏の時を経て、ほかの自治体に採用されたようだ。ある時、人事課長が部内の回覧物を持って見せてきた。自治体関係の新聞かチラシだったと思うが、その中にB子さんが政令指定都市で働いていることがわかる情報があった。人事課長は嬉しそうというか、安堵した表情だったのを覚えている。
できれば2人紹介したかったが、1人に留める。
ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。
協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から「免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。
残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元の新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。
迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。
私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。
当時は20代後半で、福祉の部署で働いていた。といっても、ケースワーカーや自立支援、福祉事業者の審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉の仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。
梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。
福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。
・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である。
今回は3点目で引っかかったようだ。
いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報も総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。
うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。
そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものだから、近くに座っていた別のお客のグループが店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。
福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。
彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西、自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式を神聖視せざるを得ないほどには、人間や組織の生き死にが間近にある生活をしていた。
ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくりと腰かけた。
初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単な挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。
「朝ご飯は食べた?」
「はい。食べました」
「どんなものを?」
「どんなカップ麺が好き?」
「特に好みはないです」
「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりとカップ麺は合うよね」
「そうですね」
「E太さんは、バイクだっけ?」
「私は……バイクではありません」
「バイクじゃないの?」
「自転車です」
「そういう意味じゃありません」
※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言や言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。
指導を目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。
雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。
「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談のきっかけ」
「……はい」
「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」
「特にいません」
「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」
「普通に、とは」
「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています」
思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。
「E太さん。せっかくの機会だから、腹を割って話そう。公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」
「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域のプロだと書いてありました」
「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人を20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」
「キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています」
「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」
「自分のやりたいことがあります。社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」
申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。
簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生の優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから、民間から公務員に転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。
肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀やマナー、人格、職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。
私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若いが福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。
ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物を確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係の始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。
・オフィスソフトの腕前は一流である。パワポもExcelもAccessも使いこなせる。文も読みやすい。
・プレゼンテーションの能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市の商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。
・事業計画立案。E太さんは広告会社の出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備・インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。
・福祉課の職員からの苦情はあるが、市民や取引業者とのトラブルの記録はない。
・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙のスタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。
私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。
私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。
さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。
E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。
とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手を不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。
E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいない。もっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。
結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民や業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。
この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。
『渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。
でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。