特定のコンテンツを死ぬほど掘り下げるわけではないが、Twitterでボクっ娘漫画が流れてくるとフヒッフヒヒッと最悪の笑い声を上げながら閲覧してしまう受動的☆オタクの小生、21歳、学生。(それはもはやオタクではなくただのキモなのでは?と思うが、この話を掘り下げるとつらい気持ちになるので割愛する) 小生は女性器を保有しつつジェンダーが非常~にXに近いQで、漫画の中の彼女たちのように、自分のことを「僕」「俺」「それがし」「拙者」「小生」と称することに憚りが無かったし、むしろ「私」という一人称に抵抗があった。恋愛対象や性的指向は両性に亘り、「18歳のナオンのケツを一生触りたい」という願望と「異性と愛し合って子どもを設けてみたい」という気持ちを両立させながら元気に暮らしていた。
ある日、冷やし担々麺を食いながら、ふと小生は思いを巡らせた。
「俺は高校のころ、Twitter上で同期から『[俺]の言葉遣いはこじらせ銀魂腐女子っぽいし黒歴史になりそう、後々過去ツイ見てジタバタしそう』と言われていたし、そうなることを自分もどこかで願っていた・・・が、思春期過ぎても一人称に変わりは無かったし、このまま母親になっても俺でいるんだろうか・・・だとしたら、先輩ボクっ娘ママを探さなければ・・・・・・ん?一人称が『僕』や『俺』の母親って現実でもコンテンツ上でも全然存在しなくないですか?」
それは、かつて片目をつむったまま遠くの小指を凝視し、自分の盲点をはっきりと認識した感覚に似ていた。想像の盲点だ、視野が広がるとはこういうことだ。うわ~、こういうときに粋な考察をササッと出せるようになるためにも、ジェンダー論しっかり学びたい!という明るいお気持ちに包まれた。しかしながら、まず何も学んでいない状態で結論を出してみて、大いに勉強をした後でファースト・粗野・考察を見返すのもきっと面白いだろうなあと思い、小生はここにそのプリミティブな思想を書き留めておくことにする。以下にはもう、本当に野蛮で無知で最悪な文章が綴られているので、有識者はたたかないでください。
1. 「僕/俺」と「私」の非対称性、「あたし」
そもそも「僕/俺」と「私」、使う人間の層はどう分かれているんだろう?
成人男性は「僕/俺」と「私」の両方を使うことができるが、まだ幼い少年が自分を「私」と言っていると、相応に作為性を感じる。対照的に、女性は若いうちは「僕/俺」の使用が(かろうじて)認められるが、加齢していくにつれて「私」の求心力が極大に近づいていく。ものすごい非対称だな。う~んこれはいったいどういうことなんだろうね。無学なのでわからん!
これは勘ですが、大人(または人間)のデフォ一人称が「私」なのでは?そして、「僕」や「俺」という男性一人称は、男性側が女性と差別化を図るために生み出した切り札のようなもの?二次性徴以前は、男女の体や性格が未分化であり、しゃべらなければ見分けがつきにくい。そこで、素早く同性or異性の判別をして固いホモソーシャルを築くために、少年さんサイドが「私」とは異なる固有の一人称を保有しているのではないだろうか。一方、少女側にもホモソーシャルを築きたいという欲が強い人間がおり、彼女らは「あたし」や「うち」などの一人称を駆使し、多くの友達と連帯し、大概「気が強い」と思われている。男らしい一人称(や女らしい一人称)というのは、未分化な少年少女たちがホモソーシャルを築くための最初の一歩として獲得するものではないか?
思春期に入り、体が性別に沿う姿に分化すると、このような一人称でのジェンダーの探り合いは不要になっていく。ただまあ、精神は連続的なものなので、しばらくは男女両陣営が幼少期に獲得した一人称を保持している。成長に伴いフォーマルな場というものにブチ当たることによって少しづつこの傾向を修正され、多くの場合就活のときに決定的に一人称が「私」に統一されるでござるなあ。(なぜ、フォーマルな場所では一人称が「私」に統一されるのか、それについては勉強によって解明したいと思いました)
男性一人称は本来少年に与えられたもので、それゆえに男性一人称にはどこか瑞々しく未熟な感じが出るのでは。そして、少女が「僕」を使うことで、この若さを維持・増幅しつつ一定の倒錯を生み出すことができる。輿水幸子(デレマス)が自称する「カワイイボク」という概念は、性別の観点から見れば矛盾しているが、若さ・幼さという点においては「カワイイ」と「ボク」が加算的に働いている。うわ~かわいい!最高!いじめたい!
一方、一人称が「私」の少年と言うと、どこか神々しいというか、メカニックというか、そういう・・・人間らしさの希薄性が強調される。あ~中性的でぼんやりした美少年か、エッチだ!ちんぽしごきたい!
【加筆】「あたし/うち」は、「異性と同性を区別する」というよりむしろ「自身のジェンダーを強調する」目的で使われているという点で「僕/俺」と対照的なんではないでしょうか。だから一生使っても問題ない(幼稚さが出にくい)し、オカマのみなさんにも愛用されていることが伺えます。
上記の小生の仮説から考えると、母親というキャラクターと男性一人称はものすごく相性が悪い。(これは持論ですが)母であるということは、その人が異性とセックスをできたということの証左になり、すなわちこころの性が女であるという暗黙の了解が働くよなあ。なおかつ、母親は子を産み育てるという社会的責任を負った存在なので、「心身共に成熟した人間である」という前提が追加で発生している。(本当はそうでもないよね)
この場合、男性一人称の母親というのは「未熟な少年の言葉」でしゃべる「成熟した女性」となってしまい、なんの相乗効果も生まれず、ただただ独特の気持ち悪さを発してしまう。キモすぎて多くの人間の想像の視野に入っていない。(思春期以降の女子が「俺」を使っていると腐女子っぽくてキモいというのも同様の理屈だと思います) 自分の子供に向かって「よしよし、俺はこっちだよ~」と呼びかける母親、なんか嫌じゃないですか?ちなみに小生の性癖にはとても刺さります。
※あと、なんとなく思いが廻ったので加筆しますが、"男性一人称の母親"への抵抗感の発生は、男性と女性とでメカニズムが若干違うのでは?まず男性の場合、母親はどう転んでも客体、すなわち消費されうるキャラクターである。男性が母親というキャラクターに求めているものの第一は「母性」「包容力」なので、自分たちと同一の一人称を用いてこられるとその両方が感じられなくなってしまう、つまり萎えが発生してしまうのでは。一方"母親"が自らの主体となりうる女性の場合はというと、心の中に[母親は成熟した女性であるべき]という縛りが発生していて、男性一人称の母親の存在はこの信条に悖ってしまい、憤りにつながるのではないか。まとめると、"男性一人称の母親"は、男の信仰・女の義務感の両方をくすぐる最悪の概念であるかもしれないということだ。
3. 小生の意見
Twitterで「僕っ子 母親」を調べたら「子供に悪影響出そう」「痛い」みたいな意見が出ていて、それは至極まっとうな感情だと思う一方、小生は悲しいよ。どうして『弟の夫』『きのう何食べた?』みたいにゲイが子育てに関わる話は☆多様性☆の印籠のもとに迎えられるのに、一人称が「僕」の母親は痛いという風潮は変わらないんだろう。かつては同性カップルによる育児も子供への悪影響が懸念されていたが、今ではその心配が杞憂であったことが分かりつつある。おい、ここに多様性、多様性が落ちてるぞ。良いインターネットさん、仕事の時間だよ。インターネットに迎えられなければ、小生が積極的に声を上げていくべきなのだろう。僕が僕として授乳できる社会ができたらちょっと嬉しいかな。
あと、子供を産んだ時点でジェンダーが女であるというのは偏見だぞ。最近SOGIとかいう言葉が流行り出して小生は感極まっている。性自認、性的指向、性表現は相異なるものであるということが認知されつつある。「自分をなんとなく男寄りだと思っているバイの母親」は存在しうる。存在しうるんだよ。多様性ファンならあらゆる可能性を尊重しよう。
とはいえ、「一度出産を経験するとこころの性が女に全振りされる」という現象が存在する可能性もなくはないので、本当にそういうことがあるのかは今後勉強したい。
小生からは以上です。
わい氏母親だけどワイとかオレとかよく使うよ、とくにネットね あと現実でも荒ぶったときは「オレのドリルは天をぶち抜くドリルダァ~」とかはいうね 娘は18歳こえたけどうつ伏せ...
アラフィフ?くらいのオタクお母さんでオイラ使いけっこう見る
娘は18歳こえたけどうつ伏せに寝て動画みてるときの尻はすきなだけ揉ませてくれるいい娘 痴漢やん エロい場面で尻揉まれても母親の顔がちらついて興奮できないだろうな…かわい...
両性愛者かつ多数性愛者かつ近親性愛者なのか
「ワイ」かあちゃんイイ
おい、ここに多様性、多様性が落ちてるぞ。良いインターネットさん、仕事の時間だよ。 これ好き。わかる。
anond:20200701023745 個の前に性があるとか極めて宗教的 どうしても彼・彼女らは性の前に個があるとはならんのよな けど、そういう伝統的な人たちの価値観を尊重するのもまた多様性なのだ...
っていねーかハハッを思い出した
僕や俺という一人称は自分本位で子供っぽいから親が使う一人称としては好ましくないんだろ あたしでも微妙なとこだしな 子供が子供育ててる感じがするから「痛い」という感想になる...
夫婦間で一人称二人称に「父」「母」の属性をもたせると、セックスレスや不和につながるらしいじゃん 夫婦間でもセックスしてる国とかは「お前の父」「お前の母」って言い方するし...
>「お前の父」「お前の母」 違いがわからん 一人称二人称に関わらず子供ができるとホルモンのせいで強制的に恋愛対象から家族にジョブチェンジするって話だし呼び方でそんな変わ...
呼び方が男女や夫婦などに限らず、友人、職場などを含めた人間関係に与える影響が結構あることは昔から知られてるぞ。
夫や妻に対して「おとうさん」や「おかあさん」と呼ばないってのと、子供に対しても「〇〇ちゃんのお父さん」「〇〇ちゃんのお母さん」って言うって意味で書いたんだけど、言葉足...
二人称に父母を使わないってことか 日本の場合子供が生まれた後の二人称が父母以外だと「おい」とか「お前」とか「あなた」なのが悪い気もする あと労働環境な。つか労働環境が一番...
そうそう、「おい」とか「なあ」とか「ねえ」ってそもそも呼ばないとか、「お前」とか「あなた」とか関係が明らかに悪くなるみたいなんだよね。 少ないサンプルだけど知ってる夫婦...
連ちゃんパパってことか
オレ女なら肝っ玉母さん枠で受け入れられそう。頼りになる男らしさはむしろ母親の役割に合うから。僕っ子は中性的で少年のような儚さと純粋さを持っている(個人の見解です)から...
鳥居『キリンの子 鳥居歌集』(2016.2,アスキー・メディアワークス) この人の母親が一人称僕じゃなかったっけ。
元々一人称には性差は無かったんじゃないかなぁ…。あくまで想像だけど、私、俺に元々性差はなかったと推論するよ。 実際、現代でも俺を使う女性もいる。大抵、高齢者で訛りが強い...
女だけど自分のことワオって呼んじゃう
キツネザルは日本にいたらあかんよ 絶滅するまえに原産地におかえり