はてなキーワード: 観光とは
今週末は渡良瀬遊水地(栃木群馬茨城埼玉の県境、今回の場所は栃木)で熱気球競技の大会が行われてるので、初めて観に行くという人が戸惑ってしまいそうなポイントなどを書いてみる。
やはりマイナースポーツなので必要な情報が必要なタイミングでキャッチすることが難しい。
当日は最後のHONDAか熱気球運営機構のアカウントを見てると、その日のフライトが行われるかどうかがわかる。
https://global.honda/jp/balloon/schedule/watarase/
https://www.tochigi-kankou.or.jp/event/balloonrace
https://www.tochigi-kankou.or.jp/news/13901
https://instagram.com/airbballoons
悲しい目にあうので最初に伝えておくが、熱気球はその日の天気、とくに風の強さでキャンセルになることがとてもよくある。おおよその目安として、天気予報の風速が3m/sだと7割方キャンセルになる。または天気予報や現地の体感がほとんど風がなくても上空の風速が強いとか、風向きが安定しないとかでキャンセルになる。どうしても避けられない問題なので、あまり期待しすぎないで来て欲しい。
ちなみに過去には風が無さすぎてキャンセルもあったがこれはレア…
追記→今年は1日目も2日目も午後キャンセルでした。(ともに風速2m/s)
競技は1日のうちに午前と午後の2回行われるんだけど、午後は風の影響でキャンセルの確率が高いので注意。午前は開催率高め。
個人的には午前を推奨するが、午前でもキャンセルになることはある。その場合はととても悲しい。
ただ、他の地区で行われる気球大会と比べると渡良瀬でのキャンセルはマシな方、観光して帰ることができる。佐賀でキャンセルになるとやることがなくて辛い。増田の場合は博多か長崎に移動してしまう。
最終日(日曜)は午後ないので注意
・観る
まず確認するのは、会場で見ることができるかどうか。会場とか言いつつ別の場所で行われることがある(下記パターン3)
午前の方が一斉離陸になる確率が高いけど、もちろん無いときもある。午後はかなりレア。
会場にターゲットが指定されて、遠くから会場を目指して飛んでくる
この場合、会場で気球が飛んでくるのを待てばいい。各気球がどれぐらいターゲットに近づけるかの競技の面白さを感じることができる。
ただ、たまにどの気球も近づけなかったりすることもある。
こうなると会場に居ても気球観れないので、ターゲット近くまで自力移動手段が必要。タクシーやバスなどはもちろんいない。
午後はこれになる確率が高い。
https://maps.app.goo.gl/XrmF7hXqJGfdDWkD9?g_st=ic
自動車だとここに向かう途中に係の人に駐車場を案内してもらえると思う。
会場で見れるのときは、土手の上か、気球の近くで見た方がベター。危ないのであまりやらない方がいいが、渡良瀬は土手の上り下りもなんとかできるのでそのときのノリで場所移動しても良い。
渡良瀬遊水地の大会では、風向きによっては「スカイフィールドで行います」と言われることがある。これを言われた時は、こちらに移動して観戦してほしい。これ公式情報でちゃんと案内してくれないんだけど、よく訓練された気球観戦者が移動を始めるのでついていけば良い
https://maps.app.goo.gl/1pypfao7vQ7Goj3x7?g_st=ic
私はアニメの舞台になった場所に行く、いわゆる聖地巡礼が好きなのだが
↓
そもそも観光地ではないもの ←私(かってにアニメの〇〇だなと思う消費行動)
↓
一般人
オタクというのはそういうモノだと思ってたんだが
オタクが一般化してからは自治体がオタクにたいして矢印を向け始め
↓
↓
みたいなパターンが増えた
丁寧だろうが誠意があろうが
こっち向いてる感じが好きになれないのだが
私みたいなオタクの声は届かないのか
どうにかならないのか
[追記]
最初ゆでガエル現象と書いてしまっていたが、これは全く意味が違うモノだった
[google検索]
ゆでガエル現象とは、緩やかな環境変化に気づかず、対応が遅れて手遅れになってしまう現象です。
正しくは蛙化現象というらしい
[google検索]
蛙化現象とは、好意を持つ相手が自分に対して好意を持っていると分かると、それがきっかけとなってその相手に嫌悪感を抱いてしまう現象のことです。
臨床心理学者の藤澤氏が2004年に名付けた心理学の用語です。
茹でてごめんね
2年前、元カノに振られた。
昨日また振られた。
良い意味の方でサバサバ系。化粧はせずファッションも力を入れないが、着飾らず大学時代と全く変わらない雰囲気であり、誰とでも隔たりなく接する。
元カノとは大学時代に部活で知り合い、ずっと一緒に遊んできた。
元カノも実家に戻り地元企業で就職し、俺の地元から近いので年1回程度、部活OB/OGで集まって遊んでいた。
この転職が実現すると、俺は将来的に地元に戻れること、元カノを東京に連れてくる選択肢が発生することから、結婚を見据えた関係が現実味を帯びたため、結婚を前提にと匂わせつつ元カノに告白した。
元カノはウダウダ言って受け入れてくれた。子供は何人とか家とか専業主婦とか話していた。流石に気が早すぎると思いつつ、浮かれているのを見て微笑ましかった。
転職の成功後は元カノとデートした。元カノが東京に来てくれて一緒に観光したり、俺が地元に戻ってキャンプしにいった。互いに連絡不精なのでLINEは1ヶ月に一度程度だったけど。
出社しても広いフロアに数人、仕事以外は1人、プライベートで友達はいなかった。
俺の元より低いコミュニケーションスキルは著しく低下していく。
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1人でいる時は、常に元カノのことを考えていた。
LINEの他にもお土産とか誕生日プレゼントとか送り合ってはいたけど、元カノとの繋がりを欲していた。
元カノは行動というボールを投げたら投げ返してくれるけど、決して能動的に動く性格ではない。
常にボールを投げ始めるのは俺。元カノは本当に一緒にいてくれるのか愛情表現を欲していた。
デートは友達の延長線上で今までの関係と何ら変わりない。恋人として手を繋いだり2人で遊びに行く機会は増加したけど、俺は特別感を感じられなかった。
最初は全く反応がなく喪失感を感じていたが、最後の方は達成感と満足感を得ていた。
俺の認知は歪んだ。
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転職して1年、俺は彼女の地元に引っ越すことに決めた。リモートワークなら問題ないと気付いたから。
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ある日、誘いを断られた。そういう日もあると理性で理解する。
またある日、仕事中に強いストレスを感じ、元カノとセックスしたくなった。風俗ではなく元カノとだ。
俺は衝動的に元カノを呼び出そうとする行動を観測した。理性ではとんでもない行為と理解するため、実行しないよう耐えた。
それでも衝動がおさまらない。苦しくて窓から飛び出しそうになる。死んでしまいたくなる。クローゼットに入り暗闇の中でうずくまって耐えた。
〜〜〜
調べを進めると、性依存症に辿り着いた。
当時は精神科に行ったり、自分の思考を言語化して書き殴ることで脳内のモヤモヤを解消したり、コミュニティ活動することで自分の居場所を作ってコミュニケーションを積極的にできるよう頑張った。
実家にいる時は気づけなかったけど、本当に1人になって初めて、人間は社会的動物なんだと骨身に沁みた。
〜〜〜
否定されること、嫌われることが怖かった。
荒療治の一環として、元カノに好きって言葉をセックス中にしか言えてなかったので、改めてデートの時に伝えた。もちろん戸惑いもあったが、元カノも「お前とずっと一緒に過ごすと思ってる」と伝えてくれた。
その数週間後、別れたいと言われた。
嫌なところもあれば治すと言いつつも、決意を感じたため、別れるしかなかった。
1〜2ヶ月に一度、俺から誘って2人で遊びに行く程度の関係性。
リモートワークで通話が限られており、今の居住地に元カノ以外友達はいない状況である。
これでは日常的に人と会話できない。この状況が続くとコミュニケーションスキルは上達しない。
ボランティアやコミュニティに入ったり、人と会話する状況に身を置いた。
復縁の希望を持って、元カノをコミュニティに誘いみんなと一緒に遊ぶ。
関係性を自然消滅したくないから、俺の成長を近くで見定めて欲しいから誘った。
コミュニティで中核になりつつ、元カノ含めメンバー皆が楽しめる集まりを企画して遊んだ。
結果、俺は元カノだけに愛情や善意を提供するのではなく、多くの人に善意を提供するようになった。相手を人間として隣人として接するようになった。
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善意の提供配分で思い悩むこともあった。善意は提供配分が多いほど、返ってこない時に心理的負荷が高まる。少しも返してくれない人に悩むこともあった。
しかし、それはきっと、多くの人が経験してきたことなのかと思う。
俺は今までの人生において、人間とのコミュニケーションを避けてきたから、誰かに与える行為を積極的にしなかったから、「今」壁にぶつかったのだと思う。
人間関係において、頭では自分と他人の境界線に気を付けてきたつもりだった。
それでも感情は、少しも返してくれない人に残念な思いを抱く。
だから善意を提供する時、自分が辛くならない程度だけ配分するよう変えた。分散投資するイメージで。
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マッチングアプリも始めた。
最初はメッセージのやり取りがおぼつかなかった。距離感、食事の誘い方や進め方、何もかも分からなかった。
ネットで調べつつ失敗しつつ、女性との関係性の築き方を学んでいった。
俺はコミュニケーションスキルを向上というより、一から人間関係を学び始めていた。
高校時代は、誰ともコミュニケーションを取らなかった。中学時代のコミュニケーションスキルを喪失した。この頃は友達0人だ。
大学時代は、自分を変えようと思って入った部活で人に恵まれ、人と関わることは悪くないと思い始めた。お世話になった先輩や、部活の友達とは今でも会いに行ける関係を築けた。
今では、新しいコミュニティに優しく受け入れられ、自分が人を受け入れる立場になった。他コミュニティにも繋がりが広がり友達が増えた。自分から関わることで友達のネットワークが増大した。
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結果、断られた。
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人生のパートナーになりたいのだと思うこともあるが、おそらくそうではない。
しかし、ふと元カノのことを考えてしまい、否定を繰り返し、結局元カノに思考が奪われる。
元カノのことを意識的に考えないようにするのではなく、無意識的に他に楽しいことや、熱中することを見つけるのが正解とわかっている。
コミュニティで遊ぶ時、
元カノのことは忘れられる。
しかし、疲れている時、何も思考したくない時、ふと元カノのことがよぎってしまう。
だから、今の変わった俺ならと淡い期待を抱き、振られても次に進めると思い、告白した。
ただ、コミュニティで築いた人間関係を捨て去ることになるので、優先度は低い。
マッチングアプリを再開したが挫けそうだ。
マッチングまでいいねを投げ続けることや、マッチング後に会うまでのメッセージやり取りが辛い。相手の温度感が低いのか、それとも会話を投げない性質なのかわからないけど、会話に熱量を投げてくれない人を相手取るのは辛い。
自分の中のコミュニケーションとは、自分と相手と共同で火起こしするイメージを持っている。
だから、自分が1人で火起こしして相手は何もしないだけの状況は、精神的にまいる。
やはり結婚相談所も挑戦してみるかの心境に至る。
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俺は以前から元カノと遊ぶ時に戦々恐々としていた。こちらの選択肢で合っているか?嫌われないか?と顔色を窺っている。
仕事も結婚も合う合わないがあることを、今度こそ感情で理解したい。
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自分が仕事も元カノと合わないからといって、自分が全部ダメなわけではない。
コロナ前はよく海外旅行行ってて、コロナ明けの今年も近場のアジア圏何ヵ国か行ったんだけどさ。
コロナで海外渡航の制限かかってからよく調べたんだけど、多くの国でVISA取らずに済む日本のパスポートってすごいのな。
極端な話、今すぐ荷造りして、空港に向かう移動中に飛行機のチケット取っても、多くの国に入国できる。こんな国は少ない方なんだよな。普通は事前に相手国の領事館なり大使館行って、様々な書類出してVISA取る必要があるのに。
別に日本スゴい!って言うわけじゃ無いけど、戦後ゼロからコツコツと外交したり、他国で仕事したり、迷惑かけずに観光して来た先人に感謝せんとなぁ、と思う。
今年の夏は生まれてから31年目を迎えた。前に「失業」してから4年経とうとしている。その失業した仕事は契約社員を2年、それ以前はアルバイトで4年近く働いてて一番長かった。どちらも複数の理由で辞めたけど、片方は天災も絡んで色々厳しかった。
失業元年は失業手当を受けとれた。東京の家賃が安い穴場に住んでいるが、感染症が蔓延したり、オリンピックが強行されたりして、公共交通手段を積極的に使うのは憚られる時期だったし、元々フットワークが重い方なのでその時期の生活には馴染んだ。
初めはいやな仕事場から解放された喜びが大きかったし、まずは通勤からの解放を噛み締めた。続いて自炊や家事、ライフラインの見直し、選挙に行く、体調に合った健康的な食生活=結果金がかからなくなったりとか、預金とか、やらないと損するポイ活に渋々着手とか。生活を色々変えてゆき、その余裕ができたことに恩恵を感じ(早く辿りつきたかった悔しさ混じりではあるが)喜びはあった。
その後、去年は貯金で旅行に行ったが、一度前日や旅先で眠れなくなって不調になり、戻ってからは11連勤の倉庫作業で金を稼いだ。それは電車で数駅、混雑と逆方面だったから、やればできてしまう早起きをやった。夏に冷房のない過酷な環境だったが、ウォーターサーバーや塩飴から配慮を感じられたこともあり、熱中症や指の痛みに耐え、残業も全部出た。最終日の帰りには酒を10杯くらい飲み路上に座る、という金銭面にも身体面にも代償を出してしまい、しばらくは自責の念が止まらなかったけど、今は喉元すぎて、場所の思い出になった。
久々に働いた勢いで、一度は試したかったチャリ通勤の範囲のアルバイトを半年やった。展覧会の監視業務。近所で落ち着いた環境で試しに働くことを重視して始めたが、何もせずに座ってる時間が多すぎたのと制服がないのにそれっぽい格好を求められるのが面倒で、ずっと続けることは考えられなかった。3ヶ月の休止期間に入ったこともあり辞めてしまった。
今年の春は催事に挑戦した。呼び込みが必要な食品販売は大学生の頃に事前講習で泣きを見て(大きい声を出すのが苦手)避けていたのだが、表情がマスクに隔てられていること、書類提出だけで済むことに背中を押された(そういう派遣は昔より増えたように感じる)。割りが良かったから二ヶ月半関わったけど、雇い主は高圧的で人生最悪の労働が発生したり、待機が長すぎたり。催事の性質上先が見えないこともあり途絶えてしまった。
いまは月に10万も稼いでいない。業務委託の時間固定報酬で、国民健康保険に加入してて、将来貰えるかわからない年金は止めっぱなし。
現在の仕事の合間を埋めれるもので、且つひとつでも長所のある求人があれば応募しているけど、中々面接に漕ぎ着けない。履歴書の形式破りが悪いのかとか(大幅に手を加えてしまっていたが、過去に受かるものはあったので気にかけてこなかった)、8年前の証明写真の口元の歪み(静止して撮られるのが大の苦手だ)を素人レタッチしたりとか、こんなことで査定されたくない気持ちと、かといってこんなことで弾かれたらひとたまりもない気持ちが、長すぎる毎週末(土〜月)の間にそそのかしてくるから、最近は応募のたびにアップデートしてみてもいるが通らず。大学卒業後のいわゆる就職活動が嫌でやらずにきているから経験が乏しいけど、求人応募は「お祈り」の経緯が示されないから、一方通行で学びもなくてしんどいなと思う。
自分は今、図書館をありがたく思っている。電車通勤時はいつもすれ違っていたのに、今年まで利用することはなく、その豊かさを知らなかった。本を知って読みたくなったときには、その時に脈々と流れていたムードが発端だったりするけど、買わなかったり忘れたりする。図書館では値段とかどこで手に入るかとか気にせず、どんなジャンルの本から手をつけてもいいなんて最高の状況。高い住民税を払ってきた理由の一部をここには見出せる。
Podcastもバイトの休憩の食事時間を埋めるのに聴いたことから、触れる時間が増えた。集中行動が気まぐれなので、興味があるのに未着手のコンテンツはありあまっている。ちなみに自分はストリートビューが高校生の頃から好きで、それを含めたら手をつけていないコンテンツがありあまっているといえる。自分がたのしませてもらってる創造物の作者に還元できたらしてみたいと思うけど、それを中心に据えれば何してでも働くとはなれないし、働いていたときにどれだけ還元してたかと思うと失業する先を見越して、今より懐が狭かったようにさえ思うからあきれる。
お金があると、やりたいことは色々発生してくるし、それに付随して近視眼的にお金を使う。そして旅の休暇は短い。お金がないと、情報とか近所のもので満足してしまうようやりくり上手になるのかも。近所を観光するようになる。時間は余りがちで、金を要する欲望はどんどんしぼんでいる。いつか遠くの街や、別の住処に引っ越したいとか、いつかチャリ以外の乗り物を運転できたらいいねとか。確固たる「自分ひとりの部屋」は体験したいがそれさえ忘れがち。憧れも順位も大変ボンヤリしている。夢だとか何かを絶対やりたいって意欲的な感情はなく、希死念慮が老後の不安なんかは覆い隠している。実際に金をつくってやってみるしかないんだろうな。
多分そう。この生活を続けるのも、これ以上何もしないわけにはいかないんだろうなと立ち返る。また眠れなくなると辛いしたまに人に会うとき眠いと困るから、今ある服が入らなくなると面倒だから、週4日はまじないみたいにきんにくんの筋トレ(3年目)して体力を消費する。隙あらば「死にたい」と口にせずには生きられないし、これ以上健康体になってどうするのか、とも考える。一方で、自分は寄りかかってる人々に対して無責任すぎるのか、とも考えてみる。一人と折半で生活している、インフラ(という名のケア)の十分な都市に住んでいるという事実以外で、個人との繋がりは希薄で、日々老いていくなか孤立無縁を分散したり予防できてないから。さあ働くのかどうか。
例えば食事だけ、名所だけ、買い物だけ、みたいな人もいるし
そもそも場所なんてどこでも良くてとにかくどこか遠くに行きたい、友人と非日常を味わいたいとかいう人もいる
今の時代にその場所でしか食べられないモノ、ってそこまで多くは無くて
ほとんどのモノは都会のアンテナショップで食べられるし味も変わらない
下手したら通販してて家で食べられる
おまけにどこかで食べたことがあったりするので年を重ねるごとに新しい発見って別に無くなってしまって
「ああ、このタイプの味か」
そうなると観光しても名所の散策とか景色が良いところとかに割く時間を増やしたくて
ご飯はコンビニおにぎりとか吉野家でいいでしょ、という気分になることは割とある
試しにご当地物の食べ物を食べても「このタイプかよ」ぐらいにしか思わないし
下手したら家に帰ったら一ヶ月後ぐらいに隣のコンビニで発見したりしてしまって残念な気持ちになる
とはいえなるべくご当地物は食べるようにして、食べて特段不味くもなければ「美味しいね!」と無理矢理気分を上げていくようにはしてるが
多分一人旅だったら食べないだろうなぁ、と思うことは多い
大阪は何度か行った。USJとそのついでのテンプレ観光したり、阪大ひやかしたりどっかの繁華街をブラブラ歩いたりした。難波だかでタコ焼きも金龍も食ったけど、一番最初に行ったガキの頃に食った551のアイスが妙に記憶に残ってる。ついでにどっかで貰ったタコ焼き味の飴が不味くて腹立ったのもセットで記憶にある。
551の店頭で土産用のチルドの発送か何かで待たされてて、その間にアイスを買い与えられたような気がする。確か母が大阪の知り合いと会っていたような気がして、その人に買ってもらったような記憶がある。我々観光客なら肉まん屋のイスキャンディーなぞ(ガキはともかく親は)目もくれなかったかもしれないし、地域住民に愛されているというのはマジの話なのかもしれないと今にして思った。
夏休みに行ってたんだろうし、暑い中食うたこ焼きやアトラクションの並び(隣の母が楽しそうでないなら尚更)よりも、冷たい喜びを身体が鮮烈に記憶してるのかもしれない。30秒くらいで食い終わっただろうし、その後は暇すぎて店のチラシかなんかを繰り返し読んで、それで夏は豚まんが売れないんでアイスを売り始めたって知識を得たのも妙に覚えてる。
何味を食ったかも記憶にないけど、無性に食いたくなることがある。フルーツ感が良い感じに強めだった印象が朧気にあるような気がしないでもない。
あと中学くらいに行った時、バス乗ってる間に湊かなえの小説を姉貴からもらって読んだのもなぜだかよく覚えてる。話の内容は一切記憶にない。
最近はてぶでもホストの話題で「ローランドみたいな人メディアに出すな」ってブクマたまにつくけど、たぶん歌舞伎町の中ではローランドの店だけ集客の構造が違いすぎる
まず、ローランドの店はもともと売掛(未入金)を売上計算していない。完全入金でしか売上に反映しないから、「今月の目標のために売掛する」「ナンバー入るために売掛させる」みたいなことができない。あまり旨味がないのだ。
実際、ホスト密着動画の中で、客自ら「売掛できる?」と聞いてトップホストが「売掛なら注文入れなくていい」と断ってるシーンが存在する。
さっき、ローランドの店は売掛全面禁止をいち早く出した。もともと売掛は常連しかやってないみたいだったが、本人が芸能人やってるからイメージも大事だしな。
そして、あの店はホスト狂いのような人が来る店じゃなくて、ローランドショーというYouTubeのドキュメンタリーやホストのライブ配信を見てファンになった人が集う「配信者に会いに行けるAKB商法+Vtuberの投げ銭文化」の代表みたいなとこだ。ローランドのYouTube登録者の強みがここに出てる。客も日本に限らず全世界からローランドショーを見て、観光がてら来店する人も多い。
ホスト自身も「歌舞伎の客を取り合って、夜の世界に沈めるようなリスキーなことやらずに、少額ずつでも歌舞伎町の外側へ客層を広げる方がよっぽど安定する」といった趣旨を話をしている。みんなで応援するから、同じホストの客同士の嫉妬や張り合いも少ないらしい。
派手にお金を使う中には、オーストリアやブラジル、メキシコ、韓国、台湾など、海外のお金持ちも多い(ローランドショーの視聴者は特に韓国が多い)。これはホス狂いをターゲットにしてる他店ではあまり見られない現象だと思う。
ちなみに、ホスト業界やホス狂いの中では「あの店は投げ銭アイドルの店だからホストじゃない」とけっこう見下されるてるらしい。
さらに、ローランドショーはソンさんというテレビディレクターが密着してるが、ホストに対して好奇心はあるが思い入れはないので、嫌な部分はすぐに切り取って動画にする。密着の切り取られ方によってはホストがヒールになることもあって、コメント欄には荒れに荒れることも珍しくない。
ローランドの店は売上と知名度はとんでもないが、ホスト業界では弱小の弱小である(ローランドの古巣グループですら業界4〜5番手くらい)。芸能人の店だけあって、客側がトラブルをガレソに報告して炎上したこともあり、ホスト側も迂闊にヤバいことはできない。有名さを引き換えにある程度の自浄作用があるっぽい。
それでもハマって夜の世界に堕ちる客もいるだろうけど。
ここまで書いておいて、俺はローランドショーとそのホストの配信を3年くらいずっと見てるだけの田舎の人間だから、歌舞伎町なんて行ったことないし、実態はズレがあるのかもしれない。でも、売掛やらの風呂に落とす話でローランドの名前が出るのは違うなとずっと思ってただけ。もし本当に店に通ってる人とかいたら増田に書いてくれよ。
以下は、自分が把握している範囲の裏紅白歌合戦2023元ネタ。面白さを解説しているものではないことに注意。
(続く)
東京のカスヤローどもが、「アテクシ、美術館とライヴのない生活は無理でしてよ!」とか抜かしてんのを見ると、なんかスゲ〜ムカつくので、じゃあ家の周りに美術館がねえこの俺が、キサマより美術や音楽に詳しくなったるわ!という気持ちをもってのことです
やり方については詳述しねえ
詳しくは言えねえけど、ある海外人気の高い大型SNS(って言ったらもう分かりそうだけど…)で、美術とか食とか旅行とか写真みたいな、そういう徳の高いコミュニティ(5chでいうところの板みたいなものがメインのSNSなので、タイムラインを個人ではなくジャンルで作ることになる)をまとめたフィードを作って、それを毎日みる
カザフスタンの旅行写真とか、デトロイトスタイル・ピザとか、マックスフィールド・パリッシュの絵とか、Coq au vinっつうカッコいい上にうまそうなフランス料理とか、そういうものの知識が毎日流し込まれる
マックスフィールド・パリッシュの絵なんか、実際結構気に入った 名前を覚えるくらいに気に入った
冬の風景画の、明朝の深い青色の空の感じが非常に「わかる」感じで、大変よろしい
こういう風景、実際に目にして感動して、あとで見返そうと思って写真にとっても、ぜんぜん感動を切り取れないんだよな
絵で味わえるのはホントにありがてえ
今日見た中だと、秘密ですよ、Alex Colvilleという人のPacificって絵、これがマジで超カッコよかった
オーシャンビューの、開放的で生活感のない部屋で、上半身裸の男が気だるげに海を見ている、のを後ろから見ているって絵なんだけど、なんといっても手前の机にぽつんと置かれた拳銃が目を惹く
この銃はなんなのか、既に使われたのか、これから使うのか?男は何者なのか?何を思っているのか?
男の方から上がフレームアウトしていて、表情なんかがまったく伺えないのもシブい
この絵にインスピレーションを受けた映画があるっていうのも頷ける話だ これはカッコいいよ
いい絵を見ましたねえ!
実際、旅先で美術館行っても、あーこれモネなんだあ、モネって誰だっけ?マネと関係あるんだっけ?とか思って、ただ見たって事実に満足してしまって、画家のこととか個別の絵のエピソードなんて全然覚えないことが多い
まあそれはそれで贅沢なことで、非常に文化的であることは否定できねえが、しかし、東京野郎がそうしている間に俺は俺の組み上げた電子美術館で文化資本を積み上げていくぞ
そんで、東京から来たんスよ、とのたまう野郎のTシャツを見て言うんですよ、「あれ?この絵ってコルヴィルの"パシフィック"じゃないですか!カッコいいですよねえ」とかってさあ!「えっ…ああ、このシャツですか?へー…そんな名前の絵なんだ、気にしてなかった」「あら、そうなんですか?残念、マイケル・マン監督がお好きだったりするのかなと思ったんですけど!」
ウゼー 書いてて嫌になってきた
こんな瞬間は訪れなくていいんだけど、しかし、カードとして切れるものが増えるのは嬉しい
カードとして切るっつうのはなにもマウントを取るだけのことじゃねえ 適当に行った美術館で偶然見かけた絵の青色に見覚えがあって、これはパリッシュ・ブルーなんじゃねえの?!と思って作者名を見たら実際にそうで、ヨッシャ〜とか小声で言って、だれに共有するでもなく、ただマスクの下でニヤつきながら観光を続行、そういう瞬間に俺のもつカードは確かに切られているということになる
観光では光って見えても住むとなるとどうせすぐ泣いて帰るに決まってら
地元民の意識かねえ。「いちいち都内に出ないでも全てがここに有るし何なら秀でている」という自負があるイメージだ
全く関係ないが、自分が住んでいる北陸の某市では「誰も地元に金を落とさない。そして余所からの流入も無い」状態だ
土地は有るんだから何か作ればと思うが、世間的に害悪とされるものが建っているので大型商業施設の誘致なども拒否される
田舎のご多分に漏れず老人が多いが若いファミリー層もそれなりに居る。人口は確実に減ってるが10万弱は居る
そんなとこなのに飲食とかの商売がしづらい。とにかく地元民が地元で飲み食い買い物しない。みんな50kmくらい離れた両隣の市へ出掛けていく
(繰り返しになるが、店が無いんだから卵鶏って話だ。でも多分元々「地元で買わない」状態だから出店したとて潰れるのだ。有名チェーンですら撤退する)
みんなが地元で金使うのはラーメン屋くらい。一杯1000円もしない
基本的に渋賃なんだと思う。反面、見栄坊でもあるから、「100km離れた市のデパートで買う」とか以外は安物買いで安いものしか食わないんだと思う