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はてなキーワード: プラスチックとは

2020-12-22

anond:20201222000241

カビとかダニ可能性はどうだろ

カラーボックスとか木材紙材みたいな家具を全部捨ててスチールプラスチックに替えたらアレルギー性の病気だいぶ治った経験がある

2020-12-21

トラウデンさんにキレる世の中ヤバい

客「これは環境配慮した製品ですか?」

店1「サステナビリティ考慮再生プラスチック容器を採用しています。」

店2「申し訳ありません。存じ上げておりません。」

店3「そんなん知らんがね!」

単に店ごとにそれぞれ対応すれば済むだけの話なのに、なんでこんなことに日本国民はキレ散らかしてんの?この質問に対する答えに対して罰則があるわけでもなし、全員がこんな質問をする世の中が来るわけでもなし、単なる顧客から質問の一つに過ぎないのに世間が狂ったかのようにこの話にキレてる意味が分からない。接客してたらもっと意味不明な質問は沢山くるだろ....

日本人全員がコミュ障化してるの怖いわ。

カレー香り

 香り言葉にならない。

 先日、たまたま入ったカレー屋で、注文を待つ間、カレー香りはいったいなんのにおいなのだろう、と考えた。

 スパイス香りだろうか。しかスパイスとひとくちに言っても、ガラムマサラとか、コリアンダーとか、いろいろある。カレーによって使っているものも違うだろうし……。

 そう思いながら嗅ぐカレー香りは、鼻を抜け、喉を通り、お腹を鳴らす。

 待ちきれずに銀色スプーンをとると、ほんの一瞬だけ、自分実家テーブルについて、プラスチックのちいさなスプーンを握っているような気になるのだった。

 言葉にならない香りは、言葉を知らないこどもの頃を思い起こさせる。

 ものごころついたころ、家では私と姉のカレーけが甘口だった。だからきっと、スパイス香りに混じって、すこしマイルドで甘い香りがしていた。きっとそれは、私にとっていちばんしっくりくる「カレー香り」で、言葉にはしきれない、私の思い出の中だけの香りだ。

 香りはいつもそんなふうに、自分だけのものしかない。

 自分だけというのは、さみしいような、とくべつなような感じがする。

 ちいさなころ、そこら辺に落ちている石ころをとくべつなものだと思って集めていた。はじめは母にも内緒にしているのだが、そのうち、こっそり見せてあげたくなって、たから箱から出してしまう。それを見せて母がよろこぶとうれしくて、だけど私だけのたかものではなくなってしまたことに、すこしがっかりする。

 香りは見せられず、聞かせられない、私だけのたかものだ。

 同じ香りを嗅いだときには、思い出といっしょに、たから箱からそっと取り出されてくる。

 注文したバターチキンカレーがやってくると、私はカレー香りたから箱に大事しまって、スプーンを握り直す。

 

 

2020-12-20

anond:20201220092955

そもそも環境配慮されてる」っていうのがボヤっとしたあいまい質問なんだよな。

例えばプラスチック使用ですか?とかなら知ってる範囲でこたえられる。

でも環境配慮しているかと言われると、何をもって環境配慮してるのか?となる。

プラスチックを使わないために電力を大量消費するのは環境配慮してることになるのか。

そういうのを含めて思考相手押し付けてるのがこの言い方。

からハイソ」なお店でしか通用しない。なぜなら「ハイソ」なお店はそうやって環境ポルノ提供するまでがサービスから

2020-12-18

家事について

最近一人暮らしを始めて、思うこと

料理

(実家にいたとき)

家にある食材確認→作るものを考える

(一人暮らし)

食べたいものを考える→自炊の方が安いor嫌いな食材を省けるか検討材料を買う

この「食べたいものを考える」のが地味に面倒。というかそもそもそんなに食べたくないことに生まれてはじめて気が付いた。作ること自体は好き。

②皿洗い

意外と嫌いじゃないかった。実家にいた時は食洗機の片付けするのも嫌だったのに。自分のペースで片付ければいいからかな。

洗濯洗濯物を干す

もう既にやだ。でも他の人に任せるのはもっとやだ……

掃除

掃除という概念自体ちょっと消えてきてる。ヤバい風呂トイレくらいは一回/1月とかキッチリ決めないと絶対やらんかもしれない。

ゴミ捨て

実家感覚無意識に「プラスチック、その他の普通ゴミ、紙、缶瓶」って分けてた。確認したら、プラスチック普通ゴミが燃やすゴミとして一緒くたになる地域だった。なんかちょっと寂しい。

⑥買い出し

必要な物の買い忘れが後からから出てきて絶望。カーチャンいつも買い物メモなんてしてなかったけど、あれ凄かったんだ……(メモをするのを忘れる・メモを置き忘れる・持ってきたメモ存在を忘れる)

2020-12-17

Revolutの本人確認プロセスがずさんな話

Revolutという資金移動サービスがある。

以下は日本での話。

アカウント作成後、本人確認を済ませることですべての機能を使えるようになるシステムだ。

本人確認には運転免許証マイナンバーカードのどちらかが必要

以下の鉤括弧内は要約。そのまま転載ちゃうのもなんかアレなので。

二重鉤括弧は原文ママ。少しでもニュアンスが変わるとまずい部分。

私自身が本人確認しようとした時の話

12月上旬アカウント作成マイナンバーカード本人確認手続きをした。

マイナンバーカードの表裏両面の写真撮影し、自撮りも撮る。

性別と臓器提供うんぬんを知られたくなかったので表面を撮影するときプラスチックカバーに入れて、裏面はカバーを外して撮った。

そうしたら却下されてしまった。再撮影必要らしい。

しかし何度再撮影→再申請しても却下される。アプリ内のサポートチャットに問い合わせた。

見当違いな回答をするチャットボットが応答する。

「苦情申立がしたいので人間に交代してください」と言ったら人間に交代した。

私「マイナンバーカード画像が不鮮明であるとして却下された。カバーを外したくないが、そのままでもできる?」

Revolut「今から本人確認する」「技術的な問題が発生したためだったが、解決した」

本人確認の部分で問題が発生するって大丈夫なのかな、と不安になりつつも、問題解決したのでこれでよしとした。

同居する家族本人確認しようとした時の話

数日後、同居する家族登録することにした。

当該家族アカウント作成が得意ではないので、私が代行することになった。

家族スマホカバーを付けたマイナンバーカード家族自撮りを撮る。

案の定却下された。どうせ再撮影しても却下される気がしたから、いきなりサポートチャット直行

代行私「マイナンバーカード撮影したが不鮮明として却下された。」

Revolut「カバーを外す必要がある」

代行私「家族(=私自身)はカバーを外さずにできた。チャット確認済み。臓器提供情報必要なの?」

Revolut「性別必要。臓器提供は隠したままでいい。」

代行私「家族性別情報提供せずに本人確認できた。なぜ性別必要なのか。差別をするのか。」

Revolut「メールアプリ内通知で適切に対応するために必要

代行私「性別対応する対応を変えることがあるのか? 本人が自己回答した望む性別ではなく、身分証明書記載された性別の提出を強要するのはなぜか?」(=性別情報必要ならば、身分証明書に拠らず別途自己回答させればよくない?)

Revolut「性別を隠したいのであれば私は相談しなければならない。いい?」(ちょっと日本語が怪しいのは要約前の原文由来)

代行私「はい。私の家族提供していない。前例がある。レインボーフラッグ色のデビットカードを発行しておきながら、このような対応には不信感を抱く。」

Revolut『性別によって対応を変えることはありません。アプリ言語日本語に設定したら違いは全くありませんが英語にするとMr.かMrs.を使うことになります。 お客様要望に応じて性別を調整するプロセスがあります。これは完全な解決策ではないことを認識していますが、私たち電子商取引機関であり、政府が発行した公式文書提供されているデータ使用する権利があります。』(後略、原文ママ)

代行私「政府公式文書提供していることを理由差別正当化するのはやめるべきだ。 その理屈だと、戸籍謄本要求して本籍地先祖情報要求することも正当化できる。性差別だけでなく部落差別民族差別をも肯定しかねない発言は慎んだほうがいいと思う。」

これからしばらく待った。予想外の返答が来た。

Revolut「相談の結果、性別を隠したい場合例外を設けることができる。今すぐ本人確認完了させる。」

Revolut「本人確認完了した。」

問題

感想

2020-12-17 追記

一つ言い忘れてた。

運転免許証って性別欄ないんだよね。

マイナンバーカード必須なら性別必要ってのも分からんでもないけど、運転免許証という選択肢がある時点で性別を見せなきゃならないのはおかしい。

差別云々は抜きにするにしても、不要個人情報収集するというプライバシー観点からどうかと思う。

2020-12-20追記

Revolutは性別を届け出ないのは例外だとやたら強調していたが、これが事実であるなら私には例外自動的適用されて、家族には自動適用されないことになる。

氏名と顔写真に基いて、トランスジェンダーやノンバイナリーの類っぽい人間だと判断したら例外自動適用してるのかもね。

邪推だけど、Revolutは差別をする企業からそれくらいやってても不思議ではない。

もしそうだとしたらさらに悪質だなあ。

2020-12-14

最初期の掃除機

一番最初機の掃除機がどんな形だったか自分世代的に知らないが、想像することは出来る。多分球体をいくつか組み合わせたような形だっただろう。プラスチックは使われていなかったと思う。金属と、あとゴムがところどころに使われていたはずだ。きっとモーターは、単独でそれ以外の部分より大きかったに違いない。動力電気だっただろうか、蒸気…いや電気だろう。電気で動いていたに違いない。最初期の掃除は運ぶのが難しいほど大きいので、店で買ったら配達して貰ったはずだ。ひょっとしたら店員はお客の家に商品に届けたあと、軽く使い方をレクチャーしていたかもしれない。最初は世の中に無かった訳だから、当然使い方はみんな知らない。掃除機掃除機は本当に元が取れるのだろうか。最初期の掃除は至らないところが多々あったはずだが、それを使いこなすのと手作業掃除をするのとでは、どっちが大変だっただろうか。多くの新製品がそうであるように、最初期の製品本末転倒ものだっただろう。それでも周りに自慢したいだとか、知的好奇心を満たしたいだとか、そういった理由で金と心に余裕がある物好きが買っていたはずだ。掃除機を買うのは馬鹿げている。でもそんな馬鹿な買い物を出来るのが一種ステータスであり、そんな無駄遣いをするのが頑張ってお金を稼ぐ理由なのだ掃除機とは人生だ。人生掃除機だ。

Ogresm

みなさんは哀れなザコなのでどうせシコシコorgasmを得ているのだろうが、俺のような上級市民レベルが違うオーガズム、すなわちOgresmを得ている

Ogresm、読んで字の如く、まさに鬼のような力をもつオーガズム

下級国民が住んでるようなみすぼらしいショボい部屋だと簡単に吹き飛んでしまうので、オーガズムルームと呼ばれる専用の部屋が必要になるのがネックと言えばネック

快感の量も半端ではない 雑魚orgasmを魚の形の醤油容器一杯分とするなら、OGRESMは木星ひとつぶんくらいの威力がある

プラスチック雑魚を象ったゴミvs巨大惑星 そういうレベルの、もはや勝負と呼ぶことが不可能なくらいの差がある

この前なんか興がのって1日8ogresmチャレンジをしたら因果律が狂って太陽紫色に点滅するようになってしまった もちろん2ogresmとかけずに修復したが、ちょっと肝を冷やしたね

家族に見られて恥ずかしいとかそういう低次元オナニーライフを送っている低層のカスをみるとあまりに惨めで泣けてくる

はやくogresmを習得することだ

まずはそこから

2020-12-11

レジ廃止は世紀の愚策

といっている人がいたが、まさにそう思う

https://youtu.be/Y65x4RGkVa0?t=539

「まさにこの政策で世の中は変わったと思う」

という小泉首相コメントに笑ってしまった

そりゃレジ有料化すれば利用者は減るにきまってるだろ・・・

必要なのは有料化したらプラスチックCo2これだけの削減効果があった」

接客負担が減り、店舗リソース有効に使えるようになった」

みたいなデータじゃないの??

「まさにこの政策で世の中は変わったと思う」って・・・

深刻に、馬鹿じゃないか?と思ってしまった

無理して親を真似して歯切れのよい物言いや、TVウケの印象政治しないでいい

TV時代大衆操作のこういう印象政治効果があった

いまはネット時代でみんな賢くなっている

そういうのいらねえんだよ

国民が求めているのはデータと実績だけ

2020-12-05

奇妙な商店

数年前、東京の端っこから東海田舎引っ越してきた。

田舎とひとくくりにすると、「これくらいは田舎じゃない」と言われるから、ざっくりと住環境説明すると、スーパーが4キロほど先にあり、最寄りのコンビニよりコイン精米機の方が近い。

そんな環境だ。

来て2年ほどは自転車だけであちこちへ行っていた。

日常の買い物が不便だと感じたので、普段使っているスーパー以外に、ちかくにスーパー商店はないのか?と一度検索してみた。

さな商店があった。

その店だと自転車で5分もかからない。

私は試しに行ってみることにした。

寂れた、こじんまりとした商店だった。

シャッターは開いていて、電気もついているが、薄暗い。

店の前には、何も入ってない雑誌を置くのであろう棚と、なぜか春なのに肉まんなどを温める什器が、電源も入っていないのに置いてあった。中身は入っていない。外観からは壊れているようにも見える。

入り口近くはガラス扉で、中を見渡せるような狭さなのだが、外から見る限りは店の中に人は一人もいない。店員の気配もない。

怖くなってきたが、私は邪魔にならないところに自転車を止めて、中に入ってみた。

店に入ってすぐ、果物売り場があった。

バナナプラスチックのカゴの上に置かれ、並んでいた。

バナナは黒ずんでいた。

Googleレビューでは店主手作りのお惣菜が売りだと書いてあった。

少し楽しみにしていたが、壁際の棚に並ぶそれを買って食べる勇気は、私にはもうなかった。

店に入っても、店員の姿も気配もない。私はなんだか薄気味悪くなってきて、商店を後にし、いつもの4キロ先のスーパーに向かった。

あれから、数年が経ち、車を買った今、近くの商店を探ることはもうない。

あの店にもあれきり行っていない。

今思い返すと、現実にあったのだろうか、何かの夢ではなかったのだろうか、そう思ってしまってさえいる

2020-12-04

大掃除進捗録

12月5日 リビング

6日 不要衣類分別

7日 衣類 紙類廃棄済

  8日 ダウンライト 収納見直し着手

  9日 ビン、缶、ペットボトル廃棄済

10クローゼット内清掃済下着類の点検

 11日 ベッドルーム清掃済 シーツ交換洗濯済 敷パッド天日干し済

  12プラスチックごみ廃棄 靴箱整理 雑草抜き ロールカーテン設置 シンク下の棚設置

  13日 模様替え済 本棚整理 

  14日 段ボール紙類衣類廃棄済

  15日 靴箱の棚下ろし済

  25日 浴室清掃済 クレンザーでこする

  26日 書類裁断 ペーパーゴミまとめ

  27日 玄関水撒き たわしでこする

  29日 台所清掃  大掃除終了‼️

  

2020-12-01

anond:20201130214610

プラモデルが作りたいのに、プラスチック融点やら炭素の組み合わせだよって話し聞いてもアレだよね。ITの全貌が分かってプログラミングやってる人いるのかな?

2020-11-30

プラスチック人間から

anond:20201130105428

20世紀は、悲惨な二度の戦争を含めて鉄の時代だった、と言われている。

ところが、鉄なんてものはだ。古代から用いられているのだ。

ヒッタイトによる鉄生産の独占は世界史にクロガネの彩りを添え、我邦に事例を訪えば古代朝鮮半島との種々の交流の起因になった。

極論めくが、西暦7000年くらいに生きる人にとっては、もしかしたら古代鉄器エッフェル塔は等しい存在として見られるかもしれない。

ということで、石器、土器鉄器時代を経て、現代プラスチック時代だと思っている。

当たり前すぎて関心は高まらないが、プラスチックは便利すぎる。

パソコンの画面を離れて周囲を見て欲しい。

俺は綿棒の入れ物が目に入った。現代代表するプラスチックである

ワコムペンタブもそうだし富士通スキャンスナップもそう。

紐も器もガワも袋もオムツも窓サッシも浴槽も飲料の容器もおおよそプラスチック器だ。

セクシー担当大臣プラスチックの削減を叫んでいる。

多くの人が気づいたように、敵はレジ袋にあらず。

レジ袋はプラスチック山の一角に過ぎない。

生活以外のところ、例えば産業分野にもたくさんのプラスティックが役立っているのだろう。

石油使ってプラスティック使う生活様式こそ、前の時代にできなかったものだと思うなぁ。

2020-11-29

anond:20201129161530

横だけど電気代とフィラメント?のランニングコスト全然想像つかない

運用でいくと純正インクジェットプリンターくらいのイメージで良いのかな

そもそもブーム特許切れから始まってるのがこの業界の沼さというか闇な気がする

あとプラスチックって欧米だと神経質で胎児のためにもBPAフリーとかやってるけど、フィラメントとか光造形とかあんなもん溶かしてダイオキシンとか大丈夫なんやろかって思っちゃう

2020-11-27

育児を経て常備するようになった日用品あれこれ

うちの場合は、シルコットのノンアルコールタイプ(緑)。

ティッシュを濡らしに流しに行かなくても、布巾の衛生管理に気を配らなくても、いつでも、ウェットティッシュを使えるという便利さを知ってしまった。ポップアップタイプの卓上ケースもよくできている。
子連れが、出先でよく引き出し式のウェットティッシュ持ってるよな、とは思っていたけど、なるほどなぁ、という感じ。

最近雑貨屋によく売っている折り畳み式の踏み台、あれを洗面所に置きっぱなしにする。

子供が、乗ったり座らせたり、というのはもちろんなんだけど、自分も頻繁に座るようになる。靴下を履く時とか、傷の手当とか、スキンケアとか、爪を切ったり、ぼんやり座りながら歯磨きしたり。割と万能に使えてよい。邪魔なら畳めるし、今までなんで洗面所椅子なかったんだろう、って思う。

別にアルミとかでもいいけど、軽くてわりと大き目の奴を、ズボンベルト通しにつけっぱなしにしておく。

子供がいると、どうしても両手を使いたい事が多いから使い始めたんだけれど、レジ袋とかを腰に引っ掛けておける。いざってときに両手を使えるようにできるのは本当に便利、あと人としての最大積載量も多少増える。護身用にも使えるかな(ぉぃ)。

俺はこんなものが、というあるあるがあれば教えてほしい。

2020-11-26

anond:20201126104242

・他のトラバでもいっているように紙は薬局コンドームとか買うときにまだ使われているらしい(プライバシー保護

・さざえさんは籐製の楕円形の買い物かごを使っていると思う(プラスチックの四角い買い物かごではなく)

2020-11-24

anond:20201124061226

排ガスまみれの工場地帯スーパーならともかく

ゴム手袋の添加剤が商品プラスチックと何度も接触してるとブリードが発生して

黒く汚れているように見えているだけだと思う

定期的に交換すべきというのは確かだけど

2020-11-21

anond:20201121161637

ハンコがダメなら、他にダメものもいっぱいある。

プラスチックストローもそうだけど、

欧米大好きなアホのせいで意味なく潰されるものがこれからどんどん出てくるだろうね。

そのうち箸とかも適当理由つけて使えなくなるんじゃない笑?

こういう感覚なのか。本当にとにかく変化が嫌いなんだなあ。

ハンコは非効率な上に実質的意味がない慣例でしかない場面が多いんだからなくすのに意味はあるでしょ。

なんでそれとプラスチックストローが同列になるのかわからん(要は変化を求めてくるものは全部一緒くたに見えるということだよな?)。

箸は欧米人も普通に使うよ。Sushi restaurantがアメリカだのヨーロッパだのにどれだけひしめき合ってると思ってるんだ。

2020-11-19

昭和50年頃の日本田舎風景

思いついた順。順番に意味は無い。

 

田舎道路舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装コンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。

・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。

石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカス掃除先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブ石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋改装されて、学校ニワトリを飼っていた。

火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。

掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。

・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。

洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。

・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番おやつだった。

農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。

・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。

軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。

コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。

・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。

カラーTV田舎にも普及しはじめた頃。

・街へ行くたびに、あちこちボコボコビルが建ち始めていた時代1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビル建設されて、日本の街の風景が一変した。

・いまはシャッター街となっている田舎商店街に、もっとも活気があった時代

軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦特攻隊の訓練生だったとか、広島原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師リアルに居た。多くの大人たちが原爆キノコ雲の目撃者だった。

・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。

貯金金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。

・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。

・お豆腐屋さんに毎日豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。

主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋

生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミ収集車は、不燃ごみの回収が主だった。

冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。

・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦セックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。

  

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そのほか、あとで思い出したこと追記

子ども神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。

・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所神社の床下だった。

・雨の日はよくトランプしていた気がする。

レゴブロックは既にあった。当時から定番おもちゃだった。

こたつテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。

蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。

 (しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)

バスには運転手のほかに切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年

宅配便はまだ無かった。国鉄の駅から小包を発送していた。

国鉄荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定タグをつけたりしなくてはならなかった。

昭和50年代に複数宅配便会社競争で一気に普及して、国鉄荷物を送ることは全くなくなった。

女子体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活マラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。

ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。

・そんなド田舎でも新聞牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。

学校の校舎は当然木造体育館木造。今思うと、体育館のような大きな建物木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。

バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。

・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。

・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチック発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年

幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞にっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。

リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-11-07

anond:20201107162515 anond:20201107163119

というわけでいつも Uber出前館

けど店が増えなくて飽きた!!!

 

カット野菜シチューセットみたいなのはそのまま冷凍庫にぶち込んでおけるので

自分料理できそうな時に料理ができるのだけど

問題は葉野菜と肉

 

肉は、肉屋で買うと真空パックに入れて冷凍提供してくれるから安心できるんだけど

たかだか1kgから2kgでカットを細かく指定するのもどうかなって思って、

250gくらいづつで小分けにして貰ってるんだけどこれがまぁ使いにくい

1kgから2kgでも焼肉カットサイコロカットで250gづつカットを依頼して良いもんかな?

 

たくさん買うわけでもないのに細いカット指定はしにくいなって思ってスーパー冷凍肉買ったけど

バラ肉もひき肉もどっちも好みじゃなんだよね。玉ねぎなどの野菜もしくはハーブ香辛料がいる

 

じゃあ普通の肉買おうって買うけどプラスチックトレイサランラップのお肉って果たして冷凍で何日持つんやみたいな

結局、2〜3週間冷凍して食べれなかったら捨ててる。罪悪感あるわ

 

野菜は、鍋・・・鍋を作るぞと思いつつも、結局作れないで終わる

もしくは、もう流石に使わんとあかんやろみたいな時に一気に作るのでめっちゃ飽きる

小分けにして冷凍するということを学習したがこれも結局いつまで食べれるのかという不安がある

冷凍して4日以内に食べない時は怖いので捨ててる。罪悪感あるわ

 

サラダ最初から諦めている。コンビニスーパーサラダ食べる。本当は別のサラダが食べたいが

野菜ダメにするよりは罪悪感がない

外食サラダバーコーナーはいつもテンションが上がっている

あ、それ、シ○ブだよ!!

人の家でテレビリモコン調子が悪くても、勝手に引き出しは開けないほうがいいかもしれない。

当然だよ。と、言いたげなお前らの呆れ顔が目に浮かぶ。状況を整理する。

あれは新宿界隈のバーでだらだらとバイトをしていた。20歳前後の頃でした。お客様ですごく可愛らしい女性が来た。

目が大きくて、黒目も(カラコンかもしれないけど)大きくて、細くて、年齢も近かったので意気投合し、バイト後に飲みに行くことに…。

で、瞬く間に付き合うことになった。

きっとお互い暇だったんだと思う。出会ってから付き合うまで1週間くらい。

当時バイト先は新宿だったんだけど、自宅は新宿から離れていた。

彼女は俺に比べると新宿の近くに住んでいたため、付き合いをきっかけにバイト後は彼女の部屋に泊まる日もあった。


一緒に過ごす時間が増えていく中で、ちょっと違和感があった。

彼女、やけに元気な日もあれば、ものすごく落ち込んでいる日があって、そこに周期的なもの規則性が全く無い。

原因不明の浮き沈みの激しい女性は初めて付き合ったので、どうしたらよいのか対応が難しかったのを覚えてる(今だったらシカトして寝る)

ある晩、キスとともに彼女が何かを口移ししてきた。すると、俺はすぐに眠くなってしまった。あとからそれが睡眠薬であることがわかる。

それと、同時に彼女複数の処方薬をアルコールと共に乱用していること、気持ちの浮き沈みもそれによるものもあるかもしれないと推測した。

余談だけど、大事身体セルフでつけたであろう傷も沢山あった。


一度、性的行為最中に、違う男の名前を呼ばれ続けたこともあった。

一回とかじゃなくて、最中ずっと。きっとラリってて、俺じゃない誰かと行為をしてたんだと思う。


今でこそ、相手が薬を服薬をしていようとも「あぁメンタルそっち系の子ね…」くらいで、どっしり構えていられそうなもんだけど、

当時はまだ少年の心を持ってたので、なぜ彼女はそうなってしまったのか、何か自分にできることは無いのか、薬漬けの彼女を助けたいと、思い悩んだ。

(きっと、他人にはどうすることもできない)


ある日、彼女友達との約束で家にいない時に、彼女の家で一人でテレビを見ていた。

番組がつまらなかったのか、音量を変えたかったのか、リモコン操作すると、

どうにもリモコンの効きが悪かった。リモコン電池を交換しようと思った。

そうは言っても彼女の家だから電池がどこにあるかはわからない。

まぁけど、電池とかって適当な引き出しに入ってるっしょ。と

あんまりよくないんだけど、プライバシー意識の低さもあって、テレビ台の引き出しを勝手に開けてしまった。


すると


探している単4電池の細さよりも細長い、それでいてプラスチック状の半透明な注射器がでてきた。

先端には針がついている。中身は空だけど、ちょっと水分が残っているような感じ。


前述の薬のこともあって、すごく嫌な予感がした。

引き出しをそっと元に戻した。見なかったことにしよう。

いや、見なかったことにできる?まだわからない、それじゃないかもしれないし。

みんなが思ってるのとは違う、クリーンなお注射かもしれない。

いくら眠剤と酒でぶっ飛んでるメンヘラからって、まさか20歳そこそこで、まだそこまで辿りついてないでしょ。と自分に言い聞かせた。

少しして、彼女帰宅したので確かめることに。

リモコンの効きが悪く、引き出しを開けてしまたこと、

そこにあったもののこと、あれは一体、何なのか。と聞いてみた。


すると、忘れもしない。

それ系の返し史上、最も明るいテンションではないかと思うのだけど、

「あ、それ、シ○ブだよ!!けど、全然キマらなかったんだよね〜」

カミングアウト

その日以来、彼女とは会っていない。

あの日、一体俺はどうするのが正解だったんだろうか。

関係を断つ以外にやりようはあったのだろうか。


今の俺に言えるのは、

人の家でテレビリモコン調子が悪くても、勝手に引き出しは開けないほうがいい。

ということ。


と、いったところで終わりたいところなのですが、

もう少々お付き合いください。

当時アメブロとかブログ系のサービス流行っていたんだけど、この女の子ブログをやっていた。

(俺のことを途中から遊びと割り切っていたことや、彼女学生専門ヘルスバイトしてることが書いてあり、少々傷ついたのを覚えている)

さすがに薬で警察沙汰は勘弁と思ったので、付き合いを断ったわけだけど、

数週間経ってブログを見てみると、そこに気になる記述があった。

「足が痛い」

なんかまたちょっと嫌な予感というか、

気になった俺はメールをすることに。

増田「この間はごめん、最近どうしてる?」

女「久しぶり。最近ちょっとやばい

増田「どうしたの?」

女「足を怪我して」

増田「なんで?」

女「ベランダから落ちちゃって」

いやいや、ベランダから落ちちゃったは無いよ。

そんな柵の低いベランダいから。


タイミングタイミングだっただけに、

俺がシ○ブにビビって身を引いたことが一因となっていないかと、変な気持ちになった。


それから何年かして、新宿笑顔で歩いている姿を見かけた。

今も笑顔で前を向いていてほしい。

2020-11-05

トイレファブリーズリビングにぶちまけた話

トイレファブリーズというのがある。

楕円形の置型で後ろからボタンを押し切れ目を入れると濃厚な液体が厚いろ紙のようなものに徐々に染み渡りトイレ消臭を担う。

我が家でも愛用しており、1ヶ月半~2ヶ月月ごとに取り替える。

「お母さん、ファブリーズ替えとくよ」

小学生の息子はこの後ろのボタンを押すのが好きでよく気づいて取り替えてくれる。

残りが少なくなっても完全に液体がなくなることはなく、効果ほとんどなくても少しフレームの中に液体が残る仕様だ。

「ねえお母さん、この枠とってみていい?」

「んっ?」

いつもこのままポイとしていたが、確かにこれを開けた事はない。

普段なら絶対止めとけ!という所だが、その時は「そういえばこういうのもプラと紙に分別するのかな?」などと疑問が湧いたこともあり息子の行動を見守った。

少し力を入れるとプラスチックの枠はパカッと空き、中には厚いろ紙のようなもので強力に粘着されたパックが出てきた。

へぇ、取り出すとまだ結構匂いがするねぇ」

そのまま息子を見送り台所に向かった。

それから3~4分後だろうか。

我が家リビングが強烈なトイレファブリーズ臭に包まれた。

「な!!??」

まりの事にキョロキョロしてしまう私。

あはは、お母さんこれめっちゃトイレのにおいする」

そこにはさっきのパックにカッターナイフを突き立て、わずかに残った濃厚な液体が手からリビングの床に滴り落ちる小学生男子の姿があった。

私はとにかく冷静になるよう努めた。

うん、仕方がない。

私のせい。私のせい。

小学生男子に「トイレファブリーズ分解していいよ」と半ば許可を与えてしまった私のせい。

とりあえず愚息には即刻風呂シャワーを浴びるよう命じ、リビングブツ処分にかかる。

いや、これ本当に凄いのよ。

トイレファブリーズマジですごい。

「ほんとうにこれもう効果切れてたの?」

ってレベルで超濃厚なトイレファブリーズ臭いが鼻にダイレクトインするの。

しかたらこれもう一回開ければさらにもう1~2ヶ月トイレファブリーズとして使えるんじゃね?ってレベルで。

分解された枠、解体されたパック、そして滴り落ちた濃厚な液体。

とりあえずこれらをコンビニ袋へブチ込みベランダ隔離(今考えるとこの時手袋しなかったのは悪手中の悪手だった)。

お隣さんごめんなさい。

すべてのトイレファブリーズ臭の源であるリビングの床に滴り落ちた濃厚な液体とその床の始末にかかる。

パッケージに書かれた「床や家具匂いうつします。万が一、肌についたら水でよく流してください。」というメッセージを愚直に信じ徹底的な水拭きを行う。

もう全然ダメ

弱まるどころがどんどん強化されていくトイレファブリーズ臭。

CM千鳥ノブさんが仰ってる通り「ファブリーズの成分がトイレの壁や床に染み渡り臭いキャッチするんです!」ってアレ。

やめろ!やめてくれ!

ここはトイレじゃない!

ここは我が家リビングなんだ!!

ファブリーズの成分よ待ってくれ!

守備位置につくのはやめてくれ!!!!!

このままではリビング家具はおろか、仏壇先祖の位牌までもがファブリーズの成分で「よし!臭いバッチコイよ~!」状態になってしまう。

そこで焦った私に一筋の光が指した。

クエン酸!!」

そう。

我が家ではポットや加湿器の清掃用にクエン酸を常備してあるのだ。

これならもしかして・・・と思いぬるま湯で溶かして新しい雑巾でこすると・・・・・・・・・グーーーーーーーッド!!!

完全には消えないが、何をやってもトイレファブリーズ臭に負け続けていた各種成分がクエン酸匂いでやっと抑えられた感じ。

クエン酸リビングを徹底的に拭き掃除し、すべての部屋を網戸にして換気扇全開!

「お母さん、シャワー浴びてもめっちゃ臭い!」

愚息には再度洗い直しを命じ、その後私もシャワー避難

本当に匂い全然消えない。

頭も体も3回位、ゴシゴシと洗ってやっと消えてきたかなぁ~?位。

それから2~3日はふと気づくと息子や自分の手足やリビング家具から「あれ!?まだトイレファブリーズ臭する!」の繰り返し。。。

本当に地獄でした。

全国の小学生男子のお母さま!

私の愚息のようにイケない好奇心に負けないようしっかりお子様を監視してください!

あの日帰宅匂いに関しては特に何も言わなかった夫が夕飯の焼き魚を食べながらボソッと発した「・・・・・・なんかトイレ臭いするな」が頭から離れない私より。

2020-11-02

anond:20201102121838

ちょっとまりにもコストがね。

計算どうすればいいかからないけど、上がった海面に対処するために堤防作った方がマシな気がする。

 

で、その問題対処するには、木炭は人工石油にまで加工してプラスチックとして利用して、その果てに最終的に埋めればいいんではないかな?

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