はてなキーワード: かるたとは
長らく整理していなかったスマホとデジカメの写真を整理しようとしたが、データの移動方法、保存方法がいろいろありすぎて、ファイルの重複がひどい。
USBメモリのような感じでファイル移動ができた。(itunes必要?)
しかし、iPhoneを認識しないことがあるので、端子の抜き差しが必要。
多くのファイルをコピーしていると、途中でロックがかかるためか停止する。その場合、端子の抜き差ししないと、コピーが再開できない。
OneDriveの画像フォルダに保存された。(クラウドに上げたいわけではないのだが)
自宅wifiにつなげば、自動でバックアップをとってくれるので楽。
ファイル名がアプリ側でリネームされる。(設定で変えれるかも)
リネームされると、他の方法で取り込んだ写真で、中身が一緒でファイル名の異なるものが出てくる。
データ紛失対策には良いが、写真の取り込み方法として使ってよいのか悩む。
持ち歩きや閲覧用にスマホやタブレットにとりこむと、端末からコピーした写真とダブる。
・iCloudでiPhone-iPad間で同期された写真が、端末ごとにPCに取り込むとダブる。
2重になるのを承知で、両方残す。
話題の第8回シンデレラガール総選挙だが、夢見りあむのシンデレラガールはないと考えている。
夢見りあむは第8回総選挙のために生み出されたアイドルだが、彼女はシンデレラになるために生まれたわけではないからである。
順を追って説明していこう。
夢見りあむについて語るときに、直近で起こった事件で触れるべきことがある。
バーチャルタレントとしての魂の座をかけたバーチャル蟲毒である。
このイベントもまたいわば選挙であり、その構図は非常に似ている。
ヴァーチャル蟲毒において、彼女が盤面をひっくり返すための最初の戦術は、無課金勢という大衆に武器の使い方を教えたことだ。
当初のヴァーチャル蟲毒を独走していたのは、重課金の騎士に守られた姫だった。
重課金の完全武装の騎士だろうと、武器が鍬だろうと、10人ならば?100人ならば?1000人ならば?
ほら、見ての通りだ、寄ってたかれば勝てる、お前も参加しよう。
今回の総選挙とこの構図はよく似ている。
夢見りあむの票は、当然だがほかの上位勢のアイドルみたいな強力な騎士に支えられたものではない。
だがそのうえで中間3位という結果が、この総選挙においては本田未央すら”倒しうる”ことを知らしめた。
これらはもちろん純粋なファンもいるだろうが、興味本位や好奇心、運営への怨嗟や憎悪といったものがないまぜになった薄く広い票田
だ。
これはこれまでの総選挙のお題目だった純粋なファンに支えられてシンデレラを目指す、というストーリーへの巨大な一石だ。
起きた結果だけを見れば、同じように見える両者だが、決定的な違いがある。
りあむはキャラクターであり、意思を持った個人ではない、という点だ。
夢見りあむの言動は運営に完全にコントロールされたものだということだ。
りあむは声もないため、声優の暴走というイレギュラーも存在しない。
つまり、九条林檎の№5のそれはいわば運営への仕掛けだったが、りあむのそれは運営からの仕掛けなのである。
さてそういう見方でみると、夢見りあむの中間3位は別の意味が見えてくる。
彼女は、自然発生した台風ではなく、運営が意図した爆弾なのである。
夢見りあむは、既存の総選挙問枠組みの破壊者であることは間違いない。
夢見りあむの出現によって、アイマス界隈は不可逆の変化を遂げた。
だが、少なくともこの総選挙で生まれる最後のシンデレラには魔法をかけなくてはならない。
夢見りあむは1位でも2位でもいけなかった。
それでは構図が2位もしくは1位のアイドルとの一騎打ちになる。
シンデレラの魔法がかかるためにはそれがりあむに勝つためだけの票に見えてはならない。
りあむは4位以下でもいけない。
りあむが爆弾たりうるには勝てるかもと思わせなくてはならない。
3位がベストだ。
その場合、構図はりあむによる露払いによって否応なく発生した1位と2位の純粋な一騎打ちになる。
りあむは魔法を解いたがそれでもなおりあむに飲み込まれなかった二人は本物ではないか?、と思わせる。
上に2人いることで分かりやすい反りあむの投票先はその2人に分かれる。
つまり、りあむの対抗票として投じられるそれは彼女たちを汚さない。
そしてりあむが勝ってもおかしくない空気のまま、どちらかが勝てばよい。
ここまでくれば分るだろう。
りあむはけして悪くはない順位だったとは考えられるが果たして3位だっただろうか?
1位と2位の一騎打ちを演出するこんなに都合のいい道化がいるだろうか?
シンデレラにしたいアイドルのガチャブーストすらする運営をどうしてそこまで信じられる?
声がついた後、トップアイドルにも下積みにもなれずくすぶるアイドルが少なからずいるのに運営がユーザーに常に真摯であると?
そういう露骨な誘引より、もっと分かりにくく巧みな操作を行うようになったのだけではないか?
総選挙はアイマス最大のコンテンツである以上、票を単純に数えるだけのはずがない。
ドラマの生まれるかどうかわからない総選挙をするようなやわな運営だろうか?
断言しよう、いつからかはわからないが総選挙は間違いなく台本と筋書きがある。
しかし、これはエンターテインメントとして当然の帰結である。
むしろりあむ事変を計画的に起こしたのであればその手腕は大いに評価すべきだ。
きっとこれからもすごいコンテンツを提供してくれるのは確かだからだ。
運営の用意周到さはりあむが投入される前段階として声のあるSSRで実装された新アイドルの投入という実験を行っている点からも見て取れる。
新アイドルがSSRを背負い、声を持つこと、この反響を試したのだ。
いまのゲームは全キャラクターにボイスがついていてもおかしくない時代だ。
そのうえで、新アイドル全員に声をつけない、というのは予算などではなく、もっと大局的な戦略的判断であると考える。
声がついていて、SSRがあったから、それらをねたむ人間からは憎悪しか浴びなかった。
おそらくりあむの声優は既に決まっている。
りあむは明らかに火中の栗であり、燃え上がってから声優を打診するはずもない。
おそらく鎮火のための施策の提示も含めてのオファーが回っているはずである。
そのうえで、あえて、りあむは、声も、SSRも背負ってこなかった。
りあむが、シンデレラに憎悪を燃やす人間からの票を取り入れるためだ。
暴発寸前の彼らの票を投じる先を用意してコントロールする必要があった。
だがそれはシンデレラになるためではない。
彼女は炎上アイドルとして送り出されているが、実のところ家を壊してでも延焼を防ぐ火消しであるのだ。
彼女こそがシンデレラを最後の最後で守るた、最後の魔法使いだ。
だから、この総選挙で夢見りあむはシンデレラガールになることは絶対にない。
だが、彼女は死なないと私は信じる。
これまでアイマスというコンテンツが切り捨ててきた層(見向きもしなかった人を含む)をこそ夢見りあむという女の支持者にしてアイマスの世界に取り込むこと。
この負けるために生まれてきて、生きるだけで地獄の綱渡りするアイドルを、私は愛そう。
遥か空高く飛び立つ姿と同じぐらい、彼女が燃え尽きて墜落するまでのその姿を見てみたいと思うからだ。
まぁなにかまかり間違ってシンデレラガールになるようにことがあれば、それは私が夢をかなえたファンになるというだけなので、私は全然かまわないのだが。
結局のところ、バカなメンヘラやお姫様気取りの蛙を相手にするよりも、冴えないオタク畑から花を毟るのが楽しい。
就活までにはやめよう、卒業までにはやめよう、働き始めたらやめようと思いながら今年で25になり、今度は20代のうちに辞めようと思っている。
始めのうちは彼女らの悩み事をきいたり、ゲームに付き合うのが純粋に楽しかった。アニメや漫画にでも出てくるのか、自分が好きな哲学みたいなくだらないものに興味を持って話を聞いてくれるのも嬉しかった。
中華を食べながらナポレオンの話をするやつ、見つかるたびに煙草に連れてくやつ、水族館でクラゲを1時間眺めてるやつ、パンダのしっぽは白色だと自慢げに語るやつ、どれもみんな笑顔は素敵で綺麗だった。
まぁ楽しい時間というのは早いもので、1人、2人と経験していくうちにあっという間に飽きがきた。5人目の時だっただろうか、あまりに大きな畑だったらしく、彼らは蜜だけ吸いにくる虫が余程気に入らなかったようで攻撃を始めた。結構傷ついたし、今でも根に持っている。しかし、その時に気づいてしまった。彼らの怒りや嫉妬、欲望の声を聴く方が遥かに楽しいのだと。いつだって弱いものいじめは楽しいものだし、勿論彼女らも強い方を好んだ。
そこから先はもっと早かった。みんなパターンは同じで、音楽ゲームをちょっと練習して、変な煙草を吸って、あとは非日常感を少しだけあげる。本当にそれだけでよかった。彼らには色もなければ、香りもない。ましてや毒など微塵もないのだから。
彼らの怒りが高まりすぎると、彼女らはしばしば謝罪に来た。それがなによりも愉快で、どうしようもなかった。ごめんなさいの一言があれほどに気持ちよく感じるとは思いもしなかった。でもやっぱり、インターネット越しに彼らの叫ぶ様を見る方が楽しかった。優越感はどんなに醜悪であっても良いものだし、陳腐で安い退廃感はさらに彼女らをひきこんだ。必ず勝てるとわかっていても楽しいゲームは良く出来ている。
彼らはなんだかんだと弁えていたし、理解していた。だからこそ、キリキリと鳴き真似をして威嚇した。知り得ない柔らかさや温かみを知っていることが許せなくて恨めしい。理解者としての立場すら奪われて、演劇の木になることに耐えられない。負け犬の遠吠えに興奮するようになるとは思いもしなかった。
なによりも良いのは音楽だった。それに気づいてからは楽器のできるやつばかり選んだ。即興演奏が上手くいったときなんかは特に良い。セックスを越えた理性的な結びつきは実によく彼らを苛つかせた。彼らの音楽ゲームは自慰行為に等しい。ベースが弾けて良かった。
10人を超えたくらいになって、彼女らとよく似ていることに気づいた。何かの拍子に空いてしまった胸の穴をなんとかして埋めようとしているのだと。埋めるための材料がちょっと違うだけだ。悲しいことだが、穴の空いたもの同士では埋め合わせは効かない。何かで埋めて、お互いに塞いだ穴を見てため息をつくのだ。
http://gendainoriron.jp/vol.11/feature/f10.php
千本 秀樹
「よりそう」ためには時間がかかる。明仁天皇はひとりの被災者と数分話しただけでよりそえるのか。明仁天皇に「国民によりそいたい」という主観的な願望があることを、わたしは否定しない。問題は、天皇に声をかけてもらったことで喜ぶ、癒される被災者、それを報道で見て、「天皇は国民によりそおうとしている」と感じる国民の側にある。
水平社宣言の核心は、次の条にある。
過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされた吾等の為の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事実は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒瀆されていた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を労るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の解放運動を起こせるは、寧ろ必然である。
天皇に声をかけてもらって癒された被災者は、そこで天皇とのあいだで互いに尊敬しあえる関係になったのか。明仁天皇の行為は「人間を労るかの如き運動」そのものである。夜間中学生のかるたに、「あったかいと感じたらやばいと思え」というのがある。あったかいと感じるのは気持ちがいい、しかしそれは人間を堕落させる。水平社宣言から学んだものである。問題は天皇と対面した側にある。天皇制は「差別の元凶」といわれる。それは天皇制の構造そのものであるが、それを受け入れて癒される国民の側にも責任がある。社会学の八木晃介は「差別は最大の癒し」だといった。「癒し」は往々にして問題の本質を隠蔽する。天皇と国民一人びとりは水平社宣言の「互いに尊敬する」関係になりようがない。
問題は象徴のあり方ではなくて、国家のあり方ではないか。前号の末尾で、何物にも統合されたくない、何物にも象徴されたくないと書いた。自治と相互扶助を社会の基礎としていけば、国家の象徴は必要ではない。
たまたまテレビで地方の絶景をめぐる旅番組がやっていた。いいなぁ私もこういうところを巡ってゆっくり過ごしたいなぁと思う一方で、妻はそういったことにほとんど関心がなく、そんな妻と一生を添い遂げなければいけない自分は、もう一生こういうところへは行けないんだなと思うと、悲しくなった。うっすらと、妻と別れたいと思ってしまった。
おそらく前兆はあった。
自分より周りが大事という考え方の私と、周りより自分が大事という考え方の妻。
意外と付き合いたてのころはそれがうまく噛み合っていたようで、特段ケンカらしいケンカをすることもなかった。
ただ、その違いにぶつかるたびに、妻は譲らず、私が折れる、ということが多かった。
30代という歳のこともあり、私たちは急ぐように結婚をした。半年ほど前のことだ。
結婚を経て、考え方の違いはギシギシと音を立てるようになった。
生活費の支払いのこと、食事の準備、後片付け、料理の味付け、などなどの細かい部分で考えがぶつかり、そのたびに妻は譲らず、私が折れた。
私は疲れている。
おそらく妻も。
でも結果は変わらない。妻は譲らず、私が折れる。
付き合いたてのころは会うたびに身体を重ねていたが、今は数ヶ月前からまったくない。
性的欲求の強い私は、若い頃からその欲求の強さがコンプレックスだった。
でもどこかで、そのことを理解してもらいたいと思いながら、いま、妻にはそれが伝わっていなかったんだなと実感している。
どこか別のところで思いきり発散したい気持ちも強いが、どんな形にせよ妻を裏切ることになりそうで、夜中のトイレで一人寂しく慰めている。
妻のことはもちろん好きで、愛している。
それは間違いない。
恐らく、妻も私を愛してくれている、と思う。
だからこそ、いま私の抱えている気持ちを、どうすればいいかかわからない。
どうすればいいか、誰か教えてほしい。
生きている意味が「わからない」という理解不足の現状を終着点として結果とするなら
意味を理解できなかったという意を成す「生きている時間」を過ごしたということだよ
何をどうしたって生きているかぎり時間が経過して生きている意味が無尽蔵に
生産されていくんだよ
いまこの瞬間にも生きているものには生きている意味が積層していってるんだよ
無駄に過ごしたという意味や何か人生以外の成果・成果物生産物ができていったり
いまに意味を成す基礎や素材を集めたり作ったりしているなどの意味が発生しつづけてるんだ
そのうえで自分がなにかの目標をもって完遂することを意味として死ぬときに
これを成したという事を期待したいというなら
その最後に生産されたなにかしらの結果をだれにどこにどのように残したいか考えてみて
なにも形に残らないものを作り上げたいという人生を過ごして死ぬのであればべつにつくらなくてもよいのでは
自分がなにかの意味というのは対外的に確認できる自分の関与した時間の成果物なわけで
なにもかもわからないといいつづけわからないことを体現しわからないということの代名詞になるという
ことで後続にわからないという物理的象徴になるのもいいしなにかわかるように努めるのもいいとおもうし
わかっていることをすることもかならず同じ結果になるとはわからないので知っていくことになるし
わかりきった結果に至ったとしてもそれはそこに至ったということを知ることは想像していた時点とは
異なるもので予想と結果はそれぞれ別ものなのでそれを知るためにあるわけ
明日食べるご飯がなにか判っていたとして今日それを食べるわけでもないし明日たべた感覚を先に予想したところで
今満腹にもならないわけで知っていることわかっていることもその時点で知るとなるようにすごしてるんだ
クリスマスはつくられた文化だ、バレンタインデーはお菓子メーカーの陰謀だ、
結婚式は本来あんなにお金がかかるものじゃない、年賀状は郵便局の陰謀うんぬん、
葬式は寺が儲かるために作られた仕組みだなどという友人がいる。
今度、子供の初節句に五月人形を買うと言ったら、そんなものは人形メーカーが仕掛けた文化だと言う。
うん、まぁ事実そうなのかもしれないけど、子供の成長を祈願して五月人形を買うのはそんなに非難されることなんだろうか?
そんなことを言ったら、多くの経済活動や文化、趣味がなくなりはしないか?
先に言っておくと、100%邪推。
けものフレンズ2に悪意があったかどうかという話をする前に確認が必要な3点がある。
1つは「誰の悪意か」もう1つは「誰に対する悪意か」そして最後に「悪意とはそもそも何なのか」だ。
順を追って考察していく。
まず「誰の」。
これはもっともわかりづらい。情報が少なすぎるからだ。内部の、それもかなり上流の意思決定を観測できる立場の人間でないと、これを多少なりとも正しく認識することは不可能だろう。
だが、一般論としてプロジェクトそのものに対して作家性を出せるほど最上流に近い立場がどこなのかはわかる。監督、プロデューサー、原作者、出資者だ。これは大雑把には後になるほど上流にいる、と考えて差し支えない。
じゃあ後の方が…と考えるのはまだ早い。上流に行けば行くほどプロジェクト全体の舵取りができる立場になるのは事実だが、それは個々の部分に手を出すことができないほど図体がでかい、という意味でもあるからだ。原作者にある権利は全てを無に帰すボタンを持っているというだけ、と平野耕太も言っている。
次に「誰に」
これは悪意の存在そのものを否定するのでもなければ論を待たず、「アニメ一期」だろう。ここに「一期のファン」を含める向きもないではないが、流石にそれは被害妄想、というよりは加害者存在妄想と言っていい。そこまでを悪意の射程に収める意味がない、というか入れなくてもそれくらいの被害は出せるからだ。
その上で、考慮に入れなければならないのは一期のさらに前…すなわちNEXON時代のけものフレンズだろう。言うまでもないがNEXONアプリのけものフレンズはなんだかんだであまり成功とは言えず、無料化からのサービス終了という結果になった。この経緯の悪あがき感、そして終了後に放送されるアニメというのを見ても関係者のデターミネイションはかなり強かったと言えるだろう。最初に立ち上げた時点での絵図自体がかなり大きかったというだけなのかもしれないが、だとしてもそれは原因であって否定要素にはならない。
ここで最後っ屁として出てきたアニメ一期が、まったく予想もしない形でとんでもないブレイクを起こした。この誤算はできれば立て直したい(夢物語)であろうプロジェクトにとっての嬉しい誤算かと思いきや、それを主軸にプロジェクト自体を立て直そうとしたら主軸にできなかった、という最悪の誤算が重なる。このたつきヤオヨロズ降板騒動に関しては詳細が全く不明瞭なので言及を避けるが、結果としてユーザーのほとんどの求心力を一手に引き受けるアニメ一期は外様に置かざるを得なくなってしまった。「悪意の矛先」はこのようにして発生した。
そしで最後、「悪意とは何か」
前段の締めで違和感を感じた人もいるだろう。ここでいう「悪意」というのは、「憎悪」「害意」よりはむしろ「恣意」に近い。法律用語の「悪意」であればさらに近いだろう。もちろん法的な話ではないのだが。
すなわち、「座組の上でけものフレンズのアニメ1期を埋葬する必要があった」これがプロジェクトの最上流においてなされた「悪意」の正体だと私は睨んでいる。この必要性の根拠は単純に言って、たつきの代わりは誰にもできないというただそれだけの話だ。たつきを外した穴を埋められるアニメ1期のようなものは(探したのかもしれないが)無かったので、別のもので蓋をしなければならなかったのである。
が、にもかかわらず「サーバルはプロジェクトのシンボルなので絶対に主役で出せ」「一期で得られたメリットは引き継げ」というおそらくは出資者レベルからの要望を取り入れざるを得なかったのだろう。特にサーバルに関する要求は確実にあったと断言できる。その結果として埋葬は生き埋めのリアルタイム実況中継となり、悪意は憎悪に化けた(ように見えた)のである。
そう見えたのはおそらく視聴者だけではない。末端の現場スタッフもそうだったのではないだろうか。セルリアンが絵から現れる実験をした時にハカセのセリフ(としか思えない口調)をかばんちゃんが言っていた、という事案があったが、これは収録が別録りになった時など、間をはかるためにその場にいる人が代わりに台詞を言うなどの手法をとることがあり、その際に発生した音声素材ではないかという説がある。これが実放送レベルで出てくるというのは、相当チェックがザルであったことがうかがわれる。つまりそのくらい現場のモチベーションは低かったのだろう。これを上流視点で見ると、「誰も言うことを聞かない」という表現になる。現場の混乱を理由に挙げる人もいるが、その現場の混乱の理由としては無理なスケジュールよりもこちらの方が大きかったのではないだろうか(というか、厳しいスケジュールが無理なスケジュールになった原因と呼ぶべきか)。
まとめると、けものフレンズ2で起きていたことの背景は「けものフレンズという企画の中核を巡るお家騒動」ということになる。あくまでもここで争っている主体はコンセプトであって、人が、つまり吉崎・たつき・木村・細谷がお家騒動をしていたわけではない。人間がそれをやっていたのはたつき降板以前の段階で、今話しているのはその後の話だからだ。悪意説と悪意否定説が入り乱れている理由も半分はここにあるだろう。「悪意」と呼ぶかどうかが怪しいラインなのだ。私はこれを「悪意」と呼ぶにふさわしいと思うが、そうではない人も多い。
中でも幕末志士という2人組のゲーム実況者の動画、生放送が好きだった。
4半世紀一緒にいた親友同士の軽快な掛け合いと珍妙なエピソードに何度腹を抱えたかわからない。
動画を見ていると、ゲームをしている二人と一緒に笑っている気分になれた。
2019年2月23日の生放送で、幕末志士坂本が活動休止を宣言した。
休止理由かと思われた流出画像については別人だという言及のみで、度重なる炎上の結果心が折れたための休止宣言だった。
坂本休止中は西郷のみの放送、進行中の幕末志士関連コンテンツも凍結。
今まで水面下でのみ進行中だったコンテンツもなぜか放送に載せ、その休止を伝えていた。
報告だけで終わるかと思いきや、その後二人でスマブラSPをプレイして放送終了となった。
非常に混乱した。今もしている。
幕末志士坂本の顔写真や、彼女とされている人の情報には興味がない。
しかし、かといって昨日の放送の坂本の対応に納得できたかと言われればそれも違う。
心が折れてしまった為の活動休止とのことだったが、別人の顔写真が流失した今のタイミングでの休止は
「流出した写真が自分と認めた」という燃料をアンチに注ぐことにしかならないのではないか。
写真は別人だと否定し、写真の相手にも迷惑がかかるため流出をやめて欲しいと釘を刺した上で、
何事も無かったように活動を続けることが一番の火消しになるのではないか。
そんな考えが頭の中にある。
「坂本を信じて待とう」というファンもいるが、むしろ昨日の放送で信じることが難しくなってしまった。
一昨日まで信じていた坂本へ、今は説明をしてほしいという気持ちになっている。
幕末志士が好きだった。これからも好きでいたい気持ちもまだある。
坂本直通のアドレスも消すと語っていた為、義憤メールを送ることもできなくなった。
そして「ずっと待ってます!」というファンの態度に馴染めない自分がいる。
ずっと待っていたい思いと疑心暗鬼で引き裂かれそうな自分がいる。
信者になってしまう前に、アンチになってしまう前に、ファンとしての私の意見をここに残す。
私は幕末志士が好きだ。しかし、今回の騒動に対しての対応と昨日の放送は納得できない。
現役医大生が、2018年話題になった「私立医大 得点差別問題」を考えてみようと思います。
東京医大、志望者めちゃくちゃ減ったらしいですね。むしろまだ志望者がいることに驚いてますけど。
私はまだ実習にあまり行っていないので断言は出来ませんが、まあ、そりゃ女が弱い世界ですよここは。
先輩の女医さんが「なんで医師免許頑張ってとったのに、女だから結婚したからって辞めさせられなきゃいけなかったんだろう。」って愚痴ってましたしね。
女子の方が平均から言えば優秀だと思います。真面目にやってる人が多いから。でも私みたいに底辺ギリギリ低空飛行の女もいるよ。不真面目でも大丈夫だから女子高校生がんばって医学部来てくれ、一緒に女子差別妖怪を倒していこう。
女子差別はまじでクソ。色々語りたいけど語ったら1日語っちゃうから黙るけど、本当にクソ。女だって人間だからな?当たり前だけど。
下駄履いて医学部に受かった男、本当に無理。もう一回ちゃんと受け直してって思う。
でも「不正入試で受かったから男性医師には診てもらいたくない」という意見には反対する。
流石に医師国家試験まで女の点数下げられてることは無いと思うんだよ。(もし差別があるなら、もう海外の医学部を再受験するわ。)
大学に入ったのは不正だったかも知れんが、そこからの努力まで否定して「男性医師は嫌、ダメ」というのはまた違う。
大学に入ったときの学力と、医師国家試験にうかるための学力はジャンルが違うからな。
それを踏まえた上で「不正入試で合格したことを反省したり申し訳ないと思っていない男性医師は嫌」と言うのは別に反対しない。それはそうですよね。
まあ、誰が不正で受かった医師なのかなんて分からないんですけど。
何が言いたいんかわからなくなってきたけど、
①医学部の点数操作はクソ。男女差別してたことが明らかになった私大医学部はUSMLEの認定外されればいい。そして志望者が減ればいい。女の医者の需要は間違いなくあるんだから、男も女も平等に仕事させろ。頼むから。
②かと言って男性医師はクソという短絡的な意見は賛同できない。まあそれなりに国家試験のために頑張ったと思うよ、皆と同じように。大学に入るための成績と、大学での成績と、医師としての素養は別にして考えるべきやで。
あと、浪人生も差別されてましたけど、浪人生が点数減らされることは皆知ってたよね…?とは思いました。ちゃんと公式資料に「我が医学部は女子と浪人生(三浪以上)の点数を下げます」とか書いておけばいいのに。そしたら皆受けないのに。
あとあと、高認から医学部うけてる人も差別されたという話を聞いたのですが、それは本当にクソオブクソですね。「きちんと高校行ってストレートで大学に来る男子しか認めません!!」ってすごい認識ですね、すごいわ(棒読み)
ここに出てくる「あまくない砂糖の話」が気になって視聴してみた。
で、砂糖の歴史の話を見てる時に、砂糖は食した人を中毒にする事で自己の存在を増やそうとしているように見えた。
生命でも無いのに増えようとするその力はまるでウィルスの様ではないか。
ウィルスは自分のコピーを他社の細胞を介して生成するが、砂糖は摂取した人間を介して自分を劇的に増やしている。
より複雑な物をコントロールしている時点で砂糖はウィルスよりも高度な存在に思える。
ここでも小麦が人類を支配しているかのように描かれているが、実際に穀物に含まれるデンプン(砂糖)の影響も大きいのでは無いだろうか。
デンプンが糖に分解できなければここまで人類を支配することは出来なかったのではないか。
他にも中毒になるといえば麻薬だが、こちらも同様に人間を介して自己の存在を増やそうとしている。
こちらは摂取した時の人体への様々な影響が目に見えて分かるため減らす圧力がかかり思うように増やすことが出来ていないようだ。
最初の記事にもあるように、砂糖もその悪性が判明してきて徐々に排除される傾向にあるが、やはり我々は0カロリーの変な甘味のコーラよりも普通のコーラが飲みたいのである。
また悪であるとはいえ脳にはブドウ糖が必要で完全に糖を断つ事は敵わないので安易な砂糖へのヘイト活動は慎むべきであると考える。
宇宙は鉄に収斂していくそうだが、実は砂糖と鉄による有機物対無機物の覇権争いがあるのでは無いだろうか。
我々としてはどちらを応援するか悩ましい所ではあるが、是非とも身近で(宇宙的には)マイナーな砂糖に頑張ってほしい物である。
私の話ではない。
いわゆる上級官僚の天下り先の仕事の一例として、たまたま知ったことだ。
また、コネの力と言っても「コネの力でイージーモードの人生を手に入れた」ではなく「コネの力があると人生はイージーモードにできる」が近い。
某切り込み隊長が「コネってのを誰からに気に入られると人生がイージーモードになる仕組みであると勘違いしている輩が多い」と言っていたが、その意味が飲み込めた。
しかし、やはりモヤッとしたものが払拭しきれないので吐き出させてもらいたい。
とある公共財産を社会的に役立つ形で活用したビジネスをしている会社がある。ちなみに創業者は元官僚とかではない。賢い人っているものだ。
さて、腐っている公共財産が役に立ち、税外収入を産むとなると基本的に自治体も断る理由はないのだが、下記のような問題がある
飛び込み営業が例えば県の部長クラスに「いい話があるんですよ!」で会ってもらえるか。
また「あの話どうなりました?滞ってないですよね?」なんて話ができるか。答えはNO(らしい)
「だれの損にもならず」「理屈としては誰が話しても推進する話」なのだが、まず話の場を設ける、それを継続的に設けるためにコネの力が必要だということだ。
そこで知人の登場である。彼は全国の地方公務員に知己がいる。というより多くは元部下、または元部下の部下だ。
そりゃ話聞くよね。
官僚の天下りってなんのために受け入れてるんだよ、て、これだよ。なるほどね。
さて、時給10000円のお仕事の内約はこうだ。
およその労働時間は1500時間(話から推定)程度なので年収は1500万ほどになる。
ちなみに彼の退官前の官僚ランクからすると天下り先の給与はやや高めらしい。
滞ってる、または新しい開拓先があればそこに務める知人をリストアップ、県内行事などを確認した上でアポを取る。
知人に会い、発破をかける。ついでに部下を紹介してもらいコネを広げる
もともとあまり旅行好きではなかった彼だが、1年で航空会社の上級会員になったと言っていた。コストはゼロ、全て経費だ。
いかがだったろう。
「誰が考えても良い話」を「行政の非効率に対して継続的に働きかけることで通せる」のがコネの力の一旦だ。
まさに、彼に類似した人間にしかできないことだ。人材の有効活用、適材適所である。
いや、それってなにかどこかおかしいんだけど。
最近公開されたアプリの「trickle(トリクル)」について
http://blog.h13i32maru.jp/entry/2018/11/12/092904
このアプリをやりはじめた。
私はTwitterに窮屈感というか「誰かに監視されているようで好きなこともつぶやけない」といった感情を抱いていた。
それでいて、自分の行動記録をプロフィール欄でみるのが大好きだったので、「これはちょうどいい!」と使い始めた。
最初の方は良かった。まさに気兼ねなくアクティビティを記録することが出来た。
それでいてオールアクティビティ(All Activity)で他の人の興味のあることも分かるためにいたので意外な発見もあって楽しかった。
All ActivityとはTwitterで言ったらアカウントを持っている人全員のつぶやきが時系列で流れているようなところだ。
(現在、All Activityにアクティビティを流すか流さないかは選択できる)
Twitterくらいユーザーがたくさんいると気にならないが現在7000人弱のtrickle内ではトリ廃と見られる数人のアカウントが常にAll Activityに居座り、リンク機能でだれかと会話したり絡んだり
絡んでくる、とは引用機能を使ってアドバイスをしてきたり、飴やいいね!のトピックを作ってそこにリンクしコメントすることで「自分は見てますよ」アピールをしてくるということ
その人に監視されているようだし、まるでその人達のためにアクティビティを書いているようでイヤになる。
「だったらAll Activityに流さなきゃいいじゃん」と思う人もいるだろう。
ところがどっこい、トピック自体をそのトリ廃達にサブスクライブ(フォロー)されてしまうとAll Activityに流れなくてもその人のタイムラインには流れてしまうのだ。
つまり、「トリクルをやると居座っているトリ廃に反応されてしまう」という状態。
正直、ほおっておいてほしい。trickleはTwitterではないのだ。
自分の行動を記録してくれ。
安住の地かと思ったtrickleがはやくも私にとって窮屈な場所になっている。
モヤっとしてるんだよ、って話でした。
上司とウマが合わないのが大きいと思うが、自分でも疲れてて環境がおかしいのか自分がダメなのか、よくわからない。
以下まとめて見るので、アドバイスいただけると嬉しいです。
・アラサー女
・この7月から新しい部門に異動し、同じ会社とはいえ業務がかなり変わったので、仕事に慣れていない
・毎日誰かと飲みに行っている
・自分も異動して3ヶ月ほどはできるだけ付き合っていたが、最近精神もお財布も辛いのでやめた
・一緒に飲みに行くと説教される
・長年営業として生き抜いてきただけあって、言っていることは筋は通っていることもある
言われて嫌だったこと
・あるミスをした日に飲みに行くと延々と「お前は仕事ができない」と言われる
・ミス自体は私が確認を怠ったものだったので怒られるのは理解できるが、ずっと同じことを言われるのが嫌だ
・平日夜に予定を入れており飲みに行くのを断った際「平日に予定を入れるなんて生意気な・・・」と言われる(冗談交じりではあるが)
・飲みに行くと部下のだれかの噂話を必ずする。誰々は使えるとか使えないとか。自分にとっては誰もが今先輩で教えてもらっている身なので、同調も否定もしづらい
・飲み会で「女はいいよな」「女は権利を主張する」「強い組織にするには女はいらない」と発言する
・あまりにひどいのでもうそれ以上言ったらパワハラですよ、というと、それ以降しばらく気を使ってか飲みに誘ってこない
・上司が重要書類を紛失したため、不安なので上司の上司に報告したら「お前はちくり魔だ」と以降言われる
・何かを聞き返すと「お前はバカか?」と言われるのがシンプルに嫌だ
・異動したてて、上司と飲みに行って距離を縮めるのも仕事のうち!と思っていたが、距離を詰めすぎた
・営業部の他の女性の先輩は適切な距離を保っているので、そこまであれこれ言われたりしていない。もう少し敬意を払われている
・異動したてて仕事を教えてもらう立場ゆえ、手間がかかるため上司をイラつかせる回数は周りより多い
・異動したてとはいえ入社7年目で即戦力なので自分でやらなきゃという気概もあり、ある程度自分でやろうとするため、上司にすると相談に来るのが遅い
・自分の性格がガサツなので、細かい上司にとっては私の段取り一つ一つが荒く見えているので、手のかかる部下であることは自覚している
・異動先の部門のプロセスや作法に慣れていないので、上の人にお願いする際の段取りが悪かったりで、結局上司に迷惑をかけている
これからどうしたい
・今の上司の下ではどう頑張っても慣れる気がしないので、もはや辞めたい
・夫には相談の上、異動後あまりに愚痴が増えたので心配され、辞めてもいいのでは、とアドバイスされる
・子供を産んだら続けられるのかしら。うまくやってる女の先輩もいるけど、私のキャラだと無理そう
・前の部門ではそれなりに結果を残してやりがいもあったので、辞めるのも勿体無く感じる
大学時代のサークルの先輩でアラフォーバツイチ子持ちのシングルファーザーの人がいて、SNS上で承認欲求ゾンビになっていて非常にみっともない。
・元奥さんの浮気が原因で離婚したのだけれど、離婚に至る経緯を全てFacebook上で報告してた。その際元奥さんへの罵詈雑言を大量に書いていいねを稼いでいた。元奥さんの下着のサイズまで暴露してた時は流石に引いた。
・毎日のように保育園児の娘の写真をインスタとFacebook連動で投稿。同じ構図同じポーズ似たようなコメントで見分けがつかない。
・離婚後しばらくしてから再婚へ向けて婚活を開始したのだが、それも実況中継状態。いい感じの相手が見つかるたびにFacebook上で報告→振られて相手をdisるを繰り返す。シングルファーザーなことにうまくいかない原因を求めていたが、SNS上の承認欲求ゾンビっぷりに相手が引いたんじゃなかろうか。
・婚活の成果が出て最近彼女ができたようだが、彼女とのデートも当然実況中継。デートの日は最低3回はインスタ更新。彼女の部屋に行ったとか、これからホテルでお泊りですとかまで投稿。40過ぎのおっさんが高校生かよ…。
他にも色々痛い投稿を多数繰り返す。投稿数が多いので結構ウザいが、ミュートとかはせずにニヤニヤしながら眺めてる。この間大学時代の友人と飲んだらこの先輩の痛い行動が話題に上った。まぁいい酒の肴になったな。
「いらすとや」による素材が世間に広まった理由は、それがフリー素材であるからではない。それは後付の理由だ。
すべての素材が同じ絵柄で統一されているというのも近いが本質ではない。
からだ。
いらすとやには、老若男女様々な制服を着たキャラクター、パソコンやスマートフォンなどの小物、車両、建物など
利用者が使いたいと考えている素材の大抵のものが揃っているが、そういう一般的な素材が揃っている素材集はごまんとある。
ただ揃っているだけであれば、いろいろなソフトに付属している素材集や、極論を言えば「絵文字」とかでもよいのだがそうはならない。
なぜなら、人は「揃っているとはいえ探した結果見つからなかった」ことを恐れる。
見つからなかったら結局別の素材を探したり、自分で作成(発注)したりする追加の手間がかかるためだ。
ちょっとした社内向け説明資料や、簡単な貼り紙を作りたい場合にこの追加の工数は致命的だ。
いらすとやは、「クソリプのイラスト」や「やりがい搾取のイラスト」や「AIに支配される人類のイラスト」などSNSでバズりやすい社会風刺的なイラストがよく注目される。
「そういう変わったテーマのイラストがあるなら自分が使いたいような普通のイラストがないわけがないだろう」
そうするともう、なにか作るにも「とりあえずいらすとや」になってしまう。
これは、コンビニエンスストア業界があの手この手を使って「大抵の食品や消耗品は、コンビニに行けば多分あるだろう」という心理を消費者に植え付けることに成功したことに似ていると思っている。
いらすとやに対抗したいと思っているイラストレータや素材メーカーはもう「いらすとや」と同じようなマーケティングをしなければならないのではなかろうか。