はてなキーワード: 鍵っ子とは
最近「痴漢があるって信じてもらえない」みたいな記事が上がってたので、私の経験も書いてみる。
愛しの愛娘が9歳になる頃にはもう少し世の中が良くなってるかもしれない!…と思ってカーチャン頑張って書くよ!
①
青と白の縞々のポロシャツに黄色の短パンをはいていた事を覚えてるので、多分夏のこと。強い西日が差し込んでいたので16~17時くらいかな。
実家のマンションの1階廊下を歩いていた時、「すいません」と男の人に声をかけられた。
グレーのスーツを着て黒ぶちのメガネをかけた人。気弱そうな感じだけど、普通のちゃんとした大人って感じだった。
ちなみに顔は見れなかったので覚えていない。他のことは全部目に焼き付いてるんだけど。
男は「小西さんってお宅がどこにあるか知ってるかな?」と聞きながら私の目の前にしゃがみ込んだ。
(あれ、何これ?何してるの?何か小西さんと意味あるのこれ?)
とフリーズする私。
男は段々スハーースハーーと鼻息荒くなっていく。
その間「そっかー知らないかー…そっかー」
みたいな事を言っていた。
2分くらいで立ち上がってどこかに消えた。
この時は恐怖とかじゃなく、「は?」って感じだった。
けど、何が後暗いことの標的になってしまった事は判ったので、謎の罪悪感から高校生になるまでこの経験を誰かに話すことはなかった。
これを書きながら何度も消そうと思った所を見ると、未だに恥ずべき記憶と捉えているんだろうな。
匿名だから言えるけどこんな話誰にもできないよ(だから痴漢経験談は少ないのかな、書いてて吐きそうである)
②
白いワンピを着て、ピンクの自転車をエレベーターに乗せて、自宅の階まで上がろうとしていた時だった。
エレベーターを閉める直前に男の人が乗り込んできた。
デニムに白いTシャツ。髪はちょっとボサボサ風で、無精髭を生やしていた。
この時はほんの少し嫌な予感がしたのを覚えている。
エレベーターが動き出して実家の階につくまでの数秒の間に、男は私のそばにしゃがみこんで、ひたすら太ももを撫でてきた。
「ごめんねー ごめんねー」
と何故かずっと謝られていた。
その間私はずっとフリーズしていた。
正確に言うと、男が私の横にしゃがみ込んだ時点で体に電流が走ったみたいにゾゾゾッてきて、「あ、やられる」って一瞬で理解すると同時にめちゃくちゃ体が硬直した。やられてる間はひたすら絶望感しかなくて、自転車のグリップをぎゅーーっと握りしめてた。
森でヒグマに会って突進された時とかって、ああなるんじゃないかなと思う。
しかも笑えるんだけど、エレベーターが到着して私が降りる時、私は男に「さようなら」と声をかけた。
エレベーターで一緒になった人には挨拶するようにと親に言われていたから。
さっきまで勝手に太もも撫でてきたやつにご丁寧に挨拶してしまうほど私の頭はフリーズしていた。
男が私と一緒にエレベーターを降りて家までついてこなかったのが不幸中の幸いだった。(鍵っ子だったから)
両方とも、やられてる時の事とかもっと詳しく言えるんだけど、20年以上経っても手が震えるから簡素な描写になってる。
ちなみに、年齢が1桁だった頃の記憶でここまで鮮明に覚えてるのはこの2つだけ。
これ以外の痴漢もあるけど、この2つは幼少期だった事もあってか、何か自分自身がグチャグチャに踏み潰された気持ちが強かった。
怖いよね、9歳で自尊心とか全能感とか全部グチャグチャにされるのよ。
性犯罪はもっと厳罰にして、GPS埋め込んで更正プログラムでビシバシやってもらいたい。
この男達は絶対に私以外にもやってるだろうし。
あと子供に、性犯罪にあった時は罪悪感なんか持たなくていい、1人で抱え込まずにすぐ親や先生に訴えること。って教育した方がいいと思う。
まー長くなったけど、
男の人の協力がないとこういうのは改善されないだろうから、少しでも共感してもらえるといいなぁ。
自分で「ヒグマに突進される」って書いてて結構しっくり来たので(最近見た「レヴェナント」でディカプリオが熊に襲われるシーンに感じた絶望感と似てた)痴漢は捕食される恐怖と似てるかもしれない。
参考までにー。
なのかどうかは分からないけど、相対的にはそこそこ良いポジションで社会人に居ることができている。
もともと、教室の片隅でなんとか出席していただけの陰キャラが、他のメンバーの状況を勝手に判断しているだけにしか過ぎないけど。
本音を言えば、そう思うことでしか自己解決が出来ないだけだが。
小学生時代はそこそこイケイケ、中学生になるにつれ微妙に思春期を拗らせ、周囲とはうまく絡めず
休み時間は寝たフリをして机に突っ伏し、昼休みは自宅に戻ると言う鍵っ子だった。
なので、そもそもこの同窓会に参加したのもある種偶然というか、少なくとも当初の名簿には俺は存在して居なかったの無かったのだけど。
小学生時代の知り合いが名簿に俺を追加してくれたらしく、連絡が来て、同窓会に参加することになったわけだ。
ちょうど仕事で地元に戻る都合があったので、まぁついでなら、と思って参加した。
そこでは、昔の中高の青春について語るのがある主目的なのだから、そうなんだろう。
だけど、クラスでウェイウェイ系であった奴ほど、余りい良い現状には居ない。
明確には語りたがらないが、無職だったりフリーターだったり、ブラック派遣だったりする。
これらの境遇を差別的にみるわけではないが、ってここでそんな取り繕いに意味はないので、
まぁ、大変だな、って境遇にいるやつばかりだ。
中高と人と余り同級生と関わらず、無駄に勉強とかしていたからかどうかは別として
今だけを見れば、それでよかったんだ、
そう、あの時のつらさや青春を体験できなかったのは意味があったんだ
なんて、そう思う。思いたい。思わないとやっていられない。
結局、現状のステータスで、彼らよりも上だ、そう思わないと何というか、やりきれないんだ。
今はそこまでイケていないと勝手に思わざるを得ない彼らの語る青春は楽しそうだし、羨ましい、というのが結局の本音だ。
齢30を過ぎた今は周囲からある程度モテるような現状は認識している。
だけど、20代後半で初体験をした時に感じたそれは、なんか難しいな、と思うだけで喜びも驚きもなかった。
曰く、「青春なんて幻想だ、あんなものは実際無いんだ。」なんて。
だけど、同窓会で楽しそうに語る彼らの中には、実際あるように見えたし、少なくとも俺には無いということは分かった。
今こうやって、あこがれていた恋愛だのなんだのに遅れて参加しても、メンドクサイだけに思えてしまう。
それに、今はイケていないにせよ、彼らの多くは家庭持ちだ。
俺自身、家庭を持つということに対して自由を失うデメリットを引き算すると、あまり積極的になれない。
聞くに彼らは青春の勢いで恋愛し、結婚し、小作りし、家庭を持っているのだ。
価値観の多様化した現在において、その手のライフスタイルが必ずしも正道ではない、と言われていたりする。
これもネットを中心に。
まぁ、そうだよなと思う一方で、本当にそうかと思う。
結局のところ、青春を謳歌できなかった人間は人生において違うルートを歩まざるを得ないのではないか。
結婚した奴らが言うに
「この人と一緒に居続けたい、そう思ったから。」
というのが、その理由らしい。本当かどうかはさておいて。
今の俺には、恋愛というらしいことをする相手にそうは思えない、思えたことがない。
ただ、通れなかった道を振り返ると、思うんだ。
結局、青春を謳歌せずに、ジメジメした10代を過ごしたのが結局のところの原因だって。
分からないけど、あの勢いだけで走り抜けることのできた青春時代に走ることができれば
今がどうあれ、少なくとも大きな思い出という過去を持つことができるんじゃないかって。
結局俺は今のこの職業、そしてそこでそれなりにやれるという思い込みしかない。
過去には何もないんだ、今をすり減らして生きているだけなんだ、と思った同窓会。
そして俺は過去もなければ、未来に何かを今後残すこともないのであろう。
あぁ、あの時青春の道を通れなかったばかりに
と。
みんなが絶賛してるラスト、ともやの父親がこどもともやと手をつないでる一枚絵が出る瞬間
個人的には、は?って感じできょとんとなって感動どころか意味不明だった
まずそこでズレを感じたんだよね
もうそこで完全に俺は鍵っ子じゃいられなくなったんだなって思ってしまった
もうあのノリとストーリーとキャラが全然だめでまったく面白くも感動もなかった
リフレインまでプレイしたけど最後までめっちゃ冷めた目で見てた
きょーすけたちが号泣しながらなんかセリフいってるところもヘラヘラしてなにこいつないてんのおおげさすぎwwwって思ったり
ABもアニメみたけどひどかったし
そういう意味では卒業とまではいかないのかもだけど、あくまでも思い出の中の鍵っ子でしかなくなってしまったんだよね
萌アニメもそうだけどやっぱり年取って趣味嗜好が変わるってほんと嫌なものだよ
こんな斜に構えて馬鹿になんてしたくないのに
これはひがみなんだ
さげすみじゃない
専業主婦が批判される世の中になってきた。でも、いざ女性が働きにでてみると、今度は残業で両親ともに仕事が遅くなるのは子供が可哀想と言われる。
なんか色々言われるご夫婦は大変だなと思う。
まあ、別に専業主婦でもパートでも時短でもガッツリ働くOLさんでもいいんだけど。
親が共働きで両親の帰りが遅いと、子供が可哀想って誰が決めたの??
私は子供の頃から両親共働きで、父も母も夜8時以降にしか帰ってこない生活が何十年も続いているけど、まったく可哀想と思ったことないけど。
十分な教育を受けさせてもらい、部活だって制限されたことはない、朝はお弁当だって作ってくれてる。お夕飯は家族みんなで毎日食べる。
お父さんもお母さんも協力しあって家事を分担しているから、朝ごはんとお弁当(三人分)はお父さん、朝の洗濯とお夕飯はお母さん、ゴミ捨てやお米とぎは私。お掃除はお休みの日にみんなで。
部活が早く終わって帰ってきて、お夕飯までお腹ペコペコでも、軽く納豆ご飯とか食べて、またお夕飯は一緒に食べるし。(ガッツリ体育会系なので、ご飯三杯は普通です)
ずっと鍵っ子ってやつだけど、兄弟もいるから寂しいと思ったことなんてない。
寂しいと非行に走って不良になるとかないよ、不良になるやつは元からそういうやつなんだよ。
両親が頑張って働いてくれてるって知っているから、別に不満なんてないもの。
お父さんともお母さんとも夕飯の時に、毎日沢山話をするしね。
遅い時間にご飯を食べると栄養がって言う人もいるけど、私は高2で身長164cmあるよ!運動沢山しているからお腹も割れてるよ!!
成績だってちゃんと良い!まあ、クラスの中の上くらいだから、普通だけど。でも部活だって頑張ってて、両親とも仲良くて、たぶんめっちゃ普通の家庭だよ。
だから、鍵っ子可哀想とか、キャリアウーマンの子供は可哀想とか、子供が可哀想だからって理由で共働き家庭を叩くのをやめてほしい。
専業主婦を責めるくせに、社会で働いて残業とかいっぱいしてるお母さんたちを、まるで子供への愛情がないみたいに責めているのを観ると悲しい気持ちになるよ。
両親共働きで寂しい思いをした子供張本人ならわかるけどさ、体験したこともないのに、勝手に子供を引き合いにださないでよ。
昔はみんなの歌で家の前の道路で元気に遊ぶ子供達の映像が流れてた記憶もある。
親も昔よりずっと子供にくっついて、年長の子供に親が付き添わず近所の公園で遊ぶような、昔なら問題なかったレベルで今なら非常識な親や放置子になる。
赤ちゃんを一人家に残して買い物に行く母親も今ならキチガイだ。
学童もきちんと使い働く母親は激増しているのに鍵っ子は減っている。
なのに、ネットで嘘松臭いそんなん見た事ねぇよレベルの子供や妊婦叩きネタが頻繁に上がり、今時の親は躾がちゃんと出来てないですからね、私達の頃は道路で遊ばないようしつけられてたのに今時は、今時の子供は変なのばかりですね等々サンドバッグにされる。
こいつらに子供のころにやらかしてる瞬間の自分を見せてやりてぇ。
ウザいなぁ。
同じアパートに住んでた幼馴染、Aちゃんと妹のBちゃん
めちゃくちゃ可愛くて大好きだった。本当に好きだった。Aちゃんがだいすきだった。
Aちゃんのおばあちゃんが習字教室をやってて、そこに一緒に通わない?って誘われて、幼稚園の時から行くことにした。毎週土曜日、13時くらいから15時くらいまで。AちゃんとBちゃんが前の席、私は後ろ。
よく考えなくても当たり前だけど、私だけ他人。AちゃんBちゃんは大好きなおばあちゃんから教えてもらえて、楽しそうだった。私にとっては知らない人だから、すごく緊張した。けど行き始めたし、Aちゃんが大好きだったから通い続けた。
おばあちゃんからしたらそうなるのは当たり前だけど、私よりAちゃんBちゃんをよく見て、指導して、ひいきした。私は放置が多くて、おばあちゃん!増田ちゃんもみてね!とかAちゃんが言ってた。でもしょうがないよね、先生から見たらAちゃんBちゃんは可愛い孫、私は他人なんだよなって子どもながらにぼんやり思った。
習字教室は学区外にあった。通い方は、私は鍵っ子だったので自転車で来て帰る。雨の日は1時間とかかけて歩いて行く。AちゃんBちゃんはお母さんによる車での送り迎えがあった。
初めは気にしていなかったけど、小学校6年間それが続いたのはけっこうつらかったんだと思う。
AちゃんBちゃんは小学校入る前くらいに大きな一軒家に住み始めた。庭のある大きくて綺麗なおうち。おとうさんの趣味だという豪華なキャンピングカーなんかもあった。お金持ちだ。
対する我が家は当時はかなり珍しい共働き。ずっと鍵っ子だった(クラスに鍵っ子は私だけだった)。しばらくアパート住まいだったけど、お金が無くなったり色々あって、恐ろしいほどぼろぼろな平屋に引っ越した。風が吹き込み、トイレのドアは薄くて変な木で出来てて勝手に開いた。毎日サバイバルな生活ができる家だった。狭くて、二段ベッドの上しかパーソナルスペースがなかった。でもその家は好きだった。夏休み、毎日庭でひまわりと一緒に過ごせたから。
普段遊ばない友達が家に来たいというのであげたら、その子は偵察部隊で、うちのボロ屋をたくさん観察して、帰ってお母さんに報告して、私のぼろぼろのおうちの話は一気に広まった。そんなことするひともいるんだなと思った。
AちゃんBちゃんはすごくかわいい。本当に可愛くて、いい子で、大好き。おばあちゃんにも愛されてて、習字の後の筆もお湯で洗ってもらえる。私は他人だから洗ってもらえなくて、たまーにAちゃんが増田ちゃんの筆も洗おうよって言って、洗ってくれた。でもほんとうに申し訳なかったから、大丈夫だよ、家で自分でやるよって断ってた。家はお湯が出なくて、水で洗うから冷たかった。
雨の日、かさをさして歩いて帰るけど、小学生には習字道具が重かった。AちゃんBちゃんは車でばいばーいって私に手を振ってくれた。家の方向が真逆なので、私も手を振って別れた。早く帰らないと寒いし、重いし、冷たいし、風邪を引いてしまう。雨はしとしと降り注いだ。
おばあちゃんの家にはおじいちゃんもいて、そのおじいちゃんは明らかに私に気を遣ってくれた。帰り際、私にだけこっそりぽたぽた焼を渡してくれたり、ある時はナイショで自転車の後ろに乗せて家まで送ってくれた。すごく優しかった。
Aちゃんは私にもいつも声をかけてくれて、優しくて、可愛くて、お菓子もくれて、きをつかってくれてた。おばあちゃんも、きちんと習字を教えてくれた。そのおかげで今綺麗な字を書けている。おじいちゃんも、ほんとうにすごくやさしかった。
そのはずなのに、その頃のことを思い出すとぼろぼろ涙が出てしまう。大好きなAちゃんとの思い出がたくさん詰まってるのに。いろんなお話も出来て、楽しかったはずなのに。
帰路、なんであんなに泣きながら帰ったんだろう。
Aちゃんちはお母さんがむかえに来て、お休みの日は家にお父さんもいたけど、なんでうちはお母さんの休みの日はなくて、お父さんは週に一度、木曜日20時から10分、宅配の仕事の合間にしか会えなかったんだろう?
がんばっておしごとしてたんだからしかたないじゃん。お父さんのせいじゃないでしょ。私ががんばって我慢すればよかったじゃん。全然会えなかったけど、どこにも出かけられなかったけど、みんな休み明けにお土産くれる中一度もおかえしできたことないけど、仕方ないじゃん。グアムのお土産とか貰いっ放しだったけど、夏休みは家と近くの公園を行き来してたけど、しかたないじゃん!
誰も悪くないよ!だれもわるくない!習字のせいにするのやめろ!悪くないじゃん!悪くないのに
そうやって人のせいにする
そういうところ よくないよ
あなたの自己肯定感は全くない、もしくは著しく低い。最近、そんなことを言われた。
みんな悪くないのに、この話が原因かもなんて思ってしまう。今思い出しても涙が止まらなくなる。悪いのはこういう解釈しかできなかった私。みんなごめんなさい。元気になローソン。
これは、典型的な「自分でやっていない、なにやら盛り上がっている作品を、気に食わないと上から目線で批判する文章」だ。
本文は『月姫』と『Fate/stay night』のネタバレを含む可能性がある。特に『Fate/stay night』原作を未プレイで、劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel]』の続きを楽しみにしている人は、ネタバレを含むため読まないでほしい。
私が奈須きのこの作品と出会ったのは2003年。月姫、月姫PLUS+DISC、歌月十夜の3作が収められた『月箱』であった。いわゆる型月ファンとしてそれほど古参というわけではない(型月における古参とは、竹箒に連載されていた時代の『空の境界』読者――とまでは言わないものの、最低でも2001年には『月姫』に触れたレベルを指すものだろう)。当時『ONE』『Kanon』『AIR』に心酔する所謂「鍵っ子」であった私は、もちろん月姫の噂は聞いていたものの、手を出すきっかけを掴みかねていた。月箱が頒布されたのは、そんなときである。歌月十夜まで一揃えで化粧箱に収められたそのパッケージは、初めてのTYPE-MOONとしては最適であった。同時期、彼らが商業へと移行し、次回作「Fate」は商業ゲームとしてリリースすることを発表したことも背中を押した。群雄割拠のエロゲ界についに鳴り物入りで乗り込んでくる新進気鋭の代表作を、体験しておかねばならぬと考えたのだ。
『月姫』は衝撃であった。連綿と積み重ねられてきたビジュアルノベルや恋愛アドベンチャーゲームの文法に沿っていそうに見えながら、しかし決定的に異なる「それ」は、私に新しい刺激を与えてくれた。私はシエル先輩が好きになった。この文章を打っている2018年に至ってなお、人生のオールタイムベストはシエル先輩だと胸を張って言える。もちろんそれだけではない。ファーストインパクトとなったアルクェイドが醸し出す寂しさを、そして、ひまわり畑で微笑む琥珀さんの愛おしさを、今なお昨日のことのように思い出せる。
月姫の魅力のひとつに、不思議なノスタルジーがあると思っている。あの文章とグラフィックと音楽には、懐かしいナニカを思い出させるものがある。去り行く少年時代を描いた作品だからだろうか。遠野邸の遠い記憶がそうさせるのかもしれない。
PLUS+DISC、歌月十夜まで一気にプレイした私は、そのまま『MELTY BLOOD』も楽しんだ。シエル先輩を動かせるのが楽しかった。弓塚さつきの話が出ると抜き身のナイフのようになる志貴を思うと切なくなった。琥珀さんが楽しそうで涙が出た。G秋葉でゲラゲラ笑った。
したらばのTYPE-MOON板にも入り浸った。それまで葉鍵板が主戦場であった自分が。当時、すでに「月厨」は鬱陶しい存在として認知されていた。私は努めて無関係な場ではTYPE-MOONの話をしないようにし、型月板でその分、目一杯、楽しんだ。たくさんのアンソロジーコミックにも手を出した。武梨えり、佐々木少年、磨伸映一郎……(そういえば特に好きだったこのお三方はみな現在も商業作家として活躍中であり、同時に、シエル先輩ファンであった。当時、武内崇は「シエル先輩が好きな作家さんは漫画力が高い人が多い」というような趣旨の発言をしていた記憶がある)。
だが。不思議なもので、このとき私は『空の境界』にはハマらなかった。もちろん原作は読んだのだが。当時、マルチシナリオ形式のビジュアルノベルに未来を見ていたためか。あるいは、純粋に趣味に合わなかっただけなのか。後年、空の境界はアニメ映画化され大ヒットを飛ばすことになる。
2004年、ついにTYPE-MOONの商業作品第一弾『Fate/stan night』がリリースされる。もちろん発売日に予約して買った。事前の雑誌での情報を見ていて、藤ねえがお気に入りだった(まさかあんなことになるなんて)。ライダーさんはビジュアルだけ見て絶対にアサシンだと思っていた。体験版の段階でクオリティが大幅に上がっていることは明らかだった。心が躍った。世界が変わる瞬間が、目の前にあった。
魔術師と英雄が跋扈する本作を終えて、私は思った。私は優秀な魔術師でも高潔な英雄でもなく、なんでもない、取るに足らない、醜い人間が好きなんだと。だから私は、間桐桜と衛宮士郎の物語が好きになった。
桜は魔術師ではあるが、本作においては魔術師としてよりも、もっと違う存在として描かれる。衛宮士郎もまた、魔術師ではなく魔術使いとして描かれる。そしてラストシナリオである桜ルートでは、桜は家族の呪縛から解き放たれて人間として生き始め、士郎は正義の味方に憧れたロボットからひとりの人間に生まれ変わる。魔術師と英雄が闘い続けた果てにたどり着いたのが、ふたりの人間の、人間としての歩みであったことは、とても感動的で、同時にこれが、奈須きのこが幻の弓塚さつきルートで実現しようとした未来なのではないかと想像した。
そして絶望する。ご存じの通り、桜ルートは批判された。当時の型月板は荒れた。セイバールートと凛ルートが絶賛されるとともに、桜ルートは徹底的に批判されたのだ。
イリヤスフィールの物語とオーバーラップして主題が分かりづらいという主張には一理ある(一説にはイリヤルートを作るリソースが間に合わず、桜ルートに混ぜた、と言われている)。描写不足であるという批判も、ある意味では仕方ないだろう。だがそれ以上に、ファンたちは、「多くの人間を殺しながら幸せなエンドを迎える桜」と、「正義の味方であることを諦めてセイバーを犠牲にした士郎」を批難した(正確には、彼ら2人に対してというより、そのようにある物語を避難した)。私は憤慨した。衛宮士郎の、何を見てきたというのだ。
正直に言うならば、私はセイバールートや凛ルートの衛宮士郎が嫌いだ。凛ルートの遠坂凛も苦手である。はっきりと言ってしまえば、物語として楽しみながら、登場人物たちに対しては苦々しい思いを抱き続けてプレイした。そんな彼らが、桜ルートで丸ごと好きになった。桜ルートでは、みな、人間として生きている。それが愛おしかった。
同時に、TYPE-MOON作品のふたつの側面のうち、ファンに望まれる側と、望まれない側が見えた気がした。考え過ぎかもしれないけれど、私がより好む側は、望まれていないように見えた。
これ以降、私はTYPE-MOON作品と少しずつ距離を置くようになっていく。厳密に言えば『Fate/hollow ataraxia』は心から楽しんだ(アンリマユとカレン・オルテンシアの物語はとても好みだ)。だが、『DDD』は未読、『Fate/Zero』は同人誌として頒布された際に1巻だけ読んで断念、『Fate/unlimited codes』『Fate/EXTRA』には手を出さず、期待した『魔法使いの夜』はプレイしたものの、それほど心惹かれなかった。この間、各種メディア展開で楽しんだものは、佐々木少年による漫画版『真月譚 月姫』のみであった。パスタ先輩のことは一生許さないよ。
時は流れ、2014年7月27日。もうTYPE-MOONに何の期待もしなくなった私は、それでも「Fate Project 最新情報発表会」をニコ生の中継で見ていた。そこでUBWのテレビアニメ化や『Fate/strange fake』の正式出版化に並んで、ひとつの新作が発表された。『Fate/Grand Order』。通称FGO。ついにソーシャルゲームをやるのか、と私は冷めた目で眺めていた。むしろ発表会本編終了後のサプライズ、Heaven's Feel の劇場版制作決定の発表の方が魂が震えた(今でもあの瞬間の、観客席からの絶叫と、涙を流しながら挨拶をする下屋則子さんの姿をよく覚えている)。
私はソーシャルゲームをほとんどやらなかった。手を出してみたことはあるが、純粋に楽しみ方が分からなかった。というよりそれ以前に、私はいわゆるオンラインゲーム全般が合わなかった。だからFGOが楽しめるかどうか不安だった。2015年、サービス開始に合わせてダウンロードし、序盤をプレイした。だめだった。まったく合わなかった。どう頑張っても楽しむことができなかった。私はFGOをアンインストールし、Twitterのタイムラインに流れてくるFGOプレイヤーたちの悲喜こもごもを眺めるだけになった。年を重ねてしまった、と感じた。
やがて、現実の人間関係の中でも、FGOの話題が上がることが増えてきた。2016年末のイベントの様子はTwitterでも見ていたが、彼らはとても熱っぽくFGOがいかに面白く、衝撃的で、とてつもないかを語った。私は羨ましかった。もうTYPE-MOON作品でこんなにも熱く語れることはないだろう。そう思った。
私はFGO本編をプレイしていない。いろいろと明かされたアレやソレを、なんとなく知識で知っているだけだ。そうした立場で評価するのは御法度であろう。それでも私はFGOが気に食わない。これは負け惜しみだろうか。それともただの老害でしかないのだろうか。私が好きだった奈須きのことTYPE-MOONの描く取るに足らない人間たちの物語は、もしかするとFGO本編でも繰り広げられているのかもしれない(琥珀さんルートや桜ルートが好きで、かつFGOのシナリオがそれと同様に面白い、という人がいたら、ぜひ魅力を語ってほしい。皮肉ではなく、ぜひ知りたい)。だけれども、数多くの英雄がスマートフォン上で戦い続け、それをプレイするファンたちが嬉々としてお気に入りの英雄が引けたことをTwitter上に報告する様子を、どこか冷めた気持ちで眺めてしまう自分に気付く。私がTYPE-MOONに求めていたものは、これだったのだろうか? 幾度となく繰り返されてきた、単に自分が望むような創作から外れていってしまった存在を寂しく思うという、これはきっとただそれだけのことなのだ。つまり、八つ当たりと取ってもらって構わない。
劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower』は、公開初日に映画館に観にいった。素晴らしかった。須藤友徳監督の、間桐桜と桜ルートに対する圧倒的な「理解」に目眩がした。アバンで桜と士郎の「それまでの日々」をたっぷり描いた時点で、完全に勝利だった。FGOで得た利益でこんなにも素晴らしい映像作品が作れるのなら、FGOに感謝すべきであろう、などと思った。第二章も楽しみだ。
聞くところによると、FGOの世界には死徒二十七祖(という概念)は存在しないそうだ。私が好きだった奈須きのこワールドとは違う世界がそこにあるのだな、と改めて思った。繰り返すが、これはただの八つ当たりだ。
2017年末も、FGOは盛り上がっていた。きっと酸っぱいに違いないと、私は新年からこのような文章を打っている。2008年4月、月姫リメイク制作決定が発表された。今年、ついに発表から10年が経過する。優先順位があることくらい私だって理解できる。だからもう「月姫リメイクはよ」とは言わない。そのようなファンに耳を貸す必要だってない。FGOを楽しむ人々に向けて頑張っているスタッフの皆さんに、おつかれさまです、と声をかけたい(年始メンテおつかれさまです)。FGOという作品を批判する気もない。そもそも批判できるだけの素地すらない。何しろ、プレイしていないのだから。本当に申し訳ない。
結局のところ、私はTYPE-MOONが、奈須きのこの世界が好きだったのではなく、ただ『月姫』という作品が好きだっただけなのだろう。あるいは、月姫が生まれた、あのころが。
http://anond.hatelabo.jp/20170308115616
この元増田です。
トラバやブコメを見て、いろんな○○っ子があるのだなぁと、関心してしまった。
それらを読んでいるうちに、○○っ子という用法はいくつかに分類される気がしてきた。私なりに勝手に分類したので、もっと的確な分類があればご指摘ください。
1.(地名)っ子:江戸っ子、博多っ子、浜っ子、都会っ子 など
2.(動詞)っ子:いじめっ子、いたずらっ子、憎まれっ子、売れっ子 など
4.(家族関係)っ子:一人っ子、末っ子、姪っ子、甥っ子 など
皆様ご協力ありがとうございました。
僕らはみんな、「はてなっ子」ですね。
昔の方がずっとゆるかったよ。
幼児だけで遊んだり、子供達が道路で大声出して遊んだり、赤ちゃんだけ家に残して買い物も普通にやってたし、あとお互い様とか子供のやったことって価値観があって子供のやったことに弁償だなんだと騒ぐ人がそんな居なかった。
ドラえもんの空地で野球やって窓ガラスを割って逃げる子供達や、壁に落書きをする子供達なんて今はありえない。
親と話してたらゆるすぎてビビるもん、赤ちゃんが寝てる間に買い物行けばとか、子供の賠償保険を考えてるって言ったら子供のやったことに弁償なんて言う人いないでしょって笑われりとか。
父親が赤ちゃんを見ないしバリアフリーが進んでないから連れて買い物にいけないとか、赤子を背負って和式トイレとか、乳丸だしで公開授乳が普通とか、昔のが厳しいところはあるけど、人は今の方がずっと厳しい。
口に出して言えないから、書く。
祖父と母親はずっと働いていたが、祖母は専業主婦だったので母子家庭にあるいわゆる鍵っ子にはならなくて、祖母に感謝である。
父親代わりに思っていた祖父には、中学生ぐらいから反抗し、結局高校を卒業して東京の大学へ行く車の中でも、なんとなく無言だったような気がする。
ウチは決して裕福ではないけども、東京に来ては、事あるごとに親に電話して金を仕送りしてもらっていた。
東京での俺の生活はひどいもので、週に何人も違う女の子を家に呼んでいたり、
貰う必要のない仕送りを、東京の生活はつらいと言って今でも実家から3万円もらいながら社会人をしている。
肺がんからの全身転移で、持って半年と聞いていて、急いで帰省した。
格安航空券を探して、航空会社のHPで見た正規料金をもらい、差額で遊んでいた。
春に帰ったときはまだ元気で、思春期ぶりぐらいにまともに話したと思う。
ただ秋口、亡くなる一ヶ月前ぐらいにもう一度帰ったときはもう話すことすらできない状態になっていた。
しっかり受け答えしていた祖父はどこへいったのか、口をポカーンとあけて目をつぶってあ・・・あ・・・というだけになっていた。
深くにも手を握ったとき、ぎゅっと握り返されたときは泣きそうになった。
その時は、ちゃんと真面目に生きようと思ったんだ。
また飛行機の差額分で遊ぶようになっていた俺。
時々自分が恐ろしくなるほどの畜生だという自覚はあるが、止められない。
腕時計がないと言って、腕時計コーナーをみた。1万ぐらいのカシオなら買ってくれそうだったが、20万以上の時計をみていた俺。
ただ、金をためて買うから、といってじゃあ今カシオを買ったことにして1万くれと言った。
東京に戻ってきてから、ユニクロのカシミヤセーターが半額のCMを思い出して、これ買っといてと母にLINEしたら、わかったと返事がきた数分後、
ATMにお金がなかった、、ごめんね、、来年買ってあげるからねと返信が来ていた。
母がこの先一人になったときに、支えていけるのだろうか。支えていこうという気持ちは生まれるのだろうか。
こんな鬼畜な所業を繰り返していて、自分の人生はこの先明るくないだろう。
どうすればいいんだろう俺は。
共働きの家庭で育って小中学校とずっと鍵っ子(死語?)だった一人として言わせてもらうと
家に帰って親がいないという自分だけの時間があったことが今になってすごくよかったと思ってる。
まわりは専業主婦が多くて毎日帰るとお母さんかお祖母ちゃんが待っててくれる同級生をちょっとうらやましいと思ったこともあったけど
逆にいつも家で監視されてるみたいでやだなあとも思ってた。
もっとも当時は共働きといってもそこそこ労働環境がきちんとしていたので、母親は6時ころ、父親も8時には帰って来てたので「待ってれば帰ってきてくれる」という安心感はあったけどね。
裕福な生活はさせてもらえたし。
自分をとりわけ不幸と思ったことはないよ。
中3だった
当時よくあるCDDAによるBGM再生でCD持ってなかったらBGMがでなかった
それでも面白かった
Kanonは大人になったら絶対やる!って思ってたけど、高校在学中に友達が持ってたから借りてプレイした
タイトル画面から一気に心をぎゅーっと持ってかれる朝影好きだった
大学ではAIRの完全版が出たから買って初めて音楽付きでやった
音がなかったからこその感動・若い時の体験の鮮烈さのほうが大きかったんだろう
だいたいは楽しめたけど、長すぎてちょっとしんどかったのと、最後のグランドエンディングっていうんかね、あれで子どものともやが父親と手を繋いでる一枚絵の感動がやばい!!!ってのが世の感想の大半を占めてたけど、自分はまったく感動できなかった
ちゃんと感情移入してプレイしてればそうはならなかったのかもだけど
そこからだ
その後リトバス買ってプレイしたけど、徹頭徹尾まったく合わなかった
薄ら寒いギャグ、だーまえの野球ネタおしつけ、友達グループの馴れ合い・・・
少しセルフ擁護するなら、リトバスは普通の恋愛ゲー、ハーレムゲーというよりかは同性の友達多数がいるってのもでかかった気がする
kanonnairクラなどはなんだかんだで同性ほとんどいなかったし、東鳩から始まる親友一人だけ、もしくは同性ゼロとかもザラだったし
こんなゲームをやる人間にとってリトバスはまぶしすぎただけなのかもしれない
そんでリトバスの頃には、それを楽しむオタクもライト化・リア充化してて、教室の隅っこで固まってるオタクグループしかプレイしないものではなくなっていたのかもしれない
まあそんなのはどうでもいい
年をとったせいか、他にもいろんなえろげーしたせいか、ラノベ、深夜アニメをよく見るようになったせいか、とにかくだーまえの感性に合わなくなってしまった
AB!のアニメも一応全部みたけど、最初から最後までいまいちだった
おふざけとかギャグのレベルがことごとく低く感じられてしまった
あ、智代アフターは一応やった
ラストのラストでトンデモな終わり方する以外は空気な作品だった
でもこれをきっかけにマルマルアフターってのが一時期増えてた気がする
ああ語れば語るほど思いがあふれてくる
自分にとって大きな影響を与えてくれたのは確かだった
ただ世間ずれしてしまった自分はあまりも無邪気すぎる世界は受け付けなくなってしまった
oneも同棲もMOONも、大学のときに買ったけど結局プレイしないまま終わってしまった
普通の恋愛エロゲーと深夜アニメ、ラノベ、マンガの境界もほとんど無いに等しくなってしまった今では、
多くの著名なライターが一般に行ってしまい、エロゲーというフォーマット以外で彼らの作品に触れることができるようになってしまった今では、
陵辱とか一部のジャンルのためにしか、わざわざエロゲーをやる意味がなくなってしまった
そして自分は陵辱とかはそんなに興味がない
30で独身なのにこんなこと書いてる場合じゃないのに俺何やってるんだろう
今はマンガばかり読んでる
なんかCharlotte見てたら、1話でAngel Beats!の二の舞いになりそうな匂いがプンプンして、あー見なくてよかったという気持ちにしかなれなかった。一時期のKey作品面白いっていう評判は他の人にはともかく、少なくとも僕個人でそれが信じられたのは京アニのおかげなんだろうね。一昔前の京アニ作品もそうだし、ハガレン1期のアニメ版もそうだし、原作にはストーリーがなくてまとまりにくいものにうまく落とし所を見だしたぱにぽになんかもそうだけど、アニメのシリーズ構成や脚本ってクリエイティブなことよりうまく噛み砕いてくれることがすごいんだろうなぁ~と正直思った
僕がアバン見た時に「あ、この設定というか、この言い回し変だ」と思った作品が殊の外人気だから、試しに見てみたんだけど…やっぱり開始6分で設定の破綻を感じてる。コピーしかできない奴が受験で1位って…。それって正解がわかってるってことだろ?2位以下にならないとおかしいはずなのに
あと、マドンナ的存在って言うキャラは死ぬほど聞くんだけど、これも実在しないんだよなぁ…。例えば、GTOみたく「ドジっ子アイドルになっちゃいました」とか、コクラセみたく「いいところのお嬢様で送り迎えがつく人がいるんだ」みたいな誰がどう見ても浮いてる理由が必要なのにそれがないとか…
トドメは事故ったのを救った時に女の子が「一組のだれだれくんが助けてくれた」ってこの台詞も変なんだよなぁ…。なぜクラス言った?
いやさ、僕がノベルゲーとか小説にハマれない理由って理由付けや情報開示の順番がわざとらしくて「あームダだなぁ~」と思うものがあるから。ムダならムダ、メタならメタで突っ込んでくれればいいんだけど、それがスルーされると、嫌な意味での突っ込みどころとして頭のなかに残って嫌になるんだよなぁ
この、テストで100点とったっていう理屈がだからおかしいんだって。おおよそ正しい答えなり、途中式なりを見抜く方法を知ってなきゃ、仮に他人の答案をカンニングできたとしても、それをカンニングによって100点を取り続けたり、学年トップになることは不可能。最低でも途中式を見抜く学力はある
と、これ、ここまでAパートの話なんだけど、この矛盾にいらついて普段の僕ならここでこのアニメを切る。これが流行ってるとしたらみんな頭悪いんだろうなぁ~みたいな感想を抱きながらね。あるいは、頭が悪いかどうかではなく「きっと1クールも経れば、忘れ去られるアニメだろう」と思うか
ちなみに、僕がグダグダ言ってるアニメはAngel Beats!と同じ脚本の人(有名な人だけどあえて名前は出さないで作品名を出してる当たりご理解いただきたい)なので、「あー数年の間に増えたにわかオタクか、作家名でアニメを見てどうやってでも擁護したい人が盛り上げてんだ」が感想。この脚本家には前科がありまして、最後まで見れば面白くなる・矛盾点はあるけど我慢しようと思って多くの人が見てたら、終盤の感動的なシーンが設定の雑さゆえに矛盾してて成り立たないと言うヘマを数年前にもした人なんです…それでお察しな気が
ちなみに、Angel Beats!のどこがおかしいかについては、ドナーカードの意味もちゃんと検索してない、ドナーがどういう条件で提供されるのかも確認してないいい加減な脚本家がドナーカードにできないことをドナーカードによって達成したという嘘っぱちの設定を作ったこと。犯罪的な捏造だよ。天使ちゃんと音無くんは心臓を提供した・されたの関係と言う話になってるけど、音無くんは衰弱死・餓死みたいな状態でとてもドナーとして成立しない死に方してる。だから、転用なんかとてもできないし、それ以前に脳死じゃないドナーは使える部分が限られているから心臓を移植できないのよね…ストーリーの根幹である部分の前提に現実的な設定を使う以上調べて欲しいといいますか、詳しい描写まではいらないけど、5秒で検索したらわかるようなウソは入れないで欲しい気はします…
そこら辺のところがわかったうえでもなおAngel Beats!がいい話だと言ってるバカとアニメの話はできないと改めてはっきり言っておきたい。作中に出てきたから言うけど「こんなのが売れるなんて世も末だな」とABの時から私はそう思ってました
妹のキャラクターが年齢不詳。兄よりも歳上であるかのような言い回しが多いけど、これは伏線?それとも雑設定からくるもの?
KANONやABだけではなく、アレだけ評判がいいリトバスもですか…。しかも、作者が患っている病気で…。流石にわざとやっているのではないかと疑わしくなってきましたなぁ…。 奇跡をゴリ押しされた挙句、他人事のように「なんか泣けるような胸を打つような近さはないけど、テレビ的なわかりやすいいい話とはこういうものなのだろう」とKANONに対して思ったので、「お伽話」は言い当て妙だと思います
よりポピュラーな病気やシステムを扱えば扱うほど「間違った知識の流布」「当事者を傷つける問題」に進展しかねないところがあるため、危うい傾向だと思えました。特にドナーカードの話は免許取ってから日が浅い時期だったのでなおさら気になりました
いやさ、「だーまえ作品における病気はいい話のための演出なんだ」と言うのはわからんでもないさ。ただ、普段「うつは甘え」「サプリで治る」みたいなウソを振りまかれてる躁鬱病患者としてはああいうものってすごく怖いんですよ…。ドナーカードも免許取って人間なら近しい話だからすごく怖いし…。例えば、「うつは甘えだ!私は君を甘やかさない」と心を病ませながらも自分の仕事場で面倒を見て、厳しきして社会復帰させたらそれはいい話かもしれない。だが、それはリスクを負ってくれる人が前提で「うつは甘えだ」と厳しいところに投げ込む風潮がマスコミやだーまえ作品の影響でできたらどうさ?
大体の鍵っ子は、実は自分が感動したシーンとギャグぐらいしか案外覚えていないのかもしれない。あと人物同士の関係の考察とかはするけど、現実に基づいた設定の考察はあまりしてないのかもですね。更に言うと、多分keyの全作品に共通するかもしれないのですが、後半だけ見れば問題ないってぐらい、前半はギャグと日常(現実的ではないですが)の塊なんです。あまり伏線を積極的に張って行かないレベルでね
寓話以上世界仰天ニュース未満ぐらいの位置の何かだと思わないととても安心して見られない感じはあります。京アニ作品として矛盾やギャグが気にならない形の物ではそこまで気にならなかったのですが、近年の麻枝准自らが脚本した作品は…。例えば、Wikipedia読んでもちんぷんかんぷんで日本にはほとんど患者がいない難病「多発性硬化症」みたいなものでだーまえ演出をなさるんだったらまだ批判浴びないし、なんとなくそんな病気があるんやろう…みたいなのがあるけど、ドナーカードはポピュラーすぎるもん!ちなみに、うつ病よりも関わっている人が多いドナーカードは日本中で8000万人の人(運転免許の裏はドナーカードなので免許保有者だけでもおおよそ8000万人)が関わりがあります。
超極論を言えば、だーまえは逮捕されるべきだったとさえ思ってます。だって、ドナーに関わる人間はおおよそ8000万人。免許の裏のドナーカードだけで日本国民の3分の2。それにありもしない間違った知識を流布したり、価値観を押し付けようと言うのだから怖いと感じないほうがどうかしてる。リプライを見た限りKANONやリトバスでも同じ脚本家が同じような病気や矛盾点を調べないで、創作物に流用しているそうです。Charlotteの脚本家に限った傾向なので脚本家全体の衰えとして捉えるのはちょっとむずかしいですが…すいません。流石に極端なたとえですし、「もし、あんな調子でうつ病を扱ったら」というエクスキューズが抜けてるので、不十分なツイートになってしまいました
この話、だーまえさんの作品が人気を取るたびに僕を含めた誰かが「ざっけんなコラー」と言っても言っても騙される人が後を絶たないから繰り返ししてるけど、したところで得るものないからこのへんでやめます。僕以外に…つうよりももう鍵っ子の間で議論され尽くしているであろうテーマなのに、意外と周りで盛り上がるのな…
まぁ、うまる見て「あの秀才キャラ、悩みがないキャラがハナについてギャグだけを純粋に楽しめなくて少し苦痛」みたいなことを言って「そこ!?」的な返事が帰ってきた偏屈な人間の言うことだからなぁ…。きっと受け入れられないんだろうなぁ
江戸しぐさ→歴史的には間違ってるけど、いい話だからいいじゃない!だーまえ作品(とりわけAB)→病気や患者が利用する制度を調べてないから間違ってるけど、ふんわりといい話だからいいじゃない。が重なる。僕が感じてた怖さはそういうことか!。遠い昔の話ならそれでも被害者は少ないのですが、それをポピュラーな病気や医療制度でやってしまうため、実際の江戸しぐさより被害者が出そうで怖く、またいい話だという言い分も江戸しぐさ的な押し売りや稚拙さが絡むため、賛否が分かれる…というところでしょうか
痛いほどわかる。
リトバス以降はすでに評価に値しない。
keyだからという一点のみで、惰性で、なんとなく好きだと思い込んでプレイなりアニメなり見ていた。
しかし、AngelBeats!を見てから、一気にその呪縛から解放された。
AB!は本当にどうしようもないゴミ。
そんなもん話がきた時からわかってるんだからそれに合わせて書けよって話。
原作有りを無理やり脚本に変えたならわかるけど、そうじゃない。
言い訳にならない。
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振り返ってみると、麻枝のシナリオは過去もすべて整合性がいまいち。
すべて破綻しているといってもいい。
要はあっという間に脳内の創作貯金を使い果たして、まともに書けなくなったんじゃないかと。
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しかし、思い出補正もあるかもしれないけど、やっぱりCLANNADまでは嫌いじゃないんだよな。
音楽のせいもあると思う。
麻枝は音楽だけでいい。
その能力だけで素晴らしい。
僕には一個下の弟がいた。
小学校に上がるまでは歳が近いこともあり、よく一緒に遊んでいた。
僕はどちらかというとやんちゃでワガママも言うタイプだったが、弟は逆で、物静かであまり自分を主張しないタイプだった。
それでも暗いという感じではなく、いつも笑っている、そんな感じだった。
遠足の時、僕は持っていったお菓子を全部食べてしまっていたが、弟は必ず残して持って帰ってきて、「お兄ちゃん食べる?」とよく弟から貰ったりしていた。
バレンタインの時も、チョコを一個ぐらいしか貰えてない僕に対して、弟はモテるらしく沢山チョコを貰ってきていた。
羨ましそうにしている僕に対して、弟は「あげるよ」とチョコをくれた。
今思うと情けない話だ。
小学校に上がる頃、テレビでドンキーコングというスーファミのソフトのCMを見た。当時は凄く宣伝をしていて、僕と弟も魅了された。
家にはスーファミなんてなかったら、お正月まで待って、僕と弟のお年玉を合わせてスーファミの本体とドンキーコングのソフトを買ってもらった。
いま思うと絶対金額的に足りてなかったと思う。
ゲームを買ってもらい舞い上がっていた僕だったが、それと同時期ぐらいに弟が「足が痛い」と、体の不調を訴えた。
弟は母親に付き添われ病院にいき、そのまま入院することになった。
それまで家に居た母親も付き添って一日の殆どを病院で過ごすようになり、家にはあまり帰ってこなくなった。
僕は俗にいう鍵っ子になった。
弟と一緒に買ったドンキーコングを一人でずっとやっていた。
弟はまだ、一度もドンキーコングをやってなかった。
母親もずっと付き添うようになり、家には帰ってこなくなった。
父親と二人で弟のお見舞いにいった時、弟の髪の毛が無くなっていた。
当時はよくわかっていなかったが、弟は癌だった。
外泊許可がでて、家に戻ってくるらしい。
僕はドンキーコングを用意して待っていた。
僕は帰ってきた弟とドンキーコングをした。
弟は点滴に繋がれた状態で、ソファーの上に横になりながら、「楽しい」と言ってと笑っていた。
それから少しして、弟は亡くなった。
過去の思い出。
20年位前。
当時は緊急連絡網ってのがクラスごとにあって(今でもあるの?)、クラス全員の自宅の電話番号が書かれてるプリントが各家庭の電話機の横にあるのが普通だった。
ある日鍵っ子で留守番してるときに電話がかかってきて、○○の父ですが連絡網をなくしてしまって全員の電話番号を教えてもらえないかみたいなことを言われた。
知ってる名前をだされてその父親というオトナからの電話だということですぐに信用して、内心めんどくさいなーと思いながら、名前と電話番号を馬鹿丁寧に全員分教えてしまった。
そんでたしか数ヶ月か数年後だかにそういうのに気をつけてみたいなことを言われて、そのときにようやくあれはやっちゃいけないことだったんだってぞっとした。
それと同時に騙された自分がすごく情けなく恥ずかしくなった。
騙されたことを結局誰にも言えなかった。
今思い出しても本当にムカつく。
性的ないたずらしかり、子どもって本当に善悪とか常識が足りてないから、ちょっとした不審者情報に大騒ぎしてるのがこの世も末みたいに面白がって騒がれてるけど、実際用心しすぎるに越したことはないと思う。大まじめに。