はてなキーワード: 帰化とは
結局のところ経済発展ってのは、出生率を生贄に捧げてGDPを召喚!高齢化がのっぴきならなくなるまで、GDPを増やし続けることができるぜ!と言うだけで、どこの国も変わらない気がする。
政策がまずいってのは変換の効率が悪いまま出生率がクソってしまうブラジルみたいな国とかのことで、どんなに素晴らしい政治をやっても経済発展は出生率を変換する(=田舎で平和に暮らしていた人々を物欲漬けにして、子供産めなくなるまで会社でこき使う)という行為からは逃れられないのでは…?
韓国とか台湾とかシンガポールは変換チキンレースに失敗して、変換率を高めすぎてしまった結果、三星とかTSMCの誕生と引き換えに出生率がもはや完全に手遅れになってしまった。
日本は先行者利益だけど意外と変換率としていい線いってる気がする。多分世の中を完全実力主義にすると一般人の精神が仕事で破壊されてヤバい少子化になってしまう。日本はまだ定年まで保護的にやってるから出生率がマシなんだと思う。その代償として日本企業は国際戦でキツいわけだけど。
中国はまだ変換できる田舎の人が何億人もいるので強い。インドもポテンシャルは高いけど変換効率がどうなるか分からない。そしてアメリカは少子化しても無限に移民を吸収して人口を回復できるので反則級に強い。
そう考えると結局最終的にはアメリカ最強か。アメリカに帰化する中国人はいっぱいいるけど、その逆はほとんどいないだろうし。日本は出生率が今の値をキープできれば案外アメリカ以外はチキンレースしくじって自滅するかもよ。
・本来ならビザを取り続けて働いたり住むところを期限切れのまま放置して勝手に住み着いてる犯罪者
が主に入ってる施設だよ
件の人の場合、非常勤の内科医が週二回しかきてくれなかったり、その人が苦しんでた時に医者がいなかったことは遺憾だけど、
鼻から牛乳とか、薬きまってる?とか言われても仕方ない場所なんだよ。
いやそもそも鼻から牛乳って日本人が牛乳飲んでむせて鼻から牛乳出ても「鼻から牛乳やん」って言うだろ
これは日本人が犯罪犯して取り調べられたり留置所でも起きている普通のこと。
犯罪者だからって何してもいいって訳じゃないけど、犯罪者にしていいギリギリのとこ突いてるよね。
でも入管に収容されている人は犯罪者しかいないんだから、帰化した外国人とかと同じ扱いはしないほうがいいよ。
そこだけは線引き守っておいた方がいい。
飯を食いながら眺めていたら、途中で泣いている自分に気がついた。
彼らの年頃だった自分を思い出していた。
踊っているうちの一人に何故かその頃の自分が重なって見えたのだ。
もちろん彼らのようなアイドル性もないし、ダンスだってうまくない。
垢抜けた見た目どころか、ひと目を避けるように暮らしているくらいには陰気な生活だった。
もう25年以上前の話だ。
自分が周りと違うと強烈に理解したのは、小学校5年生のときだ。
それまで親友だと思っていた友達と喧嘩したときに、「韓国に帰れ」と言われた。
こいつは何を言っているんだろう。帰れとはどういう意味なのか。自分はここで生まれてここで育った。なぜここにいてはいけないのだろうか。
もちろん韓国にも帰るような場所はないし、在日が一部の韓国人からキョッポと言われてバカにされていることも知っていた。
考えても考えても意味が理解できず、しかし、今まで垣根なんてないと思っていた親友から、底の見えないような深さで線が引かれていたことだけは理解できた。
それから自分が韓国人であることを、知人に教えることはなくなった。
中学校に上がって、同じく在日の同級生が早々にいじめに合うようになった。
自分は隠し通していたのでいじめられることはなかったが、でもいじめを止めるようなこともできなかった。
ある日親戚のお通夜でいじめられている同級生とばたりと出くわしたことがある。
なくなった人を通じて、遠い親戚だったようだ。
相手は信じられないと言った顔をしてこちらを見ただけで、一言も会話はなかった。
それからは学校で彼の顔をまともに見られなくなってしまった。いじめは卒業まで続いた。
皆が進路の話をし始めた頃、自分は漠然と高卒で働きに出るのだと考えていた。
一度兄に進学の相談をしたら間髪入れずに返ってきた言葉は、「俺らが就職できる日本の企業なんてない」という言葉だった。
パチンコで財産を築き上げたいとこだけが、有名大学に通っていた。
法事で親族が集まるとやれ同胞が暴力事件に巻き込まれただの、やれあいつが際どい仕事でどれくらい稼いだだのそんな話ばかりだった。
彼らは居場所がないなりに居場所を作ろうと必死になっている。しかし、その必死さが返って居場所を奪われる原因にもなっているのだろうと思いながら眺めていた。
そして、これから自分が生きていく世界にも、居場所なんてないのだろうと漠然と考えていた。
高校に進学はできたが、放課後はすべての時間を家の仕事の手伝いで消費した。
手伝いが終わって帰るのは日付が変わる頃で、何度学校に遅刻しても両親は何も言わなかった。
当然大学に進学できる学力はなかった。勤怠不良に加えて沢山の赤点があっても卒業できたのは、教師のお情けであるのか、お荷物を手放したかっただけなのか知る由もない。
ただ、目立ちたくないという気持ちだけで生活していたので、問題と言えるようなことは一切起こさなかった。
仲の良い友だちがいなかったわけでもないが、いつもとても大事なことを隠している後ろめたさがあったので、問題を起こさなかった代わりに関係を深められるような相手もいなかった。
小中高含めて、卒業してから同窓会というものに参加したこともなかった。表面上の案内以外の誘いが来るようなことも、当然なかった。
ただ自分が在日韓国人の家庭に生まれたということだけで、常に後ろめたさと一緒に生きるしかなかった。
何かで人に知られれば、いつ平穏が失われるかびくびくしながら10代を過ごした。
目立つことなんてもってのほかで、何かに打ち込むようなこともなかった。
そもそも放課後はすべて家の仕事で費やして、一日500円程度もらえる小遣いを休日に一人でゲーセンで浪費する生活だった。
唯一ゲーセン仲間とだけは、あだ名で呼び合うことで身元を明かさないで済む気軽さがあった。
もちろん通り名で生活しているので、名前くらいで本籍がバレることもないが。
ゲーセンの、ゲームの腕前だけが評価されるその場限りの関係が、自分にはとても心地よかった。
テレビの中で踊るBTSの一人が、妙に当時の自分と重なって見えた。
もちろん、何もかもが違いすぎるほどに違う。そもそも彼らは在日ではない。
ただ、少し癖のある髪型や、目元やちょっとしたときの表情が少しだけ重なって見えたのだ。
いや、恐れずに言うなら、当時の自分が化粧して同じ衣装を着たなら、見た目だけで言えば割と似ているかもしれない。
そう思えると、まるでそのメンバーが、もしもの世界を生きている自分のように思えてしまった。
どこかで間違えれば、自分にもこんな光り輝くような人生があったのだろうか。
あのとき、いじめを恐れずに在日であることを公表して、通り名ではなくて本名で生活していたらもっと自由に生きることができたのだろうか。
今となっては何もかもが遅く、しかし、今の日本で、韓国の若者たちがこうして受け入れられている現実が、自分は何もしてこなかったにも関わらず、少しうれしく思えた。
悲しかった。嬉しかった。言いようのない気持ちが心から湧いて出た。
澄んだ涙とどす黒い涙が決して混ざることなく同時に流れ出したような気がした。
家の仕事は全てなくなり、住んでいるところを追い出された。
すでに家庭を築いていた兄弟から支援を受けつつ、両親と狭いアパートで過ごした。
それからフリーターから肉体労働から、高卒でもある程度稼げる仕事を転々として、今の会社に拾ってもらえた。
職種は伏せるが、当時は底辺と言われた業種ながら、健全化が進み今では一つの市場として認められている業種にいる。
色々あったが、ここまで帰化する必要のない人生を歩んでこれた。
韓国人であることに誇りなんてないが、日本人になる必要もなく生きてきた。ただそれだけのことだ。
自分が生きていた頃に比べれば随分と選択肢は増えているだろう。
当然今までも韓流ブームはあった。
しかし、今までと違うのは、メディアが作り出そうとしている中高年向けのブームではなく、若者が主体となって作り出された、メディア後追いのブームだという点だ。
これからの世界を作り出していく若者たちに韓国人が受け入れられているという現実に、今までにない、どこか安心感にも似た嬉しさがある。
国民支持率5%切りそう。どこをターゲットにして80%取れると思ったの?
人権ガーとか言う奴多いけど、国民と外国人が同じ待遇の国なんてない
日本人は外国に長く住んでも必ず帰国する、みたいな話を何かの折に読んだが、
まあ、実際には旅先で帰化して日本に帰らない人というのも普通にいるわけだし、「華僑などと比べるとそういう傾向が強い」というだけの話ではあるのだろう。
ただ、実在の人物であれ物語上のキャラであれ、「帰れなかったキャラ」というのは、一種の悲哀や寂寞の念があって印象深い。
実在の人物だと、阿倍仲麻呂(帰国しようとしたけど嵐でベトナムに漂着)とか、大黒屋光太夫の仲間の新蔵や庄蔵(正教に改宗していたので、帰国不可)。
物語上のキャラだと(あ、古い作品だけど一応ネタバレ注意ね)漂流教室の主人公とか、エデンの檻のキャラとか、今そこにいる僕のサラとか、ドラクエ3の主人公とか。
逆に、帰れなかったキャラがいるなかで、かろうじて帰れたキャラというのもそれはそれで味わい深い。
漂流教室のユウちゃんとか、今そこにいる僕の主人公とか。初代ペルソナのセベク編バッドエンドとか。さらば宇宙戦艦ヤマトとか(さらばの方を正史として推したいのは、この物寂しさがあるからである)。実在の人物だと、大空のサムライの坂井三郎とか。
サバイバーズ・ギルトみたいなのが凄そうな感があり、全員帰れた場合に完全にハッピーエンドになるのとは、まったく違う後日譚が想像できて良い。
ゲート(自衛隊のやつ)は、帰れなかった人たちが多すぎたせいで、あんまり悲劇的な感じがしないのが惜しかった。
全員帰れたパターンというのは、彼方のアストラとか、ナルニア国物語(最終的には1人除いて全員帰らぬ人になったけど)とか、大長編ドラえもんとかである。
主人公一人だけが漂流するケースだと、全員帰れるか全員帰れないかの2択なので、運命の明暗が分かれず、あまり余韻がない。ロビンソン・クルーソーとかゼロの使い魔みたいな感じである。
火魅子伝(ゲーム)なんかは選択肢次第でどっちもできるが、なんというか、あっさり終わらせ過ぎていて余韻がないのが良くなかった。
「何人か死んで、生き残ったキャラが日常に帰る」というパターンもなかなか良いが、取り残されたキャラに思いを馳せる事がないので、寂寞だけがあり余韻に違いがある。
時空転抄ナスカとか。ベトナム戦争や第二次大戦の戦争映画はこのパターンが目白押しなので、割と好きである。
昨今、クラス丸ごと異世界転生とか何作品もあって、大抵途中エタってしまうわけだが、
ここはぜひとも最後まで書いて「何人か帰れて、何人か帰れない」というパターンを見せてほしい。
でも主人公は大抵ハーレムを作ってしまって帰国すると問題がありそうなので、「帰れたのは主人公以外」みたいなパターンが多くなりそうではある。
今いろんな企業を悩まさせているパワハラやクレーマー。一連の車椅子炎上問題を通じて、企業・組織の運営リスクであるこの2つを予め排除できる手法として「左派の排除」が有効な事が分かったので、事例ベースで書き連ねる。はてサには辛い内容だが、ファクトベースの考察なので一読して欲しい。
アパホテルの社長は事あるごとに右よりの発言をSNSなどで行っており、発言の度にSNSが炎上する。しかしそれは意図的なものであり、クレーマー気質の客がアパホテルを利用して重箱の隅を楊枝でほじくるような真似をしてくるのを避けるためであるという。
その結果、会社の知名度が上がり客が増えただけでなく、クレーマー気質の客が減り、不当な悪評が立つことが無くなり、さらに客が増えるという好循環が起きている。
また、副次的効果として、会社からパワハラも減った。2000年代はパワハラもあったようだが、2010年代後半あたりからパワハラが無くなったという。確かに「アパホテル パワハラ」で検索しても、出てくるのはVorkers(転職口コミサイト)の2010年以前の記述くらいである。左派を排除したことで従業員のパワハラも無くなったという好事例である。
こちらも社長がヘイトスピーチを繰り返して左派が不買運動を起こした。
が、その結果、売上高・利益が激減したかと言うとそうでもない。2020年度上期は化粧品業界全体がコロナ禍の影響で2割前後の売上減となったが、DHCは10%の売上減にとどまっている。
左派を顧客から排除したことで商品にクレームを出す少数の層が居なくなり、商品に対する評判が高止まりしたことで、マジョリティの客層が離れることなくコロナ禍にも耐えられていることを示している。
また、こちらもパワハラの話が出てこなくなった。以前は転職会議とかでパワハラの話がちらほらあったが、社長についていけないということで退職した人が出てきた結果、社内からパワハラが消えたようである。
こちらはアパホテル、DHCと違い、球団経営側が大っぴらに左派を排除することはしていない。
しかし、左派がすり寄ってくる「韓国人選手の採用」「差別への反対姿勢提示」などの要素を日本プロ野球界はやらなくなった。
昔はいっぱいいた韓国人選手や帰化(在日)選手は居なくなったし、スタジアム内の暴力は徹底排除を試みているが、試合前に「差別反対」のアナウンスはやっていない。
その結果、スタジアムから汚い野次や暴力行為が激減。阪神ファンやなど、まだごく一部でそういう行為が残ってはいるが、もう虫の息だ。サッカーJリーグのように、ちょっと負けが込むとファンが居残りをやったり、フェンスから乗り出してマスク越しに選手達を恫喝したり、試合前後で一部のファンが暴れたりというスタジアムルールを無視して声出し応援してるなどの見苦しいシーンは見られなくなった。一方、Jリーグでは今年も既にこのような光景が徳島、仙台、横浜FC、福岡などで見られている。
日本プロ野球は左派にすり寄られる要素を興行から排除したことで平和なスタジアムの醸成、つまり「ボールパーク化」に成功し、近年のプロ野球観戦チケットのプラチナ化を進められたのである。
左派・左翼を排除することが企業統治・売上利益の拡大に有効というビジネス的なコンセンサスが得られつつある。一昔前はこういうクレーマー・パワハラは「右派・右翼」の代名詞だったが、彼らは行動を変節し、恫喝や暴力行為をヤメ、周囲を共感させ、反感は買わないようにするというコミュニケーションの進化を見せた。その結果今はクレーマー・パワハラは「左派・左翼」に目立つようになり、左派の排除がビジネス的に有効な状態になった。
DHCやアパホテルのように経営層が右寄りの発言をするのも有効だが、それが表立ってできないようであれば、例えばこんなことで左派を排除できる。
・バリアフリーに逆行する店構えにする
・採用試験や昇進試験で政治思想を試す小論文を課し、左翼思想が垣間見られる論文を出してきた人を排除(例の車椅子炎上案件はテーマとして最適だろう)
左派側も行動を変節しないと、イデオロギーの問題で何も買えない、何もできない、気づけば社会から完全に阻害されている・・・という未来が待っているだろう。
呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
今話題のこれ。自分は一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的に同意するところはある。
まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。
元のツイートは職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。
これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。
学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter
けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?当時のやり取りそのまま引用するとこういう感じで(敬称略)。
五野井「どの表現も加害となりうる。では表現一般とヘイトスピーチの違いは何か。それは後者が差別煽動であり、それに踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきた点だ。「私にはヘイトスピーチする自由がある」を「私には差別に基づく加害や殺人煽動する自由がある」に置き換えてみてくれ。」
DaDa「何言ってんだ、その言い分だと共産主義に踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきたから、共産主義は禁止もしくは監視あるいは一定の制限の下にしか存在を許されない、なんて理屈が罷り通ることになる。」
五野井「わたしは共産主義には微塵の魅力も感じないが、そもそも共産主義はヘイトスピーチと違って、人種差別が内在していないことは明らかだ。ナチズムが禁じられる理由は、まさに人種差別と差別煽動が埋め込まれているからである。「差別煽動」という術語をわざと外す暴論には感心しない。誠実な反論を望む。」
DaDa「あら、共産主義に内在的に埋め込まれている階級出自による煽動は差別でないとは斬新な見解ですこと。」
五野井「人種差別の話をしているのになぜ階級の話になるのか。人種は階級のように移動できるのだろうか。できないだろう。それをあえて比較対象とするのは不誠実だ。為にする批判ではなく、改めて誠実な議論を求める。」
DaDa「階級は移動できる問題ないって安直に社会学者が言うの致命的な発言でなくって?」
五野井「人種って移動可能なのですね(笑)。あなたは、人種は移動できるという想定を前提でわたしに議論をふっかけてきたわけですが、まずはどうやったら人種が移動できるかを教えて下さい。なお階級は、容易ではありませんが移動可能ですよね。ライフピアも大勢いるし。あと社会学者って誰のことかしらん?」
DaDa「人種は移動できるっていつ何処で誰が言ったんですかマイケル・ジャクソンですか?」
五野井「わたしが移動不可能な人種差別を問題にしているのに、あえて移動可能性のある階級の問題とわざと等価にして食いついてきたのはあなただろう。ポップなネタに持ち込んで、ごまかそうとする悪いクセはやめなさい。不誠実な相対化で立論をしているかぎり、あなたには勝ち目はない。で、社会学者って誰よ?」
DaDa「だから、人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的でしょう。あと社会学者だか政治学者だか人文学者だか知らんけど階級移動なんか些末なことって言い放てるなら社会問題にコミットする立場として大問題に違いないと思いますよ。」
本当、意味のない議論だよ。このTogetterのはてブが何で真面目に議論してるかも理解できんほど噛み合ってないやり取りなんだわ。
それはともかく、五野井先生は「職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない」なんて言ってます?これ”差別を論じるに人種と階級は移動可能の可否に違いがあるから等価に扱えない”であって”移動可能な属性なら差別ではない”ではないんじゃないかなあ。DaDa氏も借金玉氏も呉座先生も與那覇先生も勘違いされてるようですが。いや、たぶんDaDa氏は他3人と違って最後の最後で気付いたんでしょうね。だから最後に「人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的」と五野井先生が階級差別の存在を否定していない可能性を認識したような反論をしている(反論として妥当とは言わないが)。
「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」から「女性の自己実現を否定している」という解釈はダメだと與那覇先生がおっしゃるなら、直接言ってもないことを実際にあった主張だと断定するのはギルティーでしょうとも。しかしまあ素晴らしい見識を備えた学者方がアルファツイッタラーが気付いていることにすら気付かないのはいかがなものか。それこそ「誤読」ないし「意図的に歪曲」と言われても仕方ないのでは。
「実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難」を傍観するべきでないということのようなので気になったところ指摘しておく次第。
まあ、五野井先生もかなり微妙な手法使ってて、例えば「共産主義には人種差別はない。ナチズムには人種差別と差別煽動が内包されている。差別煽動という術語を外すな」と言っていたのに階級差別の話を持ち出されたら「人種差別の話をしている」と言って差別煽動の部分を吹っ飛ばしてしまう。だから勘違いを引き起こすわけで…。もっと問題なのは五野井先生は当初の書き方だとヘイトスピーチについては差別煽動であることに重きを置いてたはずなんですね。それによって生じる被害の害悪は果たして「移動可能」か否かで変わるものなのか?差別を語るうえで属性の「移動可能性」に着目すること自体は王道にしてもそことの論理的接続性は本当にあるのか。
ところがDaDa氏はそこを指摘するわけでもなく、何故か人種差別云々に乗っかってしかも「移動可能」とかいうそれを考慮すること自体は実はわりと妥当な部分に噛み付いて滅茶苦茶にするしなんなんでしょうねこれ。そもそもマルクス主義持ち出してきたのも大体イメージ人によって変わるとこだから困ったもんだなと思わないでもない。
それで言うとここには引用してないけど階級について「移動困難」だと五野井先生が認めているところがあって、むしろそっちの方が突っ込みどころでは?ヘイトスピーチの定義を調べた人は「変更不可能または困難な属性を理由に~」みたいな文章見たことあると思うんですよ。移動困難ならば移動不可能と同じカテゴリーではってことね。もちろん困難とはどういう意味でどの程度困難なのかって話がその次に待ってるんだろうけど…。
まあ今更どうでもいいね。語ってもしゃーなし。
移動可能というか変更可能/不可能を考慮することはあるということを上で書いたので一応実例は出しておく。
まあわりと差別とかを考えたことある人には馴染みがある考え方の1つだと思うのだが、呉座先生(ともしかしたら與那覇潤先生)の反応見るにあまり知られてないのかな。
日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。
上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
3/27に公式サイトのFAQを見に行きましたが、日本語の問題は修正されていたので、この情報の一部は古いものとなってますよ。
日本語表現は対応されていて、新しいインフォメーションも出ているので、記事を書いた責任で偽計業務妨害にならないように修正するか削除すべきと感じております。
中国人が悪いなら他の多くの会社も雇っている技術者が中国人(帰化した人も含む)というだけで悪ということになるので、会社としての守秘義務を順守しているかが大切かと思います。
※技術系は中国人、インド人の方は日本人よりスキルが高く、多くの日本企業でも管理しながら雇用してます。日本人でも情報漏洩する人が多い世の中です。
そこまではまあ分からなくもないけど、問題はTwitterで中国人相手に喧嘩ばかりしていること。日本人が使わないような差別用語使って中国と中国人を罵ってるし、意味が分からない。
「日本は中国から漢字を学んだ」みたいな事実を言っただけで、「日本は中国と比較にならない、中国はクソ、日本は神」みたいなことを言い始める話の通じなさなので、注意しても意味ないだろうなと思う。なぜ中国人なのに日本人の右翼より激しいのかと思うけれど、結局それも中国人だからかもしれないと思う。
日本語ネイティブが見れば外国人の日本語だと分かるけど相手の中国人はたぶん分からないから日本人が言ってると思っているだろうし、中国人と中国人が日本語で喧嘩してるだけなんだけど知らない人が見ると日本人が中国人差別してるようにしか見えないのでモヤっとする。日本人のフリをして外国人を攻撃するのをやめて欲しい。
https://yt3079.hatenablog.com/
◎日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民(外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける
→日本人と移民の人口比逆転は時間の問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」
(出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる)
◎約90年で人口が半減するスピード(しかも子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機的非常事態。それなのに対策は後手後手
→例えば、ウイルスの蔓延は現在進行形で悪化のスピードが早く、人権を制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化はダメージの時間的スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。
◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続。政府自治体の対策の対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策は効果が出ていないのが現実。
→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援で保育所をいくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区の出生率は全国平均以下)
◎出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。
→独身に低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者(年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在は戦時中よりもはるかに低い出生率。日本を含む先進国は生活が多様化しており、コスト要因の結婚の必要性と優先順位の低下により、低所得者から結婚を回避するようになった。
◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策が重要
→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援に関係なく、子供を作っている。問題は出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚は個人の自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。
◎動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身は増税(実質的独身税)」
→早婚に金銭的メリットが生じて、相手の理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手の対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。
◎少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやすい育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来、負担の大きい子作りに対し、反発のない対策は効果も期待できないはず(作用反作用の法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手な倫理やモラルで負担回避を正当化すれば、将来世代は先細りの一方。
→目的(少子化解消)は手段(人権に問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットがデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨な社会になっても、子供を作らない自由意思尊重が大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき)
★本稿のポイント
少子化対策の「思い込み=(人権やモラルは少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にのみ人権やモラルを我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題は解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働の担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権や倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策の本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済も回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合の日本人に訪れる悲惨な運命とそれを回避するための、効果を優先した対策を提案、解説する。
〜〜〜〜〜〜
近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来は人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人の出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事の日本社会と政治に問題意識を投げかけたいと思います。
問題は解決するより、発見する方が困難です。個人も組織も、自ら気づかない潜在的な問題により、傾いていきます。少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府の少子化対策関連予算は先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出の観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。
現状の少子化対策は育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性の政策しかとられておらず、改善の兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府は実質的な移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人と移民の混在する国になっています。さらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民の割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツは海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります。公用語が中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。
そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児は個人の権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在の少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策が必要であると考えます。しかしそういった対策は、個人の自由意志に反する可能性のある対策であり、モラルや倫理観の問題で実行に大きな障壁があります。しかし、動機付けの対策に有効性があって少子化が改善される可能性があっても、現代人のモラルや人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います。
少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラルや現代人の自由や権利を理由に放棄してもいいのか。現代人のモラルや価値観はその人種の存続や持続性以上に重要な価値観なのかーー。
このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります。現在出尽くしている対策や論点とは違った観点と具体的な対策を提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います。
【要点・トピック】
現状の少子高齢化が改善しないまま、実質的移民の外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人と移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人と外国由来の国民・住民の人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間の問題。不可逆になる前に手を打つべき。
政府、自治体の育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論付けが必要。国民の自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化の構成要素である未婚率の高まりは少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観の多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策の方針を「大幅に変えないと」今後もさらに日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から」出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。
モラルや倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラルや人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。
続きは以下にて
https://yt3079.hatenablog.com/
◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか
政権に関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題に対応するため、政府や経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的な移民(国連の定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさらに推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法が施行された。彼ら外国人が高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民の高齢化問題も出てくる。
このまま、日本人の人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人と外国人の比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保と観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。
◆出生率の数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口がゼロになるか」の確定年数を導ける指数。内戦中のシリア、アフガンや北朝鮮より先行きが危ない少子化日本。
出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口がゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然と認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しか生まれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代は就職氷河期世代で不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである。
この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前は大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率を人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口の半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。
内戦のシリアやアフガン、独裁政権下の北朝鮮ではいずれも出生率が2を上回る。いくら、内戦や政治不安で経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代が平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。
◆現日本人が外国人(実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋な日本人は消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人が過半数割れ。
「移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である。出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。
2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニックや黒人、アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人の割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さらに2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人の出生率が2を切り続けて増えず、白人人口がゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックとアジア系の流入がその穴を埋めているためである。アメリカの出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民の出生率が高いためである。現在、アメリカは多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人とヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。