どこの学校にもいじめが存在する。全くない学校も学年もあるっちゃある。でも殆どある。
そのいじめのある学校で良い思い出を作れたものが大学を出てストレートに教師となる。
今回も人望が厚い教師がいじめをしていたため保護者と児童はショックを受けていると言う報道があるが
学校内で教師として人望を集められるタイプに偶然にも小~高校と当たり続けてきた自分としては
いじめを黙認しいじめを無かったことにして信頼を経て権力を持ったタイプが多い。
友人の自転車が無くなった時、友人に起こっていたいじめを「信頼のある担任」に報告したときのことが忘れられない。
「勘違いじゃないのか」
「わかった。考えてみる」
一言二言、何が起こったのか探りもしない。
後日友人に聞くと、教師は何もしなかった。壊れた自転車が河原から出てきた。友人は自殺未遂までした。
もちろん頼りにならない担任は知らない。
これを書いていて思い出したが小学校のころいじめられ教師に呼び出され「いじめられる理由に心当たりはないか」「あるはずだ」と言われたことがある。
心当たりが無かったので、その後ずっと考えた。何故こんなにいじめられないといけないのだろうかと。でも答えは見つからない。
結局は自分に何か問題があるという意識を抱えたまま育つことになった。
そんな先生ばかりじゃ無い。良い先生もいると言う人もいるかもしれない。
しかし高校生の頃高圧的な態度で学年を牛耳っていた『信頼のある』教師は、日焼けした髪を見て言った。
「染めただろう」「嘘をつくな」「お前のことは見たら直ぐ分かる」「就活でみんな同じ格好をするのは当然」「黒染めも当然」
「私たちのころはもっと厳しかった。お前らの時代はいいね」「給料が少ない」
給料少ない問題は同情するが、教師たちは自分を悪いとは一切思っていない。正義だと思っている。
教師が、と大きく主語をしたが、そうではない教師も居ることは間違いない。
しかし割合的に少ないのは現実だろう。実際道を歩いていても良い人なんかそんなに居ない。
良い教師に当たるなんて奇跡だろうし、その教師が本当に良い教師かなんて、小学生は無理だし、中学3年間高校3年間で見極めることなんてできるだろうか?
ただ教師は聖職者なのではないのだろうか。良い人であるべきなのではないか。
まともに社会に出たことの無い大学生上がりのやつが子供を教える。
よくよく考えたら恐ろしくて仕方ない行為である。リスク管理もクレーム対処もチーム運営もワークショップも、まともにできなくて当たり前ではないか。
>まともに社会に出たことの無い大学生上がりのやつが子供を教える。 大卒リーマンから社会経験を、教授や准教授から学識を取り払ったような存在が子供に偉そうに物を教えるという...
社会経験の無いやつがベテランになりまた若い衆を教えていく 終わりの無い他の世界を知らない学校生活をずっと続けていく 何かが変わるわけがない