はてなキーワード: ワークショップとは
知らん人間を寄せ集めたワークショップで「地方創生の案」をお題にするってどういう目論見でやってるのか分からんな。
そんなもん何時間かで思いついてまとめられたら誰も苦労してないでしょっていう。どうやったって微妙な案をひねり出す結果にしかならないと思う。
何が目的なんだろう。
こんなしょーもないワークショップ早く終わらせたくてテキトー言ってるかよっぽど使えないやつが回されてきてるかのどっちかじゃないの?
大企業の中にいる「使えないやつ」はマジでどうしようもなく使えないし周りもコンプラ意識高すぎてはっきり言えないから自覚もないの普通にあるあるじゃね
散々だったね。ワークショップなんてお花畑みたいな案をどれだけ現実にすり合わせるかだけど、基本お花畑的な成果物を出すのが求められているから、君の仕事はお花畑の花を何色にするかとか、どの花が季節的にふさわしいとかそういう色付けなんじゃないかな。花を摘み取るんじゃなくて。次回頑張って!
ワークショップってのは普段の職場でならあなたと同じような指摘で激詰めされるような意見を無責任に出していいんだよ。よく言うと思考のくびきを外す練習をする場で、悪く言うとただの息抜きだよ。そんな短時間でリアリティのあるアイデアなんか出て来ないし、講師もお遊びだってわかってやってるよ。民間の人も初めてそう言うワークショップに参加した時は肩肘張ってあなたみたいなスタンスで議論するけど、何回か出ているうちに感覚が分かってくるんだよ。
割とぬるいことしているし、同僚もぬるい人もそうでない人もおるわ。どちらかというとぬるい人の方が比率として多い。
こっちから見ると役場の人たちすごいなぁとかきちんとやってるなぁとか思えることはたくさんあるわ。逆ももちろんあるけどご苦労さんや。
たぶん公務員違いやけど、今日ハコヅメ読んですごいなぁと思いながら午前中過ごしたわ。
ただちょっとその参加者のほかの女性の能力下に見すぎやと思うわ。
なんか公務員や民間やからと言うより性格の違いなんやと思うけど、そもそもたぶんその女性たちワークショップでまともなもん出そうと思ってないで。
たぶん増田もそれは分かっていると思うけど、それ以上にまともなもん出そうと思ってない。
時間内に輪を乱さずそれなりのものをワークショップで出せばいい。
満足げな態度って言ってるけど、民間で覚えるのもぶっちゃけそういう態度きちんと取れることやわ。
自信がないときに素直に自信がないって態度とってても良いことなんて一つもないで。
あとはまぁワークショップ自体でテンション上がったんやと思う。仲良くなったみたいやしおしゃべり楽しかったんやろ。
そもそもマーケや研究職がそんなコンサルみたいな事いきなりできるわけないし。
うちの会社でもそういうアイデア集めて短期でってあるけど、そこで覚えることって「あーこの程度の質でないとまとめられんな」やねん。
だいたいが時間的な制約と人の能力の制約で。金の制約とかはその後。
ワークショップ形式って特に短期だと「輪を乱さない」つまり「余計なトラブル起こさず時間内に終わらせる」って条件を付けると一番能力のない人に合わせることになるねん。
増田も今回そうしたやろ。みんなそれやってるわ。
ほんで何のスキルが向上するんやって言うと、ある程度の会議とかできちんと発言できることや場の主導権持つことやわ。
主導権持つ能力って大事で、自分が主導権持たなくても話の流れきちんと作れるようになるし。
今回増田が全く主導権握れずに、増田の望む最低限のクオリティも担保できなかったわけやん。
せっかく持ってたアドバンテージ初手で潰されてるねん。潰した人達は天然か「制約増えてめんどいことなるなー」って思考したかは知らんけど。
それでもまぁ確かに大手民間ってだいたいの人がそんなに能力ないで。
いつももうちょっとだけ頭使えよって思っている。ワークショップではあんなしょーもないアイデアしか出せない。
特に企画やマーケ、営業なんてその能力をいかに効率的に特化させるか大事になってくる人多いんちゃうか。
たぶんほとんどの企業が経営戦略って言いながら適当な博打打って適当に進めているわ。
陰謀論見ると大体の感想は「そんな複雑な計画立ててないし、そんな能力ないで」やわ。
わしらが民間が獲得したのは結局ある程度適当な人材である程度適当に進めることや。
それをスピード感って呼ぶこともあるし、効率化とか低コスト化とかって呼ぶこともあるわ。
あと、ほんまに本気出して進めたいときはワークショップみたいな形式でなんてやらんで。
完全にワンマンで始めるわ少なくともうちやと。
たぶんそこは公務員も一緒やと思うけど。
私は地方公務員の女だ。関東圏のとある都市の市役所で働いている。
私立の大学で文系科目を修め、リーマンショックの時期に冗談抜きで大手民間企業100社に祈られ、ほうほうの体で公務員になった。だから、私は民間企業を知らない。営業職が何をするのかも、経理に経費を精算をしてもらうまでのやりとりも、接待も海外出張もテレワークも何もかも知らない。
「公務員は9時5時でやる気がない」「公務員はノルマがないヌルい仕事」「公務員は民間では全く役に立たない」という世間の評判に翻弄されながらも、サビ残を厭わず、クレーマーにも笑顔で耐え、上司の無茶振りにも嫌な顔をせず、地獄のような霞ヶ関出向からも生還した。
公務員としてはよくやっている方だと自認しているし、一定の評価ももらっている。しかしながら、私の心の中はいつも「私は民間を知らない」というコンプレックスに苛まれていた。私の苦労は民間の社員の苦労に比べたら大したことはなく、私の仕事っぷりは民間では全く歯が立たないと、信じていた。
そんな私だが、最近、民間企業の同年代の女性社員たちが参加するマーケティング系のワークショップに、縁あって参加した。
私のグループは私を含めて4人の参加者がおり、彼女たちが働く企業は、みんな私が志望しては玉砕した大手企業だった。私はただ1人のノルマを知らない公務員というだけでなく、彼女たちが勤める企業に採用されなかった劣等生でもある。私は初めから彼女たちに対して卑屈な気分になっていた。
グループの女性たちは、みな堂々と社名を名乗り、民間の総合職の女性らしい華やかさだった。グラデーションカラーの髪や、テレワーク中で、と照れ笑いするスウェット姿は、私が普段暮らす役所の中ではついぞ見かけない。彼女たちはzoomの画面越しに自己紹介した私の顔を見て、
と聞いてきた。私は微笑み、
「公務員って聞くとそういうイメージあるよね。でも私は企画部門だよ。経営戦略を立てるところ」
とできるだけ丁寧に答えた。彼女たちはよくわかっていない様子だったが、そうなんだ、と明るく答えた。
ワークショップのテーマは地方創生だった。私の本分である。私はみんなの意見を聞き、地方創生の実態や課題について話すのがいいのかな、と自分の中で役割のあたりをつけ、議論に参加した。
1人の、某携帯キャリアのマーケティング職の女性が口火を切った。
「地方は元気がないから、地方に元気を与えるような、そう、例えば都心の子供と地方のお年寄りを繋ぐサービスはどうかな?」
「もしそうなったら素敵だね。そうしたら、そのサービスで、どんな地方の課題が解決できるのかな?どんな価値が生まれる?」
私が尋ねると、マーケティングの彼女は考え込み、代わりに引き受けたのはインフラ系企業の研究職の女性だった。
「地方のお年寄りはやることもなくてきっと寂しいよ。それに、自分の知っている地域の遊びとかを教えれば、子供も楽しんでくれるし嬉しいんじゃない?そうだ、忙しいワーキングママの代わりに子供の面倒を見てあげられればいいよ!ねえ、そういうの、いいんじゃない?」
「確かに高齢化が進む地域は子供が減ってるから、寂しいと感じる人もいるかもね。共働きのお母さんも仕事に家事にで忙しいもんね。じゃあ、そのサービスは、どうやって収益を出すの?」
私が再び尋ねると、今まで微笑んでいるだけだった自動車メーカーの広報担当の女性が、やや苛立った様子で言った。
「そんなの地方がお金を出すんじゃない?だって、『地域が元気になる』んだよ?」
残りの2人も、私を非難する目つきで見、メーカーの彼女に続いた。
「そうだよ、お年寄りが元気になれば、地方も助かるんじゃない?」
「やってみないとわかんないんだし、まずはこれで話を始めようよ。細かいこと言ってたら、始まらないよ」
みんなの表情には、ありありと「だから公務員は頭が固い」「民間のスピード感が分かっていない」と書いてあった。私は弱々しく笑い、
「地方の自治体も、慈善事業じゃないから、何のために地元のお年寄りと都心の子供を交流させるか分からないと、お金は出せないと思うよ」
と答えるのがやっとだった。
その後、私と彼女たちは噛み合うことなく、それでも私たちのグループは地方のお年寄りと都心の子供をマッチングさせ、zoom上で昔ながらの遊びを教えるプラットフォームを製作する企画書をまとめた。ステークホルダーは、地方のお年寄り、子供、子供の面倒を見てほしい親、そして地域活性化を目指す自治体であり、「地域活性化」を目指す自治体が出資するシステムである。「民間のスピード」に、私は口出しをすることができなかった。
私は民間企業を知らない。就職活動をして、100社から断られたからだ。新卒で市役所に入った。出向していた時期もあるが、それも霞ヶ関でだったので、結局はお役人の仕事しか知らない。根っからの公務員だ。なので、民間企業の社員に激しいコンプレックスを持っている。私の知らない、私なんかには絶対に成し遂げられないことをしている人たちが、羨ましくて恐ろしかった。
だけど、地方の年寄りがzoomで見ず知らずの子供の子守りをするサービスの企画書に、いらすとやのイラストを貼り付けながら、私は一体何に怯え、何に憧れていたんだろう、と思った。公務員はぬるくて、民間企業は厳しい。公務員は劣等、民間企業は優秀。でも、そんなの会社によることだろうし、優秀か否かだって社員によって異なるだろうに。
ワークショップは淡々と進み、私たちの班の企画書は、講師から「このサービスに本当にお金を出せるのか、今度どこかの役所に聞いてごらん」という感想をいただいた。まあその通りなんだけど、と私は内心で下唇を突き出した。それでも、彼女たちは一様に満足げであった。私以外は東京の企業に勤めているので、週末リアルで会うそうである。私に対しても、礼儀正しく「東京まで会いに来ないか」と尋ねてきたが、私は真面目な公務員らしく、緊急事態宣言中を理由に断った。
京都市の国立京都国際会館では第14回国連犯罪防止刑事司法会議(通称「京都コングレス」)が2021年3月6日から13日まで開催され、10カ国から外国政府高官などからなる政府代表団を受け入れる。なお、もともと2020年4月に開催される予定だったところ、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大を受けて、約1年延期された経緯がある。主催は国連の薬物・犯罪事務所だが、日本国政府の法務省が開催準備を主導している。ちなみに50年前にも第4回会議を京都で開催している。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/about/congress.html
来られる、らしい。らしいというのは、公式ホームページで、海外から来る人向けに宿泊案内があり、ホテルの予約方法などが書かれていることから、主催者は海外からの参加者を想定していることが分かる。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/participants_info/ai_oversea_participants.html
また、交通案内でも、専用のシャトルを出すなどすることが書かれている。
他方、2/20現在、入国・検疫に関するページは「現在調整中」となっている。
開催が2週間後に迫っている中でいまだに調整中というのは、何の調整がついていないのかは不明だが、らしいというのは、どうしたら入国できるのか示されていないためでもある。そんな状態なので、政府高官を派遣してくれる国が少ないのも分かる。しかし、法務大臣による記者会見によれば、以下の措置が取られるようである。
「国連職員や海外から来場参加する代表団には,出国前72時間以内のPCR検査などの通常の水際措置に加え,専用シャトルバスによる移動,来日参加者用に借り上げた宿舎への宿泊,用務以外での外出禁止などの行動制限に従っていただきます。」
http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00171.html
上記の記者会見の概要を見ても、海外とはどこから来るのかまったく触れられていない。質問した記者はいなかったのだろうか。聞いても教えてもらえなかったかもしれないが。
京都市のある京都府は2021年1月14日から緊急事態宣言が発出されており、当初は2月7日までの予定だったが、これは3月7日まで延期されている。この通りであれば、緊急事態宣言中又は解除後直ちに海外から参加者が来日して国際会議が開催されるということになる。最近の動きとして大阪府は今月いっぱいでの解除を国に要請するとしており、これは京都府と兵庫県と共同で行うとされる。2月末で宣言が解除されるなら、コロナ禍とはいえ多少は外国人を受け入れやすくなるかもしれない。知らんけど。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a5de3859992756a99bd0d6c10b591fbd0d43da4
国際会議といえば、議長国主催のレセプションは付き物である。というか、基本的には国際儀礼としてあるものである。日本では、ここぞとばかりに和食をアピールしたり、レセプションの合間には和をイメージした出し物(和太鼓演奏などのアトラクション)を披露するのが常であるが、会食したり、アトラクションを見て一堂に盛り上がるのは感染リスクが高い行為である。まず、立食形式で実施するのは難しいだろう。どのように開催されるのか、あるいはされないのか。
なお、公式ホームページの食事会のページでは、「現在調整中」とされる。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/programme/dinners.html
そのほか、おもてなしとして、生花や琴の演奏、お茶が楽しめるらしい。
(外国から10カ国しか来日する見込みがないのに、和をこんなに推して意味があるのだろうか、とは言ってはいけないんだろう。)
おそらくこの点が一番問われるのではないか。そもそも国連の会議であるのだから、本来は国連に加盟しているすべての国が代表団を参加させるところ、10カ国しか来日しないとされている。つまり、ほとんどの国は来日せずにオンラインで参加する。法務大臣の記者会見より。「京都コングレスは,オンライン・テレビ会議システムを活用して,来場参加とオンライン参加を組み合わせたハイブリッド方式で開催されます。」
来場参加にこだわる理由は不明だが、安全に来日できるなら、来場してもらうに越したことはないだろうが、緊急事態宣言が発出されていることが見込まれる期間であることを考慮すると、適切なのだろうかという疑問は沸く。
コロナによる感染がもっと落ち着いてから、あるいは国内外にワクチンが行き届いてからではいけないのか。Wikipediaより。「国連犯罪防止刑事司法会議(通称コングレス)は、5年ごとに開催される犯罪防止・刑事司法分野における国際会議。」
5年ごとの開催が決まっているのかもしれないが、もともと2020年開催だったのが、すでに2021年になっているので、どこまで厳格なものなのだろうか。
Yahoo!ニュースより。「「持続可能な開発のための2030アジェンダ(行動計画)」を国連が採択してから初の開催となり、刑事司法分野で各国の行動指針となる「京都宣言」を採択する。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/432989814f111f621a42713b7fdc0b28ebfae08d
法務大臣の記者会見より。「京都コングレスの開会式は,3月7日に行われ,その後のハイレベルセグメントで,京都コングレスの成果文書となる「京都宣言」が採択されるとともに,国連事務総長や各国代表によるステートメントなどが予定されています。
京都コングレスでは,このような全体会合のみならず,ワークショップやサイドイベントが開催され,犯罪と戦うための国際協調,官民連携による再犯防止の取組のほか,コロナ禍の影響がとりわけ深刻な途上国の刑事司法機関への支援,コロナ禍が世界の刑事司法に与えた影響やこれへの対処策などについて,一層踏み込んだ議論が行われます。」
つまり、今後の刑事司法分野において国連加盟国が採ることが期待される指針が京都の名を冠する宣言には盛り込まれ、それを日本から発信する名誉が残る、と言える。会議中には刑事司法の実務者による研究会なども行われ、テーマごとに各国の最新の取り組みが議論される。
来場参加もできるかもしれないけど、PCR検査の事前受検などが求められたりハードルが高そう。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/participants_info/countermeasure.html
あと、国際会議なので、来場参加等するためにはおそらく事前の登録が必要だと思われるが、公式ホームページには特段の記載がない(だめでは?)。国連の事務局のページを確認したところ、以下から登録ができるのではないかと思われる(英文)
https://indico.un.org/event/1000070/
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/participants_info/portal_site.html
2週間後に日本国内で開催され、コロナ禍でかつ緊急事態宣言が発出されている中での外国人の来場も見込まれる国際会議なのに、あまり注目されてないようなので気になって調べてみました。いかがでしたか?
茅野市民館について、確かに本の背が焼けてしまうような場所に本棚を設置したのは完全に設計ミスで、配慮すべき問題だったとは思う。でもそれをもって、はてなでもTwitter上でも「だから建築家はダメなんだ」「建築家なんてオナニーばかりしてる傲慢な奴らは消えろ」「プロとして失格」と鬼の首でも取ったかのように建築家叩き(この設計者だけではなく、建築家という職業叩き)が行われているのを見て、近所に住むものとしてすごくモヤッとした気持ちになった。
茅野市民館は、建築家がオナニーで建てた建物じゃない。基本構想策定の段階から茅野市民が携わり、市民と何度も何度もワークショップを重ねて出来た建物だ。https://www.city.chino.lg.jp/soshiki/shogaigakushu/899.html
市民がどのような場所が欲しいのかを一緒に考えただけあって、地元ではきちんと愛用されている建物になっているし、実際私もすごく心地いい空間だと感じる。近所にこんな建物があってよかったなと思っている。
「受験生や市民が多く利用している」「自分の家の様な気持ちになれる空間を提供してくれる」
「市民が憩いやすい環境を整えて、多くの学生が勉強に励む姿も見られる」「地域の集まる場所として良く考えられている」
「地域住民の創意をなるべく回収/発露させる場となっている」「図書館ライブラリーは最高です。半日は過ごせます。」
「随所に、茅野市は芸術文化に前向きだというメッセージを感じる建物だと思う」
と、この建物についてポジティブに捉える人の声がたくさん集まっている。私の周りでも市民館を利用する人は多い。これは設計者の「この建物を地域の人が交流する場にしたい」という思いが見事に機能した結果だと思う。
もちろんレビューの中には「本の背が焼けている」「西日が強すぎで図書スペースは春先ですでに暑い」というネガティブな声もあるし、その部分についてはさらなる考慮が必要だったと思う。確かに館内が暑いなと感じる日もある。でも、その一点のみを取り上げて「これだから建築家は」と断罪するのが果たして好ましいことなのだろうか。みんなに利用される交流の場としてきちんと機能するものを作った、地域に愛されるものを作ったという点だってきちんと評価されるべきなのではと思ってしまうのは、おかしいことなのだろうか。なにより自分が好きで愛用している建物や、それを考えた建築家がクソ味噌に言われるのがこんなに悲しいとは思わなかった。
本を守るという機能面だけを考えたら、行政が一方的に計画しゼネコンに投げただけの建物の方がずっと好ましいのかもしれない。でもそうやって出来た建物に、このgoogleレビューのような声が集まるだろうか。なにより地域住民に愛される建物になりうるのだろうか。私は建築家が必要な理由は、時に哲学的に、人が建物の中でどのように過ごし、どのような交流を発生させるかを考えることができるからだと思っている。建築家と言うと外側のデザインを考える人みたいなイメージがあって、実際そういう人も多くいるとは思うんだけど、優れた建築家ってどちらかと言うと建物を利用する人の動きをしっかり考えられる人なんじゃないかと思っている。ただ機能を整えることの先に、人が建物に触発されて新しい何かが始まる...そんなことを考えることが出来るからこそ、建築家という職業に価値があるんだと思う。
ここまで建築家が叩かれるのって、これまで好き勝手やってきた人達がいたことの蓄積があるんだろうなと思うし、実際建築家業界での馴れ合いや選民意識みたいなのもあるからなんだろう。そういうのと今回のような分かりやすい失敗がかけ合わさって、建築家全員死ねみたいな空気が作られてしまうんだろうけど、私は目に見えない豊かさを提供してくれる(こともある)建築が好きだし、そういう価値がより理解される世の中になって欲しいと思う。そのためにも建築家の人は反省するところは反省して欲しいし、私たちも分かりやすい点だけで建築家を一方的に叩くことはやめていけたらいいなと思う。ダメなところはダメと言い、いいところはいいと言う。そうやって世の中を豊かにしていけたらいいのに。
1) について。
Hanakoはインスタグラムを雑誌、ウェブと並ぶ第3の独自メディアとして編集、運用しています。ストーリーズ以外の投稿については、それだけで情報が完結しているマイクロコンテンツとして作成をしています。雑誌の発売日には告知をしますが、それ以外で何かの宣伝(続きは誌面でチェック!みたいな)を投稿することは基本的にありません。
2) について。
全世界で同じデザインと機能が使えるインスタグラムの中で、「Hanakoらしさ」を感じてもらうために、雑誌のアートディレクターがデザイン監修を行っています。特にこのあと紹介するリール動画や「インスタマグ」といった投稿スタイルは、雑誌の誌面デザインを活用した、Hanakoでしか作ることのできないコンテンツです。
3) について。
アップデートのたびにさまざまな機能が実装されるインスタグラム。Hanakoではそうした機能をまずは使ってみて、Hanakoとしてどういった発信ができるか常にトライしています。そうした中で、当初限られた範囲で開放された「GUIDES:まとめ」機能のテストパブリッシャーにも選ばれました。そのGUIDESにLIVE配信を組み合わせた、インスタグラム上で完結するショッピングプログラムにも現在挑戦中です。
いま注目してほしいHanako独自のインスタコンテンツはこれ!
Hanako公式アカウントでは専任ディレクターのもと、フィード投稿、ストーリーズ投稿に加えてインスタ独自のコンテンツを制作、発信しています。中でも注目していただきたいコンテンツを紹介します。
誌面デザインデータを活用した、まさに「動く誌面」というべきムービーコンテンツをリール動画に(とストーリーズにも)投稿しています。
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Weekly Hanako Insta Mag(Hanakoインスタマグ)
こちらも誌面デザインを活用。「10秒で見てわかる、見て学ぶ!」をコンセプトに、投稿文面を読まずともデザインされた画像をスワイプすることでわかりやすく情報を伝えるマガジンスタイルのコンテンツです。毎週木曜に投稿しています。web
インスタマグ
スイーツ、旅、グルメなどのHanakoらしいテーマのハッシュタグを毎月考案・発表し、企画共通ハッシュタグ「#Hanakogram」とセットで付けてもらい、投稿を募集する企画です。毎月1テーマで募集していて、集まった投稿の中からHanako編集長が「Hanako賞」を選定、公式アカウント内で発表しています。
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「GUIDES:まとめ」投稿
「GUIDES:まとめ」の詳細についてはインスタグラム公式リリース(をご確認いただきたいのですが、Hanakoは中でも「スポットまとめ」に注目しています。「スポットまとめ」は投稿に一覧マップが付くので、Hanakoが得意とするエリアお出かけ情報を活用したデジタルパンフレット的なコンテンツに挑戦してます。
ハナコカレッジオンライン(LIVE配信&IGTVアーカイブ)
働く女性に学びの場を提供するプログラム「ハナコカレッジ」。元々はリアルイベントプログラムとして企画していたものの、コロナ禍でベースをオンラインに移行し、インスタグラムのLIVE配信機能を使って、様々なワークショップやトークイベントをお届けしています。LIVEはそのままIGTVにアーカイブされるほか、ポイントのみを抽出した5~10分程度の編集動画を制作してIGTVで公開することも。
インスタライブ
「いいね」から「保存数」へ。より魅力的なコンテンツをお届けしていきます!
いかがでしたでしょうか?フォロワー数は約11万人と雑誌媒体の中で決して多い方ではありませんが、インスタグラムだからこそできる独自コンテンツに挑戦してきたHanako。その中で、今後は「いいね数」だけではなく、「保存数」も重視したコンテンツ作りを心掛けていきたいと思っています。毎日忙しく働く中で息抜きにふと見たインスタグラムの画面でHanakoと出会い、癒されたり、ためになったり、学びのきっかけが生まれたり、心豊かな生活の一助になるようなコンテンツ発信を今後も取り組んでいきますので、どうぞご期待ください。(フォローがまだの方はぜひフォローもお願いします!)
トロフィーワイフや医者の妻じゃないけど、自分と近しい人がすごいから自分もすごいって思っちゃうんだろうな。
誰しも知ってる有名人とつながりが持てる、なにか前に進んでる気がするってのはこんなに人を狂わせるのか
そりゃ詐欺師が横行するわけだわ
アラフィフおじさんだが台本付きチケット80枚の彼のnoteでの独白が他人事に思えない。
私はいわゆる「マジメ系クズ」「意識だけ高い系クズ」と言われる属性の人間だ。
彼と同じく承認欲求からの不安で、35歳から会社の外のネットワークづくりにハマり、さまざまなコミュニティに出入りした。
人と会ってる俺すごい!人脈すごい!自己承認爆上がり!みたいな感じになった。麻薬だった。ワークショップ中毒になった。
やってる感しか無い事実に気がつかず、全能感が上がり、すごい(ような気がする)周囲の人たちに囲まれている中で「俺すごい!自己承認満たされた!」と感じるも、オフ会後に自分は何もしていない・できない・単なるワナビーでモブキャラに過ぎないことを感じて落ち込んでいた。
彼とまったく同じだ。そして私と似たようなマジメ系クズ属性の人達も、たくさんいた。みな一様に自己評価が低く、去勢を張る勇気もないので意識高い系のコミュニティに属して自分の評価を高めよいともがいていたように思う。
そしてみんなコミュニティからいなくなった。というかマジメ系クズ属性の人間は自分でも周囲からも場違いを感じとり自己消滅していった。コミュニティジプシーになった挙句、お金の法則にも引きづられそうになった(入口で立ち止まって引き返したが)
私はどのコミュニティにも居続けることができずひとり孤独になった。
意識高い系クズとして挫折して、挫折し続けて約10年が経った。友人はいない。やりたいことも見つからない。いかなるコミュニティにも属していない。
仕事をなんとか誤魔化してやり過ごして、ご飯を食べてネット見て寝る。10年前の私でじゃは考えられない意識の低い生活。
アラフィフでコレだ。取り返しのつかないところに来てしまった。その一方で無理しない自分に心地良さを感じることもある。
マジメ系クズというと酷いゴミクソ人間のように思えるが、マジメ系クズだと思わなければ、普通の生活ではないか。
身の丈や置かれている環境に沿ってひっそりと生きるのも、否定も肯定もしなければ、生きてはいける。比較や競争、承認欲求から距離を置ければ、目をつむって生きることはできる。
幼いころ、何かのイベントでフェイスペインティングをやる機会があったのだけれども、当時の僕は顔に何かが付着するのが不快に思われて、断った記憶がある。
それ以来、身体に何かを塗ったことはない。皮膚科の薬くらいか。女性の場合、ファウンデーションを使うので、フェイスペインティングは男性よりも抵抗が少ないと思われるのだがどうだろう?
それはともかく、同様の理屈でボディペインティングはやったことがない。とはいえ、ドラえもんの学習漫画で、水着を忘れたのび太が絵の具を塗ってごまかそうとするが、前だけを塗って尻を塗り忘れて恥をかく場面があり、それが自分の野外露出・CFNM願望とマッチしていたのを思い出す。気づいたしずちゃんが顔を覆って赤面しているのも高ポイント。
実際に水着やショートパンツを描いて野外を全裸で徘徊する女性の動画は、各種動画サイトで閲覧可能だ。
人々が顔や身体を様々な色彩で飾ってきた歴史は長く、世界中で見られる。ブラックベリーやサフラン、粘土や木炭などで様々な色合いが用いられてきた。つまり、赤、黄色、青、黒、茶色などが利用できたわけである。
欧米では、顔や腕を塗ることが多かったし、今でも大道芸人やピエロなどもそうだ。全身をカンバスとして用いるのがメインストリームの芸術やファッションに導入されたのは、1933年のシカゴの万国博覧会でだった。Max Factorがバーレスクの大女優Sally Randを映画のためのモデルにしたが、裸を公衆の面前に出すのは同時としては当然挑発的に過ぎたし、社会的通念からは外れていた。そして、全裸のアートは人気にならなかった。
これが60年代から70年代のヒッピー文化の時代になってくるともう少し人気が出てくる。花やピースサイン、その他サイケデリックな模様を、大義を信奉していることを表現するために描いた。今でも海外のヌーディストたちがワークショップか何かで全身にそうした絵を塗っているのを確認できる。くすぐったそうである。この時代もまだ、カウンターカルチャー的なもので、主流ではない。
革新的であったのが1992年、Vanity Fair誌をDemi Mooreが飾った時だ。彼女は全くの裸であり、芸術的でかつタイトなスーツを着ているようにみえるペイントをしていたのである。今までこうしたものがメインストリームの前面に現れたことはなかった。
一応、乳首が見えているので、直接のリンクは張らない。Demi’s Birthday Suitで検索してほしい。
身体に名画を直接描いたり、人体の形を活かして生き物の姿を描いたりする。全裸も多いのでリンクが晴れなくて申し訳ない。中には会田誠の作品のように、セクシーさというよりはシュールさで有名なものがある。漫画のすごい顔の絵を描いていて、おっぱいに目がある。たぶん現代美術好きな人だったら見たことあると思うのだけれど、ものによっては普通に割れ目までも見ているのでリンクしない。女性器は猥褻だとは思わないが、残念ながら規約違反になってしまうおそれがあり、ブルマーの記事まで削除されてはたまらない。
例えば「アバター」なんかの映画で用いられるメイクアップで用いられる。他にも、Playboy誌が時折ボディペイントを使うことがある。2005 年のカレンダーでは皆がビキニを着る中で、Karen McDougalやHiromi Oshimaはボディペイントだった。そのほか様々な広告でも用いられる。
フットボールの試合、レイヴパーティー、その他の祭りなのでボディペインティングが行われる。また、国際的なボディペインティングのフェスティバルもあるようだ。World Bodypainting Festival(1997年より開催、50か国以上より3万人が参加)など。
Fantasy Festなるフロリダのストリートパーティでも用いられるようだ。おそらく、全裸・半裸になりたいけれどもファッションは楽しみたい、という需要にボディペインティングは応えている。
PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)が動物の模様を身にまとって抗議することがある。また、全身を様々な色で塗っている写真も英語版のウィキペディアで確認できた。
いい機会なのでPETAについての記事を斜め読みしたのだが、増田ではよく叩かれているとはいえ、捨てられたペットの保護や、ヒツジの臀部から皮を剥ぎ取るミュールシングの代替手段の模索に向けての活動については知らなかった。もっとも、セクシーな抗議がフェミニストの怒りを買っていたり、殺人・虐殺の犠牲者と屠畜された動物を同列に並べて猛反発を受けていたりしてもいるようだ。
一番安全。すぐに落ちてしまう恐れがあるが毒性がなく、アレルギーもほとんど引き起こさない。加えて、石鹸と水ですぐに落とすことができる。手入れが必要で長続きしないが、皮膚の敏感なひとや妊娠中の女性に適している。
汗や水に強いのが特徴なので、夏の音楽フェスやパフォーマンスに適している。落とすときには専用のリムーバーを使うか、アルコールで拭く必要がある。ただし、少し時間がかかる。
ラテックスや油性の画材は全身を塗るのに適しており、目を引く視覚的効果を上げられるし、芸術的な目的にも使われる。取扱説明書を事前にしっかり読む必要があり、塗る前に全身の毛をとり除くひつようがある。毛が残っていると脱毛ワックス的になって痛いためだ。
多くの化粧品に含まれているのと同じもので、前衛的な外観を作りやすく、長続きするが、割れたり摩耗したりしやすい。利点としてはアルコール系と同じように汗や水に強いことが挙げられる。しかし、完全に乾燥することがないので、仕上げのスプレーやパウダーで駄目になるのを防がないといけない。
アジアやアフリカの熱帯地域の植物から採れる色素で染める。髪を染めたり、ボディペインティングの材料にしたりするだけでなく、繊維を染めるのにも用いられる。落とせるタトゥーとしても使われる。
Brown hennaは基本的には天然素材で毒性はないが、black hennaは金属が含まれており、長期にわたって使われると皮膚を害する恐れがある。
多くの人がボディペインティングのときに実際に何を着ていくか迷うらしい。特に野外で行うときには最低限、皮膚の色に近い紐パンや、ペイスティース(乳首の前貼り)だけを身にまとうことがある。トイレに行くときにはローブが必要であり、加えてペインティングスタジオは寒いことがあるとのこと。
WNBR(ワールド・ネイキッド・バイク・ライド)なんかだと普通に全裸に人もいるし、そういうイベントでだったら全裸も普通にOKだろう。
今回は、野外露出目的ではないボディペインティングについて調査した。今後は、ヘナタトゥーなどについてももう少し情報を得たい。
また、ヌーディズムそのものの歴史、ストリーキング、ムーニング(尻を見せる行為)などについて調査予定である。すなわち、身体が自然と触れ合う喜び、抗議・無防備さの象徴としての全裸、宗教的な全裸、それから、祝祭としての全裸についても調査したい。
Significance and Origin of Body Painting - Lynn Schockmel Body Art
History of Body Painting - Facts and Types of Body Painting
History of Body Painting - Ancient Body Paint Art
10人くらいの任意団体のトップを、6年間やらせてもらってきた。
元々、トップの立場になるとは思っていなかったのだけれど、なんとなく自分がやることになるかもしれないというのは、その二年前くらいから感じていた。そして結局、前任者から引き継ぎ、ここまで走り続けてきた。
最初は前任者のやり方と同じようにやっていたけど、2年目くらいから自分のやり方を少し混ぜていった。
この組織を「チーム」として機能している状態にしたかった。共通の目的を共有し、自律的に動くメンバー、協力しあえるチーム、実行力のあるチームを作りたかった。
この6年間チームマネジメントの理論は学んだ。メンバーが活躍できるチームを作るための手法、事例も学んだ。チームビルディングにつながるはずのワークショップも何度かか開催した。自分なりに取り組んでいるつもりだった。
しかしながら、今の組織は自分が理想としている「チーム」にはほど遠い。どうして自分の理想とする、共通の目的を達成するためにメンバーが自律的に協力しあえるチームになれないのか。自分は、こんなにも理想的なチームを作りたいと願っているのに。
この6年間、メンバーの入れ替えもあったけれど目指すチームを作りあげられなかったのは、自分に組織のトップとしての器がなかったと言わざるを得ない。自分自身の足りないところは、自分の思いをメンバーに伝えきれていないことだと思っている。自分自身が思っている以上に、メンバーに自分の思いを伝えきれていないのだと思う。
理想的なチームを作るためには、リーダーも含めて、チームメンバー全員の自律的な取り組みが欠かせないと思っている。だからこそ、強制力を伴う具体的な指示を敢えて避けてきた。しかしそれでは、自分の思いが他のメンバーに伝わっていなかったのだ。
そして今、組織の存在が危ぶまれるくらい人員不足に陥っている。多くのメンバーは仕事が忙しくて、この組織の活動に割く時間が取りにくくなっていて、4人がこれ以上は続けられないから今月で辞めると言っている。新しいメンバーがひとり決まっているけれど、その他に加わってくれるメンバーが決まっていない。
ここまで来ると、この組織でやれる活動なんで、たかが知れたものにしかならない。こうなると、どうせ任意団体なんだから解散してしまうのもありかもしれないと思ったことは何度もある。それでもそうしないのは、なくしてはいけない、本来はかなり重要な役割を担う組織なんだ、と考えているからだ。先達たちが作り上げてきた歴史があるのだ。
結局、自分がトップにいるのが一番の弊害なのかもしれない。老害になってしまっているのかもしれない。それなのに、トップになってくれる人がいないのだ。
まずはもう1年、新しい体制でイチから組織づくりに取り組むつもりだ。どんなにかっこ悪くたって、自分の思いをがむしゃらにメンバーに伝えたい。そして本当の意味で、この組織を「チーム」として機能させたい。
だから今度の会議では、みんなにこう言うつもりだ。「みなさんと一緒に良いチームを作りたいと思っています。みなさんの力を貸してください。」
フェセンコは、望月新一の宇宙際タイヒミューラー理論(英語版)(Inter-universal Teichmüller theory、IUT)の研究を整頓するうえで積極的な役割を果たした。フェセンコは同研究のサーベイ論文[pub 19]及び一般論説[pub 20]の著者であり、数学界の難問ABC予想を証明できたとする望月の論文(2012年)に関して「証明内容に誤りは無い」と後押しする主張を行った数学者の1人である。フェセンコは、IUTに関する(同理論を理解したいと考える数学者に向けて内容を説明する)2つの国際ワークショップを共同開催した
フェセンコが言うなら間違いないだろう。
ここのところ聴いてる音楽に男女二人組が多いので、男女二人縛りで気に入ったものを。
ルーツ/トラディショナル系では男女二人組は王道らしくそれこそワンサといるけど、最近ずーっと聴いてるのが red tail ring 。女性の Laurel Premo が中心的な役割ぽい。この人はフィドルもバンジョーもめっちゃうまい。単純に演奏が上手いというより深く楽器を理解してる感じ。とくにフィドルは妙に求道的な感じがするので気になってたけど、ワークショップやマスタークラスの講師もやってるらしい。納得。
再生回数も多くて、入りやすいのは Laurel Premo 名義でアップされているこれだと思う。彼らの言うところのトラディショナル・バラッド。絶対に滑らない1曲。
The Blackest Crow - Red Tail Ring
https://www.youtube.com/watch?v=4wRnDa7GdzQ
red tail ring 名義のチャンネルから個人的にやたら気に入ったのが下の。割とモダンでダークな曲。フィドルのメロはルーツを感じさせるものの、メロもコード進行もイマドキだと思う。歌の後ろでべったり鳴ってるフィドルが好き。
この人はフィドル持つと、他の楽器がいてもわりとべったり弾いてるイメージがある。
Edward
https://www.youtube.com/watch?v=ZI84KNcb3pc&list=PLNYr51jp7hz1FQG97ddfbjLFcsHuxvG_w&index=16
red tail ring はほとんどすべての曲を youtube の公式チャンネルで聴けるので、まとめて再生するのがおすすめ。個人的には A Wolf & A Man とかも好き。
Laurel Premo 名義のチャンネルも面白い曲たくさんある。二人で延々フィドル弾いてる Fille-Vern とか。ディープトラディショナル。
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tiny desk に登場! tiny desk 良いよね。
Mandolin Orange: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=k2QjEgOtCAA
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Béla Fleck & Abigail Washburn
Béla Fleck & Abigail Washburn はバンジョー+バンジョーが多いけど、これは歌+バンジョー。曲は Charles Wesley という讃美歌の世界ではレジェンドな人の曲らしい。ベラのアレンジはリゾネーターつきのバンジョーとよくマッチしてる。
And Am I Born to Die は他にも良いバージョンがたくさんアップされてるんだけど、これは映像が良いのでよく見てた。
Béla Fleck & Abigail Washburn | And Am I Born to Die
https://www.youtube.com/watch?v=kGgmXqJIGY0
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Gillian Welch & David Rawlings
これ系男女二人組で最も成功した二人(だと思ってるんだけど、詳しいわけじゃないので違うかも。)。あんまりルーツに寄りすぎず、ルーツの再構築系。成功したとはいえ何かのインタビューで音楽ビジネス厳しい的なことを言ってたような。公式 youtube チャンネルで全部聴けるので、公式で聴こう!。
Gillian Welch & David Rawlings - Full Concert - 08/03/08 - Newport Folk Festival (OFFICIAL)
https://www.youtube.com/watch?v=59tzjdvndH4
David Rawlings が延々ギターを弾き続けるんだけどちゃんと歌をサポートしてて、初めて見たときぎょっとしたのを覚えてる。この人凄い。
まあでも曲の良さに終始するよね。一曲目 look at miss ohio から始まるんだけど、もうここでわしづかみ。個人的には wrecking ball とかも好き。
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Corinne West & Kelly Joe Phelps - "Audrey Turn the Moon"
パーマネントにコンビで活動しているわけじゃなく、一緒に一枚作りました的な二人なんだけど、この曲があまりに良いので。Corinne West の曲らしい。
この二人の合わせ方はとても柔らかい。ギターも声も合わせ方がめっちゃエレガント。そして刺さる。
Corinne West & Kelly Joe Phelps - "Audrey Turn the Moon"
https://www.youtube.com/watch?v=XBvQ_MWBrpM
二人の動画は他にもいろいろあるけど、どれも良い。
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Paul Anquez & Isabel Sörling - Deep River
https://www.youtube.com/watch?v=R2cN4pqHs3U
Isabel の歌は弱音パートでも張りに行った時でもシルキーで、ロングトーンがかっこいい。あと歌ってる姿が見てて飽きない。
下は二人のリスト。ディランとかジョニ・ミッチェルとかやってて良い。いずれもアレンジが彼女に良く合ってる。どっちがアレンジしたのかわからないけど Isabel がピアノ弾いてる画像は見当たらなかったので Paul じゃないかと。良いピアニストな気がする。
Paul は他にも聴いてみたいんだけどあんま動画無いんだよね。。
https://www.youtube.com/watch?v=yymbaq5hhsI&list=PLudTC5WPz2QHd01fkK0-qYCNJxA1Y9QaU&index=1
どこの学校にもいじめが存在する。全くない学校も学年もあるっちゃある。でも殆どある。
そのいじめのある学校で良い思い出を作れたものが大学を出てストレートに教師となる。
今回も人望が厚い教師がいじめをしていたため保護者と児童はショックを受けていると言う報道があるが
学校内で教師として人望を集められるタイプに偶然にも小~高校と当たり続けてきた自分としては
いじめを黙認しいじめを無かったことにして信頼を経て権力を持ったタイプが多い。
友人の自転車が無くなった時、友人に起こっていたいじめを「信頼のある担任」に報告したときのことが忘れられない。
「勘違いじゃないのか」
「わかった。考えてみる」
一言二言、何が起こったのか探りもしない。
後日友人に聞くと、教師は何もしなかった。壊れた自転車が河原から出てきた。友人は自殺未遂までした。
もちろん頼りにならない担任は知らない。
これを書いていて思い出したが小学校のころいじめられ教師に呼び出され「いじめられる理由に心当たりはないか」「あるはずだ」と言われたことがある。
心当たりが無かったので、その後ずっと考えた。何故こんなにいじめられないといけないのだろうかと。でも答えは見つからない。
結局は自分に何か問題があるという意識を抱えたまま育つことになった。
そんな先生ばかりじゃ無い。良い先生もいると言う人もいるかもしれない。
しかし高校生の頃高圧的な態度で学年を牛耳っていた『信頼のある』教師は、日焼けした髪を見て言った。
「染めただろう」「嘘をつくな」「お前のことは見たら直ぐ分かる」「就活でみんな同じ格好をするのは当然」「黒染めも当然」
「私たちのころはもっと厳しかった。お前らの時代はいいね」「給料が少ない」
給料少ない問題は同情するが、教師たちは自分を悪いとは一切思っていない。正義だと思っている。
教師が、と大きく主語をしたが、そうではない教師も居ることは間違いない。
しかし割合的に少ないのは現実だろう。実際道を歩いていても良い人なんかそんなに居ない。
良い教師に当たるなんて奇跡だろうし、その教師が本当に良い教師かなんて、小学生は無理だし、中学3年間高校3年間で見極めることなんてできるだろうか?
ただ教師は聖職者なのではないのだろうか。良い人であるべきなのではないか。
まともに社会に出たことの無い大学生上がりのやつが子供を教える。
よくよく考えたら恐ろしくて仕方ない行為である。リスク管理もクレーム対処もチーム運営もワークショップも、まともにできなくて当たり前ではないか。