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はてなキーワード: クラスメイトとは

2019-12-03

anond:20191203115831

なろう小説とその読者が馬鹿にされるのはさ、「魔王」っていうでっかい敵がいるのに、

敵意が一番向いてるのはクラスメイトとか味方なんだよね。なろう小説じゃ主人公のパワーとご都合主義でどっちも倒せるけど、現実じゃ目の前の倒すべき敵や、解決すべき目的が見えてない奴は

「幼稚な奴」とレッテルを貼られて社会的に認められないわけだよ。

これもまったく分からんな。

そもそも「魔王」がいない作品や、主人公「魔王」側の作品も多いし。

クラスメイトや味方に敵意が向く…というのは

「盾の勇者」や「ありふれ」のこと言ってんのかと思うけど

あい復讐系はあくま類型ひとつであって、なろう系全体に当てはまる話でもない。

観測範囲が狭いなかで結論出しちゃってるんだなーって感じ。

ヒーロー物の「女性活躍」のシーンが嫌い

大体女ヒーロースーパーパワー無双して、「男は何してんの?ドヤ」みたいな感じで終わらせてるけど

勝った理由技術とかその人個人の力じゃなくて「女だから」で説明できてしまうのがメタ構造見せつけられてるような気がして萎える。

所詮フィクション無双して女の強さを表現されてもな……って思ってしまう。だって現実は男の方が筋肉もあるし、持久力も付きやすいわけでしょ。

フィクションの中で女性代表されてもさ、現実で男の方が強くて活躍してるなら「女は何してんの?ドヤ」ってなる訳でしょ。

今までのヒーローは単純な力とかじゃない、精神的な成長や強さとかの次元の話をしているのに、今のヒーローは結局「力こそ正義」の価値観になってる。

なろう小説の最強主人公を見ている時の感情と似ている。お前は志々雄かと。

悪役だったらわかるけど、あんなのに憧れるのって中二病のガキか頭が小学生で止まってる女くらいでしょ?

現実女性だって単純な力や権力じゃない、自分精神的な弱さとか、本当の強さとは?女らしさとは?とかで悩んでいるのに、女ヒーローは志々雄レベル

アイアンマンの方が感情移入できるんじゃないかと思う。

まぁ幼稚な全能感に憧れるのも分るけど、レベルが低すぎるんだよね。ロードオブザリングの一シーンで「戦士(man)に倒せる者はいない」と豪語するナズグル

戦士が兜を脱いで「私は女(woman)よ」って言って倒すシーンがあるんだけど、そういうのに痺れるんじゃないの?

人それぞれだとは思うけどさ、いつまでも男と戦ってないで、ちゃんと敵と戦えよって思うんだよね。

なろう小説とその読者が馬鹿にされるのはさ、「魔王」っていうでっかい敵がいるのに、

敵意が一番向いてるのはクラスメイトとか味方なんだよね。なろう小説じゃ主人公のパワーとご都合主義でどっちも倒せるけど、現実じゃ目の前の倒すべき敵や、解決すべき目的が見えてない奴は

「幼稚な奴」とレッテルを貼られて社会的に認められないわけだよ。

結局言いたいのはさ、「敵と戦えよ」って事。敵と戦う、目的を見誤るな、自分の力を過信して尊大になるな。そういう部分で葛藤してきたヒーローを見た自分にとって、

男といつまでも闘ってる女ヒーローは糞ダサく見えるわけですよ。

今そういうヒーロー物を見ている子供は、そういう女ヒーロー見て「かっこいい」って思うのか疑問。ある程度成長したら、「女って幼稚だな」って思っちゃうんじゃないのかな。

2019-12-02

日本人じゃない

こんばんは。初登校です。

誰にも話せないのでここで話させて下さい。

私は現在高校2年の女です。

先日、クラスメイト事故に遭い入院したと聞いて同じクラスのみんなで鶴を折ることになったのですが、その際に私だけ鶴のが折れなくて

皆んなにドン引きされました。

そして「お前日本人じゃないわw」「やばいよそれw」

と言われそれがショックでその後の学校生活でも馬鹿にされるんじゃないかとビクビク怯えています

鶴折れない人って他にもいますか?

変じゃないですよね? 

anond:20191201225154

見てくれでスクールカーストが決まるならクラスメイト全員の顔に酸を掛けたら自動的に娘が最上位になるんじゃないの

2019-11-30

中学校ヤバい

とにかくクラスメイトマウンティングして押し退けて自己確立したい“足りない”バカばっかり、そこまでする必要性理解できないから単にほっといてほしいがソレをかわすクソ度胸が足りなくて来なくなるヤツばっかり

クソでない親が足りない

良い先生は人数と時間が足りない、悪い先生は頭と心が足りない

2019-11-29

anond:20191129001435

元増田より先にトラバするのを許してほしい。ウィザードリィ文字を見たら黙っちゃいられねぇ!

こんな凄い人がウィズやっててしかも廃プレイ者ってだけで何か嬉しくなってくるねぇ。。。

青沼さんとクラスメイトだったってことは20歳時に1983年だしウィズ直撃世代だよね。

芸大生だし下手したらこの方が末弥淳に代わってファミコンウィズの絵を描いてた世界線もあったかもしれないと思うと胸が熱くなる

anond:20191127201601

デザ科ではないけど現役の芸大生です。

高校に行かないのはあまりおすすめしません。

絵だけ書いているのは分が悪いと思うためです。

反対に高校はかなりコスパのいい空間だと思っています

高校」という日本エンターテインメント界で「異世界」と並んで多用される空間に行かないだなんてもったいないです(最近FEも学園モノでしたよね)。

行った先でクラスメイト自分の知らない世界を教えてくれれば儲けものだし、毎日沢山の色々な人と会える場なので、人付き合いの経験値が稼ぎやすいです。

進学先が決まらないなら、偏差値の高いところへ行くことを勧めます

藝大は一般教養ほとんどやりません。

他の大学生哲学とかやっている間に、課題をこなさなければいけないため知識が不足、偏りがちです。(47都道府県全部言えない人もちらほらいるレベル。)

知識量は引き出しです。ファインアート系じゃなくてデザインなら人と共有できる知識感覚を持っておくことは重要だと思います

受験の段階でも他の受験生よりもモノを知っている方が強いと思っています

数学グラフを知って、流行りのデザインを知って、世界中の国の文化を知って、過去合格者の傾向を分析して、色彩学を学んで、世界中の話題ポスターの構図を勉強してと頭を使いましょう。

他の人が絵を書き続けるところで勝負するんだから、がむしゃらに絵を書くよりも自分だけの強みを磨いて賢く戦う方を勧めます

予備校に行って画力を伸ばして、デザインを目指す人たちの世界を知ることも大事だけれども、そこばっかりで狭い世界に閉じこもって絵を書き続けても良いことはあんまりないと思います

僕は図書館かによく行ってました。作家文章からイメージされることとか蓄えて問題に対する武器にしてました。

そもそもデザ科の入試サイズなら家でも十分かけます。(色彩構成モチーフなら割と日用品ばかりだし)

予備校で3時間描いて家につくのが10時だとしても、家に帰ってから時間くらい書いて2時前に寝るみたいな感じで1日6時間できるでしょう。

3年間予備校に通うにしても一日7時間しか描かないのは想定が甘い気がします。

後、スプツニ子さんが教員として入ったりとデザイン科も変わろうとしてます

油の入試では今年から面接が行われるようになりました。

最近芸大言語化能力を重視するようになっています

デザ科の入試面接はないですが、ゆくゆくは自分の描いたものがどういう理由でこういう形になったのか喋れないとマズイかもしれません。

そういう意味でも高校美術とかアートとかデザインに全く興味のない人との接点を増やして、どう考えてこう描いたのか話す機会を持っておくと良いかもしれません。

個人的には、デザイナーからデザイン科というのは少し違う気がします。

日本画みたいな繊細な世界や、油のような抽象世界の描き方を学ぶのもありだと思うし、立体がやりたいなら彫刻へ行ってもいいと思うし、ゲーム内の建物が好きで建築へ行ったって良いと思います。どこへいったら分からなくなったら先端でもいいんじゃないでしょうか。

藝大も最近スクエニの人が来て授業したり、任天堂の人が来てセミナーやってポートフォリオを見たりとゲーム系の業界とのつながりを強くしています

入った後はどうとでもなると思います

頑張ってください。現役で入ったら多分大学で待ってます

2019-11-26

死にたい気持ち

ふと、死にたいと思う時がある。

私は高校生だ。

高校に入る時は、残酷なまでに楽しみだったことを、全て入学してから打ち砕かれたと思う。

楽しみだった部活動放課後の寄り道。クラスで楽しく生活すること、そんな他の人から見たら普通な事が出来なかった。

部活では、いじめしか思えないあだ名を付けられた。他の人はみんな、休みも充実している。さすが高校生、といったところだ。

友達が出来なかった。私の通っていた中学の人が少なく、仲が元々良かったような人がいなかったのもあるだろう。他のクラスメイトは、遊んでいるのに。

クラスには全く馴染めなかった。40人もクラスには在籍しているというのに、誰一人として、私に話しかけてくれるような人は、存在しなかった。

そのため、私は学校を休むことを計画し始めた。学校なんて、行く場所ではないのだろうかと。

ふと、中学とき友達が載っているインスタグラムをひらく。

そこには、中学とき友達は、みんな笑顔で映っていた。「怖いから、Twitterとかをやりたくない」と言っていたあの子も、「勉強頑張ろうね」と言って、違うクラスへ行ったあの子も。みんなが、幸せそうだった。

部活動で一緒の子インスタグラムアカウントを知っている。その人の誕生日の日には、「みんなプレゼントありがとう」というような文字と、沢山のプレゼントが映っていた。

その日から、私はその人に話しかけられても無視するようになった。

幸せいっぱいの生活を、見ることが辛い。

私は、学校友達からプレゼントをもらったことがない。なのに、そのインスタグラムに上げていた写真は、私の目の前で撮っていたからよく分かる。

それは私にとって、いじめだよ。

それから、私は毎日泣きながら、今でも学校に通っている。

親へ。

友達が居なくてごめんなさい。

遊びに行くような友達が居なくてごめんなさい。

勉強も出来なくてごめんなさい。

お手伝いも何もできなくてごめんなさい。

言うこと聞かなくてごめんなさい。

犬以下の人でごめんなさい。

ずっと、人間になれって言っていたよね。人間になるってどういうことなんだろう。

自分のやりたくないことをやらされたくない。それは私の個性を消すようなことだと思うから

もうすぐ、私は死のうと思って過ごしている。

誰も、この世界には引き止める人もいないだろう。

でも少しだけ、助けが来るかの猶予を、みんなに与えようと思う。

2019-11-20

そういえば、ジャンプフェミ漫画出せみたいな話あったけど、ジャンプ原作部門コンテストとかやってんだし

フェミが「面白い原作書けばいいだけじゃねえの?

主人公が難しいなら、男性性の解放テーマ

ひ弱でキモオタ主人公がひ弱でキモオタのまま、クラスメイトからも認められず、

なんの力も目覚めず、なんの特殊能力も持たず、男らしさを認めず

それでも社会に認められて生きていく漫画原作でもかけばいいんじゃないかな

ご都合主義って言われて終わる気がするし、面白くなるとはとても思えないが

そういう漫画必要なんだよね?あれ?違ったっけ?

2019-11-12

お茶

小学生のころ、授業中に突然クラスメイト女子が泣き始めた。見ると、周りの床が濡れている。先生が聞くと、「お茶をこぼしちゃった」とのこと。

おかしい。なぜ授業中にお茶がこぼれるのか。確かに色はお茶っぽいけど、これは明らかに「漏らして」いる。

先生も、「お茶をこぼしちゃった」と言われたからには、お茶として扱うしかない。これを「漏らした」としてしまうと、その子プライドにかかわってしまう。というわけで、「ほら!周りの子雑巾で拭いてあげなさい!」と、さも普通の液体であるかのように指示を出す。だとしても、本人に拭かせろよ、と思っていたけれど。

自分はその「周りの子」でした。拭いている最中は内心「こんなん絶対おしっこでしょ」と思い嫌がっていたものの、後々考えればめちゃくちゃ貴重な経験だった。

2019-11-07

anond:20191107181940

わかるぞ

からこそ小学生以上には大人常識である「嫌なら読まなければいい」が通じない

友達クラスメイトジャンプ読んでたら本当は嫌でも読む

同調圧力すごいよな

2019-10-30

全部自分が悪いんだけど辛い

 愚痴です。ただただ愚痴お気持ち長文。

私のクラスに、クラスいじめられてるわけじゃないけど敬遠されてる子(Aさんとする)がいる。偶々隣の席になって、同じスマホゲームをやっていた私は、Aさんとよく話すようになった。初めはなんで浮いているのかわからなかった。話していてとても楽しかったし、陰口を言われて辛い、みたいな話に酷いねと一緒に怒ったりもした。休日、何度も一緒に遊びに出掛けた。楽しかった。

避けられている理由は、仲良くなって少ししてわかった。私の飼い猫が亡くなってしまって心が死んでいるときゲームの話を笑顔で持ち掛けられたのだ。こういうことがあったからそういう気分じゃない、とやんわり言ったけれど、彼女は終始ゲームイベントシナリオの話をし続けた。始めに軋轢が生じたのはここだったと思う。

次に、Aさんの愚痴にも違和感を感じ始めた。悪口を言われて辛い、というくせに、自分が原因で班分けで揉めているのは人間の汚い面でとても面白い増田ちゃん以外のクラスメイトはクズから仲良くしたくない。と言われ続けるのにも流石に疲れた。大声で話すからその愚痴が全部クラスメイトに聞こえているのであるクズだ揉めてるのが面白いと言ってる人間と仲良くしたい奴はいない。どっちが先かは知らないが、自業自得だなあと思ってしまってからダメだった。

全部の行動が気に入らない。今まではちょっと空気読めないけど仕方ないよね、で許せていたことが許せなくなる。距離を置いても着いてくるのがどうしようもなくウザい。それだけは辞めようと思っていたのに、簡単悪口を言ってしまうようになる。そうすると似たような話をたくさん聞くようになる。修学旅行で一緒に風呂に入ったとき下着エロいと言われた、男子風呂覗きたいと言っていた、意味のわからないゲームの話を押し付けてくる、にやにやしてるのが気持ち悪い、聞いているうちに私たち悪くないなと思えてしまうのだ。あんなに気持ち悪いAさんが悪いなって。

そんなのが積み重なっていたのもあって、今日思い切り揉めてしまった。またAと仲良くしたいから、と言ったのは嘘だ。Aのせいで揉めているのに、へらへら笑っているのが気に食わなかったのだ。こうこうこういうところが嫌い、こういうところが気持ち悪い、今まで仲良くしてたけどずっとしんどかった、Aが嫌われてるのは全部自業自得から他人のせいにするな。言いたいことを全部言われたAは、今までヘラヘラしていたのが嘘なような真っ青な顔で、黙って教室を出て行った。

私最低だな、と思う。でも一緒にいて楽しくない。気を使ってないといけない。しんどいとき楽しい話をしてやらないといけない。そういうしんどさを全部我慢して、笑顔で取り繕って無理やり関係を続けてあげることが正解なんだろうか。そういう優しさを持ってないとダメなんだろうか。私にはない。死にたい

先生に褒められる子の末路

手のかかる子ほどかわいいとはよく言うが

それはそれとしてクラスメイト大人暴言を吐いたり授業妨害するような子はムカつくし面倒臭いので

学校先生にとって忘れ物もしないし指示をよく聞いてくれる真面目な子は本当に有りがたがられて重宝される

私もかつてはそういう子どもだったのでとにかくどの先生からも好かれて三者面談でも褒められまくっていた


が、「周りが友達とのおしゃべりに夢中になっているのに一人じっと先生注視して指示をよく聞いている」

先生にアホみたいな質問をせず誰にも頼らず自分解決する(人に質問することができない)」

必要になりそうな物はすべて事前に準備して自分で持ってきて忘れ物もしない(道具が足りない・忘れた時に周りの人に助けを求めることができないので)」

というのは結局のところ夢中になれるような友情を育むことができないし協調性もないし報告連絡相談ができない人間ということであり

先生たちが褒めるほど自分は立派な人間ではないというのは子どもの頃から気づいていたのだが

20代後半になった今、案の定わりと深刻にまずいことになっている


化粧のやり方が分からなくてずっとすっぴんだし大人服装もよく分からない

言葉遣いもそう

子どもの頃から私はずっと「大人っぽい子ども」のまま

職場には一人同世代がいるけどあとはみんな自分の親くらいのおっちゃんとおばちゃんばかりで

実際「なんだか娘みたい」とかわいがってもらっていたのだが

「手伝ってください」「これは一人ではできません」「量が多すぎて時間が足りません」「やり方が分かりません」「どうしたらいいですか」……

これが言えなくて先延ばしになっている仕事が出てきたり

手間のかかる作業簡単仕事だと勘違いされて誤解を正せないままいつまでかかっているんだろうと不思議がられたことなんかが積み重なって

とうとう上司から評価が地に落ちてスーッと冷たくなった

「娘の友達を見るような目で私を見てくれるおばちゃんたち」が「無能の部下に苛立つ上司」にパチッと切り替わってしまった

ずっと大人になれないし大人として見てもらえないと思っていたがあっさりと大人になってしまった

仕事のできない気持ちの悪い大人


私は子どもと関わる仕事をしている

その中にはやんちゃな子もいれば大人びた生真面目そうな子もいる

やんちゃな子には高校くらいで部活で先輩に絞られて礼儀を知る陽キャになって大成するんだぞ

大人びた子には私みたいにならずにほんとに真面目で有能な大人になるんだぞ

と念を送っている


私のような人間は人と関わるような仕事はしてはいけなくて大人としての振る舞いをしなくてもいい仕事をするべきなんだろう

刺身たんぽぽを乗せるような仕事求人のページを開いては閉じている

2019-10-28

anond:20191027200353

しかに、クラスメートってのがいわゆる「そのへんの女性」って意味なのなら、一般クラス女子に宇崎ちゃんは貸さないんだろうけど

現実問題としてオタクが会話できるような女子という条件がどうしても加わるわけだし、そういうの相手ならむしろ貸すほうが正解な場合もある気がする。

別に宇崎ちゃん限った話ではないけど、誰かになにかを勧めるかどうかってのは女子からとかそういう大きな属性ではなくて、相手趣味嗜好とかも勘案して考えるものだと思うんだけどなあと。

まあもちろんここであがってるのがクラスメイトというある程度親交のある相手からであって、街頭で無差別にとかだと話は違うんだろうけど。

それとも交友関係ある人間のの特殊趣味嗜好なんて考慮するほうがおかしい、というのが「世間様」の考えなのだろうか。まあそうかもしれんとは思う。

2019-10-23

いじめの(長期的な)影響について

小学5年生の頃、いじめにあっていた。

最初は、クラスの全員から無視される、掃除時間にぞうきんを取られて取り返そうとすると投げ合って返してくれないなど。そこからさらエスカレートして、私の椅子や机、文具などに触ると〇〇菌が移ると言って避けられるようになった。いわずもがな、私の身体クラスメイトに触るととても嫌な顔をされた。身体的なものはなかった。ただただ精神的にきつい仕打ちが繰り返された。

それが半年〜1年くらい続いたと思う。先生特に助けてくれなかったけど、翌年度のクラス替えで主犯格は全員別のクラスになったから気づいてはいたんどと思う。

今、30代半ば、それなりの大学を出て、何度か転職をしたけど、それなりの会社で働いている。

いまだに同僚や上司といった私的な付き合いのない人間が信頼しきれない。信頼というと大袈裟だけど、対人関係に常にうっすらとした不安感があるというか。

周りの様子を見ていると、ふつうは信頼するとかしないとか、そんなこと考えるまでもなく、人付き合いをしているみたいに見える。

不安感がずっと強くて、近頃生きているのがいよいよ辛くなってきていて、なんでだろうって考えたときに、とても古い出来事なのにいじめのことが思い起こされて、ここに吐き出している。

子どもの頃いじめに遭った方に聞いてみたい。

その後何年か、何十年か経って、まだ何か影響ってありますか?

影響があるなら、どうやって克服してきましたか?あるいは克服なんてしきれないものなんでしょうか?

2019-10-22

アイカツ!」の全178話はなぜファンにとっては“短い”のか

アイカツ!シリーズの「話数が多い」というハードルを越えて視聴してもらうためにはどう勧めれば良いか、という話が少し盛り上がっていた。

その中でよく出てきた話に、見てハマった人間にとってはその話数というのはむしろ少なく感じるほどである、というものがあった。

それについては私も大いに頷くものであるが、なぜ皆がこれだけ話数の多い物語をそろって「短い」と言うのであろうか。(単純に面白いからあっという間だよって意味かもしれないが)

それを少し考えてみたので書き連ねてみる。なお、シリーズ全部について書くと本当に長くなるので第1作の「アイカツ!」に絞って書く。

視聴者は「アイカツ!」の世界の住人と同じ時間を過ごす

アイカツ!」は2012年10月から2016年3月までの約3年半の期間に放映されたアニメである。総話数は178話。劇場版長編の「劇場版アイカツ!」と、ステージを中心に構成した中編「アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!」、最終回後に制作された短編アイカツ!~ねらわれた魔法アイカツ!カ―ド~」の計3つがある。他にもドラマCD制作されている。

そして、「アイカツ!」は放映時期と作中の時間リンクしている。つまり、季節が現実と同じように流れ、クリスマスバレンタイン卒業式入学式年末年始などの季節のイベントエピソードが時期に合わせて放映されている。

劇場版も公開日と合わせてあり、たとえば2014年12月13日公開の「劇場版アイカツ!」は同年12月11日放映の第112話の後のお話となっている。

プリキュア等の年間を通して放映されるアニメを見ている人にとってはさほど驚くことではないかもしれないが、1〜2クールが基本の深夜アニメを中心に見ている人にとっては新鮮かもしれない。

さらに、いわゆる「サザエさん時空」ではなく、1年経つと実際にキャラクターが歳を取り、進級したり卒業したりする。

最初主人公星宮いちごは第1話時点では中学1年生だったのが、第178話時点では高校2年生になっている。(ある話数の間にだけきっちり1年間のブランク存在するが詳細は省く)

まりは、視聴者は画面を通して「アイカツ!」の世界での出来事リアルタイムに感じとり、キャラクターの成長を見守っていくのである

週に1回の放映内容だけでその1週間の出来事を知る、と単純化して考えてみると、それはあまりにも時間が足りないと言わざるを得ないであろう。

漫画スラムダンク」は週刊連載で6年連載して作中で4ヶ月の出来事を描いたのであるから、単純計算でその18倍の短さと言えてしまう。(1/3年の出来事を6年間で伝える=1/18年の出来事を1年かけて伝える)

そして、年間を通して季節に合わせて放映されていると、視聴者にとって「アイカツ!」は生活の一部となっていく。生活が終わることなんて人は想像したくないものであるから、それが終わった時の寂しさは計り知れない。

後追いで視聴している者にとっては、話数と共に季節が移り変わっていくのを感じながら見ていると、キャラクター人生を辿っているような感覚になる。そうすると、途中でそれが途切れてしまうとなると、それがどれだけ寂しいものであるか。

最終回後に制作された劇場版短編は、そんな人たちに向けてキャラクターから届けられた久しぶりの近況報告・贈り物であると考えてみると、それがどれだけ嬉しいものであるか。

先述したように「アイカツ!」ではドラマCDがいくつか制作されているが、劇中のラジオ番組という形をとっており、まるで実際にラジオを聴いているかのように感じることができる。ファンにとって「アイカツ!」のキャラクターはどこか現実と地続きのところに存在しているような感覚がある。

アイカツ!」のキャラクター誕生日を祝う時、毎年そのキャラクターの年齢を数えるファンは少なくない。今年、星宮いちご20歳になった。

アニメが終わってもキャラクターたちは消えることなく、生きてアイカツをし続けている。キャラクターの生きる姿を描くのにはいくら話数があっても足りない。

キャラクターの数だけ物語がある

アイカツ!」にはたくさんのアイドルが登場する。作中でCGで描かれたステージ披露したアイドルを数えてみると、総勢28人。披露されていないアイドルも多数おり、その中に人気のキャラクターもいる。

長期放映のアニメで俗に言われるものに「当番回」というものがある。

特定キャラクタースポットライトを当てたお話のことを指すが、「アイカツ!」にももちろん当番回と呼べる回が多くある。

しかし、28人を超えるキャラクターの全員に満遍なくスポットライトを当てるにはあまりにも話数が足りない。当然キャラクターによって登場の頻度の差は出るので、「あのキャラもっとたかった」という声は常にある。

それだけキャラクターが魅力的であったことの証左ではあるのだが、178話という話数をもってしても描き切れていないわけである

ただ、そういった「スポットライトを当てる」ことについては、第146話「もういちど三人で」で星宮いちごが語った言葉がちょうどぴったりだったので引用する。

「私ね、世の中のアイドルとか、みんなを照らすスポットライトって、ずーっと動いてる気がするんだよね。ぐるぐるって。ずーっとぐるぐるぐるぐるね。だから、その時その時で、照らされる人数は少ない。でも、照らされなかった人がいなくなってるわけじゃない。だから、次のチャンスは誰にでも来るんだよ。その場所に立っている限りね」

スポットライトの当たってないところでもアイドルたちのアイカツは続いている。

物語舞台であるスターライト学園アイドル学校で、つまり通う生徒たちは全員アイドルである。メインで登場するアイドル以外も皆アイドル活動をしているわけである。実は、クラスメイトにも全員しっかり設定が付いている。何気ないシーンで映り込んでいるアイドルや、一瞬映った雑誌に載っているアイドルにも名前ちゃんとついていたりする。スポットライトが当たっていない彼女たちも、「アイカツ!」の世界で生き、活躍している1人であることが想像できて、それが「アイカツ!」という作品世界に深みを与えている。

さらに、アイドル以外にも、家族先生デザイナーファン仕事関係者等のサブキャラクターアイドルに負けず劣らず魅力的である

特にブランドデザイナー重要存在で、アイドルが、自分の好きなブランドトップデザイナーが作る「プレミアムレアドレス」を手に入れるまでの物語は「アイカツ!」のひとつの見所でもある。

デザイナーブランドに対する考え方だったり、アイドルとの向き合い方・関係性だったりにもその人の生き方のようなものを感じることができ、それは、いろんなアイドルのいろんなアイカツの形を見るのにも似ている。アイドルでないキャラクターにもその背景や物語があるのを感じさせる。

また、当初はただのモブしかなかったアナウンサーが、節目節目でのイベントでいつも司会者として登場するうちにいつの間にか名前が付くまでになっていた、ということもある。

何が言いたいかというと、「アイカツ!」を見ていると、登場する全てのキャラクターが魅力的で愛おしく思えるようになり、もっといろんな話が見たいと思うようになるということである

「かげがえのないもの」はなんてことな毎日の中にある

歴代シリーズキャラクターが大集合する新シリーズアイカツオンパレード!」の放映に際し、シリーズダイジェスト動画が公開されている。

歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2012年10月~) ver.』
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2014年10月~) ver.』

だいたい5〜6分の動画シリーズがおさらいできるようになっている。

やろうと思えばアニメの内容をあらすじでさらっと伝えることはできる。主人公が「輝きのエチュード」や「SHINING LINE*」や「START DASH SENSATION」等の楽曲に至るまでの物語理解してもらうために最低限のエピソードピックアップすることもできる。

アイカツ!」は基本的1話完結のストーリーになっており、途中から見てもわかるような配慮もされている。単話で見ても面白い回はたくさんあるので、つまみ食いでもきっと楽しんで見ることができるであろう。

この回が良い、この回が好き、といった話に花を咲かせることもよくある。

それでもやっぱりファンとしては全話見てほしい。全話が全部大事な話だ、と本気で思っている。

星宮いちごが歩んだ道のりを軸に、物語上の重要エピソードだけをピックアップすることになったとしよう。

そうすると、例えばいちごたちがただオフタイムを過ごすだけという第24話「エンジョイオフタイム」は、含めなかったとしても物語説明可能である。でも、ファンとしてはこの話は絶対に外したくない。

また、いちごがメインでない他のキャラの「当番回」、例えば藤堂ユリカがメインの第89話「あこがれは永遠に」も含めなくてよいだろうか。確かに、なくてもいちご物語を語ることはできるであろう。だがこの回で描かれた藤堂ユリカアイドルとしてのあり方やデザイナーとの関係ファンとの向き合い方、そういったものが全くいちご関係ないなんてことはなく、作品を通して描かれているテーマの根幹に通じているものがたくさんある。

例えば「SHINING LINE*」の歌詞を紐解くときに、ただ美月いちごあかりにだけ注目して考えるのでは、やはりもったいない。いろんなアイドル、いや、アイドルでないキャラクターたちにもそれぞれの「SHINING LINE*」があるし、「最初の風」もある。

アイカツ!」の楽曲は、キャラソンというわけではなく、「アイカツ!」の世界で歌われるポップスであり、普遍性を持った歌詞になっている。もちろん、これは誰々が歌っているという「持ち歌」の考え方はあるが、ある楽曲を別のアイドルが歌うことでまた別の新しい意味が生まれる、ということが「アイカツ!」にはよくある。

などといろいろ考えていると、どの話も外すことができなくなってくる。いろんな人のいろんな出会いが物語を紡いでいる。全ての話が全部つながっている。

アイカツ!」を代表する曲のひとつに「カレンダーガール」がある。

この曲には「何てコトない毎日がかけがえないの」「何てコトない毎日がトクベツになる」という歌詞がある。

詳しい説明は第22話「アイドルオーラカレンダーガール」に任せるが、彼女たちの今日をかたちづくっているのは日々のアイカツであり、そして今日アイカツがその先の未来をつくっていく。

私たちが「START DASH SENSATION」で涙するのは、そうした彼女たちのアイカツをずっと見てきたかである

から彼女たちが見せてくれる「未来向きの今」を、できることならば全部見てほしいと願うのである

2019-10-20

次元とか3次元とか、規制とかジェンダーとか

99%個人の感想なんだ。便所の落書き

読まなくても大丈夫。垂れ流したいだけ。

ここ最近、ずっとくすぶっている規制がどうとかジェンダーがどうとかっていう問題の話。

先に表明しておくと僕はオタクだった。

そして引きこもりだった時期もある。

別にイジメとかがあったわけじゃないけど、クラスメイトと会うのが苦痛だったのだ。

特に自分容姿が情けなくなるほど自信がなかったので、女子視線が怖かった。

そんな(子供ながらに)人生何にもいいことないぜ!状態だったわけだけど、アニメだけは楽しんで見ることができた。

雑食だったから、ドラえもんとかサザエさんみたいな国民向けアニメから、深夜枠だとハルヒとかローゼンメイデンとかだったかな??

当時は本当に生きる糧だった記憶がある。

とにかく、周囲に迷惑をかけないように、人目を気にして、人目を避けて、いわゆる隠キャとして過ごしてきたわけだけど

幸いにも中学に上がり、共通趣味を持つ友達も持てて、なんとか一般社会に溶け込んでいる。

そんな人生も、もう30年近い。

ずっと、周囲に気を使って生きてきた日陰者だ。それが自己評価

そこから時代は進み、アニメや2次元という娯楽は、それなりに市民権を得てきたようだ。

僕が子供の頃は、コミケなんてニュースで取り上げられなかったし、一般の人の前ではアニメを鑑賞しているとは口が裂けても言えなかった。

今は違う。

アニメ国外の方含め、いろんな層の人が見てくれているし、今やアニメが国のセキュリティ強化月間や献血ポスターにも採用される時代になった。

誇らしいと思う。

あの時の、どうしようもない孤独感が報われたような気がした。

陽の光を浴びてもいい場所に来ても良いのだと、そんな許しをもらった気分だった。

でも、いい面ばかりでもなかった。

どうやら、僕の生きがいであった二次元アニメは、女性の権利侵害してしまっているのだそうだ。

ツイッターで見かけることがある。

「某アイドルゲームで、巨乳が売りの女の子がいて、コンプレックスだったけど、アイドルになって克服できた設定のキャラクターがいるそうな。地獄かと。」

。。。悲しい。逃げついた先の希望地獄と呼ばれることが、悲しい。

規制反対派は、女性性的消費する権利剥奪されることを嫌っているから反対しているのだ」

。。。3次元女性から逃げ続け来た人間なのに?そんな権利があるなんて、1ミリも思ったことない。

悲しい。悲しい。なんなんだこの分かり合えなさは。

声を上げているみなさんを否定することは決してあり得ない。

その行動は賞賛されることはあれど批判されることはあってはならない。

今を生きる全員が着たい服を着る、履きたい靴を履く。大いに結構だし、そうあってしかるべきだ。

そんな当たり前の、当たり前の、ことを主張する人がいて、それを受け止めるだけなのに

なぜそれがこんなに難しいのか。

僕は、あなたのしたいことを否定しない。なので、僕な好きなコンテンツ否定しないでいただきたい。

ましてや、女性の権利を脅かすことを是とすることはあり得ない。

アニメや2次元は、3次元人間権利を帯びやすことになるなんて、そんなこと決してない。

これは願望。祈り。そして希望だ。

僕みたいにな、被害者意識が先に来ちゃっている隠キャにとってみれば、逃げた先の2次元否定され、

その上、よっぽど性を諸費している風俗とかキャバクラとか、そっちに矛先が向けられれない意識が先に来てしまう。

(ちなみに僕はどちらも行ったことない。苦手なので。)

その上、社会に出たら、女性性的諸費したい、性犯罪者予備軍みたい扱いを受けるのが悲しい。

規制派(?)やフェミの皆さま(という形でカテゴリーするのが相応しいのかわかりませんが、勉強不足ですみません。)

僕なんかよりも、よほど耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、やっと声をあげることが出来ているのかと思います

尊敬に値します。

しかし、上記のような形で指摘を受けることがやはり悲しいのです。

そして、女性性的諸費を推奨もしないし、しているつもりもないのです。

僕は支持します。

無知は罪かもしれませんが、僕は変わりたいと思う。

オタクのみんな

僕みたいな人がどれだけいるかからないけど、きっと今まで被害者意識の隠キャで、それでも身をわきまえて、犯罪を犯さず、迷惑かけないように過ごして来たと思う。

そんな中で、突然、地獄だとか、全否定で入られるときっと思うところもあるのだと思う。

けど、過剰に反応することもないんだ。

きっと僕らは共存できる。

・異性を不当に性的諸費している人

まじ、ここまで色々こじれているのはお前らのせいだぞ。

例えば、女の子可愛い格好をしていても、それは高確率自分が着たい服なだけだぞ。間違っても男のためじゃあない。じろじろ見るなよ。

逆も然り。

痴漢とはする奴は本当に、○ねばいいのに。

こう書くと、性的教育の遅れとか義務教育の敗北とか言われるのかな。。。義務教育途中で逃げてしまった。。。すまない。

クソみたいな日記だけど、別にいいよね?

ここまで読んでくれてありがとう。貴重な時間いただきまして申し訳ない。

2019-10-11

あの頃に戻りたい

高校時代クラスメイト女の子たちが椅子に座るときスカート整えて(下に敷く)たけどあの所作めちゃくちゃ好きだった。今思い出しただけでも興奮してきた。

2019-10-08

20年間発達障害者として生きてきた私の話2

はじめに

はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。

以前投稿した記事https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。

というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます自閉症多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。

幼少期 -既に変な特徴はあった-

出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。

目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います

集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断である先生にいたく感謝をしていたようですが。

まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。

ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。

子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。

ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かにしかけるときこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています

今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。

この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。

子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。

そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。

つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からいから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。

こういったことが母の育児論です。

また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在自分がなるんだという気持ち知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。

小学校入学 -いじめ先生の劣等生認定-

問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。

実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。

いじめトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます

私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。

さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています

まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。

学校いかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります

なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているかいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。

それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。

今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています

ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪精神的に来ます

はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えいじめウヤムヤになった頃の話です(子供いじめなんてそんなものです)。

いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。

これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。

診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手配慮を求めることにも役立つのです。

私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事ことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師判断の重大さは分かるはずです。

中学時代 -自分を見つめまくる日々-

さて通院や教師配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております

中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。

なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。

そういうわけで私は特定グループにいることはなく、基本的面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント小説アニメスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。

また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。

さてかなり上手いこと発達障害個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。

とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかからまり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。

意義が分からない限りやらないのが私でございます自分理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。

まず自分が失礼なことをたくさん言う人である理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性容姿については言うべきではないと学びましたね。

それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体客観視の一環ですね。

しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。

月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。

ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。

やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。

前回の記事発達障害者ストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。

おわりに

高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます

さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないか結論付けています20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。

記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。

ご参考になれば幸いです。

追記:どうも前回記事とのツリーになってしまますね。治し方が分かりません。

2019-09-26

友情、努力、勝利ってきも過ぎじゃね?

少年テーマだとすれば、別に好きでもない連中と単に地元が同じで仕方なく集まってクラスメイトになっただけで「仲間」とか言ってみんなで団結しようぜ、なんてやってられねーわ。別に気があうやつがいるともかぎらねーし友情なんてテーマにされたら困るんだよな。まるで友情がないといけないみたいだろ。しか努力かいつの時代だよ。努力おかしいことに気づいてみんな24時間働けますかなんてブラック企業だし。勝利って人生勝ち負けなんて気にして生きてるやつなんてそういねーよ。え?勝ち負けある?じゃあ負け組人生工場の工員でいいよな。

2019-09-24

anond:20190923000541

貧乏もかわいそうだけど、何よりこの増田は知能が低そうな所が一番気の毒だと思う

いい歳して親がどうとか、クラスメイトがどうとか、他責にして自分省みることができない。

貧乏なのも自分が悪いと思えていないんじゃないの

2019-09-23

バカハラ受けてる

顔のことで、バカにされ、蔑まれやすくて虚しい。

何かあるたびに、どうせ知能が低いんだろう?という、無言の蔑みを、

周囲の人間からも、初めて会う人からも受けている。

ブサイクというジャンルではない。

中学クラスメイトが言っていたが、俺の顔は、失敗した腹話術みたいとのこと。

といっても、目も眉毛も、鼻も、口も、標準的位置にある。

しかし、自分で言うのも悔しいが、彫りが変に深くて、赤塚不二夫漫画に出てくるキャラに思えることもないでもない。

見慣れた自分の顔だから、好きではあるが、もうちょっとのっぺりとしていたらと、何度思ったことか。

親は恨んだことはない。

一応、某難関国立大学卒。IQも高い。年収だって千万円超えで、貯金も一人で生きていく分は余裕である

しかし、人生って見た目が99.999999%なんだなと認めざる得ない。

悲しくてやるせないが。

少なくとも、増田でうろうろしている奴らよりは、金もあるし、頭もいい。

国家公務員とだけは言っておこう。くそ賤民どもが

はー

(追記)貧乏だけど子供産みたい

インターネット貧乏人は子供産むなっていう主張溢れすぎてしんどい

賢くないので彼らを納得できるようないい感じの言葉反論できそうにないか増田に長々と書くよ。

誰になんと言われようが子供欲しいし産むけど、貧乏の私が妊娠してしまうと、貧乏人はセックスしか娯楽がないのかと彼らから嘲笑されたり、生まれてきた何の罪もない子供は彼らから哀れみの目で見られるのか……なんて想像してしまうと腹が立つ。目の前で言われたら助走をつけて殴ってやるが、インターネット上の発言でなおかつ私や私の子供に直接投げかけられた言葉ではないのでどうすることもできない。

勿論、彼らの中には、貧困DQN家庭や貧困毒親家庭など貧困以外の問題もある家庭を指して「貧乏人は子供を産むな」と言っている人もいるのだろう。

でもやっぱり「貧乏人は子供を産むな!」と言われちゃうと、DQNでもないし毒親にならないように学びと注意を怠らないように努力したいと思っていても、金が無いだけで大罪だ!と責められているように感じてしまうので辛い。

今は共働きだが、私は殆ど零細企業かつ拘束時間の長い業界に勤めているので、育休なんてとれないか妊娠したら辞めるしかない。

出産後の再就職も朝から働いて定時が20時なのが当たり前の業界からフルタイムでの勤務は家事育児との両立が難しく感じるので子供が一人で留守番できる年になるまではパートで働くことになるだろうし、そもそも保育園競争率も高い様子なので預け先が見つかるのかもわからない。

業界就職するにも、非大卒の30歳の子持ち未経験が雇ってもらえる会社なんてあるのか……?

なので、子供ができると私の収入ゼロになるので、しばらくは夫の収入のみで生活することになるが、大学中退して中小企業に勤めている手取り20万程度の夫のお給料でどこまで人間らしい生活ができるのだろうか。わからない。

私の実家貧乏で、諦めないといけないこともたくさんあったし、親は自分の都合で暴力を振るうし、日常的にブス等の暴言も吐かれていた。いつもいつもクラスメイト自分環境を比べては陰鬱気持ちになり、性格情緒おかしくなって散々な青春時代を過ごした。

もちろん、今でも親のことはあまり好きではないが、恨んでも無駄だし、幼少期のアルバムを見るに全く愛されてなかったわけではないので、適切な距離を置いて関わっている。親も歳をとって若干丸くなったしね。

ともあれ、それでも私は、貧乏人は子供を産むななんて思ったことはない。

お金があったらなあ

暴力の無い家だったらなあ

もっと愛されたかったなあ

そしたらもっとクラスメイトとも仲良くなれたかなあ

楽しい学校生活を送れたかなあ

大学にも行きたかったなあ

そしたら今よりも福利厚生がきちんとしてる仕事に就けたかなあ

もしもを考えるとキリがないよ。

……でもこれから人生はどうにでもできるし!

お金がなくても今の所は健康だし、産めるうちに産んでおこう!

賢くないからわからないけど、今お金がなくても宝くじが当たるかもだし、お金がなくても子供幸せにしてあげる道を探す努力はできるはず!

理由はわからないけど、自分の子供をもたない人生は私は嫌だ!

貧乏な家に産まれちゃう子供には気の毒だけど、ゴメン!

でも、子供だけにかかわらず、人の幸・不幸を他人勝手に推測して決めつけるなんてすごく失礼じゃない!?

お金には恵まれてなくても、生まれてくる子供ちょっとでも幸せに恵まれるように私は努力したいし、そうすることしか出来ないなと思う!

頑張るから貧乏人は子供を産むなっていう人たちも気が向いたら応援してくれると嬉しいなあ

ーーー(9月23日追記)ーーー

無名アラサー稚拙な文に、あまりにも多くの反応を頂き恐縮です。

連休中にヤケ酒した勢いで書いてしまったので、もっと色々ときちんと真面目にしっかりと書いておけば……なんて後悔もしますが、励ましやアドバイス等をたくさん与えて頂けたので書いてみて良かったなと思いました。

職場環境イマイチで、働き続けることにマイナス感情しかなく辞めることばかり考えていましたが、何が何でも育児休業給付金をもらえるように、職場を頼りにせずに自力知識書類完璧にすることを頑張りたいと思います

心配頂いていたので後出ししますと、3K仕事内容で低賃金待遇事業所が少なくない業種ですが、一応国家資格は所持しているので選ばなければ働き口には高齢にならない限りは大丈夫かな…?と思っています。(看護師ではないです)

夫は、高収入ではないものの、いつも元気で明るくて素直でとにかく最高だし、義家族も全員尊敬できる素晴らしい人たちなので最高です。

貧乏ネガティブ根暗で卑屈だった私が、少し前向きに人生を歩めるようになったのは夫とその家族のおかげかなと思います

あとは宝くじ等のギャンブルは、1年に3000円使う程度なのでお許しいただければと……

否定的意見もやはりありましたが「ネット意見に惑わされるな!」とのことなので真摯に受け止めつつも、あまり気に病まないようにします。はてなSNS以外の趣味を見つけないとですね(ネット中毒者なので…)

追記が長くなってしまいましたが、親のエゴ以外の理由で生まれ子供なんてそんなに(ほとんど?全く?)いないと思うので、そのことを忘れずに、未来のまだ見ぬ我々夫婦の子供に愛情を注ぎたいと思いますので!よろしくお願いします!

が!まずは無事に授かれるかが問題!!

2019-09-20

全盛期

少し前の話になるがアメーバピグが終了することを知りまだやっていたのかと懐かしい気持ちになった。

俺が小学生の頃(確か小5らへん)、どいつもこいつもアメーバピグをやっていた。

それくらい流行っていた。

最初出会い系サイト勘違いしていた俺は流行に乗り遅れる寸前だった。

そんな時、救ってくれたのがクラスメイトのM君。

多分、学年で一番初めにアメーバピグを始めた。通称ピグ博士

M君からアメーバピグ安全性や魅力を教わり早速、父親パソコンで始めることにした。

アカウントを作りついにアメーバピグ世界へ。ワクワクドキドキが止まらなかった。

ハマりにハマって食事風呂を後回しにして没頭した結果、母によく怒られたのを覚えている。

カジノエリアブラックジャックスロットしたこと、魚を釣ったこと、部屋をカスタマイズしたこと、他のピグ達とお話したことなどなど全てが新鮮で楽しかった。

そんな日々がいつまでも続けばいいのにと思っていたが人生そう甘くはない。

ある出来事いや、事件のせいで僕のアメーバピグライフ崩壊した。

そう「ピグエッチ」の登場だ。

一応説明しておくとピグエッチとはその名の通りピグキャラ)同士でエッチなことをして楽しむことである

父親が持っていた青年漫画エロシーンでよく床オナをしていた性欲旺盛な俺にとってピグエッチ革命的であった。

両親の目を盗んでは夜な夜なピグエッチに励んだ。

リアルでは女の子とまともに話したこともないのにこっちだと饒舌になっていた。

気に入ったピグエッチしませんか?と交渉する。OKなら自分の部屋に連れ込みピグエッチの始まりまり

両者、服を脱ぎちゃん下着姿で始めるところは今思い返してみると滑稽で笑える。

語彙力のない僕は定番フレーズ「チュッ」、「くちゅくちゅ」、「パンパン」、「なめて〜」を使いまわしながら相手女の子ピグをイかせる。相手も応えるかのように「大きすぎ」、「気持ちいい」、「あ〜いっちゃう」なんて返してくれる。

終わったあとは賢者タイム他愛もない話をしてさようなら

この歳でワンナイトラブ経験していたのだ。

そして終いには僕はピグエッチで床オナをするようになった。

父のデスクトップパソコンは机の上に置いてあったため俺はアザラシポーズをしながら床オナをした。

背中や腰が痛いけど気持ちいい。快感が勝ってしまった。

脳内ピグエッチ相手を大好きなグラドル•原○恵に変換することによってこのピグエッチ床オナはとてつもない快感をもたらした。

キーボードで「くちゅくちゅ」と相手に送り、返信がくるまでの間、目をとじ先述の妄想をし腰をフリフリさせる。

俺は犬か。

何はともあれ最高だった。しかピグエッチ唐突に終わりを迎える。

運営がこのままではまずいと思ったのか年齢制限を設定したのだ。当然、弾かれた。

多分、アカウントを作り直せば回避できた気がする。でも当時、そこまで頭が回らなかった。

馬鹿から

一気に冷め、俺はアメーバピグをやめた。学校でも話題に出る頻度は低くなりそして流行は過ぎ去った。

やっぱみんなピグエッチしてたのか。

時は過ぎ現在ネットではプレイボーイだった俺もリアルでは彼女いない歴=年齢。風俗すら行ったことがない。

年々、仲間は減っていく一方。流石に焦ってきた。

友達Twitterフォロワーにはよく「まだ童貞なの?早く卒業しろよ」なんて馬鹿にされる。

そんなとき俺が思うことはただ一つ「俺は童貞じゃない、なぜなら…」

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