はてなキーワード: 必然とは
緊急地震速報の音を聴いたことのない人は、
日本にいったいどれくらいいるのだろうか?
ちなみに自分は、それはもう、何度となく聴いている。
自分は宮城に住んでいて、あの311の日も勿論あの音を聴いた。
その後も、何度も聴いた。
地震はすぐ隣にあった。
そしてあれから幾ばくかの時は過ぎたが、
そして、その覚悟を。
覚悟と言っても内容は単純だ。
我々が忘れてはいけないことはたったの一つ。
いつ何時であっても、
そこに地震はくる可能性があるということ。
決して慌ててはならない。
緊急地震速報のあの不吉な音が鳴り響いても、
いやあの音が聞こえたからこそ
例えば
刷り込みのように机の下に隠れるべきか
外て駆け出すべきか
はたまた食器棚を抑えるべきか
それは、生き延びるために。
綺麗事は要らない。
慌ててはいけない。
必ず、周りを見渡して即座に最善解を求めること。
すれば必然と結果が出る、はずです…
は、表現が良くなかったかもしれないけど、正しく数学を拡張していく過程で虚数という概念が出てきて、
開発された、との意味で。
もちろん、「値域を拡張する」というアイデアについて考える段階では、「虚数単位という1パラメータを考えればいい」かどうかも明らかでないわけで、その過程でクォータニオンや外積代数みたいな構造にまで思い至る奴もいるかもしれない。
コレ的な意味で、"i"を"便宜上開発した"と言いかった感じかな。
虚数的な概念は、数学を拡張していく上で"ロジカル"に必然として生まれたものなので、おっしゃることに全面的に同意します。
もしかしたら先の増田は実数の概念を完全に理解しており、この様に2乗したら"-1"となる数を考えることにより、この様な拡張の思想自体をロジカルに自分で考え出すことが出来たスーパーマンなのかもしれません。
麻生の場合、庶民派であることのアピールとして(本人の性格的にも合ってるんだろうが)、べらんめえ調での語り口でキツイ事を言うのが政治家としてのスタイルになってるので、失言はむしろ必然とも言えるかもな。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/08/post-4f68.html
鳩山の方は知らん。
https://www.facebook.com/maxmatsuura5/posts/280056632132977
はてブで話題になっていたエイベックス松浦氏のFacebookの投稿。
投稿本文そのものはちょっと呆れはしたものの、まあ誰しも税金払いたくないからね、という一般的な感想しかなかったのだが、コメント欄で本人が、
税金を払いたくないわけじゃない。ちゃんとしてくれと、言ってるだけさ。
みたいなことを書いていて、残念な気持ちになった。
ちゃんとしてるなら税金喜んで払う?え?そうなの?
本文ではそんなこと一言も言ってなかったのに?
そもそも国がどのくらいちゃんとしてないか分かって書いてるんだろうか。
ニュースやワイドショーで政治家がーー官僚がーーと言われているその印象だけで喋ってるような軽薄さ。
「国がエンタメになにしてくれたか」って言ってるけどなんの話?
CDが、浜崎が売れなくなったのは国のせいなの?で、補助金欲しかったの?
補助金がないとやってけないならその程度の仕事しかしてこなかったってことじゃないの?
まあ「税金払いたくねー」というだけなら十人並みの愚痴としてまだわかる(それに金魚のフンみたいのがいっぱい「いいね!」してるのは意味わからんが)。
それで終わりにしておけば「そうだね」で済むのに、有名人文化人として格好いいこと言っておかなきゃみたいな色気が出てしまったのか。
はたして今の「増税不可避」は国がしっかりしなかったから招いた事態なのか?
ここからはちょっと真面目モードで。何はともあれ国の仕事っぷりというのは「予算」で読み解くのが基本なので、それを見てみることにする。
いや、読み解くというほど大層な話はしない。ほんのさわりだけだ。
92兆円の歳出に対して、ここには書いてないが税収は43兆円。
不足分49兆円のうち43兆円は借金(国債発行)でまかなうことになっている。
元本返済(下表の債務償還費)12兆円の4倍弱の額をまた借金しようということだ。
------------------------------------------------------------------------
国債費 22兆円(24%)
利払費等 10兆円(11%)
債務償還費 12兆円(13%)
地方交付税交付金 16兆円(18%)
一般歳出 54兆円
(内訳)※1兆円を超えるもの等
社会保障費 29兆円(31%)
公共事業費 5兆円(6%)5.2兆
防衛関係費 5兆円(5%)4.7兆
その他 8兆円
エネルギー対策費 1兆円
──────────────────
計 92兆円
------------------------------------------------------------------------
このひどい予算は、多少の増減はあれど、ここ数年ずっとこんな感じ・・・いや、ただふたつ、国債費と社会保障費は増え続けている。
で、肝心な92兆円の内訳だが、22兆円が国債費、これはつまり借金返済だ。
16兆円が地方交付税交付金、地方自治体へあげるお金。自治体は県民税と市区町村民税を徴収してるのになぜそれと別に国からもあげるのかといえば、自治体によって税収に差がありすぎて赤字自治体もいっぱいあったり大変なので、再分配しますねーということだ。
次に社会保障費で29兆円、言うまでもなく年金給付、医療(健康保険等)、その他(生活保護等)に関する支出。年金も医療も、国民年金や健康保険料として払っているのに、なぜ一般会計から支出するのかといえば、年金や健康保険だけの財源では足りないから。
さて、ここまで合計で67兆円。92兆円のうち73%もの額が、基本的にはすべて「お金がないから」やむを得ず発生する支出となる。
そして国債費も要するに社会保障費を賄うために膨らんだものという経緯を考えると、少子高齢化という日本の社会構造の変化が日本の財政を直撃し、増税やむなしの流れになっていることがわかる。
地方交付税交付金にしても、地方財政逼迫の主な原因は他ならぬ少子高齢化だ。
要するにそういうことなのだ。別に政治家や役人がさぼっていたわけではない。
医療の発達で高齢化と少子化は必然であり、経済発展が少子化を促進するのも日本特有のことではない。
ちなみに出生率は2005年の1.26から2011年1.41まで緩やかな回復傾向にあるのは、まだ不十分ながら少子化対策が形になって現れてきたとも考えられる。
もっと前の段階から少子高齢化は政治や行政でなんとかできたじゃないかという議論もあろうが、バブル景気で我が世の春を謳歌してきた国民に責任がないと言えるのか。
バブル崩壊後も、たとえばIT分野で芽生えた新しい産業の息吹を官民よってたかって叩き潰したのはなんだったのか。
貧困層も富裕層も「増税には常に反対」するという、こんな国民ばかりで、まともな政治、まともな政策の実行が可能なのか。
貧困層は「消費税は逆進性があるので反対」、富裕層は「所得税はモチベ下がるので反対」「相続税もモチベ(ry」、企業も当然「法人税増税反対」。
あのー消費税、所得税、法人税でだいたい税収の8割弱占めてるんですけど、じゃあどこ増税したらいいんでしょうかね?
たばこ?酒?ふたつ合わせても2兆円そこそこでいくら増税してもたかが知れてるんですけどね。
増税がだめならムダ削減ですね。もっともっと仕訳やりましょう。
・・・で1兆円くらい削減できたとしてなんか変わるんでしょうかね?
特定の政治家はそれですごーく名前売れて喜んだと思いますけど。
実際は数千億の削減だった?国家予算全体からみたら焼け石に水だよね。
政治や行政が「真に国民のため」に動くならば、やはり増税は避けられず、問題は「いつ増税」「なにを増税」「どのくらい増税」であってその議論は多いにやればよいと思う(あとはもちろん少子化対策ね)。
だがこの松浦某のように「国がちゃんとやれば喜んで払うよ」などと知ったふうなポーズをとりつつ本音は「払いたくねー」というのが企業経営者とは呆れるばかりだ。
企業経営してるなら、というか選挙権のある大人なら日本の財政の現状やそこに至った経緯は、上に書いたようなざっくりレベルでまずは構わないから頭にいれておくべきだと思う。
日本人として常識だと俺は思っていたこのレベルの前提知識が氏にもあれば、あんな投稿恥ずかしくてできないはずだ。
毎年10兆円借金返済してるそばから、あらたに4、50兆円の新しい借金をしていて、その主な原因は少子高齢化だという、そこを議論のスタート地点にしないといけないはずなのに、のんきにのんきなポエム書いててまったく幸せな人だと思う。ただもっとエイベックスの社員の幸せも考えてあげてください。
松浦氏はあの投稿に「いいね!」してくれる取り巻きの外に、もっと大切にすべき人たちからの軽蔑の視線が(おそらく大量に)あるであろうことを知るべきだ。
幾多のアイドル(グループ)の例に漏れず、ももいろクローバーの歌唱力がいまいちなことについて盛り上がっているわけだけど、気になるのは
同じ「アーティスト」であるセックスピストルズもいまいちだから!っていう反論を信者が言っちゃうこと。
(http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/01/112642)
いやいや、それは伝統的なアイドルではないのであって、れっきとしたアイドルだよ?
Perfumeもそうだけど、買い支え、コアに支持しているのはやっぱりアイドルを求めていた層なわけで、ど真ん中なアイドルは欲しくない
そりゃ操り人形であることをやめるしかない。しかし、Perfumeの支持層は人形師である中田の支持層であることも必然としているし、
ももクロの支持層なんかもっとひどくて、おもちゃとして操れるカタルシスを覚えるから支持してるんだろ?どうしようもないじゃないw
俺はクラウドソーシングというのは基本的には仕事単価を下げる方向にしか働かないサービスだと思ってる。
クライアントはネット云々関係なく昔から常にこう考えていて、そんな折クラウドソーシングが可能なネット環境というのがようやく整ってきた。
であれば今後クラウドソーシング市場が拡大していくのは間違いない。
現状ではあまりにも安かろう悪かろうで「やっぱクラウドソーシングつかえねー」的な話もあるんだろうけど、最初「つかえねー」のはどんなものでも同じこと。
それこそWebだってスマホだってSNSだって出始めのころはみんな「つかえねー」って言ってた。
あらゆる商品サービスの価格が需要と供給のバランスで決まるならば、クラウドソーシングというのは圧倒的に供給の選択肢を増やすサービスで、そうなると価格が下落するのは必然なんだよね。
そこに疑念を差し挟む余地はないよ。
じゃあなんで30-40万の仕事なのか?って話だけど、単価の高い仕事は供給がそう簡単には増えないんだよね。
単価高い仕事をうまいことこなせる優秀なディレクター/デザイナー/エンジニアというのはやっぱり数少ない。
数すくないから紹介だけで仕事がまわる。つまりそもそもクラウドソーシング市場に出てこないから価格も下落しようがない。
お遊びで登録してもあまりのクライアントの質の低さと単価の安さに驚いて「俺はまだいいやw」ってなる。
「30-40万の仕事」をこなせるやつはいっぱいいるという意味で「仕事減るよ」と書きました。
(それ以下の仕事は言うにおよばず)
猫を拾った時に人は自ら忠誠を誓う奴隷になる、とはよく言われている事だ。
その心の底から湧き上がる可愛さと愛らしさ、内に秘めたしなやかさ、双眸に澄んだ水のような瞳、風を引き連れて練り歩く凛々しさ。
成る程、確かに頭を垂れながら脇腹をスリスリしてしまうのは必然と言えるかもしれない。
だがそれは、どの動物に対しても同じと言えよう。ハムスター、犬、鳥、蛾、蛇etcetc
それが多大な出費を伴う事にわかっていながら、己の自由を束縛する事を理解していながら、何故人は動物を飼ってしまうのか。
近隣の住民に迷惑をかけるかもしれないというのに、奴隷達はあまつさえ自由を放棄する事に喜びを感じ、己らの主君に愛と心酔、なにより銀のスプーンを献上して至極の悦に入っているというのだ。
何故だかわかるか!? 何故我々は可愛いものに対しいわゆる「萌え」を感じながら崇拝し、自らその首に見えざる首輪を嵌めて喜ぶのか!?
そうだ!人は支配されたがっているのだよ!とりわけ己がそれ程美しくないと自覚しているものは!己より美しい物に対し・・・羨望と、崇拝の念を抱かずには済ませられないのだ!己より優れた物を敬わずにはいられないのだ・・・。
人との間でも感じた事があるはずだ。人と人との助け合い。責任ある者の決死の判断。その心をほっこりさせるような、嬉しくさせるような物はその者達だけの主観的経験であり、我々がその時その場面で体験できる物ではない。手に入らないのだ!特に、それらに類する物を持っていない者達には。
「己が持っていない物をあらかた併せ持つ動物」、ならばこれに崇拝と愛情を抱くのは当然ではないのか。
その凛々しい凱旋に心ときめかずにいられる者が、何人この世にいるというのだ。誰がその美しさに、決して手に入らぬ美しさに、唾をつけて放り上げる事ができるというのだ!「猫」に対しては出来るかもしれない。その美しさに興味のない物ならば。
だが、例えば聖女と世に謳われる少女達、荘厳な大自然の営み、あの森林のなかに静謐と共に佇む古城、漫画やアニメの中で活躍し回る女の子達、これらならば全くの別だろう。どれも手に入り難き、真に迫った美麗のみ。ケースの中に入った高価な宝石でもいいぞ。金の浴槽でもいい!
つまりは、だ。人は己の持っていない美に対して愛情と崇拝を抱き、その前に拝して自ら首枷をつける事を望んでいるのだ。それは知性ある生命体としての、己の経験を彩る為の屈従に他ならぬ。人は!ホモ・オモヒアなのだ!
崇めよ!その真に迫った美麗達を!
それで全てが統治され、全人類が頭を垂れる時が来るだろう。耳無き物に美麗の福音を知らせねばならんのだ。盲目の物に、音楽の流麗なる水の如き美を、見せてやらねばならんのだ! 美なき所に崇拝と羨望は訪れないのだ!
特定の技術に深く通じたエンジニアは、経験を積むことで「専門家」と呼ばれるようになる。様々な技術に通じたエンジニアは、経験を積むほどに「便利な人」へと変貌していく。
身の振り方には「前に出る」方向と「木に登る」方向とがあって、一般的な技能を広く身に着ける場で働いている人は、そこから先はどの方向に舵を切るのか、早めに考えておいたほうがいいと思う。
価値の見せかたには「薄利多売」と「高価格高品質」、「ユーザー密着」の大雑把に3つの軸がある。軸ごとに「見せかた」を工夫しないと、エンジニアの価値はお客さんに伝わらない。薄利多売の牛丼屋さんがいきなり高級化してみたところで、高級な雰囲気で牛丼を食べたいお客さんは少ないだろうし、高級店が異様に安いメニューを追加しても、選択枝の数が増えた分だけ、お客さんの足はむしろ遠のいてしまう。
見せかたには間合いの問題がある。
「地域密着型」の見せかたをしようと思ったら、腕よりもまずはその人の顔を覚えてもらわないといけない。お客さんが「困ったらあの顔」を思い出してくれることが、こうしたやりかたの目標になってくる。お客さんとの間合いはごく近く、お店を構えるのではなく、お客さんお家に上がりこむぐらいの気合で近づかないと、薄利多売の大規模チェーン店に背中から喰われてしまう。
「薄利多売」の間合いはお客さんとの距離における基本であるといえる。お客さんは店に出向く。店の回転は早くて店員さんのサービスは均一で、どんな時間に来ても誰かいる。お客さんが思い出すのは店員さんの顔よりも看板でなくてはいけない。薄利多売の業態で「すごい店員さん」が出現したら、その人をお店の武器として押し出すのではなく、むしろそのすごさをマニュアルに落としこんで共有するのが薄利多売方式であると言える。
高品質路線のお店はむしろ、お客さんからの間合いを遠くする。大事なのは「その人しかいない」、あるいは「その人が日本一」という状況であって、距離の要素は価値の伝達において無関係であるといえる。
「薄利多売」方式の施設で経験を積むと、いろんな事例に遭遇できる機会は増え、経験を重ねた分だけ火消しに強くなれる。火消しそれ自体はたしかにやりがいがあるし、やっているぶんには食いっぱぐれることもないのだけれど、薄利多売方式のお店は、そもそも突出した個人をそこまで必要としていないような気もする。「すごく便利な人」の業務は、「そこそこ便利な人」でもたいていは置換可能で、結果として「すごく便利な人」になったところで、それが収益の向上には繋がっていなかったりもする。
何かのスキルで食べていこうと思ったら、最初のうちこそ「薄利多売」の施設で経験を積むことが必要にせよ、そこから先はお客さんに向かって「前に出る」のか、それとも機能に特化して「木に登る」のか、どこかで決断しなくてはいけないんだろうと思う。
お客さんを掴んでさえいれば食べていける。地元に支えられた開業医は不況に強いし、寝たきりの患者さんで食べている在宅診療クリニックは、極論すれば、お客さんに別の選択肢がない。
機能に特化した人も、競合に打ち勝てるだけの知識と経験を持っている限りは食べていける。その機能を必要とする人は必ずしも多くないかもしれないし、上下消化管内視鏡が得意な人が専門家を名乗るのならば、たとえば「上部は若い人に任せます」と宣言するぐらいのことは必要だけれど、代えの効かない知識はお金になる。
ならば一番お客さんが多い「「薄利多売」型の施設でずっと腕を磨いた人はどうなるかといえば、最終的に「ガス欠した便利だった人」になる。便利を維持するのには体力が必要で、知識は体力の不足を補ってくれるけれど、どこかでガス欠になってしまう。薄利多売型の施設でガス欠になると、下手すると詰む。こういう場所は、お客さんに顔を覚えてもらうためには間合いが遠く、今さら木に登ったところで、何年も前から来に登り続けている競合はたくさんいるから。
間合いを詰めるのならばお客さんを絞り込み、腕を売るなら専門分野を絞り込む必要がある。あらゆる客層に「便利」を売るサービスが生き残ろうと思ったら、必然として従業員が死なないギリギリまで絞られる。
ある程度一般的な技能で食べていこうと思うのならば、やはりお客さんとの距離を思い切り詰められう場所を探す必要がある。
動こうかな、まだ間に合うかなと考える。救命救急の技能や経験を延長していった先にある場所というのは、個人的には在宅診療クリニックなのではないかという結論なのだけれど。
やっと転職が決まったので、失業から再就職までの奇妙な3ヶ月間を書き記したいと思います。
とある独立系ITベンチャーに2年半ほど勤めていましたが、今年の3月に退職勧奨を受け、それに同意する形で退職しました。
最初から退職勧奨を言われた訳ではなく、新設される営業部への異動を打診され、それを断るなら…という形でした。
新設される営業部というのは、その時点では何を売るのかも決まっておらず、有り体に言って追い出し部屋+なんとか売上を
増やそうとする経営者側の悪あがきで、どういう意図があったにしても将来的に進展するような話ではありませんでした。
その話を聞く以前から会社の売上は目に見えて下落しており、また人材流出も激しく、私が辞める時には取締役4名を含む
30人以上も退職しているような状況でした。ちなみに私が入社した時点でも全体で70名程度の会社でです。
もちろん話を聞いた時はショックでしたが、一方で「ああついに」という納得感と、奇妙な安堵感を感じました。
安堵感というのは、正直なところ私も中途入社した1年目から既に他への転職先を探していましたので、こちらから辞意を
伝えることによる離職時のトラブルを避けられたという気持ちと、当時この話を取り仕切っていた取締役が、3ヶ月分の
私は3月の半ばにこの話を聞き、3月の終わりに同意してから出社しなくなりました。
それから約2ヶ月、正確には1ヶ月半ほどの間、転職活動に勤しみましたが、なかなか再就職先が決まらない中、最悪の自体を
想定して手続きしておいたハローワークの職業訓練校に入校許可が下りました。
正直、私にとっては甚だ微妙な状況でした。
実はこの何年か前にも失職中のつなぎのためにハローワークの基金訓練を受講していたのですが、それはもうひどい状況でした。
講師は某大手IT派遣の社員で正式な資格はないつなぎの講師(自分でそう言っていた)で、受講者を再就職させることも、資格を
とらせることも、毎日出席させることすらにも全く責任をもたず、「ただ出席確認してテキストを棒読みするだけ」な授業でした。
もちろんクラスのモチベーションが上がる訳はなく、かといって受講者も簡単に辞めるわけにも行かず、非常に閉塞感にあふれた
4ヶ月を過ごし、「もう二度とこんなところに来たくない」とすら思ったものです。
そんなところにまた通所する事になったのです。もちろん行きたくありませんが、それでも失職中にお金を受け取れるという話を
断れるはずはありません。嫌々ながら入校手続きをして、6月から受講し始めました。
ところが今回はなかなかよかった。もちろん有料の専門学校とは比べ物にはなりませんし、私が通っていたのも短期間だったから
かも知れませんが、講師陣のモチベーションが高く、こちらも背筋が伸びるような心地良い緊張感を維持することができました。
元々あくまで再就職のつなぎとしての失業手当目当て(※ハローワークで紹介される職業訓練校に受講すると受講期間中失業手当
が延長される。また自主退職などの給付制限がついている場合も給付制限が解除される)でしたが、講師陣の熱い思いに打たれ、
私も結構まじめに受講しました。また、どうも今年は「再勉強」というキーワードがついてまわっているような気がしていましたので
「再就職が決まるまでの腰掛けのつもりだったけど、どうせどうなるか判らんし、少し腰を据えて半年間マジメに勉強しようかな」
とまで思い、もうほとんど興味の失せた基本情報処理の対策や、完全に忘れきっていたアルゴリズムの再勉強などを結構まじめに
勉強していました。
ところが私はよくてもそれじゃ困るという立場の人もいました。転職会社のエージェントです。
彼らにしてみれば私はあくまで商品であり、私をどこかへ再就職させないと単なる不良在庫を抱えたままとなってしまうのです。
もちろん本当に不良在庫となってしまったならそのまま放置してもいいのですが、今までいろいろ紹介してきたのに、ここに来て
不良在庫化されたら…という気持ちはあるでしょう。彼らも半分は様子見で私に案件を紹介し続けました。
もちろん私にしても最終的には再就職できないと困ります。ですので今は勉強に打ち込みたいと考えていても、エージェント会社
との関係を繋いでおく事は重要でした。ですので半ば形式的に紹介があったら応募し、書類選考が受かれば面接を受ける毎日でした。
さて、そのような中で奇妙な事が起こりました。私の前社がTVに出たのです。
一体どういう形でTVに出たかは伏せますが、それは随分とネガティブな影響、有り体にいって炎上をまきおこしました。
正直私にとっては意外でもあり納得のいく事でもありました。
意外なのはTVでの露出の仕方で、それまでも前社や前社の社長は何度かTVに露出する事がありましたが、その時のような露出の仕方は
なかったからです。
納得したのは、炎上した内容がいかにも前社らしい「なにを伝えたいのか、なにをやりたいのかわからない」という部分で、それは
多くの視聴者からネットで指摘を受けた部分であり、かつ前社を去っていった多くの人達の共通の思いでもあったからです。
そしてその影響は、私の再就職にもつながりました。
私が応募した会社に、たまたま前社と近い業務をやっていた会社があり、その会社の採用担当者がたまたまそのTVを見ており、そして
当時の応募者の中に私がいたのです。
もちろん今時そんな事だけで再就職が決まるほど甘くはありません。その会社には2次面接の直前に採用試験があり、その内容は
基本情報技術者試験の試験内容からアレンジした問題を出題されるというものでした。そしてこの試験の出題範囲は事前に一切教え
られませんでした。
つまり基本情報技術者試験の問題を抜粋したものを、何の予備知識もなくその場で回答する必要があったのです。もちろん普通だったら
私に合格などできる訳はありません。ところが、ところがです。ちょうどその時に通っていた職業訓練校で、この試験範囲にかぶる部分の
…結果、その週のうちに内定を頂き、この7月からそちらの会社で働くことになりました。なんとも数奇な、奇跡にも近い再就職でした。
現在私は試用期間中で、今後もどうなるか判りませんが、余りにも奇妙な3ヶ月間を、誰にも伝えようもないこの事実を、どこかの誰かに
伝えたいと思い、長々と書き連ねました。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございます。
自民党、ワタミ、憲法改正、表現規制、TPP。この国が何処に行こうとしているのか皆目わからんが、出来る限りこの国と生死を共にしよう。
予想していた事が現実になった、というだけの事だ。矢張り現実は必然だな。
俺の主張するべき事を主張していくだけだ。
もうそこまでにしといてやれって。話してても大体深く考えなさそうな人ってのはわかるんじゃないか?
それにここは何処か主張に煽りを入れたがる傾向がある、と俺は思う。主観的だが経験論でもある。細かい事や煽りには突っ込まずにスルー推奨と俺は思うが。
それに主張は正しいが、政治家が割と利権の温床なのは見てたらわかるだろう?知能レベルが高い人が必ずしもモラル的な面で素晴らしい訳でもないだろう。
この状態になるのは、ミームの生存戦略的にある意味必然の成り行きとは思うが。
俺も何に対して言ってんのかわかんねえな。
症例ピッピでもなんでもいいよ。
少なくとも現状は、医者=勉強できて優秀なやつが行く所、という認識はあるだろう。
少なくとも勉強もまともに出来ないような奴が優秀な人間だとは言えない。
勿論、スポーツ選手など、他の事やっててそれを極めてるならそれはそれで優秀だけど、
それはそっちで力をはっきしてくれてるわけで。
ただ、医者の資格がないやつに1年研修させて1つの街を任せる、なんてあり得ない状況でも起こったとして、
スポーツで努力したことがある奴の方が可能性が高いのは誰がみても明らかだろう。
だから、その分報酬も高いし、医学部に入った奴の中でも単に頭がいいだけでなく、
そういった技術も持った奴が率先してなる。
もし、内科医や他の分野の方が圧倒的に報酬が高かったら、技術が高い奴がわざわざ外科医になることもなくなるから
技術が落ちる。
症例ピッピでもなんでもいいよ。
少なくとも現状は、医者=勉強できて優秀なやつが行く所、という認識はあるだろう。
少なくとも勉強もまともに出来ないような奴が優秀な人間だとは言えない。
勿論、スポーツ選手など、他の事やっててそれを極めてるならそれはそれで優秀だけど、
それはそっちで力をはっきしてくれてるわけで。
ただ、医者の資格がないやつに1年研修させて1つの街を任せる、なんてあり得ない状況でも起こったとして、
スポーツで努力したことがある奴の方が可能性が高いのは誰がみても明らかだろう。
だから、その分報酬も高いし、医学部に入った奴の中でも単に頭がいいだけでなく、
そういった技術も持った奴が率先してなる。
もし、内科医や他の分野の方が圧倒的に報酬が高かったら、技術が高い奴がわざわざ外科医になることもなくなるから
技術が落ちる。
うまかったって言うより、同人誌のコストからして、うまい人じゃないと出せなかった。
一昔前はオンデマンド印刷はなかったし。
下手な人はこんなんでお金掛けて他人に見せるのは恥ずかしいってんで、コピー本しか作ってなかったと思う。
ちなみに当然下手な人のオフセット本は「よさげな表紙だから買ってしまったが、なんじゃこりゃ(怒り)」で即ゴミ箱。
だから、必然的にうまい人が作ったオフセット印刷しか残らない。
というのもあると思うが……。
もう一つ、違いがあると思ってる。
同人誌は、絵が好きで、それが段々うまくかけるようになった→他人に見せたいって活動。
それに対して今の状況はこうだと思う。
2chまとめで話題を見かけたので思うことを書く。
自分は、言葉は変遷していくものなので別にいいんじゃね?派なんだが、それはさておき、気になったのは「よろしかった」という過去形はおかしいだろ、という文法的な指摘だ。でもこれ、文法をもちだすのなら、むしろ逆に納得のいく説明ができる。
動詞に「た」をつけた形は、「過去形」ではなく、そのまんま「た形」と呼ぶ。なぜそう呼ぶかというと「た」がつくのは過去に限らないからだ。
「た形」のもうひとつの重要な使い方は仮定法。「もし明日雨が降ったら」というときの「降った」が過去のことを指していないのは言うまでもない。そして、この点、日本語と英語は似ている。英語でも仮定法では過去と同じ形の動詞をつかう。
さらに、仮定法と丁寧な言い回しに密接な関係がある。英語で Would you like ~ というとき、will の過去形である would を使っているのはもちろん過去だからではなく、これは仮定の語気を含んでいるからだ。「もしあなたがお望みであれば〜」というニュアンス。「私の押し付けではなく、私にはあなたが何を望んでいるのかを断定するつもりはなく、あくまであなたが望むなら」という気持ちがこもっている。それがひいては「丁寧な言い回し」となる。
というわけで「過去形」「仮定法」「丁寧な言い回し」の間には、密接な関係があって、それは日本語にも英語にも通じる。たぶん、言語を問わず、人間が生まれもった言語論理自体にもともとそういう類似性が含まれているんだと思う。
「よろしかったでしょうか」という言い方を使う人が「よろしいでしょうか」をすこしキツいと感じているとすれば、それは上記のような理由。人間の言語能力的に、必然的な感覚なんじゃないかな。
私は〇〇な人間ですって。
融通効かない人間だから、長所なんかあってないようなもんだし。
かといって他アピール点もない。
面接通過する奴って何をしに来てんだろ
面接やってる人って毎回どこにでもあるようなコピペ志望動機や自己PRに何で事あるごとに頷いてるんだろ
異様で気が狂いそうになる時間だった。
つい途中退席しちゃった。
何十社も似たような会社行って、『御社が第一志望です』だなんて
俺には口を酸っぱくしても言えない、言えた義理じゃない。
聞かれたらいつも『色んな所受けてます。ここに絶対受かる保証ないですし』って答えてる。
当然落ちるんだけど、気持ちはすっきりしてる。
何のために就活してるかって。
就活気分を味わいたくて就活してる事もあるし、冷やかしで就活してる事もあるし、NNTで仕方なく就活してる事もあった。
大手落ちたからお前みたいな人間失格者のいる会社受けてんだよ。
自惚れんなカス。
社会はNNTに厳し過ぎる。ホントそうだよ。NNTの原因を社会のせいにする。悪循環だよね。
何度も落ちてくるとどこの部署がゴミ溜めだとかってしょうもない事ばかり考えるようになる。
人事部なんて他の部署で不要になった奴が行く会社の墓場みたいな所だから
当然やる気なんてあるわけない。
人材採用なんて銘打ってるけど、ようするに数打ちゃ当たると同じだし。
毎年決められた数だけ適当に純真培養されてそうな坊ちゃん嬢ちゃんを採用するだけ。
キミは人材としては不十分だけど、うちの商品はこれからも使ってね♪ってさ
人間、褒められて嬉しくない奴なんていない。
けど、如何せん落ちる事に慣れてないからどうして落ちたのか納得できない。
納得してカラッとした気持ちで次の就活先に行ける奴はきっとリア充なんだろうな。
少なくとも学生時代優等生で通ってきたから同調する気が全く起きない。
真面目さ以外アピールすることがないのは、単にその当時やってきたことが勉学と研究以外ないってこと。
誰も彼もどっかのサークルの部長だったり副部長だったりの役職に就いてましたアピールを聞いてるとリア充乙って
冷めた気分になってるのは、多分真面目な俺の方がって根拠のない優越感に浸ってたからだろうな。
面接官なら分かってくれると、そう考えてた時期が俺にもありました。
だけど、受かるのは真面目な奴より宴会部長のような奴だ。
かくいう俺はそんな状況に卑屈に成り下がるアスペだったりする。
どうしたらいいんですかね?一体どこをどう直せば、勝ち組になれるんですかね。
てか、NNTは負け組なんですか?就活するタイミングが遅いってだけで負け組なんだったら
世話ないんですけどね。
結局ね、受かる奴は受かる。勉強だってそう。努力すれば報われるのはほんの一握り。
運の勝負をしたことがないから確率論なんて考えるだけ無駄だと、そう考えた方が合理的じゃないか。
けど、就活で成功する奴はその非合理な確率論を当てにしてるんだよね。
俺みたいにさっさと切り捨てるような人間じゃ到底このコロンブスの卵みたいな発想に行き着かないや
会社にとって真面目さなんて当然だし、その上で何か光る物が欲しい。
だから落ちる、単純な話だな。
この世には情緒豊かで情熱的な方々がたくさんいらっしゃるようで、その場の激しすぎる衝動で子供を作ったり、「愛さえあればやっていける!」と高尚な感情のみを頼りにして結婚したり、惰弱な逃げ道など用意せずに「義」のため、「愛」のために金を貢いだり借金を立て替えたりする風流人を拝謁する機会が多々ある。
「そこまで激しい愛に突き動かされたんだ。さぞかし幸福ある永遠の仲になるでしょうなあ」と感心していればそうでもなくて、あんなに愛を競い合っているように見えた彼らが、数年後には憎しみを競い合っているように見える事もままあるし、子供が生まれた時は満面の笑みで祝福していた母親が、今では般若の顔を被って子供を厳しく折檻しているどころか、逆に親子間で罵り合いつつ喰らいあう場面も多々あるというのだ。
全くもって不可思議奇っ怪、花の散るよりお早いうつろい、人間というのは実に読めませんなあ、と結婚出産関連の怨嗟を覗きつつ独りごちている。
まるで梅よな。花を見る分にはいいが、漬けると途端に酸っぱくなる。単体では到底食えぬが、添え物としてなら程よい味を醸し出す。
満開の桜、松の下の鶴、満月のすすき野にも勝てず、栄えがあるのは鶯止まる満開の梅の花のみ。
頻繁に切り詰めないとすぐ枝が汚らしくなり、鬱蒼とした暗がりを作り出す。古来から親しまれてきているのに、中途半端な位置づけの一スパイスとしてしか影響が垣間見れないのも近しい物を感じる。
それでしかないのに、世の結婚や出産は必然的に人を縛り付け、無理にでも二人三脚しなければ立ちいかぬ仕組みとなっている。
「元気が二倍!」なぶん負担も疲労も二倍、いや、それ以上の重量を抱え込む事になる。特に子供は己を犠牲にせねば育ちもせず、育った後も見続けねばならない危うい存在だ。「梅のみを大切にし、他の花は疎かにせよ」などと戯けた状況だというのに、この世の思慕強き方々は若々しくそれを渇望していると来た。
子供の俺には毛程も理解できませんなあ。