はてなキーワード: ハードルとは
インタラクティブで、文字のみならず美術や音楽といった総合芸術で訴えてくる豪華な読書。
読書して感性を豊かにしてる暇があるなら実益に直結する作業をするべきっていうなら、学校のカリキュラムですら教養系の科目は不要になるはずだな。
まあ、増田が挙げてるような昔からあるアクション主体のゲームは、どちらかというと読書というより、手慰みな部分が大きいかもしれんが。
現代のゲームは、いわば強制されない部活のようなものだ。部活を通して人と繋がることもできる。
ソーシャルゲームなどと馬鹿にされたりするが、そういうものは確かに昔のゲーム的な手慰み部分、つまりゲーム性は陳腐になっているかもしれないが、逆にハードルを下げているとも言える。
今のゲーム業界の市場規模中、運営型ゲームが8割を占め、人々がゲームを通して感動をリアルタイムで共有していく体験を重視していることから考えるに、手慰み性に執着せずに物語やキャラクターといった共有しやすい読書的感動にシフトしているのは、正しい方向への進化だと俺は思う。
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残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。
長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。
東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校の教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。
それから東大を意識するようになって、現国の問題で毎回おもしろい文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機で東大を第一志望にし始めた。
高校は私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金も支給されていた。
学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ。
大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?
父親のギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親が非正規雇用で働き始めていたというのが数年前からの我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。
自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉・存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。
A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃんと免除される保証がどこにあるの!?)、格安の学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。
給付型奨学金も地方のしょうもねえ高校に全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。
自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金は勘定から外していた。
募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生に自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?
地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。
制度が存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。
結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体に同意を得たのは高3の12月。浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一の目的に変わっていた。その上で大学でおもしろそうなことを勉強したかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。
無事に受験できて、合格した。合格したからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。
翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。
大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?
こんな感じ。臆病な自尊心で合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。
ていうかみんな発言がちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。
慣れない電車通学、週20コマの授業、母親の言葉のフラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師が震災のサバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。
毎日何とか自殺を先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろい講義を聞いている時だけは生きている感じがした。
そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。
2年生になって少しメンタルが回復してようやく友人ができた。ようやくふつうの大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。
優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身のゴリゴリ強者ではなく、地方の中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親が教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。
仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除、家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。
毎年授業料免除のために母親の源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親の年収は200万に満たない程度である。たまに母親も仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。
ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたから給付型奨学金に応募できた。
3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験も留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつうの東大生がやるものなので。
自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学・図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分はふつうの東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。
考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年をぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費と授業料。
特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。
しかし留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除の対象からは原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。
結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。
「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。
成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内のカウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。
院進後は授業料免除も奨学金も復活し、博士課程では生活費と研究費付きのプログラムに採用してもらえたから何とかなった。
博論書けない無理とふつうの院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと、生活費のあてがないこと、研究とアルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。
彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しかも授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。
それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。
しかし、自分の人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。
これがいかにして地方の母子家庭出身の女が東大で博士号を取ったかだ。要するに学力と幸運に恵まれていたから。
高校、民間の公益財団法人、東大の奨学制度、博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者の感想。
生まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体は最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。
学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。
博士課程の最後の一年がふつうの東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活が保障されていても勉強や研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。
もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除からも奨学金からも対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。
授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争的資金はクソ。
しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生のアルバイトで賄える範囲に授業料を下げるべきだとさえ思う。
第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票、アルバイト先・RAの先生に書いてもらう収入関係の書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親は書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分・家族の書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?
第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料が免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料を免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。
第3に、高い授業料を払う層と授業料を免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構の崩壊。
第4に、親との折り合いの悪い人々が制度の狭間に陥る。学部生の場合、独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親からの仕送りが全く存在せず、世帯からの恩恵を全く受けずに自分のアルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料の免除の対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援が必要な学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。
第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。
他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。
高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しかし学歴を理由に彼ら彼女らが下に見られること、さらに生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学に入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。
結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。
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ちなみに税額控除対象。政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度が税額控除だ!
理想を実現するためには金がいる。金も出さないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。
6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。
この数字が増えることを楽しみにしている。
1人行動の弱点はさ、荷物を見ててくれる人がいない事なんだよね。
だから1人海水浴とか、席をキープしたままトイレ行きたい時とか困る。
スペシャリストのみなさんはそういう時どうしてるの?
28才ぐらいのとき処女だったが、問答無用で子宮頚がん検診された。
不正出血(月経時以外の出血)で婦人科に受診したのだが、内診のついでに検診された。
婦人科の内診は股が自動的にカパッと開脚させられる椅子に座って、カーテンの向こうにいる先生が処置する。
クスコという器具(なかなか凶悪な外見をしているのでぜひググってほしい)を膣にぶっ刺すのだが、最初通常サイズのものを刺されたようで「痛っ!!」と言ったら「子どもでも大丈夫なやつに変えるからねー」と一番細いものに変えてくれた。問診票には性行為の経験無しとしっかり書いていたのに…。
子宮頚がん検診は、子宮口の先の子宮の入口部分(子宮頸部)の組織をこすりとるだけ(まあまあチクッとする)なので、元増田のいう子宮破裂の恐れというのは誇張表現だと思うが、確かに人によっては心理的に抵抗感のある検査なので、ほぼ感染の可能性がない処女がわざわざ受ける必要はないと思う。
多くの自治体がそうだと思うが、うちの自治体では子宮頸がん検診は2年に一回は無料で受けられるため、それ以来婦人科に通院するついでに該当年は子宮頸がん検診をされている。途中で結婚したが夫も他に性交渉の経験がないので、夫を信じる限り今後も感染の可能性はないと思っているが、まぁちょっとチクっとするくらいいいかという感じである。
ただ経験がなかったとしても、婦人科の内診は早めに経験しておいたほうがよいと思っている。割と生理の不調を持っている女性は多いと思うが、
内診を受けたことがあると婦人科受診のハードルが下がる。妊婦ばっかりで行きにくいと思う人もいるかもしれないが、産科のない婦人科に行けばいいし、割と老若問わず来ている。
ちなみに自分は不正出血は特に問題なしと言われたが、カンジタ膣炎と言われて治療することになったが、婦人科を受診しなかったら軟膏で誤魔化していたかもしれないので、受診してよかったと思う。(カンジタは常在菌なので性病ではない)
すごいマジレスすると田舎では「売り」も「買い」もやってる奴が少なすぎてすぐ個人特定されちまうから、本気でそれで稼ぐつもりでもない限り女にはハードルが高いし、そもそも数を回せないので稼げず、田舎で個人売春するメリットがまったくない。
田舎のガチ女は普通に自宅で売春するからすげーというか怖いよ。
だから援助交際もパパ活も最低でも人口10万人以上都市くらいじゃないとキツイし、なんなら地元でやると特定されて嫌だから都心部まで出るって女も多いしね。
最近はセックスするだけなら中国系のちょんの間がかなりいたるところに進出しつつあるので、10万人都市くらいならヤろうと思えば1万5千も出せばヤれるし(それが良いことだとはまったく思わないが……)。
つまり何を言いたいかと言うと、これも満員電車ベビーカー論争みたいなもんで、狭義の首都圏民(+仰るとおり、あとは精々大阪や名古屋圏か?)と、そうでない民とで認識が全然違うのよ。
売ろうにも買おうにも田舎では相手を見つけるのが困難。だから「同級生の〇〇は3万払えばセックスさせてくれるぞ」という怪情報が流れたりするわけ(しかもだいだいガチという)。
キモいっていうかそういう子供の痛ましい事件は足がすくむし、子供はどんな思いでいたんだろうって思うと確かに憤りも感じるしいたたまれない気持ちにもなるし、ましてや自分がその加害者になったらって思うとちょっと胸が苦しくなるくらいに戦慄する。
だから何があってそこまで追い詰められたんだ?自分の身にも起こりうることなんじゃないか?って思ってそういう記事をざわざわしながら読み込んじゃって余計具合悪くなったりとかすることもある。
そういうの当事者意識っていうのかな…まあ世間っていうか同情的なのは大体は母親なわけでしょ?
つまり子供ってそのくらい親が気を抜くとすぐ命を落としてしまうくらい危ういものだってことが、子供がお腹にいる時からずっと肌に染み付いてるから、実際にどうかはともかくちょっとの自分の気の迷いでそうなってしまうんじゃないかっていう危機感が根底にあるんじゃないだろうか。
対して元増田が違和感を持ってるように、成人を仕留めるのには自分自身に対してであっても生ぬるいだろっていうような行動しか取れないところも常軌を逸してる感じがするっていうか…普通の状態だったら、そこまで取り返しつかないことをしでかした後だったらもう絶対ひと思いに自分の息の根を止めないとって必死になるんじゃないのかな。でも計画的にやらないとそれは結構難しいのかも。
つまり子を持つ親は子育てを通して、子供は成人よりもずっと脆いものだっていうことを肌感で知っている。無差別殺人みたいな犯罪よりもずっと物理的ハードルが低いことがわかっている。
あるいはよその子を攫ってくるような犯罪よりもずっと衝動的にできてしまうことが。まあ想像しただけで震えるけど。
もしかしたら増田氏のほうが「普通の母親はそこに対して特別に大きな心理的ハードルがあるに違いない」っていう母親信仰を持っているっていうことが言えるのではないだろうか?
人間が常軌を逸した時、その人が常日頃持っている愛情というものはそこに残るのだろうか?
まあ多分ほとんどの母親は思いとどまれると思うけど、自分がそうかはわからないって心のどこかで怯えているのではないだろうか。
私はそうだった。今では娘たちも無事中高生になって私の背を越えたので、その悪夢もようやく終わったけど。
確かにその母親はその時常軌を逸していたと思う。でも最初からそうだったわけではないだろう。それはいつから始まっていたんだろうか。
そういう同情的な気持ちがわからない人がいることも別にそんなにおかしいことではないと思うし、問答無用で許すなっていう意見もあってもいいとは思う。
あるいは実際はもっと全然同情できないような数奇な話だったっていう真実が出てこないとは限らないし。
ただもしこの事案の真実が多くの人が想像する通りであったとしたら、再発防止っていう意味では「異常者から子供を引き離せ」とか「ただの異常者の仕業だ」っていう視点からでは、具体的に何が異常でどういう基準で引き離すのか?っていうのを導き出すのは難しいと思う。
ってなるとやっぱりそこで何があったのか?っていうのに焦点を当てるのが王道かなって。
あと記事に「有罪か無罪か。」って書いてあって、それは殺人を犯したんだから量刑の差は多少あったとしても当然有罪にはなるんじゃないんだ…?ってはちょっと思った。
同情はするけど無罪だとはちょっと思えないかな…つか私だったらどんだけ常軌を逸してたんだとしてもそんなことしちゃったらどうせ日常生活なんかしてても地獄だし、いっそ刑務所とかで当分反省してたいかも。
あと松本さんの話は昔の話はともかく現時点では特に逮捕されたりとかはしてないわけで、ちょっとよくわからないっていうのが正直なところかな…
同情したり憤ったりできるだけの材料が足りなすぎるのでキモいとか以前の話かなって思う。
ただ世間はそういう不同意わいせつ事案みたいなものには慣れすぎてて、あんまり内容を見ずに「またか」って納得しちゃうフシは確かにあるよねとは思う。
男性が起こした事件で世間が同情的だったものっていうと記憶に新しいものはあれか、安倍さん襲撃事件。
あれもいくつかの疑問は残るにしても比較的彼の属性も含めて動機がわかりやすいっていうか世間が納得しやすい事件だったと思う。
あとそういうことで言うとパレスチナ問題とか。
あれもどっちの事情もわかるけどどうしたらいいんや…って悩んだり、でも血だらけになった幼子とかが映るとやっぱり胸が潰れそうになりながら毎日ニュース見てる。
そんでどっちの肩を持ったところでどんな解決策を出したところでどこにも被害者はいるし誰かの気分を逆撫でするだろうっていうのもわかる。っていうのは余談だけど。
婚活女「いい人だけどなんかちょっと…」の内訳(anond:20240611133540)の追記です。
自分自身について、理想の相手について、自覚している課題・私自身の「なんかちょっと…」ポイントについて。
アプリのプロフィールは「ささやかな幸せを共有できるパートナーがほしい」というメッセージが伝わるように、という意図で書いた。
現実的なメリットとしては仕事もしているし家事も一通りできるし、在宅勤務で残業がないのでなにかと融通がきく。晴れたら洗濯機を回して雨が降ったら取り込んで、料理をつくってパートナーの帰りを待つ、みたいなことに幸せを感じる。梅の季節だから漬け込んでシロップ作ろう、とか、スーパーの帰り道に猫がいて前を歩いてる人がめっちゃ嬉しそうにしてたよ、とか、そういうことを共有したい。
ささやかな幸せを共有したい、という方向性に共感してくれて、上に書いた洗濯とか料理とかをメリットだと感じてくれる人(じゃなくてもいいけど、日常的に他になにを提供できるかわからない。苦じゃなく対応できる範囲で幸せでいてくれる人がいい)。私も彼を喜ばせたい・幸せにしたいと思うし、相手にも同じように思ってほしい。知的な人(言語化能力が高い、教養がある、オタクっぽい、論理的、いろんな観点で)、自分の考えがある人に惹かれる傾向にある。心身ともに健康で、長期的なお付き合いを前提に考えてくれる人がいい。
自分と同じくらいの年収・学歴を求めると男性の高年収・高学歴(というほどでもないが)の方が需要が高いので高望みになり、その好条件にも関わらず私の相手をしてくれる=なにかしらの難がある、という傾向にある?
→同じくらいの方がなにかと価値観が合いやすいというだけで必須条件ではないので、と思って範囲を広げてみた結果が元記事の2人目。
特にアプリだとテンプレなプロフィールを書いている男性が多くて、なにかしら個性のある人、と思ってマッチングする=悪い意味でも癖のある人を選んでいる?
→気になるところのない人、という観点でマッチングしてみた結果が元記事の4人目。
送りたい相手がほぼいない(本当にテンプレなプロフィールの人が多い)のと、「いいねしてくれたから」という理由で相手をしてもらえるリスク(?)が怖い。マッチングしたら話題を振ったりお店探したりお金出したりと自分なりに努力するつもりでいるので、最初のアプローチまでこちらからだと都合がいいから・楽だから相手してくれてるのかな…?と不安になってしまう。その不安を打ち消すくらいの積極性を相手に期待するとハードルが上がりすぎてしまってうまくいくものもいかなくなりそう、と思っているけれどどうなんだろう。
やり取りできる人数には限界があるのでもらったいいねから相手を選ぶ(偉そうな表現…)ことになり、個性があって刺さるプロフィールは滅多にないので、それほど個性のないプロフィールからも選ぶ。そうするとスペックや顔などが判断に影響してきて、その好条件にも関わらず私の相手をしてくれる=なにかしらの難がある傾向?
とはいえ年収や学歴が高い人ほど話していておもしろい割合が高いのも事実で(逆にすごく変わった人も多いけれどそれはすぐにわかることなので別にいい)、他にどういう基準で選べばいいのかわからない。(めちゃくちゃキラキラした人は「ささやかな日常の共有」の軸から外れることが多くて今もマッチングしていない。)
自分がお酒飲めない・スポーツに興味がない・ベーシックな格好が好き・インドア派なので、一緒にお酒を飲みたい・一緒にスポーツがしたい・おしゃれな人が好き・ものすごくアクティブ、という人を避けているのだけど(彼ら自身の趣味としてそれらが好きなのは気にしない)、社会性がある?明るい?バランスが取れた?人たちはそういうのが好き?で、結果的にいい人を避けてしまっている?
平均的なユーザーより努力していると思う。プロフィール文や写真について一般的に気を付けるべきとされていることはほぼカバーした上で複数の異性にアドバイスを求めたし、自分から足跡をたくさん付けて、そこから私のプロフィールを見にきていいねしてくれる、というパターンが多い。
アクティブなユーザーとしてアプリに認識される→アルゴリズムが優遇してくれる→画面に表示されたから・無料でいいねを送れる相手だったから、というような理由でいいねしてくれる異性が増える、気がする。マッチングしてもメッセージのやり取りに発展しないケースも結構あって、いいね数が増えるほどいいなと思う相手の数も増えはするけど、体感としては500いいねもらえたからといって100いいねのときの5倍には全然ならないし、男性の10いいねの50倍では全くないと思う。
同情することで一体そこでなにが起こったのか?っていうのを想像する手がかりになると思うんだよ。
自分と全く異質の存在がやったんだって思うと、何か普通には起こり得ない特別なことが起こったから想像つかないってなってそこから考えが進まなくなっちゃうと思う。
自分の思い当たる節から想像を膨らまして考えるくらいしか今の段階ではできないけど、もしかしてうまくいけばもう少ししたらもっと詳しい情報とか対処法が共有されるかもしれない。
それまでは、あるいはうまい対処法が見つからない場合には引き続き私たちの想像力でできるとこまでそういう悲しい事件を未然に防げるように、どんな状況からそうなるのか考えなきゃなんないと思う。
同情されることで子殺しのハードルが下がるか?っていう問題だけど、同情されるからいいかって考えられるほど冷静ならまだ余裕があるし、
普通に考えてそんなことする時って極めて異常な状態にあるだろうしそんな時は世間からの同情があるかないかとか関係ないんじゃないかな?とは思う。わかんないけど。
それよりは世間の母親に同情が集まったら、そんなことになる前に手助けされたり危険信号を感じ取ってもらえる機会の方が増えるんじゃないのかなって思うけどどうだろうか。
あなたみたいに子育てを頑張ってる人には心から敬意を表するよ。
だけど、子供に手をかけてしまった人に同情なんてしてたら、子殺しのハードルが下がってしまわない?
重要なのは事件を未然に防ぐことであって、起きてしまった事件に同情することではないと思うよ。
そのために、もっと国からの子育てサポートは充実するべきだし、俺は独身だけど独身税を導入しても良いと思う。(そう言う意味だと、こども家庭庁はもっとマシな仕事しろと思う)
偉そうなことを言ってしまったけど、俺は子育ての経験がないから今回の事件に同情できないだけかもしれない。
子育てすれば俺も同情するようになるのかな?
それもそれで怖い話だが...
話が合う女を見つけるんじゃなくて、こっちが女に話合わせるんだよ!
自由恋愛市場ではセックスしたい男がそれを隠しながら誠実そうに
クソつまんねー女の話に合わせるのがまず基本な。
捨てる、というのが字義通りではなく手続きを経て施設に預けることを指す前提で
基本的に子は家庭で育てるものであり、家庭に問題があるならその問題の解消をまずは目指すことになる
妻が子に虐待をするので相談しているのだが、子の方は母親に懐いていてオオゴトにしたがらない
相談員の方もオオゴトにしたがらない(面倒だからなのかキャパがないからなのか理由は知らないが
ぶん殴っているのによくあることで済ましてしまう、これで子の方がもうダメですと訴えるなら話は早いのだが大したことないと突っぱねてしまうのだ
この状況だと妻が出ていくこともなければ子が施設に行くこともない
なあなあで済まされてしまう
地方の人口減少について考えるとき、田舎暮らしの魅力発信の難しさもあるなと思えてくる。
田舎に住む人々が自分たちの生活の魅力を発信するのは、かなりのハードルがあるだろう。
情報発信の訓練なんて受けていない普通の人たちが、どうやって都会の人々に訴えかけるか?そんなの簡単じゃない。一見して、都会の煌びやかさや便利さには勝てるわけがないように見える。
そこで、アーティストや漫画家、音楽家などの表現者に地方に住んでもらって、彼らの創作を通じて地域の魅力を発信するという試みを促進してはどうか。
表現者たちは地方の「稀人」として受け入れられ、その地で創作と発信の技術を磨く。これは単なる人口増加対策ではなく、地方の文化を底上げするボトムアップのアプローチにもなるだろう。
表現者たちが地域に溶け込み、その魅力を創作活動を通じて発信すれば、都会の人々の目にも新鮮に映る。自然の美しい風景や、地元の人々の温かさ、伝統的な行事などが彼らの手によって魅力的に表現されれば、田舎暮らしの価値が再評価されるかもしれない。都会で飽和状態のアーティストたちも、新たなインスピレーションを求めて地方に目を向けることになるだろう。
このアプローチは、「クールジャパン」のような上からの文化発信よりも、地道な底上げ効果を期待できる。上から予算を付けて行う試作は、往々にして「広告」「マーケティング」に終始するのだ。商品としての創作が存在することを前提に、それを売り込むことを考える。しかし、当の創作者が育たなくては、持続的な商品の創造は起こらない。ボトムアップの施策も必要だ。
もちろん、受け入れ側の地方自治体やコミュニティのサポート次第で問題も起こり得る。表現者たちが安心して創作活動に専念できる環境を整えるために、一定の監視と調整は必要になるだろう。
自意識過剰なんじゃね?
弱者男性に好かれたら面倒だし、弱者男性に選ばれる=ハードルが低い=安い女という証明であり屈辱だから先手を取って弱男を遠ざけようと心理的に防衛してるんだよ
わかるけど読みづらいので書き換える
「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい」っていう部分は医学の統計でも根拠がない。
本文全体に同様の、疾病としての躁鬱とイライラしやすい気質みたいなものの混同がありそう。
現在の医学では、落ち込みやしんなりした気分(仮に「抑うつ」と言っておく)と、イライラやイキってる気分(仮に「躁状態」と言っておく)の2つのうち、
しんなりだけおこる「うつ病 (major depressive disorder)」 と、両者を繰り返す「双極症」は全然別枠の病気。
しんなりがどちらでも起こるのは正しい。
「しんなりするから双極症の症状だ」は間違い。
あと、こうした普段と違う気分は「原則として」、起こったり収まったりする。
例えば「過去n年間ずっとイライラしやすいんです!」は一つの躁状態とは言わない。
逆に1日の中でめっちゃ落ち込む時間とめっちゃイライラする時間と元気な時間が数時間で移り変わるんです!もふつう躁状態・抑うつとは言わない。
(「原則として」と書いたのは、中途半端な症状がダラダラ起こったり収まったりする症状に別の病名がつくことがあるから)
典型的には躁状態と関連付けられるが、抑うつから焦燥的になることも多いし、どちらでもないときにイライラすることもある(つまりうつ病・双極症とは関係ないこともある)。
ほんとうに双極症といわれる(疾患として定まる)ものであればまず大事なのは服薬であるとされている(服薬をしないと再燃率 = また上の抑うつか躁状態が起こってあなたが困る可能性があがるし、飲んでいるとそれを下げられる)。 [追記: これらの病気が気のせいではない、と言われるのにはいろんな理由があるけど、正しく服薬できれば改善するという点がその一つ]
本読んだり習慣付けで収まるようなのは基本的には疾病としての症状じゃなくて、イライラしたり気持ちが落ち込んだりしやすいっていう状態の範疇に収まるんじゃないかなと思う。
(ただし、もしあなた(これを読んでる人だれでも)が精神科で診断を受けたことがあるなら、この項に書いてあることにかかわらず担当医との相談を大事にしてください。「良い習慣付けが意味ない」とか、「習慣を変えてここまで調子良く来られてるならあなたは病気を持っていないからお薬を辞めていい」とかそういうことは一切書いていません)
ちなみに「過去1ヶ月の間にこれらの本を読みはじめてこういうふうにしたら今めちゃくちゃイライラ少なくて気分いいんですよ!」っていわれたらそれは逆に心配かも
あとはまあ一応言っとくとするとHSPはわれわれ精神医学の概念じゃないとか、冷えピタ貼って前頭葉の機能が落ちるってことはないとおもうとかそういう本筋じゃないところ(ひんやりして気持ちいいならそういう効き方はするかもしれん、隙自語だが肩・首さえ大丈夫なら夏場氷枕でひんやり寝るの好き)
私見ですが、精神医学用語はこれに限らず用語としての意味からずれて用いられることも多くて、ただまあ情動とか行動は多くの人間にとって興味がある/表現の必要があるものだから、それを精神医学が専門用語として独占するべき(他の使い方は”間違ってる”といえるような)根拠もあるとはいえないかなとは思うので、悩ましいところ。躁うつ"病" とか 双極症とか、後から定めたような病名を使うときはちょっと定義を気にしてくれたらいいかな。
おまけ:これはもう我々のほうが諦めるべき使い分けだというふうにも思うが、一応精神医学の文脈では精神病は psychosis の訳語として使われることが多くて、精神疾患 mental/psychiatric disorders とは区別されます
さらにつっこんでおくと
最後んとこ、医者たちがその程度の説明能力しか持てないから使い分けする必要がないとおもわれているのでは。
ディアレアしたとかいわれても知らんやつはわからんが下痢なら「くだした」と関連づけれる。
安楽死は安楽死じゃなくて現状依願殺人であり医者はやらない、もそうだけど諦めていいことは諦め、諦めていけないことはあきらめるなよせめて匿名でくらい。
全体に、医者にしては良心的な説明だしうちの家族のかかってる主治医もこういうことがいいたいのだろうとは思うけど
医者って時間的にハードルが高い(費用はわりと楽だが今後高くなりそう)んだよね
あなたが精神科医なら「初診は2ヶ月後に予約とってください、お薬はさらに何ヶ月か後です。」の現状しってるでしょ?違う?
ついでにいえば病識がないまま一人暮らしで人格荒廃していく人は今後ものすごく増えるとおもう
そういう人はそもそも医者に一生こないまま無敵の人として犯罪収監されるおちが多い
この増田にもそういう報告を定期的にしている無敵の人のなりかけがいる
(字下げは前科1犯で猶予つかず懲役したんだよね。ずーっと判事の悪口、自治体とのトラブルを愚痴ってる)
そこを食い止めるのは民間療法であってもなんとかしようとする家族の意志なんだよ、元増田には最初家族やめちまえってアドバイスが多量についたんだけどさ
そもそも現在の医者というのがワンストップの機能を放棄している(定期健診はQOLにはかかわらず死因だけをケアしている)
それなら支えきれないといって家族をやめちまうまえに本くらいはおおいに読むべきだよ、本には脳溢血や認知症、貧血、甲状腺ホルモンによる多岐にわたるイライラがのっていて、精神科医の範疇外の受診・ケアもすすめているものがあるからね
はじめに言っておくが、この内容全体が狂人の思考だから、一切共感は得られないと思う。自分が思考の整理のために書いている。できない理由探しにも捉えられられる文章なので、苛立つ人もいるだろう。というか大多数だと思う。
それでも許せる人だけが読んで欲しい。なお、この先「音楽ライブやフェス」をまとめて「ライブ」と書く。
私はライブに行くことができない。人混みだとか、環境や財力とかは問題ではない。あえて言うなら、私は私のことを「どのライブにも行くに値しない人間である」というふうに考えている。
音楽ライブに行くためには、どのようなアーティストに行くかの選定と、そこに対する深い知識が必要だ。
いくら優れたミュージシャン、自分のお気に入りのミュージシャンであっても、知名度や同世代(筆者は所謂Z世代に分類されるようだ)からの評価的にその名前を出して場が盛下がるのであればリソースを割くべきではないと感じる。
そして、私にとってより大きな問題なのが、「ライブに行く人間たるものそのアーティストの全てを知らねばならない」と言う感覚である。
ライブではどのような曲が演奏されるかは、その瞬間まで完璧には予想不可能である。ゆえに、可能な限り、すべての楽曲を把握していなければならない、と思っている。前で述べた、盛り上がる有名な大物アーティストほど、この傾向は強まる。少し大袈裟に言えば、そのアーティストの(せめてA面)全曲に聞き覚えがないと楽しめない気がする。しかしこれは時間的にとても難しい。
(余談だが、SNS上でセトリが公開される文化と言うのは、追いつこうとしているからでは、知らない曲が出る対策ではと言うふうに私は解釈している。絶対に違う)
若者に人気のアーティストは大概発表された曲数が多く追いつけず、曲数が少ないアーティストはそもそも盛り下がる。そんなジレンマがある。有名かつ物故者の場合は追いつけるが、そもそももうライブがない。
知らない曲を知ることができる、新しいアーティストに出会えると言うのはよくある言い分だと思うが、そもそもそんな無知な状態で、ライブに行って良いものか、ミュージシャンとその全ての曲を知るファン(絶対に存在する)への明確な侮辱ではないだろうか。
ヒット曲だけを追った「にわかファン」がライブという参加できる人数が限られる聖域に来ることは、単にサブスクで聞くことと違い、心の奥でしかめ面をされるのではないかと思ってしまう。実際ノることもできないで間違え、冷ややかな目で見られることも容易に想像がつく。
おまけに、このような私にとって、チケット代は高い。平気で安くても5000、6000円取ってくる。おまけに交通費などもかかる。全曲知らない確証がある状態で、そんな大博打をできるか?私にはできない。
ここまで言っていて、意外と思われるかもしれないが、別にライブなどのノリ、空気は嫌いではない。別のジャンルのそうした会にも行った経験はある。しかし、ことこうした音楽では、全てのコンテンツを聞くことができない。むしろどう頑張っても全て追いきれないジャンルの方が、受けは悪いが気楽だ。
どころか悪化して1週間に1ターンくらいしか動けなくなってきた。
平日何もできない。買い物もできない。テレワークなのでずっと引きこもってる。
外に出るのが億劫通り越して怖くなってきて、暗くなってからしか外に出られない。
ぼっちの独身だから誘う相手も誘ってくれる相手もいないし、1人で出かけるほど物事に興味もない。
もっと外に出なきゃいけないと思うのに、3時間くらいの外出でもへとへとになってしまう。
多分まずは毎日外に散歩でるとか、筋トレするとかからはじめるべきなのはわかってるけど
化粧して髪整えてよれよれじゃない服を着てってのがハードル高すぎて起き上がれない。
本当にまずいと思ってるけど誰に頼ったらいいのかわからない。助けてほしい
店長が嫌すぎて4年働いた某古書店のバイトを辞めて、ラーメン屋のキッチンのバイトを始めた。
初日からいきなりチャーハンを作らされ、うまくできなくて、何回も作らされた…。
チャーシューをスライサーで切るとか、ウォッシャーで食器洗う仕事もあったけど、チャーハンはハードルが高いって…。
もう辞めたくなった。
ラーメン屋ってこんなに大変?
ゴールドとか宝石は結局国際送金にも決済にも使えない(使えないこともないけどかなりハードルが高い)ところ、暗号資産なら違法なこともやり易いって、結局は社会悪じゃないかな?
中央銀行にコントロールされないって、暗号資産からみた仮想敵は法体通貨、ぶっちゃけドルが仮想敵じゃん。なんで米国は金融商品として認めようとするのかわからん。
金髪のジジイたちが俺たちが考えるよりずっとバカで、ロビー活動で寄付をもらえたらそれでオッケーかと思ってるのだろうか?
コントロールできないのが強みって言ってるあれを認めたら、国家の損害に繋がりかねないはずで。
それでも認めるというなら、リスクを補う民生利用のメリットがあるべきだけど、現実的に使い方が犯罪利用しかなかったら、なんのためかと。