ここ数日報道されてるオリパラ開会式の音楽担当の小山田圭吾の過去のいじめ問題、
過去のいじめの内容を抜粋したものを読んだが、あまりに凄惨な内容で全く擁護することはできないものだったし、
小山田のtwitterにアップされていた謝罪文も読んだが、今回の騒動が出たから必要に駆られて発表したに過ぎないと感じる内容だった。
はっきり言って胸糞悪いし、オリンピックやパラリンピックの精神を侮辱したものだと思うから正直関わってほしくはない。
だが、ここ最近感じる「こいつは不正をしているから、おかしなことをしているから何を言っても良い」という勢いがどうしても怖く、
同じ流れて意見を書くことができなかったため匿名でお気持ちを表明した。
話は変わるが、令和3年7月15日には池袋で発生した暴走事故の飯塚幸三の公判があったが、飯塚に対しての世間の発言は一方的に
バッシング一色だが、これについても、あまりに言葉が乱暴だというか、世間の論調が暴力的に感じる。
飯塚被告の家族にもバッシングや嫌がらせが起きてるっていうし、あまりに間違った正義感が暴走してないだろうか。
飯塚被告の被害者への無配慮な発言に対し反発と憤りを覚えるが、それにしてもだ、それにしてもみんな口汚くないか。
100ワニの映画だってそう。俺も単行本の描きおろしのイラストのセコさとか追悼ショップの不謹慎さとか色々思うところはあったしネタとして面白がったけど、
パブリックエネミーとして世間が認知してから何しても良いって思って何千何万人と攻撃したらそれはいじめと同じなんじゃないか。
そろそろ大丈夫かなって思って知識階級の権威を減らして一般大衆に力を与えてみたら一般大衆は魔女狩りの時代から一歩たりと全く進歩してなかったって話ですわ
何を言ってもいいと思ってボロクソに言ってる奴、そんなおるか…?
涓滴岩を穿つ、と言ってな 個人の一言がわずかでも大量になったら暴力なんやで
正義があれば暴力が認められるのが、世の中。 誰にとっての正義で、誰が認めるかは知らんけど。
結局問題は世界から人が集まるオリパラという案件で、、 つまり日本のネット社会が許した許してないリンチしたしてないの問題だけで済まなそうな予感すら個人的にはあるので、 ブ...