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【NHK】東京オリンピックエンブレム発表実況 [転載禁止]©2ch.net
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東京2020大会エンブレムを発表 [転載禁止]©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1437734077/
ダサい、地味、暗いなど、ネガティブな第一印象が多く見られる。発表会で期待を煽り過ぎた反動かも。
ベルギーのリエージュ劇場と、スペインのhey studeioの作品が酷似しているらしい
その後トートバックにパクリ疑惑がもたれ、佐野氏は13日に一部を取り下げる。15日に「部下が第三者の作品をトレース」したと釈明。
素人「やっぱりパクりじゃないか(憤怒)」
コネについては、佐野氏が博報堂出身で審査委員に知り合いがいたって事らしい。
でも贔屓というより、コンペで選んだならこんな地味でダサい奴が選ばれるわけがないという素人的偏見が根本にある。
デザインがダサいという第一印象、デザイナーがパクリに関わっていたという事実から素人はこのエンブレムに偏見を抱き、オリジナルであると証明できても汚名返上は不可能。
素人=大衆に受け入れられればパクリだろーが地味だろーが許された。オリジナル性が証明されても素人からの支持は得られず、パクリとわかっていても撤回はできない。
2020東京五輪は、グダグダな経緯で白紙化された国立球技場で、パクリ疑惑のエンブレムを掲げて開催される。でもそのころには大衆もグダグダな経緯は忘れてると思うので、頑張って盛り上げていきましょう
「女は男に見せる為にお洒落しているんじゃない」ってのはそういう話だろ。
ドヤ顔で「女のお洒落は男のためじゃない!」みたいな主語のでかい、雑な話を短文で披露する人々が悪いんであって俺に言われても困るね。
異性獲得するためにダイエットする女や男って話なんてありふれてるでしょ。男も女も異性獲得のために体型を変えたりするんだし、それって無視していい事実だとは思えないんだよねー。
繰り返すけど、異性を獲得するための条件として「ルックス」というのものが大きなファクターとして存在する現代日本で、個人の「ルックス」のありようは異性の趣味や嗜好に多かれ少なかれ左右されていると考えるべき。人間も動物なんだから異性の好みに寄っていくのもある意味当然のことでしょう。
「かつて自分は鬱病でした…」なんてことをブログなどで書く奴は信用ならない。
なんというか、「昔はヤンチャしてたもんだけど、今はちゃんとカタギでいっぱしの社会人やってますわw」みたいな武勇伝を語る自称元ヤンキーを見たような気分になる。
そのような精神疾患と関わりのなかった人間にそんなことを話したら普通は引かれるだろう。
実際引かれたし、友達もいなくなった。
過去にうつ状態だったことを明かしながら面接に望んだ会社はことごとく落ちたし、面接前の会社説明会と同時に行われる適性検査で鬱病歴やその傾向があるかどうかを問いたいであろう質問にYesと答えたら、もうその時点で落とされた。
十数社受けて三社から内定をもらったときのことだ。(その三社には精神疾患のことは一切伝えてないし、適性検査でも嘘をついて鬱の傾向がないようにも繕った)(まぁ結局その時受かって働いた会社も一ヶ月で辞めて、それからずっと引きこもってるが…)
採用方針なんて会社ごとに違うから何とも言えないかもしれないが、自分の精神疾患歴と採用については何かしら関係はあるはずだ。
というか、わざわざ聞いてくる時点で、それが採用に影響を与えるのは明白である。
鬱病だった、または現在進行形でそうであることを親しい人以外に公開するメリットはあまりない。
それをそうでもない人間に公開してしまった自分はただのバカだっただけなのか。
「鬱病だったけど今は元気になった。同じ痛みがわかる人間として手を差し伸べたり力になってあげたい」と考えて公開している人もいるだろうが、それは果たしてそんなに多いのだろうか。
ブログなどでそのことを公開する場合、それはその人の自己顕示欲を満たしたいがための自分語りの一部で、自分語りをストーリーとしてメリハリを出すための悲劇性を増すための道具として、そしてその壁を乗り越えることが出来ました!という少年漫画的なオチへ持ってこさせるための布石でしかないような書き方が多いように見える。鬱病だったという経歴はセルフブランディングの道具でしかない。今はこんなにブログ書いて精力的に活動して意識高い感じだけど、ちゃんと弱者の痛みも分かってますよ、というポーズをとるためのものでしかない。
鬱病歴を公開した場所(ブログやツイッター)が現実を繋がっていない、垢バレというやつをしていないのであれば、自分語りなんてどうとでも書けるし、書いたところでほぼノーリスクなので、武勇伝なり何なりは多いほうが人目につくだろうからメリットはあるのかもしれない。そんな武勇伝を披露する人も、それに惹きつけられる人間にも正直関わりたくはないけど。
鬱病でずっと引きこもり続けてる人たちはそもそもそんな自分語りを書くほどのエネルギーがないため、鬱病から回復した人の経験談の方が多く出てくるのは必然的だ。
現在進行形で鬱病ですとか言ってる人も見かけるが、何故それを公開するのか分からない。そうすると同情した人たちがこぞって慰めてくれるのか。ブログのPVがあがったり、ツイッターのフォロワーが増えてツイートがよりふぁぼられたりするのだろうか。
自分が生きてる意味はあるのか、誰かと繋がることでそれを自分自身に証明したいという気持ちはまぁ分からなくはないが、自分は症状がひどかった時はネットなんて一切やらなかった。やる気力もなかったし、誰とも繋がりたくなかった。
それを公開したところで誰かが声をかけてくれるとも思わなかったし、声をかけてくれても「うるせえ」ぐらいにしか思わなかったろう。誰に何を言われようと、それが普通の人からは優しい言葉であったとしても、自分にとってはプレッシャーをかけるような、場合によっては悪意のこもったような言葉にしか聞こえないから。自分宛てであろうとなかろうと、全ての言葉が切っ先が自分に向けられているナイフのようにしか見えなかった。
何にしても鬱病がセルフブランディングのための、ブログのPVを上げるための書かれ方をされる方が多い気がしてならない。
自分からしたら、そんなことを大っぴらにひけらかしても何も良いことないように思えて仕方ない。どうなんだ。実際ブログのPV上がったりフォロワー増えたりするのか?
何にしても、とりあえず、そういうことを公開してる人たちは鬱病で苦しんでいる人たちにエールを送っているのだと思うことにしよう。
そしてその上でその人達に聞きたい。
鬱病から回復して再び就職した時、鬱病だったことを公開しているのか?しているならどういう場で(面接の場でなのか、何も言わず就職してある程度仕事にも慣れてきたところで世間話の一つとしてなのかetc)、どうやって伝えたのか?
生きている以上はお金が必要になるので、働かなければならない。回復しても鬱病歴がある(とバレている)人間が働けないなら、それは大きな不安要素だ。
起業やフリーランスとして生きるという方法もあるだろうが、それはそれでリスキーだし、それで食っていけるのかということが新たな不安要素となる。
何にしても、治ったところで働けません、では結局お先真っ暗だ。余計辛くなる。
あなたが鬱病から回復して社会の中に溶け込めていているのなら、それは凄いことだ。褒め称えよう。ブログの読者登録とかフォローとか喜んでしよう。
最近話題のデザイナ関連の話題でよく出てる話なんだけどそういう集まってくるのを批判したりしてどうするの?
どうしたいのかがよくわかんない
すごくいい内容なのになんでみんな批判的なのとか一流の仕事なのに全員わかってないとか披露してみたら害虫しかあつまってこないとかそういうことが言いたいのかな
大好きな食べ物がテーブルにでてきたら「おいしそう!」と大歓迎だけどそれが路上に置かれていたらだれが食べるのかなーわくわくとはならずに虫しか寄ってこない結果になるよね
場所的に立地的にはてながそうだとか他の掲示板がどうだとかは言いたいこともあるとおもう
インターネットインフラにおけるコンテンツの配置と顧客誘導のデザインだよね
そこでさ
会員登録の方法とか会員ランクの設定とかリンクの誘導範囲とか風説の調整とか多数派の獲得方法とか情報戦の戦術が試されるんだろうけど
ときどきそこに動員されてる顧客の質について顧客が疑問におもったり批判したりしだすことがあるよね
それ環境全体のデザインからみて末端の最終結果の微量調整分で結果の一部だよね
働く人頑張る人働かない人だめな人のうち幾分か含まれてる動かない部分の人数だよね
環境デザインで大きく割り振られた分岐から構造デザインで取捨選択される客層や方向性や商品の最終消費場面で全てわかったと唱えているその姿はどう遡ってももう集客の根本にすら戻れない位置にいるよね
それってどこまで体力がもつかわからないけどどんどん遡っていってインラフの根源部分まで上り詰めたとしても何一つ問題解決にも繋がらないよね
だったらだまって自分が望む先へ誘導されるがままに移行していったらいいんじゃないかな?
じゃあねさようならぼくはこっちに行くから と言い残して自分の賛同者をいくらか引き抜いて移動しようとしたりもしなくていいんじゃないかな?
あなたが思っているほどあなたの正論には体力がないし威力をもって破壊できる障害はそんなに大きいものではないし風車と戦っても余計に疲弊するだけだと思うのでやめればと思うのだけど
人にはその無力感のために疲弊する消耗感覚と汗が快感や実感につながる趣味もあると思うのでどちらにせよそういう楽しみ方があるならよかったねとしか言えない
ただあなたが鞭を差し出してこれでぶってくれと言われてもあなたが望んで流れ着いた先だからだれしもが打ってくれるはずだと考えるのは早計だと思うよ
余談だし、東大卒は関係ないが、東大卒の家庭に触れている増田が多いのでここでネタを出したい
東大出て官僚になった男の結婚式に新婦の友人の夫という微妙な関係で出席
都内ホテルでの友人相場は3万だが、じゃ6万でいいか?2で割れるので縁起が悪いってんで7万、さらに妻の留袖の着付け・ヘアメイクで3万。あ痛たたた
で、まず出席者が多い。なぜかというと新卒で官僚になると地方を巡業させられる。もちろん平公務員では無い。官僚という強烈な格差での雲の上の肩書からスタートできる
そうすると巡業した地方自治体のナンバーツーと部下たち、何とか省〇○地方事務所所長と部下たち
祝電は省略
次に驚いたのが、新郎お色直しが御みこしで登場。担ぐのが地方公務員たち。おいおい都内の高級ホテルによくそんな物、持ち込んだな、許可下りたな
そして家族の登場だ。新郎がバイオリン、あと姉妹だか誰だか忘れたがフルートでピアノで三重奏。曲はもちろん忘れた
夫婦で本当にしらけた、苦笑いしか出ない。しかし、おかげで結婚式料理は残さずデザートまで食べることができたし、シャンパン好きなだけ、ワインも好きなだけ飲めた
しかし帰り道、思ったね、これって彼の給与だが元は税金じゃねぇかと。我々はバカみこしのために税金を払っているのかと、いいや、バカ三重奏を披露する家庭に税金を払っているのかと
おらおら国民ども!腹が立つだろう?
生い立ちや家庭環境、今の仕事環境等々を書かなきゃいけないのかもしれないけど省略したい。環境要因で当てはまるものは無数にあるけど賢明な増田読者は月並みな心当たりのことを察してくれると思うから。あるいは、素人が新書で読みかじった心理学の知識なんて披露するものでもないと思うからだ。
恋愛すると、というか交際すると基本的に疲弊する。並みの疲れではない。仕事の繁忙期以上の疲労が数日置きに到来する。嫌われることの恐怖感が大きすぎて尽くしまくる。相手の一挙一動に意味を見出そうとする。根拠なく浮気を疑うが、根拠がないため1人で悶々とするしかない。SNSの発言を見て、内容の如何に関わらずその後少なくとも半日は落ち込む。たぶん僕の知らない環境に相手が存在していることが嫌でたまらないのだと思う。仕事以外の大半の思考はパートナーについてのことで支配され、ひどいときは仕事にも影響が出る。つまるところめちゃくちゃ依存してしまう。
ド短期を除けばこれまで2人、女性と真剣にお付き合いした。どちらも2年以上3年未満。
1人目はお互いが似た恋愛スタイルだったので、完全に共依存?状態になった。もっと連絡くれとか、寂しいとかお互い言い合って喧嘩ばかりして仲直りにセックスした。先に潰れたのは僕で、口論のストレスが依存状態の快楽を上回って徐々に距離を置いた。就職という転機もあり、このままでは自分の人生立ち行かねえという思考も生まれたため関係を解消した。別れるときも依存状態の只中にあった彼女には申し訳ないことをしたと思うが、私も限界だったので痛み分けみたいなものだとも思っている。
2人目は現在進行形だ。私のことを男性として見ることか出来ないらしい。というか、僕に対して基本的に関心がない。セックスもしないし、スキンシップも能動的にはしてこない。なので恋愛依存の僕はよく拗ねる。
ではなぜ彼女はこんな面倒臭い僕とまだ付き合ってくれているのか?何度か聞いては見たがいまいち要領を得ていない。ただ、相手は別れたくないと言う。別段僕が貢いでいたり何かしてあげているわけではない(結婚向きの安パイというのはあるかも)ので情の類いなのかもしれない。たしかに話は合う。趣味もかなり合う。趣味活動に限らず、ファッションや食べ物その他諸々、物の見方や価値観もかなり近い。話していて飽きない。こういう人は得難いと僕も思う。でも、別に友人でもいいと思う。
あるいは甘える対象なのかもしれない。付き合う前は見せなかった不機嫌や無気力を今はガンガンぶつけてくる。こうなると尽くしたがりの僕はたまらなくなって、その後三日間は思考能力が奪われる。
こういう説明が出来るようになったのも最近だし、自分のメンタルが常人より弱いことに気づいたのも最近のことだ。結局相手を替えても自分が変化しない限り同じことが続くのだと思っている。そして全くゴールは見えない。
同じような経験の少ない子と付き合ったことがあるよ
デート中はずっと喋り続けて盛り上げないといけないと勘違いして頑張ってたけど
はっきりいってそんな必要はないから会話がなくなるなんてこともない
みんながデザインを深く知ってるわけじゃないし、そんな必要はないんだから
絵を見てなんとなく良いとか色使いが好きとか感じて、のんびり眺めながらあーだこーだ喋ればいいんだよ
お互いに小さい弁当を作ってキレイな公園でのんびりお披露目会したり
毎回、買い物に行くだけがデートじゃないし部屋でぐだぐだしながらイチャついたり
たまには5000円でどこまで楽しめるか出たとこ勝負で遠出してみたり
一緒に時間を過ごす楽しさは無数にあるよ
家を建てることになって、いろんな住宅メーカーや紹介業者を訪ね歩いている。
そこで感じたのが、建築業界の女はおかしいのが多いということだ。
はじめに訪れた紹介業者。
いろんなメディアで宣伝していて、前々から、自分が家を建てることになったらまずここに行こうとなんとなく思っていた。
そのうちの3人の女性とやりとりをすることが多かったのだが、1人もまともなのがいなかった。
おかしいと思う点は3人とも共通していて、まず、自分に非があることでも謝らない。
社内での連絡の行き違い(メーカーとの打ち合わせスケジュールが誤って伝達されている、など)によって迷惑を蒙ったことが2回あったが、2回とも、謝罪の言葉はなかった。
ふたつ目。人の話を聞かない。
自分の知識、自分の価値観を披露することはとても好きなようだが、こちらの事情を伝えて相談に乗ってもらおうとしても聞こうとしない。
長いマシンガントークを仕方なく遮って、質問をしたり確認をしたりすると、子どものようにすねる。
この会社がはずれだったのだろうと思い、フェードアウトして2社目へ。
こちらは男女比が対照的で、専門職の男性6人に対し事務方の女性が1人という構成。
連絡の行き違いがないという点では、1社目よりはマシに思えた。
例えば、打ち合わせのたたき台になる重要な書類を作成したので内容を確認してほしいと言ってくる。
机の上にその書類を置いて写真を撮ったものをLINEで送られてきたときには言葉を失った。
ぼやけていて字が読めない。
写真では読みづらい、というか読めないので、メールにファイルを添付して送ってくれと伝えた。
女性は嬉々として、ではスキャンしたものをお送りします、と答えてきた。
そうではなくて、ワードとかエクセルとかそういった状態のままで添付をしてほしい、と伝えた。
ファイルのまま送るのに差し障りがあるのであれば、内容をメールの本文にコピペしただけのものでもよいから、とにかくパソコンやスマホで読みやすい状態にして送ってほしい、と伝えた。
まあそりゃ写真に比べたら多少は読みやすいだろうけどね。別に悪かないんだけどさ。
あんなぼやけた写真をしかもLINEで送ってくるような人のスキャンする書面となると正直不安を禁じ得なかった。
そういうのが、わからない人みたいだった。
他にも、打ち合わせの場で「わたくし正直、今みなさんのおっしゃっている内容が全然理解できてないんです」と突然意味不明のボケをぶっこんできたり。
1社目、2社目とも、お辞儀の仕方だったり、「お世話になっております、◯◯の△田でございます」みたいな電話口での定型の挨拶はとても上手だった。帰り際には出口まで出てきて深々と頭を下げながらお見送りするし、なんかそういうのはきちんとしてる。
でも、いざ立ち入った話をしてみると、これが絶望的に会話が成立しない。
もちろん顧客側のわたしにも原因はあるのだろう。
しかし、こんな調子で接客していて果たして大丈夫なのか、クレーム来たりしないのか、上長はどんな教育をしてるのか、そのあたりが甚だ疑問だ。
クレームが来たとしても、自分が原因だとは思ってないのかもしれない。
そんで「こんなことに負けずに、もっと強くならなきゃっ!」と奮起した結果、謝りもしない、人の話も聞かない「強い女」になっちゃったのかな。
「そんなことをしているから貧乏なんだXXはXXした方がコスパ良い」
と説教を食らうのが常だ。
つまり
「金持ちは支払う金銭に対して自分が得られる利益を最大化しようと努力するものである」
ということだよね。
ということはだよ売買において
とすると、金持ちはこのαを最小化しようと努力するものだということだよな。
ということはだよということはだよ
金持ちに金を使わせるほど、提供側の労力や資源に対する利益が低くなるのでは?
金持ちに「どんどん金を使え」と言うのはもしかして間違っているんじゃないか?
労働者にはケチな金持ち相手のαの低い仕事をさせるより、昼寝でもさせてあげた方が良いんじゃないか?
もしくは昼寝せずに無思慮な(αの高い)買い物をさせてあげるのも良い。
「マジでおすすめのビジネス書15選|今すぐ買って全部読め!」
どんな本を読んでいるのか気になったので覗いてみた。
小説ばかりで、いわゆる自己啓発本やビジネス書のたぐいは好きではないということをことわっておく。
結論からいうと、通算300冊も読んだうえに今でも週に1~2冊も読んでいるような人ですら
ブログにアフィリエイトを貼り付けて小銭を稼がないといけないほど大金を稼げる能力を身につけてないんだな、と感じた。
このたぐいの人達で財を成したという結果を見聞きしたことがない。
そして、成し得てない人ほど読んだ本の数を披露し、その知識を分け与えようと奮闘する傾向にある。
私が小説を読む理由は単純に面白い話を読みたいからだ。それ以上でも、それ以下でもない。
向上心なんてものは持ちあわせておらず、ましてや小説を書こうとも思わない。
だが、ビジネス書や自己啓発本を読む人達の目的は違う。常に向上心を持っていて懐を潤そうと躍起になる。
もちろん、それが悪いなんてことは言わない。懐が潤えば欲しい物が買え、心も潤うからだ。
だが、このたぐいの人達は結果が伴わない。億万長者とはいわないまでも投資した本の値段や読んだ時間以上の結果すらない。
私はこつこつと貯金したお金で、いわゆる転売という隙間の中でそれなりに貯金を増やしていき
資産運用も手伝って、今では贅沢しなければ老後まで働かなくとも食べていける程度には財を成した。
しかし、私はいまだかつて一度も自己啓発本やビジネス書を読んだことがない。
だからこそタイトルに書いたように、このたぐに人達のブログを覗くたびに虚しくなる。
またもやボーカロイドの流行り廃りが話題だと聞いて。(例:http://anond.hatelabo.jp/20150707133957)
ボカロ周辺の二次創作に少なからず貢献してきた「ピアプロ」だけれども、最近は存在感が薄れてきた気がする。
「気がする」だけでは説得力が無いので、定量的データとして、ピアプロでクリプトンの6ボカロ(ミク、リン、レン、ルカ、メイコ、カイト)のタグが付けられた作品数の推移を、半年単位で纏めてみた。
長いので結論だけ先に書くと、「ピアプロの投稿作品数は、ミク以外は先細りになりつつあり、特にイラストの頭打ち傾向が強い」。
年月日 | 初音ミク | 鏡音リン | 鏡音レン | 巡音ルカ | MEIKO | KAITO |
---|---|---|---|---|---|---|
20100513 | 20608 | 5822 | 4013 | 3617 | 1071 | 1958 |
20101117 | 25633 | 6889 | 4739 | 4852 | 1243 | 2232 |
20110517 | 31390 | 8054 | 5649 | 6089 | 1434 | 2577 |
20111117 | 36710 | 9222 | 6458 | 7015 | 1549 | 2821 |
20120519 | 40806 | 10038 | 7076 | 7666 | 1609 | 2954 |
20121119 | 44435 | 10822 | 7549 | 8159 | 1709 | 3084 |
20130519 | 47645 | 11405 | 8025 | 8530 | 1773 | 3404 |
20131119 | 50253 | 11931 | 8241 | 8781 | 1781 | 3628 |
20140519 | 53492 | 12340 | 8446 | 9082 | 1942 | 3896 |
20141119 | 56210 | 12601 | 8540 | 9238 | 2084 | 4076 |
20150519 | 58323 | 12775 | 8704 | 9485 | 2177 | 4243 |
やはりミクが圧倒的に多い。2位はリンで、3位は元はレンだったが、2010年後半にはルカに抜かされてゐる。
しかし、これを「前回集計からの(半年間での)増加数」で見てみると、残念ながらどのキャラもゆっくりと減ってきてゐて、特にリン・レン・ルカが4年半で1/5以下まで減ってゐる。
年月日 | 初音ミク | 鏡音リン | 鏡音レン | 巡音ルカ | MEIKO | KAITO |
---|---|---|---|---|---|---|
20101117 | +5025 | +1067 | +726 | +1235 | +172 | +274 |
20110517 | +5757 | +1165 | +910 | +1237 | +191 | +345 |
20111117 | +5320 | +1168 | +809 | +926 | +115 | +244 |
20120519 | +4096 | +816 | +618 | +651 | +60 | +133 |
20121119 | +3629 | +784 | +473 | +493 | +100 | +130 |
20130519 | +3210 | +583 | +476 | +371 | +64 | +320 |
20131119 | +2608 | +526 | +216 | +251 | +8 | +224 |
20140519 | +3239 | +409 | +205 | +301 | +161 | +268 |
20141119 | +2718 | +261 | +94 | +156 | +142 | +180 |
20150519 | +2113 | +174 | +164 | +247 | +93 | +167 |
特にメイコは、半年で8作品しか増えなかった期間(2013年後半)があるほど。ただ、その次の半年間で急増したのは、V3が発売されたから(カイトが2013年前半で急増したのも同じ理由)と思はれる。
ミクの音楽作品は、2015年前半でも1日に10作品以上のペースで投稿があり、流石の強さ。
次にイラストだが、明らかに音楽よりも頭打ち傾向がはっきり出てゐる。
年月日 | 初音ミク | 鏡音リン | 鏡音レン | 巡音ルカ | MEIKO | KAITO |
---|---|---|---|---|---|---|
20090517 | 47124 | 25857 | 25248 | 5420 | 9517 | 23706 |
20091117 | 61189 | 32958 | 31119 | 9014 | 11063 | 27321 |
20100513 | 75643 | 40272 | 37649 | 12779 | 12342 | 31775 |
20101117 | 90431 | 47148 | 43773 | 16020 | 14077 | 35913 |
20110517 | 101659 | 52304 | 48027 | 18682 | 15070 | 38592 |
20111117 | 110859 | 55758 | 50656 | 20131 | 15768 | 39999 |
20120519 | 119715 | 59163 | 53218 | 21492 | 16119 | 40963 |
20121119 | 125159 | 60967 | 54469 | 22224 | 16433 | 41270 |
20130519 | 130368 | 62232 | 55349 | 22631 | 16580 | 41862 |
20131119 | 135349 | 63216 | 55911 | 23237 | 17056 | 42471 |
20140519 | 138522 | 63545 | 56227 | 23357 | 17026 | 42544 |
20141119 | 141433 | 63998 | 56406 | 23421 | 17221 | 42608 |
20150519 | 143311 | 64067 | 56413 | 23490 | 17277 | 42745 |
ここでもミクは圧倒的強さだが、他のキャラの2014年に入ってからの伸びなさが尋常でない。
半年ごとの増加数で見てみると更に頭打ち傾向が際立ち、なんとメイコは減ってゐる期間(2014年前半)があるほど。この期間はメイコV3の発売日(2014年2月)を含むのに、この結果はあんまりな気がする。
年月日 | 初音ミク | 鏡音リン | 鏡音レン | 巡音ルカ | MEIKO | KAITO |
---|---|---|---|---|---|---|
20091117 | +14065 | +7101 | +5871 | +3594 | +1546 | +3615 |
20100513 | +14454 | +7314 | +6530 | +3765 | +1279 | +4454 |
20101117 | +14788 | +6876 | +6124 | +3241 | +1735 | +4138 |
20110517 | +11228 | +5156 | +4254 | +2662 | +993 | +2679 |
20111117 | +9200 | +3454 | +2629 | +1449 | +698 | +1407 |
20120519 | +8856 | +3405 | +2562 | +1361 | +351 | +964 |
20121119 | +5444 | +1804 | +1251 | +732 | +314 | +307 |
20130519 | +5209 | +1265 | +880 | +407 | +147 | +592 |
20131119 | +4981 | +984 | +562 | +606 | +476 | +609 |
20140519 | +3173 | +329 | +316 | +120 | -30 | +73 |
20141119 | +2911 | +453 | +179 | +64 | +195 | +64 |
20150519 | +1878 | +69 | +7 | +69 | +56 | +137 |
のどれかの筈だけれども、「アカウントごと削除」の影響が大きい気がする。これは定量的データは無いけれども、お気に入りの作品がごっそり消えたことや、フォロー中の投稿者がいつの間にか消えたことが何度もあるので、そんな気がしてゐる。
どうして作品やアカウントを消すのかは、私は消さないタイプなので想像しかできないけれども、
なんて理由なのかもしれない。
因みにピアプロの規約では、消される前にダウンロードした作品は、その時に付与されてゐたライセンスのままで使へるので、そこは安心できる。(http://piapro.jp/user_agreement/ 第11条の7)
去年のマジカルミライでも「ピアプロによる創作の連鎖」が誇らしげに展示してあったが、最近の実態として新規作品がどんどん減ってきて、存在感が薄らいでゐる。(実は今回の集計方法だと新規投稿數と削除数を区別できないので、増加数が0に近くても新規投稿數が100とか200とか、もっと多い可能性はある。同じだけの削除数があるといふ悲しい想定だけど。どちらにしろピアプロに現存する作品数が頭打ち傾向なのは間違ひ無い)
最近のピアプロは、作品がそこそこ増えてきたが故に、逆に作品が埋もれやすくなって、利用率(「使わせてもらいました」が付く率)が下がり、わざわざ手間を掛けてピアプロに投稿する旨味が減ってきて、新規作品が増えない、といふ悪循環に陥ってゐるのかもしれない。
その他にも、TwitterやSoundCloudで気軽にイラストや音楽の作品を披露できる環境が広まったので、そこで満足してピアプロへの投稿まで辿り着かないのもあると思ふ。ピアプロからの働きかけとして、企業とのコラボでの作品募集は多いが、それはやはり商業分野であって、ユーザー同士が勝手に盛り上がれる雰囲気が薄まった風に感じる。
私みたいな絵を描けない奴にとっては、動画を作るときにピアプロのイラストは本当に有難い存在なので、クリプトンには頑張ってピアプロを盛り上げて欲しい。
最近、とある国民的人気グループからAV女優が生まれた。私は未見ながら、本番はもちろんなかなかに過激なプレイも披露しているとのことである。
気になるのは、その子を応援していたファンの気持ちだ。アイドルとして拝み、およそ少なくないお金をつかい、彼女がスターダムにのし上がる日を夢見ていた彼らは何を思うのか。ビデオは観るのだろうか。その実際は、私のような凡人には想像すら及ばないものだった。
この作品はつまらない、擬似である、観るに値しないという評価をつけ、多くの人の目に触れることを防いでいるのである。
なんという愛情だろうか。私はこれまで生きてきて、これほど深い愛に触れたことはない。アイドルとそのファンを結びつける愛情とは、もはや男女間のそれをはるかに超越し、親と子の情愛にほど近い性質を帯びるのである。
多くの人が、気持ち悪い、情けないと切って捨てるだろう。そんな人には、あなたはそれほどまでに人を愛したことがあるかと問いたい。宮沢りえのヌード写真集が出た際、あまりの衝撃に泣きながら自慰をした自分には辿りつけない境地であるように思える。
とりあえず、価格がもう少し下がったら観ることにしよう。
就活がつらい。「就活がつらい」などという学生にはありきたりすぎて反吐が出そうな悩みをここに書き連ねるのは些か憚られるのだが、
つらいものはつらい。
そこそこ良い大学に入ったはいいものの、自分は計画的に物事をこなすのが苦手らしく、
定期試験を見据えて計画的に単位をとることが自分にはどうしても困難だった。
周囲への劣等感に押し潰された結果の休学と留年を経てようやく単位の取り方(要領)が分かってきた、気がする。
周回プレイすることでよりスムーズにゲームをクリアできるようになる、みたいなものだ。
無理だ。
周囲に馴染めない。
慣行に馴染めない。
システムに馴染めない。
空白期間の(それなりに正当っぽい)言い訳を考えなければならないということに堪えられない。
心にもない薄っぺらな志望動機を披露することに堪えられない。薄っぺらいことを自覚しているから尚更堪えられない。
無理だ。
つらい。
つらい。
今すぐゆゆ式の2期が観たい。
1,なぜ同性愛結婚をしたいのか理解できない。特に結婚式をあげたいというのが理解できない。
結婚式って異性間で行うように作り上げられてるじゃん。例えば衣装にしても、男性はこの服装で女性はこの服装でって。それを無理やり同性で二人ウェディングドレスとか着て異性婚者とおんなじ格好して結婚式をあげる意味がわからない。ウェディングドレスとか異性婚を前提としてそれに意味が付与されているわけだし、神父の言葉とかもそれを前提とされてるじゃん。
そういう以前からある異性婚を前提とした因習をもとにしたものなのに、同性愛者がそれをしたいというのが理解できない。同性愛ってそういう因習とかから自由なものじゃないの?
例えば、同性愛者の結婚類似の結びつきを祝う、独自の形態の祭りを発展させればいいじゃん。なんでわざわざ異性愛者と同様の結婚形式をとろうとするの?
「理解できない」っていうか、理解=受容する気がないだけでしょ。
異性婚者の結婚式は「異性婚者だからあの格好」なんじゃなくて、それを着る人が男性あるいは女性だからあの格好なんだよ。そこを意図的にごっちゃにすんなよ。
男性はこの衣装で女性はこの衣装って決まってるから、同性婚のときも男性同士は二人とも男性の衣装で、女性同士は女性の衣装でやってるってだけじゃん。
そもそも結婚式で異性婚前提にされてるのは祝詞くらいなんじゃないの?
少なくとも日本の結婚式においては宗教的意味はすごく薄れていて「結婚する二人のお披露目・お祝い会」ってのが存在意義なんだから、祝詞をそれに合わせて変えることが言うほど非合理的と思えない。
なんでわざわざ「結婚類似の結びつき」を別に作って独自の祭りを今から発明しなきゃいけないの?めんどくせえ。めんどくさすぎる。
それにその路線で行くとどうせその「お祭り」ではウェディングドレスや燕尾服や白無垢やその他異性婚者が今結婚式で使ってる衣装は使うなとか言われて着ると叩かれたりするんでしょ?
でも個人が個人のイベントで何着ようと本来は自由であるべきなんじゃないの?
2,なぜ同性愛者が異性愛者と同様の愛の形を持っていると当然のように語るのかがわからない。
いやさ、世の中には様々な性愛の形があって、人に相当の迷惑をかけない限りそれぞれ認められるべきだと思うわけですよ。SM,グロ,動物。。。いいんじゃん?
でもなぜ同性愛だけが異性愛と同様の地位を占めるべきって主張できるの?
例えば統計的に同性愛者も異性愛者と同様の長い期間1対1の強い結びつきを維持すると証明されてるの?パートナーをとっかえひっかえしたりしないの?ほら、一部のゲイたちは「ハッテン場」とか言って乱交に近いような行為をする傾向にあるとか、まことしやかに言われるじゃん。それって一般的な結婚をするような異性愛者の行動とはかけ離れてると思うんだよね。もちろんそういう人たちが同性愛者の一部でしか無いのかも、とも思うけど、一部なのかかなりの部分なのか全然外からはわからないよね。友人にも直接は聞けないけど、なんとなく飲みの席とかで聞くには性に奔放だよね。
もし、安定したカップルが形成できていてそれで異性間結婚と同様の社会的認定を受けたいなら、やっぱり結婚類似の制度を作ってそれで認定してもらえばいいよね。それで結婚と同様の扶養とかの制度を受けられると。結婚と全く同じ制度である必要はないよね。
制度に愛の形とか持ち出すことの意味がわかんない。なに「愛の形」って。愛って有形なの?
人に相当の迷惑をかけない限り認められるべきなら、同性愛者で結婚考えてる人はお互い好き合って結婚するわけで誰にも迷惑かけてないんだから認められるべきじゃん?
なんで同性愛が異性愛と同様の地位を占めるべきでないって主張できるの?
カップルの安定度? 安定度で測るの? つーか安定度って何??
パートナーをとっかえひっかえするのだって「人に迷惑をかけない」なら認められるべきでしょ。それは異性愛間でだってそうじゃん?
逆にそれで人に迷惑をかけるんだったらそれは異性愛同性愛関係なくやめるべきじゃん?
なんで「結婚類似の制度」が必要なのかが全然説明されてないんですけど。
3,そもそもなんで結婚して結婚と同様の社会的認定や庇護が得られると思っているのかわからない。
結婚して何かメリットが得られるとしたら(本当にそんなものが得られるのかは不明だが)、それを同性愛者がほしいと思うのは理解できる。でも、それが与えられるかは別の話だ。
例えば、日本人のだれかがアメリカ人にとっての当然の権利であるアメリカの投票権がほしいと思ったら、、、アメリカに帰化するしか無い。「日本人のままでもアメリカの投票権がほしい」というのは気持ちは分かる。僕ももらえるならほしいかもしれない。でも、そりゃむりだろう。
なので、これまで異性間のものとして扱われてきた結婚というものに同性愛者が入り込んできても、すぐにじゃあ同様の認定と庇護を与えましょうというわけには行かないんじゃないかな。
こういう結婚はこれまでの歴史、経緯で異性間のものとして扱われてきたという話をすると、「武田信玄も男の小姓に恋文を書いていて、同性愛は歴史的にも認められてきた」とか主張する人がいる。これは無理筋だと思う。僕も同性愛は長く歴史上存在してきたんだろうな、と理解はしている。だけど、同性結婚は直近の近代まで認めた社会があったとは聞いたことがない。同性愛は否定も差別もする気はないが、同性婚はそれとはまた話が別じゃないかな。
え、なにこれ。「ぼくは同性婚者に異性婚者と同等の庇護や認定や権利を与えたくありません!」って言ってるだけじゃん。論拠とか無いじゃん。
あなたが同性愛者イヤだから同性愛者に結婚制度認めたくないんですってゴネてるだけですよね。
「昨日まで黒人は奴隷だったんだから今日から法律変わって自由人になったからって白人と同様の認定と庇護を与えましょうというわけには行かないんじゃないかな」、って話に対して、「そりゃ法律変わったし本人ら何も悪いことしてないんだから認定と庇護与えない方がアカンのは明らかでしょうが。与えないこと正当化してんじゃねえよ」とか思わんのかいな。
いやどんな感想を抱くのも自由だけど、それを他人にもっともらしく主張して認定と庇護を付与する云々レベルにまで真顔で首を突っ込んでくるのはやめてくださいよジョークでも不快なのに。人の権利左右するような話題ですよ?
鬱陶しいし怖いわあ。これが通っちゃったら「ぼくは女に選挙権とか認めたくありません!」「わたしは男は全員去勢するべきだと思います!」とかも通っちゃう話になるじゃん。
イメージとしてはリベラルをきどりたい異性愛者の声が大きいようにみえる。たとえばエルトン・ジョンのように著名人が日本でカミングアウトをして権利拡充を歌っているのだろうか。マツコ・デラックスやミッツ・マングローブですら、「オカマ」という売り出しで同性愛的側面は強調していないように思える。また、そういう活動もしていないように見える。
誰が推進してるかってそんなに重要か?
つうか普通に同性愛者の団体とかが推進してんじゃないの。今だって権利制限されすぎだし。普通に同性婚が制度として確立されれば同性カップル利益あるじゃん。
ということで、「同性愛者に対する結婚類似の制度を作って認定していくべきだが、結婚と同じにしてしまうべきではない」というのが理解できない。
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
「スギ花粉にすぐ反応してクシャミばっかりする人たちに、私は心底うんざりしているのだ」
ってのは、ちょっとどうかと、俺は思う。
ヒドイ自称をしてるが、俺は映画やドラマやエンターテイメントが好きだ。
(作品を貶すよりも)鶴を見つけたと叫ぶ方が有意義だと思ったから、そうした。
批評家から酷評されようがファンからブーイングを受けようが映画館に足を運ぶのは、そこに輝きがあるからだ。
例えば昨今のイカ人気に便乗するなら「ザ・ビースト/巨大イカの逆襲(1996)」というパニックムービーがある。(日本では劇場未公開・TV公開)
娘に海の無慈悲さを説く主人公である父親には(ゴジラ作品に通ずるような)自然への畏敬がある。
ただ、有り体に言ってジョーズの何番煎じかの作品で、秀作とは言えオススメするのは難しい。
しかし、単なるパニックムービーに深みを与える演技を魅せた主人公のWilliam Petersenは、
「CSI:科学捜査班(2000~)」でギル・グリッソムを演じ、ハリウッド殿堂入りを果たしている。
つまり、どんな作品にもそこに関わった人間の思いが込められているし、
駄作と酷評されるような作品にも、愛と信念を持って臨む人間が居る。
こちとら最初から「何が(何を持って)成功か失敗か」という話はしていないんですよ。論点分かってくれ。 /この人のように実際に観てから言ってる人には何も言うつもりはないんです。
十分に論点を理解した上で書いたが伝わらなかったのは俺の力不足だからだろうし、
これが個人攻撃に見えてしまったり、曲解した上で叩いているように見える可能性もある。
ので、ゴリッとidを入れておいたので、不愉快に思ったら手数をかけるが削除申請して欲しい。
少なくとも「自分の好悪」であると主張しているのは、俺は好ましい態度だと思う。
だからこそ、共通点を探ろうとブログを読み(slinky_dog_s11さんの好きであろう)ゴジラシリーズを週末かなり観た。(正直キツイし時間かかった……)
だもんで例示としてあげるのはローランド・エメリッヒ監督のGodzilla(1998)にするが、
俺は、パニックムービーとして良く出来ていると思う。ジャン・レノも良い味出してるし。
しかし、「ゴジラ」ファンがこれを「ゴジラシリーズ」として認めるかは、意見が割れると思う。
ゴジラ(1954)にある自然への畏敬や人間社会への風刺はホトンド無いし、
フォーマットとして確立していたゴジラvs怪獣という点も無く、独立している。
そもそも、それまでのゴジラの造形からあまりにもかけ離れている。
こういったハリウッド化が何度も繰り返され、slinky_dog_s11さんの好きなゴジラや特撮が、
そうではない別ものとしてハリウッド化が何度も何度も繰り返し為されていたとしたら、
「ハリウッド化!」に対して「もう止めてくれ!」と叫ばないだろうか。
それを、「ゴジラを見ていないし思い入れも無い人」が「ハリウッド化に騒ぐ特撮クラスタは目障りだから止めろ」と言ってきたら、
「ゴジラ好き」達は、素直に「次こそはという可能性もあるから黙って待つか」と思えるだろうか。
そもそも「実写化」というのは別に本質じゃない。次元を超えるせいで、単に目立つだけだ。
例えばリメイクやリブート、コミカライズやノベライズ、もっと言えばアニメやドラマのシリーズものだってそうだ。
第三者が別のキャンバスを持って現れ、横で少し真似た絵を描き始めた
http://blog.goo.ne.jp/yukks453145/e/12eb31fc9d5080c07c838ef6fb4ea238
slinky_dog_s11さんも書いてるよな。的確な比喩だと思う。
自分の好きな絵の名前で「これこそが名画でござい!」と模写を披露してるのを、見るわけだ。
その模写は、原作の絵を知っている人間が見ると、とんでもない模写なワケだ。
もしくは、「トンデモナイ描き方を始めた」ように見えるワケだ。
例えば最近だと寄生獣(2014, 2015)があるな。放射性廃棄物を使った演出で、一炎上あった。
個人的にはね、ミギーの阿部サダヲの名演とか、寄生獣を実写で見られたというワクワク感も無くは無い。
でも、あの映画があると(あった事実は消せないよな)「寄生獣っていうのは、ああいう思想の作品なんだ」として記憶される訳だよ。
主人公に寄生する謎の生物であるミギーもさ、「なんかヒョウキンなバケモノが腕についてんな」という評価になるわけだろ。
人間から見たら冷酷な(でも事実を言ってるだけの)ミギーに対する違和感や嫌悪感、そこからの「共生」みたいなものは読み取れないわけだ。
漫画を読んだら判るはずの良さが、映画を観た人には伝わらない。
観た人に演繹されて「ああ、原作もこういう作品なのね」と思われると想像して当然だろう。
そして、そうなるであろうという不信感・違和感が、「止めてくれ!」と叫ばせるわけだ。
「ここが違う」「そこが違う」として細かな差異をアゲツラウってのは、本質じゃないと思う。
それは「不安だ!不信感がある!」という違和感を上手く言語化できないだけじゃないかと、俺は思う。
俺は、初期の段階で騒ぐのは良いことなんだと思ってる。
少なくとも、熱心なファンが居ることは伝わるわけだし、プレッシャーもかけられる。
島本和彦みたいに「原作を変えたんだから、実写も変えろ!」みたいな面白しなくても、伝わる可能性がある。
そして、この中で、作品がより良くなる可能性があるのは1番しか無い。
だから、「実写化!」にファンが即応して「マジかよ!」と叫ぶのは合理的だ。
俺は、ブコメでも言及されていた「るろうに剣心(2012)」を邦画と呼ぶのには強い抵抗がある。
(るろ剣に関しては語りたいことが山ほどあるが、本筋ではないのでここには書かない。需要も少ないだろうしな)
それぐらい、「邦画」界や「ドラマ」界隈ってのは特殊で、ハッキリ言って漫画やアニメを実写化するには向いてないと思う。
だからこそ、Twitter等でファンの声を製作者側に伝えられる機会があるなら、もっともっと騒ぐべきなんだと思ってる。
そして、そういうファンの存在を「受け入れがたいので目を背ける」コトが出来ずに「本当に嫌い」として黙れというのは、狭量じゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150619121107
(※追記:Twitterみたら個人攻撃にしか見えない感じになってたので題名を修正。あと、ゴジラ24本観終わったので、残り6本のはずだが近所でレンタルしてねえ……)
福島の現状について非常識なことばかり言う人の中に、特定の何某を趣味にしてる人がいるとたまに
「周りもこいつをいい加減何とかしないと、その趣味に興じてる人全体がそんな奴だって思われるぞ」
みたいなご意見を見かけることがある。
確かにその通りだよねーっと思うし自分もそういう人にはいい加減にしてほしいと思ってるんだけど、
じゃあ何かたしなめる意見をそいつに言えるかっていうとまあ無理。ごめんなさい無理。
趣味で人が集まる時って大抵その手の話はタブーで踏み込まないし、そんな相手に直接言ったらこっちが何されるかわかんないし。
その手の変態って声がでかい人が多いから自分のことをどこで何て言われるかもわからない。
もし相手が趣味の集まりでキチガイな発言をしてくれれば追い出せるかって言うとそうでもなくて、
高々タブーに触れたくらいのことだから周囲の人が少し距離を置くようになるだけ。
まあやり過ぎれば多少は問題視されるだろうけど、あくまで敵失に頼ってるだけだし、
たしなめる人がいたとしてもそれで少し収まるかと言えばそんなことも無い。
あと、この手の人って往々にして趣味とか学歴の類を「理知的な自分」を印象付けるための飾りにしちゃってることがあって、
飾りだから趣味の会合とかにも殆ど顔を出さずそもそも直接会うこと自体難しい。
Twitterなんかやってると割とマトモそうな学者をフォローしてたりもするんだけど、あくまで飾りだからそういう人のツイートとかたぶん読んでない。
以前自分と同じ趣味で、福島じゃ放射能で大量に人が死んでるけど隠ぺいされてるみたいなことばかり呟いてた人が
少しはマトモになるのかなと期待してたけどここ5年間で大して変わってない。
科学史っていろんなジャンルの人が見るしなんか賢い感じもするし、
本業の人は座学だけじゃ厳しいだろうけど既存の知識をそのまま披露するだけの知った風なことを言う素人にとっては飾りに使うのに持ってこいな感じ。
あ、科学史やそれに注目する人がそういうのを飾りに使ってるという意味じゃなくて、これも一部の変な人の話ね。話がずれたけど。