2024-06-08

自分思想おかしなせいで音楽ライブ/フェスに行けない

はじめに言っておくが、この内容全体が狂人思考から、一切共感は得られないと思う。自分思考の整理のために書いている。できない理由探しにも捉えられられる文章なので、苛立つ人もいるだろう。というか大多数だと思う。

それでも許せる人だけが読んで欲しい。なお、この先「音楽ライブフェス」をまとめて「ライブ」と書く。

私はライブに行くことができない。人混みだとか、環境や財力とかは問題ではない。あえて言うなら、私は私のことを「どのライブにも行くに値しない人間である」というふうに考えている。

音楽ライブに行くためには、どのようなアーティストに行くかの選定と、そこに対する深い知識必要だ。

いくら優れたミュージシャン自分お気に入りミュージシャンであっても、知名度や同世代(筆者は所謂Z世代に分類されるようだ)から評価的にその名前を出して場が盛下がるのであればリソースを割くべきではないと感じる。

そして、私にとってより大きな問題なのが、「ライブに行く人間たるものそのアーティストの全てを知らねばならない」と言う感覚である

ライブではどのような曲が演奏されるかは、その瞬間まで完璧には予想不可能である。ゆえに、可能な限り、すべての楽曲を把握していなければならない、と思っている。前で述べた、盛り上がる有名な大物アーティストほど、この傾向は強まる。少し大袈裟に言えば、そのアーティストの(せめてA面)全曲に聞き覚えがないと楽しめない気がする。しかしこれは時間的にとても難しい。

(余談だが、SNS上でセトリが公開される文化と言うのは、追いつこうとしているからでは、知らない曲が出る対策ではと言うふうに私は解釈している。絶対に違う)

若者に人気のアーティストは大概発表された曲数が多く追いつけず、曲数が少ないアーティストそもそも盛り下がる。そんなジレンマがある。有名かつ物故者場合は追いつけるが、そもそももうライブがない。

知らない曲を知ることができる、新しいアーティスト出会えると言うのはよくある言い分だと思うが、そもそもそんな無知状態で、ライブに行って良いものか、ミュージシャンとその全ての曲を知るファン絶対存在する)への明確な侮辱ではないだろうか。

ヒット曲だけを追った「にわかファン」がライブという参加できる人数が限られる聖域に来ることは、単にサブスクで聞くことと違い、心の奥でしかめ面をされるのではないかと思ってしまう。実際ノることもできないで間違え、冷ややかな目で見られることも容易に想像がつく。

おまけに、このような私にとって、チケット代は高い。平気で安くても5000、6000円取ってくる。おまけに交通費などもかかる。全曲知らない確証がある状態で、そんな大博打をできるか?私にはできない。

ここまで言っていて、意外と思われるかもしれないが、別にライブなどのノリ、空気は嫌いではない。別のジャンルのそうした会にも行った経験はある。しかし、ことこうした音楽では、全てのコンテンツを聞くことができない。むしろどう頑張っても全て追いきれないジャンルの方が、受けは悪いが気楽だ。

少なくとも、今の私にとって、ライブを楽しむのは、あまりにもハードルが高すぎるのである

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