大人になって子供時代を振り返ってからでもそう思えるのなら本物だと思う。
大人になってからもそう思ってるのが少なくとも2人ここにいるな。まぁソースがあってやってる話じゃないんで断定的なことは何も言えんのだけど。
あと、カギっ子がありふれた存在であることと、それが肯定的に捉えられる話かどうかというのはまた別の話ではないかと。
そうじゃなくて、鍵っ子がありふれた存在になると、「鍵っ子について語ること」と「子どもについて語ること」の間の差がどんどんなくなっていくから
「鍵っ子が不幸かどうか」って鍵っ子限定で語ることそのものに今後は大した意味がなくなっていくんじゃないかって意味で書いた。
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