はてなキーワード: 権威とは
ネタバレと他の人の感想で先入観を持ちたくなかったのでなるべく早く見ようと土曜日の朝一に行きました。
一番好きな作品はぼくらのウォーゲーム、次点が時かけ、その次がサマーウォーズ。
サマーウォーズは昨日の金曜ロードショーで久しぶりに見たのですが、12年前というだけあって今見ると結構キツイ部分もあって少ししょんぼりしました。
好きなシーンはいっぱいあるんですけどね。
典型的な細田監督が脚本を手がけるようになってからの作品があまり好きではない人間です。
おおかみこどもで「う〜ん」となり、バケモノの子で盛大にがっかりしました。
それはわたしが作品のターゲットから外れてしまったということなので、それ以降は少し寂しく思いながら劇場に見に行くことはありませんでした。
それなのに何故、今回劇場に足を運んだか。
一つは、描きたいと思っている作品の題材被る可能性があり、それがないかチェックしたいと思ったこと。
もう一つは、主人公のアバターであるベルのデザインをディズニーのジン・キムが手がけたという情報を目にしたからです。
細田作品でよく言われている「ヒロインへの興味の無さ」が、一部他者に委ねることで、もしかしたら今回は解消されて好きになれるかもしれないと期待したのです。
それ以外は流れてくるCMくらいで、ほぼ事前情報なしで見に行きました。
前置きが長くなりましたが、決してアンチがアラを探しに行った訳ではなく、むしろ「おもしろかった!」と思いたい気持ちで見に行きました。
がっつりネタバレしていくのでご注意ください。
仮想空間という3Dと相性のよい舞台設定もあり、2Dと3Dの違和感も少ないです。
映画の一つの見どころでもある竜の正体探しなんですが、これは細田作品今まで見てきた人はすぐわかっちゃうんじゃないでしょうか。
わたしも早々にわかってしまって、もうちょい誰なんだろうって楽しみたかったのが正直なところです。
それはさておき、主人公すずのAsの名前「ベル」からも分かる通り竜そばは美女と野獣のオマージュが多く登場します。
オマージュ自体は別にいいのですが、ただ単に竜と女の子の二人が美女と野獣っぽいから表層的になぞっただけいう印象を受けました。
同じ美女と野獣をオマージュしたシェイプ・オブ・ウォーターは、野獣がハンサムな王子にはならず最後まで野獣のまま二人が結ばれ、本家を踏襲した上で独自のストーリーになっていました。
ですが、竜そばはそれが出来ていません。
そもそも竜が作中で醜いと言われてますけどかっこよくないですか?
怖いかもしれないけど醜くはないでしょう……。
人間だらけの中なら浮くかもしれないですけどUの世界みんな色んな格好ですし。
竜の野獣である要素が薄く、本家でも言われているルッキズムの助長がむしろ強化されてしまっているようにも感じられました。
Uならまったく別の人生を生きることができると謳っているのに、アバターは生体情報から自動生成で自分の意思では自由に出来ない。
そして見た目で差別を受ける。
仮想空間は理想の世界ではなく現実の地続きで、ある意味リアリティはあるのかもしれません。
竜のあざやベルのそばかすが現実とリンクし、すずに竜の正体を気にさせ、探せるようにするために必要だっただけではないでしょうか。
細田監督はこういったシーンを描きたい!といったところからストーリーを膨らませていくタイプに見えます。
その手法は全然アリだと思うんですが、キャラクターやストーリーがそれを実現するための駒に収まってしまっています。
特に脇役はひどいです。
ルカちゃんはすずとベルとのギャップが際立つよう、現実での立ち位置を対比で表すため。
ヒロちゃんはすずをUの世界でスムーズに活躍させるための便利屋。
しのぶくんに手を握られて学校中の女子から叩かれ炎上する際のゲームのような演出も力が入っていましたが、あまり必要性を感じずやりたかっただけのように見えました。
敵役の魅力も乏しいです。
明らかな噛ませ犬だと竜の強さが伝わらず、バトルシーンにも緊張感が生まれません。
自警団とのバトルはストーリーの本筋ではないですが、アンベイルという重要な能力を持っています。
そんなキャラクターの作りが蔑ろなのはマイナスでしかありません。
何故Uの管理者でもない彼らが、キックやブロックや削除ではなくAsのオリジンを暴く能力を持っているのか。
権威がある印象をつけるためスポンサーが多数いる描写がありましたが、それでは説明になっていません。
おそらくストーリーが進めるため、ベルがすずになって歌うシーンを作るために作られたのだと思います。
それでも説得力のある設定を付随してあげればいいのですが、それがなされていません。
描きたいシーンとシーンの間をとりあえず大きな齟齬が出ないように埋めているだけのストーリー。
とりあえずでは見せ場に行く前に気持ちが躓き、せっかく力を入れて描かれたシーンが空虚に感じられてしまいます。
メインストーリーであるはずのすずの成長はこれでもかと言うほど分かりやすく描かれています。
母が死んで歌えなくなった
↓
Uの世界なら歌えるようになった
↓
↓
母のように他者を救えるようになった
他者との関わりから閉ざされていた心が開いていく王道のストーリーを美女と野獣でオマージュし、今までやってきた得意なものを詰め込んだ今回の作品。
新しい試みは何かあったのでしょうか?
でもそれ以外は既視感のあるものがほとんどで驚きがありませんでした。
唯一あるとすれば音楽へのこだわりでしょうか。
それもライブシーンに至るまでのストーリーで白けてしまうのがあまりにも勿体ない。
わたしにはケモとショタとクジラと電脳世界でのライブが描きたかったことしか分からなかったです。
結論としては前置きで書いたものと変わらず、細田監督は脚本を他者に任せるか、共同にした方がいいと言うものになってしまいました。
残念ながら今回もやはりわたしはターゲットにはなれなかったようです。
あくまでわたしのものさしがストーリーに重きを置くのでこういった評価になってしまうだけで、他の評価軸で見れば全然楽しめる作品であると思います。
まだ他の方の感想を読んでないので、どれくらい自分との感じ方どれくらい差があるのかちょっと楽しみです。
書き慣れていないので読みづらかったかと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
名無しじゃなくハンドルネームを出して主張しないと、顕名かつ各種メディアにも出て既に権威を持ってる人間から権力をなくすのは難しいぞ。
というかひとりがHN出して主張してもダメだな。集団として声がでかくならんとダメ。
Twitterとかで、腐女子の立場から腐ツイフェミ批判してる人たちが少しいるじゃん。あの層がしっかり盛り上がる必要がある。
現状あのクラスタは、ツイフェミ批判する論客めいた少数の腐女子とその周囲で同意する多数の男ばっかなわけで、もっと野生の腐女子もツイフェミ批判の潮流を作らねば、金田淳子みたいな腐ツイフェミ文化人の発言力は変わらない。
別にあいつらと直接仲好しグループになっていちゃいちゃしろというわけではない。それはエコーチェンバーや派閥化になりやすいからな。
直接交流はないし同一グループではなくてもツイ腐ェミを批判する腐女子アカウントが沢山存在することが大事で、それが遠目から見れば存在感ある一つの潮流になってると思われれば、それを無視して勝手に腐女子代表ヅラをされることはなくなるぞ。
かつては女オタクと言えば腐女子でしょと思われてたのが、ここ数年で多数の夢女や百合オタや男女CP萌えの女オタが「腐女子と女オタは別概念なんすけど」と愚痴り続けた結果、別物とかなり広まったりしてるけど、そういうパターンを目指そうや。
吉田光雄さんはTwitterを使っています 「小山田圭吾のいじめ発言は、悪趣味ブームだった当時(94〜95年)は別に問題にもならず、 その後だんだん世間の常識が変わってきてからは何度も「これはひどい!」的に掘り起こされてきたという経緯があります。そして、あれは小山田圭吾だけじゃなくて、当時の『QJ』とライターの責任も大きいかと。」 / Twitter
これはちょっと言葉足らずで当時知らない世代には誤解しかならないと思う。
今にも続くけど文科省、教委、PTAの「理想の学校」に対して白けながら「現実の子供は違うんだよw」って露悪してカウンター食らわせる。今は増田含め匿名ネットコミュニティでしか見ないけど昔は雑誌が発信の場だった。
増田にも大勢いるけど「障害者と同じ学級は嫌だ!」「言葉が通じないやつは嫌だ!」という差別心は当時以上に今のほうが支持されるのではないか。
90年代のカウンターブームは別に学校、教育に対してだけでなくて、男女雇用機会均等法への反発や、歴史修正主義みたいな政治分野も雑誌で担ってた
この記事も言葉足らずだからかおかしな反応が見られるな。「露悪的」「本音主義」というのは今で言うと「現実主義」「リアリスト」ってことよ。
当時はまだまだ「理想主義」に力があって「権威」になれた時代だったからカウンターとしていくらでも露悪的に過激になろうとしたし、大海の一滴のサブカルだからそう振る舞ってもスルーされる土壌だったというだけで、常識が当時と今とで違うからという話ではない。
一定数、ジャンプブランドという権威に自分を重ねて審判者か何かと勘違いしている輩がいる。
同一人物の可能性もあるが、「天皇の威光を我物として権力を持ったと勘違いし支配したがる右翼」そっくりで怖い。
他の例えならば「嫌なら出ていけ」が定番のネトウヨの精神性とも通じているように感じる。
権威がなんであれ、自分が強くなったと勘違いして他人を支配・干渉したがるこの現象に名前はあるのだろうか。
株主でも編集者でも購買者でもない人間がなぜこれほど傲慢に、声高に、執拗に米欄に粘着しているのだろうか。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496397705828
( 1077 )1047 他のジャンプ漫画みたいに現実を忘れるくらい没頭して楽しみたかったのに 完成度が小学生レベルで 見事に期待はずれで「なにこれ!何の成果も得られませんでした!ガッカリだよ!」ってなるっしょ 下げコメントはジャンプに裏切られた哀しみだよ
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496397708942
( 3811 )う〜ん…読んでて思った感想がとにかく「読みにくい」の一言に尽きる気がする。 絵の描き方も様々な手法を多用しすぎて複雑だし、台詞がめんどくさいね。めちゃくちゃ宝石の名前いきなり出されても戸惑うし、もうちょっと文章だけでも読みやすくして欲しいね。 それと出来ればこういう批評コメントも消さないでほしいもんだね。読者の意見とか感想から逃げるんだったらジャンプに載せる資格ないよ。
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
不審者とか以前に保護+交番まで連行途中の病気やけがの責任を問われそうだから保護とかこわいわ
医師免許とか現役警察官みたいな一般人が食って掛からない権威ある上級ならともかく一般人だとあとから何か発覚した場合すら訴訟ありそう
https://togetter.com/li/1744776
このまとめにもいるけど jiji @traductricemtl はツイフェミやTERFのインフルエンサーみたいなアカウント。
人間の知覚というのは優れていて、誰もが他人の身体的性別をほぼ正しく見分けることができます。あなたを含む、世界中の人はこれを無意識に行っています。ある部分のみではなく全体的な様々な指標を総合してみな判断しているでしょうね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/traductricemtl/status/1293944194382417920
ラドクリフなんて才能で比べたらJKローリングに完全に及ばないし、そのおこぼれに預かってるコバンザメ的存在なのに、なんであんな急に現れて偉そうに代わりに「謝罪」できるかっていったら、やっぱりローリングが女だからだろう。考えれば考えるほど、ほんと爆発しそうになる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/traductricemtl/status/1270691803084328966
https://note.com/bobby_shibaki/n/na71117479d6b
ここでもまとめられている。
で、ジェンダー社会学の第一人者でありフェミニズムに関する著書を持つ代表的フェミニストの一人である牟田和恵教授がこれらのアカウントに度々いいねやRTを行っている。
https://twitter.com/peureka/likes
普通に考えて多くの性暴力被害者の女性は男が半裸でブラつけてる場所に行きたくないだろう。デリカシーなさすぎるんじゃないの。
https://twitter.com/traductricemtl/status/1414161025117589504
これは「フラワーデモの参加者にトップレスになっている人がいた。フラワーデモに相応しくない」という話題(なんだそれ)に関して、
「そのトップレスの人はトランス女性だった」というデマに基づくツイートである。
そもそも性暴力根絶を求めるデモでトップレスになることの何が悪いんだという話は置いておくとして、
別にトップレスの女性が実はトップレスのトランス女性だったからといってトップレスの女性よりも悪いということはないはずだが、
問題を起こした人間はトランス女性だ、だからこのような行いをするトランス女性は女性ではなく男性であり、フラワーデモに参加する権利はない、と言いたいわけだ。
牟田和恵はこれにいいねをした上で、(スクショ https://twitter.com/silkwormdeleted/status/1414188067871543296 )
少なくとも日本では「あえて下着で~」というのは、「よくある運動」ではないです。そのこと及び、なぜそうか、わかっておられますか?そういう状況下で、性暴力被害者が声を上げることの困難を考えれば、この文脈で保守的性道徳云々を持ち出すのは、ジェンダー研究者として、いかがなものでしょうか。
https://twitter.com/peureka/status/1414192699729604611
トップレス者への攻撃を批判する小宮友根のツイートにこのような引用ツイートをした。
牟田和恵はしばしばこのようにトランス差別言説(今回は完全にデマ)に乗っかりながらトランス差別言説自体には言及せず、
トランス差別言説に反対する者に対して枝葉の部分を批判するという姑息なムーブを行っている。
一部のツイフェミやTERFと同様に堂々とトランス差別言説を展開するのなら(それも悪質だが)まだ見るべきところがあると言えるかもしれないが、
表立って差別主義者の顔をすることは避けて学者としての体面を保ちながらこそこそといいねを送り婉曲的に支援するような発言を行う態度は果たしてどうなのだろうか。
悪質なツイフェミ・TERFは一部の名もないインターネット草の根フェミニストでしかないとする見方もあるが、
このようにそれらをこそこそと支持しているアカデミアの存在があることを踏まえるべきだろう。
daisya これまでのところ学者はトランスライツ側のほうが多いだろ。昔はてなにいた山口智美とか斉藤正美とかも。なんでそんなところで嘘付くか。
あのー、この増田のどこに「学者はTERF側に多くトランスライツ側に少ない」とする記述があるの?
牟田和恵という一人の学者がこのような行動を取っているという話のどこにトランスライツ側の学者の存在を隠すような「嘘」が存在するの?
noemi_itoh ヤバくない人もいるみたいな言い方はどうかと思う
そう言いたくなる気持ちもわかるがトランス差別に対しては反対の論陣を張っている者も少なくないのでみんなやばいという話にはしたくないかな。
正直言ってこのようなトランス差別は何年も前から連綿と行われているのにも関わらず、
多くのアカデミック系フェミニストがミサンドリーもフェミニズムであると黙認・追認してきた経緯を考えると「遅すぎるだろう」というのが正直なところ。
ともあれこのような差別に反対する声を上げることは大切だが。
hesopenn TERFは深刻な問題で、だからこその先の宣言だよね。早く切断しないと。そのためにはTERFという言葉を使い続ける必要がある。
件の共同声明について「女が消されている」「なぜ女ばかりが他の差別にも対応しなければならないのだ」などの批判を行う向きもあるようだが、
あれは「お前らの中に深刻な差別を行っている者が少なからずいるから一刻も早くそれをやめろ」という話だと理解できないのだろうね。
augsUK ・千田有紀教授は堂々とターフやってるからそのうち牟田先生も ・「ミカンはお母さんが買うもの」とか家父長制フェミニストでもある
「ひよこ(菓子)のお父さんが大きいのはヘテロ家族幻想を広めている!」とまで言った人が
オタクは全員男でみかんはお母さんが買うものという認識に基づいてなんか言い始めたのには目を疑ったよね。
誰よりもヘテロ家族幻想にとらわれているのはあなたじゃんって。
yujimi-daifuku-2222 今TERFを批判するアカデミシャンも昔は男性嫌悪丸出しのツイフェミにいいねしていた事を覚えているので、かなり冷めた目で見てる。/ツイフェミの過激な主張にアカデミシャンがお墨付きを与える仕草って昔からですよね
先述したがアカデミック系フェミニストの多くが何年も前から存在するフェミニスト自称者のトランス差別について言及することを避け、
時に「差別を受けてきた女性にはそう言いたくなる理由がある」というようにむしろ彼ら彼女らの憎悪にお墨付きを与えることまでしてきたのは事実。
「累積的抑圧経験」などの便利な理屈をインターネットの草の根フェミニストに与え影に日向に支援してきた側であるということは記憶しておくべきだとは思う。
まさしくインターネット上で行われているトランス差別もこうした「女性は歴史的に常に被害者、男性は加害者」という認識に基づいて、
トランス差別ではなく男女の区別、トランス差別を訴えるのは女性差別、という理屈を展開しているわけだから。
ともあれ喫緊の課題は差別者にそれは差別だと指摘し少しでも多く被差別当事者に差別に反対する声を届けることなので、
アカデミック系フェミニストの功罪に関してはそれはそれ、後の評価としたいところ。
umiSen なんでもTERFはおかしい。一部のラディカルな集団のイデオロギーに賛同しない奴は差別主義者扱いされる世の中。まあ、仮にこう言う人たちも他者を差別主義者扱いしていたのであれば自業自得かもしれんが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4681772654549980994/comment/umiSen
cleome088 トランスジェンダーの人権活動家の人の中には共同親権とか女性専用車廃止の人みたいに女を搾取消耗させることが目的の人が結構居るから。クレーマータイプの活動家がこの界隈には多い印象。
で、何なんだろう?
「トランスジェンダーの人権活動家の人の中には共同親権とか女性専用車廃止の人みたいに女を搾取消耗させることが目的の人が結構居るから」
牟田和恵のようにこそこそとデマによる悪質な差別扇動を行う匿名アカウントの陰に隠れて差別に加担するのも仕方ない、女性への攻撃を避けるためだから、ということ?
ジェンダー社会学を代表する研究者の一人であり大学教授という権威を持っている人間が、
「女性である」というただそれだけで差別に加担する行動を免罪され、むしろ相手が悪い、女性差別だ、とまで擁護されるのは全くすごいことだと思いますよ。
kirishimaloda6915 だから「たーふ」とか言うの止めなってば。トランスジェンダリズムは本当はトランスの人を救うものでは無く、女性迫害・男の権利増強運動だと早く気付け。反トランスジェンダリズムの人の方が真っ当な人が多いよ。
101.称光天皇(1414~1428))
102.後花園天皇(1428~1464)
譲位後に発生した応仁の乱を嘆いて出家。政務を放棄した足利義政を戒めたこともある。
103.後土御門天皇(1464~1500)
大嘗会を催したが、直後に応仁の乱が発生したため、中世最後の大嘗会となった。
104.後柏原天皇(1500~26)
即位時、朝廷の財政は困窮しており、父であった先帝の葬儀も40日後、即位式も即位後21年という有様であった。
105.後奈良天皇(1526~1557)
飢饉と疫病に苦しむ民を救うため、諸国の一宮に直筆の般若心経を奉納した。
106.正親町天皇(1557~1586)
毛利元就の献上金で即位。織田信長・豊臣秀吉の援助で皇居の修復、伊勢神宮の造営などを実現した。
107.後陽成天皇(1586~1611)
秀吉の援助で朝廷の権威回復に努めた。聚楽第行幸を行った。学問を好み、日本書紀などの慶長勅版を刊行した。
108.後水尾天皇(1611~1629)
女帝。
110.後光明天皇(1643~1654)
111.後西天皇(1655~1663)
112.霊元天皇(1663~1687)
113.東山天皇(1687~1709)
114.中御門天皇(1709~1735)
先帝の代に復興した大嘗祭が再び途絶えた。公事部類を残した。笛が巧く、狐ですら聞き入ったとされる。
115.桜町天皇(1735~1747)
116.桃園天皇(1747~1762)
117.後桜町天皇(1762~1771)
118.後桃園天皇(1771~1779)
父典仁親王に尊号を与えようとするも松平定信に阻まれる尊号事件があった。
120.仁孝天皇(1817~1846)
121.孝明天皇(1846~1867)
安政5ヶ国条約に反対し、攘夷を主張した。反面、和宮の降嫁に賛成し、公武合体を推し進めた。
122.明治天皇(1867~1912)
大政奉還がなされ、明治政府が誕生。在位中は大日本帝国憲法発布、廃藩置県、国会創設など近代化が進められた。日清・日露戦争の勝利、韓国併合により日本は列強の仲間入りは果たした。
123.大正天皇(1912~1926)
生まれつき病弱であったため、皇太子裕仁が摂政に任じられた。在位中に第一次世界大戦が勃発。皇室として初めて一夫一妻を確立。
124.昭和天皇(1926~1989)
在位中に第二次世界大戦が勃発。日本の敗北を受け入れ、日本国憲法が制定された。
125.上皇(1989~2019)
世界各国を訪問して皇室外交による親善に努めた。東日本大震災の際には自ら被災地を訪問した。
126.今上天皇(2019~) NEW!!
水鉄砲による抗議はなぜ失敗したのか。
まずここでいう失敗とは五輪開催について政治家が躊躇せざるを得ないうねりを作れなかったことと定義している。
その意味で水鉄砲による抗議は一般人に対する攻撃として捉えられ、聖火ランナーに対する同情を誘い、むしろ五輪開催に向けた警備強化を正当化する理由を作ったように思う。
(水鉄砲を放った人物は人に対する攻撃と捉えられるとは想定していなかったかもしれないが。)
今回の水鉄砲の直接的な被害者は一般人であった。であればより有名な選手や大会関係者であれば良かったのか。
いや、その場合はより問題になっていただろう。自陣に負い目のある状態で主張を続けることは難しい。被害者のいる陣営の主張は同情を誘うことになる。
暴力的な行動に出た時点でその陣営の主張の支持は減るだろう。特に人命を理由に開催の中止を主張するならなおさらだ。
今や五輪開催については国民の過半数以上が中止か延期を望んでいる。実際に、インターネットによる署名活動や医療従事者によるプラカード行進、抗議デモなど、これまでにも五輪開催については数多の抗議活動が行われてきた。
しかしながら現状政府や委員会などが強引に開催に向けて進めており、五輪は中止されることなくほぼ間違いなく開催されるだろうと予想している。
このことはいずれの抗議活動も政府や委員会の意思決定の決定打にはなり得なかったことを示している。
では今の政治体系や社会構造の中でどういった抗議方法であればより効果的であっただろうか。
五輪を中止させる最も効果的な方法は、五輪に対する人々のリスペクトをゼロにすることである。
五輪が五輪たりうる理由は、人々がその大会に勝利した人を尊敬するからである。地元の小学校のかけっこ競争で勝利したからといっても履歴書に載せるのは憚られるだろう。
五輪に参加した。五輪で優勝した。五輪のスポンサーをした。このことに価値があるからこそ開催に意味がある。
五輪は人々が価値を感じることによって価値が生まれているという点で貨幣と似ている。
例えば日本国内で流通する通貨である日本銀行券はお札という紙でできた券である。それ自体には何の価値もない。ただし人がこれを価値あるものだと信じるから価値がある。
このように人々の間で持たれる共通の信頼によって流通する貨幣のことを信用貨幣というが、その価値を支えるのは発行者に対する信頼、価値の安定、そして強制通用力の三つの条件であり、そのいずれかが崩れた場合は価値を失う。
それぞれについて簡単に説明すると、発行者に対する信頼とは、偽物が存在しないと信じられること。
価値の安定については価値が昨日今日で変動せず、おおまかには一定であること。
そして強制通用力は「これには価値がある」と主張できる強力な後ろ盾があることである。
例えば犯罪者が偽札を大量に流通し始めれば貨幣に対する信頼は落ちるだろう。
一日おきに同じ金額で購入可能なものが変わるような貨幣についても人々は受け取りたくないだろう。
また日本においてはその価値が人々の間で共通のものとなるよう日本銀行券を決済の最終手段として認めるという法律が存在し、国家権力によって貨幣に対する信頼を補強している。
さて、貨幣と同じような価値構造を持つ五輪ではそれぞれに対して何が対応するだろうか。
発行者に対する信頼については、類似する大会がないことや参加する選手や関係者の不祥事がないことが対応する。
価値の安定については、ある年の金メダルは全大会の金メダルより価値が少ないと人々が思わないような施策を打つこと。
強制通用力についてはメディアによる宣伝などで「この大会には価値がある」と人々に共通認識を与えることが対応するだろう。
貨幣と同じような構造を持つのであれば、これらのいずれかが崩れた場合に五輪は価値を失う。いわゆるブランド力を失うということになる。
そうなった場合、選手は大会に価値を感じなくなり参加しなくなる。また人々が注目しないのであればスポンサーをする意味もなくなり開催に必要な資金を集めることもできなくなる。
ではそれぞれの条件がどのような状態で崩れるかを考えてみよう。
発行者(運営や選手)に対する信頼を揺るがせることについては五輪関係者や政治家の汚職、選手の身勝手な行動などを喧伝するだけで人々の反感を誘うことができるため、容易に取れる手段かもしれない。
ただしこの方法だけでは中止には至らない。なぜなら人ひとりふたり程度の汚職や犯罪程度では開催が揺るがないほど五輪は大規模であるからだ。
また、五輪の運営側や選手の不祥事が発生したとしても、その問題はあくまで個人の問題であって五輪に参加した人物は変わらずリスペクトするという人が多い場合については、いくら喧伝しても五輪の価値は下がらない。
このためこの方法では五輪に対する信頼はすべての試合が八百長だったと発覚するなどよほどの事件が発生しない限り減りにくく、また減ったとしても中止に至るほどのダメージではない。
一方で五輪の不祥事の多さや意思決定の不明瞭さについては現状多くの人が疑問に思っているところだろうから、そのあたりのクリーンさをアピールした代替の大会が開催されるとなれば五輪のブランド力はそれなりに失われるのではないだろうか。
価値の安定については、東京五輪についてはかなり自爆しているように思える。
4年に一度開催され、多くの競技が行われる世界で最も伝統的な大会というのが五輪の特徴だとすると、開催側としてはその特徴を傷つけることは避けるべきである。
新型コロナウイルスの流行によって2020年の開催が延期されたことによって4年に一度の開催という特徴は陰りを見せてしまったが、こちらについては天災によるものとして納得できる人が多いのではないか。
しかしながらその後の対応として政府や委員会は世論的な反対とは逆に開催に向けて強行してしまった。五輪の理念であるオリンピニズムをかなぐり捨てたその動きに嫌悪感を抱く人が増えたと予想している。
新型コロナウイルスが蔓延して人々が苦しみ、五輪の開催に疑問を抱く人が多くいる中、無邪気に「五輪開催に参加です!」と表立って言える人はなかなかいないだろう。
その意味で五輪は五輪自身のためにも開催に向けて動くべきではなかったと言える。
五輪は名前の通り歴史的な権威などを使って武装し、基本的にテレビや新聞などメディアによる宣伝によってその価値を喧伝してきた。
多くのメディアが五輪の話題にあげ、参加し優勝などをした選手を称えることで人々は五輪に対する価値を認めてきた。
メディアは五輪の大きなスポンサーとなっていることが多く、五輪が話題になればなるほど収益が上がる構造となっている。
想像するに、一度五輪が開催されれば反対していた人々でさえテレビや動画配信を通して五輪を観るだろうから、メディアが世論を五輪中止へ誘うことは考えにくいだろう。
ほかの毀損手段としては、有名なスポーツ選手などが五輪に対する不快感などを表明し、不参加や不支持をすることが挙げられる。
しかしながらスポーツ選手が声を上げることは現在のスポーツ業界では難しいだろうから現実的ではない。
以上のように五輪の特性上、強制通用力については崩すことが難しいだろう。
ここまでを踏まえてまとめると、貨幣との類似性をもとに五輪の中止を扇動を考えるのであれば、
1.五輪関係者の不祥事を喧伝しつつ、クリーンさをアピールした別の大会を開催すること
2.五輪関係者に五輪開催の強硬によるブランド力低下のリスクを理解させること
しかしながら1については五輪に代わる大会が増えるだけであり、今回の五輪を中止したいそもそもの理由に対する解決にはならない。
2については希望は残るが、運営が理性的だったとすると、スポンサーや政策、契約上の問題などによってそのリスクを承知の上で強硬したほうがましな結果と試算した可能性があり、また運営が理性的でないならそもそもリスクについて理解はできないだろう。
ここまで長々と話してきたうえで、私が考える最も効果的かつ全く推奨しない方法について述べる。
とても簡単に言えば、人々が五輪の価値を徹底して否定することが最も効果的だと考えられる。
貨幣と同様、五輪は五輪に価値があるという信頼、あるいは権威性によって成り立っている。ここまで述べてきた3つの条件はあくまでも人々の信頼を補完するものでしかない。
このため、人々が「五輪の価値を認めない」と宣言してしまった場合、五輪の価値はその瞬間消し飛ぶ。
具体的には、五輪に出場する選手、スポンサーとして参加している企業、五輪に関わる政治家などをリストにしたものをWebサイトなどで公開し、開催に賛成の個人や法人としてレッテル貼りをしたうえでSEO対策をし、SNS上などで拡散するといったものだ。
ここで重要なのは、個人や法人に対する直接的な攻撃は行わないことだ。個人や法人に対する直接的な攻撃をしてしまうと、五輪反対派は過激だというレッテルを貼られ、人々は逆に賛成派に対して同情的になるからだ。
あくまでこれらの人たちが「五輪に賛成している」という事実を述べ、関係者に対するワクチンの優先接種など、制度や構造に対する批判のみを宣伝する。これであれば直接的な攻撃とは受け止められにくい。
そういったリストが公開された場合にどういったことが発生するかは想像に難くなく、私であればそのようなリストに名前を連ねたいとは思わない。
これらの行動は中傷の扇動にあたるだろうし、人としての倫理観が怪しいところなので私自身は全くしようとは思わないし、ほかのだれかがやっていても軽蔑するだろう。
しかしながら、五輪開催の条件すらあいまいなまま強行していく開催者側と交渉するには、水鉄砲よりは効果的なのではないかと思う。