はてなキーワード: 賢明とは
NN関連技術の発展が著しい。ことさら理論構築から実用に杯が降りたことで民の関心は盛況を極めている。さるに、聡明で高潔な筆者の戯となるは、未来の予測である。
一歩戻ろう、いや二歩か三歩かはるか前か。我々はプログラムという化物に出会った。そいつの血肉であるソースコードには著作権が発生する。勝手にパクって利用したのがバレて権利者が親告すれば罪となる。我々は化物の親としての権利を主張できたのだ。
時は進み、歩は歩み、化物は化物を産んだ。言葉を紡げば、人の子を模した化物が誕生するようになったのである。さて、賢明な諸君、この化物の親は誰だろうか?
言葉に著作権はあるか。無い。商標権が近くの海で泳いでいる程度である。詩歌にはあるか。有る。創造的で文化的な活動の成果である。では、詠唱にはどうか。婚活やら発達障害やらの話題に懸命な諸君はどう思うだろうか。聡明で高潔で法律に疎くJASRACにヘッドハンティングされるも固辞した筆者は、これになんと答えよう。
元素法典は偉大である。詠唱の価値を知らしめる、表現を綴った書物だ。詠唱とは詩である。言葉の羅列が少し違うだけで、創造される表現が別次元に触手を伸ばす。遺伝子の配列のように、崩れても堅固でありながら、少し違うだけで別物なのだ。聡明で高潔で生物学に疎い私は遺伝子のようだと例えたが、神経のようだと喩えた方が実態には則しているのかも知れない。ニューラルなネットワークだし。
閑話休題、詩に著作権は発生する。さて一方。絵柄に著作権はあるか。無い。おや、雲行きが怪しくなってきた。詠唱が発露する回路の先には、似た絵柄の羅列が待つ。詠唱は似た表現を産む一つの言葉のようである。"火"を描くのに著作権は発生しない。詠唱の持つ力はその程度ということだろうか。詠唱とは柄である。ゴッホの絵柄で暴走族を描いても赦されるように、唱えた結果は表現ではなく柄なのだ。まるで比喩のようだ。比喩はどこかの誰かが産んでも、親としては認められないのだ。んあぁ、閑話休題、しかし、ソースコードに著作権は発生する。入力と出力は守られず、近くの海に特許が泳いでいる程度であるが、回路には著作権がある。確か第何条かで小難しい詠唱がなされていた記憶がある。詠唱とはソースコードかもしれない。そう思うと、守りたくなってくる。
さてはて、話題は発展する。聡明で高潔で漫画が大好きな筆者は、今後に起こるちょっとした予測を楽しんでいる。詠唱の著作権については皆様のような専門家による今後の議論を楽しませていただくとして、もう一つ思いを馳せるは、仮に詠唱を公共の財産に見立てた世界線に乗ったとして、その船の先にある、連続詠唱のことだ。
今後、詠唱士と呼ばれるだろうか、あるいはプロンプターだろうか、3Dモデラーがアニメ業界で活躍しているように、AI技術を駆使できる者が表現界隈で一部に幅を利かせることだろう。そこで生まれる予感がするのが魔術書である。詠唱士が参加した作品の詠唱文を参画した他者が公開することに、法に触れる要素はあるだろうか。連続詠唱に、果たして著作権は発生するだろうか。
仮に詠唱に著作権が発生しない世界に分岐したとしても、漫画のコマ一つに著作権が発生しない世界だったとしても、コマの並び、言葉の並び、知的に紡げば、それことが表現である。連続詠唱が産む表現はどうか。出力は安定しない。作画監督による修正もある。詠唱文に魅力はない。しかし詠唱一つ一つがそれでなければ産まれ得なかったものになろう。しかし連続詠唱が産む表現にはばらつきがある。回路に与えるシードまでパクられないと権利として認められないだろうか。父ちゃんがわからなくても、彼は歴としたかの連続詠唱の子なのに。
魔術の申し子に、君は何と声かけよう。平凡でたまにホッテンに上がる著作権がらみの記事も読まずしかし文化の発展を心より願う筆者は、親の幸せを願いつつ、子が伸び伸びと育つ恵まれた社会となることを祈って、今日を眠ろう。
ミレニアル世代の私は年甲斐もなくコナングレイの出現に狂喜乱舞した。
希望を探し求めているのに自身のことに対しては常に悲観的(極度の恋愛恐怖症というやつ?)、デートを何度重ねていようが「恋愛」はしたことが無いと歌う彼、それでも恋愛をしていない登場人物が「恋愛について」を語る詩は二十数年生きてきた中で出会えた最も自分ごとなラブソングに思えた。こんな話はManiacのMVコメント欄に溢れかえっていそうだ。「コナン、不思議な話だけど私貴方が本当に私の親友のように思えるの、これはまさしく私が考えていたことだ」って。
インターネット人間関係全盛期に思春期を過ごしTinderで大人になった私や私の仲間達は勿論、恋愛や友情を謳歌する者も数多いがそれと同じくらいクローズドなコミュニティの中で出会いの無さを嘆く人々に溢れている。テキストで地球の裏側にいる人間にすらすぐ繋がれる世界は案外と半径5mくらいの宇宙を狭めているのではないかと思う。
求めた数だけ出会いは増えるが、心の底から求めるような着てみたら案外ピタッと形がハマる白Tシャツのようなメイトを探すことは非常に困難で、会う人数を増やせば辿り着けるというわけでもないユートピアであり幻想なのだ、そういう人間は。
私はそういう人間と恋愛的パートナーになった。約10年もの間身体の関係どころかプラトニックラブすら育んでこなかった、正真正銘の友人、よもや親友と言えるであろう相手だった。彼との友人関係を説明するのに打ってつけな状況は小学校の放課後くらいかもしれない、「後で公園に集合な!」そう声をかけ合い、ランドセルを置くため一度は帰路に着くが落ち合う時間を正確に決めたわけでもないのに集い気が済むまで遊ぶ、喧嘩でもない限りは毎日。本当にそんな関係性だった(実際週に何度も会うというのが毎週、小学校を余裕で卒業できる年数分も続いた)。小学生の頃仲が良かった友人で大人になっても付き合いがあるような人は殆ど居ないのが一般的だろうが、当時小学生であった我々はこの友情が終わりなく続くもののように感じられていたのではないだろうか。少なくとも私はそうだ、終わりという概念が頭をよぎったことすらなかった。
そんな彼と10年越しに付き合うことになった、そこに至る理由やイベントについての記述は省く、問題はそれだけの、小学校の親友のように過ごしてきた相手に対してですら、こと恋愛という人間関係の箱に入れられればひとたび、その関係の終わりを匂ってしまうということだ。
初めて恋のフィルターを通して私を見た彼はそれはそれは浮かれていた、恋愛初期段階を楽しむ人間が往々にしてそうなるように。選り好みが激しく友人の少ない彼は数年ぶりのステディな相手ができたこと自体が非日常で、楽しかったのかもしれない。
私はというと戸惑っていた、そして戸惑いの中で愛着を育てながら、精神力は段々と骨粗鬆症が進行していく様で。いつか来る別れに対して一撃で粉々に砕かれるように、脆く柔らかく心を解いていってしまった。いつか来る別れへの悲しみを深める準備、これこそが愛が育てるということらしい。
信じられないくらい身体にピタリとハマる白Tシャツを見つけたのなら先ずは買わないことが賢明だと思う。汎用性が高く絶対に一着は持っておきたい必需品なのにどんなに大事にしようがお構いなく着れば着るほど劣化し、摩耗する消え物なのに、「コレという一着」を見つけてしまえばそれがダメになった時は捨てるに捨てられず箪笥の肥やしが増えるばかりか、そこから先新しいシャツを何万着と探そうが満足がいかなくなってしまう。
何故友人であった頃は微塵も心配していなかった感情の賞味期限を恐れなければいけないのか。恋情はいっ時の劇薬で、いつかコレを愛情に変える為の努力として結婚や出産と言ったライフステージの変化をもたらす必要があるのかもしれないとか、インターネット耳年増で蓄えた知識のせいで不安になっているだけかもしれない。そう思うと何故友情には飽きも明確な終わりも来ないのだろう。
それでも何も考えずにずっと楽しく過ごせる関係を捨ててしまった自分の軽薄さに身震いしながら後何度週末を待つのだろうか。
絶賛円満に恋愛関係を進行中の彼はマカロニえんぴつの「なんでもないよ、」を聴き、私はコナン・グレイの「Disaster」を聴いている。
前パート
https://anond.hatelabo.jp/20220830220250
わかった風に述べてきたが、俺自身はそこまでI店に貢献したわけでもない。最初の三ヶ月は時給800円以下の日払いアルバイトだった。社員の人や、キャストの女性が多くのお金をもらっているのを見て、自分もいつかはと考えていた。
キャッチ役になると、I店に連れてきた人数と支払額に応じてバックがもらえるが、代わりに固定給の時間換算が500円以下となる(実績主義)。閑古鳥が鳴くような平日火曜日とかだと、むしろ働くのが損みたいなことになる。
お客さんがゼロの日が三度あったのだが、さすがにキツかった。その日の給料は相当安いし、皆の目線もちょっと冷たい。でも、店長も、キャストの人も、ほかの人も、「ドンマイ!気にすんな」とか「お前は慎重だから」とか「あんたは人の表情を見る力はあるんど。今はそれでいいんじゃけ。焦るな」とかいろいろ言ってくれて、涙がじんわりと出てきたのを覚えている。
終りはあっけなかった。
働き始めて二年が経つ頃だったか。店長に呼ばれて、店内のソファに向かい合わせに座っていた。
それで、言われたのだ。より上のランクを目指してみないかと。要するところ、このグループの社員(と呼んでいいのであれば…)になって、さらに実績を出せば上のグループに入れてやれるというものだ。
入店してすぐに感づいていた。この人達が反社だということを。反社なんだけれども、本格的な人達ではなくて、中途半端な存在だった。店長だけは組に籍を置いていた。それで、俺に見込みがあるようなら入れてやろうという話を持ち掛けてきたのだと思う。
その場で断った。1年間ほぼ2年間、お世話になってきた店長だった。接客やキャッチの指導もしてくれたし、若い人間にとってよりよい生き方も教えてくれたし、居酒屋でも風俗店でもいつもおごってくれたし、従業員の前でキレたりすることもなかった(お客さんは脅したり殴ったりする)。いい人だった。
でも、こういうずる賢いところがあるのが俺だ。一本筋が通っていない。あれだけ世話になった店長に対して恩返しをしていない。誘いを断った理由はひとつで、もし自分が評価を受けて組に入ったが最後、まともな人生を送れないことが明らかだからだ。盆暗な自分でも、そのことだけは明白に、クリヤーに理解できた。
店長は、「いいよ。わかったまた考え直したら連絡がほしい」という感じでソファを立って、スタッフルームに入っていった。
二週間ほど後だった。休み明けに店に行くと、もぬけの殻になっていた。外観はちゃんとあるのだけど、店には鍵がかかっていた。ガラス越しに中を覗いてみると、主だった備品が無くなっている。
店長に電話してみようと思ったけど、やめておいた。多分しない方がいいと思ったから。それから一週間以内に、店長とほかのスタッフから電話があったけど、出ることはなかった。
……不義理なことをしたのだと思う。法や道理に反する行いはしていたけれども、俺達は仲間だった。(調子に乗ってると思われるのが嫌で)ここまで書かなかったが、当時の手取りは25万を超えていた。馬鹿な自分は、店長からの「税金は引いてあるからな。全部お前の金だ」という真っ赤な嘘を信じ込んでいた。
店長は俺を買ってくれていた。エピソードは言えないけど、とにかく評価してくれたのだ。そんな人を裏切ってしまった。俺がもっと任侠心のある人間だったら、きっと店長の誘いを受けて、その道に入っていたに違いない。仁義という意味では、それが正しい姿に違いない。
自分語りはここまでにして、ぼったくりに遭わないための方策を教えよう。
まずは、ぼったくり被害が生じる原因にして、ぼったくり店が存在し続ける最大の理由を述べよう。
どうして1時間飲み放題で3,500円などという話を信じるのか。この世界のどこかにぼったくり点店が存在することなど、社会人相当年齢の人なら皆知っているだろう。どうしてキャッチなんかにホイホイ付いていくのか。人が十分に賢くなれば、世の中に詐欺が溢れることはなくなる。悪徳業者は撲滅される。
個人的な話になるが、これまで俺が会ってきた優れた人間(特に経営者)は、利益を得るよりも不幸を避ける戦略を採用していた。ショボい利益額になっても、とにかく損失を避けるやり方を好んでいた。
繁華街を飲み歩く時は、酔って認識力が低下することまで含めて最悪への対応を考えておくべきだ。飲み歩きを是とする者にとっての正義のひとつだと思う。
【原則①】入るお店は1夜につき5店まで
(理由:酔いつぶれ防止のため)
(理由:〃)
(補足:もししたくなったら、密着警察24時で赤信号無視で免許取消になった自転車乗りのおじさんに思いを馳せる)
(理由:言うまでもない)
この原則を打ち立ててから早10年、失敗したことは一度としてない。たまに破って「失敗したかも」と感じたことは何度もある。人生の損失みたいなレベルの失敗はしていない。
もし、あなたが学生だったり、若手社会人だったり、地方から都会に出てきたばかり(※1)の場合、ぼったくり店に入ってしまう可能性がある。そうなった場合の対策も教えておこう。
まず、お店に入ったところから始めよう。身も蓋もないが、ぼったくり店かも?と思った時点で脱出することだ。あるいはメニュー表を見せてもらう。カウンターの上に等間隔でメニューが置いてあったり、店内に料金が掲示してあった場合は信じていい。
店員がカウンターの下から宵ショット出してきた場合はやや警戒(9/2追記 メニューをよいしょっと出してきたの意)。口頭のみだった場合は、さらに怪しいので帰った方がいい。席に座った時点で料金発生というのが業界標準だ。その前に帰ろう。先ほど述べたとおり、利益を得るよりも損失を減らす方針を採った方が人生におけるリターンが優れている。
さて、それなりに飲んで、サービスを受けて、さあ帰ろうとなったところで料金の請求を受けることになる。伝票に書いてある数十万以上の金額を見て、ぼったくり店だったと知ることになる。
ここからは、以下に従うことで脱出できる可能性が高くなる。手順以前に最も大事なのは、怯まずに粘ることだ。向こうは強気な態度に出るだろうが、法的な後ろめたさの現れだ。
ステップ①
これは正当な料金ではない、根拠を示せと言う。ぼったくり店は「これがうちの料金だから」とか、カウンターの下からメニューを出してきて「ここに書いてあるでしょ」とか、「キャッチの料金説明は間違い。あとでシメとくから」など、料金の正当性を主張する。
その場合でも、「これはぼったくりである。相場の料金しか払わない。解決しない場合は警察を呼ぶ」とはっきり主張する。相場の料金としては、普通の飲食店の料金想定額×2倍程度を言っておく。かなり運がいいと、割高の料金を支払うことで解放される。
なお、ぼったくり店が主張する請求額は絶対に払ってはならない(※2)。
ステップ②
彼らは、刑法上の詐欺罪となる『無銭飲食』を根拠として強い口調で攻めてくる。あなたを囲い込んだり、帰り道を塞ぐのは基本である。「払えないならおそろしい目に遭う」と口々に脅してくる。免許証のコピー取らせろとか、名刺を渡せとかも普通に言ってくる。従う必要はない。ステップ①のとおり金銭交渉を続ける。
もし話し合いがNGとなったら後は通報するだけだ。携帯電話を取り上げられるのでは、と思うかもしれないが、警察への通報を実力行使で止めた場合に公務執行妨害となることは向こうもわかっている。さりとて、無理やり監禁されてボコボコにされるのでは……と考える人もいるし、ぼったくり店もそのイメージを植え付けることを狙っている。
その場で携帯電話を取り出すか、○万円などの支払意思を示したうえで店を出て交番に向かう。相手も付いてくるだろうが心配しなくていい。
相手もプロだから逮捕リスクを考える。そこまでして金がほしいとは思わない。警察のお縄になったら、当然お店の営業はできないし、刑務所に入りたくないと考えるのはカタギと同じだ。
ただし、半グレ(特に若い衆)が経営している店は要注意。そんなことなどお構いなしに、暴力・監禁・脅迫などしてくる店がある。基本、そういう連中は未来のことは考えていない。良くも悪くも今を生きている。
ステップ③
ある日、福山市街のとある交番の前で、I店の近所のぼったくり店と引っかかったお客さんがモメていた。警察官数名が話を聞いている。
ぼったくり店はメニューに料金が書いてあるからと主張するが、お客さんは最初に聞いていた金額と話が違うと主張する。話は平行線でまとまりようがなかった。こうした場合、ぼったくり店もメンツがあるのでどこまでも食い下がる。最終的には、当初請求額の2分の1などで収まる場合が多い。
が、そのお客さんはできる部類の人間だった。狐並みの賢明さを有していたのは間違いない(そこまで飲んでなかったのかも)。
お客さんは「私は1万円を支払うと言っていますが、それだと無銭飲食ということですね」と店側に言った。店は当然、「○○万円払わないと警察に突き出す」と言う。
ここで、お客さんは警察に向かって、「私がここに1万円を置いて、福山駅の方に帰って行くとしましょう。彼らが実力行使に出た場合、傷害罪で刑事事件となりますか」と問うた。警察官は「そうなる可能性があります」と店のスタッフ側を睨んで言った。
「では、私が1万円を置いてそのまま去った場合、無銭飲食で私を逮捕しますか」とさらに問うと、なんと警察官は、「何もしません。帰ってもらっていいです」とはっきり言ったのだ。知性と粘りの勝利だった。
店側は「おかしいでしょ!法律に従ってくださいよ」と警察官に詰め寄るが、「民事不介入です(※3)」と突っぱねるばかりだった。お客さんは警察官に1万円を供託すると、そのままタクシーを捕まえて、駅の方まで帰っていった。
つまり、相手が主張する請求額を払ってはならない。その場から逃れて家に帰ることだ。それで九分九厘逃げられる。
ぼったくりは犯罪だ。お金を支払う道理はない。ぼったくる側もわかってやっている。
一応、これまでの判例を調べてみたが、警察も裁判所も、ぼったくり店の味方をすることは一切ない。問答無用でお客側の味方をする。
彼らの多くは、正義や真実に基づいて行動する。面倒くさいと思ってぼったくり店への苦情を放置する警官もいることはいる。かといって、ぼったくり店の味方をしてお客さんを逮捕した場合、おそらくは警察内部での白い目と恥の目線が待っているのではないか。
※1…
地方都市にぼったくり店は少ない。ぼったくり店は密集して初めて力を発揮する。その界隈に1店舗だけポツンとあってもすぐに悪い噂が広まるし、警察官も手柄欲しさに喜んで飛んでくる。ぼったくり店には都会性がある。かなり前に帰省した時、福山駅のI店跡周辺に行ってみたが、ぼったくり店と思しき店々は悉く消えていて、複雑な気分になった。悪が撲滅してよかったという想いと、地域の経済力が低下していることのもの悲しさを感じた。ついでに福山駅前がめっちゃ綺麗になっててビビったわ……。昔はヤンキー集団が屯していて、駅前には汚いものが色々と転がっていた(自主規制)。
※2…
民事不介入に関係するが、ぼったくり店にお金を渡していた場合は、あの警察官でもどうにもできなかった。なぜなら、サービス債務と金銭債務が共に履行されるという、まさに民法上の契約と支払が成っているからだ。真の意味での民事不介入となり、お店からお金を取り返すのは不可能に近くなる。
※3…
警察官はストリートレベルの行政職員の典型例だ。要するに、上司の許可がなくても裁量的に動くことができる。ほかにも、ケースワーカーなど現場に出る公務員はその仲間らしい。一般企業(働いたことないけどさ…)だと、上司の許可がないと○円払って下さいという納付書を切れないのだろう。しかし警察官は、自己の裁量で交通違反者に反則切符と罰金の納付書を発行する。上のぼったくりの例でも、警察官が「民事不介入です」と主張できたのは、社会的公正とか、後で上司に叱られる不安がゼロだったから自己判断でできたことだ(と推測する)。公務員には身分保障があるのも大きい。
【参考】
https://ik-law.jp/blog/bottakuri/
(2 警察に、お店との間に入ってもらうを参照)
それからお前はどうなったかって? サッと説明する。このへんはあまり言いたくないんだ。
コンビニのアルバイトで食いつなぐなど到底できるはずもなく、祖父を頼った。頭を下げて、実家に戻らせてほしいと頼んだ。そしたら「実家に戻ることは認めないが、最後の温情として職を案内してやる」と言われた。
祖父からは『面接でしゃべること』というメモをもらって、必死で覚えて採用試験に臨んだ。筆記試験は中学レベルの内容だったからどうにかなったが、面接がやはりしんどかった。じいちゃんからは、とにかく自信を!というアドバイスと、「儂の名前は絶対に言わないように」と釘を刺された。
それで、晴れて合格になって、市内の公園とか道路とか福祉施設とか、そういうところのベンチを直したり、壁をコンクリで補強したり、草木の剪定したり、道路に不法投棄されたごみを拾ったりとか、そういう仕事に就いた。
でも、俺はとんでもない馬鹿で、20代後半になる頃だったか。大声で絡んできた住民の人がいて、あまりにムカついて、ブチ殴って怪我をさせてしまった。
それで人事に呼ばれて、「謝罪の意思がないなら、もう雇い続けることはできない」と言われた。先輩や上司からは、「労働組合を通じてお願いできるよ、きちんと謝罪の意思を示せば人事もわかってくれる可能性はある。低いけれども」と言われたが、当時の俺は聞けなかった。自分がした行為は正しいと思い込んでいた。あのおっさんが醜い言葉で俺達をバカにしたのが悪いと主張して譲らなかった。
で結局、謝罪の意思を示すことなく、諭旨免職を受け入れて、ちょっとばかしの退職金をもらった。じいちゃんやほかの家族に挨拶をすることもなく、遠くにある自動車の期間工の仕事に申し込んで、1社目で運よく採用になって、それからずっと今まで続いている。
以上で、この日記は終わりだ。
辛い思い出もあったし、楽しいと思えることもあったけど、このまま惰性で生きていってもいいのかと思い始めたところで増田に投稿してみようと思った。読んでくれた人、ありがとうな。
【余談】
近年のぼったくり事案について思うところを述べたい。
近年の傾向としては、行政が消費者をより手厚く守るようになったことだ。昔だったら、「騙されたけど勉強になったやろ」的な観点で警察が対応することも多かったが、当時に比べると親身になっていると感じる。
そんなご時世、流行り出したのがプチぼったくりだ。いや、普通にぼったくりなのだが、キャバクラやバーと比べるとはるかに良心的(?)な価格に設定されている。レシートにも、それっぽい名目の料金が少しずつ加算されている。黒だとは言い切れないギリギリを攻める。
各都道府県のぼったくり防止条例は、居酒屋などの一般飲食店を対象としていないという事情がある。ぼったくり店側も、高額請求で逮捕されるよりはプチぼったくりで地道に稼いだ方が効率的ということだろう。
これについては、以下のはてなブログが詳しい。
バズってるけど評判の悪い店を紹介します
https://mazuimeshi1.hatenablog.com/
この至高の御方は、自分の足でぼったくり店を探して記事を書いている。残念ながら今は更新されていない。
この人の記事が好きだった。自分で身銭を切って、読者にぼったくり店の注意を促したり、ツイッターで気を付けるべきアルファツイッタラーを紹介したり、とにかく公益的な活動をされていた。
この当時、多くの人は森友学園とか、芸能人の賭博とかギャンブルとか、イケハヤとかはあちゅうがまた一般人から金を巻き上げてるとか、みんなで集団になって攻撃できる話題を探していた。
でも、この方は個人でぼったくりと孤独に戦い続けていた。そこまでバズるわけでもないのに、それでも粘り強く都内のぼったくり店を渡り歩いて、劣悪なサービスと屈辱を味わい続け、ブログにレシートをアップする。
そういうところに、同じ人間として憧れる。この人がYouTubeをやってたら、投げ銭をする確率は100%といっていい。またブログ再開しないかな。
木綿の着物ならお安いですよといっても、仕立て代込みで三万円がせいぜい。
木綿の着物って、洋服で言うTシャツとGパンにあたるから、マジで「その辺に着ていく服」っていう扱い。
そういう服に三万円、出せます?
ましてや絹の着物となると、もとのお値段も張る。
着物屋からすると、五万の着物なんて「めっちゃ安いもの」扱いになる。
多分ディスカウントショップで売ってる品物くらいの価値なんだと思う。
だから
「美術館とか友達とお茶するとき、 気 軽 に 着られますよ~」
なんて言うんだ。
でもさ、五万の服着て、気軽に外出できます?
私はそんなに裕福な方ではないのでアレかもしれないけど、絶対無理。
美術館とか友達と食事に行くとかなら、全身一万五千円以内(バッグ・靴除く)がせいぜいだよ。
もちろん何かの式典に出る場合は別だよ。
……って断ってるのに、着物屋の人はだいたいしつこい。
「これがあれば、お出かけから冠婚葬祭全部いけます」って言うんだわ。
でも冠婚葬祭ならレンタルするし、私の場合子供の卒入学式の時期はもうとっくに過ぎてるんだよね。
そうやって断ったら、着物屋の人は『伝家の宝刀』を出してくる。
「冠婚葬祭以外なら、 ち ょ っ と し た パ ー テ ィ ー で着られますよ」
仮にパーティーに出ることになったとしても、やっぱ八十万もする着物は怖くて着ていけないよ。
それに、リサイクルショップに行けば、価値が同等の着物が三千円くらいで買えるんだよ。
庶民はそれで十分。
着物業界の人は、斜陽だと嘆く前に、価値観を変えたほうがいいと思う。
若い人はお金がないから、今やお出かけ着にも一万円は出せません。
ファストファッションの店で数千円で買った服を、下手したら十年着る時代だよ。
「三万円の着物」はめっっっっっっっちゃ高級品だから、気軽なものとして勧められると違和感ありありです。
私のように小物目当てで来店してて、着物買いそうもない人には声を掛けない方が賢明。
一着1980円で売れとは言わないけどさ
・せめて五千円以内
・家でガンガン洗える
着物屋で働く人は、ちょっとその辺に行くのに、TシャツとGパン感覚で
三万円する服を着ていってるんですか?
八十万円の着物を、平服で来る人も多い公立小中学校の卒入学式に着ていきますか?
その日は雪かもしれないし、大雨かもしれません。
校庭は砂埃だらけです。
凄く汚れて洗い張りなんてことになったら、クリーニングに数万円かかります。
ありもしないものを想定しないでください。
庶民にとっては高級すぎる品物を「気軽に使える」と嘘をつかないように。
「お高いけど一生モノですよ」
これは正直な言い方だけど、ハッキリ言って庶民は誰も手が出ません。
上にも書いたけど、数千円の服を何年も着ているのが現状なんです。
一生ものだと言われても、服に出せるのはせいぜい十万円まででしょう。
でも、ショッピングモールとかに入っている着物屋さんなら、客層をもっと把握してください。
庶民にぜいたく品は売れませんよ。
“『不当に』権利者の利益を侵害”されてしまうことを恐れるのは自然な感情だと思うな。それに対して制限する仕組みがないのだから
これがトップブコメってのがやばい。お気持ち、つまり感情論で他人の権利を侵害したり誹謗中傷するなって言ってんのになんで自然な感情だと思うな、が反論になるの思ってんだよ。それから制限する仕組みについては不当に利益を侵害されたなら訴訟を起こせるだろ。事前に防ぐ仕組みってんならあいつらが喜んでPixivやTwitterに挙げた画像が突然無断で商用利用されるのを防ぐ仕組みだってねーよ。絵柄の模倣より圧倒的に深刻な侵害だからそっちを心配した方が賢明だろ。本人のみの利用が〜ってブコメも同じな。他人の著作物を承諾を得ずに他人がアクセス可能な状態にするのはそれ自体が違法で単に学習データに使うのとは比べものにならない悪質な行為だけど、Pixivは規約で縛っているだけであとは通報時の事後対応。mimicも対応内容自体は同じだが、違法行為への対応ではない分マシ。お前らの感情論を一々相手にしてたら既に受け入れられているサービスですら回らねーんだわ。まあアホ絵描きは法律も利用規約も理解してないのはbuhitterの件でわかってるから今さらだけどな。
えーと、世の中賢いかどうかじゃなくて信用ならない、で潰れます。仕事の基本だけど。増田で李徴ごっこやるの時間の無駄だし止めた方がいいと思いますよ。
この反論が一番マシ。アホ絵描きのお気持ちを真面目に受け止めると既存サービスもダメって事になるんだけど、どこに差があるのかというと信用(Pixivは何度か信用失ってるけど)だからサービス開始前に観測気球を上げながらすりあわせて受け入れられる土壌をつくるとか、情報発信の仕方で違う展開もあったんだろうよ。
ただ俺が言いてーのは、法律まで改正されたのにいつまでアホ絵描き村の掟に縛られるんだってことなんだわ。法律に則っていればなんでもOKと言うつもりもないしお気持ちに寄り添う余地だってあるだろう。ただ交渉のテーブルに置く大前提の条件は法律であって、お前らの村の掟じゃない。アホ絵描き共が著作権の基本すら調べようとしないせいでいつまでも状況が変わらない。いまのままだと今後出てくるであろう様々なサービスで毎回毎回同じことを繰り返すだろうよ。現時点でのお前らは交渉する段階にすら達してないと言うことを啓蒙するために、一度村を焼き払う必要があるって言ってんだ。
Twitterのアホ絵描き共が、少し調べれば分かるレベルの著作権を理解せずに新しいサービスを潰そうとしてる。この類いの騒ぎは繰り返し起きており、アホ絵描き共が法的根拠なく炎上させて不要な配慮を求めたり、炎上による電凸で迷惑を掛けたケースも過去にはある。これ以上アホ絵描きのお気持ちで必要以上に制約のかかる世の中になってはいけないと思い筆を執った。
mimicというサービスが炎上している。サービスの内容としては作者の絵を学習させることで類似の特徴を持つ絵を生成するサービスであり、本サービス自体は作者本人が利用することを規約としているが、認証機能等があるわけではないので他人が自分の絵柄に似た絵を生成することに使用する事を心配した絵描きが炎上させているようだ。詳細は下記のリンクを参照して欲しい。
https://togetter.com/li/1937447
では上記サービスが法的に問題があるのかというと以下の論文を参考にする限り現状では問題ない、という見方が一般的なようである。パテントは日本弁理士会の機関紙であり、著者も知的財産を専門とする研究者であることからある程度信用に足ると判断した。
AI生成物・機械学習と著作権法 愛知 靖之 別冊パテント 23号 P131 2020年 07月
https://system.jpaa.or.jp/patent/viewPdf/3558
3.2項の記述が今回の事例に近く、例えばディズニー映画風の出力を得る目的で全てのディズニー映画を機械学習させる行為は適法であると主張している(他人が作成した学習データベースを用いて無許可で学習させることは違法)。また学習モデルからの出力に類似性が認められる場合には違法性があるが、市場で競合が発生した場合でも作風レベルの類似性に留まると判断された場合に違法性を問えない可能性についても指摘している。つまり、mimicが想定する利用方法は当然として、アホ絵描き共が心配する使い方についても出力を用いて『不当に』権利者の利益を侵害しない限りは適法となる可能性が高い。(当然他人の絵を使うのはmimicの利用規約には違反するが、利用規約は変更が可能であるし、今後類似サービスが出てきた場合に法的に問題の無い範囲で提供される可能性もある。)
過去の類似例として、buhitterという画像検索サービスや立命館の学生が人工知能学会で発表した論文でPixivの同人作品が引用されていたことについて、著作権法を誤解したアホ絵描き共が暴走して他人に迷惑を掛けた事例を紹介しておく(後者については研究倫理的な面で研究者側に落ち度があった面は否めないが、アホ絵描き共の主な主張は無断で引用されたことについてであり、Pixiv側の立命館への申し立てについてもその主張に則ったものになっている。)
https://togetter.com/li/1253215
https://togetter.com/li/1113863
buhitterについてはサービスの検索対象から希望ユーザを外させる、立命館については学会や大学に電凸するなど、正統なルールに基づかずヤクザ的な手法で要求を呑ませたり迷惑を掛けてきた実績がアホ絵描き共にはある。
もちろん、アホ絵描き共にもお気持ちを表明する権利はある。自分の絵で他人が金儲けをするのは嫌だよーと愚痴をいうことも自由である。しかし、それを盾に集団で圧力をかけ、要求を呑ませることはヤクザ的な手法である。アホ絵描きの中には明確な基準や根拠な基づかない表現規制を求める風潮に反対するものも多いのではないかと思うが、彼らがやっているのは全く同じ事である。彼らの多くはこういったダブルスタンダードに気づかず、ガイドラインの制定されていない二次創作を公開しながら他人の著作権違反を批判する(しかも理解が間違っている)ものもいる。
ツイフェミやアホ絵描きのように、根拠や基準に基づかず権利を主張する集団は不当に他人の権利を侵害する可能性がある。mimicについても本人のみの利用と法律よりも厳しい制約を掛けている理由については、アホ絵描きのお気持ち学級会ルールに配慮した可能性が高く(それでも炎上したのは皮肉としか言い様がない)、技術の利用が不当に妨げられている可能性がある。アホ絵描き共は自分たちがアホでヤクザ的な主張を繰り返していることを一度認識し、法改正などの適切な方法で解決することを目指すべきではないだろうか。
昨日こういう増田を書いた。
参院選の投票期間も後一週間なので、本当の表現の自由を守る候補者を教えてもらえたらその人に投票しようと思って書いたものだ。
ありがたいことにブクマしてくれた方々のおかげで注目エントリにも入っていたので少なくないはてなーの皆様にもご覧いただけたのではないかと思う。
本当の表現の自由を守る候補者を書いてくれた方もいた。はてなも捨てたものではない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220703012840
では福島瑞穂に投票を // 簡単に言うと、2000年代以降、児童ポルノ法に「単純所持」処罰化を含めようとした(そして成立させた)のが自民、それに反対していたのが民主・社民・共産。福島瑞穂は一貫して反対していた。
このように福島瑞穂氏が本当の表現の自由を守る候補者であると教えてくれた。しかし残念なことにトラックバックで福島瑞穂氏は
子供、又は主に子供のように見えるよう描かれた者が明白な性的行為を行っている画像及び描写、又は、性目的で子供の体の性的部位の描写を製造、流通、頒布、提供、販売、アクセス、閲覧及び所持することを犯罪化すること。
という請願を出していると教えてくださった方がいた。
俺は最初から「俺にとっての一丁目一番地は創作物の表現の自由なので例えば特定のエロ漫画を違法化するような請願を出している方は除いて欲しい」というのを条件にしていたので、残念ながら福島瑞穂氏はこの点で条件に当てはまらなくなってしまう。
ブコメで福島瑞穂氏のことを教えてくださった方はきっとこの請願のことを知らなかったのだと思うが、ともあれ俺が投票できる候補者ではなかった。
最初に書いた増田は半日以上注目エントリに入っていたし、はてなーのうち表現の自由に関心の高い皆様の少なくない数が目を通してくれたことと思う。
しかし福島瑞穂氏以外の本当の表現の自由を守る候補者を教えてくれた方はいなかった。
従って賢明なるはてなーの皆様の言うところの本当の表現の自由を守る候補者であって俺の投票できる人は、今回の参院選にはいないことになるのだろう。
いないのであれば仕方がない。本当の表現の自由を守る候補者ではないのかもしれないが、俺にとっての一丁目一番地である創作物の表現の自由を守ってくれる候補者である、赤松健、藤末健三、栗下善行の誰かに投票することにする。
残念な結果には終わってしまったが、これで赤松らに投票したやつは本当の表現の自由を守る気がないとかいうコメントを見ても後ろめたさを感じる必要がなくなったので良しとしよう。
なにせ表現の自由について一家言ある者たちの最前線であるはてなで聞いた上で、本当の表現の自由を守る候補者の名前は出てこなかったのだ。
なぜ投票したのかと言われても選択肢がなかったのだから仕方がない。俺にとって本当の表現の自由を守る機会は元々なかったのだ。
ところでブコメで「てけとーに共産か社民に入れとけばいい。」などというふざけたコメントがあった。
ある政党に属する議員は全て同じ意見を持っているはずだという幼稚な意識の発露であろうが人をバカにするにも程がある。紙屋氏の提言で共産党の公約が変わったのを見ていないのだろうか。
参議院の比例代表選挙は日本国民が国政選挙において「党」ではなく「人」を選ぶことのできる数少ない貴重な機会である。
反面教師にするにも値しないが、氏のコメントは一事が万事この意識で書かれているものなのだろう。以前から目立つ方ではあったが名前とともによく覚えておく。
賢明なるはてなーの皆様の言によるとヤマーダやレドマツは彼らの言うところの表現の自由戦士であって、本当の表現の自由に対してはむしろ敵であるらしい。
まあそれはいい。それはわかった。こちらとしてもあのサブイボの立つ宣伝漫画を描いてる候補者に積極的に投票したくないので別にいい。
ただこの二人が表現の自由の敵でしかないというのなら、それならばどの候補者に投票すべきなのか。せめてそれくらいは言及して欲しい。
俺としてはこの二人以外なら栗下善行に投票しようと思っているが、彼はネット上で目立つリベラルの皆様からは批判されている。彼もまた本当の表現の自由を守る候補者ではないようだ。
ならばと藤末健三はどうかと思ったが、彼もやはり月曜日のたわわを購入した画像を投稿したことでフェミニストを馬鹿にしていると批判されていたので違うらしい。(そもそも普通漫画を買った画像を投稿するのはその漫画を応援する趣旨であって、その漫画を批判する者たちを馬鹿にする趣旨ではないと思うのだが)
一体本当の表現の自由を守る候補者とは誰のことなのか。投票期間が残っているうちに賢明なるはてなーの皆様に教えて欲しい。
なお当然ながら遍く表現の自由は全て尊重されるべきであると考えるが、俺にとっての一丁目一番地は創作物の表現の自由なので例えば特定のエロ漫画を違法化するような請願を出している方は除いて欲しい。
本当の表現の自由を守る候補者が一人だけということはないだろうから、この条件に当てはまらない他の候補者を教えてくれれば幸いである。
「なんで貧乏から抜け出したい子が実家が太くて真剣に金稼ぐこと考えなくてもいいボンボンがモラトリアムしにいく芸術系に行くんじゃアホ」
とブクマカからボコボコにされてるが、自分はこういう子あまり責める気になれないのよね。
「お前が親から配られた不利な手札でも勝利(人並みの経済状態・平凡で幸福な家庭)を手に入れられる最適戦略はこれだ!」
と正しい人生の戦略を教えてくれるまともな大人なんて誰もいなかったことが簡単に想像できるから。
思うに、親ガチャ外れの辛さって、
1. 引いた手札が外れだらけ
という一般的に言われる不利よりも、
という不利の方が大きいのではないかな?
この子が挑んで挫折した「芸術系ダンジョン」は「太い実家★4」と「親から受け継いだ文化資本★4」の持ち物検査を通れない人間にとっては報酬がゼロどころかマイナスになりかねない糞コンテンツだよ。
★1だらけの自分の手札の中では輝いて見えた「芸術センス★2」に人生を賭けたのだろうけど、経済力と文化資本の★4無しに芸術系で勝ちたいなら「芸術センス★4」以上と「幸運★4」以上を神から配られてないと無理。
必死に勉強して高校は特待生で大学は給付型奨学金というのは立派。この「勤勉さ★3」こそがこの子の最強の手札だ。
その手札を活かして貧困から抜け出したいなら挑戦すべきは「看護系ダンジョン」あたりではないかな?
勤勉さデッキで十分進める難易度で、報酬は女一人が生きていくには十分過ぎる収入、子供産んでも楽に復帰できる需要の高さと、コモンだがSR相当の性能の手札だ。
生涯年収の期待値を考えれば、「勤勉さ★4」と「実家の太さ★3」を持ってるからと下手に「文系大卒総合職ダンジョン」で戦うことを選んだ女よりも賢明であろう。総合職ダンジョンは女デッキで挑むとバッドステータス「子持ち」を食らった後の対策が極端に難しいクソゲーと化して生涯年収が激減するんだよね……
高校で「看護系の大学・専門学校に行け」と進路指導してくれる先生はいなかったのかな? いなかったのだろうね……
とりあえず、ブクマカみんなアドバイスしてるように、デッキに入れてるだけで毎ターンHPが減るバッドステータス毒になる親を切るところから人生の立て直しを始めるのが良いと思う。
頑張ってください。
ロシア通で知られる日本維新の会の鈴木宗男参院議員が16日、自身の公式ブログを更新。ロシアによるウクライナ侵攻を念頭に「ゼレンスキー大統領は『武器を供与してくれ、少ない』と訴えている。欧米諸国は協力する姿勢を示しているが、それでは戦争が長引き、犠牲者が増えるだけではないか」とし、「自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断と思うのだが」と続けた。
2月24日に始まった侵攻から約4カ月が経過しようとしているが、まだ終結は見えない。鈴木氏は「名誉ある撤退は『人の命を守る』上で、極めて大事なことである。また、物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべきだ」とロシアではなくウクライナに訴えかけ、「『ウクライナは負けない』と強弁してきたが、国力からしてロシアと1対1の戦いでは、その差は明らかである。ここはゼレンスキー大統領の勇気ある決断を願ってやまない」とした。
一般人がブログで書くのは自由だが、参議院議員の立場ある人間が他国に降伏勧告するのはさすがにまずいのではないか
あとウクライナ人もゼレン大統領も、降伏したらもっと犠牲者が増えることがわかってるから降伏しない、
という赤子でもわかる論理に基づいているのはわかるはずだが