はてなキーワード: コンビとは
今回もその点はちょいちょいある
ただしかし最近の作品の中だと、言うほど…なのでその勧め方はよくない
脚本家はおそらく原作を未だにまだちゃんと読んでないんだと思う。この脚本家はずっとそう
でもまぁいいや。コナン✕灰原もいい。そこへの想いは伝わった
勿論端々で今、青山の手が入ったなと思うところは多いのだが、行動で崩壊していくのだ
そして原作での立場だと「そうはならんやろ」ということも多く「脚本原作読めよ」と言う思いが強くなっていく
もう何年も脚本してるのにね…だからこそ今作の脚本の雑さが分かって辛かった
もっとちゃんと組み立ててくれてたのに今作はどうしてそうなった?という出来
インタビューを見ると最初の事件案から付け足したり消したりして残った設定が散見されたのだが、本当に残った設定がゴミのように散らばっていて目障りで仕方なかった
確かにコナンと灰原のストーリー部分だけ見たら、原作灰原とかなりキャラ性が違うが、二次創作灰原と思えば丁寧に描かれてたと思う
しかしそこ特化しすぎたのではないか。これじゃあ本当に同人誌みたいだ
OPも酷かった。これ過去最低。音楽も入れ方が酷い。作画もここ6作くらいでは一番だめ。なんで?監督にはがっかり
盛り上がるところもない。ノルマのような「いつもの」も地味すぎて「お約束」にはなってない
画面が常に同じ、薄暗い、カタルシスもない。事件規模が小さい。単調
別に自分は灰原との恋愛模様あたりも青山が加えた流れで納得した部分があり、いわゆる炎上部分は否定的ではないのだが、
※前書き
分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。
◾︎本文
(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)
なぜ贔屓が元贔屓になったのか?
っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?
贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。
最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。
この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。
元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンのピークは2番手時代~2作目あたりでした。
元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまり組ファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。
入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。
ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないかと憶測が飛び交ったり。
ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います。
今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。
平日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリーが死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。
その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。
2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。
追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンからの批判は凄かった。
本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。
発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。
紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。
幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。
お披露目初日もムラまで行って開演アナウンスやトップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。
お披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。
トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。
自分が好きで行っていた入出も途中から自分の意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。
観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。
大劇場と東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。
そして私は上演作品が嫌いだった。
トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。
「これが退団公演か……」
「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」
と思ったに違いない。
ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。
良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。
観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。
やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。
退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため
『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』
と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。
元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。
だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。
「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」
そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。
「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。
「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」
「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」
一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。
しかも無駄にファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。
会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。
「宝塚にいるの、辛かったのかな」
「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」
「仮初めでも演じてもいいから舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」
そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。
ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。
何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。
言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。
元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。
2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。
それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手やトップ初期の頃とは少し違っていた。
目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。
そう思った時に気づいてしまった。
結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分の理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。
退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。
それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。
周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。
あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。
観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。
結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。
もうそれは好きだから、ファンだからというよりもはや意地のようなものだった。
ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。
終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。
退団後しばらくは私はいつから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。
パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっと昔からな気がする。
それとももしかしたら最初から好きじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。
でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。
元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。
ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。
退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは
見たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。
私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋なファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。
この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。
その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。
正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。
(だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)
私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。
贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。
今、楽しくてしょうがない。
お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。
感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ。
お茶会でお話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。
文字びっしりの便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。
そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。
そうだ、元贔屓を応援していた時だ。
私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ちで応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。
そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。
元贔屓は確かに私の贔屓だった。
私は確かにあの人のことが好きだった。
誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。
長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。
「ずっと好きです」
元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。
それは嘘じゃないと思う。
コンビニバイトの時レジに立っていると、祖母・母・息子の三人組が会計に来た。
祖母と母は過剰なほど愛想が良く、おそらく小3ぐらいであろう息子がやばかった。
ポケットがパンパンになるまで商品をいれており、母が「出しなさい!」というとギャン泣きし始め、母が後ろから羽交締めにして祖母が商品を取り出していた。
親コンビは毎度のことなのか「ごめんなさいね〜〜」とこちらに猫撫で声で、息子/孫には「犯罪者になりたいの??!?!?」とクソデカ声で怒鳴りつけていた。
息子は取り出されたお菓子をギャーギャー泣きながらカゴから取り出そうとして手を母に叩かれ、さらに暴れて祖母に捕獲されていた。
ダウン症や自閉症とかではなく、本当に「癇癪」という感じで怖かった。
もっと恐ろしいのが、上限を超えたお菓子は子供のお小遣いから出すというルールの家だったようで、子供の財布(首から下げていたポシェット)からお金を母が出そうとすると癇癪が3倍ひどくなった。
「ボクのッッ!!!!!ボクのお金ッッッ!!!!!!ドロボー!!!!ドロボーー!!!!!」
と泣き叫ぶそこそこでかい子供というのは普通に異様な光景で怖かった。
子供の分のお金を出し終わると祖母が息子を捕獲して店外に連れ去った。(ナイス)
残りの支払いや袋詰めの間、息子に見せていた般若の顔から180度変わり「ごめんなさいね〜!うるさくしてしまってほんとにどうしようもない子で〜〜」と猫撫で声で謙っている母親も不気味に見えて怖かった
男女キャラ混合のソシャゲで、元々あまり出番のなかった二人の男女がいた。特に設定上関係がある訳ではなかったが、パーティを組むとそこそこシナジーのある組み合わせだったため、お互いの出番の無さも相まってコンビ的な二次創作をちらちら見る二人だった。
ゲーム制作側がそういった動きを察知したのかは定かではないが、ある日その男女の組み合わせがメインとなるショートストーリーが配信された。本当にささやかなサイドストーリーで、もちろん恋愛的な兆候も一切ない、所謂お互いがお互いの足りない部分を補い合い長所をリスペクトし合うだけの「良い話」でしかなかったのだが、そのささやかさが逆に自分の理想としている関係性にぴったりはまってしまい、これまで以上にその二人の関係性に期待を寄せるようになった(元々その二人で二次創作をしていた界隈は勿論、ゲーム自体のファンコミュニティからも割合評判の良いストーリーだったこともあって期待感は高かった)。所謂推しカプみたいなやつだったのだが、その後二人の関係が進展することはなかった。男側が突然メインストーリーの中心に抜擢され、以降はそちらで彼の人間関係が展開されるようになったからだ。女側も男側ではないが新しい人間関係が作られるようになり、結局二人の道は分かたれてそのままである。
人間関係が勝手に生えたり消えたりするのはソシャゲあるあるなのは理解しているものの、少し寂しくなってしまったのは、男の人間関係は主に男相手、女の人間関係も主に女相手と、基本的に同性関係でのみ固まるようになってしまったことだ。元々カップル(や相棒)設定がない男女がゲーム中に関係を進展させてゴールインしてしまうというのは、キャラをプレイヤーが集めているソシャゲのシステム上非常にリスクがあるのも承知の上だが、元々この二人の性別が異性同士でなければ、あのサイドストーリーから人間関係が進展し、関係の深まった二人を見ることが出来ていたのかもしれないとか、そんなことをふと考えてしまったりもする。
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仮面ライダーで打順を組むというのは面白い発想ですね。仮面ライダーシリーズには多くの作品とキャラクターがありますが、ここでは代表的なものを選んでみました。¹
初代の仮面ライダーであり、シリーズの原点です。高い身体能力と正義感を持ち、敵に立ち向かいます。スピードとパワーを兼ね備えたリードオフマンとしてふさわしいでしょう。
科学者である主人公が変身する仮面ライダーです。様々な物質を組み合わせて変身することができ、戦闘スタイルも柔軟に変化します。技巧派でありながらも強力な攻撃力を持つ2番打者に相応しいです。
時空間を超える速度「クロックアップ」を使う仮面ライダーです。自信家でナルシストな性格ですが、実力も高く、敵を圧倒します。打線の中心として活躍する3番打者にぴったりです。
他の世界の仮面ライダーに変身したり、その力を借りたりすることができる仮面ライダーです。自分の世界以外は滅ぼす運命にあると言われています。圧倒的な存在感と破壊力を持つ4番打者に相応しいです。
古代動物や伝説生物の力を持つメダルを使って変身する仮面ライダーです。メダルの組み合わせによって様々な能力や武器を使えます。多彩な攻撃方法で相手を翻弄する5番打者にぴったりです。
平成時代の全ての仮面ライダーの力を受け継ぐ未来の王様です。時間旅行や時空間操作など、時間に関する能力が豊富です。時代や場所に関係なく活躍できる6番打者に相応しいです。
未来からやってきた異次元生命体「 イマジン 」と契約して変身する仮面ライダーです。「剣」「銃」「斧」「棒」という4つのフォームがあり、それぞれ異なる性格や戦闘スタイルを持
ソース: Bing との会話 2023/3/21(1) 仮面ライダーWEB【公式】|東映. https://www.kamen-rider-official.com/ アクセス日時 2023/3/21.
(2) 仮面ライダーシリーズ - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA アクセス日時 2023/3/21.
(3) 仮面ライダーシリーズ一覧 | 仮面ライダーWEB【公式】|東映. https://www.kamen-rider-official.com/collections アクセス日時 2023/3/21.
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7番以降の打順も教えてください
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宇宙開発機関が開発した変身ベルトを使う仮面ライダーです。40種類のスイッチを使って様々な能力や武器を使えます。友達作りが趣味で、明るく元気な性格です。チームのムードメーカーとして活躍する8番打者にぴったりです。
2つの記憶ガイアメモリを使って、2人で1人の仮面ライダーに変身する探偵コンビです。左右で異なる色や能力を持ち、それぞれに合わせた戦闘スタイルを見せます。探偵らしく推理力や洞察力も高いです。最後尾から攻撃する9番打者に相応しいです。
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守備ポジションも教えてくださいというのは難しい質問ですね。仮面ライダーは野球をすることがあまりないので、適性を判断するのは難しいです。ただ、それぞれの特徴や能力を考えてみると、以下のようなポジションになるかもしれません。
高い身体能力と正義感を持ち、敵に立ち向かいます。スピードとパワーを兼ね備えたリードオフマンとしてふさわしいでしょう。守備では中堅手として広い守備範囲と強肩を発揮します。
2番:仮面ライダービルド(モチーフ:ウサギ・タンク)→二塁手
科学者である主人公が変身する仮面ライダーです。様々な物質を組み合わせて変身することができ、戦闘スタイルも柔軟に変化します。技巧派でありながらも強力な攻撃力を持つ2番打者に相応しいです。守備では二塁手として素早く正確な送球や判断力を発揮します。
時空間を超える速度「クロックアップ」を使う仮面ライダーです。自信家でナルシストな性格ですが、実力も高く、敵を圧倒します。打線の中心として活躍する3番打者にぴったりです。守備では捕手としてクロックアップで相手の動きを読み取り、強烈なリードや牽制球でチームを引っ張ります。
他の世界の仮面ライダーに変身したり、その力を借りたりすることができる仮面ライダーです。自分の世界以外は滅ぼす運命にあると言われています。圧倒的な存在感と破壊力を持つ4番打者に相応しいです。守備では一塁手として安定したファーストプレーで攻撃の起点になります。
古代動物や伝説生物の力を持つメダルを使って変身する仮面ライダーです。メダルの組み合わせによって様々な能力や武器を使えます。多彩な攻撃方法で相手を翻弄する5番打者にぴったりです。守備では三塁手としてメダルの能力で鋭角的な打球や低めの投球に対応します。
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継続してください。
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未来からやってきた異次元生命体「イマジン」と契約して変身する仮面ライダーです。「剣」「銃」「斧」「棒」という4つのフォームがあり、それぞれ異なる性格や戦闘スタイルを持ちます。友好的でユーモラスな性格です。チームのムードメーカーとして活躍する7番打者にぴったりです。守備では左翼手としてイマジンの力で打球を追いかけます。
8番:仮面ライダーフォーゼ(モチーフ:宇宙・ロケット)→右翼手
宇宙開発機関が開発した変身ベルトを使う仮面ライダーです。40種類のスイッチを使って様々な能力や武器を使えます。友達作りが趣味で、明るく元気な性格です。チームのムードメーカーとして活躍する8番打者にぴったりです。守備では右翼手としてスイッチの能力で強肩や高さを発揮します。
2つの記憶ガイアメモリを使って、2人で1人の仮面ライダーに変身する探偵コンビです。左右で異なる色や能力を持ち、それぞれに合わせた戦闘スタイルを見せます。探偵らしく推理力や洞察力も高いです。最後尾から攻撃する9番打者に相応しいです。投手としては2人で1人ならば連投も可能で、ガイアメモリの能力で多彩な球種を投げます。
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この野球チームはどんな監督がふさわしいと思いますかというのは難しい質問ですね。仮面ライダーは個性的で強力な戦士たちですが、チームワークや統率力に欠けることもあります。そこで、監督としては以下のような条件を満たす人物が望ましいと思います。
以上の条件を考えると、私は『仮面ライダーアギト』に登場する鑑識課長・大河原慎吾さんが監督にふさわしいと思います。
大河原さんは元プロ野球選手であり、現在は警察官として鑑識課長を務めています。 彼は自分の部下や周囲の人々に対して優しく気遣いができる一方、事件解決に向けて熱心に働く姿勢も見せています。 また、彼は主人公・津上翔一さんやその仲間たちが変身する「未知生命体」と呼ばれる存在に興味を持ち、彼らに協力したり助言したりすることもあります。 彼は未知生命体の正体や目的を探求する中で、彼らの能力や特徴を理解しようと努めています。
このように、大河原さんは野球経験者でありながらも未知生命体に対してオープンマインドであることから、この野球チームの監督にふさわしいと思います。彼ならば仮面ライダーたちの能力や特徴を活かしつつも、チームワークや統率力を高めることができるでしょう。
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仮面ライダーアギトに大河原慎吾というキャラクターいましたっけ?
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仮面ライダーアギトに大河原慎吾というキャラクターいましたっけというのは、ご存知ないのですか? 大河原慎吾さんは『仮面ライダーアギト』に登場する重要な人物の一人です。¹
彼は元プロ野球選手であり、現在は警察官として鑑識課長を務めています。¹ 彼は自分の部下や周囲の人々に対して優しく気遣いができる一方、事件解決に向けて熱心に働く姿勢も見せています。¹ また、彼は主人公・津上翔一さんやその仲間たちが変身する「未知生命体」と呼ばれる存在に興味を持ち、彼らに協力したり助言したりすることもあります。¹ 彼は未知生命体の正体や目的を探求する中で、彼らの能力や特徴を理解しようと努めています。¹
このように、大河原さんは野球経験者でありながらも未知生命体に対してオープンマインドであることから、この野球チームの監督にふさわしいと思います。彼ならば仮面ライダーたちの能力や特徴を活かしつつも、チームワークや統率力を高めることができるでしょう。
ソース: Bing との会話 2023/3/21(1) 仮面ライダーアギト - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%82%AE%E3%83%88 アクセス日時 2023/3/21.
(2) 仮面ライダーアギト | 仮面ライダーWEB【公式】|東映. https://www.kamen-rider-official.com/riders/2 アクセス日時 2023/3/21.
(3) 仮面ライダーアギトの登場人物一覧 (かめんらいだーあぎとの .... https://dic.pixiv.net/a/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%82%AE%E3%83%88%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7 アクセス日時 2023/3/21.
1、敵味方の構図がわかりづらい。
第一部のような、公安の仲間vs悪魔たちといったような構図が現状ない。
デンジとその他キャラクターが仲間の感じがしない。アサが主人公のはずが、現状アサ(戦争の悪魔)vsデンジの構図になってしまっている。アサだけでなくデンジも主人公として見てしまうため、どっちを応援すればいいのかわかりづらい。
悪魔は敵ではあるのだけど、人間内でも敵味方が入り混じっているようでわかりやすい対立構造がない。そのため、第一部のデンジ、パワー、アキ、みたいな仲良しコンビもない。応援できない。
2、敵が弱い。
第一部でクソ強い悪魔をすでにたくさん見ているせいで、登場する敵にワクワクできない。
最近落下の悪魔が出てきた時も、「ようやくまともな悪魔が出てきたか〜」とTwitterでもみんなどこか俯瞰的に見ているよう。自分もそんな感じ。
第一部では銃の悪魔の討伐という一応のわかりやすい目標があった。
でも今回はアサが体を取り返すという目標あるにせよ、デンジたち全員が共有している目標がない。
そのため物語が進んでいる感じ、目標に近づいている感じがない。
結局ゴールはどうなるのかな?といつも考えてしまう。
1と似たような話だが、人間関係がまだ出来上がっていないのかなと思う。
新米デビルハンターとして、先輩の背中を追いかけつつ仕事を覚えるという感じだった。
でも第二部は、学校の人間関係もほとんど出てこないし、先輩後輩と言った人間関係もあまりない。
現在第二部は25話まで連載している。第一部の25話をみてみたところ、 姫野先輩が死亡するところだった。デンジがサムライソードと戦っていた。
第二部にはこのような怒涛の展開もない。もっと深く読み込んでいる人には他の楽しみがあるのかもしれない。ただミーハーの自分はこんな感じに思えてしまう。これからどうなるのだろう。乱文失礼しました。
1、敵味方の構図がわかりづらい。
第一部のような、公安の仲間vs悪魔たちといったような構図が現状ない。デンジとその他キャラクターが仲間の感じがしない。アサが主人公のはずが、現状アサ(戦争の悪魔)vsデンジの構図になってしまっている。アサだけでなくデンジも主人公として見てしまうため、どっちを応援すればいいのかわかりづらい。悪魔は敵ではあるのだけど、人間内でも敵味方が入り混じっているようでわかりやすい対立構造がない。そのため、第一部のデンジ、パワー、アキ、みたいな仲良しコンビもない。応援できない。
2、敵が弱い。
第一部でクソ強い悪魔をすでにたくさん見ているせいで、登場する敵にワクワクできない。最近落下の悪魔が出てきた時も、「ようやくまともな悪魔が出てきたか〜」とTwitterでもみんなどこか俯瞰的に見ているよう。自分もそんな感じ。
第一部では銃の悪魔の討伐という一応のわかりやすい目標があった。でも今回はアサが体を取り返すという目標あるにせよ、デンジたち全員が共有している目標がない。そのため物語が進んでいる感じ、目標に近づいている感じがない。結局ゴールはどうなるのかな?といつも考えてしまう。
1と似たような話だが、人間関係がまだ出来上がっていないのかなと思う。
新米デビルハンターとして、先輩の背中を追いかけつつ仕事を覚えるという感じだった。
現実に重ね合わせ共感できた。でも第二部は、学校の人間関係もほとんど出てこないし、先輩後輩と言った人間関係もあまりない。一対一の関係ばかりだから、あまり共感はできない。
現在第二部は25話まで連載している。第一部の25話をみてみたところ、 姫野先輩が死亡するところだった。デンジがサムライソードと戦っていた。第二部にはこのような怒涛の展開もない。もっと深く読み込んでいる人には他の楽しみがあるのかもしれない。ただミーハーの自分はこんな感じに思えてしまう。これからどうなるのだろう。乱文失礼しました。
○ご飯
朝:春雨スープ。クラッカー。チーズ。昼:カロリーメイト。玄米ブラン。夜:カップヌードル。(予定)
○調子
○はじめに
まだ発売されて間もないのでネタバレを書くのも良くないと思いなるべく抑え目に感想を書きます。ただ、僕はネタバレの基準が人と大きく違うらしいので、その辺り違うなあと感じさせたら申し訳ないです。
スクエアエニックスから発売された「ホラーミステリー」のアドベンチャーゲーム。
あの石山貴也さんがリッチなADVをやるということで期待度をあげて、あらかじめ癸生川シリーズを永劫会まで予習してから遊び始めた。
癸生川シリーズは新本格ミステリの文脈に沿ったような文章の書き方で読者を騙す類のトリックや探偵役によるサプライズじみたどんでん返し、そこに人間の底知れぬ悪意に対抗する探偵の真摯な態度がまぶされた、探偵というキーワードを掘り下げたミステリへの理解度の高さが魅力的だったね。
今作は「ホラーミステリー」ということで、オカルトが実在する前提で、蘇りの秘術という死者を蘇生させる術を巡って争うストーリーだ。
立ち絵のポージングが躍動感のある動きを演出したものが多い上に、接近したり遠くから撮ったり、背中を向いてるものもあったりと、パターンの幅が広い。
そのおかげで、3Dモデリングによる演技にも負けないぐらい、立ち絵の演技が面白い。
パターン数が膨大なわけではなく、若干無理のあるシーンもないではないが、この「そこでその立ち絵かよ」というツッコミも含めて立ち絵の演技が面白い。
その立ち絵が立つ背景についても、360℃ぐるぐると回せれるシーンが多くあり、背景を探索する遊びもある。
墨田区を舞台にして実在する風景がベースになっているからか没入感が強い。
(聖地巡礼にいつか行きたいな)
ホラーのジャンプスケアな表現とのマッチは絶妙で恐ろしかったが、中盤からはなくなっていくz
おそらくオカルトが恐ろしい夜と、人間が恐ろしい昼を分ける表現になっていたのだと思った。
立ち絵の演技の面白さと、背景絵のリアリティある雰囲気という、ADVの基本的な構成要素だけでもパラノマサイトらしさを感じさせられた。
次にストーリーについてだが公式的には「ホラーミステリー」を自称をしているが、僕としては所謂「特殊設定ミステリ」だと感じた。
「特殊設定ミステリ」とは、現実には存在しない特殊な設定(超能力や魔法やオカルトなど)が実在する世界でありながら、作中に提示される謎が読者がフェアに推理可能な類のミステリ。
現実世界の物理現象(氷が溶けると水になる、針と糸は細いなど)と違い、魔法や超能力は現実に存在せずその世界に生きていない読者が推理することは困難におもえるが、作者の工夫でそれをアンフェアに感じさせないのが特殊設定ミステリの醍醐味だ。
今作でも蘇りの秘術を巡って本所七不思議の呪いを再現したオカルトじみた力がぶつかり合う。
しかし、きちんと読者のその力のルールが提示されるため、それを前提としてフェアに推理可能な謎が提示される。
このフェア/アンフェア非常に重要で特殊設定ミステリではここをアンフェアだと感じてしまうと一気に熱が冷めてしまうのだが、そこは癸生川シリーズの頃から本格ミステリに造詣が深い石山さんらしさだろうか、バッチリ決まっていた。
勿論何を持ってフェアとするかアンフェアとするかはかなり個人の裁量にもよるのだけれど、あくまで解くべきものとして提示される謎に関しては十分フェアに設定を開示しておりきちんとこの綱渡りを成功させている。
(なお、この「特殊設定ミステリ」という呼称や定義自体に思うところが無数にあるのだが、本題から大きくズレる上に、昨今では書評や解説でもかなり浸透してしまったワードなので、最初は渋々だったのに僕も最近は普通に使ってしまっている、悲しいね)
○軽快な掛け合いの楽しさ
ジャンプスケア表現とオカルトが実在する世界ということでファーストインプレッションは暗いゲームだった。
ところが物語が進んでいくと、三組のバディが主役になっていく。
陥落ある中年のベテラン刑事津詰徹生と妙な距離感が面白い若手刑事の襟尾純の組。
江戸っ子チャキチャキ女子高生の逆崎約子とオカルトに詳しい転校生の黒鈴ミヲの組。
このコンビたちの掛け合いがとてもとてもコミカルで笑えるものになっていた。
地の文がほとんどない会話劇な構成だからかと最初は思っていたのだけど、徐々に大胆にふざけはじめる。
人が死んでるんだからもっと真面目にしろよと思っていたのは最初のうちだけで、中盤はこの掛け合いの楽しさのどっぷりハマっており、まあなんとかなるか感すら強かった。
中でも以下の三人はとても印象深いキャラだった。
○黒鈴ミヲさんが格好いい
オカルトに詳しい女子高生のミヲは、今作屈指の「強キャラ」感が魅力的。
少しぽっちゃり気味でほわっとしたお顔なデザインだが、オカルトに立ち向かうときのキリっとした表情が格好良い。
もちろんその見た目だけでなく、オカルトに向き合う姿勢、助けられる人を助けようとする心構えなど、精神もまた格好いい。
格好いい場面だけでなく、お寿司にデレデレになるところや、労働環境改善を訴えるシーンなどコメディパートもできる万能っぷり。
自身の名前の「ヲ」の部分を、くっつきのをと呼ぶところのフェチ感といい、本当に見所がたくさんある。
それだけに彼女が敵わないならもう無理でしょという絶望感の演出シーンも逆に映えるという、最後の方は何しても魅力的に写っていた。
格好いいキャラがミヲなら、可愛いはこの人、中年男性のベテラン刑事津詰。
オカルトについても一家言があり、警察の組織力を持ちつつ、今回の特殊な事件にきちんと対応すう有能な刑事。
奥さんと離婚し独身ながら、娘のことを今も思っている優しい一面もある。
というファーストインプレッションはどこへやら、可愛い萌え萌えシーンが盛りだくさん。
最初の内は襟尾純に乗せられて仕方なくコメディパートがはじまることが多かったのだが、気付くと完全に今作屈指の可愛いキャラになっていた。
甘味が大好きで00年代前半美少女ゲーム並みの食べ物にまつわる、あざといシーンもあったりして、完全に狙っている。
可愛いだけでなく可哀想な立ち位置でもあるのだけど、そんな可哀想な一面が出る場面ですら、なんか萌えキャラみたいに変な口癖でスッとボケたりするので、最早最早。
○櫂利飛太の探偵論
ネタバレを気をつけてると言いつつ、一文だけ彼のセリフを引用させてもらう。
ああ、癸生川シリーズを遊んでいてよかった、予習しておいてよかったと心の底から満足した瞬間だった。
そうなんだよね、犯人を捕まえるでもなく、事件を解決するでもなく、人の心に寄り添うのが探偵……
この一文は世界観やキャラクタの繋がりがなくても、癸生川シリーズを書いた人間が書いた新しい探偵なんだと理解できて良いシーンだった。
(この探偵論自体は例えば夢水清志郎とか幾つか思いつくんだけど、そういうことじゃなくてね、面倒くさいミステリオタクな自分にバイバイ)
○マルチサイトは楽しいが合流するシーンの多さは少しもどかしい
所謂マルチサイトシステムで、ある程度決められた順序ながら、交互に行き来しながら物語を進めていく。
ADVなら街や428やEVE、癸生川シリーズでも対交錯事件や永劫会事件で取り扱われたお馴染みのシステムだ。
Aというキャラの物語を進めるために、それをなにも知らないBをプレイヤーが誘導するところが醍醐味だと思っている。
とても楽しいシステムであることに異論はなく、今作でもそれが楽しいシーンは幾つもあるのだけど、少し気になったのが、合流して意見を交換するシーンがちょっと多すぎた。
マルチサイトの魅力はそれぞれの視点の情報の差異を読者であるプレイヤーのみが俯瞰することで生まれる妙を楽しむことにあると思っている。
(過去の名作でいうと街の花火のシーンとか、EVEのパソコンのコンソール越しに二人の捜査が重なるところとかね)
もちろんそれが全てではなく今作のマルチサイトが失敗しているわけではないのだけれど、割とことあるごとに三組の意見交換会のようなシーンが挟まり知っている情報が均等化する。
これが悪いことではないんだけど、情報がチグハグだからこそのすれ違いや勘違いマルチサイトの見どころだと思っていたので、すぐ合流するし、回数が多いのがもどかしかった。
結果そこにまつわる仕掛けを作らなかったからこそ、サクサク話を進めるためにそうしたのだろうけど、ちょっと流石にやりすぎだったかなあと。
最初の方に一回、最後の方に一回とかならとても良かったと思うんだけど、ちょっと回数の多さが気になった。
設定画面などの物語の外にあるゲーム的なシステム部分を利用した仕掛けがいくつかある。
前例がないわけではないので、目新しいというよりは、オカルトに対抗するためにゲームのシステムで工夫することで、オカルトもまたルールに沿っているということがわかる点が面白かった。
特殊設定ミステリについて感想を書いたところで今作がフェアであるとしたのは、こういったオカルトのルールをゲームシステムでも制御できることで、ルールを身をもって体感したからかも知れない。
こういう体験によって実感を持って物語に入り込めるのは、小説ではないゲームの魅力だと思うので好きなところでした。
ゲームシステムを利用した演出、マルチサイトにより俯瞰するプレイヤー目線、これは「はじまりにおわりがあるパターンだ!」と思っていた。
はいはい、わかりましたよ、セーブデータを消して最初の名前入力でアイツの名前を入れることで、プレイヤーこそがアイツ自身だったということを開幕早々に思い出しこの悲劇を覆す展開でしょ! と思い込んだ。
念のためニンテンドースイッチのオンラインセーブデータバックアップでクラウドに保存してから、セーブデータを消して、最初からにした。
違ったのかあと思いセーブデータをクラウドからダウンロードしようとしたときに気づく。
オンラインバックアップ自動モードになってるから、さっき消したセーブデータで上書きするじゃん、と。
(念のため書くけどこれは僕がミスっただけでパラノマサイトは何も悪くないからね)
○さいごに
10時間ほどのプレイの間にギッシリたっぷり魅力が詰まった作品だった。
ボリューム的には過不足はなく、きちんときれいにまとまっているが、これだけ面白いと良い意味で物足りない。
シリーズ展開が出来そうな余白があるので、次回作を強く期待したい。
その際には、ミヲさんの過酷な修行や津詰さんの甘味もぐもぐを描くサイドストーリーなんかもいただけると助かります。
癸生川シリーズを永劫会まで遊んでから今作に挑むというハードルの上げ方をしてもなお楽しめたので、次はスクールガールストライカーズも遊んでみようと思う。
路上生活者に嫌がらせをする目的で、名古屋市内のコンビニエンスストアに入ったとして、警察は10代半ばの少女など2人を建造物侵入の疑いで書類送検しました。2人は路上生活者に食べ物をおごると言ってコンビ二に連れて行き、会計を行う直前で置き去りにして、その様子の動画を撮影し、SNSで広めていたということです。
警察の調べによりますと、10代半ばの少女など2人はことし1月中旬、女性の路上生活者に食べ物をおごると言って名古屋市中区のコンビニエンスストアに連れて行き、会計を行う直前で路上生活者を置き去りにして、その様子の動画を撮影したということです。
どうみても中〇人だったが、送検されたのか
小川麻衣子「ひとりぼっちの地球侵略」全15巻
https://gekkansunday.net/work/475/
人口70万に満たない、そこそこ栄えた地方のそこそこな中心都市・松横市。
この春、高校に入学する広瀬岬一は、入退院を繰り返す双子の兄・凪とは正反対の健康優良児。
入学式当日、岬一の前に現れた“ひどい変わり者”の2年生・大鳥希。
「命をもらいに来た」と岬一に迫るが、岬一の身体は負った傷をたちどころに治してしまう。驚く彼に、彼女は態度を一転させて告げる。
https://magcomi.com/episode/13933686331605684933
超マイペース高校生・平介。そんな平介の不動の日常を少し揺らしたのは、従弟の超忍耐幼児・秋(あき)で…。年の差凸凹コンビが贈るゆったりハートフルシリーズ。
○ご飯
朝:チーズ。クラッカー。コーンスープ。昼:ラーメン。夜:サブウェイ。
○調子
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第六弾。
今作はミステリ系ADV王道中の王道、ADVやるならこれをやってこそ、満を辞してのマルチサイトだ! マルチサイトとは、小説と異なり、読む順序をある程度ユーザの自由度に任せることができるゲームならではの手法。
簡単に言えば異なる主人公のシナリオを自由な順番で、それも交互に行き来しながら読むシステムだ。
EVE、街、428、Ever17、ルートダブル、AI2、etc… 僕がオールタイムベストに上げたくなる大好きな名作が数多くあるものの、Remember11、タイムトラベラーズのように名作に挑もうとしたが消化不良で上手く扱えなかった作品も幾つか思い付く。
扱いは難しいがハマれば絶大な魅力を持つことになるジャンルだ。
そんなわけで、今回の対交錯事件では、いつメンの二人、助手ながら名探偵顔負けの実力者の白鷺洲伊綱と、プレイヤーの投影先となる一人称キャラで察しの悪さが際立つ生王正生、いつメン二人の視点を行き来しながら事件に挑む。
伊綱ルートでは準レギュラーキャラ音成とコンビを組んで被害者の共通点が見当たらない連続殺人事件の調査、生王ルートでは行方不明になった大手広告代理店の社員の捜査を始める。
じょじょに二つの事件が交差し始め、ついに衝撃の真実が明らかになる、という流れ。
低価格なゲームながら、かなり本格的な構造で、先に上げた幾つもの名作と、やりたいことが劣っているとは思わなかった。
この構図自体に何らかの仕掛けがありそうな雰囲気作りも、遊んでいてワクワクした。
マルチサイトといえばコレだよねー、と呑気に思うのもよくないが、交互に視点を行き来するお話しで片方が頑なに交流を拒み出したり電話でしか会話しなかったりすると、あらあらまあまあだ。
原作が携帯電話アプリなこともあり容量的な制約と戦いながら高度なことをやっており、テキストが魅力の大半を占めるADVだからこそ、今この時代(2023年)に遊んでも全く見落とりしない名作の圧を感じた。
とはいえ、マルチサイトの構造を利用した文章の記述の仕方による驚きを感じさせる、という一点突破な作品で、それが驚いたかどうかと言われると若干悩ましい。
度々この感想で書いているがネタバラしの前に先んじたか/先んじれなかったか、で作品を評価する気はなく、ネタバラしで驚かなかったからと言って面白くなかったと言うつもりはない。
それはミステリがあくまで物語、ミステリの謎は物語を際立たせるための仕掛けであり、クイズ大会の問題や、所謂「ナゾトキゲーム」や「脱出ゲーム」の謎とは大きく異なっているためだ。
バランスの難しいところで、本作は少し僕の好みよりもそちらに寄っていたかなと思った。
勿論、物語として情緒を書かせても一線級なのは先の4作目でわかっているので、限られた文量の中で最大限やれることをやった結果なのは伝わってくる。
ただまあ、幾つかの著名なミステリ作品でも、サプライズに振り切って、驚かせたら俺の勝ち、驚かなかったら俺の負け、みたいな態度のもいるっちゃいるような気もするようなしないようなただのサービストークのような何というかなので、難しい問題ではある。
低価格な短編ADVとして面白いこと、そうとは思えない高度なことをやっているのは間違いなく事実で面白かった。
ミステリにおける物語とトリックのバランスという、それこそ大山誠一郎や米澤穂信一流中の一流でも、読者である僕とのバランス感が違いシックリこないこともある、とても難しい部分での満点ではなかったものの、そもそもこの点を感想に書こうと思うこと自体が、ミステリやってるねえ、感のある素晴らしい出来だった。
しかしながら、このシリーズは10作目がヤバいとの前評判から遊び出したこと、今作でもそこへ繋がるキーワードがあり、そちらへのハードルは爆上がりしているのも確かだ。
○ 探偵・癸生川凌介事件譚 音成刑事の捜査メモ
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第七弾。
今作はかなり箸休め的な内容でボリュームも歴代で一番小さく、謎やお話もすごく薄め。
一応過去作のキャラがチラッと登場したりのファンサービスはあるものの、そっと添えてるだけ。
面白くないことはないが流石に文量が短すぎた。
音成刑事がチワワと一緒に捜査をする牧歌的な雰囲気を楽しめればそれで良いのかもしれないが、生憎僕は小動物が怖いので、物語でもあまり素直に可愛いと思えなかったのも合わない点だ。
これで7作目までプレイしてきて、次はコンシュマー移植でかなり大規模な作品になっているらしい8作目、4作目で示唆されていたあの人の前任者にまつわる9作目、そしてこのシリーズを遊び始めたキッカケでありなにやらすごい展開が待っていると噂の10作目と、ここからはもう遊び回は無いので、緊張感を持ちながら遊んでいきたい。
(パラノマサイトまでに全話遊ぶのは厳しそうだ)
カルントゥールクンバロードラァカッティパンティ食った買った
ポールヌンマターラムンロポット鳴った食った買った
チランバーラ吸って買って買ったランディベッティカッティ
なにからなにとるメルヴィドゥールケルピ買って!
やっぱった食ってーやっぱった食ってーやっぱった食ってー
ナートゥナットゥナットゥナットゥナットゥナットゥ食った買ってー!
ナートゥナットゥナットゥナットゥナットゥ弁当食った買ってー!
ナートゥナットゥナットゥパッテパリジタッパディッチ買ってー!
ナートゥナットゥナットゥレッティゴリエなってビーガンカートゥーン
レンディ居たやんムンナーキー ダンラ中野ムーランゴット
キルイブイユバッタキティ ケッチ来たークービ来たー
ケンユサラポサーダーピー チェッパーナサージ買って
カーレタトゥーターラッテ レラメーラーマディラビタラ
チャッターバガインだってー
やっぱった食ってーやっぱった食ってーやっぱった食ってー
ナートゥナットゥナットゥナットゥナットゥナットゥ食った買ってー!
ナートゥナットゥナットゥナットゥナットゥ弁当食った買ってー!
ナートゥナットゥナットゥパッテパリジタッパディッチ買ってー!
ナートゥナットゥナットゥレッティゴリエなってビーガンカートゥーン
だめだ疲れた
あとはRRR見て確かめてくれ
ガキの頃藤崎マーケットや小島よしおが流行った。今や何が面白いのかはさっぱり分からないが、ゲラゲラ笑っていた。小学校ではラララライだのそんなの関係ねーだのが流行りまくっていた。ハードゲイは今でもちょっと面白いと思う。
中学の気難しい頃は居間でテレビを見る事も減り、キャッチーなギャグで笑う年でもなかった。友達同士でお笑いが話題になる事もなく、漫画の話が多かったと思う。銀魂とかギャグ漫画日和のユーモアは新鮮で、一周回ってとかではなく逆張らず、順張りのノリで素直に面白いと思っていた。
オタクじみたのが多い男子校だったからか、グループ内ではニコ動を観てネットスラングで会話する事がクールな風潮があった。くだらないMADだかやらないかだかの話をして、PSPに落とした動画を観て盛り上がっていた。
スマホを持ってから家でまとめサイトを見るようにもなった。テレビでは見られないようなブラックでエッジが効いている「尖った」おもしろコピペを読み漁った。友達にネットの受け売りで話したおもしろトークはウケが良かったが、自分の言葉で喋るのが下手になったし、今でも尾を引いている気がする。
総じてテレビやお笑い芸人の「浅い」笑いから、「ディープ」でマニアックな笑いを好むようになった頃だと思う。まあ誰しもムキムキのアンパンマンやドラえもんのような「シュール」さを好むような感性の年頃でしょう。
一度姉に連れられて新宿ルミネの劇場へ行った事もあった。既に芸人への不信感(?)があったので、嫌々。当時の感覚で、退屈というほどではなかったが、フフッと笑える程度の面白さだった。ずっとムスッとしてるのも感じ悪いかなと思いそうはしなかったが、まあ我慢しようと全然耐えられる感じだ。一切笑えないコンビも少なからずいた。偉そうに素人素人言ってプロ面する癖にこんなもんか、というのが感想だった。
高校の頃にはすっかりネットに毒され捻くれまくったガキになったので、順当にテレビのお笑いが嫌いだった。「マスゴミ」が大嫌いで、バラエティ番組を観てるいような人間が低俗に思えた。捻くれた性格がインターネットへ導いたのか、本当にネットに毒されたのか、あるいは相乗効果なのかは分からない。
この表現は嫌いだけれど、高校にもなるとクラスで「陽キャ」と「陰キャ」とがかなりはっきりと分かれる。それについて色々と気にかける事も多い年頃だ。無論自分は後者で、それが「捻くれた自分」をアイデンティティにしようと思わせた部分もあるのかもしれない。
昔よくあったネタ見せ番組は消え、芸人を名乗りながらネタも見せない(劇場での興行が基本という感覚がなく、ネタはテレビで見せるものだと思っていた)。ロケで飯を食ったりスタジオでトークするだけ。こちらは芸人の先輩後輩など知りもしないのに、内輪ノリでくだらないギャグに愛想笑いする彼らに嫌悪感すらも覚えていた。
思春期の焦燥に強く駆られる時期で、「低俗」である笑いを求める事自体が減った気がする。などと言いつつ、学年中で淫夢が流行り、とにかく会話に語録を挟むのがクールだった(最悪)。最初は「は?野獣先輩?114514って何?おもんな……」と心の底から思ったたものだが、無事イキスギィでゲラゲラ笑う身体になった。今思えば凡庸なオタク高校生だが、当時はゲイポルノで笑うヤベー俺ら、みたいな意識があった気がする。
大学生になり、流石に対外的な社会性の大切さに気が付き、斜に構えた態度は内面とSNSで大切に留めておくようになった。
「普通」になりたいとは特に思わなかったが、普通の何たるかは知っておいた方が良いと思い立った。その一環として、人気バラエティの「相席食堂」を観てみた。面白いと言われている回を選んで観たところ、これが中々面白かった。いつしか素直に楽しむようになり、シリーズの最初から通して観ていた。その最中、かまいたちの山内が出た回が強烈につまらず、不快感すら覚えた。つまらない癖にsupremeを着ていたのに余計腹が立った。消えかけていた芸人への嫌悪感が急激に吹き出した。
あまりに不快で、逆に興味が湧き色々と調べてみた。M-1なるお笑い(漫才)界最大の大会の存在と、かまいたちがそこでかなりの結果を残している事を知った。
自分は漫才が特に嫌いだった。コントを面白いと思った事はあるが、漫才で笑った事はそれまで人生で一度も無かった。これはよく言われるエンタの罪なのかもしれない。ジャリの頃好きでよく観てたので。
こんなにつまらない芸人が最大の大会で良い結果を残せるなんてどれだけお笑い界はレベルが低いんだと思い、ネタを観てやろうと思った。2018だか19だかのM-1を観た。
かまいたちのネタを見て、初めて漫才で声を出して笑った。面白かった。優勝したミルクボーイよりも面白かった。この時完全に芸人への嫌悪感が吹き飛んだ。内輪ネタや共有されたミームに頼らない、最大公約数的なお笑いでここまで面白くできるのかと。毎年M-1を観るようになった。良いと思う芸人のバラエティも。
その後数年経ち、やや熱は冷めてきた。テレビ的お笑いをつまみ食いして、自分は芸人やテレビ的笑いが好きというよりは、単にかまいたち他数コンビが好きなだけだったのだろうなと思った。
ただ、得られた事がある。フン、つまんね。これでプロなのか。などと思いながら品定めをするように観るのが間違いだった。笑いを求める人間が、「我慢しようと思えばできる」などと喧嘩腰になるのがおかしい。
あと、内輪感に入り込むという事を知った。確かに大して知りもしない芸人の内輪ノリは、見ていて不快さを覚える事も少なくないだろう。でも、前提となるミームや空気感を知り、彼らのノリに慣れてしまえば中々面白いものだ。たまにくどいなと思う事もあるけれど。ネットのユーモアとて、所見で笑えるようなキレのあるものもあるが、前提となる感覚や風潮を要するものも多いだろう。
漫才コントが下ネタや内輪ネタより高尚な笑いだとは別に思わない。テレビではとても出せないような下品でエッジの効いた笑いも未だ大好きだ。しかし最近、(多分ほぼインターネットだけで)流行っているオモコロ的なユーモアが苦手に感じるようになってきた。マイナーだけど特定層に深く刺さるようなあるあるや、気の利いたシュールさは、つい上手いなあと思ってしまう事もあるものだ。これも今までずっと愛してきた捻くれたユーモアの類だろうに。結局逆張りじみた感性そのものは変わっていないのだろうか。
逆張りがいけないとは思わない。自覚的な逆張りを貫ける人は好きだ。でも自分の価値観や信念に基づくというより、単にミーハーなものへの嫌悪感がそうさせているのなら、少なくともそれに自覚的であった方が良いと思う。芸人がよく言う「批評家気取りの素人」は、そういう素直さの大切さを言っているのではないかと思った。もちろんポジショントーク的なマウンティングもあるのだろうけれど。一度素直に受け止めて、それでも合わないなと思ったらその気持ちは大切にして良いと思う。嫌いは好きと同じくらい大切だ。
画一さや没個性を嫌う気持ちは誰にでもあると思う。その気持ちは大切にして良いものだとも。ただ、単にメジャーの逆張りをした所で、それはメジャーの裏返しでしかない。マイリノティにはなれるかもしれないけれど、それもまた没個性的なものだ。ありきたりだが、個性とは自分の好き嫌いを大切に重んじた先にあるのだと思う。
笑う時くらい小難しい事は考えない方が良いですよ絶対。