はてなキーワード: 玩具とは
いやマジで竜ってウザくないですか?
アイツラって結局はただの爬虫類ですよね?
つうか竜って飛べるってイメージありますけど、アレって西洋ではコウモリで東洋では雲がベースなんですけど、冷静に考えるとダサキモですよね?
コウモリとか雑菌をそこら中にばら撒く夜行性の飛行物質で、大きさ以外はほぼゴキブリと同じ枠組みじゃないですか?
雲に至ってはもう完全に子どもの発想ですよね?あの雲ソフトクリームみたいで美味しそ~~~のレベルですよ脳みそ幼稚園児ですかね?
そもそも龍のデザインって雑に色んなパーツ合わせただけのキメラでしかなくて想像力とか皆無ですよね?
九似だなんだと言っても子供が玩具のロボットを組み替えてオリジナルロボット作った気になってるのと同じレベルのお遊びといいますか。
虎のような眼光に、鹿のような角に、コウモリの羽、トカゲの胴体、蛇の尻尾、なんなんですかこれは魔法薬のレシピですか?
ほんまにしょーもない。
こんなのが最強キャラ扱いされているってことが人類の恥っていうか、小学生メンタルの種族って感じじゃないですか?
あーなんか、マジで龍ってしょーもないな。
SMではないというが、広く言えばエゴイスティックなマゾヒストにぐいぐい来られたいという性癖だと思う
わたしもバニラセックスは動物的でつまんねえと感じる(というか積極的に倦厭している)性質なので、あなたがそうかは分からんが、自分の感覚を言うとそうなる
いやまあセックスにも前戯だの体位だのの工夫の余地はあるんだろうけど結局挿入に行きつくのが予定調和的でキモい
アンコントローラブルな他者性と不合理なこだわりに女の知性を感じながら、相互に相手を玩具として利用する共同オナニーがしたい訳よ。わたしは
そもそも普通のセックスに興味がない。途中で飽きてしまう。"このボタンを押せばこう反応する"というだけの「つまらない人形」を相手にしているようで、作業のように感じてしまい嫌になってしまう。
最近は「どんな異性が好みですか?」と質問されたら「変態」とか「変な性癖を持っている人」と答えるようにしている。いい雰囲気になってなんとなくそういう流れになっても、「ああ、また普通のセックスしなきゃいけないのか、うんざりだなぁ」と思ってしまうから、最初から「普通のセックスには興味がないですよ」と伝えることにしている。
「相手が普通じゃない性癖をもっていてそれが暴走していく様」が好きだ。それを焦らしてあげたり満たしてあげたりしてコントロールするのが好きなのだ。
「痴女」で検索しても、女性上位なだけのセックスとか女優さんが激しくするだけのセックスとか淫語セックスばかりで、そういうことじゃないんだよなぁ。
「SM」で検索しても、暴力的なものだとか縛り付けるものとかばかりで、そういうことじゃないんだよなぁ。
「フェチ」で検索しても、アナルものとか変なものばかりで、そういうことじゃないんだよなぁ。
相手が勝手なことをしだしてその罰としてお仕置きしてあげる、ならわかるしこちらも興奮する。でも、相手を暴力的に叩きたいわけじゃない。
相手が暴走して勝手にひとりで気持ちよくなってしまうから仕方なく拘束してあげる、ならわかるしこちらも興奮する。でも、緊縛された相手をみて性的に興奮するわけでもない。
あくまで「相手の性癖が暴走してしまってそれを焦らしてあげたり満たしてあげたりする」ことに、ワクワクするし性的にも興奮するということだ。
最近でみたAVを例にあげると、普通にセックスが終わったかと思ったら女優さんがいきなり「おしっこをかけてほしい」と男優さんにオネダリしして実際にかけられて興奮している様に、とても興奮した。「なにこの変なの!今まで見たことない!欲しい!」って思った。人におしっこをかけたいという願望もないしスカトロで性的に興奮する趣味もないが、「相手の性癖が暴走していく様」を見ると、とても興奮するし「この玩具が欲しい!」と強く思う。
2人ともオムツが取れない。
長男はできるのにしない。
少し前は、オムツを履いてない時はしぶしぶトイレに行くので、フルチンで過ごさせてたが、オムツを探して自分で履いてからおしっこをするということを覚えてから、またトイレに行かなくなった。長男は綿の下着はガンとして拒否。
オムツを拒否するボケ老人のように、パンツなんか履けるか!という雰囲気。
次男はちょっと前まで、トイレやオムツ以外でしちゃいけないということをわかってなかった。
長男がオムツを探して履いてから用を足すのをみて、フローリングでおしっこしちゃいけないことをようやく学んだ。ところが、今度は用を足したオムツを脱ぐことを覚えて大変。オシッコならとにかく、うんこの後の汚れた尻で布団にダイブはホントに嫌になる。おしっこやうんちは汚いという認識がゼロ。
長男は2歳前から、フローリングで漏らしちゃったときや、うんちがオムツから落ちた時にはパニックだったのに、次男ときたら平気で触る。
でも次男のほうが希望が持てるところもある。長男はガンとして自分からは脱がないし、綿の下着は拒否するが、次男は「すごーい!おにいさんパンツかっこいい!」と煽てるとニコニコ。
そろそろオムツが取れないと本当に困る。長男なんて4月から小学校だ。たぶん支援学校なんだろうけど、それでもトイレと着替えくらい自分でしてくれないと困る。
長男は賢いが空気は読めないし読まない。知的障害なのに賢いというのも変な話だが、認知能力とかは普通の子よりも進んでるくらい。
数字が書かれた箱に、その数だけ玉を入れるとかは出来るのに、「おもちゃを3個ちょうだい?」と指示しても理解できない」言語とか、相手の表情を読んだりとか、そういうのが壊滅的。
言葉掛けなどから学ばないし、煽てても無駄。しかられてもあまり響かない。説明書の図の通りにおもちゃを組み立てるのは出来るのに、順番を待つとか、じっとしてるとか、その簡単な社会行動もできない。発語レベルは2歳児。YouTubeやゲームから覚えてる部分が多いせいで、半分くらい英語。言語理解は3歳くらい。字はかなり読めているみたいだ。画面の字を読みながら勝手にテレビゲームを進める。社会性ゼロのくせに、人懐っこい。自分の「喜の感情」を共有したがる。相手の都合などは完全無視。性格は温厚で、次男に叩かれたり蹴られたら、妻がつい手を出してしまっても、反撃したりしない。おもちゃは奪い返すが、おもちゃを引っ張るだけで、相手を叩いたり蹴ったりはしないし、奪取したあとに追撃したりもしない。目的さえ達せればどうでもよく、怒りとか嫉妬という感情と無縁。自分は自分、他人は他人を徹底してる。
次男は長男よりかなり空気が読めるが、賢さがまったく見えてこない。怒られるとすぐ泣く。何を叱られてるかはわからないのに、叱られてることは敏感に察する。これは長男と全く違う。イライラすると、嫌なことがあると、すぐヒトやモノにあたる。長男に比べると感情で生きてる。これでも初診で自閉と即答されるくらい典型らしいが、長男のような異星人感は薄い。年長さんの真似をしてリュックを背負ったりパンツを履いてみたり、長男が遊んでる玩具には、難しすぎて遊べなくても触りたがるし、背伸びや嫉妬や劣等感といった複雑な感情が見える。次男の言語レベルは全くわからない。音声は叫ぶ以外に使われず、言葉には遠い。「お風呂」とか「ほいくえん」とか「でかけるよ」とかは理解してるけど、理屈先行の長男と違って、相手の表情や雰囲気で理解してる風でもある。字を読めないのに絵本が好き。
2人の紹介はそんなとこ。
性格真反対だし、協調性がないから、2人を連れて出掛けるには大人が2人いる。
スーパーに買い物とかも1人じゃ無理。
なんかもう、書いてていろいろな感情が湧き上がる。金銭面は補助があるからなんとかなるんじゃないかと楽観してる。そうしないと発狂するので。
市の発達支援センターでの療育が週1、小児神経科の診察が2ヶ月に一度、作業療法が隔週、これを2人分、別々の日。長男は今月から言語のトレーニングも月1、ガリガリ平日が削られる。
今は2人とも同じ保育園だから送迎は楽だが、来年は長男は小学校。
妻が長男と小学校、自分が次男を保育園に送ることになる。朝から着替えをフルアシストなのが辛いから、着替えはマスターしてほしい。
風俗だって高級店はフルアシストみたいだし、やっぱりしてもらうほうが楽チンなんかな。オムツも。保育園じゃ自分で靴履いてるし、出かけたい時は嬉々として自分から履いたりするから、着替えだった靴だってやる気になればできるくせに、しない。
送りは分担でどうにかできるとして、迎えが問題。小学校に毎日3時に迎えに行くのは無理だ。
預かって貰おうとしたら発達障害や知的障害だと学童保育ではなく放課後デイサービスというやつになる。事業所ごと、預かる児童の程度が違うみたいで、どこも個別相談して大丈夫か聞くしかない。定型児だって学童保育が見つからなくて大変とかいうのに、これだもん。
放課後デイで預かってもらっても、2人別々に病院、やっぱ今より楽にならない。キツくなる。
妻に専業主婦になってもらうと、次男が保育園に預けられなくなる。これはこれでつむ。次男を平日預かって貰えるところがないと、長男の通院に差し障る。今無料の保育料が一時保育は有料なのになるので避けたい。
とりあえず、小1の壁をどう乗り越えるかだ。
来年は長男が小1、次男が保育園の年中、自分は仕事をやめずに頑張る。妻はとりあえず次男が退園にならない程度に働いてるアリバイを作っててもらう。再来年、長男が小2、次男が年長、いよいよ俺も辞めないとダメかもと思う。そのとき、だいぶ手がかからなくなってたらいいんだが、次男の成長が読めない。長男が同じ月齢だったときと比べても、言葉も行動も成長が遅いから期待できない。
妻も自分も保育園や小学校にすぐ駆けつけられる場所でバイトを探して、週3働くみたいな生活がベストに思える。
バイトになるとして、1100円/時の6時間を週3で4.5週で8万。
月収8万が2人で16万、特児が2人で7万、児童手当が2人で2万、しめて25万。税はほぼゼロとして、健康保険と年金と払って手取り22万、手取り年収で260万、いけるか?いけないよな。住宅ローンと光熱費と通信費で12万くらいは飛ぶしな。4人暮らしだと手取り30万、手取り年収で360万はないと無理そうな気がする。ググったら4人家族の生活費は平均30万なんだってな。やっぱりそんなもんかって思ったら住居費が18411円ってなんだよ!やっぱ毎月40万要るじゃないか。
https://www.navinavi-hoken.com/articles/family-of-four-living-expenses#d1b52593f84537bb
つうと、やっぱり年間に手取り480万相当を捻出しないとキツいってことかよ。控えめに月35万で回しても、420万。うへえ。夫婦で16万しか月収がないと、特定児童扶養手当と児童手当があっても年間で160万足りない。
なんとか捻出できても、貧しい生活になるなあ。
毎年160万取り崩すとすると、下の子が18歳になるまで取り崩し続けたら2000万くらいなくなるわけだ。いつまで持つか。
ベーシックインカムの構想が1人毎月7万円だったっけ?その代わりあらゆる手当が無くなるとか。
それにしたって4人で28万、これを毎月か。これなら、夫婦で月収15万でも障害児2人余裕なんだけどな。ダメだ、考えると発狂するってのに考えてしまった。障害児だからといって金がかかるわけではないが、働けない。子育て以外なんもできない。
障害児産んだら、住み込みの家政婦を恒久無料とかしてくれませんかね?
中学受験が大変とか言ってる連中が憎い。好きで苦しんでるだけだろと。
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1X年務めるも未だに平
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公務員の何が凄いって平でもそこそこ責任のある仕事を「押し付け」て貰えること。
役所に積み上がっている仕事のうち8割は強い責任感が求められる仕事だ。
世の中に責任感が求められない仕事なんて全くないと言っていいだろうが、それでも強い責任感を求められるのはベテランや一部のブルシットぐらいで、その中でも公務員はブルシットかつハイプレッシャーにおいて突出している。
同業他社とも言える他の公務員がその辺りに年齢制限をしかけてきて途中入場を完全に断り、同時に他業種が新規参入を断ってくるのも35ぐらいから。
ここまでの間に公務員以外の業界に転職しなかった場合は、一生同じ職場で過ごすか、辞めてから「異常に入るのが簡単な業界」に潜り込むしかなくなる。
もちろん、「死ぬ」という選択肢もあるにはあるが、それは全てをやりきったあとの話なので今話しても意味がない。
俺は公務員に入るまでの間にあまりに人生を無駄にしすぎた人間であり、速攻で公務員に見切りをつけた場合は「公務員も◯年しか出来なかった中卒元ニート」として転職市場に飛び込むことになる。
それはマジでヤバイからと踏みとどまっているうちに、結果として今度は年齢制限により行き先を失ってしまった。
つまり、ビル清掃員、ライン工、警備員、運送業者、ウーバーイーツといった正真正銘の「受け皿」である。
面白みもなければ待遇も良くない業界に行くぐらいなら、つまらなくてプレッシャーまみれでも公務員のほうがまだボーナスぐらいは貰えてマシだとは言える。
だが俺はもう日々のプレッシャーに耐えられるだけの体力がない。
月の残業は平均60時間程度でそこまで絶望的というわけでもないのだが、とにかく毎日の仕事が苦痛すぎるとそれも耐えられなくなってくる。
仕事自体は、単にやってきた案件を適切な所にばら撒き直すだけの郵便仕分け装置のような立場でしかないから超つまらないし、そうしてつながりのあるあらゆる界隈から「お前が完璧に仕事をこなさないと困るんだが」と凄い勢いでケチをつけられ続ける。
自分たちが適当にグチャグチャやったあとの後始末をぶん投げいるだけの癖に「速攻で完璧にやるのがお前の役目では?」とやたら強気な相手にいつもイライラさせられながら、自分の手にはなんのスキルも身につかないままに誰かの力を借りて片付けてもらう無能な手配師として日々を生きている。
組織のトップ達が「俺の手柄、これマジで凄い」とアピールするための玩具やパーティーを用意するために雑に予算を奪い続けてきたせいで、職場のあらゆる資源が枯渇しており、パソコンやFAXさえもボロボロな状況の中で必死にやりくりする日々に泣きそうになる。
社会からズレた場所でただ降りてくる仕事をライン工のようにこなし続けてきた人間に、管理分野の仕事なんて務まるはずがないのにそれを押し付けた組織に問題があるわけだが、このままここであと10年もやっていれば、自分がまさにそのクソったれた管理者となり、自分の役目はこれだとばかりにただ部下への催促を繰り返し忖度をおねだりするだけのゴミになる未来を想起するだけで気が遠くなりそうだ。
俺はもうこの仕事が嫌いすぎる。
こんな無能共が階級社会に迎合してロクに組織改革もせずに税金を無駄に垂れ流していることも許せないが、それを変えられるだけの力はこんな所でダラダラと人生を潰してきた自分たちカスにはあるはずもない。
致命的な無能として生き続ける日々、その中で無能同士なりのシンパシーがあるでもなく奴隷同士の内輪もめを繰り返して生きていくのは流石にしんどすぎる。
俺はもういい加減辞めたい。
降りたい。
というわけで、「辞める」「精神病の診断書を貰う」「上司にギブアップを伝える」の三枚のカードを心のなかでいつも睨みつけて働いている。
どの選択肢もそれぞれにデメリットがあり、そして間違いないく一方通行だ。
段階として、まずはギブアップを伝え、それで駄目なら精神科に行き、そして最後に辞めるという順序もあるだろう。
精神科で下手に診断を貰ってしまう前に辞めるという選択もあるし、辞めるために行動を起こすことで環境が変わる可能性もある。
一つ言えるのは、それぞれのデメリットが大きすぎるから何も考えずに同時にやるべきではないってことだろう。
まずはどれか一つだ。
どれを選ぶべきか。
「上司にギブアップを伝える」というのは実は何度かやっているが、ただ「もう無理です。仕事減らしてください」と伝えただけであり、それに対して「でもさあ、お前と同い年の人はもっと沢山働いてるのに、自分だけ仕事が少なかったら恥ずかしいよね?」とパワハラまがいの反論を食らうだけだった。
我が職場は情報保全の意識が高いので職場にICレコーダーを持ち込めないから、上司のこの発言は虚空に消え私の心の中に響くのみというのが虚しさを加速させる。
この職場は、官僚社会は、構成する人間を守ろうとする意思が極めて弱く、構成員は犠牲になるだけの歯車、いや歯車に塗られたグリス、それを磨くためのウェス、ギアを回すためのエンジンにくべられる薪の一束、存在価値など虚無に等しくいらくでも変えの効く消耗品なのだ。
許しがたい組織だ。
だが俺のようなニート中卒に人並みの給料を払ってくれそうな職場はここぐらいしか思いつかず、その地位に思わず飛びついたのは俺だ。
俺はもう無理だ。
うきゃー~~~~^だfだっさfだ!Fdfsfsda!!!!!!!!!!!!資格を取ってビルメンになるんだ~~~~!RFSsっふぁsうわぁぁぁああああああああああうい
ビルメンになった先にあるのは、同じように人生を転げ落ちた人間同士の平和な傷の舐め合いなんかじゃない。
下に落ちれば落ちるほどに、底辺階級同士の醜い奪い合いが起きているものだ。
そして、そこでは今以上に「換えの効く人材」としての酷使が待っている。
逃げ出すべきじゃなかったんだ。
「逃げる」という必殺のカードを使うタイミングを人生の序盤に持ってきすぎた。
もうこのカードはこれ以上切れない。
だけど、偶然を信じてもう一度「逃げる」という手を叩きつけ、盤面で何かが起こることに期待しないといけない時が近づいている。
たった60時間の残業でも、上司からも顧客からも理解を得られない環境で働き続けるというのは恐ろしいほどに消耗するんだ。
同僚同士で愚痴り合っているときに感じる「ああ、俺がおかしいんじゃなくて、やっぱり俺達の周りにおかしい奴らがいるだけなんだ」という安心感と、ボーナスを込みで考えれば最低賃金とは比べ物ににならないような給料だけが俺を支えている。
間違いなく言えるのは、今俺達の上にふんぞり返って「俺こそがお前達を活かしてやっているのだ」という顔をしているアイツは、俺達の心を降りながら自分の保身をしているだけのカスだってことだ。
そして、上司となるための技術が全く身につかない日々を送っている俺が、もう10年か15年からしたら、あの席に座ってカスとして皆から嫌われて寂しく生きるだろうってことだ。
権力が人を変えるのではなく、権力に近い立場にいる人間に押し付けられる席がカスにならなければ生き残れないカスのような役割であることが多いってことなんだろうな。
辛いよ。
下っ端の頃も辛かったし、中堅になった今も辛くて、上に行っても辛いんだ。
ずっと辛い。
ずっと辛いことが分かっているけど、転がり落ちてタクシーやトラックを運転する人生だってきっと同じように辛いのなら、せめて給料ぐらいは安定してそこそこ貰いたい。
嫌な人生だ。
収入が低くてもいいから、自分が社会に価値を提供していると信じられる仕事についたほうがいいんだろうか。
俺の溜め込んだ給料は、税金を払って病院に通い続けても3年ぐらいは俺の命を守ってくれる。
ドン詰まった人生を終えて死ぬまでに3年間あるのと3ヶ月しかないのとでは、やっぱり何かが大いに違うと思うんだよな。
悲しいのは3年ニートしてから社会に戻るって選択をきっと俺は選べないってことだ。
というかな、俺なんかが3年ニートしたあとに社会に戻してもらえる気がしないんだよな。
だって、無能である人間にできることは「逃げないこと」ぐらいだから。
発達障害の子供から「発達障害で生まれたくなかった!」と叫ばれた。
私もADHDとASDの合併を生みたくなかったわ。育てんのしんどすぎ。何度しのうと思ったか。
・40代の夫が中学生時代からのヘビースモーカーで、私が妊娠中も喫煙をやめなかった
・義父もヘビースモーカー(死んだ)
・夫がADS、クレプトマニア、虚言癖、慢性遅刻症候群、自己中心的、親から躾されていない、その他
・私が妊娠初期から8ヶ月まで会社員勤務。つわり、持ち帰り残業、家事をしない夫に疲弊してストレスが多かった
こんなクズとの間に妊娠してこんな環境で生活していたら、そりゃ胎内環境劣悪すぎるし障害児も生まれるわ。
優生保護法は、復活させてほしい。
なんでこんなのと結婚した?って思うでしょ。
支援級は全く役に立たないし、担任からは「知的障害学級に行け」って言われたし。
支援級職員は毎回幼稚園児用の玩具渡して、何の支援もしてないし。
同級生も学年上がるごとに知能低めの子しか寄り付かなくなったわ。
で、うちの子ついに同級生から犯罪的ないじめのターゲットになったわ。
まだまだ呑み込めないでいるアイプリマイク。
その愚痴を。
・見た目
(マイクのトップ部分はサイリウムジュエルマイクと同じ質感だと思うから妥協として触れないものとする。それにしても色濃いなと思うけど。)
まずマイク本体の王冠と羽と鍵穴ハートボタン、それから一番下の装飾部分がメッキじゃない、50歩くらい譲ってもパールじゃないのは何故なのか。
アニメや筐体のライブシーンで見られるアイプリマイク(以下、本物とする。)の該当部分は少しピンクの入ったゴールドに見える。
し、そう思ってた。なんなら商品紹介動画で使われてるCGでは全体的にパールっぽい出来になってる。
それから一番下は装飾の下に濃いピンクのジュエルのようなものがあったはずだけど、それも無くなって柄と同じ薄ピンクになってる。
これはバズリウムチェンジ後にビビッドなシアンに光るはずなんだけど、光る光らない以前にこんなクリアですらない…何故…。
次にハートPodの下敷きになってるリボン部分が光るものではなくただの紫プラスチックなのは何故なのか。
本物は明らかに電気が消えてる時のLED電球のようにグレーアウトしていて、バズリウムチェンジ後に濃いピンク…それこそハートPod本体のような色に光る。
アイプリマイクがおもちゃで出るなら絶対ここは光ると思ってた。
画面とか機能は後に書くとして、まず色。色というか質感というか、とにかく外観。
本物はピンクですよね。バズリウムチェンジ後は基本は白だけど、他にはバズリウム蛍光の色に合わせた色に光るようになってる。
透け感はない。
で、これは赤っぽいピンクのラメ入りクリアプラスチック。ラメ!?ここにラメ!?どうせここに使うならマイク本体に使えよ!
失礼、抑えられなかった。でもこのクリアラメをさっきのリボン部分にもってくるべきと私は思った。
思ったというかそうしてほしかった。
ほんで今時miniUSB!?!?!?!?!?!?いつの時代を生きてる???????
さすがにびっくりした。もちろんType-Cであれと思うけど百歩譲ってもmicroUSBだろ。。。。。。。。。。
次、コーデ遊びに関して。
プリパスやデザインパレットのようにコーデ獲得して筐体で使えるのかと思いきや、付録カードと全く同じバズリウムパープルしか筐体で使えないというオチ。
じゃあカードのほうが使えなくてハートPodからしかコーデ利用できないのか?と思うでしょう。
>アミューズメントゲームで使える、きらめきMAXの☆4アイプリカード3枚付き!! (商品ページから引用)
本当になんなんでしょうね。
そしてそれに付随して収録楽曲について。
上で書いてる通りシークレットフレンズ∞バズリウムパープルのカードが3人分ついてくるのにWe're The Worldが収録されてないんですよ。
なんで?本当になんで?
その分ひみつマイソングはひまみつの2曲じゃなくて、カラオケverをいれて子供が替え歌できるようにすればよかったのにとも思った。
・価格とか
とにかく高い。
上で書いてる光らないとかコーデ使えないとかそういう所を見ちゃうとやっぱりたっけ~!と思うんです。
最初にも書いたけど、ブレス・リップ・ネイルコロンにメッキ使ってるのに一番高いマイクにメッキ無しは予想できなかった。
あとやっぱり本物と見た目が違いすぎ。
個人的にはマイクは原作忠実再現マイク、ハートPodはデザインパレットみたいな別端末で欲しかったです。これに関しては他にも呟いてる人が居て安心しました。そっと感謝。
子供は原作再現じゃなくても大人と違ってそこまで文句言わないだろと言われるかもしれないが、私は女児時代にシュガルンの杖が原作と違いすぎてギャン泣きしたのでそういう子供もいると思う。
ツイッターを見てると今のおもちゃは高いんだからとか、キラニコトランクに比べたらとか、そういう意見も見たんですけどね。
まずアイプリは他社のそういう電子玩具と違っておもちゃだけで勝負してない。筐体が2種もあります。
少なくとも自分が子供の頃はこういうおもちゃとかが出たら、買ったら価格分数週間はゲーセン行かないからね!と親に言われました。
大人は好きに買えばいいけど、子供目線はそういう懸念があると思います。
じゃあどういうところで価格抑えれたかっていうと、たまごっちユニを買った人はわかると思うんだけど
振動センサーでのモーション感知ってめちゃくちゃ難しいんですよ。
指示通り動いても判定してくれないことが多いです。
しかもハートPodに関してはマイクに付けて降るから動作中はたぶん画面見ません。目から画面まで距離があるから。
というか子供って別にこういうゲームにされなくても勝手に真似します。
今はCGライブが公式でyoutubeに上がってるし、それ見ながらでも真似すると思う。
から、これセンサーもゲームもいらなかったと思うんですよね…。
こういうところを削ってでも手が出しやすい価格にするべきと思います。
まあラブベリとコラボしちゃうくらいだし最初から大きなおともだちしか見てないのかもしれない。
姪にラブベリをDSで見せたときはキャラ可愛くない!とあまり反応よくなかったけど、世の女児たちの反応はどうなんですかね。
逆にどうだったら価格に納得できたのか。
先に書いたように収録コーデを筐体で使えるべきでしょ、過去作がそうだったように。というのは前提すぎるので置いておいて。
まず他社電子玩具はカメラがついてたり、ネットに繋げたりしてるんですよね。
このお金かかってるであろう部分をアイプリマイクというかハートPodに置き換えるなら、おそらく楽曲収録されてるところになるのかな?と思っていて。
e-kara、イーカラって知ってますか、覚えていますか。タカラから出ていたぴちぴちピッチのマイクみたいなテレビに繋げるカラオケおもちゃ。
実際ピッチモデルも出てたし、きらレボやモー娘。のも出てましたね。すみません、逸れました。
ああいう感じでテレビに繋げてカラオケできたら、Wiiのリモコンみたいに赤外線でモーションゲームができたら。
そうだったらきっとこんなに本物と外観差があっても買おうかな~と思ってたと思います。
ていうかできただろ。e-karaはタカラから出てたんだから。なあ!タカラトミー!
ここまで書いてたら3時間くらい経ってた。
こんな愚痴を最後まで長々と読んでくれた人、居たらありがとう。
原作再現マイクはハッピーセットか食玩かガチャか、なんでもいいからどっか別のところで出ると信じて待ち続けます。
最後に…
出生数、10年で3割減っていうじゃん。
あなたは子供用のなにかを作ってる企業の経営で、いま工場が老朽化していて、建て替えるかどうか迷ってるとする。
10年後売上3割減だったら、工場建て替えないと思うんだよね。子供用品のラインはもうやめでしょ。
ワクチンとか離乳食とか子供用の食器とか子供用の椅子とか子供服とか、etc
製造業じゃなくてもさ、子供向けに塾とか託児所とか稽古事とか今更開業する?このペースだと10年後売上3割減でしょ?
子供向けアニメが減って、大人も楽しめるアニメしか残らなくなったみたいに、子供向けの食品とか玩具とか減ってくんだろうな。ピアノとか水泳とかも、大人の習い事にシフトしてくんだろうな。錠剤なんかは大人用のを半分に割って飲めって対応になるんだろうな。
もう分水嶺はとっくにって感じだな。
わたしも同じ年齢の頃、物凄く性欲が強かったので感じはわかる。
当時は朝起き抜けにオナニー、昼は仕事のある日は我慢して、ない日は人目がなければやりたいだけオナニー、夜寝る前もオナニーしてた。
やらなきゃいけないことがたくさんあるのに自慰に何時間使ってるんだろうと思うとつくづく絶望的な気持ちになった。
同じくセックスの頻度は夫とも合わなかった。
自分が多すぎることはよくわかっていたので、夫とは夫がしたい時にするようにしていた。
普段は寝る前に風呂などでは挿入式の玩具で気が済むまで自慰をして、事後はなるべく外に触れる部分の液を洗い流しておいた。中まで洗うと性欲はややおさまるけれどカンジタになりやすかったのでそこだけ気をつけた。
やりたい気持ちはあるけれど穴はそこそこすっきりした状態で、夫には潰すように乗ってもらってぎゅっと抱きしめてもらった。
セックスそのものは難しくても触れ合いと体温と圧が気持ち良くて、性欲は湧くけれど、この組み合わせで乗り切れました。
年を取ってホルモンバランスが変わって、今はたまに思いだした頃に短時間の自慰をするくらいです。
なんとかなるよ。大丈夫。
男性向け性玩具で「2年間痴漢しない努力した」 被害対策団体に「使用済み」送り付け…代表女性「性犯罪に問えないのおかしい」
今度はアンフェが研究者に喧嘩を売って反論でボコボコにされる事件が起きた
北村紗衣というインフルエンサーの人がアメリカン・ニューシネマについてメチャクチャなことを書いていたのでそのウソを暴くためのニューシネマとはなんじゃろな解説記事
https://note.com/niwaniwaniwaka/n/n42e060bfa955
おいおいアンフェちょっとは控えろ
後者は喧嘩を売ったアンフェを脳死で支持しちゃったアンフェ達のコメントもあって、大量のアンフェが恥を晒す結果となった
もうね、アホかと。バカかと。
お前らな、頭のおかしい屁理屈垂れ流して世間や他人に迷惑掛けてんじゃねーよ、ボケが。
特に喧嘩を売ったアンフェのnoteのコメント欄で発狂して連投してるアンフェは酷い
とか言ってるの。もう見てらんない。
幼少期は知育絵本て言うのかな? こんな問題がたくさん載ってる本
https://www.honda.co.jp/kids/okeiko/
多分、知能指数の発達に寄与する。学校の勉強ができるできない、ではなく生活上の要領が良い悪いに寄与する。(仕事や種々の問題解決にあたっても同じく)
うちは貧乏で玩具や服は買って貰えなかったが、本だけは買ってくれていた。幼少期は知育絵本を与えられて、オモチャがないからそれを繰り返し解くわけ。俺は知育絵本で遊んでいたが、弟がそういうのを解いてるのを見たこと無い。
小学生の頃は、小学館の小学◯年生を俺は与えられていたが、弟は週刊少年マガジンとかを与えられてた。弟は知能が低いから親はその分甘やかして育てた模様。
小学生時代の弟は500円ぐらいのプラモデルを説明書通りに作る、てことすら出来ない。2次元の図形を3次元で想像する、ってのは知育絵本で頻発したと思う。
俺も弟もおっさんになった。
弟は知的障害や認知症を疑うほどの不器用で、まともな職歴もない。使えないのですぐクビを繰り返してる。最初は高卒で親のコネで入った会社を、3ヶ月で返品されとる。
家族にこんな不良品がおるから、俺は結婚できない。弟が犯罪者になったときのことを考えるし、血を分けた兄弟と絶縁を法的には出来ない。
(本文です)
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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。