「いらすとや」による素材が世間に広まった理由は、それがフリー素材であるからではない。それは後付の理由だ。
すべての素材が同じ絵柄で統一されているというのも近いが本質ではない。
からだ。
いらすとやには、老若男女様々な制服を着たキャラクター、パソコンやスマートフォンなどの小物、車両、建物など
利用者が使いたいと考えている素材の大抵のものが揃っているが、そういう一般的な素材が揃っている素材集はごまんとある。
ただ揃っているだけであれば、いろいろなソフトに付属している素材集や、極論を言えば「絵文字」とかでもよいのだがそうはならない。
なぜなら、人は「揃っているとはいえ探した結果見つからなかった」ことを恐れる。
見つからなかったら結局別の素材を探したり、自分で作成(発注)したりする追加の手間がかかるためだ。
ちょっとした社内向け説明資料や、簡単な貼り紙を作りたい場合にこの追加の工数は致命的だ。
いらすとやは、「クソリプのイラスト」や「やりがい搾取のイラスト」や「AIに支配される人類のイラスト」などSNSでバズりやすい社会風刺的なイラストがよく注目される。
「そういう変わったテーマのイラストがあるなら自分が使いたいような普通のイラストがないわけがないだろう」
そうするともう、なにか作るにも「とりあえずいらすとや」になってしまう。
これは、コンビニエンスストア業界があの手この手を使って「大抵の食品や消耗品は、コンビニに行けば多分あるだろう」という心理を消費者に植え付けることに成功したことに似ていると思っている。
いらすとやに対抗したいと思っているイラストレータや素材メーカーはもう「いらすとや」と同じようなマーケティングをしなければならないのではなかろうか。