はてなキーワード: 関東とは
※2024年6月23日現在、旧ジャニーズ事務所はSTARTO ENTERTAINMENTに改名していますが、「スタート」及び「スタオタ」の名称が世間一般にまだ浸透していないことを鑑み、当記事では「ジャニーズ」「ジャニオタ」とあえて表記しています。
また、今回は非常識なジャニオタの対策を中心に書いていますが、善良なジャニオタも多く存在します。
・当日手渡しはできるだけ避ける
この記事は、「推しがジャニーズと共演し、ジャニオタと取引せざるを得なくなった舞台俳優厨の被害を少しでも減らす」ことを目的に書いています。
また、自担の外部舞台が決まったジャニオタがこの記事を読むことによって、舞台俳優オタク(この記事では俳優厨と呼んでいます)と取引をする際の心構えを学べる記事となっています。
・約束は守れ
・連絡をしろ
・舞台俳優のオタクは滅多に詐欺をしない(完全にしない訳では無い)
後半では俳優厨とジャニオタの双方に向けて、これまでの経験則から見えてきたジャニーズ出演外部舞台のチケットの配席傾向についても記述します。
詳細に入る前に、筆者の紹介をします。
筆者→舞台とジャニーズのかけもちオタク。どちらのオタクともチケットの取引をしたことがあるが、明確に「被害」にあったのはジャニオタとの取引のみ。舞台での取引ではまず出会うことのない、信じられないレベルの非常識な取引相手に数度遭遇した。
「最低限の連絡はしてくれるだろう」とは思わず、「ジャニオタは非常識犯罪者だらけの集団」と構えておき、取引を問題なく遂行してくれた相手にだけ「疑ってごめんね」と心の中で謝罪するくらいで丁度いいです。(もちろん初めから疑ってかかっているのがバレないよう、態度には出さずに対応するべきですが)
これだけ書いてもぴんとこないと思うので、具体的なジャニオタの非常識エピソードを2つ紹介します。
筆者がとある外部舞台の譲渡ポスト(ツイート)に声をかけたところ、1日待っても返信がありませんでした。ホームを確認すると該当ポスト(ツイート)が削除されていたため、別の方に声をかけてチケットを譲ってもらいました。この時点で「DMで断るか、ひとりひとり連絡するのが面倒だとしてもポスト(ツイート)で『お譲り先が決まりました』と教えてくれたら良かったのにな」とは思いました。ですが非常識なのはここからです。
数週間後、筆者が声をかけたチケットの開演2時間前に、「ドタキャンされたのでまだ求めてたら譲れます」とDMが来ました。返信しなかったことに対する謝罪はありません。「気まずいという感情が備わっていないのだろうか?」と甚だ不思議でした。丁重にお断りしましたが、それに対する返信もありませんでした。
俳優厨の言う「取引を飛ばれた」は、「一度成立した取引をキャンセルされた」という意味で使われることがしばしばあります。
しかしジャニオタの「飛ぶ」は「やっぱり取引できません」と連絡が来ることもなく、無断で待ち合わせ場所に現れない、そんなありえない行為を指すことが多いです。
取引が成立したあとで、より条件のいい案件を見つけたら無断で連絡もなしに乗り換えるのです。これは売り手でも買い手でも同じです。
恐らく、多くの俳優厨が被害に遭うとしたらこのケースです。チケットと代金をその場で取引するため詐欺は発生しないだろうという油断が不幸を招きます。
金銭のやりとりが無いので、確かに詐欺は発生しませんが、「譲るはずだったチケットを紙切れにしてしまう(売り手としての被害)」「入れるはずだった現場に入れなくなる(買い手としての被害)」という、「警察に訴えられないけど嫌」な被害は発生します。
筆者は「譲るはずだったチケットを紙切れにしてしまう」「入れるはずだった現場に入れなくなる」どちらも経験しました。「ジャニオタを信じた私がバカだった」と反省しました。皆さんにはこのような気持ちになって欲しくありません。
売り手でも買い手でも、事前に「〇日まで/〇時までに連絡が来なかったら次を探す」とタイムリミットを決めておくと良いでしょう。これをジャニオタに伝えるかどうかはお任せします。
公演までに猶予がある場合は「〇日までに返信お願いいたします。返信がなければお取引を白紙とさせていただきます」と伝えても良いかもしれません。直前に決まった取引なら、わざわざ承諾を取らずとも「無断で遅刻するほうが悪い」と切ってしまいましょう。
※余談ですが、筆者が聞いた中で最も恐ろしかったジャニオタ非常識エピソードは「同じホテルに泊まっていたジャニオタ友達に中積み用の現金数十万円を盗まれた」です。非常識というか普通に犯罪ですが、中積み自体高額転売にあたるので警察に相談できず泣き寝入りするしかなかったようです。同じホテルに泊まるくらい仲の良い友達に裏切られたら人間不信になりそうです。
・ジャニオタを信用してはいけない で解説したとおり、ジャニオタには平気で約束を破る人も多々います。当日手渡しをドタキャンされた場合、開演までの時間が短いせいでリカバリーが難しいです。
なるべく事前手渡しか郵送でチケットをやりとりするのが望ましいでしょう。当日手渡しはできるだけ避けましょう。
当日手渡しをする場合、個人情報と本垢を抑えておくと良いでしょう。個人情報だけだと嘘を吹き込まれる可能性もあるので、X(旧Twitter)とInstagramの本垢も抑えるのがおすすめです。
なぜInstagramも抑えた方が良いかと言うと、X(旧Twitter)だけだとほぼ稼働していない場合があるからです。最近のジャニオタはInstagramをメインに使う人が多いです(もちろん人によります)
あくまで個人的な体感ですが、現在の関東ジュニアのオタクで言うと、美 少年と少年忍者のオタクはInstagram利用率が高め、7 MEN 侍のオタクはX(旧Twitter)率が利用高め、HiHi Jetsのオタクは他のグループに比べたら偏りが少なめな気がします。
関西ジュニアには知見がありません。関東でもSpeciaLとGo! Go! Kids、無所属(フレッシュJr)はわかりません。デビュー組は分母が多いので人によるとしか言えません。
LINEの交換を持ちかけられるケースもあるかもしれません。Twitterのみの取引よりは安全かもしれませんが、ジャニオタは端末とLINEアカウントを複数持っていることがあるため、LINEを交換しても飛ばれる時は飛ばれます。
サイト手数料がもったいないという気持ちはわかります。しかし、こうした「飛ばれるかもしれない」という不安を解消するための安心代だと考えておきましょう。
チケット流通センターやチケジャムといったチケット仲介サイトを通すことにより、詐欺やドタキャンの可能性をぐんと減らすことができます。残念ながら0にはなりませんが、少なくとも筆者はサイトを通した取引で被害に遭っていません。
取引が完了するまでサイトが代金を預かるシステム、Twitterと違ってアカウントの作成をしづらいため捨て垢にならない(本人確認が必要)、垢BANされたら取引に使えなくなるリスク、などが抑止力になっています。
X(旧Twitter)はチケット取引専門のツールではなく、また、いくらでもアカウントを増やせる/消せるため、そこで交わした約束に効力はありません。スラム街で約束しても無意味なのと同じです。
個人的には無人販売所で窃盗が起こりまくる(SNS取引)としても、警察官の目の前で万引きするバカはそうそういない(サイト通し取引)みたいな感覚です。
とはいえ、サイトならなんでも良いわけではありません。チケット特化のものに絞りましょう。メルカリやラクマといったフリマアプリはチケット仲介が本業ではありませんし、そもそもメルカリではチケットの転売は規約違反となります(そのためダミーで架空の商品を売り買いするケースが多いです)
ジャニオタの買い手にサイト通しを希望されたら、売り手の俳優厨はめんどくさがらずに「サイト手数料分はそっちで負担して」と要求した上で出品して良いと思います。下手にサイト利用を拒否すると詐欺を疑われる可能性があります。
これは当たり前すぎて注意事項として取り上げませんでしたが、PayPay取引はほぼ確定で詐欺です。俳優厨が本垢で取引する場合は身元が割れている安心感からPayPayを使うこともあるかもしれませんが、相手がジャニオタの場合は絶対にPayPayに入金しないでください(ジャニオタじゃなくても身元不明の取引垢にPayPay入金をしないでください)
次にジャニオタに向けての文章です。とは言え、この文章を読むような人は既に知っている当たり前のことばかりですし、本当に読んで欲しい層はそもそも文章を読まないでしょうから、無意味かもしれませんが。
俳優厨とジャニオタがチケット取引でトラブルが起きる場合、大抵は「ジャニオタが約束を守らない」のが原因です。
約束は守りましょう。人として最低限のマナーです。ジャニオタ同士なら「あるある」だとしても、一般社会ではありえない非常識な行為ばかりしているのがジャニオタです。たとえジャニーズが主演だとしても、「外部」舞台だという認識を持ってください。
チケットを他の人に譲るとしても、自分は取引しないから無関係だとは思わないでください。希望に添えないとしても、画面の向こうで返信を待っている人がいます。
また、結果的に約束を守れなくなったとしても、連絡があるのと無いのでは取引相手のリカバリーの初速が変わります。どんな理由であれ「取引できない」のならわかった時点で即座に教えてください。
世間において、「チケットが取れない」公演、その需要と供給のバランスの崩れから「チケットの転売で金稼ぎができる」公演は、ジャニオタが思っているほど多くありません。
俳優厨の中でも発券スタイルは人それぞれですが、今回は筆者の周囲に多い「大量発券」型のオタクについて説明します。
大量発券型のオタクは、ジャニーズの大量発券ほど稼げません。たまに定価より上乗せでチケットが売れたとしても、基本的に余らせたチケットは定価より安く他人に譲るか友人を招待する(チケットを無償で渡し、来てもらう)ので、プラマイで言えばマイナスに寄ることが多いです。もちろん公演の内容やキャスティング、会場のキャパによって収支は大きく変動しますが。
大量発券するだけの経済力と管理能力があるため、より良い条件が見つかったら乗り換える、なんてことはせず、決まった取引をきっちり遂行する人がほとんどです。
ジャニーズの現場ではあまりにも詐欺が横行しているため、ジャニオタは先振込みというだけで非常に警戒しますが、舞台俳優のオタクは「チケットで稼ごう」「手元に無いチケットがあるふりをして取引を進めよう」と思う人自体少ないです。(少ないだけで、いないわけではありません)
安全な俳優厨の見極め方としては、本垢を確認するのがいちばん良いです。アカウント歴が長い・日常的にツイートしている・フォロワーとの交流もある・過去にも招待を出しているアカウントが詐欺をする確率は0に近いです。
なぜなら舞台界隈は非常に狭い界隈だからです。通いのオタクはお互い顔を把握しています。チケットをやりとりする関係で、本名や住所や電話番号を把握していることも多いです。知り合いの知り合いはだいたい知り合い。悪いことをしたらすぐバレます。万が一詐欺に遭っても、きちんと稼働している本垢があれば容易に特定できます。
何より俳優厨は義理を重んじ、助け合いで成り立っている村社会です。不義理は許されざる大罪です。
犯罪が多く巻き起こるジャニオタに対して同じだけの義理を求めるのも酷な話かもしれませんが、最低限の約束は守って連絡を返してください。
最後に配席についての傾向を書いていきます。あくまで傾向なのですべての現場に適応されるわけではありません。
まず、外部舞台(ジャニーズが出演する、ジャニーズ主催じゃない舞台)は2つに分けることができます。
ジャニーズのファンクラブ先行がある外部舞台と、無い外部舞台です。
外部舞台のジャニーズのファンクラブ先行は、当選したファンクラブ名義の登録住所に簡易書留で紙チケットが郵送されるシステムになっています。他プレイガイドの発券日より遅くチケットが到着することが多いです。
発券日なのに前方の出回りが無い時は、この紙チケットがまだ届いていない場合がほとんどです。
ファンクラブ先行で当選した名義の中にも2種類あり、「該当名義」「非該当名義」と呼ばれます。
ジャニーズのファンクラブでは、「応援しているアーティスト」を設定します。ジャニオタ用語で言う「担当」、要するに「推しメン」のことです。
外部舞台はそのグループの全員が出演するわけではありません(それはもう内部舞台)。担当が出演しない「非該当名義」であっても応募はできますが、一般的に「該当名義の方が席が良い」と言われます。
しかし筆者は該当名義で後ろから2列目、非該当名義で前から4列目を引いたことがあるので、絶対というわけではありません。ただし該当名義は後方センブロ、非該当名義では前方の端が当選したので、何を良いとするかは人それぞれとも言えます。
特にジャニーズジュニアは200人ほどいるのに全員ひとまとめに「ジュニア情報局」というファンクラブで扱うので、俳優厨の皆さんは周囲にジュニア担がいたら申し込みを手伝って貰えないか打診してみるのも手です。(ジュニア担同士のコミュニティがあって先約されている人や、自分の申し込み以外で使いたくない人もいるため、もし断られても怒らないでくださいね)
続いて俳優のファンクラブ先行。ジャニーズのファンクラブ先行はあるのに、こちらは無いパターンもまあまああります。不公平ですが…。
反対に、ジャニーズのファンクラブ先行が無いのに俳優のファンクラブ先行だけある話は聞いたことが無いです。(聞いたことが無いだけで、存在はするかもしれません)
俳優のファンクラブ先行で最前はあまり聞いたことがありませんが、主演俳優の場合はあるかもしれません。
ジャニーズは外部舞台で主演を務めることが多いですが、俳優さん主演作品にジャニーズが起用されるキャスティングもたまにあります。
ファンクラブ先行が無い場合(ファンクラブ先行があっても主催によっては)、主催先行が前方を持っていることが多いです。筆者はかつてとある現場で最速先行(オフィシャル先行か何か)で後方を何枚も引き、その後の主催先行で前方が出ることを後から知りました。
一般販売は大体後ろの方が出ますが、稀に前方も出ます。当日券は現場によってまちまちなので傾向はわかりません。これは多くの舞台と変わらないと思います。(ジャニーズの内部舞台では一般販売の方が席が良いことがなぜかよくありますが、多くの舞台は一般販売より先行で抑えた方が良しとされています)
通信制で友達を作る気持ちもなく誰1人も友達はできなかったけど今はすごくいい選択をしたと思う
不登校の勉強も全くできない人間だけど、小学生の頃想像していた自分よりも今居る場所が良いから今までのことを書いてみる。
小学校と中学校ではずっと勉強もしていないし、何も分からない授業に参加されられて泣いたり
別室登校ができるようになったら次は教室に入ろうと言われて行かなくなるの繰り返し。
中学生になり、学校に通えるようになりたいと思い1週間わからない宿題もして毎日登校した
高校に入ってバイトを始めて、週3日10時からのシフトに入った
親の金銭的な束縛から抜けられ精神が安定して親の機嫌も良かった
私がレポートをちゃんと出してちゃんとバイトに行ってるかららしい
2年生から美大受験のための予備校に通い始め、バイトのシフトは週3〜5ぐらい入った
授業中に眠すぎたら寝てもよくて、気持ちが楽で週2日1時間かけて通う予備校に一回も休まずに行けた
3年生はバイトを辞めて受験に身を入れて浪人生が通う昼間部に所属した
最初の半年はすごく体力的にキツかった、寝付きにくくて薬を飲んで寝たり
寝不足になって体がずっと眠かったりして授業中に寝てどうにか毎日通う
スクーリングに行った時に体力がついたのか、お昼頃に充電切れになって寝るようなことがなくなり
朝起きれるようになった
数回電車で吐き気と冷や汗の症状(おそらく規律性調整障害)が出たけどだいぶ付き合えるようになった。
受験直前にストレスで低音性突発性難聴になった、無理もできずストレス溜めると難聴になる
だいぶ昼間部の生活に慣れたのでバイトを始めることにした、全く違う自分になりたくて周りが殆ど会社員というバイトを始めた
緩くて時給も高く土日祝日だけのバイトだったので休日はほぼ消え
受験当日も全く眠れなくて薬を飲んだけど眠れなくて睡眠時間3時間で受けに行った
受かった
通院はなくなった
体を慣らしながら少しずつやることを増やすことでだいぶいい方向に修正できた気がする。
起立性調節障害の症状は今でも出るけど、朝ごはんを必ず食べてちゃんと水分を取って外に出て
毎日同じ時間に起きて予備校に行く生活になってから生活リズムが整ってだいぶ良くなった
こんな風に体のことも全部には向き合わなくてはいけないけどほどほどに離れてみないと生きれないなと思います。
私は美術の世界の緩さが合っていたしすごく好きです、何もかもがこうであれとは思わないけどもう少し高望みしなければ楽かもしれません
高2に通っていた週2日と夏期講習などの費用が大体50万
高3と浪人
予備校の昼間部は大体1年で画材費、講習費込みで150万を2年
大体これぐらい出せないと美大受験を諦めることが多い、受験生や大学で関わった人の親の大抵は大企業のサラリーマンや自営業が半々ぐらい
たまに自分で稼いで全てを賄っている人がいる
私の家はサラリーマンの良い方(中の下)ぐらいの稼ぎで美大界隈ではかなりお金がない方、平均から見ると中の下
就職に有利な名前の売れている私立に進学できる人は大体親が自営業か、1000万円ぐらいの奨学金を借りてる
エリートサラリーマンでもないただのサラリーマン家庭は大体1年までしかお金を工面できず受験できなくなる
私も1年までで諦めるつもりで受験して公立に受かって、名前を知られている大学なので美術界隈でなくとも就職はできるかなと
甘い考えだけど
美大受験や学費高い問題は大体就職を考えると名前がある大学に入らないといけない
でもそのためには受験をしっかりしなくてはならず
早めに受験対策を始めたり、浪人するから予備校費用でお金が飛んでいく、という所もあると思う
国公立大学の量も少なく競争率が高く、大学の上層部と下層部の間がほぼないのも問題。
中層部あったら私も浪人しなかった
ここまでお金を出してくれた親には感謝しているし、おそらく不登校で心配をかけていたので頑張ってくれているのかなと
都知事選挙、とんでもないことになってる…
いやだな~と思いながらツイ廃をしているまあ消去法で小池さんに投票するのが安牌かなあ…派、おそらく地方民?の
発言……
いや……
なんか都民でもないのがしゃしゃり出てきて、都のためとか全然考えてない実績作りと華やかなポストを得ようとしてるだけの奴と、1413万人いる都民を一緒くたに語らんでもらっていいだろうか。
それともその人の住んでる土地、犯罪者いないんだろうか。犯罪者を産んだこともよそから来た人が犯罪をしたこともない人だけが都民に石を投げよ。
というお気持ちでした。
地方民の都会僻み、コワ~……
祖父母の代まで全部東京関東にいると、地方に出て何かあった時に詰むし津々浦々どこでも働ける手に職もないから、車内と生活できない土地のやっすい最低時給換算月給のワンマンで、車のローン家賃光熱費通信費食費ガソリン代固定資産税奨学金返済、シンプルに無理だから……
江ノ島のことを何も知らない
いや、何も知らないとは書いたが知っていることももちろんある
なんか漫画とか……ドラマとか……映画とか……アド街的な番組とか……
「休みの日に遊びに行く場所」だったり「学校をサボっていく場所」だったり
「トンビにカメパンぬすまれた」というYouTubeにアップロードされている動画が撮影された場所
私が東京からおよそ1000km離れた場所に住んでいるからこんな疑問が浮かぶのだろう
すなわち「関東地方在住の人々にとって江ノ島はどのような場所なのか?」という肌感覚を掴みかねている
関東地方の人は旅行先として選ぶが、遠い地方から関東に旅行しに来た人が目的地として選ぶ優先度が低い場所
例えば九州民が温泉に行くなら箱根じゃなくて別府や湯布院や黒川や指宿なんだわ、という話
漫画とかドラマとか映画とかで関東地方在住のキャラクターが江ノ島に行くシーン、これはどのくらい気合を入れていく目的地なのか
その温度感がわからないからその描写の解釈を正確に行えていない恐れがある、それが不満だ
えー、おおよそ片道1時間半
博多-長崎の高速バスがだいたい2時間くらいなので近似できるか?
なんか……思ってたより遠いな
学校サボって江ノ島は出発地点がどこかにもよるが相当気合入ったサボりだな
江ノ島について調べる時間はこのくらいにして昼ご飯を食べに行こう
これは日記です
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あ、そうか……昼飯食べて思考が少し余計に回転しだしたぞ
海水浴するためには千葉、茨城、神奈川側に遠出しないといけない、ということか……?
わざわざ九州民が関東に遠征して海水浴するというシーンはなかなか発生しないので知識がほとんどない
というか関東地方に限らず「他県の海水浴事情」って知る機会無いな
やっぱりそうか
っていうか、東京湾の水は綺麗じゃないみたいな話もどこかで聞いたな……
関東地方の民、特に東京都民にとって海水浴はある程度の遠出を伴うイベント、という感じなのかもしれんな
クレヨンしんちゃんの作中描写で海水浴するために長時間車で移動するみたいな話があったような……
海無し県の埼玉だもんな 春日部ってどこだ?……浦和のさらに北!そりゃ遠いわ
↑イマイチぐぐってもわからんのよな、人々が何を期待して江ノ島にいくのかが
とびぬけてアミューズメントな施設があるわけでもなし、とびぬけて有名な神社仏閣があるわけでもなし……←江島神社というのがあるらしい
↑水族館があるらしい なるほどわかってきたぞ 福岡市から見た下関あたりの立ち位置だな? 大宰府と下関を足して2で割ったような印象を受ける
母が埼玉育ちだからお盆の帰省時にでも聞いてみるか、「埼玉県民から見て江ノ島ってどんな場所だった?」って
終わりです
いや、「関東に出るヤツはバカ」って貶すなら「既に地方で職を得た勝ち組の給与の高さ」を根拠にするんじゃなくて「余ってる仕事の給与がこんなに高い」って示さないとなんの根拠にもならんでしょ
関東住み。
「あまじょっぱい」はここ数年というわけでもなく、昔から聞いた気がする。
自分や家族があまじょっぱいものが好きであるかないか、その味を共有したいかしないのかで、まったく聞かない人はそりゃ聞かないと思う。
別に統計とか取ってないので自分の主観だけど、だいぶカジュアルな表現だと思う。
それと音があまり綺麗じゃない。主観だけど。「ジョッ」という濁り、「ッパ」という破裂音、どちらか一つだけであってもカジュアル。
格調高い感じしないでしょ。
もしテレビであまじょっぱい食べ物を紹介する時に、「あまじょっぱい」と言っていいかは判断が割れるんじゃないかと思う。
増田は否定的でしょ。そういう否定的な視聴者の存在を考慮して、意図的に避けてもおかしくない気はする。「その言葉を聞いたためにおいしそうには思えなくなった」とか思われてはまずいので。
もしテレビで「あまじょっぱい」を聴く機会が増えたなと思うなら、そのメディアがカジュアル化が進んだとか、「もうあまじょっぱいって言っても大丈夫そうだな」と判断されたのだと思う。
あまじょっぱいは味としても好き嫌い分かれるだろうから、味も苦手だし、その音もダメ!みたいな人がいてもおかくないんじゃ?
ところで俺はあまじょっぱいはあんまり得意じゃない。甘いかしょっぱいかどっちかにしてほしい。あまじょっぱいってだいたい味濃いし。
私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である。
なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。
私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである。
精神科に通いつつ、投薬とカウンセリングの治療をおこなっている。
そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳の記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。
(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなたの言葉はあなたの感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)
正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。
早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。
当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法が流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。
楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合は母親もほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。
行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日の練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。
でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまうタイプの人間だった。
父親も叔母もスポーツで学生時代に成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。
それが母親の成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。
長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。
ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。
こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。
極め付けはようやく出来始めた友人関係を破壊されたことだった。
中学に上がると、小学生の選手育成クラスから中学生クラスに上がって、ここがジュニアの女子の選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子のさらにその上澄みだけが入る、一番練習がハードなクラスがあった。
いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイトと連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。
(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲームの一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)
けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。
私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスでちゃんと私の記録は伸びていた。
だけど母はその伸びでは満足できなかった。
母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。
私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。
そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。
私はかなり嫌がった。もともとジュニアの女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。
母は私に、「あんな肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたはダメになってしまう」と言った。
嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスのコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。
中学1年の女子が高校生の男子のクラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。
私が苦しんだので、母の不安は解消された。
実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。
注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたことである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナスの感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。
「あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから。
この頃から、試合や合宿で遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。
体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。
しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息を悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。
だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻き、ブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。
ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分の学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてからは予備校漬けになった。
受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業は自分の特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。
大学には簡単に合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。
とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。
ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分の偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。
ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。
1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。
とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。
学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリのラインだった。
振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。
このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショックや東日本大震災の影響があった時期で、特に女子の就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。
でも、留年したのに就活が全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親がマイナビリクナビでエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。
面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。
このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからたしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトはしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論は英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。
結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶はぼんやりしている。
ひとり暮らしの家を引き払い、実家にカンヅメになって母親の監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。
ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存で病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。
この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。
働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的に闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。
本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。
この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分の価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分の価値がボロボロと溢れ落ち、人生がダメになっていくことについて、母親への不健全な復讐の欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。
この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場を経験した。就職先は人売りのSESだった。
これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場が自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。
リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤の生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。
自社開発の案件にアサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事も客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手が全然わからず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴とスポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミットが全然出ないの?
年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。
社長から「新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。
これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始の休みを挟んだ後、ボツボツと休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。
心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解とワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。
この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。
概観してみると、今の私を状態を説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。
特性を持って生まれた子どもが、いわゆる体育会系の世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援が Permalink | 記事への反応(21) | 22:15
帰れるものなら地元に帰りたいけど、地方と東京じゃ同じ職種似たような業務内容でも年収が100万200万余裕で変わる
東京の大手企業の平社員の年収を地方でもらうには、新聞社や銀行や大きな建設会社あたりでそれなりの年数を積まなきゃいけない
地方は金がかからないと思われてるが、一人暮らしするならそこらの地方都市と多摩や埼玉の外れの方で案外出費は変わらないんだよな
銀行や公務員みたいなお堅い仕事はやりたくない!でも薄給で中小メーカーの営業もやりたくない、の結果ダラダラ東京に居座ってる
しょっぱい(塩味が強いことの関東の一部で使われる方言)の変化形。
同じ味覚のことを、関西地方では「甘辛い」なんて言ったりするらしい。
私が住んでる地域(関東)では昔からあまじょっぱいって言ってたし、
今、母に確認したけど、母が子供のころからあまじょっぱいを使ってた。
煮物なんかは普通に、醤油(塩味)+砂糖(甘味)で味付けをするものだし、
「あまじょっぱい」って、いつ頃から使うようになったの?
もともと自分の住んでる地域では、「しょっぱい」という言い方はしなかった。「すっぱい」という言い方はしていたので、子どもの頃は「すっぱい」の訛りなのかなと思ってた。そのうちに小説とか歌謡曲とかで「しょっぱい」という表現を繰り返し見るうちに「ああ、これは"塩っぱい"なんだな」と理解するようになった。けれど、自分の周辺にはそういう言葉を使う人はいなかったし、自分でもつかわなかった。強いてそういう状態を表すなら「塩辛い」かなあ。
「あまずっぱい」は、これは子どもの頃からふつうに使った。だって他に形容のしようがないもの。それはそれで違和感はない。「あまじょっぱい」は、聞いたこともなかった。
それがここ数年かな、やたらと「あまじょっぱい」を見かけるようになった。言いたいことはわからんではないのだけれど、いまだに見るたびに「え?」って思う。「甘酸っぱい」の方は、それでなければ表せない感覚があるし、それにまつわるいろんなイメージもある。「あまじょっぱい」? なんなの、それ、という感覚。
これは、「しょっぱい」同様に地域的なものなんだろうか。関東のどこかでは、むかしっから「あまじょっぱい」って言ってたの? それとも「甘酸っぱい」から連想した最近の造語? そのあたりもよくわからないまま、気持ち悪さだけはいつまでたっても消えない。
誰か詳しい人、この違和感のもとを教えてほしい。
【追記】
トラバ、ブコメ、いろいろありがとう。まとめると、関東地方では方言という意識もなくかなり昔からふつうに使っていたことがわかった。一方で西日本ではもともと「しょっぱい」という表現がないから「あまじょっぱい」もなく、だから自分と同じ違和感をもつ人もいるんだというのもわかった。関西の方言が全国区に出ていくように関東の方言も全国に広がるようになって、関西住みの増田の目にも近年入るようになってきたということのようだ。しばらくしたら慣れるんだろう。
もともと「塩味が強い」意味で用いられていた「辛い」が、「スパイスが効いている」の意味で用いられる頻度が高まって、その圧力でもともと方言だった「しょっぱい」が全国的に好まれるようになってきた流れがあるのかもしれない。その流れの中で、「あまじょっぱい」も浮上してきたのかも。このあたりは学者のいい研究テーマだろう。
「辛い」に関しては、自分は、英語のhotが「熱い」と「スパイスが効いている」の両方の意味で使われてることとかを思い出したな。たしかにどっちも文脈でわかれというのは無理がある。けど、「しょっぱい」は使いたくないなあ。ま、これは個人的な好みなのかもしれないけど。
【追記2】
「西日本は"しょっぱい"を使わなかったから"あまじょっぱい"も使わなかった」というのが結論だと思ったら、ブコメ・トラバで「関西でも砂糖醤油には使う」という話が複数。謎は深まるばかり。
さすがにSFCはないだろうから、無印PSかセガサターンあたりかと思って身構えた。
しかし出てきたのはDSで、しかもやってるゲームはモンハンXXらしく、
「7年前はレトロちゃうやろーーーーーーーーーーー」って突っ込みたかった。
しかし私は傲慢維新天下の大阪に嫌気が差して故郷を捨てて東京に引っ越した直後に、
女帝小池天下の東京となり、今まさに大ソビエト蓮舫の誕生を目にしようとしている、
大阪弁も関西訛もボケツッコミも封印し、東京都民を嘯く時節の読めない隠れ人。
決して関東人にツッコミ等と言う暴挙を働いていはいけないのだ。最悪はパワハラ認定されてクビが飛ぶ。
「へ…へぇ~…そうなんだ~。7年もやってるって凄いね…」と当たり障りのない解答をするしかなかった。
安定して一部2つ名をソロで5分針討伐できるらしく、それは素直に凄いと思いました。
旅行に行きたい気分あるし
有給が20日あるから少し使わなきゃいけないんだが(病院はフレックスで対応できる
候補が思いつかない
でもどこかにいきたい。
昼は観光して、安いドミトリーに泊まって、その辺のラーメン食べて
買える前に地元の温泉か銭湯にでもよって、最終日だけ少し豪勢なものたべて
・関東:ここ住まい。茨城県ぐらいしか残ってないがここ行く料金で大阪行けるんだよね…
・関西:前回奈良、大阪に行ったけど、まだまだ目的地は設定はできそう。兵庫は神戸しかいってない
・中国:こっから行く難易度が少しあがる。強いて言うならしまなみ海道
・九州:福岡だけいった。飛行機必須の領域になるが行ってみたいところは多いが、車必須なので少し考える
・海外:前回は台湾(3回目)。さすがに避けたいので候補として安いので有力。
タイ、カンボジア、マレーシア、中国(3回)、トルコ、ドバイは行った。
全部楽しかったが露のプー太郎さまのおかげでサーチャージが跳ね上がっておいそれといけない。
あとサクラダファミリアを完成前に見に行くか、完成後に見に行くかで悩み中
というか金のこと考えないなら世界を見てみたいな。
ほんま関東の話題って、贅沢で浮世離れしてる感じするよな。ワイもニュースとか見てると、なんでそんなとこにお金使うんやって思うこと多いわ。イチョウの木の件もそうやけど、蓮舫さんとか小池さんとかが目立つってことは、まあ都知事選とか影響あるんかもしれんな、知らんけど。
それにしたって、神宮のイチョウの木を守るとか言うても、木一本でそこまで激論になるんかって感じやわ。ワイも詳しいことはわからんけど、東京ってほんま色んな意味で特別やな。
日本橋の景観問題とか首都高の地下化に3200億円とか、ほんま気ぃ遠なるわ。金持ちの遊び感覚なんかって思ったりもするな、知らんけど。
築地市場の移転問題も長いこと続いとったけど、結局どうなったんやろな。ワイもあんまり追えてへんかったけど、そんなことに大金かけるよりもっと先にやるべきことあるやろって思うわ。
一方で東大がカネないって言うのもまた皮肉やな。国立大学やから東京都と関係ない言うても、なんかちょっと寂しい感じするなぁ。知らんけど、なんか色んなとこでお金の使い方に疑問感じる今日この頃やわ。