はてなキーワード: 必然とは
その人の人生というバックグラウンドも考えずに、自分が所属しているちっちゃいコミュニティー内をさも世の必然かの様に勘違いして放たれる言葉「こんなの普通に出来るでしょ」
身長の高い人が棚の上の物をとって「こんなの普通に出来るでしょ」
身長の低い人が小さな穴を潜って「こんなの普通に出来るでしょ」
こんだけの違いがあるのに、普通という言葉は便利ですね。はいはい普通普通
俺は目の前のデパートから人が落ちてきた時から「世の中ってアブノーマルばかりなんだな」って悟ったよ。そう言う意味で言ってるんじゃないのはわかるけどね。
さておき、働きたくないのなら働かなくてもいいんじゃね?
親御さんに迷惑かけたくないと言うのなら、色々と職場を転々とするのもいいだろう。
二日で辞めてもいいだろ、つまんなかったんだろそこ? もしくは従業員の中にクズでもいたか?w
そうやって転々として、自分なりにそこそこの所を見つければいいでしょ。
働く事は強制されてない、お前はお前が好きな事をやって、好きに生きて、好きに死ね、ただそれだけなんじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20131102094842
を読んで思ったこと。
この上から目線問題って、本文でも指摘されているように自分の価値観を相対化できるか、という問題を孕んでるんだよね。
で、世の中にはまぁこの価値観を相対的と見なす人と、絶対的と見なす人がいる。
もちろんこれは絶対的に二分化して存在するのではなく、連続性を持って存在しているのだけど。
相対価値観のメリットには、多様な価値観を認められる、つまり、人種の多様性を認められる、ということ。
デメリットには、多様な価値観を認めるが故に、相手がどのような価値観を持っているのか毎回確認する必要があること。
絶対価値観のメリットには、絶対的であるので相手も同じような価値観を共有していると考えられるため、事前の確認なしでその価値観に乗っかった議論が出来ること。
みんなが価値観を共有しているため、価値観に付随する問題を当人の問題から価値観へ押し付けることが出来ること。
デメリットは絶対的である故に排他的になり、異なる価値観を認めない方向にいくこと。
どっちもどっちではあるけれども、全く同じ価値観を共有するには同じような環境で成長することが必要であるように思う。
同じ環境だったからこそ同じような教訓をそれぞれが得るので、同じ価値観にたどり着きやすいということ。
逆に言うと、これが日本におけるムラ社会の必然とも言えそうだ。
では今後の生活においてこれは通用するのか?というと、グローバル社会とかなんとかを考えると無理だろう。
大人数の人々が全く同じような環境で成長するとは考えにくいし、それ故に同じ価値観を共有することは難しい。
(それでも一部の先進国は民主主義を絶対的な価値観として広めようとしているが、割と滑稽である。)
従って、多様な価値観を認めることはどう抗っても必要なことになっていくように思われる。
つまり、異なる価値観に触れて自分の価値観を相対化し、また異なる価値観の中から「自分が」どんな価値観を選び取るのかが重要になってくる。
自分で選び取る以上、責任も当人に付随するので、「そんな責任負いたくない」という人は負いたくないのに責任を負わざるを得なくなる。
故に、そのような人は責任を己のものから解放してくれる、絶対的な価値観を求めたくなる。
まぁそんなところな気がするので、あなたは自分の人生にどれくらい責任を負えますかっていう問題をスルーするわけにはいかない気がします。
キリスト教でないので神に対して誓いたくない、両親への手紙は、わざわざみんなの前で読む必要はなく親に直接言えばいい、
色直しもキャンドルサービスも金の無駄・・・偏屈同志の二人の意見はぴったりであった。
2)なるべく中間搾取されずに、払った金額ができるだけ招待客にいきわたるようにしたい。=コスパを高くしたい。
1.大前提として、夫婦として妥協できる持ち出し金額を決めた。結婚式が終わってからが長い二人三脚のはじまり。
したがってお金は極力出したくはなかったが、かといって皆に遠方から来ていただいているのにも関わらずプラスにしたい
(持ち出しをしない)という観念もなかった。それは失礼だと思った。
2.必ず呼ばなければいけない親戚をリストアップ、期待されるお祝儀を計算した。
3.人数、新郎側新婦側のバランスを考えて招待する友人をリストアップし、一人当たり3万円(夫婦の場合5万円)のお祝儀と勘定。
それとなく周りに声をかけて、参加意思を確認。
なお、ケチケチと算盤をたたいて、予算以上の金額を払いたくなかったということではない。
むしろ終わった結果がこれより多少ずれていても良いと考えていて、
とりあえず予算の大枠を決めないと、業者と話したときに方針がすぐぶれてしまうことが容易に予想できたからだ。
(尚、精確には2次会の参加徴収費×期待人数も予算に含まれる。)
ゼクシィやネットなどで情報を集めると、一つの現実が浮かび上がった。
”結婚式場を使うと、人数が数十人規模でも数百万は必ずかかる” ※スマ婚は不明
これは、結婚式場でも たくさん人を雇っており、豪華な建物や機材の減価償却があり、
毎日目標売上を決まった時間枠内で達成しなければいけないためだと思う。
支払を小さくすべて内容をなんとか質素にするならば、単価が高くなる。
ケーキを持ち込む際、カメラマンを知り合いに頼む場合、自前のドレスを使う場合、、全て持ち込み料を数万円ずつとられる模様。
逆にオプションをつければつけるほど、単価が下がりお得に見えるようにできているが、全体のボリュームは無論膨らむ。
・招待状、メニュー、メッセージカード、席次表、すべて込みで10数万円
一部金額うろ覚え。とにかく驚いた。
予想と現実の乖離が大きく、安くてよい式場があれば・・という、私達の淡い期待は見事に打ち砕かれた。
ここは畳部屋でキャパが小さいので、必然と呼ぶ人数は40人までに絞られた。
なぜ料亭にしたかというと、かかるのは料理代と酒代だけで、会場代(≒原価償却代)がいらないからだった。
庭も雅で、貸切のため他グループの喧噪に神経を使うこともないだろうと思ったからだ。
さらに、老舗だけに金屏風と赤絨毯を持っているのでタダで使わせていただけるとのこと。
加えて、入場退場の際に女将さんが唄を歌っていただけるとのこと、、私たちは、ラッキーだった。
しかし、会場が小さいせいか ごく稀にしか依頼は来ないらしい。
披露宴の内容がイベントに欠けることは確定したので、せめて招待客には舌鼓を打っていただこうと、
料理の予算を一人2万円に決定。酒代別途。親族で地元伝来の舞を踊れる方がいたので、依頼。
ドレスはいらないものの、あまりしょぼい恰好も場にふさわしくないだろうということで
新婦は和装で、動けて、食事ができて、且つ値段が休めな引き振袖に決定。新郎もあわせて袴に。衣装替えはなし。
地元のブライダル衣装屋を2件回り、相見積をとったが合わせて22万。
田舎ではライバルが少ないため、これ以上下がらない様子だった。柄もいまいちで、種類も少なく、使い古している感じ。
着物がたくさんあって競争が激しいところに行けば、相場はもっと安いんじゃないか??
と思いつき、着物のメッカであろう京都に照準をあて、ネットでオンラインレンタルできるところを探した。
3件ほど目星をつけ、嫁さんに1日かけてもらい実際に赴いてもらった。
着物制作工房とレンタルが一緒になっているところがあり、仕上がったばかりの新品があった。
デザインも気に入った上、値段も安かったので即決。
二人合わせて12万円程度にまで圧縮できた。
さらに、地元で着付けの美容院も2件巡って相見積をとり、印象がよいところに決定。
新郎の希望で新婦は文金高島田に。かつらだけで8万円。これはどうしようもなかった。
田舎ならではという感じで、酒が入ってからは新郎側も新婦側も ひざ歩きで畳の会場を回って、
皆がわらわらと適当にまじりあい、酒を注ぎあい、終始ガハガハやっていた。
人数も多くなかったため、夫婦も一人一人としっかり会話ができた。
重いかつらを外すために、途中で新婦は一度退場。髪だけ整えてまた戻った。
途中、長老がどこから持ち出したか、カラオケを歌いだしてやんややんやのハプニング(?)も。
(あれは可笑しかった。)
最後は新郎新婦側で盃をかわし、参加御礼のスピーチをし、集合写真を撮ってお開き。
出口でお見送りと引き出物を手渡し。なんと5時間半も同じ部屋でやっていた。
・招待状、メッセージカード、席次表はすべて自作。印刷業者に見積もりをとったが、
数千枚刷らないと、うまみはない。コンビニのレーザー印刷は高級紙には対応していないので注意が必要。
kinkosなどを利用するのが良いかと思う。
模様が入っている結婚式用の封筒などは高いので、安い無地のものを買い、
消しゴムはんこで鶴や亀などを作ってアクセントに。案外いい感じになった。
席次表は、ドタキャンで何回も作り変える可能性があったため、前日に実家でプリントアウトして作った。
切手など含め、総計で2万円くらいだった。
・招待客が40名と少なかったため、全員個別のプレゼントを用意。楽天を活用した。
嫁さんが昔お菓子を作る職に就いていたので、お菓子詰め合わせも入れた。
年配の親族は何をあげていいかよくわからなかったので、お菓子と共に1~2万円のギフトカタログを送った。
・宿泊客の宿代は全額夫婦で負担。ここでも2件ほどホテルに交渉。
・二次会はバーで、何もなしでただ皆で飲むだけ。途中で適当に分散するよう席を移ってもらい、
あとは参加者たちの化学反応に任せた。参加者は負担2000円で残りは夫婦支払。
フリーオーダで、それでも8万くらいで収まった。
・親族がカメラマンだったため、撮影をやってもらえた。お礼として3万円包んだ。
・簡単な司会進行は友人に頼んだ。A4一枚にまとめて、何回か打合せをした。
こちらもお礼を包んだ。
一括で請求してもらって後日支払をした。
・着付け、ヘアメイクの方にお礼を包み、控室での食事を出した。
・高齢で膝の悪い方もおられたため、和室用の小さい椅子?を用意した。
1次会40名、2次会15名。
準備期間の移動費など全て含めた支出が150万で収入が151万。
予想外に多く包んでくださった方が若干名いたため、ほぼトントンになったが、
そうでなければ思惑通りに持ち出し35万ほどに収まっていた。
仔細まで管理し、当初の予定どおり できるだけ招待客に分配することができたと思う。
1)参加者をたくさん呼びたい場合、それはもう選択肢がどんどん狭まっていく。
究極的には式場しかなくなる。
私たちとしては 公民館でもイベントスペースでもどこでも ワイワイとみんなでご飯を食べれて、
夫婦の顔をお披露目できればそれでよかったのだが、やはり色々考えるとそうはいかなかった。
まず、何かイベントがないと、空気がもたない。日本人はパーティー形式になれていない。
(知らない人としゃべらない) 若者だけならいけるかもしれない。
台湾なんかは家の前の道路の一部を貸し切ってパーティーするらしいです。
2)私たちのやり方は嫁さんが無職で時間があったためにできたと思う。
共働きだったらそこまで時間を捻出できなかったんじゃないだろうか。
私は出張で不在がちだったので、手と足を使った準備は殆ど嫁さんが。感謝。
3)後日、写真をコンビニでプリントアウト、L判アルバムにして家族に送った。
会場となった料亭からは無料招待券をいただいたので、その内にお礼がてら訪れて
こちらにもアルバムを渡す予定だ。これからの営業に使っていただければと思う。
4)試算表を作って、項目を全て羅列したのが 予算管理にとてもよかったように思う。
項目を炙り出そうとすると、内容もおのずと煮詰められていくので。
5)私たちは田舎で丁度良い料亭があったが、都会にはあまりないのではないか。
都会では会場の選択肢が少なくて、結局そういう式場しかないような気がする。
6) 円卓方式じゃなく、和室だったからこそ 行き来しやすく雰囲気が容易くこなれて、
当初、漠然とこんな結婚式、いいなあ~と思っていたのは、宇宙工学研究者の小野雅裕さん。
http://onomasahiro.net/tsurezure/852
当然同じものにはならず、計画に時間はかかったし喧嘩もしたが、
僕たちにとって とても満足のいく結婚式になった。
見知らぬ誰かの参考になれば。
国家の「成熟」というのは、文化の違いを超えてあらゆる近代国家は同じ発展の仕方をする、ということが前提なのかね。物理的に発生する課題なんかは、確かにある程度似てくるだろう。だが、社会制度や人々の労働観などまで同じになるという期待は、文化の違いを一切無視した極論ではないかな。だとしたら、有権者も企業も「ついてこない」ような制度を導入した小泉改革が、どうして「正しい」と言えるのか、疑問。
まあ、日本人は、結局、職業であれ性別であれ、とにかく何らかの「身分(差別)制度」を求めているんじゃないかね。それは、単に信仰とかいう問題じゃなくて、もっと根深いところでそうなんじゃないか。
たとえば、日本人は、キリスト教徒ですら、どこかで「全ての人は平等だ」という概念を理解していないんじゃない? 牧師や神父のように、「より真面目な」信徒は「より神に愛された」存在であって「偉い」……とどこかで思ってるフシがあるんだけど、どうかね。「懺悔」とか「告悔」というシステムを心から納得しているんだろうか。罪を悔い改めた罪人は、等しく神に愛された存在であって、「ずっと正しく生きてきた信徒」と同じように救われる存在だ、という感覚が本当に持てているの? どこかで、昔からの仏教のような感覚で、「より修行をした僧は、より仏に近い」「偉い」存在だ、という感覚がありはしないか。
これって、別のツリーで話題になってる「自尊心」の問題と同根だと思う。「日本人ほど自尊心が低い人が多いように見える社会はない」というのは、「平等」を押し付けてくる近代的社会制度への無意識の反発が、「いやいや私ごときなんて、そんな、皆さまと平等な偉い存在じゃないんですよ」という謙遜風自虐と、その裏返しとしてのある種の「無神経な図々しさ」(ちっぽけな存在である私ですから、多少不作法だったり公益に無関心だったりしてもお目こぼし願いますよ、ヘッヘッヘッ、的な)となって表れているような気がするね。
身分制度って、一面「ラク」な社会なんだよね。身分が社会的に規定され、それ以上のものは求められない、という点で。みんなが「身の丈」で暮らす社会と考えれば、『選択的身分制社会』なんてアリじゃねーのとも思うが、どうなんだろうね。まあ、イノベーションのない社会は国際的競争力を失うことは必然だから、長期的には「今ある財産を食いつぶす」「ますますhentai国家化が進む」結果になるとは思うけどさ。逆にその方が、社会的な「生きづらさ」は減ると思うんだが、どうだろう。
まあ、単なる妄想なんですけどね。
このエントリー貧乳好きは嘘つきであるを書きました。異論、反論、さまざまいただき、議論が深まり、大変勉強になりました。
そして、確信しました。本当の意味での貧乳好きなどいないことを。反論された「いや、こういうのがいいんだ」というのはほとんど真の意味で貧乳を愛しているのではなく、好みの異性につくオプションとしての貧乳が好きなだけだ。貧乳それ自体を好きな人はいない。ということで、貧乳好きをジャンル分けしてみました。
これは貧乳が好きなのではなくて、「貧乳にコンプレックスを感じている(多くの場合は二次元美少女)」が好きなのであって、本当の意味で貧乳好きとはいえない。確かに、巨乳キャラにデレデレしている主人公をジト目で見る貧乳ヒロイン、いとおかし。でも、それは貧乳好きとは違う。コンプレックスを感じている女の子に萌えているだけにすぎない。テスト
これには、高身長、小さい頭、それほどブスではない顔が前提とされている。たとえば、身長156cmでガリガリで貧乳というのには反応しないはずだ。だから、この人は「スタイルのいい女性」が好きなのであって、貧乳それ自体を愛でているとはいえない。
それは美人のバリエーションとしての「貧乳美人」が好きなのであって、貧乳単体で好きとはいえない。「メガネ美女」が好きとかそういう、美人バリエーションとしての好みの一つ。こういう奴らはブスの貧乳を許さない。それでは貧乳好きとはいえない。
これは巨乳が彷彿させてしまう「デカ乳輪」「タレパイ」なんかが嫌なのであって、貧乳が好きなわけではないだろう。おそらくC〜Dあたりを好むはずだ。(何度もいうが、男の言うほどほどはC以上であって、Bではない)
おまわりさん、こっちです。
これは単なるロリコン。ロリの必然からくる貧乳が好きなのであって、貧乳それ自体が好きなんじゃないよね。
巨乳好きには、巨乳ならブスでも良いって人は確実にいます。僕がそうです。たとえば、「やや美人の貧乳」と「ややブスの巨乳」なら、ややブスの巨乳を選ぶ男はいる。でも、自称貧乳好きに「やや美人の巨乳」と「ややブスの貧乳」で貧乳を選ぶ男はいるだろうか、いや、いない。
世間一般の「貧乳好き」とは、自分の好みの異性についているオプションとしての貧乳ならば許容しているだけだ。貧乳単体で好きな男などいないのである。
みんな「アリな貧乳」を想像するとき、絶対に貧乳美人や貧乳美少女キャラを想定しながら言っている気がするんだよね。「小さい方がいいな」と男がいうとき、「(美人なら)小さい方がいいな」「(スタイルがいいなら)小さい方がいいな」「(ロリなら)小さい方がいいな」という前提が隠れているのである。純粋な、貧乳単体で好きな男はいないのだ。
就職活動の面接で3回以上聞かれたこととhttp://anond.hatelabo.jp/20130928103801へ返信。このためだけにはてなアカウントを作成した。企業側がなぜこういう質問をするのか、そのモチベーションのようなものを理解しておくのは損にならないのではないか。
一般にこの類いの質問に対しての自分の理解は、真剣に自分の数年〜数十年を過ごすことを考えたか、またそのために準備をしているか、を確認するものだと思っている。30社受けていると、1社あたりへの集中の配分が薄くなるのは当然だと思う。しかし、だとしても、その中から内定をもらい、在籍中の人生の10%強(8h*5 / 24h * 7)を過ごすことになるのだから、よく準備するのに損はないのではないか。社畜になる、ならないでなく、10%というのは思ったよりも本当に大きなものになってくる、というのが実感。
会社側も選びたい。したがってこれらの質問があることは必然。中途採用の場合はこの項目が経歴説明でカバーされる。選んでもらうには何らかの特徴を印象づけるのが効果的。
この質問は企業側からしたら致し方なくしている質問かもしれない。中途であれば経歴を聞くことで、能力や担当可能範囲を見極めていくことができる。しかし新卒には経歴がない。したがって、高校時代や大学1, 2年生頃の決断にも質問を及ぼさざるを得なくなる。これらの決断時点で、整理された判断ができた学生なんているんだろうか。
この質問群。バイトって必須なのか? サークルって必須なのか? これらの質問の背景は、いわゆる「コミュニケーション能力」や「チームワーク」のポテンシャルを見極めたいということではないのか。もしバイトやサークルの経験がないのであれば、面接官に次のように聞くなどできないか:「直接の回答としては経験がない。ただ、この質問の意図を確認させていただきたい。コミュニケーション能力や、チームワーク経験、そういったものを確認されたいのか」。当然、このように切り込むからにはそれなりの材料を揃えておく必要がある。
【その他】
終わり。
質問がカテゴライズされており、回答しやすかった。元増田は分類力、分析力をアピールしていく手もあるかもしれない。具体例を出せることが前提だけど。面接を、というか就職活動を、先が見えないかもしれないが楽しんでみてください。あるいは、楽しめるポイントを見つけられるよう、日々を過ごしてみてください。
かくのごとき人生はつまらぬ。つまらぬ、つまらぬ。どうしようもなく虚しく、儚く、そして何よりつまらぬ。
娯楽小説のごとき都合の良いカタルシスもなければ、小説よりも奇なりという数奇でしか体をなさぬ。
あるのは必然と突然の連続のみ。苦しくはない、だけれども、虚しく、儚く、そして何よりつまらんのだ。
だから、少しでもつまらなくないようにさせようと、思慮するも、その思慮すらも、まるでノイズのように邪魔をしてくる
輩が居る。その者らは煽る。煽るに煽る。おまえの人生はこうだと、こうをしなくては幸せにはなれぬと、これをしないから
おまえの人生はつまらないのだと。一般論を交えながら、ところどころに妬みや足を引っ張ってやろうという悪意、憎しみを
込めながら、輩は煽るのだ。
そうして、その煽りを真に受けて、ああ、こうしなくてはならなかったんだなと我が身を正して、必死に取り繕ってみる。
取り繕って取り繕って、取り繕ってみる。
結果はどうだ?何か残ったたか?何も残らないだろう?
自分の人生が少しでもつまらなくなくなったか?余計に辛くなっただけであろう?
だったら自分の欲望に忠実な生き方や、自分の信条に対して真っ当な生き方をすべきであろう?
煽りを真に受ける人生なぞ、つまらぬだけだ。何より、煽りを入れる輩はおまえの事を思って言ってくれてるのではなく、
大抵は憂さ晴らしや妬み、煽るのが愉しみで煽っているだけだから、そんな煽りを聞き入れてもおまえの人生はちっとも
楽しくならぬ。そればかりか灰色の人生に極彩色を滅茶苦茶に塗りたくってしまったせいで、自分の過去も否定されて、
余計に苦しくなるばかりなのだ。だから煽りを真に受けてそれを取り繕う人生なぞ、歩む必要もないし、煽りを聞き入れる
必要もないのだ。
いやさあ、
こんなこと言うくらいだから一生懸命大学で勉強したのかな、と。教授たちが授業やる意味があったのかな、と。
これならその辺のちょっと良いとこの大学生に家庭教師やってもらえばじゅうぶんですよねえ
ま、別に金払って行ったあんたに文句いいたいわけじゃないけど、
仕方ねーじゃん。勉強したことが社会でほとんど役に立たないのに、 学歴っていう肩書きだけは就職に必要なんだから、そうなるのは必然
これに対してごちゃごちゃ反論するには弱すぎるよね。。。
むしろ肯定することになっちゃうからできればやめてほしいな。。。
俺はどちらかというと、大学で学んだことをちゃんと役に立つ仕事につくべきだ、派なので。
その上の仕方ねーじゃん、の増田とは別ね。
女性はいつでも男性を社会的抹殺可能なように法整備された時代。3次元恋愛はイケメンやコミュ力などを備えた者だけに限られるようになった。抹殺するためであれば、その気になれば因果律すらも歪曲可能なほど強力であった。
メディアや整形外科、美容品企業、芸能事務所などのアジテートするアイドルブームや美容ブームは「美は正義、醜は悪」との価値観を喧伝しつづけ、それを加速させている。
3次元から追いやられたものたちは新たなフロンティア「2次元」にその居場所を見出し、その満たされない欲求をバーチャルに消化するようになるのは必然であった。
通勤電車に「愛、おぼえていますか」とか流せばいいんじゃないかな。男と女に分かれて戦争してるところとかそっくりだし。
※ただしイケメンに限る。 というのはネタでもなんでもなく、社会問題の影響下にある者の率直でささやかな反抗、社会風刺である。
「こういった背景も知らないで、一知半解の知識をふりかざして“「日食」は代用表記だ”みたいなことを書いてしまうというのは恥ずかしいですね。」
などとドヤ顔している割には、あなたも仮借や省字のような初歩的な漢文に関わる知識がごっそり欠落しているのが丸わかりなあたりがとても残念な感じですよね。
そのあたりの知識があれば、漢字に意符が付け加えられていった具体的な背景や必然、意符や字画が少ない字に正当性を認めることへの躊躇も含めたうえで、より公正な主張が可能になったでしょうに。
日食月食について、それが現代に為された代用表記ではないから正しく日蝕と書けといったような指摘が的外れだという主張そのものは正しいでしょうが、かといって現代国語において字義が明確に分化されたあとの「志」やら「然」やら「斤」やらを「誌」や「燃」や「近」として使うのを古籍の用例を引きずりだしてきて「このように書いても過去の用例に鑑みれば間違いではないのだ!」などと正当化するような真似もまた、エアロパーツ好きのDQNとベクトルが逆に向いてるオタクが中二病をこじらせたままというだけで、いずれも自身の稚拙さをさらけ出してることには変わりはないはないのではないでしょうかね。
それこそ”一知半解の知識をふりかざして”青空文庫のコピペや古書のスキャン画像並べただけでクソとミソの区別もつけられないまま、汚名挽回や的を得るは間違いではないのだなんて詭弁そのものの論陣張りたがる知識人気取りのお子様をたまに見かけますけど、知識のない他者に対し優越感を得たいが為に学問かじってるのでなければ、その分野の研究者の編纂にかかる概説書やそれがなければ重要論文の内容を地道に読み込むところから始めたいものですね。
あなたが挙げてるような素人でも無理なく読めるよう専門的な部分がざっくり端折られた一般書ばかり読み散らかして、基礎的あるいは体系的な知識も持たないままネットに転がってるデータベースに検索かけて都合の良い箇所だけ適当に抜き書きしてるだけでは、いつまで経ってもあなたが見下してるつもりの半可通の領域から抜け出られませんよ。
マーケティングのことをイチから説明する時間はないので、手短に。
全部とはいいませんが、世の中にあるモノ、サービスは提供するターゲットを想定して作られています。
ドットインストールの このサイトについて http://dotinstall.com/about
を見てください。
ここに、このサービスが、どういうコンセプトで、誰のために、どういう目的で作られているかが書かれています。
流行ったということは、結果的にターゲットの欲求を満たせた、戦略的に成功したと見れます。
制作側はそもそもあなたのような人をターゲットにしていない。だからあなたは、流行った理由がわからないという考えになってしまうのはある意味必然です。
いい悪いは別として、一つ言えることは、あなたと違う趣味思考、考え方を持っている人が世の中には沢山いるということです。
書き方が悪かったが、褒めて伸びる云々、ってのは、それが全部アスペに当てはまるって意味ではなくて、
人それぞれの性格ってのものがあって、その人用にどう対処したら良いか、ってのはあって、
初めて会った人がどんな人かはわからないし、それこそ私はこういう性格です、と書いておいてもらえれば対応しやすい、
ということで。(多分、誤読、って追記してあるのでここは理解してもらえたと思うけど。)
つまり、アスペだろうがどんな性格だろうが、その人をある程度見て教え方や対応を変えるかどうかは時と場合による、と。
学校なんかでは、アスペであれば、きちんと医者が診断するものだから、それを先生に伝えておくことは良いと思う。
でも、会社なんかで、私はアスペです、って言われても、だから?だし、特別扱いしろってのか?って話になるし。
同じ給料で同じ仕事をする以上、特別扱いするわけじゃないんだから、同じように教えてもらって出来なきゃクビになるしかないし。
会社として、そんなクビにしてたら回らない、というなら、もう少し各人を見て教育するようになると思うが、それはアスペに限った話ではない、と。
逆に、アスペの人は、自分がそういう考え方しか出来ない、としっかりと理解して、自分で対処するのが当然で、周りがどうこうしてくれるのを待っても困る、と。
最近は作業用BGMのためにYouTubeでアニソンやゲーソンや同人音楽を片っ端から聴いている。
たまにコメント欄を見るのだが、まあ英語圏からの評価は概ね高い。
日本語が話せないのにわざわざ日本の歌を聴きにくるような酔狂な人間しか寄ってこないからそうなるのも必然なのかもしれないが、
それでもやはり日本語の響きは美しいというコメントを見かけると少し嬉しい気持ちになる。
発音めちゃくちゃだぞwwwwとか、文法どうなってんのwwwwとか、突っ込みがどんどん浴びせられる。
この英語の発音はなかなかいいんじゃない?と個人的に思っても、コメント欄を見ると
日本語の音素は母音が5、子音が16、特殊音素が3の計24音素。
それに対して英語の音素は母音が20、子音が24の計44音素だ。
この差は大きく、日本語には無い音を日本語の音で表現しようとするとおかしなことになってしまうのである。
実際に顔を合わせて英語のネイティブスピーカーとコミュニケーションする時などは、
拙い発音、誤った文法でも、必死に伝えたいという思いさえあれば話相手もそうそう馬鹿にしてはこないだろう。
いっぽう音楽はアートである。わざわざ汚い発音の英語の歌詞を無理矢理ねじこめばアートとしての価値は確実に下がる。
馬鹿にされても仕方が無い。
それと、いきなり個人的な感想になってしまって申し訳ないが、サビでいきなり英語になるのはなんかダサくないか?
日本語ネイティブのみんなは平気なのか?私はアイウォンチューwwwwwwアイニージューwwwwwwとか耐えることができない。
わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。
中学の入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネットの世界にのめり込んでいった。
友達と放課後にマックに行ったり、クラスの男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、
ちょっと不良ちっくな男の子達のリアルな体験談にわくわくした。
わたしは地味で目立たないタイプの中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。
というか、クラスに友達がいるっていうだけで、クラスメイトと普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。
そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。
あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、
そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。
毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然にあいさつとかするようになった。
あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、
(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)
あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。
あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。
いつの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。
あなたはどんな人なんだろう、
どんな生活をしてるんだろう
人望厚く、生徒会長をやってるらしい。
(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)
すきなマンガはるろけん。
てゆーかけっこうオタク。
って思っていた。
それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、
というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、
(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)
その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。
でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。
私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。
だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。
そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、
使い方が謎すぎて放置していたメーラーの説明書を100万回読んでメールのやり方を会得し、
(メールの画面が夢にまで出てきた)
やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。
あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活!リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、
他愛のないお話ばかりをしたと思う。
みたいな見栄もはったきがする。
でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、
少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。
夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。
あの人がどんどん近くなって来るような気がした。
ある日わたしは決心した。
あの人が生活する街を見てみたくなった。
本当は会いたかったけど、言えなかった。
あの人が歩いているだろう道を歩いて、
あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。
源氏物語みたいなやつ。
今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。
ではないと思いたい。
そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。
それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。
文字以外のあの人のことを何も知らない、
会ったことも見たこともない。
でも気持ちだけは本当だった。
そしてあの人にはあっさりふられた。
高校生活は最悪だった。
高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。
成績もガタ落ちで留年寸前だった。
私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。
両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて
わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。
誰かに理解されたかったんだろうけど、
それをうまく言葉にすることもできなかった。
絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。
どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、
たぶん私が言いだしたようなきがする。
心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。
それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンなHNでやりとりしてたの笑
なんか本当に不思議な感じだった。
はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。
なにをあんなに話したんだろう?
たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。
気づくと朝日が昇って、朝になってた。
そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。
「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」
「・・・わかんないよ笑」
「・・・すき。」
どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。
たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑
でもわたしたちはこの電話をきっかけに付き合いはじめることになった。
携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)
会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、
どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。
あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデルの女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)
それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。
それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。
当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。
今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。
自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。
でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。
本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。
それを説明することともできなくて、
たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。
実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。
変だよね。(笑)支離滅裂だ。
よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。
やめる前後はピークに荒んでいたけど、
いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。
15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、
それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。
それから3カ月。
今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに
冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。
ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。
厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。
家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。
付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。
でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。
相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。
というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw
わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。
あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。
朝6時に起きて掃除、点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校。
はげしいルーティン。
ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、
もちろん携帯電話は禁止。
というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、
どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。
この公衆電話がまたすっごいの!
長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!
でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)
そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、
あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)
あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。
それでも。
地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。
そうだ、手紙も何通か交換したんだ。
今でも大事にとってある。
あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。
(確かにあの人は字がへただった(笑)
あの人と実際に会おうかって話になった。
あの人は大学生になっていて、
せっかくだからついでに会おうよってことになった。
その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。
あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、
みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。
わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール。
でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。
だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから。
と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。
いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、
誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。
だから私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。
ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、
なんにも向き合えてなかった。
実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。
会うのが怖かった。
実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。
あの時、わたしはもう本当に緊張していた。
心臓爆発だった。
わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を
わたしは一生忘れないと思う。
あの人は細くて折れそうな体で
外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。
あの人は私に一言、
「でかっ!」
って言ったんだ笑
不思議な感じだった。
はじめて見たあの人は知らない人だったけど、
声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。
人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、
それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。
綺麗な新緑のさわやかな感じも、
あの人の横顔も
今もあの日のように思い出せるよ。
よく歩いて、よくしゃべった。
わたしは寮生活の話を。
帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。
手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、
寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。
「楽しかった。また会いたい」って。
私もおなじ気持ちだった。
数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。
いま考えれば不思議なことはなんにもない。
必然だったと思う。
もう人と深く関わるのが怖いって。
ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。
私になにかできることはないのか?って思った。
少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。
あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、
怖くないって言いたかった。
あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉が不思議とすらすら出てきた。
そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。
混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。
私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。
それは数年前の私たちにはできなかったことだ。
今までどうしても踏み込むことができなかった、
でもとても知りたかった、
知って欲しかったことだった。
話しても話しても話したりなかった。
やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。
ずっとそうしたかったんだと思う。
一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。
あの人が私に言葉をくれたんだ。
本当はわたしは不安だった。
戸惑ってたんだ。
でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。
そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。
帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。
あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、
離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。
あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。
わたしも同じだった。
メールや電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、
いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、
私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。
私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。
ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。
お父さんみたいだった。
肉親以上の愛情を注いでくれた。
あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。
思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。
わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。
わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。
なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。
それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。
真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、
会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸と栃木、クリスマスに買いすぎたモスチキン、
大学のピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、
別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。
ねえ、わたしはおかしいのかな?
思い出を美化しているだけなのかな?
もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。
だからはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ
あの人がいればなんだってできるような気がした
あの人に話してないことがひとつだけある。
わたしはそれでも迷っていたんだ
私は若くて無知だった
本物がどれなのか判別がつかない程に。
奇跡だと思ってた
完璧だと思ってた
わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた
いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った
むしろそうなるべきとも思った
そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから
早くあの人を大切にできる自分になりたい
いつの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、
あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、
あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった
わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした
あの人を失ったわたしは
かたずっぽになって
うまく立つことができなくなった
うまく声も出せなった
うまく笑えなくなった
うまく人と話せなくなった
怖くてわたしを押しつぶしてくるの
何時の間にかわたしはあなたに
荷物を預けて楽してたみたいだ
全部がのしかかってきて
息ができなくなった
笑顔は今でも引きつってる気がしてる
それでも
わたしは受け入れていった
考えることをはじめた
どうしてこうなってしまったのか、
ここはどこなのか、
これからどう生きていくべきなのか 、
あの人のことを何度も思った
ずっと考えていて
分かったことはふたつだった。
ひとつめは、
今自分が感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと
どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ
ふたつめは、
本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなたと出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。
出会えたことがすべてってこと。
小さいころに父親から十分な愛情を注いでもらえず、それを大きくなるまで引きずってしまったために、主人公は人間不信を極めて生きることに苦しんだ。
おぞましい人間界で何とか自分の存在を維持するために、主人公は「道化」を用いて人間と通じようと試みるが、むざんにもその試みは打ち破られ、結局最後は脳病院にまで入れられてしまった。
だが、最後の最後に見られた主人公の心底からの笑いに、俺は心を打たれたようである。
『人間失格』を読んでいると、まるでその中に自分がいるかのような気持ちになる。
自分も昔から他人に対して疑心暗鬼で、何か他人に喜ばれるようなことをしなければ、自らの存在が危うくなってしまうと無意識的に感じながら生きてきた。
中学のころ、クラスに悪戯をする男子がいれば、自分もその悪戯に必死で追従した。高校のころ、周りの友達を喜ばせるために、友達の求めるままに自分の恥ずかしい姿の写真をわざわざ撮って、それをメールで送り、多数の人間に広まって孤立したこともあった。
本当は真面目で寡黙な自分なのに。
つまり、俺は自分の意志だけでは生きられないのである。自分の行為には常に他人の目が付随している。もし他人の目など気にせずに、自分の意志で生きたいように生きて他人の顔色が悪くなるようなことがあれば、自分の存在がどうなってしまうのかが実に恐ろしいのだ。
換言すれば、俺は自分に自信が持てないということになる。
自分で自分を認めてあげることができないから、自分を認めることを他人に対して求めてしまう。
でも人間というものは普通自分のために人生を生きているもので、いくら他人に認めてもらうことを自分が求めても、現実にはそう思い通りにはならない。
他人が自分を認めてくれないとなれば、自分の心は不安でいっぱいになるし、そして他人が怖くなる。
他人が怖くなると、必然の結果として他人と接することを避けるようになる。
このため俺は働いて自活することにさえ及び腰だ。
若くて不器用な自分が正社員として働けば、毎日のように厳しく怒られるだろうし、仕事外でも飲み会などで深い人間関係を築かなければならないだろう。
それが怖くて怖くてもうどうしようもない。
自分にとって正社員として働くことは軍隊に行くのと何ら変わりないのだ。
こんな体たらくになったのは無論自分の責任だけれども、親の育て方にも当然原因はあると思う。
小さい頃は、何か自分が失敗をしたり、わがままを言ったりすると、叱られるというよりも、小さな自分の人間性を否定するような怒られ方をよくした。
「お前はダメだなぁ」、「はぁ」、「○○にそっくりだ」、もしくは、見下したように鼻で笑うか。
また、自分で決めた選択を泣いて否定されたこともあった。日常的な夫婦喧嘩に心を痛めたこともあった。
ああ、俺はなぜこんなところで親の悪口を書いているのだろう。親のせいにしてしまう自分も嫌。
もちろん親には感謝しているし、親が親なりに一生懸命自分を育ててくれたことはよく分かっている。
親も自分に似たところを持っていて、人の目を過度に気にしているし、自己評価が異常に低い。
それはやはり育った環境に原因があり、その意味では彼らも被害者で、子供との健全な関わり方を知らなかったから仕方がないのだ。
いま小さな子供を育てている親御さんは、どうか、子供が自分自身を大事にすることができるような育て方をしてあげてください。自分がかけがえのない存在であることを心から実感できるように。
自分のことを大事にしてあげられる人間は、必然的に他人のことも大事にしてあげることができる。
逆に、自分を大事にできなければ、他人を信頼することができないゆえに、他人を大事にしてあげることなど決してできない。
さすがに万引きした子供を叱らないのは俺もおかしいと思うけれども、何でもかんでも頭ごなしに子供を否定することは、自分のような人間を作る原因になりうると思う。
偉そうにダラダラと書いてすみません。
自分が子供を育てると自分と同じような人間を生み出してしまうと思うし、そもそも子供を育てる自信なんて全く無い。自分が生きることで精一杯。