2019-04-25

anond:20190424231830

生きてる意味はわかってないことをわかるためにあるんだよ

生きている時間について意味が付く瞬間は過ぎた時間

「生きていた時間のこと」つまり死んだとき意味を成すんだよ


生きている意味が「わからない」という理解不足の現状を終着点として結果とするなら

意味理解できなかったという意を成す「生きている時間」を過ごしたということだよ

何をどうしたって生きているかぎり時間が経過して生きている意味無尽蔵に

生産されていくんだよ

いまこの瞬間にも生きているものには生きている意味が積層していってるんだよ

無駄に過ごしたという意味や何か人生以外の成果・成果物生産物ができていったり

いまに意味を成す基礎や素材を集めたり作ったりしているなどの意味が発生しつづけてるんだ

そのうえで自分がなにかの目標をもって完遂することを意味として死ぬとき

これを成したという事を期待したいというなら

その最後生産されたなにかしらの結果をだれにどこにどのように残したいか考えてみて


なにも形に残らないものを作り上げたいという人生を過ごして死ぬのであればべつにつくらなくてもよいのでは

自分がなにかの意味というのは対外的確認できる自分の関与した時間成果物なわけで

石像でも伝説でも子供でもなんでもよいと思うけど

なにもかもわからないといいつづけわからないことを体現しわからないということの代名詞になるという

ことで後続にわからないという物理象徴になるのもいいしなにかわかるように努めるのもいいとおもうし


わかっていることをすることもかならず同じ結果になるとはわからないので知っていくことになるし

わかりきった結果に至ったとしてもそれはそこに至ったということを知ることは想像していた時点とは

異なるもので予想と結果はそれぞれ別ものなのでそれを知るためにあるわけ

明日食べるご飯がなにか判っていたとして今日それを食べるわけでもないし明日たべた感覚を先に予想したところで

今満腹にもならないわけで知っていることわかっていることもその時点で知るとなるようにすごしてるんだ

それがわかったらいま意味ってもの理解したり生み出すとしたら

だれかに託すなにかを残すなどして現時点から立ち去ることか

よくあるパターンのそれっぽい意味らしいものをすでに持っているというなぐさみで心をいやすしかないんじゃない?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん