「必然」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 必然とは

2014-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20140315111322

物事を合理的に疑う姿勢

基本的には健全論理的な思考だし

歓迎すべきことと思う

 

ただし写真と音声の公開を資格問題にするのは

情報源の秘匿を考慮していないので

ナンセンスでやりすぎ

 

ウォーターゲート事件外務省密約事件は典型だが

報道情報源の秘匿原則というのがあり

事実は結果だけ報道すればよく

情報源報道してはならない

なぜなら公開された情報源はたいていの場合

事実を暴かれて困る側の勢力の活動によって

隠滅」されてしまい(実例あり)

結果的事実報道のものができなくなってしまうから

 

くわしくはこちらを確認してほしい

 

情報源の秘匿

http://www.jiten.com/dicmi/docs/k12/26158s.htm

ウォーターゲート事件

http://en.wikipedia.org/wiki/Watergate_scandal

ディープスロート

http://www.jiten.com/dicmi/docs/k19/26163s.htm

米国報道守秘権法

http://www.jiten.com/dicmi/docs/k29/25540.htm

 

物事を疑う姿勢は正しいけれど

からといって現象をすべて相対化させる必然はない

事実ゼロではないし複数でもない

事実ひとつしか存在しない

 

問題を単純化しすぎるな

おまえたちが一枚岩でないのと同じように

マスコミ一枚岩ではないし

マスコミ批判者たちも一枚岩ではない

 

2014-03-13

ハロワ(厚労省)案の中小企業ジョブカフェ(経産省)案の中小規模の定義が異なる件で

ハロワ案では、中小企業従業員数50~300を指し、ジョブカフェ案では100~500を指してる。

正直なところ、中企業の規模はソフトウェア業を除けばかなり偏向的な数字だと思う。

また、資本金も1~1千万円程度とするのがハロワ案で1億円未満とするのがジョブカフェ案だったりする。

そのため、度々開催される各々主催就職選考会では、ハロワ案では殆ど同一企業のみの出展に対し、

ジョブカフェ案では毎回違う企業だったりするが一方で就活者を新卒に限定したものが多いため、

どちらも使い勝手が悪い。

すなわち、いずれの案でも就職活動を考えるにあたっての重要な指標とは成りえないのである

にも拘らず、実際にはこの利用は段々若年者を中心に避けられつつあるようだ。

そのためか、最近ハロワ職員が若年者に対し半ば強引に促すのを見ると、その事実ネット上で知った若年者が

それならリクナビマイナビネット上のリクルートサービスを利用するのは必然である

ハロワ職員に限らずこの手の強引な勧誘は質の良くない若年者を宛がう事にも繋がるので辞めて貰いたい所である

問題は、ハロワジョブカフェも足並みが揃っておらず、結果的に各々主催イベント開催になってしまうため、余計

どちらの会場に行くのがいいのかが若年者には分からない上に税金無駄遣いに繋がってしまっている。

中小企業定義もさる事ながら、若年者を限定的しか捉えない運営、そして税金無駄遣い。

このような事態が続くようなら、内部告発も辞さない構えだ。

2014-03-10

僕が異性と付き合ってはいけないいくつかの理由を書きます

付き合ってはいけない理由その1     学歴が低い

大学中退であり、すなわち高卒であるしかも、大学にかけた時間を無にしたのだから高卒就職人間より価値がない。

成果を出せなかったということと同義であり、仕事相手に選ぶにはリスクが高過ぎる。

さらに言えば、高卒大卒収入格差は依然として健在であり、以上を鑑みて、異性と付き合うべきではないし、女性もこのような男性に期待を持つべきではない。

付き合ってはいけない理由その2     収入が低い

上記と関連して、生涯賃金が低い。すなわち、女性にかける交際費、ならびに将来的な養育費などは高所得者に比べて低くなる。当然ながら貯蓄額もたかが知れているので、精神的に余裕が持てないだろう。そういう点において、やはり異性と付き合うべきではないし、女性もこのような男性に期待を持つべきではない。

ただし、僕の場合学歴による理由で長期にわたって収入が低い状態が予想されるが、学歴が高い人で一時的仕事を辞めている場合などは、この限りではない。

付き合ってはいけない理由その3     僕の性格が悪い

引きずるタイプ嫉妬深いと自覚していながら、改善しようもないと絶望している。他人のミスには寛容ながらも、自分ミスは何があっても許せない。

ミスには寛容と書いたが、相手の性格自分と同じく悪い場合は話は変わる。僕をバカにした奴は謝罪しても許さないし、そういう奴は一生バカにし続けるだろう。

これは異性と付き合う上で、とても重い事実だ。要は摺り合わせができないということである。世の女性よ、僕にかぎらず、こんな男とは付き合ってはいけない。DVが容易に想像できる。

付き合ってはいけない理由その4     僕の子供に対する考え方が悪い

今までこんなことを書いてきたが、正直に言うと子供はかわいくて、僕にも子供がいればいいなあ、とか思っている。

しかし、そう思っていたからといってさあ結婚だ子作りだ、としてはいけない。

子供好きだ、という風にいうとき、僕は必ず健常児を念頭に置いてしまっている。

好きな人との間に生まれた子供が、キチガイだった場合、僕はその子供を許せない自信がある。

から結婚すべきではないし、そもそもセックスすべきでもない。女性に近づく資格もない。

付き合ってはいけない理由その5     向上心がない

向上心とは、現在の状態よりもさらに良い状態へ自身を高めようという心構え、と僕は定義する。

必然向上心あるものは行動力が高い傾向にあるだろう。

いわゆる、人生の経験値を高める、というところだ。

僕にはそれがない。

まり、これまでに挙げた諸項目を改善する気がない、ということだ。

こんな人間とは付き合ってはならない。無論、友人関係であってもだ。

僕みたいな人間世間の鼻つまみものとして路傍に打ち捨てられていればよい。

僕以外のすべての男女に、幸多からんことをお祈りするしかない。

2014-03-08

大企業で働きたいか?

卒業就職活動シーズンなので書く。

みんな大企業に入って働きたいのか?

少なくとも自分にはそう思えなかった。


いや、もちろん大企業はいいところがたくさんある。

雇用保証され、給料もよくて、仕事の規模も大きく、福利厚生が優れていたりするだろう。

でもさ、そういう利益に胡坐をかいて座っているだけの人間になってほしくないんだ。


特にグループ企業下請け企業をたくさん持っているところとか。

大企業本社の人は、必然そういう人たちを指揮命令する立場にあるんだけど、

リーダーとなる人間があまり優秀でない人が多い。

いや、平均点以上の人が多いし、一部にはズバ抜けて優れた人もいるんだけど

ほとんどの人は普通よりちょっと優秀かな?ってくらいだ。


そんな人が、数十人単位のチームのリーダーを務めるわけだから、まぁ、うまくいくはずはない。

メンバーとしては評価されるかもしれないが、リーダーとしては力不足

あなたの下につく人間が不幸になってしまうよ。

また、あなた自身も下の人から悪く思われるだけでなく、本社の優秀な人からお荷物扱いされる始末だ。

いわゆる、窓際族とか社内失業とかそんな感じのヤツ。


・それに耐えて、大企業で働く気持ちをあなたは持っていますか?

・あるいは自分は優秀だからリーダーとしてしっかり役割を果たせる、という気概を持っていますか?


どちらでもないなら、あなた大企業で働くべきではないだろう。

自分人生を毀損するだけだから

身の丈に合った会社を選んだ方がいい。

2014-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20140307100229

何言ってるんだ、そんなもの狙って作れるわけがないだろう。

ヒットしたものは得てしてたまたま消費者にウケただけだ。

ヒット商品に偶然はあっても必然はない

日本政府慰安婦問題靖国問題で本気で勝つ気があるのか

外交なんて味方を増やした方の勝ちである

そういう状況下で侵略戦争否定だの河野談話否定だの、「戦後レジームからの脱却」を仕掛けようとした首相および日本政府

一国の寄って立つ基本方針(少なくともその一端)をひっくり返すだけの大転換をしようというのだから、内外から大きな反発が出るのは必然だし、それなりの勝算というか手立てを持って臨むものではないのだろうか。

中国しろ韓国しろ過去から現在まであらゆる隙を突いて日本外交戦を仕掛けている。

アメリカオーストラリアにまで戦線を広げる様子が日々報道されているが、では日本はそれに対抗し得ているのか。

「真意を説明する」と偉い方々はたびたび口にするが、真意を説明した上で日本立場を示し、諸外国理解を得る努力というのを一体どれほど行っているのか。

銅像立てるのと同じくらいインパクトのあるカウンターを次々打っていかないと差を広げられるばかり。日本政府もいろいろやってるのかもしれないがよく見えてこない。

この1、2ヶ月の外務省官邸サイトを見ても、せいぜいこのくらいしか見あたらない。他にあったら教えて欲しい。(官房長官会見は全然書き起こしがないので検索できない)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/p_pd/ip/page22_000950.html

新聞報道はあるが。

http://www.nikkei.com/article/DGXNZO65065940Z00C14A1PP8000/

「全くもってふがいない。日本もあらゆる外交手段を使って我が国の正当性を全世界にアピールしなくてはならない。このまま中韓に押し切られることは許されない」

なんて右のふりをしようかと思ったが面倒なのでやめておく。

実際本気で味方増やそうという気合いがさっぱり見られないので、放っておけば押し切られて本当に外交的敗北(どういう形かはともかく、少なから日本国民にとって不愉快な結果)を喫することもありえるだろう。

ボクシングファイティングポーズは取ったが、ラウンド中盤まで無気力プレーで判定負け濃厚、という状況に見える。

最終ラウンドでKO勝ちでもするつもりなのか。

長々書いたけど、これで「負け」となったとき、責を負うのは不利な戦いを挑んだにも関わらず無気力プレーしかしなかった誰それだろう、ということだ。

◆◆◆

はいえ、やる気出されても困るし。後釜にもっとやる気ある人が来られても困るし。微妙な論だった。

◆◆◆

(追記)国連で反論したみたいですね。もったいないので記事は残します。

http://www.asahi.com/articles/ASG365QFSG36UHBI028.html

2014-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20140226213650

つのまに「意見違う奴は排除しろ」って風潮になったんだろうね

つのまにも何も昔からそうですがな。

クソサヨみたいなまったく譲歩しないマイノリティ排除されるのが社会必然

2014-02-25

閃光のマスダ

 本好きの高じた結果、その購入物によって汚染された室内は、積読現象によって室内の壁際を、二周ほど周回したころから、家主は、危機意識をいだいた。購入欲求から出発した恒常的な床不足と家計破壊は、室内に家主の生息をゆるす状況ではなくなり、電子化必然であった。

 だからといって、本当に床が抜けてからでは、家主は、裁断機運用し、自炊する力もなくなってしまうだろう。

 電子書籍リーダーの導入は、家主は部屋とともに死にむかうのではないかという認識が、本好きからひろがった時に生まれて、電子書籍の購入が開始された。

 電子化が開始されれば、すべての蔵書を均一に電子化させる、という家主の決意は、まちがいではない。

 しかし、特例事項があったことが、その後の過ちをうんだ。家主が必要と認めた書籍は、部屋に蔵書できるという規定である

 条件はあった。

 入手が困難な希少本と、画集のような今の形に意味がある書籍という規定である

 規定は、理想的にその理念を行使するということはないし、一般的な人びとの視点からみれば、床が、抜けていると見えないことが、この規定拡大解釈して、運用されたのも当然である

 さらにいえば、本好きから産まれたビブリオマニアが、紙とインクのフィーリングを忘れることができるものではないからこそ、そこに、無条件に規定無視したくなる思いがうまれた。

 その欲求は、正しい。

 しかし、ビブリオマニアもっとも深い罪業は、積読の増殖が、室内環境家計にとってもっとも危機的なものであるという認識認知しないことにあった。

 しかし、電子化は、その代償を家主みずから支払わなければならない時代であり、電子書籍時代とは、技術革新時代でもなければ、祝福された時代でもないのである

 その認識から生まれたフラストレーションは、ますます本好きの人びと、ビブリオマニアたちに、物理回帰の欲求に火をつけるのは、逆説的ではあるが、当然の帰結であった。

 増殖した積読という本が、たえず回帰する形は、物理本でしかないという欲求は、ビブリオマニアの二重の罪業である

 しかし、床を完全に再生させるためには、千冊以上は処理しなければならないだろうし、千冊処理するあいだに、積読は、さらに増殖するだろう。

 つまり家主は、すでに、蔵書全部が部屋におくことはできないと、覚悟をしなければならないのである

 これも、本好きには、容認できる認識ではないのだ。

 しかし、現代は、すべての例外規定排除されて、ビブリオマニアは、電子書籍リーダーに逼塞しなければならないのである

『……でなければ、版元が起こした反乱も、あの時、死んでいったストアたちの霊もなぐさめられない……』

 マスダは、そう思う。

2014-02-24

久々に、彼女が待ち合わせをしているところを見た。

前回見かけたのは、雪がしんしんと降っていたあの日だった。

その前は一月の自分誕生日。その前はよく覚えてないが、

2、3回は見かけただろうか。

パン屋さんの窓側の席で、手帳を広げていたこと一回、

携帯を打っていたこと一回。後、一回待ち合わせに出会えたら、

次は本を読んでいないかなと思う。

難しめのものより、東野圭吾みたいなポピュラー路線なら

なお良いなと勝手妄想する。

ガラス越しに手を振りあう姿を、誕生日に見てしまってから

自分日常に、何故か彼女が視界に入り始めた。

秒速5cmのあの歌のまま。

いつも探してるよどこかに君の姿を〜

もとい、

いつもの帰宅路で探してるよあのパン屋に君の姿を……

いやいや、この心情はストーカー路線への転身ではないはずだ。

あの時の、『大人げない』笑顔が強制ネガポジになっただけであって。

人と待ち合わせがしたい。

家族と、同僚と、知人と、恋人と。

四ヶ月前に会社上司とした待ち合わせが一番新しい記憶

必然だが、楽しい記憶ではない。

振り返れば、寧々さんとはどんな待ち合わせをしたのか、

ヤバい、全く覚えてない。

現実時間を使って待たされたことはあったんだろうか。

開けば会える、最後までそういう存在だったか

毎週、月曜は日曜日が待ち遠しい。

でもそれは、デスマーチでない限り、待てば必ず来る待ち遠しさだ。

来ないかもしれない。いつ、会えるかわからない。

そういった不安を抱えた待ち合わせは、

自分はいつまでもやって来ない。

死にたい

2014-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20140220012107

「己の心と正面から向き合い戦う」

はて。そのようなことが一般的に可能なのでしょうか。

かつて(せめて治療のためだけにでも)それを試みたフロイトたちは今の惨状なわけですが。

世紀をまたいで残ったのは電マと性癖診断遊びと証拠不十分に終わった性的虐待裁判だけです。

正面とはどこにあるのでしょうか。観測者問題というのは、すくなくともこの部分では比喩として適当なほどに、存在します。

あるいは最近言葉で言えば「認知バイアス」と呼んだほうが適当かもしれません。

で、もし幸運にも戦えたケースだったとして。あなたの言うように「余力」の振り向け先を選べたとして。

それが信仰であってもいいのではないですか?

----

Blog拝見しました。

噛みあってるようであわねーなー、布教伝承の話全然しないしなー、もしかしてなー、と思ったらやっぱり神道の人だった。

こういう話し方じゃなく民俗民族方面で話せばよかった。

----

ええい。思いついたから聞いちゃうが、

授業でお守りを切らせようとした教授の一件についてはどう思ってるわけ?

http://anond.hatelabo.jp/20131030094105

----

個人的かつすごい乱暴、そして失礼極まりない妄想を言うと、

ヒトには「意味」という宿業が備わってしまっているので、その宿業を適宜ぶち込むためのゴミ箱概念として「宗教」って便利だし必然じゃねーの、という感じ。

別の言い方をすると。ヒトは因果応報の病にある、つまり元増田 id:oramuda のように善行には善果が発生する、と。

それは一部正しい場合もあるが、例外も多数存在する。巨視的になればなおさら。ならばその因果ミッシングリンクを仮想の因と果でうめることは、便利だし必然じゃねーの。おれが何でこんな思いを。祭祀を万全に行わなかった祟りだ。おれはこんなに頑張っているのに何故報われない。極楽に行ける。我らは生きている。なぜか。第一原因があるから

そんな感じ。

というわけでおれはビーバーの作ったダムを愛でるように宗教も愛でていきたい。

2014-01-26

祖先満州駐留の軍人だった自分から見れば

旧日本軍の悪行はでっち上げ」「慰安婦必然だった」「今の倫理観で見るべきでない」と叫ぶのは

ありがたい弁護であるか、それとも古傷をえぐって塩を塗り込む行為なのか

2014-01-20

眠りが浅い

最近、眠りが浅くて困っている。

具体的な状況として、ここ2ヶ月ほど、ほぼ2時間ごとに目が覚めている。

どうも睡眠時無呼吸を抱えているらしいことは知っている。

また、1年半ほど前からほぼ毎晩晩酌をしているので、酒の影響もあるんだと思う。

それにしても、こんなに頻繁に中途覚醒するのは今までなかった。

夜中に目が覚めるだけなら放っておくんだが、眠りが浅い影響か朝起きられなくなってきて、目覚ましでも目が覚めなくなってきた。

今のところ仕事に遅れるようなことはないが、そうなるのも時間の問題かも知れない。

酒を控えればいいだろう、痩せればいいだろうという話は最もだが、痩せるのはまだしも酒は何故か控えた翌日に限ってトラブルが起きるという変なジンクスがあって(6回連続で起きれば流石に必然を疑いたくなる)、控えるのが嫌になってしまった。

どうしたらいいんだろう。

2014-01-14

「ヒトはなぜ毛が薄いのか?」

ヒトはなぜ毛が薄いのか? それは、ヒトはなぜ汗をかくのかと答えは同じで、つまり、暑さに適応するためだ。

ヒトは、恒温動物で、気温の変化に脆弱だ。どうやって寒くても暑くても生きていけるようにするかが課題だ。

ヒトは、住環境や道具を用いることで、寒さに対応した。例えば火を焚けば暖がとれる。ところが、暑さに対しては道具で対応しきれない。そこで、ヒトは、汗をかいて蒸散させ、気化熱によって体温を下げるようになった。そうすると、体毛が多いと汗の蒸発に不利だから、体毛が薄いほうがよいわけだ。

それでも、頭部などには体毛があるのはなぜか? それは、肉体の中枢を寒さから保護するためだろう。ヒトは、血液などの体液を循環させているから、末梢で発汗して熱を逃がせば中枢も冷えるようにできている。反対に寒い時には中枢が冷えると致命的だから、体毛が多い傾向があるのである

冬になると手足が冷え性になる人が少なくないが、寒いと体温を逃がさないようにする必要があるから、末梢の体温を上げないようにして体温を維持しているのである。無論、血行も少なくなる。

それでは、運動をすると発汗するのに毛深くなる傾向があるのがなぜか、疑問に思う人もいるかもしれない。しかし、運動をすることができるということは気温が高くはないからだ。暑いと、寝ているだけでも汗を大量にかく。暑いなかで運動をするとむしろ死んでしまうことすらある。運動量が多いということは、気温が高くはなく、また、外出しているということとも相関関係がある。

男のほうが毛深く、女のほうが薄い傾向があるのも、寒さ対策の必要性の高低によるものだろう。群れの生存確率を高めるためには、男女で分業し、男にコストを集中し、女が出産授乳をする。そのため、男のほうが寒い中でも外出するし活動的だ。反対に、女は出産授乳のために栄養分を蓄える必要があり、例えば体脂肪を増やす必要がある。

男も、年齢が上がってくると肥りやすいかもしれないが(いわゆる「中年太り」だ)、それも運動量の低下と関係があるのだろう。多量の運動を担うのは若い男であって、出産期以降の女だけではなく、ある程度歳をとった男も肉体機能的に衰えて多量の運動をする余力が減っていく。それでも、だからこそ、肉体がピンピンしていて普段からたくさん運動をしている老人男性には痩せている人もよくみられる。

冬には脂質やカロリーを摂りたくなる傾向があるように思われるが、それも寒さ対策のためだ。反対に夏には、サッパリしたものが欲しくなる。暑いと多く消費するのは水分とミネラルで、反対にカロリー消費は減る。

食事や衣服暖房がなければ、ヒトは冬を越せない。木造住宅に住んでいて貧困暖房もかけられなければ、凍死しかねない。

日本では昔から木造住宅が多い。「日本の夏は世界一苛酷だ」と言う人もいるくらいに、日本の夏は厳しい。とりわけ太平洋側は、モンスーン季節風)で湿度も高くて苛酷だ。湿度が高いと汗が蒸散しにくい。木造なら風通しがよく、気温も湿度も高い夏には有利だ。

ところが、木造住宅では、冬は寒い。だから、厚着をして布団にくるまって、たくさん食べて、そして、火を焚いて暖を取るのである

木造住宅で火を焚くということは、火事が起こりやすいのは必然だ。しかも、太平洋側の冬はモンスーン乾燥する。江戸なんて、人口密度が高いのに木造住宅だらけだったから、街が辺り一帯丸焦げになるような大火が何度も起こっている。江戸時代なんて、エアコンどころか電気ストーブ電気コタツもあるわけがないし、電気炊飯器電気ポットも、無論、ない。

この時季はいまでも木造住宅灯油ストーブで過ごしている家が少なくない。近現代でも、冬の火事は多い。火の取扱にはくれぐれも気をつけたい。そういえば、阪神淡路大震災は1月で、東日本大震災は3月だった。冬の震災は、乾燥地域では大火事になりやすいし、雪国では家屋倒壊してライフラインも断たれて深刻なことになるのではないか。

2014-01-12

かっこつけるのはかっこいい

「かっこつける」という言葉はあまりポジティブに使われることはありません。学校で「あいつはかっこつけてる」なんていわれたら、たぶん嫌われてますし、なぜか不良のみなさんに絡まれます

でも、かっこつけてる人と自分は何もせず陰口を叩いてる人とどっちがかっこいいでしょう。言うまでもなく前者です。

そして、人は目標を持って練習することで成長します。痛いファッションをしているうちにおしゃれになりますし、読めもしない洋書を読んでるうちに本当に読めるようになります

かっこつけなければ人はかっこよくならないのです。最初は恥ずかしいかもしれませんが、それは必然です。誰も最初からかっこいいわけではありません。気にせずかっこつけましょう。

ちなみにこの記事の最初タイトルは「背伸びしてれば背は伸びる」だったのですが、著者は身長 150cm 代の成人男性なのでちょっと説得力ないなと思って変更しました。

2014-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20140109155150

そうだとすると業が深いなあ。

少子化必然、という感じがする。

2013-12-27

仕事の出来不出来と子育ての可否は関係ない。

http://anond.hatelabo.jp/20131227003203

同感。

元増田はその個人を叩きたかったってだけと理解している。

それはご自由にどうぞという印象。

私は仕事の出来不出来を根拠に個人のプライベートを責めることに胸くそ悪い感情を持つ。

いつから仕事プライベートの物事を決める判断基準になったんだろうか。

両方充実させられればそれに超したことはないが、それが無理なら片方を充実させようとするのは必然じゃ無いか

そして、仕事ができないとかつらいからせめてプライベート(この場合子育て)を充実させるのは至極当然。

何が悪いのか全く分からない。

2013-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20131224125320




インターネットの変遷 ~儀礼的無関心


では、前回のブックマークコメントを参照しながら自論を展開していきたいと思います


simplemind  だが「誰かの悪口を言ったら返ってくる」のは本当に「基本」だろうか?街で「年収○○万円の男なんてw」とdisっても普通怒られたりはしない。「disりっぱなし」は(残念ながら)常識的には正常な「態度」なのでは

http://b.hatena.ne.jp/simplemind/20131224#bookmark-174706694

素晴らしい指摘だと思います

たとえば私が喫茶店ジュースを飲んでいたとして、そこで隣のテーブルに居る女性2人組が大声で

年収○○万円の男なんてゾッとするよねー」

結婚しない人間って何考えてるんだろうねー」

とお喋りしていたところで、それに対して私が議論を吹っかけたり、殴りかかったりすることはまずありません(非常識彼女らにビックリしてチラ見はしてしまうでしょうが)。

私が公衆トイレおしっこしてるときに、隣でションベンしてるおじさんがオナラをこいたところで、私は「屁ぇこくなよ!」とは言えません。

おじさんと私は友達ではないのですから (ダウンタウン浜ちゃん職業病で、そのような状況のときにおもわずツッコんでしまったそうです)。


ところがこれがネット上になると話が変わってきます。「年収○○万円の男なんてゾッとするよね」「結婚しない人間って何考えてるんだろうね」

ブログで言っている女性が居れば、私は彼女達を非難します。また、いつもホットエントリに入っている屁のように臭いブログがあれば、猛烈に叩きます

もちろん絶対に叩く!というわけではなく、その日の気分によって叩く叩かないは変化しますが。

私はこの、現実ネットでの行動を違いを面白く思います

我々はなぜ街中だと非常識人間スルーするのでしょう。我々はなぜネットだと、特にブログツイッターになると、非常識人間を見たときに叩きたくなるのでしょう。


私はこの問題を考えているときに、「儀礼的無関心」という言葉を知りました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%80%E7%A4%BC%E7%9A%84%E7%84%A1%E9%96%A2%E5%BF%83

私たち電車に乗っているとき、他人を凝視しません。それは、たとえば特に電車内のマナーにうるさい日本だけではなく、アジアアメリカ欧州南米でもそれは同じでしょう。

Daniel Powterというカナダ人歌手の「Bad day」という曲のPVを見ると、これには男女の主人公が居るのですが、

男の主人公電車内で、歴史を感じさせるような老夫婦尊敬眼差しを持って見つめます

女性主人公幸せそうなカップルを少しうんざりした様子で見ます。けれどここで重要なのは、彼らは決して無礼な態度では観察していないということです。

まり他者を強く感情的凝視はしていないということです。

「お前何見とるんや」

因縁をつけられない程度の態度で他者を観察しているのです。もしパッと目が合ったら私たちは目を逸らしますよね。

これは現実での振る舞いとして適当でしょう。私たちはそうやって日々を生きています儀礼的無関心遂行しているのです。


インターネットではどうでしょうか。我々はいくらでも他者を観察できますネットでは「お前何見とるんや」と言われることはまずありません。

他者をいくら観察しようが、いくらイヤらしい意地悪な目で見ようが、その行為の代償を払う必要はありません。

儀礼的無関心遂行する必要が無いのです。


私を含め、古参インターネットユーザーたちはこの2つの世界を行き来していました。儀礼的無関心必要現実社会と、儀礼的無関心義務ではないネット社会

ところが昨今、特に2013年はそれが大きく変化した年となりました。

2013年を語る上で欠かせないのが、ツイッター冷蔵庫侵入事件です。

デジタルネイティブ若者たちは、コンビニ冷蔵庫に侵入しアイスを靴で踏みつけたり、レストラン備品自分の身体を擦り付けたり、スーパーの売り物の食品に乗っかって遊んだりして、

そうした行為スマホ撮影し、ツイッターにアップしました。そうした写真は瞬く間にネット上で拡散されて、ネット社会現実社会の両方で大きな議論が巻き起こりました。

我々が外食したり、また食品を買ったりするとき、実はそれにはどこの馬の骨とも分からないDQNたちの体液がついてる可能性というものが大きく可視化されました。

主要紙もネットユーザーバカッターバカッターと彼らDQN糾弾しました。

「悪ふざけするのは良いとして、ネットに公開するということは全世界に公開するということだ。考えてやらないと。」

「目立ちたいだけだよ。有名になりたい馬鹿たちなんだよ。」

はてな民は偉そうに言っていました。


しかし私はどうも違和感を持っていました。「そもそもあのDQNたちは全世界に公開してたつもりなんて1ミリも無かったのでは?」

たとえば、私がコンビニで買い物をしていたとして、そのときちょうどあのDQNが靴で冷蔵庫の中のアイスを踏みつけていたとします。

私は彼に注意などしません。注意して、彼の仲間たち3人くらいに囲まれたらどうするのでしょう。怖いです。

私はここで必殺「儀礼的無関心」を放ちます。ギャーギャー騒いでる若者たちスルーするのです。

本当は注意するべきなのでしょう。しか生活していくなかで、そういうリスクはなかなか背負えません。

みなさんもそうだと思います。関わりたくないことには儀礼的無関心遂行してやり過ごすでしょう。


さて、それがインターネットで繰り広げられていたらどうでしょう

冷蔵庫アイスを踏みつけたDQNたちは写真を撮り、それをツイッターに上げます。彼らは、たぶん仲間内だけに見せるつもりなのです。

健太冷蔵庫に侵入した結果www」てなもんです。青春の一ページです。

そうこうしているうちに、偶然にも私はその写真を見つけてしまます。「あ!あのときあいつらや!」

私は、現実儀礼的無関心強要されたあのときの惨めな気持ち、後ろめたさがよみがえって来ます

「許せん!」

私だけではありません。DQN儀礼的無関心強要された人たちは山ほど居ます。そういう人たちが、DQN健太くんの冷蔵庫侵入写真を見たらどう思うでしょうか。

「恨み晴らさでおくべきか」

となるのは必然ではないでしょうか。

また、そういう恨みが無かったとしても、我々の誰もが買う可能性のある商品に不衛生ないたずらをしかける彼らの姿は、人々をとても不安にさせます

「私があのとき食べた牛丼に実はDQNの鼻クソが・・・?」

人々は、特に2ちゃんねらーは怒り狂います

そう、ここはインターネットです。コンビニで彼らを見たときのように儀礼的無関心をする必要はありません。鬨の声を上げるのは今です。

我々は彼らの個人情報をゲットします。お店の情報をゲットします。お店に電話し、彼らの家に電話し、ネット上に彼らの情報をバラまきます

怒り狂った2ちゃんイナゴたちは暴れ周り、その結果お店は潰れ、DQNたちの就職難易度はとても高くなりました。

騒ぎが終わった後、DQNたちはどう思ったでしょうか。「ダチでもねぇ奴が勝手に俺らの写真を覗き見して勝手に大騒ぎしていった」と思うのではないでしょうか。

現実ではスルーするくせに何でネットだと食いついて来るわけ?」とも。


これは儀礼的無関心必要現実社会と、儀礼的無関心義務ではないネット社会との狭間で起きた事件です。

若者たちは混乱しています。「現実では何も言われないからネットでも大丈夫だと思ったのに・・・

これはとても重要なことだと思います

そしてこれはサードブロガーはてな女子の問題に繋がって行くのです。


前述したとおり、サードブロガーはてな女子


年収○○万円の男なんてゾッとする・・・

結婚しない奴の意味わからんwww」

「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」

ブログタレント目指してます!注目してください!キャピ!」


ということを平気で言いますしかもそれを、日本ネット上でも最も気難しい人たちの居る「はてな」でそれを行います

これはハッキリ言って場違いです。「年収○○万円の男なんてゾッとする・・・」「結婚しない奴の意味わからんwww」「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」

なんてのは、普通オフラインで言うことです。誰にも聞かれないところで、女子会でやるべきです。喫茶店でやるべきです。

オフラインなら、我々は儀礼的無関心をできます。「酷いこと言うんだなぁ・・・」とは思いますが、彼女らを打ち倒そうとは思いません。

ところが彼女らは冷蔵庫侵入DQNと同じように、オンラインでそれを公開してしまます

オンラインでそんなものを公開してしまえば、はてな妖怪たちが黙っているわけがありません。小難しい理屈を並べ立て、罵詈雑言を浴びせます

といっても、妖怪にとってこれはじゃれ合いの範疇です。

「ほぉーそんなこと言うってことは喧嘩(議論)する気なんやな?オモロなってきたで!」てなもんです。


ところがはてな女子はとても困惑します。

友達でもない人が勝手にアタシのブログを覗き見して勝手に怒ってる・・・

女子会でこんな話しても誰も怒らないのに何でネットでは怒られるの?」


こう言われてしまうと、妖怪はバツが悪くなって攻撃の手を止めてしまますし、さらに疑問がむくむくと沸いてきます

「なんで議論する気ないのにそんなこと言ったの?ここは儀礼的無関心から解放されて忌憚なく議論する場だよ?」


上の言い方では少し強過ぎるかもしれません。もっと適切に言うと「反響が欲しくないのなら何で公開したの?」

ということです。


まりはてな女子たちは、ブログで何を書こうが、現実と同じように、儀礼的無関心を他の人がしてくれると思っているのです。

冷蔵庫に侵入した若者たちと同じように。しかしその態度は、私にはとても無責任ものに思います

「私は誰かに関心を持って悪口言うけど、みんなは私に無関心を装ってね?」といったところでしょうか。

はてな民はそれを了承しませんでした。だからはてな女子筆頭の体調わる子苛烈な攻撃を受け退場して行きました。

「俺は好きなこと言うけど俺に好きなことは言うな」という態度のサードブロガー虚構新聞も苦戦を強いられています

この虚構新聞の苦戦に関しては、ネトウヨネットの外に出て行ったことに強く関連しているので、後日それについて論じたいと思っています


以上が、私の「現実ネットによる儀礼的無関心の違い」といったところでしょうか。

この儀礼的無関心の取り扱いの違いが、今後どうなっていくのかも後日論じたいと思っています

http://anond.hatelabo.jp/20131223150721

http://anond.hatelabo.jp/20131226120035

2013-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20131217154750

からさ、話が噛み合ってないから。

うん、その根、少子化対策をどうしたらいいか、っていうのは日本とか、国レベルで考えれば必然だと思うよ。

それは同意する。


一方で、地球上の生物、として考えれば、人間は増えすぎたから減る、というのが自然かもしれないよ?という話。

実際、狼が増え過ぎたらその地域で食べる動物がいなくなって減るだろ?

それでバランスが取れてるウチはいいが、余りに増えすぎると一気に食べ物が亡くなってその後、一気に絶滅する。

分かる?そういうレベルの話で、別に人口減ってもむしろ自然なんじゃないか?という話。

勿論、その「減っていく」段階は苦しいと思うよ。

狼の例も、減ってく段階は皆苦しいし、空腹で死んでく奴が沢山出る、ってなるわけだから

だけど、その後長く全体として生き残るためには、そこで全員が生き残るより、減った方が結果的に長く狼としては存在できる、ということ。

それが正しいかどうかわからないし、まず受け入れられないのは分かる。

だけど、そういう話だ、ということくらいは理解できるでしょ?

2013-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20131216003028

あの件に関しては作者が無知すぎたことより、出版社がアホすぎたのが原因

どう考えても、芸大出の絵描きがあんなに他種類の虫の交尾の資料を自前で用意できるはずがない

とすると必然図鑑なりネット写真なり、絶対に他人の著作物を使ってる

これはほぼ確実

世間知らずの芸大生ならともかく出版社がこれに思い至らんハズはない

有耶無耶にできると思ったのかばれないと思ったのか、ともかく浅慮で出版社側はこれをスルーした

しかし冷静に十秒考えて、出版社のやるべき仕事ってここだろ

ただ製本して流通させるだけならだれでもできる

権利関係やらの著者がやらない仕事代理するエージェントから高くない金を持ってくのに

よほど弱小だったのか、日本出版全体が沈没してるのかしらんけど

その後の対応も含めて馬鹿すぎる

これからはこういう出版が世にあふれていることを理解して

絵描きやら小説家やらの表現者代理人雇うなり自分勉強するなり自衛しないといけない時代

2013-12-14

マイノリティには関わらない、言及しないのが一番

少なくとも日本ネット界隈では。

ここ最近やりあってる女医VSキリンを観察しててマジでそう思った

別にこの件だけじゃないけど

曲がりなりにも身を削って最前線コミットしてる人間であっても

「元当事者」なり「学者」やら「活動家」等などが湧いてきて

「お前は理解が足りてない」「共感ができてない」「パターナリズムだ」と定期的に糾弾される。

医者でこれなのだから、とりたてて関係ない職業人間がとりうる最適解は

・問題の存在には基本的に言及しない

・どうしてもしなきゃいけない時はなるべく小さい声でゴニョゴニョと濁す

になるのは必然よな

関わったってまさに百害あって一利なし

まあでもパターナリズムを完全否定した極地って、自助組織による団結と闘争とたまに内ゲバって感じではてな民は好きそう

2013-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20131210093319

ただ、それは本質じゃないよ。

ただ、そういう突っ込まれるブログほど、その取り上げてる自体について理解が浅くて

一部しか見てなくて、本質じゃないわ、ってのが多いから、仕方ない、と言うより必然じゃない?

この元増田だって馬鹿すぎて突っ込みどころありすぎじゃん。

この文章すら、突っ込まれて文句言われたら「俺の言うことわからない奴は馬鹿」ってなるわけでしょ?アホじゃん、やっぱり。

2013-12-07

女子中学生の私が『進撃の巨人』を見て思ったこと

 私は原作漫画は読んでいませんが、アニメは毎週兄と一緒に楽しく見ていたのでその感想を書いてみますネットこころない大人たちによって叩かれすぎだと思うのです。すくなくとも私の周りでは大人気ですし、時代についていけないセンスのない大人たちが若者文化を叩くのを見ると私はとても悲しい気持ちになります(いつの時代もそうだったのでしょうか)。

 私はこの作品に触れて、作品内容が類似しているかどうかはともかくとして、アルベール・カミュペスト』、ジーン・ウルフ新しい太陽の書』、スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』、村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、安部公房飢餓同盟』、大江健三郎万延元年のフットボール』などを思い出しました。『進撃の巨人』はこれらの小説のどれにも劣らない深みと非常に高いクオリティを持った稀有な少年漫画なのだと思います。その作風アニメを見る限りたしかに単純で素朴で荒削りですが、作者の諫山創先生は、世間にあふれる自意識自尊心だけは一人前の凡庸な作家たちが血も滲むような努力をしたところで一生得ることのできない文学的センスというもの無自覚のうちに獲得していらっしゃるようにわたしには思えます

 壁の向こうには海があって、海には宝とも言える塩がたくさんあるとエレンアルミンが目を輝かせて会話するシーンがあったと思いますアルミかわいい!)。壁の外に真の楽園を夢見ながらも、壁の外の脅威=巨人によって偽りの楽園である壁の内側にとどまるしかない人類。そして偽りの楽園は日々縮小傾向にあり、もはや人類は楽園という夢想を捨て現実に立ち向かう必要に迫られています。もし外からの脅威によって人類生活圏が縮小しないのなら、人類はこのまま壁の内に閉じこもったまま、一種の自己欺瞞によって自らを制御し動かしながら、秩序を維持することに一生を捧げていたでしょう。そうした変化のない永遠の倦怠ともいえる世界では、いずれ歴史が失われ、始まりも終わりもない空白の永続状態だけが字通無意味に残る、いや、それは記録されないので残るというよりは虚空に漂うことになるでしょう。しかし『進撃の巨人』の世界では人類は変化を迫られました。そしてその変化を迫ってきたのは、脅威=巨人なのですが、その巨人とは人類自身だったというわけです。

 現状を打破せよ変化せよという声なき声、暗号を発しているのが巨人ですから巨人とは人類無意識飢餓感、欲望のメタファーだと思います。そして人類は自らの欲望の代理である巨人と戦わなくてはなりません。これは自己矛盾をはらみます人類はみずから欲望をいだき(巨人生産)、みずから欲望を抑圧し(巨人駆逐)、みずから破滅します。いつしか人類の欲望は敵となっています。それは生への意志を否定するものです。みずからの欲望が真の楽園への道を閉ざし、日々縮小する偽りの楽園におい鬱屈とした毎日ゾンビのように送るしかなくなっているのです。原始においては槍で戦うしかなかった人類が、科学技術進歩したことによって、核兵器生物兵器などのとんでもない力を生み出すようになってしまいました。長い歴史にわたる真理の探求と知識への欲望が私たち人類生活を豊かにし明るい未来へと導いてくれるはずでしたが、洗練された人類は新たなそれまでとは比較にならない圧倒的に暗愚で野蛮な状態に陥ってしまったのです。巨人性器がないのは必然で、それは人類の欲望なき欲望だからです。欠如によってしか私たち未来を示すことができなくなってしまったのです。

 そんな行き詰まった世界人類はどうやって生きていったらいいのでしょうか。巨人を完全に駆逐したとき人類絶滅するでしょう。これは勝利なき戦いです。かならず負ける戦いです。私たちに突きつけられたこの運命私たちはどう立ち向かうべきでしょうか。友情によって? 愛によって? 暴力によって? 狂気によって?

 現代社会ではみなそれぞれが不安をかかえて生きています。それは生存の不安です。自分不安無自覚でいることはもはや許されません。人類の足場はもろくも崩れ去ってしまい、そうしたなかで人類は原始への回帰、裸で樹上生活をしていたころに戻ろうと、立体機動装置最後のあがきをこころみるのです。これだけの技術力がありながらどうして他の兵器を作らなかったんだという批判がありますが、腰部から射出されるアンカー射精メタファーだということを考えればそれが無意味な批判であるということがわかります(そもそも巨人の完全駆逐目的ではありません。巨人を完全に駆逐したとき人類絶滅するからです)。人類アンカーを射出しなければならなかったのです。それが人類の見た最後の夢だからです。かつて液状で運動性に優れていた精液はこの時代おいては外的要因によって働きかけられないと動かない冷たい鉄になってしまいました。それでも人類去勢不安を打ち破るために重い腰を上げてさびついたアンカーを射出しつづけなければなりません。それはまさしく不条理悪夢ですが、しかしこれこそ現代私たちがおかれている状況というわけです。

 現代論理的未来予測というものをつねに逸脱し飛躍し暴走して、私たちの手の届かないところに行ってしまます私たち世界から疎外され置き去りにされ、存在理由をはぎとられてしまっています人類人類自身と向き合い戦わなくてはなりません。しかしその戦いには勝利というものがありません。滅亡へのゆるやかな推移があるだけです。

 私は『進撃の巨人』は現代社会警鐘を鳴らしているのだと思います私たち自分巨人とどう向き合うべきでしょうか。私たちは当然のように幸福を追求しますが、その幸福はいったいなんなのでしょう。希望なき時代希望とは? 光なき時代の光とは? 私たち絶対者、神を殺し、あるひとはそれを人類の勝利だと誇りさえしますが、依然として私たちには難問が残っているのです。

 こんなニュースがありました。「進撃の巨人 : 最新巻が初の初版200万部突破 1巻の50倍超、「ワンピ」に続く快挙」(http://mantan-web.jp/2013/12/07/20131206dog00m200072000c.html) やはり時代に求められているので売れているのだと思います。批判している大人のひとたちは自分の愚かさをよく考えてみてください。

2013-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20131203223926

よ、今日は専門外だけど飲んでたらオモシロイ話聞いたからタレコム

なお、聞いた本人に了承とったけど変に絡まれてもなんだから新規ソースゼロでお届けします。

発端

オレが言ったんじゃないぞ

opiegro32

太田ネタとかじゃなくて本当に腐ってるから太田が悪い!」とか言って茶化す風潮はやめてほしいなあ。本人の悪質さが薄れるだけだよ 2013/12/04

太田克史さんってのは、偉大な人だよ。

講談社メフィスト星海社。積み上がる実績そびえ立つ売上。

というネタで飲んでたのが発端で、

この対応ってあたりまえっちゃーあたりまえだよねー、ねー、みたいな話をしてた。

んでだ、ハタと思い至った。

これは、フーダニットハウダニットホワイダニットクローズドサークル全てが含まれているのではないかと。

結論から組み立てた気配のする小説を読んだ時の強烈な既視感が俺を(以下略

フーダニット

だれが、こんなことをしたのか。

そもそもだ、盗作定義ってのは曖昧だ。

ってのは、オレが書かずに既に書かれてるからそっち読んでくれ。

んで、「盗作ではない」という話でこじれてるのはなにか、という話なのだが、

一回ここをハッキリさせとこう。

  1. 裁判著作権)の話
  2. プライドの話
  3. ビジネスの話
裁判著作権)の話

はい、1番の裁判沙汰にはなりません。両者ともコレはハッキリ認識してる。

盗作定義ってのは曖昧で、そもそもアイデア法律保護対象にはならん。

具体的には『名探偵ドイル』であっても、訴えられて負けたりはしない。

映画ノベライズレベルで同じとかキャラクターが明らかに同じ(二次創作)で無い限り、

もうコレは相当に厳しい。

プライドの話

はい、2番のプライドの話がほとんど全てです。

パクられたと言っている古野まほろの言ってることは突き詰めると

「俺のパクったって言えば許してやるよ」

という事になる。

盗作じゃない盗作じゃないって言ってんのに何度も絡んでるってのは、変だ。

ほっときゃいいんだから

これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います

自尊心の問題なのよね。

俺を無視するな、と。

ビジネスの話

はい、3番のビジネスの話が絡むからヤヤコシイわけだ。

裁判沙汰にはならん、相手のプライドを傷つけてはいる。

そこで、どういう落とし所があり得るか。

コレなー、パクったって言うと、回収絶版ルートなんだよねー

ほれ、仁義とかスジとか浮世のギリってヤツ。

さてここで一つの問題が見えてくる。

ポイントは『イラスト大御所CLAMPを使っている』所。

星海社FICTIONS新人賞で、太田さんイチオシで、CLAMP

さあ、日程逆算は野暮だからやめておくんだ!

と、いう状況下で、メフィストデビューしといて他社に移籍した作家プライドを満たすために何かをするか?

ビジネス的にも問題になりそうなのは、目に見えている。

ハウダニット

いかにして、それがなされたのか。

コレも俺が言ったんじゃないぞ

brainparasite

星海社が著者の退路を全力で断ってる感がある。 2013/12/05

さて、高校生名探偵でって話をしようとして、CLAMP好きそうならどういう"学園"にするだろうか。

普通高校?そりゃ担任ボディーガードなら無くはないだろう。

ミッションスクール?まあマリア様は見てなくても考証が面倒だろう。

というか、高校ってのは中等教育機関から、そもそも「伝統的な」高校ってのは難しい。

私塾か、旧制中等教育学校か、大学予科か。

つうかぶっちゃけた話な、誤解を恐れずに言えば、

明治に諸列強と並ぶ国家にしようと、帝国大学を頂点としたピラミッドを作ったので、

教育機関ってのは、政府か、士族か、パンピーか、みたいな形になった。

慶應義塾福沢諭吉が立ち上げた時に、政府に対抗した中産階級教育機関を目指したのは、まあある意味で流れとしては必然だったのかもしれない。

閑話休題

まりだ、伝統的な高校で、軍閥のニオイを消しつつ権威を身に纏わせるには、サムライのガッコウってのは、オテガルなわけだ。

古野まほろ太田克史出身校とか考えると、このへんは興味深いね

実際に読むと判るけど、中村あきは清涼院流水系の、まあそういう芸風だ。

設定厨って言うよりは、真面目な顔した高校生が賢しらに推理合戦で謙遜しあう、あー、暑くてもぴっちり制服来てんだろうなーっていうそういう感じの話だ。

うっかり私塾からスタートして南洋研究機関を設置した島に移住してたら海軍に施設接収されたり学生総出で米軍に対向するようなおもしろ学園とは根本から違う。

絵は見えてる、書きたい内容もある、ではパッケージをどうしようって時に、誰と誰が相談する?

ホワイダニット

にゆえに、それがおこなわれたのか。

 別に新人賞オリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。

いやー、そうね。

見事に「設定」に関する話しかしていない部分を引いて来ている所にセンスを感じる。

ポイントはね、誰も筆力を話題にしていない所。

高校生で400枚書くのが凄い、という話はしている。

クサしているのは、平たく言えば「見た目」の話。

想像して欲しい。

大日本帝国って名前世界観で、子爵令嬢の依頼を受けた斬首死体に対面したり、瀟洒なホテルラウンジで酒かっくらったりするガキどもが右往左往するアニメと、

いちおうは現代社会の公立高校で、女子バスケットボール部の壁写真が無くなったり、体育館ジュース飲んだりするガキどもが右往左往するアニメと、

絵面で観た時に、似ているだろうか?

まり星海社にとって芸風というのは、読んで想像した絵面が似ているか否か、だ、

というか、いっちゃなんだがフツーはそうだろう。

完全無欠の生徒会長の号令一下、無理難題適当に片付けるって書くと「生徒会の一存」も「めだかボックス」も同じになっちまうが、読んで受ける印象は相当に異なる。

判り難かったらこう言い直せばマンガラノベに詳しくない連中にも伝わるか。

この4作品はいずれもアーサー・コナン・ドイルの描いた誉れも高き史上最高の名脇役がモトネタだけれども、見栄えはずいぶん違う。

勿論、それぞれコナン・ドイル卿には敬意を払ってるが、例えばそれぞれがそれぞれの作品をいちいち上げたりしているだろうか?

(なお、モンタナ・ジョーンズに関してはマルコ・パゴット絡みでセーフ)

星海社に限らず、新人賞ってのは、いちおうは「応募された作品から」って話になる。

ただな、すげえオモシロイとか、ものごっつ読ませるとかじゃ無え。出版できるか、だ。

んだがね、例えば新人賞が出てない回ってのもあるわけで、応募がゼロだったからじゃない。

ほいでだ、「出版すると設定がヤバイ」ってヤツがハイペースで原稿用紙を埋められるとする。

するってぇとだ、

新人賞ってのは、「審査員の考える出版できそうな作品」に与えられる。

別に要件がツマビラカになってるわけじゃねえから、当然応募側はよく判らんで爆死する。

じゃあ、「審査員の考える出版できそうな見栄え」を「見た目で落ちたヤツ」が知ることが出来れば

言ってみれば効率良く新人賞を通過することが出来るってスンポウだ。

クローズドサークル

ここは、ひらかれていない。

1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。

2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。

3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。

4.気づかれることを想定してのネットでの炎上狙い。

 イラスト大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。

はたしてそうだろうか。

中村あきのデビュー作、『ロジック・ロック・フェスティバルLogic Lock Festival〜 探偵殺しのパラドックス』の主人公は、『中村あき』だ。

古野まほろデビュー作、『天帝のはしたなき果実』の主人公は、『古野まほろ』だ。

や、京極堂だってオンナジだよ。猿は主人公じゃないだろ。

そりゃあいくら太田さんに縁の深いメフィスト賞たって、50回も近くなりゃあうっかり読んでない作品が合ってもオカシクナイヨネー

って、真顔で言えるだろうか。

そして、そんな作品がぽっと現れた時に、

太田さんが大きく関わる星海社でそれを見逃す編集者果たしているであろうか?

ミステリは、パズルである

すべては、めいはくでは、ない。

身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。

そーねー

さて、現実ノックスもヴァン・ダイン関係ねぇ。

登場人物はこれで全部で証拠も全て揃っているので、後は推理するだけでござい、とはならん。

犯人はおまえだ!」というセリフを一度は言ってみえてモンだが、そうもいかん。

しかしだ、状況を平静な目で見つめた時にだ、

小説を構成する主要素であるところのテーマプロットキャラクター

に、世界観だとか設定だとか、小道具の話が入ってないのは、弁護士相談した結果じゃねぇだろう。

誰が、どのように、何のために、「新本格推理小説出版したのかを考えると、

これが壮大なアングルで無い限り、まあ、ソウイウことなんじゃねぇの?

オレは「最前線編集長」を名乗る太田さんが耄碌したとは思わんな。

2013-11-19

夢と狂気の王国

観てきましたので感想を。

なんだろう、個人的には素晴らしい映画だったと思う。

作り手の優しさが溢れていてすごく素敵な時間でした。

でも僕が宮崎駿が好きだから、という理由がこの映画を楽しめた一番の理由だと思う。

映画としては果たしていい出来なのか、駿を、ジブリを好きじゃない人にも楽しめるのか。

そのへんはよくわからない。まぁジブリ好き以外は見に行かないと思うけど。

とにかく、僕は宮崎駿が大好きなのです。

あの喋り方が、咥え煙草のあの姿が、なによりあの笑顔が。

あんなに内に矛盾を抱えながら、それと向き合って70過ぎまで作品を作る。

どうしようもなく報われない行為のように見えるし、もうやめちまいなよって思える。

なんであんな狂った老人が、なんであんなに可愛く見えるんだろう。

なんであんなに愛おしく感じるのだろう。

あぁ、これはきっともう、彼に育てられたから、なのかもしれませんね。

風立ちぬの声を庵野さんにしようと言い出した時の周りのそれマジすか…みたいな空気と、

一人で楽しくなってきてる駿が、もう見ててたまらなく可笑しくて笑ってしまった。

途中で、そんなになんでもないシーンで、なんだか無性に泣けてしまった。

駿の姿が、周りのスタッフが、関わっている全ての人の愛情が溢れてるのを感じて、

なんだかそんな愛情をもらったような気がして、ボロボロに泣いてしまった。

スタジオジブリ宮崎駿を王とした王国システムから

きっと王が居なくと滅びるのは必然なのだろう。

自分の愛した王国が滅びていくのを見るのはとても辛いけど、

それでもこの王国と同じ時間を過ごせたことが、とても幸せに感じます

スタジオジブリの作品だけじゃなくて、きっとスタジオジブリのものが、

すごく良質なファンタジーなのだな、と思いました。

2013-11-12

期待インフレ率が高まれば強制的に引き締めが起きるって論理がまったく分からん

https://twitter.com/makotosaito_v3/status/278295239465254914

専門家として)社会必要インフレ目標ゼロ金利離陸後に導入すべき。ゼロ金利時導入では、期待インフレ名目金利の上昇で滞留日銀券を日銀が回収せざるをえず、大規模売りオペか準預高利付与で資金捻出(厳しい引き締め政策)する必要が生じるから

https://twitter.com/makotosaito0724/status/400035025648775168

金融調節で政策金利を誘導する状況と、貨幣市場の需給均衡で市場金利が決まる状況は、経済理論ではかなり前から厳密に区別されている。日本金融論の教科書がその区別無頓着だっただけ。ナンチャラ論争も無頓着の表れ。『金融技術の考え方・使い方』『NLAS マクロ経済学』では区別している。

インフレ期待が上昇すればタンス預金をしてたら勿体無いのでタンから日銀券が掘り起こされて、一部は消費に回され、一部は銀行に行くってのは分かる。

消費に回った分はその支払を受けたお店が、インフレ期待が高くなればお金のままでは持っていたくないのでやはり使うか銀行に持っていくだろうというのも分かる。

そして、消費者やお店から日銀券を持ってこられた銀行インフレ期待が高くなった状態では目減りする日銀券のままで持っていたくないので、最終的には国債投資しようとするだろう。

しかし、市場にある国債の量は銀行国債を欲しくなったからといって増えたりはしないので(他の銀行だって日銀券よりは国債を持っていたいのは同じ)、

銀行日銀券を日銀に返す代わりに、日銀の保有する市場に出ていない国債を貰おうとする、ここまでは分かる。

ここからが二重に分からない。

一つ目は、仮に日銀が、銀行から持ち込まれた日銀券と日銀が持っている国債とを交換したとして、確かに売りオペが起きていることになるがこれは引き締め効果を持つのか?という点。

銀行タンス預金から蘇って持ち込まれた日銀券を国債と交換しているが、これによってどこかの企業にしていた融資を回収にまわったり、あるいは予定していた融資を減らしたりする必要はない。

まり経済活動に直接的なネガティブな影響は起きていない。

また、銀行による国債への需要増に応じた分だけ日銀国債市場供給するに留まるので、国債価格低下(金利上昇)ともならない(なる必然性がない)。

インフレ期待の上昇にともなう国債価格低下(金利上昇)は起きるだろう。垂直な市場への国債供給曲線に対して需要曲線が左シフトする。それはタンス預金やそれの日銀による回収とは関係なく起きることである。)

まり金利を通じたネガティブな影響も必然ではない。

上記の話は、日本銀行バランスシートが縮小することを嫌って準備預金の付与金利を引き上げて対処した場合も基本的に同じである銀行融資を減らしたりすることはない。

二つ目は、そもそも日銀は、銀行から持ち込まれた日銀券と日銀が持っている国債とを交換する義務があるのか?という点。

日銀銀行から国債を売ってくれと言われた場合に、果たしてそれに応じる義務はあるだろうか。無期限の負債であるというのが、日銀券の大きな特徴なはずだ。

確かに市場価格は大切だ。日銀市場価格乖離した高い値段で国債を購入することには問題がある。利益供与行為だ。しかし、日銀市場価格を提示されたからといってそれで国債を売らなければならない義務はないはずだ。

日銀銀行券を引き受けてくれないとなれば(日銀券と国債の交換に応じてくれないとすれば)、銀行インフレ期待が高くなった状態では目減りする現金を持っていたくないので、何らかの形で使うしかなくなる。

そして、それを受け取った人も同じくそほとんどを使うしかなくなり、そしてまたそれを・・・と続くことになる。いわゆるホットポテト効果である

最終的には経済活動が活発となってそれによりGDPが増え、取引需要が増えて必要とされる日銀券の量が増え、タンス預金から蘇ってきた日銀券が普通に需要されるところまで経済規模が拡大することになる。

このようなケースでは、厳しい引き締め政策となるどころか、タンス預金存在は非常に景気刺激的なものとなる。

確かに、この二つ目のケースは危険をはらむ。タンス預金から蘇ってきた日銀券が普通に人々や企業に持たれるほど取引需要が増えるまでGDPが上昇する前に、供給力が限界になるパターンが考えられるからだ。

この場合インフレが昂進するだろう。しかし、これは経済が活況過ぎるということなので引き締め策が求められることになること自体には何ら問題はない。

問題があるとすれば、インフレ期待の上昇にともなう国債価格低下が大きくて、売りオペを十分にするだけの見合いがないという点になるだろうが、

これは滞留日銀券を日銀が回収するための大規模売りオペが厳しい引き締め政策になってしまうという議論とは明らかに異なる。引き締めが出来ないという問題だからだ。

しかも、滞留日銀券にともなうその問題を抑えるだけなら、銀行融資抑制したりしない日銀券と国債の交換という一つ目のパターンを重視するだけでいい。

うーん、期待インフレ率が高まれば滞留日銀券の日銀還流強制的に引き締めが起きるから、利下げでその影響を相殺できないゼロ金利時には期待インフレ率を高めるな、って論理はまったく分からん

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん