結局のところ、バカなメンヘラやお姫様気取りの蛙を相手にするよりも、冴えないオタク畑から花を毟るのが楽しい。
就活までにはやめよう、卒業までにはやめよう、働き始めたらやめようと思いながら今年で25になり、今度は20代のうちに辞めようと思っている。
始めのうちは彼女らの悩み事をきいたり、ゲームに付き合うのが純粋に楽しかった。アニメや漫画にでも出てくるのか、自分が好きな哲学みたいなくだらないものに興味を持って話を聞いてくれるのも嬉しかった。
中華を食べながらナポレオンの話をするやつ、見つかるたびに煙草に連れてくやつ、水族館でクラゲを1時間眺めてるやつ、パンダのしっぽは白色だと自慢げに語るやつ、どれもみんな笑顔は素敵で綺麗だった。
まぁ楽しい時間というのは早いもので、1人、2人と経験していくうちにあっという間に飽きがきた。5人目の時だっただろうか、あまりに大きな畑だったらしく、彼らは蜜だけ吸いにくる虫が余程気に入らなかったようで攻撃を始めた。結構傷ついたし、今でも根に持っている。しかし、その時に気づいてしまった。彼らの怒りや嫉妬、欲望の声を聴く方が遥かに楽しいのだと。いつだって弱いものいじめは楽しいものだし、勿論彼女らも強い方を好んだ。
そこから先はもっと早かった。みんなパターンは同じで、音楽ゲームをちょっと練習して、変な煙草を吸って、あとは非日常感を少しだけあげる。本当にそれだけでよかった。彼らには色もなければ、香りもない。ましてや毒など微塵もないのだから。
彼らの怒りが高まりすぎると、彼女らはしばしば謝罪に来た。それがなによりも愉快で、どうしようもなかった。ごめんなさいの一言があれほどに気持ちよく感じるとは思いもしなかった。でもやっぱり、インターネット越しに彼らの叫ぶ様を見る方が楽しかった。優越感はどんなに醜悪であっても良いものだし、陳腐で安い退廃感はさらに彼女らをひきこんだ。必ず勝てるとわかっていても楽しいゲームは良く出来ている。
彼らはなんだかんだと弁えていたし、理解していた。だからこそ、キリキリと鳴き真似をして威嚇した。知り得ない柔らかさや温かみを知っていることが許せなくて恨めしい。理解者としての立場すら奪われて、演劇の木になることに耐えられない。負け犬の遠吠えに興奮するようになるとは思いもしなかった。
なによりも良いのは音楽だった。それに気づいてからは楽器のできるやつばかり選んだ。即興演奏が上手くいったときなんかは特に良い。セックスを越えた理性的な結びつきは実によく彼らを苛つかせた。彼らの音楽ゲームは自慰行為に等しい。ベースが弾けて良かった。
10人を超えたくらいになって、彼女らとよく似ていることに気づいた。何かの拍子に空いてしまった胸の穴をなんとかして埋めようとしているのだと。埋めるための材料がちょっと違うだけだ。悲しいことだが、穴の空いたもの同士では埋め合わせは効かない。何かで埋めて、お互いに塞いだ穴を見てため息をつくのだ。
海月姫なりきり二次創作を断り無くなげこむのやめろよ・・キッショい
音ゲーで釣れるやつのってメンヘラだと思うけど…