はてなキーワード: 美少年とは
キャラ濃いか?いいキャラしてるとは思ったけど、主人公一味方はいい意味で誰も嫌いにならなそうなバランスのとれたキャラ、敵は悲しき過去もちで誰もが同情ができるキャラ、でとがったのはそういないと思うが…性格がリアルに悪すぎる思想なきラスボスは逆に「誰でも嫌いになるキャラ」だったし、いざとなったら自分と家族ごと爆殺できる気合の入った総大将、一見きついが家族思いの兄、無口天然美形キャラ、恋愛脳でお色気前回かわいいおねえさん、笑顔で毒を吐く肝のすわった知的おねえさん、武骨で優しいマッチョ、天才無感情美少年、脳筋野生児、泣き虫だがやるときゃやる女好きと王道をきちんと魅力的に描く稀有な作家だと思ってたんだが…
よっぽど美少年だったんだな
隴西の李徴は博學才穎、天寶の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に驅られて來た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。數年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになつた。一方、之は、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遙か高位に進み、彼が昔、鈍物として齒牙にもかけなかつた其の連中の下命を拜さねばならぬことが、往年の秀才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として樂しまず、狂悖の性は愈〻抑へ難くなつた。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿つた時、遂に發狂した。或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた。
私の中ではフロルは女性的な印象が強かったんですが
確かに彼自身の性自認は男性でしたね…確かにこれを異性愛だと受け取るのは私のバイアスがかかっていたと思います
ただパタリロなど魔夜峰央先生の作品で描かれる同性カップルは異性カップルの置き換えだと私は思っています
作中に出てきたカップルは大体受け攻めが固定されていて、受けは子供を妊娠したり家事・育児を担当するなど一貫して「お嫁さん」的に描かれていますし
マライヒを代表にパタリロにおける男性同性愛者(主に青年×美少年)の受けはほぼ女性と言っても差し支えないんじゃないだろうか、と私は受け取っています
私には10歳年の離れた姉が居た
姉は少年漫画をよく読む人で、幼い私にも自分の漫画をよく貸してくれた
私は現在20代半ばだけど、今でも漫画が大好きなのは間違いなく姉のお陰だと思う
ライジングインパクト、ヒカルの碁、遊☆戯☆王など2000年代初頭のジャンプ作品が好きだった姉は熱心にジャンプを買っていた
中でも姉はテニスの王子様が特にお気に入りで、今でいう所の推しは青学の海堂薫だった
私はテニプリに関しては姉と一緒にTVアニメを見るくらいであまり興味が無かった。それよりワンピースが好きでたまらなかった
姉はワンピースならサンジさんが特に好きで、私はルフィ、ゾロに次いでサンジさんは三番目に好きだった。
今なら本当の意味でサンジさんの良さが理解出来る。当時の私には、ちょっと大人なキャラだった
どうも姉は今思うと少女漫画より少年漫画の方が好きな人だったらしく、少女漫画はあまり貸してくれなかった
私も主にジャンプ派だったのでそこは気にしなかった。私はちゃお、りぼん、なかよしなどを読んで育った訳ではない。
「世紀末リーダー伝たけし!」や「花さか天使テンテンくん」など私が好きで買っていたギャグ漫画を姉も一緒に読んでよく笑っていた
まあ二人の間で一番盛り上がったギャグ漫画はボンボン坂高校演劇部だろうけど…本当に絵が綺麗な漫画だったなー、あれ
という訳で、私はジャンプで育ったジャンプっ子である。マガジン、サンデー、チャンピオンなどに掲載されていた作品は単行本で少し持っているだけだ。
ちなみにチャンピオンの作品だとやはり姉が私に薦めてくれた「覚悟のススメ」が好きだ。グロテスクな描写も多いが、同時にとても耽美な作品だと思う。
中学生以降は幼い頃怖くて敬遠していたあのジョジョの奇妙な冒険にハマってそれはもう奇妙な学生生活を送っていたような気がする。気がするだけだった。
少女漫画に関してはカードキャプターさくらなどファンタジー要素がある作品ならともかく、そうでない内容の漫画はその時あまり興味が無かった
姉が時々貸してくれる少女漫画もあの長寿漫画「パタリロ!」で、ギャグマンガかつ作者が男性という事でどうも正道の少女漫画ではないと思う
姉は花とゆめやプリンセスGOLDに一時ハマっていた時期があったと何年か前に教えてくれたが、私の趣味ではないと思ったのか雑誌を貸してくれた事は無かった
しかしやはり嗜好は似るのか、私は少女漫画を読むにしても「彼氏彼女の事情」「フルーツバスケット」などの白泉社作品や「エロイカより愛をこめて」などの秋田書店作品が多い
それ以外ではパタリロの中でパロディとして登場したポーの一族、風と木の詩、ベルサイユのばらなど昔の作品を少し齧った事しかない
私に少女漫画読みとしての経験値が圧倒的に足りていない事は分かる。長らくの間、私にとって漫画といえば少女漫画ではなく少年漫画だったのだから。
だからかもしれないが、あるいは全く何の関係もないのかもしれないが、私は今でもボーイズラブの良さがよく分からない
パタリロもボーイズラブ的な要素がある作品ではあるが、魔夜峰央先生は女性キャラを描くのが苦手でやむをえなく美少年を描いていたそうなので、パタリロの同性愛カップルはほぼ異性愛カップルと認識しても間違いないかも
萩尾望都先生や竹宮恵子先生など少女漫画の祖と言える人達の作品にもボーイズラブ的な描写はよく出てくるし、「こういうの好きな人多いよねー」と思いながら読んでいた
しかし私は、そういう大御所先生の描いた名作でも、ポーの一族やトーマの心臓のようなボーイズラブ的な要素がある作品より、11人いる!など異性愛的な描写が多い作品の方が自分に合う、と感じる
詳しくは知らないけれど、ボーイズラブというジャンルは少女漫画や女性作家さんが描かれた作品から生まれた、という話は聞いた事がある
私がボーイズラブ作品にどうしてもあまり興味が湧かないのは、基本的に同性愛要素が出てくる事のない少年漫画を育って読んだからか、はたまた生まれ持っての気質か、どちらなんだろうか
でもBL二次創作が好きな人って少年漫画好きな人多いよね?という事はやっぱり自分の気質の方かなあ。
幼い頃にBL系の二次創作に全く触れずに育ったこともあるのかもしれないけど、ボーイズラブの良さが分からない人ってどれくらい居るんだろう?
【追記】
タマネギ部隊、という主人公パタリロ殿下を護衛する武官達が作品に登場するのだけど、
この部隊は隊員のほぼ全員が同性愛者で、数少ない異性愛者は奇異の目で見られている
「女が好きなんてあいつ変態じゃないか?」とマジョリティの同性愛者がマイノリティの異性愛者を蔑む光景は、ギャグなんだけどどこか悲しい物があった
デビュー当初の読み切りなどには女性キャラがメインの作品もありましたが、ある時期から同性愛を扱った物が多くなりましたね
女性を描くのが苦手だったから代わりに美少年を描いたって何かで見た気がするけど何だったかなあ…
バンコランの奥さん(?)マライヒのモデルが魔夜峰央先生の奥さんとも何かで聞いた気がするけど…はて?
【追記2】
お姉さんに『崑崙の珠』と『ゴー!ゴー!ヘブン!』は好きか聞いてくれませんか……私は好きです。
今後機会があったら是非…姉は私の知らない漫画についてよく知っている漫画の師匠!みたいな感じです
徳大寺ヒロミ部長をボーイと呼んで良い物か…あの人性自認「女性」なんですよね…オカマと男性の恋愛も広義の意味ではボーイズラブなのかなあ?
逆に少女漫画に慣れ親しみすぎてたまにBL読んでもシナリオに必然性がない限り男女でよくない?ってなるなぁ(単純にイケメンより美少女が好き)。
これまで自分が触れたBL要素のある作品だと、所謂「受け」側の少年が少女のような顔だったり男性にモテモテだったりでこれ美少年である必要あるのかな?美少女で良くない?とはよく思います
確かに!自分の知ってる作品でも知らない作品でもこういう漫画を読んで育ったって話を聞くのは面白いです
BLというか少女漫画的恋愛全般が理解出来ないのでは?/BL=少女漫画的恋愛という意味ではなく、この増田は「BLが理解出来ない」のではなく「少女漫画的恋愛が理解出来ない」のでは?という意図です
BL要素のある作品は主に古典しか読んだ事が無くて、最近(?)の少女漫画もフルバとカレカノを読んだくらいなので確かに少女漫画やBLについては全然理解出来ていないと自分でも思います
ただ私の場合は作中BL要素も匂わせてある少女漫画(例えばカードキャプターさくらの雪兎さんと桃矢お兄ちゃんの関係みたいな)を読む事はあっても
男性同士の恋愛を中心に繰り広げられる作品を積極的に読む事はあんまり無いかもしれません…吉田秋生先生の作品は読んでみたいなあ、と前々から思ってはいるんですが…
【蛇足】
そういえば私は創作におけるボーイズラブにはこれまで生きてきて接点があまり無かったけど、同性愛者の人に苦手意識がある訳では無い
私の姉は90年代ゆず、スピッツ、KinKi Kidsなどのバンドに熱をあげていた事があって、同時期のJ-POPだと槇原敬之さんの曲も好きだったらしい
その影響という訳じゃないけど私も槇原さんの曲は好きだった。まあ長い間どんなときも。以外の曲を知らなかったけど…とにかく一曲しか知らなくても好きだったと言い張る
何年か前に姉と槇原さんについて話した事があるのだけど、姉は当時槇原さんの曲の中でも「Hungry Spider」が特に好きだったらしい。ちなみに私は「軒下のモンスター」がお気に入りだ。
この二曲は腹を空かした蜘蛛や軒下のモンスターという他者に恐れられる存在の視点から叶わぬ恋や秘めた想いが歌われているという点で近い物を感じる。
やっぱり感性が近いというか今現在の私の嗜好って滅茶苦茶姉の影響を受けているんだなあ…とこういう時に思う。
私は同性愛者の人がどういう立場に居て、どういう思いを抱えているか、我が身の事として理解する事はきっと出来ないだろうけど、
自分の思いを周囲に打ち明けられなくて苦しい、自分の好意を好きな相手に打ち明けられなくて辛い、嫌われたくない…という苦しみを感じるマッキーの曲には共感出来る所が多いし心が揺さぶられる
ところで姉、Hungry Spiderが好きで少女漫画初心者に薦めた漫画がパタリロって…やっぱり私には早すぎるから、と打ち明けなかっただけでボーイズラブ好きだったのかなあ…
20年ほど昔、カードキャプターさくらのアニメを雪兎さん目当てに見ていると言った時「へー、お姉ちゃんは雪兎さんが好きなんだ」くらいにしか思わなかったけど…
今思うと雪兎さんと桃矢お兄ちゃんの二人組が好きだったのかな、姉…私はその時さくらちゃんと小狼くんの二人が好きだったよ…
【蛇足2】
むかしむかし、ドエロあしがらセックス山の卑猥で淫靡でいやらしくてえっちで全ての陰毛フェチが顔を埋めて一生死ぬまでマインドフルネスしたくなるレベルのインモラル剛毛モジャモジャヴァギナのようなクソスケベで存在自体がデスアクメな山奥に、バイオ性玩具ママサカリをセクシーに背負って、強制的に発情アクメさせる分泌液(ぶんぴつえき)を常に体内に送り込む淫猥触手生物で出来た褌(ふんどし)一丁で、そこら辺をスケベにセクシー徘徊しているドスケベ金太郎(どすけべきんたろう)という名前の毎秒4545194回フルタイム無限アクメしているむちむちボディーばきばきペニス(ちんぽ)のMEGAMAX発情男の子がいました。常にMEGAMAX発情しているので、ドスケベ金太郎のセクシーなスケベ肉体は全体的にエロく紅潮していて常に絶対悩殺発情フェロモンが1日30時間放出され続けています。勿論無尽蔵に垂れ流される精液でそこら中にザーメンマーキングをするのも1日として欠かしたことはありません。当たり前ですね。
ドスケベ金太郎が通った後には絶対悩殺発情フェロモンにつられて激発情した淫乱動物や猥褻植物がエロ集まり、デスアクメする度にリバースアクメをしていました。このスケベなセックス山中の淫乱動物達は、死と再生のアクメを繰り返した結果、棒も穴も突起も袋も全てスーパースケベ強くなり、そこら中でクソスケベな色狂いセックスモンスターズが淫乱ペイジ淫獣大乱交っていました。
ドスケベ金太郎の交尾友だちは、セックス山の色狂いセックスモンスターズから選び抜かれた究極の淫乱動物、その名も究極淫乱動物たちです。
ドスケベ金太郎は毎日毎日、究極淫乱動物たちとえちえちすもうをしてエロ遊んでいました。
Welcome to ようこそドエロあしがらセックス山へ。今日もドスケベッタンバコバコッタン破廉恥大騒ぎです。
「ドスケベ金太郎♡スケベがんばれ♡ドエロ淫乱クマさんもエロ負けるな♡」
———変態とは何か?
誰もが疑問に思い、誰もが気付かない内にどうでもよくなるえっちな概念のスケベな答えがこの2行の空白にあります。私達が認知可能な時間で言えば、僅か3秒ほどの時間になるでしょう。
変態とは認知の先を歩む超越助平者です。ほんの僅かな空間の歪みの隙間から認知出来る氷山の一角だけを私達のような健全な一般市民は変態として認知しているに過ぎません。氷山の一角とは言っても、それは変態のごくごく一部の点でしかありません。線でも面でも無いのです。
私達は常に変態と共にいます。しかし私達は変態を点でしか認知する事が出来ず、また変態も私達のような健全な一般市民には興味を持ちません。それでも変態は「性癖」という穏やかな日差しに似た光を私達に与えてくれます。その光に近付き過ぎれば、私達健全一般市民はただでは済まないという事は、太陽に近付き過ぎたドスケベイカロスのお話や、近付くほどアクメしてしまう美しさのドスケベ白雪姫のお話を持ち出すまでもなくスケベ明白です。
先のたった2行のえっちな空白部分には私達健全一般市民には表現も認識も出来ない悍しくもいやらしい変態生物同士の変態行為がきっと記されているのでしょう。ドスケベ金太郎とドエロ淫乱クマのえちえちすもうは、認知を超越した超助平生命体同士のエロ誉れ高き性戦なのです。しかし、私のような健全一般市民に過ぎないただの人間では、この情欲と色欲と淫欲と肉欲と性欲に塗れた性行為ですらない如何わしくて淫らで卑猥な・・・なんだか知らないけどとにかくエロい行為を書いても2行の空白にしかなりません。勿論このお話を読んでいる皆さんにも2行の空白としか認知されないのです。変態とはそんな領域にしか存在しない絶対的な究極の概念なのです。
あたりを視姦(み)まわすと、エロ観戦していた究極淫乱動物達は一匹残らず発情して、交尾しながら交尾され、ひたすらに快楽と悦楽を貪る理性も本能も捨てた性的な猥褻タンパク質となりました。そしてやがて誰も視姦(み)えなくなりました。ドエロあしがらセックス山の究極淫乱動物達はみな認知を超越した変態領域を行き来出来る超助平生命体なのです。こうなるともはやドエロあしがらセックス山に近付く事は出来ません。運悪くふもとまで山菜摘みに来ていた夫婦は急性淫乱発情症候群(ズコバコシンドローム)に陥り、ドロドロの肉塊になるまで交尾を繰り返し、感度3000倍の媚薬花粉をばら撒くスギ科の植物、その名も感度3000倍媚薬杉の養分となりました。近隣のスケベな村々でもえちえちな村人達がむらむらして、ある者は近くにいる人を、ある者は何か近くにある穴のある生き物を、またある人はそこら辺にある棒状の何かを相手にぱこぱこ交尾を始め、一人残らず素直にデスアクメです。
認知を超えた変態行為が終わり、私達健全一般市民にも認知出来る程度のエロさになってきました。ドエロ淫乱クマが海老反り痙攣敗北アクメをしてアヘ転ぶと、周りの究極淫乱動物達も歓喜アクメでドスケベ金太郎のエロ勝利をスケベ祝いました。
「アクメこうさん、アクメこうさん、ドスケベ金太郎はスケベ強いなあ♡でも、次はエロ負けないぞ♡」
流石はドエロあしがらセックス山の究極淫乱動物です。このくらいはへっちゃらなのです。他のイキ物ならば既に絶頂消失(アクメロスト)しているのはスケベ明白です。
・・・このお話を読んでいる皆さんはご存知かと思いますが、念の為にエロ説明すると、エロ花もエロ鳥もエロ風もエロ月も・・・このスケベ世に生きとし生ける全てのエロ生命エロ物質には、三通りのえちえちな終わりがあります。一つはデスアクメ、もう一つは死後もセックスを止めないえっちな発情死骸(デスアクメゾンビ)化、そして脳に快楽を伴う電気信号を流すだけのタンパク質の塊となるバイオ性玩具化です。しかし、このドエロあしがらセックス山には第四のえちえち終わり、変態領域に飛ばされて亜クメ空間をエロ彷徨うスケベ物質となる絶頂消失・・・アクメロストがあるのです。
今度は、えろえろつな引きです。
ドスケベ金太郎一人と、セックス山中の究極淫乱動物たちのスケベ勝負です。ドスケベ金太郎たちは何に使っても卑猥になるエロケツのエロ穴ぽこを淫らに拡げ、あるエロアイテムをセクシーにめり込ませていきます。そのエロアイテムとは、淫靡なつなにいくつも取り付けられ、卑猥に連なった硬めの球状海綿体です。連なった球体が乱れに乱れ過ぎて淫らマックスなケツ穴から次々に抜ければ一瞬でアクメ負けてしまう事は、誰にでも容易に理解出来るはずです。さらに、それはただの球体ではなく、弾力があり保水性がある海綿体です。海綿体には媚薬が染み込んでいます。それはどこのスケベ悪魔が創造したのかはわかりませんが、ほんの少し絞るだけで媚薬が染み出す仕組みでした。しかもこの媚薬は僅か1滴で強制的に毎秒五千兆回アクメさせるえっちな効果があり、可愛く呼べば媚薬ですが正直劇物です。そんな劇物がとっぷしとっぷし染み込んだ猥褻凶器(エロアイテム)を、ドスケベ金太郎達は、生まれる前からそうしているかのようにド極めてド自然に、それでいてセクシーな動作でぷぬぷぬとエロ入れていきます。当然エロ入れる時も劇物が染み出すので、この時点で数回ドスケベ金太郎達は認知をスケベ超越しました。このスケベ悪魔的猥褻凶器が快楽しか知らないクソエロ肛門からスケベ抜けたらどうなるか・・・並のスケベイキ物なら、きっとバ行しか話せなくなるくらいIQが虚無虚無バ行になってしまうのでしょう。
究極淫乱動物たちの中には、体の大きなドエロ淫乱クマやセクハラ淫乱ウシや多目的淫乱ウマや多目的淫乱シカ、平安京セックスエイリアンもいましたが、ドスケベ金太郎にエロかないません。ドスケベ金太郎が卑猥な猥褻ブラックホール(ケツ穴)に
「ふぬっ♡」
と、スケベ力を入れただけで、究極淫乱動物たちは残らず素直に五千兆回アクメをし、その瞬間、ドエロあしがらセックス山自体が周囲のむらむら村人達の認識からエロ消し飛びました。そこにドエロあしがらセックス山があった時間すら消し飛び、むらむら村人達は何エロがエロ起きたのかもエロ知る事はエロありませんでした。
「えろえろつな引きも、ドスケベ金太郎の勝ち♡」
私達健全一般市民には一瞬の出来事でしたが、ドスケベ金太郎や究極淫乱動物にとってはエロ漫画4話分くらいの激エロ淫乱猥褻バトルがあったのかも知れません。とにかく、さっきまで究極淫乱動物たちだったモノがあたり一面にエロ散らばっていました。
なんとも大変スケベ力持ちのドスケベ金太郎ですが、スケベ強いだけでなく、とてもエロやさしいあまえち男の子です。でも少しだけエロ寂しがり屋だったりもします。エロ寂しくなるとバイオ性玩具ママサカリにセクシー頬ずりをしてエロ寂しさをエロ紛らわすのでした。
ある淫靡極まり無いエロスとカオスとリビドー渦巻く日、ドスケベ金太郎はドエロ淫乱クマのセクシーと言うにはあまりにも妖艶なえちえち背中にスケベ乗ってそこら辺で拾ったバイオ性玩具鯉で自慰をして濃い精液をボドボドと射精しながらセックス山道をエロ行くと、チンポを挟む直前のマジでズるまで五秒前のパイオツのような形の、その名も乳ズリ谷のところで淫乱動物たちが各々の一番好きな部分をしこしこしながら困っていました。
「どうしよう?♡えっちな橋がないから、スケベな向こうへエロわたれないよんぅおっ♡おっほおぉっ♡」
「よし、ぼくにまかせておけ」
ドスケベ金太郎は近くにエロ生えている大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木を視姦(み)つけると、
「よし、ちょうどいい大きさだ。可愛いね♡すぅーっ♡くっさぁ♡」
と、とろとろのあまあまえろヴォイスでいって、その大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木にえちえち体当たりをしました。
ドスケベーン!
すると大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木はエロ簡単にスケベ折れアクメてしまい、ドスケベ金太郎がそれを持ち上げて乳ズリ谷にかけると、感度3000倍媚薬花粉大量噴出木は大量の感度3000倍媚薬花粉を噴出させデスアクメし、ドスケベ金太郎に肉コキして欲しさのあまり、チンポのような形にみるみる変形(オスイキトランスフォーム)し、あっという間に一本チンポ橋のエロ出来上がりです。
「わーい♡どうも、ありがとっほお゛お゛ぉお゛っっー♡♡ぴゅーってなゆ♡うれしくてあたまぴゅーってなゆ♡ぴゅーぴゅー♡ぴーぼぼぼぼぉぉぉっっ♡♡♡」
淫乱動物たちはエロ大喜びで、ドスケベ金太郎のつくってくれたチンポ橋を発情した雌犬のようにエロ渡り一匹残らず無限デスアクメしました。ドスケベ金太郎は粋な変形(オスイキトランスフォーム)をしたチンポ橋を優しくヨシヨシしました。チンポ橋は嬉しさのあまり素直に石化アクメをし、より丈夫で硬くて黒光りする淫靡で猥褻なチンポ橋となったのでした。
その後、強いスケベ力とやさしいエロ心を持ったドスケベ金太郎は立派なセックスセクシーセックス若者になり、セックスパンデモニウム京都の、エロえらくて、究極にして無敵、銀河で最もドスケベなお侍さん、その名も・・・エロえらい究極無敵銀河最ドスケベお侍さんのドス家ベ来(どすけべらい)になって、エロえらい究極無敵銀河最ドスケベお侍さんやエロ仲間達と供に、感度五兆倍媚薬酒を尿道から垂れ流して直接チンポから呑めばいいのにわざわざ地面に溢れた尿酒を四つん這いになって呑む特殊オナニーにドハマリしているクソスケベ美少年ふたなり酒キチガイ鬼やドスケベ羅生門に住む淫乱ふたなり鬼、えちえち土蜘蛛やろりろり爆乳老女(290歳)などエロ悪い助平者を次々とドスケベッタンバコバコッタンにバイオ便所化させてやっつけたり、ドスケベ桃太郎一行と淫乱ペイジ淫獣大乱交御前試合を行いセックスパンデモニウム京都をえっちな発情死骸だらけにしたということです。
きちんとした統計を取った訳ではないけれど、ボーイズラブ・少年愛を取り扱った作品の作者は体感では9割以上が女性だと思う。
何故ボーイズラブというジャンルはそこまで女性達に愛されるのか。好き嫌いの話だから正しい答えなんて初めから無いかもしれないけど、それでも考えてみたい。
「好きなキャラクター同士が絡んでいる所を見たいから」という主張は正しいと思う。ハンバーグに目玉焼きを乗せて食べるのは美味しい。
「推しは受け」という言葉もあるように、一番好きなキャラがグイグイと攻められる可愛い所が見たい、という話をよく聞く。
ただそれなら好きな男性キャラと女性キャラの組み合わせでも良い訳で、無理に男性同士の組み合わせに拘る必要は無い。
上位の女性が下位の男性を攻める作品も無くはないが、一般的なBL作品と比べればあまりに数が少なくはっきり言って嗜好としてはドマイナーだろう。
またBL作品において女性の存在感が極めて薄い事を考えると、BLを嗜む女性は女性という存在が嫌いなのだろうか。
しかしその割にはBLという大きなジャンルの中にはトランスセクシャルや女体化というシチュエーションもあり、それも中々の人気を博しているらしい。
それも「ある日男性が女性になってしまった」いわゆる後天的女体化ではなく、「ある男性キャラがもし女性として生まれていたら」という後天的女体化の方が圧倒的人気があるそうな。
初めから女性として生まれていたら…というifはもう女性キャラと変わらないような気がするけれど、BLの一種としてTSを嗜む人からすればまた違うのであろうか。
また、BLにおける「受け攻め」の受けは女性役として扱われる事が多く、女性のように可愛らしく周囲の男性達に愛され、時には「お姫様」として扱われ、セックスの際には必ず挿入される側でなくていけないらしい。
このセックスの際に挿入する側とされる側がいつも同じである事を「固定」と言い、時々逆になる事を「リバ」と言うそうな。一般的にBLは固定を愛する人間が多く、リバはゲテモノ食いの邪道として忌み嫌われている。
BLはファンタジーという言葉があるように、ボーイズラブで描かれる恋愛は現実の同性カップルの恋愛とは大きな隔たりがある。はっきり言えば少女漫画の女性キャラクターの側を男性に置き換えただけの物が大多数ではないだろうか。
なら何故異性愛では駄目なのか?男性キャラに女性役を演じさせるほど男女の恋愛を見たいのに、そうまでして女性キャラを見たくないのか?門外漢ながらBLや腐女子について調べている内に出会った解けない疑問だった。
ある日、自分にとって結構しっくりと来る解答に出会えた。「BLで男性が女性役になるのは、女性が酷い目に遭う所を読者である女性が見たくないから」という、言われて見ればああ、なるほどなぁ…と理解出来る答えだった。
「風と木の詩」のジルベール・コクトーや「BANANA FISH」のアッシュ・リンクスは魔的な美貌で周囲の男達を骨抜きにする絶世の美少年として描かれる。また、過去に男性から暴行された事のある性暴力の被害者でもあった。
自分はこれらの作品に触れた時「美形なのは分かるけどこの作品ホモが多すぎない?」と違和感があった。ここで、「仮にジルベールやアッシュが男性でなく女性で、絶世の美少女だったら?」と考えるとこの違和感が途端に無くなった。
そうした作画以外で、本作の持つ少女漫画的要素といえば、主人公の白人少年・アッシュが女性的立場で描かれていることが挙げられる。ニューヨークのストリートキッズグループでボスを務めるアッシュだが、美しく華奢な容姿が原因で、幼い頃から同性の大人たちから性的暴行を繰り返し受けてきた。そうした経験は彼にとってトラウマとして記憶と身体に刻まれており、自分に性的な眼差しを投げかける人々に対しては、嫌悪の感情を向けている。だが、彼の立ち振る舞いからは、同時に“諦め”のようなものも感じられるのだ。
こうした諦めの感覚は、男性にはなかなか理解されにくいものかもしれない。だが、アッシュは男性でありながら、我々女性と同じサイドに立っている。理不尽に性を搾取されることへ嫌悪を示し、それに抗いながらも強くあろうとする彼の姿には、女性だからこそ大いに共感してしまうのだ。
アッシュは容姿端麗だが、ただ「強くてかっこいい」、「かわいそうな過去があるから応援したくなる」といったタイプの主人公ではない。女性が自分の姿を重ねられるような存在で、さらに、多くの女性が抱えているのと共通した苦悩を背負いながら彼は生きている。そうした類まれな立ち位置にいるからこそ、女性たちはアッシュというキャラクターに惹かれてしまうのだろう。
「風と木の詩」や「BANANA FISH」がBL作品か否かは意見の分かれる所だと思うけど、何故BL作品に女性が登場せず、男性が女性としての役割を担っているかはこういう意見を見て理解出来た気がする。
BLが好きな女性はある意味男性の事が嫌いなのかもしれない。女性が男性と性的な行為を行う事にどうしようもない嫌悪感があるのかもしれない。だから好きな男性を女性として扱って疑似的な異性愛を楽しんでいるのだろうか。
TSや女体化も同じで、「元は男性」なので女性の体であっても女性ではないという扱いなのかもしれない。女性が男性に犯されるのは可哀想だけど、男性が男性に犯されるのは有りという事なのだろう。
男性向けの作品の中にも似たような空気のジャンルがある。「女性視点」「女主人公」物だ。一般的に全年齢向けの女性主人公作品は女性向けの物が多めだが、これがR-18物になると一気に男性向け作品の数が増える。
一般的に男性向け「女性主人公作品」の主人公は酷い目に遭う。とてもじゃないけれど人間的な扱いがされないのは当然と言っていい。リョナという言葉もあるけれど、冷静になって考えると猟奇的なんて言葉では言い表せない。
これが男性向け「男性主人公作品」となると主人公はサディスティックな人物が多く、マゾ向けと言われている物でも「女性主人公作品」の主人公よりは大分マシな扱いだと思う。
昔「サキュバスの巣」という小説サイトがあったけれど、どれも男性が女性の罠にかかり悲惨な結末を迎える物ばかりだった。そのサイトの管理人であり小説を投稿している作家さんは女性だった。女性だから、書けたのだと思う。
創作物においても同性にはどうして自分を重ねたり同情をしてしまうのでそこまで加虐する気になれず、逆に異性なら何の躊躇いもなくどんな性的な行為をさせても心が痛まない人間は多いのかもしれない。朝から何を書いてるんだろう。
なぜかというと「少年漫画でできないことができる」一種の解放区だったから
メジャーな出版社は少年漫画、青年漫画とかの建前上の枠に束縛されていた
当時の男の子向けと言ったら
不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、が王道
「どこに需要があるの?」みたいな扱い
しかぁし!
いい例が魔夜峰央とかだろうな。『パタリロ!』から美少年を取ってみろ
国際謀略スパイアクションにホラーに落語に……どこが少女漫画やねん
当然、少年漫画だったらますますもって編集者が相手してくれない
あと
萩尾望都や竹宮恵子が切り開いた初期やおい(「BL」じゃないぞ)ブームは
大いなる追い風となった
(当時の少年漫画でこれはなかなか受け入れられにくい)
そんなわけで吉田秋生のBANANA FISHみたいな怪作も成立した
1980年代当時の少年漫画がヤンキー臭いスケールの小さな不良バトルばかりの中
本物のピストル振り回して政財界の大物の大人と戦う少年の話の方が
よっぽど面白いだろ!! などと思った男子は俺だけではないはずだ(偏見)
小学生でも知ってるメジャーな存在となったのはやっと1980年代後半
これも当時の少年漫画誌だったら許されなかったよな…
・
・
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↑
【追記1】
「『やおい』ではない」「『少年愛』では?」「『JUNE』では?」
すまん、少なくとも1970年代~1980年代中期「BL」という語句は
【追記2】
「少年漫画誌、青年漫画誌でも実験的なSFやらファンタジーやら作品はあった」
諸星大二郎や星野之宣などのような異才も取りあげた点は評価せねばならん
が、寺沢武一みたいな例外を別にすれば安定した長期連載は少なかった印象
【追記3】
「お前が言ってるのは『花とゆめ』とか一部の少女漫画誌の話だろ」
確かに当時も大多数の少女漫画は普通の中高生男女の恋愛物だったと思う
が、俺はそーいうのに興味なかった
【追記4】
その通り! 今にして思えば、虚淵やら奈須やらその他を輩出した
当時のエロゲ業界こそ、団塊ジュニア世代のオタク系クリエイターにとっての
(1970末~80年代初頭のような)古き良きボーナスステージだったんや
【追記5】
すまん(50歳)
むかしむかし、ある口に出すのも憚られる卑猥で淫靡ないやらしいクソスケベな名前がついた存在自体がセックスなところに、物語の始まりから100日後にセックスのし過ぎでおじいさんとおばあさんになる予定の若い夫婦が住んでいました。
ある淫靡極まりないエロスとカオスとリビドー渦巻く日、おじいさんとなる予定のセクシーイケメンは大助平山へえちえちしばかりに、おばあさんとなる予定のドチャクソエロそうなギャルは感度3000倍の媚薬が溶け込む川、その名も感度3000倍媚薬川へアクメせんたくに行きました。
クソエロギャルが感度3000倍媚薬川でアクメせんたくをしていると、セクシー川上から、ドスケベンブラコ、ドスケベンブラコと、大きなしかし明らかにクソエロい形をしたドスケベな桃が淫らに流れてきました。
「おっ♡おっほおぉっ♡美味しそうな桃ぉ♡持ち帰ろほおんぐぼぼぉ♡♡」
クソエロギャルは剥き出しの性器から性的な体液をびちゃびちゃとだらしなく垂れ流しながらいやらしく大きな桃をセクシーにひろいあげて、道中、獣や野盗や山賊等に襲われたり襲ったりそれを思い出しオナニーなどして計4545194回アクメしながら、ラブラブ家(ハウス)に持ち帰りました。
そして、大助平山の発情キノコを食べてバッキバキにフルボッキし臨戦態勢のままのセクシーイケメンと軽いアクメを連続してキメ続けているクソエロギャルがドスケベな桃をセクシーに食べようとセクシーに切ってみると、なんと卑猥な中からスケベ元気のエロ良い男のセクシー赤ちゃん(ベイビー)と超ウルトラ最強スーパー発情催淫ガスMEGAMAX激盛が飛び出してきました。その瞬間から二人は五十日間自分が何者であるかを忘れ『セックスと言うにはあまりにも交尾』としか思えぬ吐き気がするほど淫らな行為をエロ続けました。エロ疲れきってエロ動けなくなった二人はようやくセクシーな男の子の存在に気付きました。生誕からわずか五十日で少年(スケベボーイ)となるまでに成長したセクシー、いえ、セクシーを超越したドセクシーな男の子の性器にはエロ強さがエロ満ちエロ溢れてエロいました。
「神さまが私たちに子供を与えてくださっだあ゛っ~っ~っ~っ!!♡♡」
子どものいなかったセクシーイケメンとクソエロギャルが大喜びアクメすると、それに応えるように、セクシーな男の子は二人を五十日間休む暇もなくあまあまえちえちに激犯し、全てが終わった頃には二人は精気を奪われすっかりおじいさんとおばあさんのようになっていました。
あまりにもエロくあまりにもドスケベな桃から生まれたドスケベな男の子(セクシースケベボーイ)を、おじいさんとおばあさんはドスケベ桃太郎と名付けました。
ドスケベ桃太郎はやがてチンポもアナルもスケベ強いスーパースケベ男の子になりました。近隣は愚か遠く離れた村々をむらむら感の赴くままに練り歩き、穴という穴、棒という棒を犯し尽くし、エロスに飢える獣じみた性欲の矛先を求める程に成長しました。
その頃、セックスパンデモニウム京都では超ド淫乱鬼ヶ島からやって来たわるい淫乱鬼がスケベに暴れており、ぱこぱこ略奪やずこずこ乱暴、じゅぽじゅぽ狼藉などやりたい放題にエロ暴れていました。そのえちえちな話はセックスパンデモニウム京都からスケベ遠くエロ離れた卑猥なところにも届きました。
そしてある淫色肉情性(ドチャシコエロリビドー)溢れる日、ドスケベ桃太郎がバキバキに勃起したチンポをいやらしくこすり壊れた蛇口のようにカウパー液を垂れ流しながら、耳で六つ子でも孕まんばかりのセクシーボイスで言いました。
覚悟と決意の自慰を見届けたおじいさんは昔大助平山で拾った聖柄の太刀バイブを取り出し、おばあさんは感度3000倍媚薬と桃から精製した1日30時間という矛盾したセックスが出来る精力剤を練り込んだ発情きび団子を作りました。二人に見送られながら、ドスケベ桃太郎は超ド淫乱鬼ヶ島へと出かけました。
淫欲と色欲と肉欲と情欲と性欲溢れる淫靡な旅の途中で、ドスケベ桃太郎はドン引くくらい発情したエロ雌イヌに出会いました。ドスケベ桃太郎とイヌは出逢って2秒で30時間交尾しました。
「ところでドスケベ桃太郎さんはどこへ行くところだったんですか?」
「それでは、お腰に付けた発情きび団子を1つ下さいな。おともしま゛あ゛おぉおおおおおぉっ♡」
事後、イヌはきび団子をもらい、桃太郎のおともになりさらに30時間交尾しました。その姿は人と犬ではなく、二匹の卑猥な性獣のようでした。
二匹の変態性獣は、旅の途中で無垢なショタサルに出会いました。当然のように出逢って2秒で30時間三匹の獣(けだもの)は交尾をし続けました。
「ドスケベ桃太郎さんはどうしてこんな所に来たのですか?」
「超ド淫乱鬼ヶ島へ、淫乱鬼エロ退治に行く途中だったんだ。ケツをだせ。発情きび団子を食べなさい」
「あばばばばば♡」
そうして三匹のスケベな性獣達がいともたやすく行われるいやらしい行為に耽っている隙に、えちえちで男の娘なキジが発情きび団子を盗み喰いしました。何も知らなかったとは言え、キジは素直にアクメです。すぐに三匹の色情性獣に見つかって30時間交尾するのは自然な流れでした。
「ゆ゛る゛し゛て゛え゛え゛え゛え゛♡」
「お前も超ド淫乱鬼ヶ島へ、淫乱鬼エロ退治に行くんだ。オラッイケッ死ねッ」
「ジュポオオオオっ!!♡」
こうして、オナホ雌イヌ、オナホショタサル、クリ痴ンポキジの淫靡で卑猥な変態仲間を手に入れたドスケベ桃太郎は、ついに超ド淫乱鬼ヶ島へやってきました。道中四匹の獣は最低でも五万回はアクメしました。
超ド淫乱鬼ヶ島では、淫乱ふたなり鬼たちが近くのスケベ村からぬすんだセクシーな宝物を穴という穴にブチこんだ白目ダブルピース雌ガキやごちそうを載せたアヘ顔美少年をならべて、媚薬酒盛りガンギマリ乱行パーティの真っ最中でした。
「みんな、チンポはぬけどもぬかるなよ。それ、かかれ!」
イヌは鬼のおしりに甘くかみつきふたなりチンポを穴という穴でしごきあげ、サルは鬼のせなかをフェザータッチでひっかきましたが2秒で返り討ちにあいオナ雑巾にされ、キジはくちばしで鬼の目をつつき鬼畜目隠しあまあま逆レイプ5Pえっちを楽しみました。
そして桃太郎も、刀(チンポ)をふり回してセクシー大あばれです。雑魚淫乱鬼は全員デスアクメしました。
とうとう全ての体毛フェチが見ただけでテクノブレイクしてしまうような容姿の淫乱鬼のセクシー親分が、ぱ行しか喋れなくなるまで快楽と愉悦の暴力を浴びせられ、極太黒光ふたなりスケベちんぽの先、スケベな身体に不釣り合いな可愛らしい尿道に聖柄の太刀(バイブ)を打ち込まれ、
「ぽぷぷぷぴぺぷぱぱぴ♡ぽぷぷぷぴぺぷぱぱぴ♡(もうゆるしてください、もうゆるしてくださいの意)」
と、手をついて土下座した後に蹴り飛ばされてアクメしてクソだらしなくてクソ情けなくてクソはしたない上にクソみっともない完全屈服の腹見せガニ股クソ雑魚ゴミカスアクメ顔をしながらあやまりアクメしました。そして尿道に埋まっていた聖柄の太刀(バイブ)がスケベ天エロ高く破廉恥な勢いで飛び出し、さっきまでセクシーに堰き止められていた性的な体液があたり一面に散らばりました。
ドスケベ桃太郎と雌イヌとショタサルとクリ痴ンポキジは、淫乱鬼から取り上げた体液まみれのセクシーな宝物をセクシーくるまにつんで、セクシーに元気よくラブラブ家(ハウス)にエロ帰りました。もちろんえちえちな道中はイヌサルキジと淫乱鬼親分のIQが虚無になるまで交尾しました。結果ドスケベ桃太郎を除く4匹の性獣はイヌでもサルでもキジでも鬼でもない、脳に快楽を伴う電気信号を流すだけのバイオ性玩具になりました。
おじいさんとおばあさんは、ドスケベ桃太郎の無事なセクシー姿を見て大喜びオーガズムし、あたり一面に散らばった夥しい体液のせいで淫靡な臭気が村々をスケベに包み込み近隣の村々の住人は一斉にむらむら発情期を迎え全員漏れなく素直にデスアクメです。
そして三人は、淫乱セクシー宝物のおかげでしあわせにIQが虚無になるまで交尾をしてくらしましたとさ。
同程度のエロさのBLポスターが公共施設に貼られているのを見た事がないんだけど…
「ガッツリ性行為してないならどこに貼ってもいい」って雑過ぎない?
元twitter全部見ると「BLの殆どが『小柄で女顔の美少年が受け』と言うものだから現実と食い違ってておかしい」という主張だけど、
実際の現代のBLは全然そんな事ないので、元twitterの人が無知なだけなんだけど。
日出処の天子時代の風潮が今でも続いてると主張されても「今はそんな事ないですよ」で終了。
ポスターは知らんけど、肌色の多いBL本なら普通に一般書籍と同じ棚に並んでますがな>https://togetter.com/li/1266758。
本屋の中でも奥まったところにあるでしょ、と言われるかもしれないけど、それを言うなら岩波新書や講談社選書メチエだけ買いに来た人が電撃文庫の表紙を目にするような状況も(少なくとも大型書店でなら)ありえないわけで……
一般書籍は大人向け扱いだけど、電撃文庫が置いている棚は中高生向け扱いだから
特定のコンテンツを死ぬほど掘り下げるわけではないが、Twitterでボクっ娘漫画が流れてくるとフヒッフヒヒッと最悪の笑い声を上げながら閲覧してしまう受動的☆オタクの小生、21歳、学生。(それはもはやオタクではなくただのキモなのでは?と思うが、この話を掘り下げるとつらい気持ちになるので割愛する) 小生は女性器を保有しつつジェンダーが非常~にXに近いQで、漫画の中の彼女たちのように、自分のことを「僕」「俺」「それがし」「拙者」「小生」と称することに憚りが無かったし、むしろ「私」という一人称に抵抗があった。恋愛対象や性的指向は両性に亘り、「18歳のナオンのケツを一生触りたい」という願望と「異性と愛し合って子どもを設けてみたい」という気持ちを両立させながら元気に暮らしていた。
ある日、冷やし担々麺を食いながら、ふと小生は思いを巡らせた。
「俺は高校のころ、Twitter上で同期から『[俺]の言葉遣いはこじらせ銀魂腐女子っぽいし黒歴史になりそう、後々過去ツイ見てジタバタしそう』と言われていたし、そうなることを自分もどこかで願っていた・・・が、思春期過ぎても一人称に変わりは無かったし、このまま母親になっても俺でいるんだろうか・・・だとしたら、先輩ボクっ娘ママを探さなければ・・・・・・ん?一人称が『僕』や『俺』の母親って現実でもコンテンツ上でも全然存在しなくないですか?」
それは、かつて片目をつむったまま遠くの小指を凝視し、自分の盲点をはっきりと認識した感覚に似ていた。想像の盲点だ、視野が広がるとはこういうことだ。うわ~、こういうときに粋な考察をササッと出せるようになるためにも、ジェンダー論しっかり学びたい!という明るいお気持ちに包まれた。しかしながら、まず何も学んでいない状態で結論を出してみて、大いに勉強をした後でファースト・粗野・考察を見返すのもきっと面白いだろうなあと思い、小生はここにそのプリミティブな思想を書き留めておくことにする。以下にはもう、本当に野蛮で無知で最悪な文章が綴られているので、有識者はたたかないでください。
1. 「僕/俺」と「私」の非対称性、「あたし」
そもそも「僕/俺」と「私」、使う人間の層はどう分かれているんだろう?
成人男性は「僕/俺」と「私」の両方を使うことができるが、まだ幼い少年が自分を「私」と言っていると、相応に作為性を感じる。対照的に、女性は若いうちは「僕/俺」の使用が(かろうじて)認められるが、加齢していくにつれて「私」の求心力が極大に近づいていく。ものすごい非対称だな。う~んこれはいったいどういうことなんだろうね。無学なのでわからん!
これは勘ですが、大人(または人間)のデフォ一人称が「私」なのでは?そして、「僕」や「俺」という男性一人称は、男性側が女性と差別化を図るために生み出した切り札のようなもの?二次性徴以前は、男女の体や性格が未分化であり、しゃべらなければ見分けがつきにくい。そこで、素早く同性or異性の判別をして固いホモソーシャルを築くために、少年さんサイドが「私」とは異なる固有の一人称を保有しているのではないだろうか。一方、少女側にもホモソーシャルを築きたいという欲が強い人間がおり、彼女らは「あたし」や「うち」などの一人称を駆使し、多くの友達と連帯し、大概「気が強い」と思われている。男らしい一人称(や女らしい一人称)というのは、未分化な少年少女たちがホモソーシャルを築くための最初の一歩として獲得するものではないか?
思春期に入り、体が性別に沿う姿に分化すると、このような一人称でのジェンダーの探り合いは不要になっていく。ただまあ、精神は連続的なものなので、しばらくは男女両陣営が幼少期に獲得した一人称を保持している。成長に伴いフォーマルな場というものにブチ当たることによって少しづつこの傾向を修正され、多くの場合就活のときに決定的に一人称が「私」に統一されるでござるなあ。(なぜ、フォーマルな場所では一人称が「私」に統一されるのか、それについては勉強によって解明したいと思いました)
男性一人称は本来少年に与えられたもので、それゆえに男性一人称にはどこか瑞々しく未熟な感じが出るのでは。そして、少女が「僕」を使うことで、この若さを維持・増幅しつつ一定の倒錯を生み出すことができる。輿水幸子(デレマス)が自称する「カワイイボク」という概念は、性別の観点から見れば矛盾しているが、若さ・幼さという点においては「カワイイ」と「ボク」が加算的に働いている。うわ~かわいい!最高!いじめたい!
一方、一人称が「私」の少年と言うと、どこか神々しいというか、メカニックというか、そういう・・・人間らしさの希薄性が強調される。あ~中性的でぼんやりした美少年か、エッチだ!ちんぽしごきたい!
【加筆】「あたし/うち」は、「異性と同性を区別する」というよりむしろ「自身のジェンダーを強調する」目的で使われているという点で「僕/俺」と対照的なんではないでしょうか。だから一生使っても問題ない(幼稚さが出にくい)し、オカマのみなさんにも愛用されていることが伺えます。
上記の小生の仮説から考えると、母親というキャラクターと男性一人称はものすごく相性が悪い。(これは持論ですが)母であるということは、その人が異性とセックスをできたということの証左になり、すなわちこころの性が女であるという暗黙の了解が働くよなあ。なおかつ、母親は子を産み育てるという社会的責任を負った存在なので、「心身共に成熟した人間である」という前提が追加で発生している。(本当はそうでもないよね)
この場合、男性一人称の母親というのは「未熟な少年の言葉」でしゃべる「成熟した女性」となってしまい、なんの相乗効果も生まれず、ただただ独特の気持ち悪さを発してしまう。キモすぎて多くの人間の想像の視野に入っていない。(思春期以降の女子が「俺」を使っていると腐女子っぽくてキモいというのも同様の理屈だと思います) 自分の子供に向かって「よしよし、俺はこっちだよ~」と呼びかける母親、なんか嫌じゃないですか?ちなみに小生の性癖にはとても刺さります。
※あと、なんとなく思いが廻ったので加筆しますが、"男性一人称の母親"への抵抗感の発生は、男性と女性とでメカニズムが若干違うのでは?まず男性の場合、母親はどう転んでも客体、すなわち消費されうるキャラクターである。男性が母親というキャラクターに求めているものの第一は「母性」「包容力」なので、自分たちと同一の一人称を用いてこられるとその両方が感じられなくなってしまう、つまり萎えが発生してしまうのでは。一方"母親"が自らの主体となりうる女性の場合はというと、心の中に[母親は成熟した女性であるべき]という縛りが発生していて、男性一人称の母親の存在はこの信条に悖ってしまい、憤りにつながるのではないか。まとめると、"男性一人称の母親"は、男の信仰・女の義務感の両方をくすぐる最悪の概念であるかもしれないということだ。
3. 小生の意見
Twitterで「僕っ子 母親」を調べたら「子供に悪影響出そう」「痛い」みたいな意見が出ていて、それは至極まっとうな感情だと思う一方、小生は悲しいよ。どうして『弟の夫』『きのう何食べた?』みたいにゲイが子育てに関わる話は☆多様性☆の印籠のもとに迎えられるのに、一人称が「僕」の母親は痛いという風潮は変わらないんだろう。かつては同性カップルによる育児も子供への悪影響が懸念されていたが、今ではその心配が杞憂であったことが分かりつつある。おい、ここに多様性、多様性が落ちてるぞ。良いインターネットさん、仕事の時間だよ。インターネットに迎えられなければ、小生が積極的に声を上げていくべきなのだろう。僕が僕として授乳できる社会ができたらちょっと嬉しいかな。
あと、子供を産んだ時点でジェンダーが女であるというのは偏見だぞ。最近SOGIとかいう言葉が流行り出して小生は感極まっている。性自認、性的指向、性表現は相異なるものであるということが認知されつつある。「自分をなんとなく男寄りだと思っているバイの母親」は存在しうる。存在しうるんだよ。多様性ファンならあらゆる可能性を尊重しよう。
とはいえ、「一度出産を経験するとこころの性が女に全振りされる」という現象が存在する可能性もなくはないので、本当にそういうことがあるのかは今後勉強したい。
小生からは以上です。
ある淫靡極まり無い日のエロスとカオスとリビドー渦巻く暮方の事である。一人のえちえち下人が、ドスケベ羅生門の下で感度3000倍の媚薬が溶け込んだ雨やみを待っていた。
極太ディルドもぬらりと零れ落ちるクソビッチの爛れたヴァギナのように広い門の下には、このバッキバキフル勃起男のほかに誰もいない。ただ、所々セクシー丹塗のいやらしく剥げた、ぬらぬらと黒光する大きな円柱に、卑猥な蟋蟀が一匹まるで発情した雌犬のようにとまっている。ドスケベ羅生門が、ドエロ朱雀セックス大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする露出中毒市女笠やザーメンマーキングキチガイ揉烏帽子、平安京セックスエイリアンが、もう辺り一面に性的な体液を撒き散らしながら二三人はありそうなものである。それが、この助平男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、セックスパンデモニウム京都には、えちえち地震とかえろえろ辻風とかむらむら火事とかしこしこ饑饉とか云うエロ災が精通した先天性スケベオスガキの自慰のようにつづいて起った。そこでセックス洛中の淫靡なさびれ方は一通りではない。エロ旧記によると、えっち仏像やえっち仏具を性器で打砕いて、そのエロ丹がついたり、金銀のエロ箔がついたりしたエロ木を、セックス路ばたにつみ重ねて、エロ薪のエロ料に売っていたと云う事である。セックス洛中がその始末であるから、ドスケベ羅生門の快楽修理などは、元より誰も捨てて顧る助平者がなかった。するとそのだらしなく荒れ果てたのをよい事にして、発情狐狸が棲む。エロ盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のないえっちな死人を、この淫猥な門へ持って来て、シコって棄てて行くと云う卑猥な習慣さえ出来た。そこで、美少年の睾丸のような日の目が見えなくなると、誰でも性的興奮を覚えながらも気味を悪るがって、この淫猥な門の近所へは性器からてろてろと体液を滲み出しながらも足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代りまたエロ鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、そのエロ鴉が何羽となくえっちな輪を描いて、エロ高い鴟尾のまわりを快楽に身を委ね啼きながら、淫靡に飛びまわっている。ことにエロ門の上のセクシー空(スカイ)が、スケベな夕焼けでむらむらとあかくなる時には、それがエロ胡麻をセクシーにまいたようにはっきり見えた。エロ鴉は、勿論、快楽門の上にあるえっちな死人の淫らな肉を、性的な啄みに来るのである。――もっとも今日は、セックス刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、猥らに崩れかかった、そうしてそのエロい崩れ目に卑猥な長いスケベ草のスケベにはえたエロ石段の上に、エロ鴉のえっちな糞が、点々と情欲を掻き乱すようにてらてらと白くこびりついているのが見える。えちえち下人は七段あるエロ石段の一番エロ上の段に、えっちに洗いざらした紺の襖のエロい尻を据えて、右の頬に出来た、大きなクリトリスみたいな面皰を気にしながら、ぼんやり、感度3000倍媚薬雨のふるのを眺めてアクメしていた。
えっちな作者はさっき、「えちえち下人が媚薬雨やみを待っていた」と書いた。しかし、えちえち下人は媚薬雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、自分の下卑た肉欲を満足させてくれるスーパースケベ主人のクソエロ家へ帰る可き筈である。所がそのスーパースケベ主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時セックスパンデモニウム京都のエロ町は一通りならずエロく衰微していた。今このえちえち下人が、永年、全身の穴という穴にご褒美をくれたスーパースケベ主人から、エロ暇を出されたのも、実はこのエロい衰微の小さなスケベ余波にほかならない。だから「えちえち下人が媚薬雨やみを待っていた」と云うよりも「媚薬雨にふりこめられたえちえち下人が、止め処なく湧き上がる肉欲の行き所がなくて、エロ途方にくれていた」と云う方が、性的に適当である。その上、今日のエロ空模様も少からず、このセックス平安朝のえちえち下人の SensitiveSukebeSentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した媚薬雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、えちえち下人は、何をおいても差当り明日の情欲溢れる暮しをどうにかしようとして――云わば尿道を塞がれながらされる手コキのようにどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない淫靡な考えをエロたどりながら、さっきからドエロ朱雀セックス大路にふる媚薬雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
媚薬雨は、ドスケベ羅生門を淫猥につつんで、遠くから、くちゅくちゅざあっと云う音をあつめて来る。エロ夕闇は次第にエロ空を低くして、見上げると、スケベ門のドエロ屋根が、斜につき出したえちえち甍の先に、むわぁっと重たくうす暗いピンク雲を支えている。
どうにもならないスケベ事を、どうにかするためには、エロ手段を選んでいるエロ遑はない。選んでいれば、セックス築土の下か、セックス道ばたの土の上で、無限快楽饑死をするばかりである。そうして、このエロ門の上へ持って来て、オナホのように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――えちえち下人の考えは、何度も同じエロ道を低徊した揚句に、卵子に受精した精子のようにやっとこのスケベ局所へ逢着着床した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。えちえち下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「変態盗人になるよりほかに仕方がない」と云うエロい事を、積極的にスケベ肯定するだけの、エロ勇気が出ずにいたのである。
えちえち下人は、大きなエロ嚔をして、それから、大儀そうにはしたないちんぽのように立上った。夕冷えのするセックスパンデモニウム京都は、もう媚薬入り火桶が欲しいほどのエロ寒さである。セクシー風は黒光りする門のエロ柱とエロ柱との間を、卑猥な夕闇とともにビッチの股座よりも遠慮なく、吹きぬける。セクシー丹塗の柱にとまっていたスケベ蟋蟀も、もうどこかへイってしまった。
えちえち下人は、セクシーさを隠しきれない頸をセクシーにちぢめながら、猥褻山吹のエロ汗袗に重ねた、紺の襖のスケベ肩をエロ高くして性欲門のまわりをエロく見まわした。媚薬雨風の快楽への誘いへの患のない、人目にかかる惧という快楽のない、一晩だけでもどうしようもないむらむらから逃れリビドーをリセットして楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、淫夜を明かそうと思ったからである。すると、幸いスケベ門の上のラブ楼へ上る、幅の広い、これもセクシー丹を塗った淫猥梯子が眼についた。上なら、えっちな人がいたにしても、どうせえっちな死人ばかりである。えちえち下人はそこで、情欲が沸滾る腰にさげた聖柄の太刀バイブがエロ鞘走らないように気をつけながら、エロ藁草履をはいた足を、そのエロ梯子の一番エロ下の段へふみかけ何度も射精した。
それから、何分かの後である。ドスケベ羅生門のラブ楼の上へ出る、まるで淫乱女の股のようにスケベ幅の広いエロ梯子のシコい中段に、一人の助平男が、発情期の雄猫のようにスケベな身をちぢめて、エロい息をエロ殺しながら、エロ上のエロ容子をエロ窺っていた。ラブ楼の上からさす情欲と色欲と肉欲と淫欲と性欲が混じり合った火のエロス光が、かすかに、その男の隠しきれない性欲に満ち満ちた右の頬をにるにるとぬらしている。どうしようもなく性欲が滲み出てしまう短い鬚の中に、エロ赤く膿を持った卑猥面皰のあるどうみてもエロい頬である。えちえち下人は、始めから、この上にいる助平者は、えっちな死人ばかりだとシコ高を括っていた。それが、エロ梯子を二三段上って見ると、上では誰か妖艶な火をとぼして、しかもそのスケベな火をそこここと夜明けの自慰勃起ペニスのように動かしているらしい。これは、そのエロく濁った、浅ましくもいやらしい黄いろいスケベ光が、隅々にエロ蜘蛛のラブ巣をかけたスケベ天井裏に、卑猥と言うにはあまりにも淫猥に揺れながらエロエロしく映ったので、すぐにえっちなそれと知れたのである。この媚薬雨の淫夜に、このドスケベ羅生門のエロ上で、エロ火をともしているからは、どうせただの助平者ではない。
えちえち下人は、セクシーな淫乱守宮のように卑猥な足音をぬすんで、やっと急なエロ梯子を、一番上のエロ段までやらしく這うようにして上りつめた。そうして情欲が服を着ているような体を出来るだけ、助平にしながら、淫欲をそそる頸を出来るだけ、えっちに前へ出して、恐る恐る、ラブ楼の内を覗いて見た。
見ると、ラブ楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかのえっちな死骸が、無造作に棄ててあるが、エロ火のスケベ光の及ぶ範囲が、処女の少年の菊門のごとく思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、エロおぼろげながら、知れるのは、その中に裸のえっちな死骸と、破廉恥な着物を着たえっちな死骸とがあるという事である。勿論、中には淫乱女も変態男もエロエロにまじっているらしい。そうして、そのえっちな死骸は皆、それが、かつて、生きていたドスケベ人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏ねて造ったオナ人形のように、卑猥な口を開いたり手を淫靡に延ばしたりして、ごろごろエロ床の上にころがっていた。しかも、スケベな肩とかエロい胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりしたエロ火のスケベ光をうけて、卑しくも低くなっている部分の淫猥な影を一層暗くしながら、永久に唖ヘ豚の如くエロ黙っていた。
えちえち下人は、それらのえっちな死骸の破廉恥な腐爛したスケベ臭気に思わず、情欲を隠しきれない鼻を掩った。しかし、そのエロい手は、次の瞬間には、もうはしたない鼻を掩う事を忘れていた。あるエロくて強い感情が、ほとんどことごとくこの助平男のえちえち嗅覚を奪ってしまったからだ。
えちえち下人のエロい眼は、その時、はじめてそのえっちな死骸の中に淫らに蹲っているクソスケベな人間を見た。檜皮色の猥褻な着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、発情しているのが猿にでもわかる発情した牝猿のような淫乱老婆である。その淫乱老婆は、見るだけで射精してしまうような猥らな右の手にエロ火をともした松の木片を持って、そのえっちな死骸の一つのデスアクメ顔をいやらしい牝の目で覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分クソビッチ女のえっちな死骸であろう。
えちえち下人は、六分の恐怖を超えた性欲と四分の好奇心を煮凝りにした情欲とに動かされて、暫時はエロ呼吸をするのさえ忘れていた。エロ旧記のスケベ記者の淫語を借りれば、「えちえち頭身の毛もむちむち太る」ように感じたのである。すると淫乱老婆は、エロ松の木片を、床板の間に自慰のようにぬぷりと挿して、それから、今まで眺めていたえっちな死骸のエロい首に両手をかけると、丁度、スケベ猿の親がスケベ猿の子のエロ虱をとるように、その長いエロスに濡れた髪の毛を一本ずついやらしい手つきで抜きはじめた。髪は手に従ってえっちに抜けるらしい。
その髪の毛が、一本ずつ卑猥に抜けるのに従って、えちえち下人のえちえち下心からは、恐ろしく怖い程のエロスが少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この淫乱老婆に対するはげしい憎悪にも似たリビドーが、少しずつ動いて来た。――いや、この淫乱老婆に対すると云っては、えっちな語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪エロスに対する反感が勃起したペニスの痛みのように、一分毎にエロ強さをエロ増して来たのである。この時、えっちな誰かがこのえちえち下人に、さっき快楽門の下でこの助平男が考えていた、エロ饑死をするか変態盗人になるかと云うドスケベ問題を、改めてエロく持出したら、恐らくえちえち下人は、何の未練もなく、エロ饑死を選んだ事であろう。それほど、このスケベ男の悪エロスをエロ憎むスケベ心は、淫乱老婆の床に挿したおちんぽ松の木片のように、勢いよく卑猥に燃え上り出していたのである。
えちえち下人には、勿論、何故淫乱老婆がえっちな死人の髪の毛をいやらしい手付きで抜くかわからなかった。従って、勃起的合理的エロス的には、それをエロ善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかしえちえちな下人にとっては、この雨の淫夜に、このドスケベ羅生門の上で、えっちな死人の髪の毛をしこしこ抜くと云う事が、それだけで既におちんぽが許すべからざる悪エロスであった。勿論、えちえち下人は、さっきまで自分が、淫乱盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで、えちえち下人は、バキバキに勃起したぬらぬらおちんぽとスケベな両足にエロ力を入れて、いきなり、エロ梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の太刀バイブに手をかけながら、大股に淫乱老婆の前へ歩みよった。淫乱老婆が驚いてビックリアクメしたのは云うまでもない。
淫乱老婆は、一目えちえち下人を見ると、まるで弩に剥き出しクリトリスでも弾かれたように、飛び上った。
「おのれええ゛・・・♡、どこへイグおほっ♡」
えちえち下人は、淫乱老婆がえっちな死骸につまずきながら、慌てふためいてアクメ汁を垂れ流しながら逃げようとする行手を塞いで、こうアヘ罵った。淫乱老婆は、それでもえちえち下人をつきのけてイこうとする。えちえち下人はまた、それをイかすまいとして、快感を求めてだらしなく降りて来た子宮ごと押しもどす。えっちな二人はえっちな死骸の中で、しばらく、無言のまま、卑猥につかみ合った。しかしエロ勝敗は、はじめからわかっている。えちえち下人はとうとう、淫乱老婆のエロい腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。丁度、卑猥な鶏のスケベな脚のような、エロ骨とエロ皮ばかりのエロ腕である。
「何をしていたあ゛~っ♡云えぅっ♡おっほ♡云わぬと、これだぞよおほぉおっ♡」
えちえち下人は、淫乱老婆をつき放すと、いきなり、太刀(ちんぽ)の鞘(皮)を払って、白い鋼の色欲をその眼の前へつきつけた。けれども、淫乱老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、夥しいアクメ汁を穴という穴から垂れ流し、眼を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、ガンギマリアクメして、唖ヘ豚のように執拗く黙っている。これを見ると、えちえち下人は始めて明白にこの淫乱老婆のアクメ生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識して湧き上がるリビドーを睾丸と前立腺で感じた。そうしてこのエロ意識は、今までけわしく卑猥に燃えていた憎悪のスケベ心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、あるエロい仕事をして、それが円満エロスに成就した時の、安らかなエロ得意とスケベ満足と狂おしい程の快楽とがあるばかりである。そこで、えちえち下人は、淫乱老婆を見下しながら、卵巣に快楽を与えるような少し声を柔らげてこう云った。
「己はドス検非違使の庁のエロ役人などではない。今し方このドスケベ門の下を通りかかった淫乱旅の助平者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はないが勃起して精巣が精子を生み出すのを実感しているんほ゛ぉお゛っ♡ただ、今時分このドスケベ門の上で、エロスと言うにはあまりにもスケベな何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだおほぉ♡」
すると、淫乱老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとそのえちえち下人のトロ顔を見守った。
エロまぶたの赤くなった、発情した肉食鳥のような、鋭いアヘ眼で見たのである。それから、淫らな皺で、ほとんど、鼻と一つになった淫猥甚だしい唇を、何か卑猥な物でも噛んでいるように動かした。細いキツキツ喉マンコで、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、エロ鴉のアクメ啼くようなトロ声が、喘ぎ喘ぎ、えちえち下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてなっ♡、この髪を抜いてなっっ♡、えちえち鬘オナホにしようと思うたのじゃッ♡」
えちえち下人は、淫乱老婆の答が存外、平凡なのに失望勃起した。そうして失望勃起すると同時に、また前のエロ憎悪が、冷やかな侮蔑射精感と一しょに、スケベ心の中へはいって来た。すると、その気色が、先方へもエロ通じたのであろう。淫乱老婆は、片手に、まだえっちな死骸の頭から奪った長い抜け毛を卑猥に持ったなり、スケベ蟇のつぶやくようなアヘ声で、いやらしく口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程なッ♡、えっちな死人の髪の毛を抜くと云う事はんぅおっ♡おっぉっ♡何ぼうエロ悪い事かも知れぬひぃんっ♡じゃが、ここにいるえっちな死人どもはあ゛~っ、皆、そのくらいスケベな事をほぉっ♡されてもいいドスケベ人間ばかりだぞよっ♡おっほぉっ♡現在、わしが今、髪を抜いた肉便器女などはなァハァッ♡蛇を四寸ばかりずつに切って干したのをホォ♡干魚オナホだと云うてへぇん♡太刀帯のラブ陣へ売りに往んだわへぇ♡アクメ疫病にかかってアクメ死ななんだらあへぇぉ♡今でも売りに往んでいた事であろほぉぽぉ♡それもよ、この女の売る干魚オナホはッ♡味がよいと云うて、太刀帯チンポどもがいひぃっ♡欠かさずオナ菜料に買っていたそうな♡わしは、この肉便器女のした事が悪いとは思うていぬ♡せねば、饑アクメ死をするのじゃて、仕方がなくした事であろほぉ♡されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよほぉ♡これとてもやはりせねば、饑アクメ死をするじゃてぇっ♡仕方がなくする事じゃわいのッ♡じゃて、その仕方がない事をッ♡よく知っていたこの肉便器女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろぅおっ♡」
えちえち下人は、太刀バイブを自らのアナル鞘におさめて、その太刀バイブの柄を左の手でおさえながら、冷然として、しかし射精しながら、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きなクリトリス面皰を気にしながら、射精しつつ聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、えちえち下人のスケベ心には、あるチンポ勇気が生まれて来た。それは、さっき快楽門の下で、この助平男には欠けていたチンポ勇気である。そうして、またさっきこの快楽門の上へ上って、この淫乱老婆を卑猥且つ淫靡に捕えた時のチンポ勇気とは、全然、反対な方向に動こうとするチンポ勇気である。えちえち下人は、エロ饑死をするか淫乱盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの助平男のエロ心もちから云えば、エロ饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されてとめどなく溢れる精液に集中していた。
「きっと、そうか♡びゅる♡」
淫乱老婆の話が完ると、えちえち下人は嘲るような声で念を押しまた射精した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手をクリトリス面皰から離して、淫乱老婆のエロスに溢れた襟上をつかみながら、エロ噛みつくようにこう云った。
「では、己が引剥セックスをしようと恨むまいな♡己もそうしなければ、エロ饑死をする淫らな性と色情の肉体なのだ♡」
えちえち下人は、すばやく、淫乱老婆の猥褻着物をエロい手つきで剥ぎ取った。それから、エロい足にしがみついて爛れた肉壁でしごこうとする淫乱老婆を、手荒くえっちな死骸の上へ蹴倒しアクメした。エロ梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。えちえち下人は、剥ぎとった檜皮色の猥褻着物をわきにかかえて、またたく間に急なエロ梯子を淫夜の底へかけ下りた。
しばらく、アクメ死んだように倒れていた淫乱老婆が、えっちな死骸の中から、その老婆とは思えぬエロスを超えたスケベな裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。淫乱老婆はつぶやくような、うめくようなトロ声を立てながら、まだ燃えているエロ火のスケベ光をたよりに、エロ梯子の口まで、自慰をしながら這ってイった。そうして、そこから、短い白髪をエロく倒にして、快楽門の下をいやらしく覗きこんだ。外には、ただ、だらしなくアクメした膣内のような黒洞々たる淫夜があるばかりである。