はてなキーワード: 復讐心とは
アッ違う誤解しないで
自分が殺したいと思ったのは両親だけで世間一般の人・親には正直言って興味もなかった(世界の全てが親だった)
ヘイト全開ミサンドリスト達に共感を抱くのはその憎しみで突っ走ろうとする復讐心の塊みたいな姿や憎しみの対象への言葉の投げ方だけで
まあ敢えて評価するなら彼女たちが男全体に復讐しようとする態度に関して一概にイカれてるとも思わないけど
多分その人にとっては対象を拡大させているつもりはないというか
最初の時点で「男」という総体が敵でそれ以外の答えはどうでもいいんだろうから
親をアメリカ人に殺された人がアメリカそのものを憎むようなものじゃないか
その回路単体は激ヤバでもないでしょ
一つ大きく思えるのは単に当時自分が若かったからで生徒生活・学生生活に支障をきたしていたからと、居場所が出来てしまったからだ。でも低能先生氏にも年齢を考えれば多分ゼロ年代インターネットにいたはずだし居場所の一つくらいはあったんじゃないかと思う。じゃあ更生できたかどうかの違いはなんなのか。それは多分、彼がいわゆる無敵の人で生活に支障をきたすもクソもないから止まれなかったからとかそういう事には無いと思う。
単純に脳が破裂しそうで物理的に辛かった。そして鬱病で死にそうだった。だからやめた。自分は今でも顔の見える煽りが怖い。本当に怖い。そこでラップみたいとか言及してる有象無象はどうでも良いんだが今でも顔の見える人間(顔ってユーザーidとかのことな)に煽られるのが本当に怖い。未だに復讐心で壊れそうになる。マジで勘弁してほしい。怒りで頭が破裂しそうになるのが本当に辛いんだよ。煽られた瞬間の条件反射で何週間も引きずるから辛くてそういうサイトを使用するのを徹底的に避けてた時期もあった。やっぱり鬱病が一番大きいと思う。鬱病じゃなくてもなんでも良いけど、死を感じるくらいの大病。
あの時のことを今でも覚えてる。大学何年生かの時に(大検で入ったよ)、酷く理不尽な理由で教授に怒鳴られた。それだけで2週間が一瞬で過ぎた。2週間、頭の中はずっとその教授をどうやって殺害するかという事でいっぱいだった。[ここにどうやれば無罪で殺せるかの当時の妄想が垂れ流されていたのだけど流石に恥ずかしいので消してから送信することにする]。たった一回怒鳴られただけで頭がずっとぐーるぐるぐーるぐる。2週間ずっと。辛いんだよ。何が辛いって実行に移すほどの能力も無いチキンだから辛いんだよ。だからずっと怒りで頭が煮え滾って壊れそうになる。解放されるにはたった1回怒鳴られただけで2週間耐えるか、相手を刺し殺すかしかない。それでもうこういうの無理だなって思ってインターネットで積極的に人と関わるのをやめた。当時既に鬱病がかなり進行していただけで、別に更生したんじゃなくて単に体が保たないから続けられなくなっただけだった。それに自分は運良く当時の2chという場所的にも年代的にもどう足掻いても相手の素性が知れない本当のanonymousの中にいてそこでいじめられっ子としての刑期を終えていた。だけど今でも激情的な性格は残ってしまっている。自分がもし低能先生氏と同じことを続けていたらいつか自分も刺してたと思う。自分は運が良かっただけ。
人生の何処かで重い鬱病になって頭マジで壊れそうになってたら死が怖すぎて脳がそれ以上壊れそうな事は低能先生もしなくなっていたかもしれない。何か疾患を抱えている人なら分かってくれるかもしれないけど、体の内側から忍び寄る死って本当に怖いんだよ。言葉になんか出来ねえよ。刑務所や死刑なんかよりずっと怖いよ。小さい頃からずっとやってた事や、復讐なんてどうでもよくなるくらい、自分の過去なんて全部どうでもよくなるくらい、もうあと1時間生きてられたらどうでもいいって思えるくらい、この苦しみから解放されるならもう何を捨てても良いってくらい、脳がそれ以上壊れるのが怖かった。病気は頭と心臓に近ければ近いほど怖い(他の疾患を抱えている人がご不快に思われたら申し訳ない)。単に激情的なだけだったら自分もやめてなかったと思う。
結論をこの行に書いてしまうと自分みたいな人間が更生する方法は頭か心臓の病気になって自分の激情的な性格に物理的に耐えられなくなる以外に自分は知らない。
そもそもどうして低能先生はこんなに増田に執着していたんだろう。
なんで1日にIDを3回も5回も取り直してまで投稿を続けていたんだろう。
どうして自分を罵倒する相手に対してバカ丁寧に返信を続けていたんだろう。
こんな意味のわからないキチガイがどうして生まれてしまうんだろう。
その歪んだ動機を理解しない限り同じ様な事件が二回起こるのを防ぐのは無理だと思うし、何をやっても徒労に終わるだけだと思う。
自分は昔、低能先生と同じことやってたから、その気持ちが少しだけ分かるんだ。想像の範疇でしか無いし、この後あるであろう供述と全然違ってたらそれでいいんだけど、彼のことについてあれこれ考えている人がいて、仮にその助けになれたら幸いに思う。
中学生の頃、2chの某スレに張り付いて1日100回近く書き込むのを年単位で続けていた、あるいは某ネトゲのSNSにずっと張り付いて毎日顔真っ赤にBBS戦士をやっていた、小学校で引きこもりになって高校は中退して今はヒキニートやってる惨めな人間の昔話。
結論から言えば、「いじめられっ子がインターネット上に自分が昔いじめられていたのと同じ教室を作り出してかつてのいじめっ子も創出して彼らを苛々させる事で昔のいじめっ子に対する歪な復讐を続けていた」以上の話は無いと思うんだ。それだけで彼の異常な執念も奇妙な行動方針も殺人に至った経緯もその対象がhagex氏だったのも全部当然の結果として出てくることだと思うけど、まぁいいや、説明のために昔実際にあった似たような事について少し話させてほしい。
某スレにほぼ同一の内容を書き込むのを最初は1日に30回くらいのペースで始めてから、1日何件か反応があった。でもそれは全部、「なんか変なの湧いてんなぁ」みたいなもので、自分が求めてたものじゃ全くなかった。当然のなりゆきとして自分はすぐに無視されるようになった。
それでも1週間くらいだったのかな、まぁとても短い期間だったと思う、どんなに勢いが速くったって1日に30回以上も同じようなレスを続けてたら自分の存在がスレ住民に周知されるには早いものだった。
スレッドが自分を起点にして勝手に荒れ始めていった。自治厨達がNGしろと言い始めて、それを見て面白がって自分にレスをつける奴がいて、自治厨達が憤慨している中相変わらずのらりくらりとまるで何の話も起こっていないかのようにいつもの調子でレスし続けて、当時の人生では一番楽しい時間だった。でもそれはスレッドを荒らすのに成功したからなんて楽な理由じゃなかった。一個だけ絶対に守っているルールがあった。それは「延々と書き込み続けるけど自分からは誰にもレスしない、どんなに腸が煮えくり返ってもレスしない、でも自分にレスが来たら肯定的であれ否定的であれ絶対に返信する」という決まりごと。なんでそんな意味不明な事が大事なんだって思うかもしれないけど、いじめられた経験しか無い自分みたいな人間なら分かるんじゃないかな。
そもそもどうして他人を苛立たせるような行為をするのかって、そんなの学校でいじめられた人間はそうなるからに決まってる。あの時の復讐をどうにかして果たしたいからに決まってる。でもいじめっ子はもう目の前にいない。じゃあどうすればいいのか。作ればいい。
「世界の人間は誰もが自分を蛇蝎のごとく嫌うはずだ」という強烈な信念を幼少期に植え付けられているせいで、自分が嫌われていないという世界が想像すら出来ない。自分が嫌われていない空間から不安で逃げ出したくなる強迫性障害まで抱えるくらい、いじめられっ子の心は酷く歪む。だからそれを再確認するために、「自分はいじめられているはずだ」という信念の側に世界を補正するために、他人が苛々するような事を書き続ける。そして「存在しているだけ」の自分に危害を加えるいじめっ子と同じ存在を大量に自分で作り出して、自分は言葉でしか反撃しないし自分から危害は加えないという酷く奇妙な正義を伴った行動方針に従って、そして現実の教室とは違ってレスの記録が全部残るから、「自分は何も悪いことなんてしていないし最後まできちんと言葉で言い返しているのにあいつらはみんな逃げるか通報して垢BANするなんて野蛮で低脳な手段しか知らない」という歪んだ形の勝利を収める。
そういう動機。
凄く幼稚なことだと思う。そうなんだ。幼稚なんだよこれは。でも実際こういう人間っていうのは発生してしまうものなんだ。自分もそうだったし一歩間違えてたら低能先生氏と同じようになっていただろうと思う。というか昔同じことやってたし。
いじめられて学校を辞めた奴やいじめられる側しか経験しなかった人間っていうのはその歪んだ価値観と顔も名前も覚えてない同級生への復讐心だけを脳味噌の全部にされたまま小学生の心を抱えて残りの生涯を何十年も惨めに過ごすんだ。
大昔に学校の教室で受けた怨みを、学校の教室と似たような空間を見つけて、あるいは作り出して発散する。その仮想教室の広さは、デカければデカいほどいい。自分をいじめていた人間たちがひょっとして増田ユーザーになっているかもしれないし、どの道、自分をいじめいてた奴らと全く同じ様な人間が歯がゆく苛つき続けているのは最高の愉悦だから。
ちなみに、該当スレッドでは自分に非常に侮辱的な通称がつけられた(いや最初につけた人間は愛称のつもりだったらしいんだけどさ)。低能先生氏がその侮辱的な通称を全く気にしていなかったどころかそう呼ばれるのを喜んでいたのと全く同じように、自分はその侮辱的な通称をとても気に入った。他人から侮辱的な名前をつけられて呼ばれるということは、そっくりそのまま自分を虐める人間が苛々してくれているという事の裏返しだから。いじめっ子に対する復讐になるから。通称は侮辱的であれば侮辱的であるほど良い。苛々してそんな風に呼んでくれるだなんて本当にありがとう。
これは本当に憶測になるけど、彼がそもそも「低能」という罵倒を使い続けたのは、匿名ダイアリーでありながら自分を特定個人として認識できるようにする意味合い以上に、そのワードで自分に侮辱的な名前をつけさせて相手を見下すという物凄い歪んだ動機がどんなに無意識的にでも少しはあったんじゃないかと思う。
これはいじめられっ子の歪んだ復讐で、この時点で物凄く歪んでいるんだけど、更に歪んだ、いじめられっ子の側が絶対に犯してはいけない、自分で遵守しなきゃいけない、絶対的なルールがもう一つあるんだ。
教室の中で存在感を高めるように大量にpostし続けるし、自分にレスした人間にはそれが肯定的なものであれ否定的なものであれ絶対に返信をするけれど、その代わりとして、「自分にレスしない無関係な人間には絶対に危害を加えないこと」。これは守らなきゃいけない。
「自分に勝手に苛々しているのはお前。人に勝手に苛々して危害を加えるような人間は全部邪悪。自分は邪悪ではないのでレスバトルは醜いけど無関係な人間には危害を加えないからまだ高尚」という信念を貫くのが何より大事。たとえその「勝手に苛々しているお前」が実際には自分を除いた全ユーザーであっても、全ユーザーが苛々する状況を引き起こしているのを自覚していても、あくまで勝手に読まれて勝手に苛々されて無視することも出来ないで勝手にレスをつけてくれるのが大事。容姿や行動が気持ち悪くて教室でいじめられるって本当にそういう事だから。そして一回でも自分に危害を加えたなら先にやったのはそっちだからその後いくら粘着しようと悪いのはお前。心から謝るまで絶対にやめない。
マジですっげえ惨めだけど、その程度の惨めさなんて現実の惨めさと比較したら全くどうでも良いくらいの人間だからそんな行動に走るんだ。少なくとも自分はそうしてた。低能先生がどういう方針だったのかは知らないけど、まぁ多分1回でもはてブのコメントで煽られたら標的にしてたんじゃねえの。
それでなんでhagex氏が殺害のターゲットに選ばれてはてなの人間まで殺されそうになったのかって話なんだけど、いじめられっ子は心の中でしか復讐しないし、出来ない。言葉で言い返そうとしたのに相手はきちんとした返答をしないで馬鹿にしたり殴ったりしてきた、あいつらみんな馬鹿だ、そういう価値観がいじめられっ子の根底にある。無視するどころか発言する機会を奪う人間はただ嘲笑する人間よりも遥かに最悪に映る。ましてや通報するのを助長する記事を書く人間なんて、彼の目には殴って口を塞ぐいじめっ子と本当に同じように映っただろうよ。hagex氏が選ばれたのは偶然でも適当でもないんだ。彼は低能先生氏から言葉を奪う行為の手助けをしたんだ。
集団通報で垢BANを続けるのは、人を殴って黙らせるのと全く同じ行為なんだ。いじめられっ子の目にはそう映るんだ。そして殴られながら心の中で醜悪に笑っている。こいつらは言葉で言い返せない頭の悪い人間だから垢BANするしか出来ないんだって。
低能先生氏にとって、垢BANされ続けたのも正直愉悦だっただろうさ。ああ、やっぱりこいつらは殴るしか出来ないんだ、そして俺は基本的に言葉で返信を続けているし、最悪殴るときでさえ報復しかしないから偉い。IDコールであれ、粘着的にトラックバックをつけるのであれ、罵倒されたのだから当然のものとして言い返すだけ。あっちから勝手に罵倒してきて言い返しているだけなのに集団通報をして言葉以外の手段で排除しようとするいじめっ子なんかより出来るだけ言葉で話を続けようとする俺の方がずっと高尚で偉い存在だ。
なあ、実に惨めだろう。でもいじめられっ子ってそういうものなんだ。自分がそうだから分かるよ。
そうやって歪んだ復讐を続ける事が自分の人生に折り合いをつけて自殺も犯罪もしないで生き続ける最後の支えだったのに、hagex氏が「通報するとほぼ即BANに近い効果がある」という事を広めてしまってから、低能先生氏が最低限まともに発言出来ると思えるラインを越えてアカウントがすぐに削除されるようになってしまったのだろう。(hagex氏の該当記事には「低能先生です」とだけ書いて通報したら3分でBANされたってまで記述まであるしな。)現実どころかインターネットの上ですら言葉を奪われた。現実に最早存在しない彼にとってそれは殺されたのと同義だっただろうから、同程度の報復として殺害を選ぶのも十分想定される成り行きに思われるし、殺害後すぐに出頭したのも、どういう経緯であれ言葉でなく手を出す地平に落ちてしまったからには自分も報いを受けるという彼なりの義理を貫いたのだろう。死刑にはなれないだろうし、自殺しておいた方が良かったと思うが。あるいはインターネット上で既に殺されているのだから当然の報復を行ったまでで出頭してる分だけまだ偉いとか思ってるかもしれない。
hagex氏の記事がどの程度アカウント削除に効果があったのかは、分からない。だけど低能先生氏にそのように映ったのであればそれだけで復讐の対象になるには足る。
なあ、真面目な話、「匿名ダイアリー」の名前を冠したサービス内であるにも関わらず、「発言内容が特徴的なため同一人物に思われる、発言回数が多いだけの個人」を、その発言内容の如何を問うたり口できちんと言い負かすのでなく集団で通報して口を塞ぐなんて酷い行為を正当化出来るか?自分には出来ないと思う。確かに彼が垢BANされたのは彼が規約違反に相当する暴言を繰り返していたからだが、「低能」って言った程度で垢BANされるってんなら一体何%の増田ユーザーがBANされないで済むってんだ?はてなサポートは低能先生氏に同じくらいの暴言を投げかけたユーザーのIDはきちんと平等にBANしていたのか?低能先生も恐らく通報していたんだろうとは思うが、その通報にはちゃんと同じレベルで応えてたのか?「低能」でBANするからにはバカとか死ねとかでもちゃんと全部BANするんだよな?というか、BANし続けてきたんだよな?まぁ全部してこなかっただろうし、そもそも出来ねえよな。知ってるさ。だって低能先生氏の罵倒と同レベルの発言を行っただけでBANするようにしたらこんなサービス誰も使わなくなるからな。別に低能先生氏に限った話じゃなくここいつ見たってマジで罵詈雑言ばっかりじゃねえか。それにも関わらず殆どBANされない。だけど低能先生氏についてだけはユーザーの大多数からの通報があったから特例としてBANし続けた。結局はてなは、自分たちのコンテンツの存続のために、自分たちの利益のために、一人の個人を不当な基準でBANし続けてきたってわけだ。正直この件はどうやってもはてなサポートと増田ユーザーが連携した極めて悪質なネットリンチにしか見えないしましてやそれを加速させたhagex氏には微塵も同情できない。
第一なぁ、人の発言機会を奪うのに加担しておいてなぁ、立派な当事者になっておいてなーにがネットウォッチだよ。それとも「僕は単に低能先生って書いて通報するだけで凍結してくれるって記事を増田じゃなくてはてブロにpostしただけですよ~」って建前で第三者のウォッチャーだって言い張ってたつもりだったんだろうか?もう同レベルの人間達が子供じみた喧嘩してて一方が数の暴力と非常に陰湿な方法で相手から言葉を取り上げるのに成功したから報復として一人刺されただけだよこんなの。学校の教室でいじめっ子が刺されたのとマジで何が違うんだよ。あとhagex氏の普段の芸風もちょっと見させてもらったけど本当に同情のしようがないわ。普段からこんな発言繰り返してる奴に垢BAN速度加速されてトドメ撃たれたんならそりゃ刺すわ。いじめられっ子なんて何十年経っても根に持ってるくらい怨み深い人種なのに大昔に1回言及しただけだから自分は標的にならないだろうと思ってリアルで公演するなんて馬鹿じゃねえの……。
そしてhagex氏の死の責任の所在がどこにあるかと言われたら、間違いなくはてな、特にBAN方針だと思う。
低能先生と同レベルの罵倒が跋扈してるこの場所で、特定の個人を狙い撃ちして垢BANを続けて、恐らくは低能先生側からあったはずのBAN要求には全く応えず、ネットリンチに加担したはてなの運営だと思う。
こんなサービスをやってる時点で低能先生みたいな人間が遅かれ早かれ出現するのは止めることが出来ないし、現れたが最後、5chと違って完全に野放しというわけにもいかない。5chは個人情報とかについては発信元開示や削除を簡単に行ってくれるけど、暴言や誹謗中傷、名誉毀損について対応しなくて済むのはいくら訴えられても困らない体制だからだ(管理人がひろゆきじゃなくなった後にどうやって訴訟や賠償金を逃れてるのかは知らんが)。暴言や精神的被害程度を理由に発信者情報開示請求をされたくらいで何かしら対応しなきゃいけないような国内の企業がこんなサービス始めた時点でこういう事がいつか起こるのは当たり前だし、というかもっと言うなら低能先生氏は年単位であんなことやってたのにのらりくらりと適当に特定個人を狙い撃ちにした垢BANだけして他の罵詈雑言は放っておいて、その間に当然行うべきだったBAN方針をより明確にする、低能先生氏を訴える等の処置を全くしなかった。まぁどっちもできねえけどな、繰り返しだけどやったら誰も使わなくなるから。そんで今回はhagex氏がたまたま垢BANを加速させたから身代わりに死んでくれたが、これじゃどの道はてな社の人間が誰か死んでただろう。結局今回の件で人死に出した原因はお前らだよ。あぁ、これがはてなへの名誉毀損になるっていうんなら訴訟でもなんでもどうぞ。事実でも名誉毀損は認められるから。
増田を使ったのは初めてだったのだけど、こんなにも「忙しい」ものだとは思わなかった。
調子に乗って色んなエントリ投げたら全部トラバがついてるか確認しなきゃいけないし、トラバがついていたら返信しなきゃいけない(これは自分がちょっと他のサイトの文化に染まりすぎているのかも知れないけど。そしてこれは本文とは関係ない)。
部外者の自分がこれ以上書いても仕方ないと思うし何より時間が食われすぎるのでこのエントリからは退散します。もう流石になんか1個勝手にわちゃわちゃやってるの以外はトラバつかんと思うけど、万が一ついたら返信は多分します。
オタク女の合理的な婚活という本を読んだ。最初は合理的な婚活ってなんだろーと思って読んだが、全然合理的ではないしこの本ではただ婚活状況をダラダラ描いているだけだった。
作者はDinks (Double Income No Kids 共働き・家計別・子供なし+別居希望)という奇跡的な、現行の結婚制度のいいとこ取りだけをしたいという条件の元婚活を始める。
一人愛称が”僕"な時点で痛い作者なのは明白だが、まず読んで一番に思うのはこの作者の異常なまでの男に対する対抗心・復讐心が透けて見える事だ。とにかく婚活で出会う男を自分勝手で些細な理由でバッサバッサと切り捨て(切り捨てられ)、全く婚活が進まず巨乳で仕事が出来て美人な「わたしがかんがえたさいきょうのあねご」に説教され慰められる。
キラキラキャピキャピ婚活女子と自分は違うとアピールしたいのか、婚活で知り合った男性と恋愛関係にならず朝まで熱くオタ話語っちゃいましたエピや、理系男子から気があうねと言われるエピソードなど、とにかくサバサバ系女子アピールがすごい。謎の上から目線で男を切り捨てるわりには、相手から好意を向けられると何かと相手に難癖をつけ、あなたは私には合わないと拒否する。育った環境がかなり特殊で婚活よりも何よりも男に頼りたくない、頼ったら自分の負けという感覚でしかないのだろう、作中で「男に負けたくない、許さない」という言葉が出てきて、この人は別に結婚がしたいわけではなく、将来のための身元引受人が欲しいだけなんだなと思った。
この作者の一番の問題点は、相手には自分の全てを受け入れて許して愛してほしいけど、自分は相手には何もしてあげないし、したくもないというのが見え見えな所だと思う。
今時、別居婚や週末婚、共働き子なし家庭なんて珍しくないし別に当人たちが納得してそうしているのならいいけれど、この人の婚活は婚活ではなく結婚して世間を見返したい、男に頼らず自立している私凄い!しか見えて来なくて不快感しかなかったです。
攻撃的自己表現は、非主張的自己表現と対照的に、自分の言い分や気持ちを通そうとするものです。例えば「言い放しにする」「押しつける」「言い負かす」「命令する」「操作する」「大声で怒鳴る」などは、攻撃的自己表現です。
ただ、攻撃的自己表現にはこのような明らかに「攻撃的な」表現もありますが、そうでないものもあります。ハキハキと表情豊かに自分の意見を述べているように見えるとき、丁寧で優しい言葉や態度でおだてたり甘えたりしているときでも、自分の思い通りに操作するとしたら、攻撃的自己表現にあたります。雑談での「押し付けがましいダメ押し」や「不必要な一言」なども、優位に立つための攻撃的表現といえます。
セクシャルハラスメント、パワーハラスメントなどは、攻撃的自己表現の典型的な例です。相手の同意や善意に依存し(つけこみ)、自分の発言を通すことにばかり気を取られ、相手の反応は無視/軽視する自己表現です。
攻撃的自己表現では、自分が正しいかのように言い張り、相手を黙らせようとしたり、同意させようとしたりします。自分と異なる意見やものの見方に耳を傾けようとせず、雑音、異物、脅威ととらえて無視、排斥しようとすることもあります。
このような表現をしている人は、一見堂々としているように見えますが、どこか防御的で、必要以上に威張ったり強がったりしがちです。
結果としてたしかに意見は通るのですが、本人が後味の悪い思いをすることも少なくありません。自分の言い分が通れば、一時的には満足感も覚えますし、優位に立って勝った気分になります。しかし、そんなことを続けていると、利害関係で付き合う人は周りに残るでしょうが、それ以外の人々には敬遠され、孤立することになります。
先に非主張的自己表現で我慢を続けた末にキレることがあると述べました。そのようなケースは、普段は非主張的自己表現をしてきた挙句、いきなり攻撃的自己表現の方に大きく針が振り切れて爆発するケースと考えることができます。
権力や権威のある立場の人、知識や経験が豊富な人、役割や年齢が上の人は、このような攻撃的自己表現を無意識のうちにしてしまいがちです。また「地位や年齢差、権威などによって人権は左右されるものではない」ということを理解していない人、常に自分が優先されるべきだと考える人、自分の思い通りに人を動かしたい気持ちが強い人がとりやすい言動です。攻撃的態度を向けられるのは、部下や弱い立場にある人、子供などです。
この攻撃的自己表現も、先の主張的自己表現と同様に、二つの心理と繋がっています。一つはその人自身の心理、もう一つは社会的・文化的背景による心理です。
まずその人自身の心理です。例えば自分の考えは正しい、優れているという思い込みや、自分の言い分を絶対に通したいという欲求、あるいは自分の考えや気持ちが通らないことへの不満といった心理です。
注意すべきことは、この攻撃的自己表現も、非主張的自己表現と同様に実は、相手に依存し甘える心理に繋がっているということです。
すなわち、社会の常識や習慣から無意識に「攻撃的」になり、社会や組織でそのことは許容されていると思い込んで、無自覚なまま、さらに権威、権力、地位、役割、年齢差、性差などを利用して自分の意見を通すために相手を操作してしまうのです。
例えば上司が部下の事情を無視して休日出勤を押し付けるとか、親が子供に怒りをぶつけるとか、立場が弱い人に対して相手の反応を待つべきところを一方的に命令するなどのケースです。
攻撃的自己表現が習慣になると、他者の従属的態度や支えなしには自己を維持できなくなっていきます。挙句の果てに、周囲からは横暴で自分勝手な甘えを撒き散らしている人と見なされていきます。その結果、先に述べたように、いつのまにか孤立を招いてしまうのです。
攻撃的な対応をされた相手は、不本意な行動をとらされ、軽く見られたとか、人格を無視された、馬鹿にされたという気持ちが残るでしょう。その結果傷つき、恐れて、相手を敬遠したり、怒りを感じて復讐心を覚えたりするようになるかもしれません。
あるいは、相手も攻撃的自己表現の強い人の場合は、自己主張の押し付け合いや喧嘩が起こり「勝ち負け」の人間関係になっていくでしょう。
いずれにしても、対等で親密な人間関係や、安定した人間関係を築くことは難しくなっていきます。
ここまで述べてきた二つの自己表現のタイプ、非主張的自己表現と攻撃的自己表現は、ともに年齢や地位の差、権威や力の差、ジェンダー・バイアス、差別意識などの強いところで無意識のうちに使われがちです。この二つのタイプは、凹凸のような関係とも言えるでしょう。
非主張的自己表現では、弱い立場の人が強い立場の人の攻撃的態度や表現に屈することになり、ストレスを蓄積させ、心理的不適応を抱えることになります。
一方、攻撃的自己表現では強い立場にある者が弱い立場にある者の弱みや善意を利用することになります。利害関係のあるところでは、弱いものいじめをしながら自分を支えることができても、そのうち周囲から敬遠されていくでしょう。
先に、非主張的自己表現の傾向の強い人が突然キレる例をあげました。誰でも状況や相手によって両方の自己表現が出てきますが、「非主張的自己表現」と「攻撃的自己表現」が交互に現れる人もいます。例えば外では言いたいことは言えないのに家では暴君の内弁慶タイプ 、DV で妻をいたぶる夫、不登校児の家庭内暴力などです。
聞いてほしい。
はてなー達の思考や言動は、次の2項3軸、計6つに分けられると思うのだ。
偽 ⇔ 真
悪 ⇔ 善
醜 ⇔ 美
これらを順に説明したい。増田であれ、ブクマカであれ、おおむねどの項目にも思い当たる人間がいることだろう。
はじめに「真」なるものの対極を考えよう。すなわち「偽」である。
あなたが他人を「偽」に導く傾向があるならば、あなたはソフィスティカルなのはの一派に属する。
あなたは圧倒的な説得力と拡散力を持って、嘘の情報を流通させることができる。
嘘の内容は、人や社会の行く末を左右する重大なものかもしれないし、身の回りの出来事のレベルに留まるかもしれない。
注意しなければならないが、本来ここに分類されるのは、意図して人を騙す者のみである。しかし「真」なるものを志向していても技術が不足すれば容易に「偽」に転じてしまう。
あなたがどの立場であろうと、何をもって真偽の判断を下すのかは慎重に考えるべきだ。
あなたがこの立場にいるならば、真理を主張するためには相応の技術、忍耐、慎重さ、そして誠実さが必要であることをあなたは知っている。
荒唐無稽な意見を見ても傾聴せよ。正しいのは相手の方かもしれない。
不快な放言を投げかけられたら自省せよ。あなたに見えていない真実を相手が見ているかもしれない。
あなたの考えが論理的であればあるほど、第三者からの攻撃には弱くなるだろう。それが論理の本質である。
真理に至れるのは、自身のその弱さに、そして弱いままで居続けることに耐えられる者だけなのだ。
それは利得のためかもしれないし、偽善者の自己欺瞞を白日の下にさらすため、あえて露悪的に振舞っているのかもしれない。
あるいは、純粋な復讐心に突き動かされているのかもしれない。はたして、苦しみに満ちたこの世の中で悪意を抱かずにいることは可能だろうか?
どちらかといえば、あなたの拠り所はあなた自身の中にある悪意であり、それをぶつける相手を具体的にイメージしているわけではないことが多い。
ただ、あなたが好むと好まざるにかかわらず、あなたの悪意は周囲に伝染し、永遠に新たな悪意を生み出し続けるだろう。
しかし場合によっては逆説的に、同じ苦しみを持つ人を慰める結果となるかもしれない。
あなたのあらゆる行動が、そしてあなたが取らなかったあらゆる行動が、常に無数の可能性を生み出し続け、あなたはそのすべてに責任を持とうとするからだ。
善悪の判断は何よりも難しい。あなたは悪を滅ぼすことこそが善だという考えに与するかもしれない。
あるいは、悪の敵は別の悪だと考えて、ひたすら悪から距離を置こうとするのかもしれない。
場合によっては、あなたはあえて深く考えず、ただ素朴に善くあろうとするだけかもしれないし、それが多くの人を元気づけ、本当に世の中を善くするかもしれない。
人をあざ笑ったり馬鹿にしたりすることを是とするあなたは、シニカルなのはの一派だ。
エビルなのはと異なるのは、相手の醜さと愚かさを強調し、相手を否定し不快にさせることを最も重視するという点である。
あなたの攻撃は的確に相手の精神と発言力を削り、場合によっては再起不能にし、ひいては社会をも動かすかもしれない。
あなたがこのような行動に出るのは、あなたの信じる正義のためかもしれないし、他の理由かもしれない。
あなたの言動は多くの人間の気持ちを代弁することとなり、非難と同時に多くの支持をも集めるだろう。
また皮肉や罵倒の技術を高めた者同士の口論は、一種の高度な格闘技の様相を呈し、見る者に活気を与えることになるかもしれない。
感傷を、情緒を、時にはユーモアを、快く美しい言葉を紡いで歌い上げることだ。
真偽や善悪がいったい何になるだろうか。よしんばそれらが重要だとしても、それはあなたの仕事ではないのだ。
美しければそれでいい。
その美しさは力となり、様々な効果を生むかもしれないが、それはまた別の話である。
以上の分類は、複合・派生・細分化によって新たな分類を生み出しうる。エコノミカルなのは、テクニカルなのは、フィジカルなのは、などが代表例だろう。
他にも、ケミカルなのは、トロピカルなのは、マダガスカルなのは、なんてのもいるかもしれないが、このへんの人達の行動原理は不明である。
さて、いうまでもないことだが、もっとも知名度が高いのは「リリカルなのは」である。検索すれば分かるだろう。
しかし実態が知名度に追いついているとは到底言い難い。過去に栄華を誇ったかもしれないが、それは過去であり、今ではないのだ。
今こそ、リリカルなのはの再興が待ち望まれているのではないだろうか。それなくして、未来は暗い。
お分かりいただけただろうか。
(追記)
「それぞれに理由がある。」というブコメがうれしかった。大喜利要素で茶化しちゃったけど、ほんとはこれを言いたかった。(「偽」の項の理由がちょっと足りなかったのは失敗。)あとリリカルなのはが好きなのは本当です。
ハリウッドに端を発する #MeTooで提起されている問題の中核部分が
であることは、主張者・賛同者一人一人に聞いても「その通りだ」と言ってもらえると思う。
まさか、「権力・強制力とは関係なく、いやらしいジョークで不快にさせられた」程度のことではあるまい。もしそうだというなら、本家の運動と照らし合わせる限り、それは今回の#MeTooとは別のものだろう。
発端となったアメリカ映画界のケースは、"W"なる人物による被害をこれ以上広げないという意思も含めた「緊急避難」として告発を行ったという意味合いもあろかと思う。
法律の外だけで社会的抹殺を行おうという動きではない。きちんと訴訟も行われている。
[ハリウッドのセクハラ騒動:ハーベイ・ワインスタインに関する訴訟はどうなっているのか(猿渡由紀) - 個人 - Yahoo!ニュース](https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20171128-00078657/)
メディアを利用した社会的告発に対しては、相手方から名誉棄損などで訴えられる可能性もある。また、復讐心に基づく私刑(リンチ)ではないことを示す必要もあり、訴訟行為は当然と思える。
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASL131P4HL13UHBI001.html(「もう終わり」ハリウッド俳優ら、セクハラ訴訟基金設立)
一般社会のケースでの訴訟費用の支援が話題となっている。#MeTooの結果として相手方から起こされる訴訟も想定しているだろう。
自分の感じ方にすぎないが、本家ハリウッドの人々は自らのアクションに少なからず復讐心やリンチ性の要素が含まれていることを自覚しており、また「しょせんハリウッドという舞台でのマッチョな人々の内輪喧嘩ではないか、我々の生活とは関係ない」という一般の人々の厳しいまなざしをも感じ取ったうえで、さらなる公益性を目指しているように思う。
翻って、本邦の#MeTooでは告発者が将来的に払うことになるコスト(世間からの好奇の目・加害者側からの復讐など)の大きさを理由に、これ以上のコストを払う必要はなく、法律の外で加害者を社会的に抹殺する手法でよいと考えているように見受けられる。
[職場でのハラスメントでお悩みの方へ(セクシュアルハラスメント/妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント) |厚生労働省](http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html)
がある
まずもって、これは雇用された者同士の問題というより、雇用主が解決しなければならない問題である。
もし話し合いで済まなかった場合は、まずは訴訟を考えるべきである。メディアを利用した告発とセットでも構わないとは思う。
仮に、話し合いで済んだにも拘わらず、社会的告発をしたいというのであれば、それこそ社会的非難を覚悟で行われるべきであろう。
いずれにせよ日本もアメリカ同様、法治国家なのだから、本来の手順を意識する必要がある。
「#metoo はリンチではありません」と宣言しているが、それは独自の解釈であろう。
被害者として名をさらしており、匿名の立場から石を投げているわけではないからといって、ただちに私刑としての性質から逃れられるものでもない。
もし、メディアを利用した社会的告発だけで問題が済むというのであれば、少なくともアメリカ発の#MeTooに自らを連ねるのはやめたほうが良いと思う。
もし、法律の外の告発だけでよいとすると、下記のような懸念が考えられる。
これらに対して社会的合意が形成されない限り、このタイプの#MeToo運動は深刻な問題を起こす。
まず、#MeTooを「アメリカ出羽守」や「フランス出羽守」として我が正義のマウンティングに走るより、もっと地べたから考えていくべきであろう。そして、それが#MeTooというハッシュタグのもとに語られる必要は全くない。
セクハラを「力関係の濫用」ととらえるか「不愉快行為・不愉快言動」まで広げるか(少なくともハリウッドの#MeTooは前者であろう)、本邦ではこの付近こそが争点になっていると見受けられる。それゆえ独自の問題系もあるかと思う。
また、#MeTooの周辺問題系としては、過去・現在についての個人的救済もさることながら、類似の問題を未然に防ぎ、未来に向けてよりよい環境を作ろうというテーマも含まれるように思う。ここについての議論がもっと必要なのではないかと感じる。これもまた、本家#MeTooベースで考える必要はない。例えば「就職時のOB訪問のあり方」、「副業解禁による個々人のフリーランス化(新たな上下関係が発生する)」など、具体的な問題をもとに性被害防止に向けたアイデアを出し合うといった、地に足がついた議論があってもよいのではないだろうか。
このことを思うとき、先般の件を受けてD通はどう変わったのであろうか。あくまで組織内の問題かもしれないが、社会への還元があってもよいように思う。
あれほどまで授業の成り立たない高校で教えた経験はありませんが、
同僚などから聞く話等も含めて思うことを。
1.なぜ生徒は教師を殴るのか
の三点から考えてみた。
1.なぜ生徒は教師を殴るのか
例の動画の様子から、そもそも教師と生徒の間に一切の信頼関係が築かれていないことがわかる。
所謂教育困難校の生徒たちは、小学校・中学校段階では教師から忌み嫌われ、問題児扱いされてきた生徒たちで、
彼らの中には大人(教師)=敵という図式ができあがっている。さらに高校で同様に問題児扱いされてきた生徒がが集まることにより、
団結して大人(教師)=敵に抵抗することが、彼らの連帯を生んでいる。
さらに言えば、教育困難校の生徒たちの保護者の中にも、経験上学校や教師をよく思ってないひとが多い。
子供は基本的には家庭と学校のどちらかにしか居ない。同様に教育も家庭と学校の二つで行われて然るべきなのに、
教育(というより躾)を放棄した家庭も少なくない。小学校の担任に「箸の持ち方を指導してくれ」と頼む保護者もいるそうだ。
多分その保護者は正しい箸の持ち方で食事をしていないのだろう。
さらに悪いことには、教育(躾)を放棄するばかりか、学校での教育を軽視する保護者も一定数居る。
教育困難校の荒れた生徒たちの友情は、「教師に反抗するという同質性」を頼りにした友情なのだ。
「閉じた集団の中で何かを共有すること」、例えば同じような服装、髪型をすることで連帯するヤンキーやガングロギャルが流行ったことなどは、
「チャムグループ」という言葉で説明できる。「似ていることを条件に入れる仲間グループ」である。
教育困難校の生徒たちの間でつくられた「チャムグループ」は、教師を排除したり軽蔑し続けることで安寧が保たれる。
Uくんはそのチャムグループを代表して教師を殴ったのだと思う。半ばヒロイックな自己陶酔も感じながら。
それを囃し立てる仲間たちも痛快だっただろう。
そして残念だが、多分そういうチャムグループと教師の間に信頼関係が生まれることは期待できない。
信頼関係さえあれば、例えば軽い冗談の言い合いだとか、生徒教師相互に多少の「いじり」みたいなものが有っても愉快なのだが、
信頼関係のない「いじり」はいじめやハラスメントになる。信頼関係のないところには教育は、まともな人間関係は絶対に生まれない。
そもそも信頼することを教えられなかった生徒たちは不幸だ。そういう育て方をした親や小中学校の教員に多分に責任がある。
また別の話になるのだが、今回の件で騒ぎになったUくんもきっと、学校を信頼しない保護者になっていくだろう。
学歴や社会的格差はそのようにして再生産されていくのだろうな。
匿名のネットユーザーの性質として、教室では「素直で真面目な良い子」を演じてきた人間が多いのではないだろうか。
公の場では「素直で真面目な良い子」である一方で、匿名で誰かを吊し上げるのには、
いわゆる不良グループやお調子者が幅を利かせているパブリックな空間に対してのささやかな復讐の意味合いがあるのはないか。
また、事件の拡散は簡単だ。リツイートのボタン一つ押すだけだから。
自らが汚い言葉を使ったり、誰かを攻撃している感覚は無い。むしろ悪事を白日のもとに晒すことに、一定の正義さえ見出せそうだ。
抑圧されてきた「素直で真面目な良い子」の復讐心と、お手軽簡単なリツイートボタンがこの事件の拡散を相乗的に早めたのだろう。
いじめ自殺の問題で「いじめはなかった」とする教育委員会などが隠蔽体質と叩かれることが多いが、 わたしは隠蔽体質で仕方がないと思っている。
例えばいじめの加害者が実名を報道されれば、彼らがネット上で叩かれ、後の人生でも様々な場面で偏見を受けることは
免れないだろう。
それは当然の報いなのかもしれない。人を傷つけたら、そのくらいの懲罰があって当然だとも思える。
一方で、その社会的な懲罰は初期段階のいじめと構造が変わっていない。多数派が少数派を一方的に排除・攻撃することによって、
多数派の安寧を保つという構造だ。例えば第二次世界大戦中のドイツでゲルマン民族という多数派の血統のために少数派のユダヤ人を殺害したのと同じように、
ネット上の「素直で真面目な良い子」だった人々が、悪事を犯した少年を社会的に抹殺したいだけなのではないか。
もし、教育委員会が「いじめが原因で自殺した」と早急に認めれば、
教育委員会が「いじめはなかった」と言って槍玉に挙げられて居る限り、加害者への攻撃は及ばなくなるのだとすれば、
被害者感情はどうなるのか? そこは難しい問題だ。上のような説明をしてもなかなか納得はしてもらえないだろう。
あるいは事件があるていど沈静化してから「いじめはありました」と認めることで、世間の関心をひかない形で収めるのが関の山か。
ともあれ、今回の事件に関しては顔も実名も所属校も割れていて、拡散も限度を知らない状態だ。
でも被害者の復讐心を癒やすためのものとして捉えられているよね
刑期を伸ばしたり縮めたりして再犯防止効果が上がったり下がったりするかどうかなんてほとんど論じられないし、刑期はそんなことと全然無関係に決まるし
刑罰は犯罪者を矯正し社会的制裁を与え犯罪を抑止するためのもので、被害者の復讐心を満たすためのものでは無い
人間には理性がある。
だが、”お前も同じ土俵に立つ” お前のレベルが下がるからやめとけ」と言うタイプが居る。
言いたい事は分かる。
でも、「なんでやられた側が我慢しないといけない」んだ? ガンジーなの? 痛みを感じない神様なの?
そういう「許しちゃう自分偉い」的な事を言っている奴らに限って
「やられたからやり返す!!」と敵意むき出しにして攻撃しに行くんだと思う。
相手の気持ちを汲むことが出来ないんだ。自分が実際にその状況にならないと。
性犯罪者には、同等の性犯罪をあてがう。二度とそんな気を起こさないようにトラウマを植えつける。
何の理由も無く苦しんで殺した人は、同じ苦しみを味わい"心が死ぬ"状態にする。
[追記]
精神的におかしかったので刑を軽くします!っていうのは分かる気もするけど
やったことは殺人だったりするから復讐する権利はあっても良いと思う。
あとから頭おかしくなりました演技する人も居そうだから、ホント悪いよね。
> cloq 人は殺してはならない。ならば、やられてもやられてなくても、そのことに変わりはないはずだ
先に相手が「人は殺してはならない」という基準を守っていない場合、こちらが守る理由はあるんでしょうかね。
重大犯罪は防げないかもしれないけれど、ほかの人が答えてくれたように再犯はなくなる。
特に、性犯罪については再犯率が高いと聞く。どうにかして欲しいものだ。
>刑罰は犯罪者を矯正し社会的制裁を与え犯罪を抑止するためのもので、被害者の復讐心を満たすためのものでは無い
とはいえ、「再犯を防止できているか」といわれたらYESとハッキリいえないと思う。
いじめをした奴は、心の底から反省したわけではなく再度行う事だってある。
駅構内でよく流れている警視庁の痴漢で人生が終わるみたいな警告を見るたび、痴女も人生終わるのかなと考える
満員電車で人並みに押されるがまま、なんであんなところに私の手が……って状況になることは少なくないと思う(私の立ち居振る舞いが下手なんだろうか)
背中を向けあった男性同士の尻の間とか、だらしない格好のお兄さんのシャツの中にうれしくないラッキースケベをしてしまったりとか
しかもそういう時に限って、簡単には抜けないような圧がかかっている
場所が場所なので、無理やり抜いたらそれを故意の行為とみなされて、痴女として訴えられるんじゃなかろうかという謎の不安から、
次の停車駅で乗客の配置換えが入るまで落ち着かない気持ちで電車に乗っている
その程度で訴える人がいないことはわかってるのに、なんとなく不安が消えないのは、自分の根っこに痴女したい願望があるからかもしれない
小学生の頃に痴漢に追いかけられて怖い思いをしたせいか、男の人も同じ気持ちを味わって欲しいみたいな、男性全般に理不尽に肥大した復讐心がある
同じことってなると痴女して怖がらせることになるんだけど、倍以上体格差がある見知らぬ人間に追い回される恐怖はどうやっても与えられない
あのメールを送ってから10年、その後について書いてみました。
自分は…あれから主人ことを理解するためにシンガポールに渡りました。
そもそも主人はなぜシンガポールに頻繁に旅行に向かっていたのか。それは遊びの為の旅行ではなかったのです。
人々を守るため、私に内緒であんな危険な戦いをしていたなんて。
大人しそうな姿と「オオアリクイ」という名前で油断させて近づき、後ろ足で立ち上がり鋭利な爪で襲う。それがオオアリクイの正体だったのです。
主人はそんな人食いオオアリクイから人類を守るために人知れず戦っていたのでした。
10年が経過して、ようやく死の真相を知った私は主人の残した莫大な財産を使いオオアリクイの驚異から人々を守る私設部隊を設立。世界中に散らばるオオアリクイとの戦いは未だ終わりが見えず、ハンターの殉職も珍しくありません。
お恥ずかしい話ですが、終わりの見えぬ戦いに、怒りで身体の震えが止まらなくなる時間も増えてきました。
主人の残した財産は莫大な額です。
今回は少年ジャンプ+
やる気のないコマ割は、まあ今に始まったことではないから置いといて。
今回の見所はやはり後半の展開。
まあ正直、今回の第一印象は「ウダウダやっといて最終的に“これ”って、どうなんだろう」って感じだけど。
アグニは頭では理解しているつもりだったが、復讐心は燻っているってことなんだろう。
43話の感想で、「何かしら演じている人物は間違いをしているってことを示している」みたいなことを私は考察したけれども、アグニが演者として脱却した結果の行動が今回のだとするならば、一概にそうでもなさそうだなあ。
アグニの心の中にいる妹が言うには、ドマは演技をしているってことらしいので、その演者を断罪するという意味と解釈することもできなくはないけれども。
とはいっても、妹との対話シーンは実質アグニの自問自答みたいなものなので、これはアグニ自身がそう思っているってことだから、そこまで信頼性に足るものではないが。
やっぱり本作のテーマは「演技」が主体で、善悪は抜きにしても「演じ続ける」か「そこから脱却するか」といったことを中心に語っていくんだろうかね~。
本編でやるとセキュリティがザルすぎるってなるので、スピンオフのギャグマンガならではのシチュだよね。
黒霧のコスプレは相変わらず笑わせに来ているが、もうこの漫画での扱いの方向性が定まった感があるなあ。
死柄木がオールマイトやデクの言葉にイライラしたり、逆に爆豪の言動に満面の笑みをしたりするのとかは、死柄木の特徴を上手くデフォルメしているなあと思った。
ありゃ、終わったか。
まあ、何がダメかっていうと行き当たりばったりな展開、演出だと思う。
そして、それがほぼワンパターンなんだから読者は飽きるに決まっている。
「ここで、このキャラを無残に殺す」だとか「登場人物が突飛な言動をする」などといった展開はここぞという時にだけやるから意外性があるのであって、それを毎回やればウンザリするだけだよね。
主人公の役割がしっかり物語への理解を助けて、漫画の面白さにも起因しているところは評価したいところ。
やり取りもところどころラブコメの典型を踏襲しつつも、あくまでそれを茶化している漫画だということを思い知らせる主人公の独白や、素っ頓狂なネタが合間に挟まれるのも本作の個性が出ていると思う。
友人とヒロイン二人の仲を取り持つコメディ寄りのラブコメというだけでもプロットとしては魅力的なのに、そこに更にエッセンスを加えて、話がどう展開するか分からなくなってきたなあ。
気持ちとしてはこの「どう展開するか分からない」というのはワクワク感の方が強いけど、話の運び方次第ではテーマが定まらないことにもなるし、現状そこらへんは個人的に警戒気味。