はてなキーワード: 生物界とは
「生物界ではメスの育児の方が明らかに多いのでそれが正しい。」
「専業主婦を増やし固定的性別役割分担に戻せば少子高齢化は解消する。」
「昔は女性が家事育児を中心に行ってきた。(だからそれが正しい。)」
「男性の育児が増えた時期と少子化が加速した時期が一致する。」
「女性は生得的に子どもと心が通じ合っており子どもの表情からも気持ちを読み取る能力が高い」
「イクメンは止めた方が良い」
「お父さんがお母さんと同じくらい子どもに好かれてるとか、、、あなた子育てした事ないでしょ。」
「男性の育児についてはまだ増えてきたところなのでこの方向で良いと判断することは出来ない。」
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コミュニティにおいて評判の良い女性ほどこの優位性を自覚して上手に無意識に有意識に活用しています。
男性が女性の優位性を許しているのは、女性にモテたいからです。それが男性の頑張るパワーの源なのですから。
これを自覚できていない女性は男性に利用されたりと不幸な人生になります。
ただ優位性が行き過ぎるとこのように人をひどく傷つけることがあり、それは反省しなければいけないのですが、
また一種の暗黙知なのでそれをはっきりと言葉に出す人はほぼ皆無です。
何の準備もなしにその優位性と真正面から立ち向かっても勝ち目はありません。
まずは女性という生き物を避けるのではなく、よく知ることから始めないといけません。
女性を知ろうと思うだけで、視野が広がりいろいろと新たに見えてくる情報があります。
まずはあなたはそれよりももっと被害者らしくふるまいましょう。演技力を身につけましょう(実際に被害をうけているのですから)
男性としてかっこ悪いと思う必要もありません。社会で生きるにはそれくらいの強かさは必要です。日本社会は弱者の味方です)
女性は女性の優位性を活用して強かに生きているのは自然の摂理です。
女性に気に入られたいなんてちっとも思っていない、女性とできるだけ関わりたくないと思うのは、
女性は自分に興味がない男性の存在をどうしても無視できませんから。
まず本筋からずれるんですけど「海から魚を取りつくす」ことと「ウナギやマグロが滅ぶ」のがちょっと違う問題だと認識してください。
一定量の栄養分が海に流れ込むということは、それがすべて消費されるということでありまして(生物界は常に飢餓的状況です)ウナギやマグロがいなくなればその分の栄養を利用して他の生物が増えます。
なので、「ウナギやマグロは滅ぶかもしれないが、海から魚を取りつくすことは困難」なんです。
そして、紙の原料である樹木についてですが、なくなることはないと思いますが、使用量が増大した場合、高価になっていくことで使用量が減っていきます。
はっきり言って、木を伐り出して工場へ運ぶというのはものすごく大変な作業です。
日本の山林で、蓄材料が有史上最大である、というのは日本で木を伐り出して工場へ運ぶのが割に合わないからです。
もちろん、日本でも伐りやすいところは皆伐して切り出しています。
ところで、切り出しやすい場所といえば例えば南洋材、北方材、北米材、中米材、南米材として入ってくる材の生産地がそうです。
船での運賃を計上しても(木材は無関税)日本産のほとんどの木材よりも安価で販売できます。
(人件費、設備費、運賃などの合計が安い。日本は人件費単価は安いものの伐採ノウハウが未熟で金がかかる。林業は経営が厳しいので伐採用の設備を買えない。道が整備されていないので運賃が割高になりやすい)
ちなみに、海外では林業事業体がノウハウを集積し、最新の林業機械を揃え、切りやすい山を選定し、国境をガンガン超えてバリバリ切っています。
これは日本でも海外でも共通ですけども、切りやすい場所はどんどんはげ山になりつつあり、そういった意味では生産サイクルとは程遠い状況です。
しかし、少し目をそらせば山の傾斜がきつい場所には木が残っている。
ですから、まあ低い場所を伐りつくせば、回復した山を伐り、それが間に合わなければ今まで手を出しあぐねていた地形の木を切ることになります。
当然、コストが跳ね上がるので紙の値段も上昇し、どこかで代替物に置き換わると思われます。
また、南洋材の生産諸国やロシア、中国はすでに自国の木材の保護・禁輸措置(もっと後の方が高く売れるし、生活環境悪化の費用は自分持ちだから)をかけていますので、木材がなくなるよりはコスト上昇圧力で他の物質が用いられる方が早いですかね。
日本は一夫一妻制の国であるにも関わらず、男女で生涯未婚率に明らかな差があり、事実上の時間差一夫多妻制になっている。
これの裏を返せば、婚姻を破綻させてしまった男性に別の初婚の女性が食いついてしまったということだ。
少ない魅力的(に見える)男性に多くの女性が群がる構図は生物界にも見られるが、我々は人間、生物的本能から理性によって解脱すべきではないのか。
ジェンダー問題の海を理性で渡ってきたフェミニスト辺りの理論的指導者が、生物的には魅力的に映るが危険なヤリチンに引っかからないよう、若い女性に警鐘を鳴らすと良い。
時間差一夫多妻制の犠牲となった元妻や、ヤリチンの犠牲者の声を講演会で紹介すると更に良くなる。
でもキモくて金のないオッさんも巻き添えを食らうんですよね分かります?
いいえ。
別にヤリチンより劣った男性を代わりに選べなどと異性愛国家婚姻至上主義を唱えるつもりはない。
生涯未婚でもアリアリ、女性同士のシェアハウス、女性だけの街、皆が生きやすくなる制度も大いに推進すべきだ。
この2週間ほどの間、生物界隈ではとある話題で持ち切りとなっていた。
「犬鳴山納涼カーニバル(金魚の放流)」と題したイベントの話題である。
自然の川の中で金魚を放流するという行為に対し、生態系を破壊するのではという懸念から問題提訴が起こったのだ。
これは各所に飛び火し、インターネットメディアやテレビニュース等で報道されるに至った。
この際に、問題提訴に対してのカウンターで「環境保護は人間のエゴだ」という言葉が多く見られたので、
エゴ=エゴイズム、つまり「環境保護は利己主義者によるものだ」との弁であるが、
まず前提として、
自然環境の保護と動物愛護は別ものであるということをご理解頂きたい。
環境保護とは、生物が生育できる環境の維持が目的であり、その後の利用を含めるが、
環境がどうなろうがとにかく動物を傷つけないように苦しめないようにしよう、というものではない。
https://www.ted.com/talks/munir_virani_why_i_love_vultures?language=ja#t-283827
https://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/ketueki.html
「ライ (ハンセン病)( Leprosy)」
http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~hoken/Shiori/91Lepra.htm
現段階では利用されていない生物も年月が経てば利用される可能性も十分にある。
失ってから、役に立った可能性があると言い出してももう遅いのである。
http://www.tokyo-hotaru.com/jiten/report12.html
ホタルはそれぞれの地域で光りかたが異なることが記されている。
これらのものは実際に変化があって初めて浮彫になったものである。
それまで運良く変化しなかっただけで、この先どうなるかは誰にもわからない。
環境保護はエゴであると豪語する者は、どれほど生態系に対する理解と知識があるのだろうか。
エゴだと叫ぶ人のほうが、自分に利益がなければ関わらず、利益があるなら動き出すような
自分の目先の利益の為だけに、人類全体が損をする可能性のある選択をする人こそが、
利己主義者ではないだろうか?
解明できていないからこそ、今あるものを残しておくことが人類全体の利益になるのである。
「絶滅は自然の営みなので問題ないはずだ」とする人はそもそも論点がズレている。
それによる不利益を「自然とはそういうもの」と正当化する人間は、
そのような人間の言い分を聞いていては全体が不幸になるだけだ。
増田さんは「働かないアリ」ってご存知ですかあ?
そのイメージは一般的には正しくて、ほとんどのアリは巣に餌を運んだり、幼虫の世話をしたりとアクセク働いています。
ところがどっこいアリの中に約2割ほど働いて無いアリがいるそうなんですね。
あっちをうろうろこっちをうろうろ、動いてはいるけれど何も仕事はしていない、なんだか忙しそうなフリをしているだけなんだそうです。
この2割を取り出して、働く8割だけにしちゃうと、その働く8割の中からまた2割働かない奴らが出てくるそうなんです~
あ~数が減ったし、俺がサボっても問題ないわいって~???みんな働きたくないんですね~
それでね、何が言いたいかっていうと、メンヘラちゃんを斎藤ハウスで一網打尽にして焼いちゃっても、きっと新しくメンヘラちゃんがでてきてその席を埋めちゃうんですね~
ところでその発見以降、働かないアリの存在の重要性というのが議論されてます。
偶発的な事故で大量のエサや働きアリが欠けたときのための補助要員だとか、新しい餌場や仕事を見つけるためのノイズとしての存在だとか・・・
生物界は不平等だよ。むしろ、いわゆる強者が好き放題幅を利かせている状態が、生物的な公平なのだろう。動物の子供やヒナは、丈夫なほうを優先して育てられる。でないと、全員が滅んでしまうから。
国や組織が乱れぬよう、社会規範のために、だれもが一定の権利を享受できる(だからおとなしくしていろという)「平等」とかいう概念が生まれたのだろう。
因と果はある。けど、増田が期待している報いが、宇宙の真理としての報いと同一かどうかは疑問。せっかく知恵のある人間なのだから、宇宙の真理しての「報い」とはどんなものか、世間のレコメンドではなく、自分でじっくり観察してみることをお勧めする。