2014-04-05

弟とドンキーコング

僕には一個下の弟がいた。

小学校に上がるまでは歳が近いこともあり、よく一緒に遊んでいた。

僕はどちらかというとやんちゃワガママも言うタイプだったが、弟は逆で、物静かであまり自分を主張しないタイプだった。

それでも暗いという感じではなく、いつも笑っている、そんな感じだった。

遠足の時、僕は持っていったお菓子を全部食べてしまっていたが、弟は必ず残して持って帰ってきて、「お兄ちゃん食べる?」とよく弟から貰ったりしていた。

バレンタインの時も、チョコを一個ぐらいしか貰えてない僕に対して、弟はモテるらしく沢山チョコを貰ってきていた。

羨ましそうにしている僕に対して、弟は「あげるよ」とチョコをくれた。

今思うと情けない話だ。

小学校に上がる頃、テレビドンキーコングというスーファミソフトCMを見た。当時は凄く宣伝をしていて、僕と弟も魅了された。

家にはスーファミなんてなかったら、お正月まで待って、僕と弟のお年玉を合わせてスーファミ本体ドンキーコングソフトを買ってもらった。

いま思うと絶対金額的に足りてなかったと思う。

ゲームを買ってもらい舞い上がっていた僕だったが、それと同時期ぐらいに弟が「足が痛い」と、体の不調を訴えた。

弟は母親に付き添われ病院にいき、そのまま入院することになった。

それまで家に居た母親も付き添って一日の殆ど病院で過ごすようになり、家にはあまり帰ってこなくなった。

僕は俗にいう鍵っ子になった。

弟と一緒に買ったドンキーコングを一人でずっとやっていた。

弟はまだ、一度もドンキーコングをやってなかった。

弟は病院を転々とし、大きな病院に変わっていった。

母親もずっと付き添うようになり、家には帰ってこなくなった。

父親と二人で弟のお見舞いにいった時、弟の髪の毛が無くなっていた。

当時はよくわかっていなかったが、弟は癌だった。

それから暫くして、弟が市内の病院に帰ってくることになった。

外泊許可がでて、家に戻ってくるらしい。

僕はドンキーコングを用意して待っていた。

僕は帰ってきた弟とドンキーコングをした。

弟は点滴に繋がれた状態で、ソファーの上に横になりながら、「楽しい」と言ってと笑っていた。

それから少しして、弟は亡くなった。

過去の思い出。

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