はてなキーワード: 視覚とは
判断は読者にお任せする。体験した出来事に対する主観と、憶測を記す。もしよかったら①から読んでほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20160724155200
というより半分起きて半分寝ている感じの夢うつつで神様を夢に見た。以下、見たものと感想。
稲荷神社の祭神様は赤い着物の女性だった。顔は高いところにあって見えない。後ろに白い服の爺やみたいな人が控えている。他にも何人か白い人。白い人は狐の形状をしていない。赤がなく、光のように白い。
場所は神社の鳥居の中。あの稲荷神社は狭くて物理的な場所はないけれど意味として内側の空間に入れてくれて昇殿参拝させてくれた感じ。社の中だったのかもしれない。
歓迎ムードで、うちにはこういうのもありますと石の陽物を見せてくれた。ご神体ではないようだが、この神社にはそういうご利益もあるのだろう。残念ながら今のところ、ご利益が役に立つ予定はない。
地元の神様は大きい何か。大きな本殿から虹色で透明なアメーバがはみ出している。全貌が見てとれない。
お世話になった感謝を込めて頭を下げると、右往左往していたことを笑われた気配。「そんなに心配なら」と日付を示して、この日においでと言われた。今度の休日だった。
稲荷神社の本社に当たる神社は「うちは無関係ですから」という態度。冷たいわけではなく、違う部署、違う管轄だから挨拶しなくていいよという雰囲気で、姿や様子は見えなかった。
「大丈夫」「自分で決めなさい」「危ないから大人しくして(助けられない)」
正直言うと春先のこの頃は仕事が忙しく、オカルトに関わっている余裕がなかった。
ストレスで頭が壊れた可能性は充分に高いと考えていたし、そうならば遠からず死ぬだろうと思っていた。梅雨明け前の現時点では、まだ元気に生きています。
見た・言われたという動詞を使っているが、五感で知覚しているわけではなく、視覚や聴覚は感じない。夢より不確かな、妄想めいた非言語のイメージをARのように現実へ重ねたように体感している。これが第六感や霊感なのかもしれない。
プールと言ってもスポーツ系のプールね。遊ぶ奴じゃなくて。常識の範囲だけど、全然わからない人用に。
■必須
・水着…柄物じゃなくて、運動系のやつ。パツパツの奴じゃなくてもいい。柄物でもいいんだけど、視覚的に浮いて目立つのでやめといた方が無難。
・帽子…メッシュ系とゴム系があるんだが、水に頭まで浸かるんだったらゴム系がいい。頭までつからないならメッシュの方が締め付けとか頭がラク。
・ゴーグル…いわゆる水中メガネ。泳ぐんだったら無いと辛い。水中歩行ばかりだったら別に無くてもOK。
・耳栓…これも泳ぐんだったらあると楽。無くてもいいんだけど、あった方が気にならない。
・回数券…これもひと夏通うんだったら、あった方がいい。施設によっては、月間のパスだったりするんでそこは用途に合わせて。
その1はこちら。
We watched the first 10 minutes of Kingsglaive: Final Fantasy XV
By André Mackowiak on July 11, 2016
こちらは、最初の10分間のみの映像を観た人のレポートですが、ネタバレが含まれます。
先週フランスで行われたJapan Expoで大きな出来事となったのが、Final Fantasy XVだ。イベント中、ファンは「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」(以下キングレ)の最初の10分のワールドプレミア特別上映などの新しいコンテンツに触れる栄誉に浴した。ちょっとしたサプライズとして、映画を監督した野末武志氏による90分にもおよぶ講演もあった。
壇上で野末氏は、キングレの開発について一歩踏み込んだ解説を行い、アドベントチルドレン(FF7ACC)よりも格段に大きな役割をどのように果たしたかを語ってくれた。
以下のレポートには、ちょっとしたネタバレや、記憶を頼りにプロットを要約したために起きる矛盾が含まれる可能性がある。というのも、最初の10分間にはかなりたくさんの情報が詰まっているからだ。
映画は、いくつかのフラッシュバックから始まり、観客は、ルシス王国を守り続けてきた最後のクリスタルの魔力の概要を知ることができる。
しかし、このクリスタルが敵対するニフルハイムの嫉妬を生むこととなるのである。
開始後すぐ、ニフルハイム兵によるルナフレーナ・ノックス・フルーレの故郷であるテネブラエ自治区侵攻が描かれる。
ここで我々は、幼いノクティスが重篤なケガから回復中であり、車いす生活を余儀なくされていることを知る。
敵兵たちが空から雨のように降下してきたとき、ノクトとルーナは2人とも森におり、周りを取り囲まれてしまう。
強力な相手に二人は追い詰められ、あわや斬り殺されようかというところで、レギス国王が現れ、剣をふるい強力な炎の呪文で敵を蹴散らして彼らを救う。
レギスは素早く意思を固めるとノクトを肩に担ぎあげて、ルナフレーナと共に逃げる。
呪文による炎に逃げ道を塞がれたルーナの兄レイヴスは、倒れた母を救ってくれるようレギスに懇願するが、敵兵が背後に迫っているレギスには届かない。
このままでは逃げ切れないと判断したルーナは突然立ち止まり、引き返して自らニフルハイムに捕らわれ、友人たちが逃亡するための時間を稼ぐ。
それから月日が経過し、物語の時点ではニフルハイムの軍勢はルシス王国の首都インソムニアのすぐそばに展開している。
この「王都」はクリスタルによって維持される強力な魔法障壁によって保護されているが、どれだけそのバリアが攻撃をしのげるのかはわからない。
都市を取り囲むエリアは、すでに帝国軍に制圧されており、城壁部分は空からの攻撃にさらされている。
ニフルハイムの揚陸艇が兵士を降下させ、戦場では銃弾が飛び交い、廃墟と化した建物の周りに死体の山が築き上げられていく。
敵軍は機械や魔導アーマーだけではなく、FFシリーズでおなじみのモンスターさえも操ってルシスに攻撃を仕掛けてくる。
混沌の中をべヒモスが突進すれば、通り過ぎた場所にはルシスの兵士たちが斃れる道が残る。
そうかと思えば別の場所では、巨大な蟲の大群が戦場を横切っていく。
巨大なファイアストームが地平線のかなたに出現し、インソムニアに向かってゆっくりと近づいてくる。
壁の上では、王の剣(Kingsglaive)の魔導マスターであるクロウ・アルティウスが仲間たちと共に町を覆うバリアを維持しようと必死の努力を続けている。
主役であるニックスの親友リベルト・オスティウムは、敵に奇襲をかけようとしている。身につけた制服や装飾品は、FFシリーズのジョブ「忍者」を思わせる。
リベルトは、隠れて相手に知覚されずに複数の敵を倒す術を使う。
空襲が激しさを増すと、地面が打ち震え、建物が崩れ、足元にひびが走る。
嵐が近づく中、我々は敵軍の飛空艇がさらに増え、ケルベロスなどのより危険な敵が出現したことを知る。
嵐の向こう側には、まだ奥の手が隠されていたようである。鎖につながれ、煙に包まれた巨大なモンスターが飛空艇によってインソムニアに向かって引きずってこられる。
モンスターは暴れだし、いくつかの飛空艇を破壊すると、鎖を引きちぎって地上の兵のもとへと落ちてくる。
リベルトは、突進してくるべヒモスの首もとに強烈な一撃を放つことに成功する。一方クロウは最後の力をふりしぼっているが、もはやこれ以上バリアを維持することができそうにない。
王の剣を率いるドラットー将軍は敗北を悟り、撤退命令を下す。リベルトは炎を吐くケルベロスと遭遇し、呪文を使って気をそらそうとするが失敗に終わり、崩れたガレキに挟まれ、刃も手の届かないところに転がるというピンチに陥る。
ニックスは、ドラットーの命令に背き、倒れたリベルトを救うために走り出す。ニックスは、投げた刀のところにワープ魔法を使って移動することができる。
ケルベロスを警戒しつつ、ニックスは戦闘区域外へとワープできるようにリベルトの剣を拾う。
後方に戻った王の剣の隊員は無事を喜び合うが、ドラットー将軍はニックスの命令違反を咎め、彼の力はレギス国王から借りたものであると諫める。
たった10分間の映像だったが、おそらく何時間でもいかにキングレの映像が素晴らしかったかを語り続けられるだろう。それぐらい圧倒的な映像美だった。
何年もの昔、初めて「Final Fantasy: The Spirits Within」を劇場鑑賞したときですら、スクウェア・エニックスがCG業界でトップクラスの才能を揃えており、あの映画が写実的な表現への彼らの最初の一歩となったことは明らかだった。その数年後、アクション満載のFF7ACCでその路線はさらに深まり、ついにこのキングレですべてが結実した。信じられないほどの視覚的なクォリティを実現するために、スクウェア・エニックス内のチームであるビジュアルワークスは、「アサシンクリード」、「ジュラシックワールド」、「ゲームオブスローンズ」などで知られるDigic PicturesやImage Engineなどの欧米のスタジオにも協力を仰いだという。
映画に登場するキャラクターは、あまりにも人間らしいため、うっかりするとコンピューターで生成されているのだということを忘れてしまう。
このまとまりの良さがあるからこそ、合成用のグリーンバックの前で俳優が演技をする従来の映画に比べて映画の世界の説得力が増しているのだ。
べヒモス、ケルベロス、呪文の効果などの見慣れたFFの要素の取り入れられ方も素晴らしい。
個人的には、特にワープのエフェクトが気に入った。ゲーム本編のものと似ているが、人物のまわりに火花が散り、効果音も非常にマッチしているのでとにかくスタイリッシュなのだ。
キングレは、「現実に基づくファンタジー」というコンセプトを驚くほどうまく体現している。
建造物、衣服、技術、車などの中には現実世界を思わせるものもあるが、呪文や魔導アーマー、モンスターとの親和性もある。
2つの世界の融合が、FFXVを単にゲームとしてではなく、より広い観客を対象とした映画として非常に魅力的な存在にしている。
始めのうち、John R. Grahamが下村陽子とのコラボレーションで制作したというサウンドトラックについては不安を覚えていた。
プレビュー映像では、音楽が少し単調で陰鬱すぎるように思われたのだが、最初の10分のBGMは、控えめに言って非常に堅実な出来だった。
ほんの短い時間のうちに、キングレで展開されるストーリーが複雑でワクワクするものになることがわかった。
アクションシーンは「ゴジラ」のように素晴らしく、徐々にモンスターや召喚獣が明らかにされていく手法も良かった。
キャラクターが物語のカギを握るようなので、ニックスとルーナが映画やアニメ、ゲームの中でどのように関わっていくのかが楽しみだ。
これだけのプロジェクトである。映画館で観るのが正しいというのは明らかだ。
10分間見ただけでこの把握力。
訳者は実際に映画を観たので、ちょっと解釈が違うところもあるのですが、あえて訳注はつけないでおきます。
海外の人にはどう観えたんだろうな、と思っていたら見つけたので訳すよ。
タグとかあんまりわからないので読みにくいと思うけどごめんなさい。
2016年7月11日 ERICKHANZ さんの投稿(翻訳にあたってご本人の了解は得ています)
Kingsglaiveを観てFinal Fantasy XVが楽しみになった(ネタバレなし)
日本で7月9日に上映が始まったキングスグレイブ(以下キングレ)だけど、アメリカでは一部の映画館で8月19日に公開される。
僕は昨日、東京にあるTOHOシネマズで観た。もちろん、観に行く直前にも予告編を見て気分を高めたよね。
その予告編はこちら(https://youtu.be/nGl_2gYrfM0 訳注:原文ではソニーピクチャーズによるあらすじ紹介も加えられているが、各自で確認してほしい。すまんな)。
・オリジナルは英語版。だから英語に合わせてあって、日本語で見るとリップシンクが全然じゃん! って気になるかもしれない。
・これはゲームのプロローグなんかじゃない。時間軸としてはゲームと同じ。だから、ゲームの中でノクトの目を通して映画内で起きたことを知ることになるだろうね。
・この映画をゲームの前に見るべきか、と聞かれれば答えはYESだ。ルシス、ニフルハイム、テネブラエの政治的な情勢が描かれているからね。そして、「FINALFANTASY XV」とタイトルに入れる必要がないくらい映画として成立している。もちろん、観た後には映画のあと何が起こるのか、という興味が沸いて最寄りのゲームショップに駆け込んでゲームとPS4を予約することになるけど。
・昨日こんな質問をされた。「なんでルーナは映画版の方が大人っぽいの?」答えはシンプルだ。制作会社が違う。そして、キングレで声優を務めたAmanda Pieryをモデルにしているからだ。でも、2人は同じ時間軸の同じ人物だよ。
物語は、ルシス、ニフルハイム、テネブラエという3国の関係の説明から始まる。全体に関わるネタバレになりかねないので、詳細は語れない。
前半は、プロットの基盤固めをしながら政治的な話が進んでいく。レギス国王が国を救うために何をしようとしているのか、ルーナがどのような決意をしたのか、そして「王の剣(KINGSGLAIVE」とは何なのかがわかる。
もちろん、タイトル通り映画のメインプロットはこの王の剣についてのものだ。王の剣は王家の親衛隊で、その目的は王と国を守ることだ。
ストーリーの中心となるのは、王の剣の一員で「戦場の英雄」として知られるニックス・ウルリックだ。
決して「敵を倒して世界を救え」というような浅いストーリーではない。観るだけでFFXVの世界観をたっぷり知ることができる。実際、プロットには深みがあり、本編のプロットとも関連がある。つまり、ゲームが良いものになるという指標だ。観た後でこの予告編を観ると、きっと腑に落ちるはずだ。
・映像
もうすでに予告編で観ているかもしれないけれど、映像美はすごい。細かなディテールにもこだわっていて、視覚的に圧巻だ。
ルシスの王都インソムニアは、山ほど登場する。テネブラエも少しだけ出てくる。ニックスが町を歩き回る時に見える周囲の様子は驚くほどだ。
特に目を引かれたのが、各キャラクターの表情だった。CGという感じがしない。リアルだと思ったよ。
Advent Childrenのバトルシーンは最高だったよな、と思う人がいるとしたら、まだキングレを観てないからだね。この映画のバトルシーンは、アドベントチルドレンなんか比べものにもならない。
山ほどのエフェクトがあって、ぬるぬる動く。映画の中ではワープアタックが多用されていて(そのせいでキャラクターがどこに移動したのかを追うのが難しいけれど)かっこいい。
本編では、自分の操作でこういう攻撃ができるんだ(これまでに見た動画によればね)。
・音楽
キングレの音楽の構成は、ちょっと本編とは違うと感じるかもしれないけど、これは映画版の作曲をしたのがJohn R. Grahamで、本編は下村陽子だからだよ。
メインテーマは今まで通り壮大だ。トレーラーで使われている「Grantia Mundi」という曲も映画で耳にすることになる。
もちろん、キングレを観なくてもゲームは楽しめるだろうけれど、観ることでニックスの視点でゲームが進行する裏でインソムニアで起きたことを知ることができるんだ(本編ではノクトの視点から見ることになる)。
ゲームをプレイする予定の人には強くオススメしたい。全体として非常によくできた映画だからね。
それに、ゲームを始める前に政治情勢の大まかなところを把握できる。
映画はそれ自体で成立しているから、FFXVどころかファイナルファンタジーシリーズについて何も知らない人であっても楽しめる。
プロット、アクション、暁の女神の世界……今すぐこのゲームで遊びたい気持ちにさせられるよね。
本編では、(ダスカを始めとするトレーラーを見る限り)映画のようなアクションができるんだと思う。だからFFXVが待ちきれないんだ。
キングレに関する感想や、FFXVに対する期待度なんかをコメント欄で伝えてくれると嬉しいよ!
この記事を書いたERICKさんに伝えたいことがあったら、コメントしてくれたらできる範囲で伝えます。
訳者は、PS時代以降のFFでいえば7,9,10をクリアしただけで、あとは途中で挫折しているんだけど、映画を観て度肝を抜かれて、家に帰ってからこれまでのトレーラーと、
FFXV公式ページで無料公開中の「BROTHERHOOD」を一気に観て、
速攻でFFXVの映画同梱版をポチった上で、PS4購入に向けて節約を開始したよね。。。
否定的な意見を否定するつもりはないんだけど、せめて観てから否定してほしい。
そのためだったら、映画のチケット自腹を切ってプレゼントしてあげてもいい、と思うくらい。
Twitterを見ると、わざわざこの映画を観るために世界のあちこちから日本に来ている人たちもいるんだよね。
というわけで、ほかにもKINGSGLAIVEの感想を見かけたら(たとえ内容が否定的なものであっても)許可してもらえる限りは訳していきたいな、と思ってます。
VR+風俗嬢=VR風俗:アニメキャラとSEXしたいという夢を現実にするために
人類の「アニメキャラとSEXしたい」という欲求は、これまで様々な方法で発露されてきた。一番原始的な方法は、マンガ(エロ同人誌)を描くというものだった。マンガは高度な道具を必要としないため、敷居が低く裾野が広いという特徴があるが全く没入感がないという欠点がある。マンガの発展形として、高性能PCの普及によって3Dアニメが発展した。その中でも、3DCGをアニメ調に見せる技術がアニメキャラ再現に果たした役割は大きく、それまで全く別物と思われていた3DCGとアニメ絵が融合することが可能になったが、画面の中で完結するという本質的な問題を解決するには至らなかった。
アニメキャラとのSEXを視覚ではなく聴覚で捉えようとした分野が音声作品である。とくに、催眠音声は人間の無意識に働きかけ五感すべてに完璧に没入させることが可能と思われていたので一過性のブームを引き起こしたが、結果としては催眠術はよく訓練された猛者だけが「最悪(社会的に)死ぬ」ことを覚悟したうえで享受できる秘術とされ、誰もが気軽に体験できるものではなかった。音声を使った臨場感あふれる手法として、バイノーラル音声が登場したが耳かきと耳舐め以外の行為では、バイノーラルの強みである臨場感を活かすことができずエロボイスドラマを超えてリアリティを感じることはできなかった。
アニメを現実にしようとするこれらの試みの他にも、現実をアニメに近づけようとする試みが有る。最も単純なアイデアであるがアニコス(アニメコスプレ)と呼ばれるAVジャンルがその典型である。初期のものは女優に衣装を着せただけの簡単なものだったが、「コスプレイヤー(コミケでケツ出すお姉さん)」という概念の浸透に伴ってウィッグ・メイク技術・衣装ディティール・小物などアニメキャラになりきってSEXするという技術の進歩が見られた。しかし、コスプレはどんなに「リアリティ」を追求しても、(特に顔の造形が)アニメキャラにならず「コスプレイヤー」にしかならないという大きな欠点をもつ。この欠点に注目して改良を試みたのが「着ぐるみ」というジャンルであるが、顔だけプラスティックで不気味であることや大きさが不釣り合いになってしまいアニメキャラを実現するには至らなかった。顔だけでなく全身が「人工の人間」というアイデアは等身大ラブドール(ダッチワイフ)に見ることができるものの、ダイナミックな動きというSEXの本質が欠けているために一部の愛好者(マグロ好、死姦マニア、人形愛)以外には受け入れられなかった。
これまでの2つのながれ(アニメキャラ→現実、現実→アニメキャラ)を統一する可能性を秘めているのが、VRである。VRはこれまで問題だった没入感をユーザ与えることができるが、「映像を見る」ことが目的であったために、SEXの相手となる対象が実在しなかった。これまでVRを用いたアニメキャラとのSEX方法として知られているものは、VR+オナホ(手動or電動)、VR+ラブドール(手動)という原始的な方法が主流のようだ。ネット上では「五感をPCに接続してSEX」待望論もあるが、すぐに実現できそうにない。ユーザがアニメキャラを感じる「五感」のうち、視覚と聴覚を除く三つ(臭覚・触覚・味覚)は「未定義(人間のそれならなんでもよい)」であることを仮定すると、実際の人間にVRでアニメキャラを「投影」してSEXすれば既存の技術を用いて低コストでアニメキャラのSEXが実現できそうだといえる。
一言で言うと:風俗嬢を前にして、ユーザはVRヘッドセットをかぶり風俗嬢の動きに連動したVR内のアニメキャラとセックスする。
ARマーカを風俗嬢の関節等につけて、それをユーザの頭につけたWebカメラで読み取る。欠点は指の動きなど細部とユーザの影になっている部分のマーカがよみとれないこと。
風俗嬢及びユーザを俯瞰できる位置に3dセンサを設置して、両者の位置を割り出す。欠点は2名が重なった時の認識が不安定になること。利点は「くぱあ」が認識できること。
この技術は風俗のオプションとして提供されるだろう。そうすれば、VR機材以外の全ては揃っているので小さな投資で人類の夢を叶えることができる。
明日早いのでここまで。
(これで科研費とれね〜かな〜)
3D酔いとは、ゲームをはじめとするバーチャル空間の出来事を視聴している時に乗り物酔いのような状態になることだ。
本当につい先日、とうとうそれを克服することができたのだ。
似ている状況の人は参考にして欲しい。
友人に勧められて初めて家でFPS(ファーストパーソンシューティング、一人称視点)をプレイした時、30分ほどでトイレで吐いた。
その時は理由がわからず風邪でも引いたのかと思っていたが、そのゲームをする度に気持ち悪くなるのでそれが3D酔いだということを知った。
しかし、不思議な事にTPS(サードパーソンシューティング、三人称視点)は酔わなかった。
そのためしばらくはTPSばかり遊んでいたのだが、ある日TPSでも酔ってしまうゲームに出会ってしまった。
なぜ同じTPSなのに酔うものと酔わないものがあるのだろうか。
そこに疑問を持ったことが、自身が3D酔いを克服するに至ったきっかけだ。
実のところ、自分自身の乗り物酔い耐性は非常に強い。
どれくらい強いかというと、車はもちろん揺れる船の上で本を読んでも大丈夫なくらいだ。
もちろんずっと読み続けられるわけではないが、酔いそうだな感じたら中断すればもとの状態に回復することができる。
つまり、3D酔いと乗り物酔いは発生のメカニズムが同じかもしれないが、耐性は別であることがわかった。
つぎに3D酔いするTPSと3D酔いしないTPSとの違いを考えてみると、そこに明確な違いがあることに気付いた。
酔わないTPSは、基本的に通常操作中はキャラクターが画面に固定されているのだ。
カメラで視点を切り替えることができるが、激しいアクションの最中などは大抵画面の同じ場所に同じ比率でキャラクターが表示されていた。
それに対し、酔いやすいTPSは、キャラクターや視点が絶えず動きまわっていた。
三人称視点でありながら、キャラクターを置き去りにしてカメラが激しく動き続けていたのだ。
その記事においては、FPSの画面に鼻をつけると酔いが緩和されるというのだ。
またある記事においては、画面の中心に丸いシールを貼ると同じく酔が緩和されると書いてあった。
そのことを思い出す限り、TPSにおいてキャラクター自体の位置や比率がそれほど激しく変わらなかったことが、酔いを遠ざけていたことに矛盾しないことが分かった。
それからというもの、FPSをプレイする時は画面中央にある照準に常に意識を集中するようにした。
そうすると確かに酔いを感じるまでの時間が僅かに長くなっていくことが分かった。
画面内で動くものを見つけたら視線を動かし、確認したらまた照準に視線を戻すという繰り返しだ。
確かにそれで酔いは遠ざかったし、これで解決かと思われた。
しかし、画面内にある大量の情報を素早く処理しなくてはいけないFPSにおいて、視線を中心に固定することはデメリットでしかなかった。
そこで、自分が乗り物酔いを中和するときの方法を改めて考えなおしてみることにした。
例えば読書中に自分が乗り物酔いの予感を感じた時、まずはそれを回復させるためにはできるだけ乗り物自体の揺れに身を委ねようとすることから始める。
視点を遠くにして近くの物の動きに意識を取られないようにして、身体を揺れに委ねてその乗り物自体が持つ揺れや遠心力を直接感じられるようにするのだ。
そうしていれば自然と酔いは遠ざかっていく。
今まではそれを無意識にやっていたが、つまりそれを言語化して見れば、「視覚情報の揺れと身体が直接感じる揺れの差異を無くす」ということになる。
もしかすると、これが酔わない秘訣といえるのではないだろうか。
画面内に動かない点を作ってそれに集中するということは、本来そこに無い動きに対し、視線か感じる動きをなくそうと言う努力である。
つまりそれも「視覚情報の揺れと身体が直接感じる揺れの差異を無くす」といえる。
ならば次に試すことは、揺れている視覚情報に対し、身体が感じる揺れを近づけるということだ。
そこでまずは自分が座ったままの状態であっても、歩いている時のように画面の動きにあわせて肩を左右に振ってみることにした。
当然顔は正面を向けたままだが、画面が激しく回転すればそれにあわせて肩を反対にひねり、画面が上下に動けば、それに合わせて胸を前後させてみたのだ。
なんと、これが驚くほどに効果があった。
1時間ほどゲームをプレイしてみたが、まったくもって酔わなかったのだ。
これは目からうろこだった。
自分自身が乗り物酔いに強いという自負から酔いへの対策は身体を落ち着かせることだという思い込みがあったが、もともと実際の動きがないゲームに対しは、酔いの対策は視覚にあわせて身体を動かすということだったのだ。
これを改めて分析してみると、TPSは動きの主体やブレがゲーム内のキャラクターにある。だから自分自身が重力や遠心力を感じる必要がなかったのだ。
ところがFPSは視覚情報に対し、自分自身が重力や遠心力を感じる必要がある。だからこそ、身体をその状態に近づけてやることが酔いの対策となり得たということだろう。
例えばこれは、他人が撮影したビデオ映像を見ているときなんかにも役に立つかもしれない。
撮影者の動きをイメージして、それを自分の身体に再現してやればいいのだ。
酔ってしまうTPSにおいても、揺れを再現する対象をゲーム内のキャラクターではなく、それを撮影しているカメラにあると考えれば、理屈では酔いを和らげることができるはずだ。
最初に断ったとおり、もしある程度乗り物酔いに耐性があるという人は是非試して欲しい。
むしろ身体を動かすまいとしていたことが、自分の酔いを早めていたことに気づくはずである。
そして大変申し訳無いが、そもそも酔いに弱い人に対しては効果が期待できないことを断っておく。
ただ、もしその酔いの原因が視覚から得る揺れの情報と身体が感じる本来の揺れとの差異によるなのだとしたら、その差を無くしてやることで酔いを緩和することができるかもしれない。
その時は効果の有無を聞かせてもらえるととてもありがたい。
よし!
これでプロesportsプレイヤーデビューへの第一歩を踏み出せるだ!
VR版書いた
増田様
誠にありがとうございました。
誠に残念ながら、今回の採用については
見送らせていただくこととなりました。
末筆になりますが、
なんとなく就活でトラウマになったこの文をググってみた。てっきり「選考結果のお知らせ←○ね」みたいなタイトルのまとめサイトがトップに出てくると思ったのだが、真っ先に出てきたのはビジネスメールのテンプレサイトであった。
そのサイトにはお祈りメールのテンプレ文と「相手に望ましくない結果を知らせる場合は例外的にタイトルを婉曲しよう」という誰が書いたのかも分からないアドバイスが書かれていた。
「お祈りメールにテンプレ文があったこと、そして恐らくそれを利用している人間」がいることに驚いた。いやよく考えれば当たり前なのかもしれないが…「会社の人間」もテンプレ文に頼るんだなあ…
しかし就活生が死ぬ思いでできる限り自分の言葉を紡いで面接したのに、採用する方はテンプレ文で呆気なく合否を伝えると思うと、機械的に処理されている感じがして嫌な気分だ。
後タイトルで婉曲表現使うのって、どっちか分からなくて半端に期待してしまうから逆効果だと思う。普通にタイトルで「不合格」とでも書いて欲しかった。
今にして思うと個人的にマシだと思ったお祈り方法は「○日までに合格者だけ連絡」。合格者にはほぼ2日後くらいまでには連絡が来るので、それを過ぎたら早めに諦められたし、お祈りメールも来ないからそこまでショックも受けなかった。メールで視覚化されてしまうとくるものがある。
「直線」の定義ってなんじゃろ、と思って検索してみたら余計わけが分からなくなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E7%B7%9A
・直線とは、どこまでもまっすぐ無限に伸びて端点を持たない。有限の長さと両端を持つものは線分。
・直線は太さを持たない図形である為、厳密に正しく表示した場合、視覚では確認不能となる。
・ユークリッドの幾何学では、直線は本質的に無定義述語である。つまり、「直線とは何か」を直接定義せずに、ただある関係(公理・公準)を満たすものであるとして理論を展開していくのである。
だとしたら、普通の人は「直線を引け」と言われたら「目で見える太さを持つ"線分"」を書いてしまうだろう。この時点で ”それ” が ”直線という言葉に値するか否か” なんて問題はたいした問題ではなくなってしまっているのではないか?
だとしたら、あの太さがある”線分”を「直線で~す」と言ってしまっても許されるのではないか?
教えてえらい人!
http://anond.hatelabo.jp/20160609225646
批評を読んだことがない人間ほどそれを軽んじる。絵が駄目という感想を批評と勘違いするレベルで頭が悪くなる。愛がないからなどと狂ったことをほざく。増田はアート鑑賞というが、実際に鑑賞したことがあるのか。アートは本来教養が必要なものなのだが。自分が好きなものが良いものでそれこそがアートだという幼稚な考えだろうか。
その結果こうやってなんのエビデンスもなく思い込みだけで勝手に妄想を披露しているが、自分がいい観客だなどと騙るのは救い難い。
漫画は手法として小説に近いくらい自由度の高いメディアであり、実写映画はその他映像作品や演劇と比べてもさらに自由度が低い表現だ。映画では空を飛ぶという表現ひとつとっても、物理的な演出に目を配らなければいけない。演劇やMVでは許される飛行描写も映画では許されない。
また、実は漫画はかなりの比重がテキストにある。視覚的パートのはずのバトルシーンを見ても、攻防は内面の声などのテキストで展開される。心理描写の多いテキストベースの原作は、本来視覚ベースの映像表現に向かない。そのため、小説のようなテキストを映画化する場合は内面描写をなくし、また視覚的な小道具を加えるなどあえて違うアイデア・アプローチをすることで原作の内容を伝えようとする。しかし漫画は内容を絵で表現するため視覚的イメージも固定されているので、実写化はさらに難しくなる。
このように自由度が高く視覚イメージの強い漫画を、自由度が低く視覚的な映画表現に置き換えることは単純にハードルが高いのだ。小説原作のように大胆な改変が必要なのだが、幼稚なファンの声がネットを通じて取り上げられ映像表現のための改変にも文句をつけるのだから地獄だ。こうして漫画原作映画はクソばかり出来上がる。
手法が違う原作のイメージに引きずられた方が映画としては失敗するのだから、ネットでよく言われる狭義の「原作への愛」は関係ない。原作へ遠慮した方が悪影響を与える。
もちろん映画ファンより漫画ファンの方が優れた批評家だから漫画の方が優れているという事実もない。何より漫画は評論がされなさすぎだ。だから馬鹿も多い。
何を重視するかは人によって異なるのは当然なんだけど、あまりに温度差があると自分は異常なんじゃないかと不安になる。
とにかく食べ物に興味がない。
極端に不味いとか毒性があるとか特別な場合を除いて、ではあるが、「死なない程度の栄養素とエネルギーが摂取できれば何でもOK」。
食べている「時間」も惜しく、願わくは「一口食べれば一食分に必要な栄養素とエネルギーを過不足なく摂取できる」進化したカロリーメイト的なものがあってほしい。
なぜならば「胃に入れば全部同じ」であり、「死なない程度の栄養素とエネルギーが摂取できれば何でもOK」だからより短い時間でこの目的を達成できる手段が最良なのである。
世の中には幽霊となった人が恋人の危機を救うだとか素敵なメッセージを残していくだとかそういった話も多々あるようなので
そういう存在もいてもいいかなくらいには思うのだが、そういう世界の扉を開けたことは一度もない。
そういうものを見た、何かが写っていた、気持ち悪かった、などという話に聞くたびにいわゆる『霊界』『死後の世界』『あの世』などと呼ばれるものに疑問を挟んでしまいうまく信じることができない。
『死』を受け入れられないというわけではない。
私が死んでも世界は変わらんと思っている。私という存在が消え去るだけだ。
死んだという報せを聞けば何人か悲喜こもごもあるだろうが、それこそ49日ほど過ぎれば死んだことすらどこかへ行く。
たまに思い出されて、「ああいたなあそんなやつ」。そんな人たちもいなくなれば、完全に消滅だ。そういうもんだと思っている。
だからこそ確認したいのだ。本当に死の向こうに、霊体だけが暮らす新世界があるのだろうか?
あらかじめ書きたいが、別にかの世界や特定の宗教等を否定したいわけではない。
○○は××だからwwwwwはい論破wwwwwww などとやる気は一切ない。むしろ逆だ。可能であれば完全に存在を証明されて論破されたい。
これを見て、こういったモノに詳しい誰かが非の打ちどころのないコメントを残してくれるのを見たい。それを心待ちにしている。
(1)心霊写真ってどう思う?
昔々はちょっとしたブームになり、織田無道だとか宜保愛子だとかが毎週のようにTV番組に出てきていたこともあった。
今は「おわかりいただけただろうか」か。流行の強弱はあれ、ずっと続いている心霊写真ブーム。
ところで、あの手の番組に出てくる写真や動画、構図や被写体って似すぎてやしないだろうか。
人間の体は頭、胴体、両手両足、股間まわりと大まかに言ってもこれだけパーツがあるが、
心霊写真って、ぼやっと全身が写っているか部分的なものは頭と手ばかり写っているように思う。
「顔と手には思念が残りやすい」などという話を聞いたりもしたが、それならケツや乳に思念が残ったっていいじゃないかと思う。
短小をバカにされて自殺した童貞男の幽霊がいて、夜な夜な女の宿泊客の顔にBUKKAKEてくる……とかさ。逆にデスペニスでもいいよ。
もうひとつ言うと、人間が霊体を認知するのって圧倒的に視覚じゃないかと思う。
音は幽霊の描写としてよく使われる手段ではあるけども、この音がするから幽霊だというのはイマイチ証拠に欠ける。
においというのはある種個性として認知されるものだが、『この建物はなんだか幽霊くさいぞ』とは聞いたことがない。なんせチョコボっぽいし。
いわゆる『向こうの世界』からくるものが圧倒的に人間ばかりだと思う。人間すぎる。
旧日本軍の兵隊や髪の長い細身の女性の幽霊の話はごまんと聞くが、ヒグマやサメの幽霊が暴れて人が死んだという怪談話を稲川淳二がしたことがあるだろうか。
霊はこの世に未練があってなんちゃらかんちゃらと言うなら、人間さまのご都合で殺されまくった動物の悪霊なんてアホほどいそうなもんである。
忠犬ハチ公の幽霊はご主人が帰るまで待ち続けたのだろうか?そんな話も一切知らない。
地獄という場所も圧倒的に(宗教的に)悪いことをした『人間』を懲らしめることに特化した施設のように思う。
今どきはペットだって洗礼を受けるし、葬儀だって開くわけだろう?
『動物には動物の天国や地獄がある』と主張する人もいるようだが、その世界観が取り上げられたものはほぼないように思う。
どうすれば天国でどうすれば地獄か、どうすればより高次の生き物に輪廻転生できるか、などという判断も人間さま向けの基準だ。
吸血や捕食を生業とする生き物に転生したら、殺したり奪ったりしないと生きられんわけで。
そんな生き物に転生させといて殺すな奪うなと言ってもじゃあどうすりゃいいんだよ……ってなもんじゃないか?
(2)ともちょっとリンクする部分があるが、見出しのままだ。あの世でパンは焼けるだろうか?酒が作れるか?と言ってもいい。
例えばパン職人ひとすじでこの世を去った人がいたとしたら、天国でボサッと呆けてるとは思えない。そりゃ、いっちょ自慢のパンでも焼くかと思い立つだろう。
逆にパン職人だったお父さんを見送った遺族だって、「お父さんはきっと天国でもおいしいパンを焼いてるよ……」とか言うだろう?
お父さんの生き生き天国ライフをかなえるには穀物と菌の存在が必要である。まあいい。生きたものがあの世には行かれないだろうから生きてはいないはず。
つまるところ、『植物や菌類の幽霊』なるものが存在するかどうかだ。
存在するとして。
パンを作るためには穀物をすり潰して粉にしたものをアレコレしたあと菌によって発酵させて、焼くという工程が必要だ。
工程の最中、穀物は当然として菌も死ぬよね。焼かれるわけだし。だとして、幽霊が死んだらどこへ行くんだ??
すぐに生き返って元に戻る、だとしたら最悪だ。イースト菌の霊からしたらなんべんも焼かれては生き返ってまた焼かれるわけだ。
ダンテの神曲に出てきた地獄の図とまったく同じことが天国にいながら天国に行ったパン職人によって引き起こされる。鬼かオヤジ。
さらに死んだ者用のナニガシが存在するとなると、それは無間地獄である。天国にいながら地獄という図は変わらないのではないか。
存在しないとして。
パンはどうしたら作れるだろうか?
墓参りの時に、生前好きだったものを供える習慣がある。寺の坊主に言わせると、お供え物の霊的なナニガシだけを受け取るのだとかなんとか。
これを使えばイケそうな気もするが、毎日墓前に小麦粉とイーストパウダーをお供えする遺族なんて存在しないだろう。なんせ傍から見てどう考えてもおかしい。
せいぜい跡継ぎ息子が焼いたパンをお父さんもぜひ試食してくれ旨いだろうと供えられる程度である。
お父さんも天国でパンを焼きたいのだが、このままではこの世に未練が残ってしまいお父さんが化けて出てしまう。
焼くことが可能だとして、パンはどうなるのだろう?幽霊はパンを食うだろうか?
死んでるんだから食わないというのなら、飢えに苛まれる地獄というのはよくわからない存在になりそうだ。
それに、そう、お供え物だ。我々が良かれと思って供える故人の好物や茶などは、実はありがた迷惑ということに……。それは悲しすぎる。
かと言って普通に食べるということにしてしまうとそれはそれで大変だ。これまでン万年の間に死んだ人間はそれこそ星の数ほどいるわけで。
食い物が、足りなさすぎる。
http://anond.hatelabo.jp/20150829161344
これを書いてから8カ月が経った。
その後は卓袱台に置くことで楽な位置を確保するという方法でどうにか最後までイけるようになり、何回かヤってコツを掴んだ後はわざわざ卓袱台に置かなくとも出来るようになった。
たまに色移りさせてしまう事故は起きているし、準備や収納の手間、さらにはヤる度に筋肉痛で全身がバキバキになるという問題などもあるにはあるが、それでもムラムラきた時に色々もてあますような恰好させてそのまま犯して中田氏するというエロ漫画みたいな行為をしたいという希望はほぼ叶った。脚が無いので脚が必要だったり重要だったりする恰好はさせられないけど。
で、いつも行為が終わった後は一緒に風呂に入って自分自身も含めて洗ってから収納するのだが、ある日洗っていてふと思ったことがあった。
ここで出来ないだろうかと。
数日後、またヤりたくなったので実戦してみようとした。
いつもはベッドにスタンバイするそれを、湯を張った風呂にスタンバイして温める。
自分もちょっと湯船に浸かって温まり、ローションを流し込んでヌレヌレにしていざ始めよう…としたんだけれど。
ド近眼だからアレやナニがどこでどうなっているかぼんやりしか見えないの。
さらに温まっていてシリコンがいつもよりも柔らかくなってるから、さっぱり位置が定められないの。
だから入れられなくてモタモタしているうちにどんどん萎えるの。興奮が維持できないの。
さらに湯に浸かっている所からローションがどんどん流れちゃうの。
だから固くさせ直している(お察しください)うちにローションが無くなっていて、継ぎ足しているうちに固さが足りなくなる悪循環なの。
そうこうしているうちに全然エレクチオンしなくなっちゃったの。
視覚に頼っていたらいつまでも出来ないと思ったから、感触だけで行こうとして、抱きしめたまま準備しようとして気がついたの。
風呂桶の大きさが全然足りなくて、ろくに腕を動かすことすら出来ないの。
それに気がついた時点で行為を諦めて、ローションを洗って全部片づけた。
狭い賃貸住宅で女体の形をしたシリコンの塊との代替セックスしか出来ない貧乏童貞オヤジが高望みをするべきではないというお話でした。
ああ。こんにちは。
今日はゲームのお話をさせてください。そんなに長くないので、ほんのちょっとだけお付き合いくださいね。
私たち人類は、太古の昔っからゲームが大好きなんです。あなたもゲームしますよね?トランプとか、スゴロクみたいなアナログみたいなものから、テレビゲームとか、スマホなんかのゲームもします?ああ、そうですか。あれ、ハマっちゃいますよね。うっかり課金しちゃったりとか。わはは。
でもね、わたしの知ってるゲームシステムは、それよりも、もっとすごいんですよ。「ゲームプール」って言いましてね。映像とサウンドだけでなく、「触った感じ」もリアルに体験することができるやつです。「触覚なんとかファーム」とかいう技術らしいです。自分から言っといてアレですけど、詳しいことは知りませんので、聞かないでください。わはは。
コレすごいんですけど、見た目は全然イケてないんですよねぇ。簡単に言うと風呂ガマです。「棺おけの形した風呂ガマ」ですよぉ。イケてないですよねぇ。この棺おけの風呂に専用のトロトロ液体を入れるんです。んで、そこに横になって浸かるんです。そうです、人が横になるんです。ゲームのために、です。ドロドロの棺おけに、です。さっきの「触覚なんとか」の技術で、ドロドロの液体が「触った感じ」を伝えてくれるんですって。あ。詳しいことは聞かないで。へへへ。
こっからは、歴史の教科書に載ってた話です。先に言っときますけど、受け売りですからね。
このゲームシステムの開発にかかわったY博士ってのが、昔、いたらしいんです。
彼の開発した初期ゲームシステムって、ゴーグルみたいなやつを頭にかぶってイヤホンして、視覚と聴覚に訴えるものだったんですけどねぇ、いや、これはこれで当時は話題になったんですよ。でも、これリアル感に限界がありましてね。どうやったら、リアル感を高められるか、と。
で、結局、Y博士が最後の最後に行き着いた結論が「ゲームプレイ中に、ゲームであることを忘れさせる」システムだったんですよ。ええ、もちろん記憶をなくすのは、一時的なものでゲームが終わったら思い出すんですけどね。
いやいや、これが世界的な大発明でしてね。Googleやら、アップルやら、特許の買収合戦がすごかったんです。ある国なんて、国土の半分と交換に買収交渉したんですよ。びっくりですよねぇ。
ま、いろいろありまして、結局、Y博士は、どこにも売却しないでシステムの設計図から、特許まで全てをオープンにしましてねぇ。そっからですよ、人類が大きく変わっちゃったのは、、、、。
いまでは、人類のほとんどが「ゲームプール」の中にいるんですよ。150億人くらいですかねぇ。プールの外にいるのは、メンテナンスのスタッフだけ。たった40人ぽっちですよ。150億人のメンテナンスするのに、40人ですよ。すごいですよねぇ。
え?みんながやってるゲームですか?
いろいろですけど、ほとんどの人が「REAL STAGE」っていうやつですね。これ、世界中で大ヒットの一番人気です。
現実世界とほとんど変わらない仮想世界で生活するやつなんですけどね。この「REAL STAGE」に130億人くらいいるんですって。「いるんです」って言っても、ホントはゲームプールの中に、ぷかぷか浮かんでるんですけどね。ははは。ぷかぷか。
このゲームの人気のポイントは、なんといっても、「産まれてから死ぬまで、人生まるごと体験できちゃう」とこです。
もちろん恋愛もあるし、結婚もあるし、青春もあるんです。でも、楽しいことばっかりじゃないですよ。困難あってのゲームですからね。学校行って、仕事して、学んだりして、どんどんスキルアップしていくんです。時には特殊な能力を身につけたりすることもあるんです。僕の友達なんか、なんと「将棋」の能力がすごくて、将棋の「能力メーター」が振り切れちゃってましたからね。ゲームの中で、なんとか名人とかになってましたし。ホントいろんなスキルがあって、身につけるのが楽しいもんですよ。
、、、、。
いろいろ、学んで、いろんなスキル身につけたら楽しいですよねぇ、、。
、、、、。
あ。覚えてます? 最初に言いましたけど、このゲームは「ゲームプレイ中に、ゲームであることを忘れさせる」システムですから。
、、、、。
ゲームやってる、ってことを忘れちゃって、現実世界だと思っちゃうんですよ。もちろん、記憶をなくすのは、一時的なものでゲームが終わったら思い出すんですよ。
、、、、。
、、、。
うーん。
、、、、、、。
、、、。
んー、ここまで、お話ししても、まだダメかぁ。困りましたねぇ。
、、、。
もう、こうなったら言っちゃいますけど、驚かないでくださいよ、、、。
、、、。
この文章読んでる、あなたは「REAL STAGE」の中にいるんですよ。
もちろん、ゲームのプレイ中は記憶を消してるから、分かんないんでしょうけども。
ただねぇ、あれなんですよねぇ。あなたのプレイ見てると、何年も、ずーっと冒険はじめてないんですよねぇ。
せっかくのゲームなのに、もったいなくて、もったいなくて、見てられないんですよ。それで、あなたにアクセスしてるんです。
え?わたしですか?
ほんとは、ゲーム中の人に話しかけるのは禁止されてるんですけど。あなたのプレイ見てたら、もう黙ってられなくて。
いや、ほんとに、もうすこし冒険しないと楽しくないですよぉ。このゲーム。
あ!監視員がやってきたんで、この辺でアクセス切りますよ。あいつにバレたらクビになっちゃいますんでね。
読まなきゃ…でも面倒 となって読まない率が増える…
しおりを挟んでいる場合、視覚にも訴える。また、このぐらいの厚さまで読んだという感覚がある。
電子書籍の場合、物理的感覚がないので自分が読んだ量を覚えていない。
このため先の見えないマラソンをしている気分になる。
これは良い面悪い面がある。良い面は劣化しない、安定して読める、自分の好きなフォントにして読める。
悪い面でいうと新鮮さが足りなくなる、ということだ。
それぞれの本ごとの環境が違うことで脳の切り替えができている気分になる。
本棚を見た瞬間にアレを次読もうとか、あの隣にはあの本を新しく入れたい…など。
ある意味盆栽のように本棚を育てている気持ちになる、というのはおおげさだろうか。