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はてなキーワード: 暮らしとは

2024-02-11

つわりが辛い 流産こわい

現在6w1dくらい。まだまだ妊娠初期も初期、心拍すら確認できていない。

それでも立派につわりが辛い。

ひたすら愚痴をこぼすだけのエントリなっちゃった誰にも言えないからごめん。

既婚子無し、30代前半。

2年前に稽留流産経験し、自分には子どもが出来ても流産する素因があるのかも……と不安になり不妊治療クリニックを受診した。

仕事をしながらの通院はなかなか困難で、結局ほとんど通院できなかったが、なんとか妊娠した。とりあえず妊娠反応が陽性になった。

しかったけど、また流産するかもと思うと、怖くて仕方なくなった。

腹の中でまた知らない間に死んでるかもと思うと怖い。

それに加えて、ただただつわりが辛い。何をしていても吐き気がする。というか吐く。

食べづわりというやつか?と思い食べてみるも気分は悪いし、では食べないでおくかと思っても空腹もまた気分が悪い。

食べられるタイミングで食べられるものを少しつまむだけになった。これなら食べられるかもと思って買った弁当を丸ごと捨てた。友達との会食も断った。送別会も断った。理由は言わなかったので、不義理なやつだと思われていると思う。

また流産するかも知れないと思うと職場にも周りにも言えない。入院するほどでもないつわり仕事を都合してもらうわけにもいかない。というか、職場や周りに報告したあとに「やっぱり流産しました(汗)」ともう言いたくない。

初めての妊娠ときは呑気だったから「ごめん、ちょっとつわりがつらくてご飯行けないや、また終わったら行こう!」って言ったけど、その後流産して少し経ってからまた友達から「その後どう?もうお腹も大きくなったかな?そろそろご飯行こう!」なんて優しい連絡が来て、「ごめん、流産したんだ〜」と言う羽目になったの本当に嫌だった。もう言いたくない。

てことで当分職場には言わず、なんとか我慢して、誰にも言わずにひっそり暮らしていくつもりなんだけど、つらい〜!!!

赤ちゃんが生きてる証拠じゃん!望んだ妊娠じゃん!って思うけど、つらいもんはつらい!!!

もっとつらいつわり不妊治療流産を乗り越えてるのかも知れないけど、本当に、私もつらい!!!

読んでくれてありがとう!!!

anond:20240211081148

暮らしとき

🐶「いまは😼だからたべないんだよね」

anond:20240211004856

おたシェア!でも読んだらいいとおもうぞ(同性の、若くて健康問題もない、奇跡的に気が合う友達同士のシェアハウスでもいろいろ面倒なことがある)

あととらのオタ婚活とか

それでダメそーなら結婚は諦めて楽しく暮らしてくれ(オタシェアに戻る)(永遠のサイクル)

2024-02-10

anond:20240210194557

●株:約2,500万円相当

←新しいGAFAM相当のなにかあったか上場次第乗り換えれば良いのでは。

その際枠内になりそうなものNISA成長投資にのりかえ。 まあたいした節税にはならんかもだが。

利確するなら確定申告ゆっくりできる年にやれ。

現金:約1,000万円

←ひとのこといえねーわ…… まあ株買い足したりしたほうがいいんだろうな

ideco:約550万円

年金より先に住宅財形でいいんちゃうの、もうなくなったん?外資だとないんか?その企業に401kないかidecoなんだっけ?

NISA:約130万円

←うーん、オルカン長期保有するなら分割で買う必要なくね感。現金あまっとるんやから年初なり誕生日なりに枠いっぱいまでかって放置でええやん

あ、旧NISAなんか ほな長期保有ちゃうか でもR6元旦からNISAから5年縛りないんやで 

 

正直そんだけ稼いだらもうええか~おもってそこでリタイア個人事業化)して好きにすごしたらええんちゃいます

上質な暮らしってやつよ

今が一番体力あるけどあと投資かめんどくさいだけに傾くばかり

離婚もしないし子供も居ないんだったらボランティアとかvtuberとか好きな方法社会参加でけるやんけ

別にから産んで保育園落ちた日本紙ね(増田伝統芸)したり個人事業も休んでゆとり教育(良い意味で)してもええとおもう

出しっぱなしのちんちんに興奮できない

旦那が家で裸族だ。

そのこと自体は、面白く捉えている。

実家でこんなに裸族だった人はいない。

丸出しのちんちんを覗くのは面白い。じっくり見ていると伸び縮みするのだ。こんな面白もの男性にはついているのだなぁ……としみじみする。

しかし、今問題なのは旦那ちんちんに興奮できなくなっていること。やはり、隠す、恥じらうということは私に大切なことなのだと、しみじみ実感している。隠れていたところからバキバキちんちんがボロン! と出てきてくれないことには、こちらも臨戦態勢になれないのだ。

ということは、旦那には包み隠さず伝えた。申し訳ないが、二人の夫婦生活のために裸族をやめてくれないか、と。答えはNOだった。家の中で服を着る気はないという。

私は悲しい。できたら、旦那とはまだ恋人のように、するべきことをして共に暮らしいからだ。

今は、家に帰る頻度を減らせないかと目論んでいる。私が週1くらいで帰れば、出しっぱなしのちんちんにもワクワクし直すことができるんじゃないか

旦那としたい。できたら、恋人ときのような、ちんちんを隠したところから出してくれる旦那と。

一人暮らし

親を亡くして二人暮らしの家では家賃が合わないので近く引越しをしなければならないなぁと考えている。

一人暮らし経験がないのでどのくらいの部屋に住むのがいいのか見当もつかない。

家具も結局小さくしなければならないだろうしなぁ…。物を減らすのが苦手な人間なので今から頭を抱えている。

富裕層って全然贅沢な生活できないよな

金融資産が1億以上あると富裕層と呼ばれるらしい

そうなると実家富裕層に含まれるのだが、そんな贅沢な暮らしはしていなかった

海外旅行なんて3回しか行ったことないし、国内旅行も年1回くらいしか行ってなかった

外食も、コース2万くらいのちゃんとしたレストランへ行くのは年数回くらいだ

私はすきやきが好きで、夕食でごちそうと言えばすきやきだったのだが、父が肉にうるさかったので100g3000円くらいの牛肉でやるのだが、月一で5割引とかの時しかすきやきは食べれなかった

中学受験をして大学まで私立に通わせて貰ったが、周りも結構そんな感じだった

富裕層って贅沢なんてできなくて庶民に毛が生えたような生活しかできない

漫画編集者の端くれだったことがある


青年向け漫画編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである

本日記は『セクシー田中さん』の件とは関係ありません。

働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくま編集プロダクションである出版社編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請け下請けだ。出版社出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品のものを作って、編プロ雑誌本体を作って、その制作過程印刷所やデザイン事務所といった専門集団関係することになる。

イマイチ説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。

自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社ひとつ。そういうアナロジーだ。

出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営制作現場の間にあるような仕事は、出版社社員が直接することもあれば、編プロ出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。

前者の例だと、マガジンサンデーチャンピオンなどだ。コンビニ書店にほぼ必ず置いてあるレベル漫画誌。大手出版社総合職コース入社した人が、(編集取材制作、資材、宣伝マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門ひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。

後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロ出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌関係

ほかの長文増田記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくま自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。

その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生作品を読んだ。

その後、編集部責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。



A先生について

A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。

弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。

画力が抜群だった。小学校中学校で、学習ノートフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。

難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。

A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているか微妙だった。

子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。

私という人間は、具体例で物事説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URLhttps://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントきっかけで元ネタを知ることになった。

あの時のA先生イラストは、ベルセルクセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコファルネーゼを抱きかかえて、

申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」

と言うシーンの模写だった。

さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。

その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。

内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌亜流「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナルスピリッツスペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、

「なぜうちの編集部に見せなかった?」

という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合玉虫色の返事があるだけだったりする。

話を戻そう。この時の自分は、編集部自分デスクのあたりでA先生次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。

自分としては、A先生マンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。

うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。

「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなた判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」

要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則一般会社と変わらない。

その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。

その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。

「この作品はい意味で重たいねちょっと考える時間がほしい」

と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店ご飯をおごっている。

A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生ご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生幸福だと、自分幸福だと思えた。A先生漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。

ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分A先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分ことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。



○ B先生について

持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶あやしい

実際、B先生作品面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品雑誌掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。

絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクター台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。

光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。

私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。

それで、テーブルではこういうやりとりをした。

私「イイ作品だと思います特にセリフ回しにセンスを感じます掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」

B「ありがとうございます

私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」

編「私よりもほかの人がいいと思いますもっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で

私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)

編「難しいです」

私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)

編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」

私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)

B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」

私「後日連絡しますね。必ずしまから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」

B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」

私「なんとかしてみます

作品のものと、作家プロフィールと、付属資料コピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビル入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。

持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。

最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしま可能性がある。あれも、実際は諌山先生門前払いではなく、週刊少年ジャンプ担当が付くか付かないか微妙ラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体公的飲み会で囁かれていた。



○ その後~

B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部トップを交えてB先生原稿コピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。

その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社プロパー社員。いわゆる総合職である

最初は、私に選択権があった。B先生担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。

A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。

私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。

今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。

以後のB先生は、例の持込漫画ブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなスターダム上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。

一方で、私が担当を続けたA先生は地道な努力を続けた。

上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力シナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazon第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。

今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品コンビニ立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。



2024年現在、私は東京を離れて田舎暮らしている。地元町役場Uターン就職して、実家農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。

実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者から指導があった。

それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動スタートした。

A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。

入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。

もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。

若いから編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。

もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。

ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOL高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある人生は運試しである

宇宙光速よりも早く広がっているらしいが、つまり宇宙の端は真っ暗闇ということなんだろうな

大変だな。

宇宙の端で暮らしている人はどうやっているんだろう。

でも真っ暗闇で何も見えないならルッキズムによる差別はなくなるだろうな。

じゃあきっと商業フェミニスト廃業ちゃうはずだ。

ルッキズム差別を燃やせなかったら食い扶持がなくなるはずだもの

anond:20240210064939

ここでルックバックのタツキを持ってくる感覚よくわからない

単純に『好みじゃない』でよかったんじゃないか?って思う

 

ワイもドワーフ嫁は『好みじゃなかった』なぁ。序盤で脱落したよ

プライベートゾーンに触れちゃダメ、デミセクシャルな人もいるよって、なんで啓蒙必要だと思ったの?としか思えなかったし、

啓蒙必要だと思ったってことはなんか性にまつわることで嫌なことありました?としか思えなかった

 

むかし、2DKっていうオタ活・推し同棲マンガがあって、ワイはこのマンガ嫌いじゃなかったんだけど(作者がセクマイ)、

一部の人の2DKの推し方にドン引きドワーフ嫁はそれをそのままマンガにしたみたいな印象持ったな

2DK | Amazonレビュー

仲のいい女性ふたり、楽しく暮らしている内容なのですが、読んでいるうちになぜでしょうか?、涙が出てきました。

お互いがお互いを思いやる気持ち姿勢、行動、小さなところに現れる相手への思い、気遣い。著者は普段日常生活コミカルに描いているだけなのでしょうが、読む人が読むと泣けます

 

上下関係もない、籍を入れた夫婦のような拘束もなく、相手をつなぎとめられるもの自分真心だけ。このふたりには相手への愛情言葉の出し惜しみは全くありません。

 

その場その場で自分意見気持ち言葉に出して伝える。相手気遣い真心、優しさにあぐらをかくふたりではなく、人間関係の基本をきちんと押さえている大人ふたりなんだ、と思いました。

 

信頼関係が崩れた時、ふたりの共同生活を解消する事はいつでも出来るわけです。その事実をお互いきちんと分かっているからこそ理解してもらう努力相手理解する努力は怠らないわけですが、人間関係の基本と言うものは、本来このふたり関係のようなものなんだと思います

 

釣った魚にエサはやらない人とか、誰がお前らを食わしてやっているんだ!?と言うような家庭の中でさえ上下関係を持ち込みたがる人(男の人に多いと思う)には理解しづらい世界だと思います

 

家庭の中の上下関係ピラミッド型の底辺にいるのはほとんどが女性子供で、その底辺ストレス子供の頃から多く感じてきた私のような人間が本書を読むと泣けて泣けて・・・

 

いや両親と兄弟姉妹は選べなくてもパートナー自分で選べるでしょうよ、みたいなね

anond:20240208171812

え、家族って血の繋がりじゃないでしょ?

ちゃん養子に出されて養父母の元で暮らしてるならそっちが家族だと思うから整合性にはなにも問題ないよ。

夫婦別姓個人的にはやめてほしいと思っている。

家族範囲苗字で把握できるのはめちゃくちゃ便利だと思ってるから

田中〇〇ちゃんの親御さんを田中さんと呼べないの困らない?

〇〇ちゃんパパとか〇〇ちゃんママって呼んでも気にしない人ならまだマシだけど、わざわざ別姓を選ぶ人ってそういうのも気にしそうじゃん。

子ども友達のご両親とコミュニケーションとるとき苗字確認を兼ねた自己紹介をしないといけないのは人の名前を覚えられないタイプ人間には辛すぎる。お子さんがお父さんとお母さんどちらの苗字を名乗ってるのかも確定しない訳でしょ?選択夫婦別姓

家族の枠組みが壊れるという理由より、人間関係の把握のコストが高くなるから反対。

anond:20240210031902

私の母校がFランかー、そんなことないんだけどなー、と思ったのでせめて偏差値数字だけでも出そうかと思ったけど、合格当時の母校の偏差値知らんな。

もう金銭的にほぼ母校しかまともに通う計画が立てられなかったんで、自分偏差値関係なく突撃するしかなかったのよね。

そもそもバイトもあって模試ほとんど受けられなかったし。

まぁ中途半端大学出るより高校就職ってのはちゃんとした就職先に選んでもらえればその通りだと思うよ。

私の下の弟は高卒元増田にもある地元偏差値30代の高校)だけど真面目に勉強部活に取り組んで、超大企業正社員就職して安定した暮らしをしとるよ。

ただ、現場職だから命の危険がある仕事だけど。

実家は太くも細くもなかった

実家は太くも細くもなかった。統計年収中央値、300万くらいは年収がある家だった。

田舎の有名企業工場ブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。

勉強田舎公立中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。

高校進学の時、親は地元偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。

で、ここからである

まず、この高校に進学するとき約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。

周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。

からちゃんと親に言った。「大学に行きたい」と。

そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。

ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。

親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取り20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。

その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。

でも、この世帯年収特別生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMac自分バイト代と親の援助で買うことができたのに。

から大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。

けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。

親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らし最初資金だけは援助してくれた。

それ以降は、昼間バイトして夕方から大学勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパート家賃も払うという生活をしていた。

でも、大学お金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。

そして今、大学出会った人と結婚して、子どももいて東京暮らしている。

この街に住んでいると感覚が狂ってくる。

区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子ども学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。

こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。

しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。

知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。

実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。

それは統計情報も示していることだ。

それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしま世界存在する。

まり、この日本には格差がある。

これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。

からしかたらこ結論が分からいかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。

だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。

精神障害発達障害を抱えつつも生きていたい生活保護受給者

回答やアドバイスが欲しい訳じゃなく、ただ吐き出させてくれ。
  

若いから鬱病などあって通院をしながら年をとっていった。

病気が酷くなりパートナーのための家事などが困難になり治療に専念するため離婚をして一人になった。

離婚した後パートナーはご両親がご健在で今は実家暮らしてる。自分の両親は自分若い頃に亡くなっている。

自分はその後障害年金受給し足りない分を生活保護受給して生活費としてる。

またヘルパーなどいくつか福祉サービスに支えてもらってる。

福祉に支えられなければやっていけない人間など死んでしまえというような書き込みを見ると胸が痛い。

精神病を抱えての生活社会に何も貢献出来ず生産も出来ない。社会に何も役に立ってないだろう貴様と言われても反駁できない。

でも死ぬのが怖い。病気は大変だけれど死にたくない。自分が消えるのが怖い。生きていたい。

お願いします。どうか福祉に支えられて生きる事を許してください。

そして精神障害身体障害発達障害知的障害の病名など(メンヘラ糖質、ハッタツ、境界知能等)をつかって他人卑下するような事をネットで書き込むのは止めて欲しい。

障害や重い病気を持つ苦しみ、辛さ、理解して貰えない悲しみ、患者家族の苦しみ、本当に辛いんだ。
 

LGBTQ+の方々が少し羨ましい時がある。

様々な障害者を馬鹿にしてこけおろし死ねと書き捨て、病名症状名等をつかって他人卑下するような事を書いても誰もとがめないし強く否定する声を上げる人もいない。
 

精神障害者が全て自己否定が強く希死念慮に苛まれている訳じゃない。

100年200年それよりもずっと先まで生きていたい自分がここにいる。

どうか、伏して乞い願う。100年先は無理だろうけど、限界まで生き続けることを許してほしい。
  

生活保護受給であることを普段伏せているのでここじゃなければ吐き出すことが出来なかった。

読んでくれてありがとう。どうか心身を大事に生きてほしい。

年金暮らし貧乏親が朝日新聞を購読している

しかも朝刊も夕刊も取っている。今の時代に。紙で。

いかれてると思わないか?月5000円だぞ馬鹿馬鹿しい

なんとかしてやめさせたいのだが、無駄インテリ気取りで思想の偏っている頑固親で、その経費だけはガンとして削ろうとしない。最近は反ワク思想にハマっており、もう手がつけられない。はよくたばってほしい。どうにかしてくれ。

2024-02-09

俺の実家中流家庭だが、恵まれていた

父親サラリーマン母親専業主婦現在パートタイムで働いている。

父親年収はほどほどではあるが、兄弟が3人いるので生活水準としては高くない。むしろ、日頃からスーパーで割引シールのついた物を調理してを食べていた。

一軒家に住んでいるが、片田舎にあるため、資産価値としては低い。市街化調整区域にあるため、実質マイナスと言っていいだろう。

習い事水泳やらせてもらっていた。 しかし、それ以上の野球サッカーなどはやらせてもらえなかった。

高校まで公立で、私立大学に通わせてもらった。現在は、就職して皆社会人となっている。

本当に必要ものに対しては気前よくお金を出してくれた

欲しいものを買って貰えないなど、日々節約意識した暮らしを送っていた。しかし、家族の誰もが酒・タバコギャンブルとは縁の無い生活をしていた。

必要最低限の生活費で生き延びつつ、余ったお金貯金してくれていたのだ。

幸いなことに、奨学金を借りずに大学へ進学することができたし、幾度の説得の上、アメリカ短期留学お金も出してくれた。

子供選択尊重し、アドバイスしてくれた

私が進学する大学を選ぶときも、就職先を選ぶときも反対されることはなかった。むしろ、親身になって調べてアドバイスしてくれた。

一番上である私が、就職のために上京すると言ったときも、嫌な顔一つ見せず送り出してくれた(内心はわからないが)

まとめ

実家のことを貧乏・細いというつもりはない、しかし、子供の時は「実家貧乏で、何一つ自由に物を買えない」と思っていた。

今なら、はっきり言える。「俺の実家中流家庭だが、恵まれていた」

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この増田は、以下の投稿に影響を受けた物です。

anond:20240209192552

ないものねだりかなとは思う

私は2人兄妹の長男だったけど、親には常にいい大学に行っていい会社就職しろって圧力かけられてて息苦しいし自由がなかった

妹は別に専門でいいって言って好きにさせてたし、それを受けて妹は好き勝手に遊んで暮らし

からの注目は簡単に束縛と圧力に変わるものからね、ありすぎるとしんどいだけだよ

俺の実家は細い

私の実家は細い。

  

私は平成最初の年に、とある田舎で生まれた。

  

父は戦争で父(私の爺さん)を亡くし、中卒で新聞配達をしながら育ったらしい。

母も戦争で父(私の爺さん)がPTSDになり早世。同じく高卒で働いて育った。

  

親もそんな家庭環境で育ったため、叔父叔母も貧乏であり、学も無ければ、家に本も無く、父は飲みにケーションの営業マン、母はスーパーパート職員をしていた。

職業からお察しの通り当然収入も少ない。にも関わらず子供を6人も産んだ。そうなると支出も増える。

  

収入も少なければ支出も多いのだ。当然貧乏だった。

小学校クラスで下から5番目くらいの貧乏だった。

  

そんな環境だったか子供の頃は大変だった。

クラスでみんながポケモンの話をしていてもゲームを買ってもらえない、ドラクエの話も分からない、スマブラ練習できないので弱い。そして小遣いも一切ない。

私の世代子供の頃にゲームの話ができないというのは、友達との交流でかなり困難を極めた。

  

習い事も2つだけ。

地域の爺さんが趣味で教えている「そろばん」と、地域の爺さんが趣味で見守っていた「サッカー」だけだった。

サッカー習い事ではないか。ちなみにどちらもタダだったようだ。

  

幸い、勉強はできる方だった。

塾や家で勉強せずとも、学校の授業だけでクラスで5位くらいには入っていた。

どうやら母方の爺さんは名家医者だったらしく遺伝的には良いものを貰っていたようだ。

まぁ爺さんはPTSDになって一族の恥さらし扱いとなり、その名家との関係は切れてしまっていたが。

  

そんな私は、高校生頃まで、学校は正しい、政府は正しい、テレビは正しい、新聞は正しい、創価学会最高、共産党は悪だと、周りの大人に言われるがままに信じて育った。

外界から隔絶された田舎で、外界から情報を得る本を読む習慣も無かった私は、ずいぶんと思想面が偏ってしまっていた。

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転機が来たのは「パソコン」と「インターネット」だった。

私の地域はいち早く情報教育が始まっていた。

学校では、放課後休み時間パソコンを貸してもらえるようになった。

  

最初パソコンゲームができるということに感動した。ソリティアの達人であった。

そして、パソコンにのめりこみ、出会ったのが「2ちゃんねるである

  

純粋だった私はスレを立てた。

  

創価学会バカにしないでください。池田先生はとても良いことを言っています

叩かれた。

  

高校卒業したら働こうと思っています。何の仕事が良いですか?」

バカにされた。MARCH以下はゴミと言われた。

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2ちゃんねるの影響で、別の面で思想が偏った私は、奨学金ギリギリまで借り、地方国立大学工学部に進学した。

大学卒業したとき高校大学合わせて奨学金借金額は600万円まで膨らんでいた。

しかし、その程度は軽いものだった。

  

国立大学工学部卒だったので、とある大企業にも就職でき、奨学金は5年ほどで全額返済できたのだ。

  

今では年収も900万円ほどあり、妻と子宝にも恵まれている。

子供に小遣いも与えられるようになった。

子供習い事に行かせてやれるようになった。

子供と一緒にゲームもできるようになった。

私はこの現状をとても幸せに感じている。

  

地頭が良かっただけだろうと言う人もいると思う。確かにその面はある。

しかし、私と同じような成績だった兄弟姉妹は、それほど裕福な暮らしはできていない。

昔の私たちほど貧乏ではないが。

  

実家の太さが大事だと人は言う。地頭の良さが大事だと人は言う。

かにそれらも大事だ。しかし、私は自分経験から思うのだ。

一番大事なことは、適切な進路に向かえるよう手助けする「情報」ではないかと。

  

あの頃、インターネット出会わなかったらどうなっていただろうか。

2ちゃんねる学歴厨にバカにされなかったらどうなっていただろうか。

  

情報が少ない地方であっても、貧富に関係なく、平等であり、忌憚のない意見が貰える、

インターネットは偉大だ。

追記

1990年頃生まれでじーさんが戦争戦死何となく年齢設定がおかしい気がするなあ。1975年±5年くらいじゃねーの?

母方の爺さんは病んではいたそうですが、戦後も生きていたので母は戦後世代です。

母の何歳頃に亡くなったのかは知らないのですが、思春期だったと聞いているので中学高校頃までは生きていたのだと思います

父は戦時中に生まれたそうです。

両親が学会員だったってこと?

そろばん先生学会員でした。反共産は母。

ちなみに、自治会リーダー格は別の宗教で、子供会と称してタダで旅行に連れて行ってくれました。天理教総本山まで。

タダより高い物はない。

弱者男性問題をただモテないだけと矮小化するのはおかし

貧困者って貧乏なだけじゃん何が問題なのって言ってるようなもんだよ

実際に日本では絶対的貧困者ってのはほとんどいなくて、まともに働かないけど贅沢な暮らししたいみたいなわがまま相対的貧困(笑)ばかりでしょ

大昔のエンゲル係数

2023年エンゲル係数は27%で、以前より高くなった上に海外より高いということで話題になったが

戦中戦前明治時代くらいまでは大体65%くらいだったらしい

50%を割ったのが1950年代

30%を割ったのが1980年前後

 

今の2人暮らしの食費は平均で月6.7万円らしいが

江戸時代のような暮らしをすれば、必要なのは米25kgとわずかなおかずくらいだから

多めに見積もっても2万円もあればある程度健康暮らしていける

 

と考えると、エンゲル係数10%を割ることも可能であり

今の20%台というのはむしろ日本人が食にかけるこだわりなのかもしれない

実家富裕層だが生活は非常に貧相だ。

NISAが始まって投資勉強する中で、ユーチューバーが「準富裕層アッパーマス層を目指そう!」と発信しているのをよく見かける。

アッパーマス層は3000万〜5000万。準富裕層は5000万〜1億。それ以上を富裕層や超富裕層というらしい。

まり考えたことがなかったが、私の実家はそういえば資産が恐らく1億ある。でも実際は、そんなこと微塵も感じさせない。というか、むしろ貧困暮らしだ。

 

我が家はとにかく、貧困中の貧困家庭だった。

まず、父は働かない。母はパート。父は今思えば、働かないというか働けないに近かったのかもしれない。社会生活が不適合なのだ

私が学生の頃の年収は数十万。1日の食費は家族4人で数百円。欲しいものなど、親にねだってほとんど何も買えない。(それでも母は随分頑張って与えてくれたが)

私の進学も最低限の選択肢しかなく、使える国の制度はすべて使い込み、それでなんとか学歴は専門卒までありつけた。

とにかく、貧乏貧乏で仕方のない生活だった。

そんな状態でも何とか生活できたのは、父方の実家があったからだ。祖父お金持ちだった。誰もが知る財閥企業役員。定年後は子会社社長しか土地持ち。漫画かな?

私の実家は、父の結婚時に祖父現金一括で購入したマンションだ。名義は父だが、祖父の力がなければ手に入っていない代物だ。

家賃がかからいか収入がなくても何とか生活できていたし、なんなら父の年収の半分以上は祖父お小遣いだった。(父は事業をやっていて、その事業を始めるための資金祖父が出していたし、その事業の客として月に数万円を父に渡していた。詳しくは自分も小・中学生だったので知らない)

とんでもない貧乏でも生活保護を受けずにいけたのは、父が祖父から生活保護されていたからだ。

じゃあ私たちも裕福な生活ができていたかというとそんなことはない。祖父は父に金を渡すことはあっても、父がそれを私たち家族に使うことはなかった。

記憶の中にいる父はいつもパチンコをしているし、現在の父はいつも競馬をしている。

 

最低限の保護しかされていなかった父は、当然年金ほとんど払っておらず、今は事業を立ち上げる中で得た資格を使ってほぼ毎日アルバイトで働いている。

年金殆ど出ないから働くしかない」と言っている。

自宅は汚く、父の部屋などごみ屋敷のようだ。リフォームリノベーションしたことがない我が家はとても汚い。(風呂トイレはこの数年でようやくやって綺麗)

家にあるものは全部「この店でいちばん安いもの」のオンパレード。それ以外はほぼすべて100均でできている。

あとは、30年以上前銀行からもらったタオル。30年以上前結婚式でもらった食器。父が独身の頃から使い続けている料理道具。

母の下着20年以上前に私が使っていたものだ。実家に帰ると、ボロ雑巾身体を拭いている気分になるし、親はボロ布をまとっているようにしか見えない。

 

きたない、ふるい、みすぼらしい。将来の選択肢もない。それが我が家だ。ずっとそうだ。

 

でも、よく考えたら我が家には、10年ほどまえから祖父遺産土地がある。

私たちにまったく関与させないので詳細はわからないけれど、まったく何の準備もなしに相続したときに払った相続税が1400万だったと小耳に挟んだので、

恐らく1億以上あるんじゃないだろうか。(兄弟複数人でわけて父の取り分がそれなのはすごいよね)

一度も市場に出たことがない土地なはずなので、ちょっと相場とかはよくわからないが、土地価格相続したときから相当上がっているはずだ。

その土地から得られる不動産収入があるはずなので、そう考えると私の実家は立派な富裕層なのだ

 

おかしい。おかしすぎる。なんだあの生活は。とてもじゃないが、富裕層ではないだろう。

父も母もパートで食いつなぐ日々。月十数万の不動産収入(税引前)。それは恐らく、近年多くの人が目指している「サイドFIRE」というライフスタイルだ。

ぜんぜん、まったく、幸せそうじゃない。母はどんどんすさんでいく。父はいつもみすぼらしい。兄弟も父によく似て働くのがニガテでいつも仕事を辞めている。

我が家は、ずっと貧乏神でも住んでいるのか?というぐらい、みすぼらしくて、汚くて、悲しい生活をしてきた。

 

それがまさか、みんなが憧れる富裕層だったなんて。

まあ、父の口癖は「おまえらには一円もやらん」なのもあって、家族全員「父(夫)の遺産私たちのものではないから」が染みついているのもあるのだろう。

 

私は平均収入で暮らす独身女性だが、最近、万が一父が急死したとき相続できるぐらいの蓄えはなんとかできた。

父が一円も残さず死んでしまったら、それを使って終の住処として自分用のマンションでも買おうと思う。

お金安全に暮らせるだけ貯めたら、あとは「どれだけ笑顔で暮らせるか」に注力して生きていきたい。

笑顔に勝る幸福など、ないのだから

2024-02-08

平穏暮らしを望むなら何でも言いなりになる相手や何でも突っかかってくる相手は駄目だ

金銭的安定を望むなら年収の低い相手借金のある相手は駄目だ

この先すっとその顔を眺めながら暮らせるレベル相手結婚しないとこの先苦痛だぞ

年収が高かったり見た目がいいのに婚活してるようなやつは何かヤバい問題を隠してるぞ気を付けろ

若い方が何だかんだ素直でいいぞ

賢く自立した相手なら毎日の会話がノーストレスだぞ

とかなんとかかんとかやいのやいの

寝不足転職できないストレスのせいか情緒不安定すぎる

1月下旬から事情あってしてた一人暮らしから実家暮らし環境が変わった。そんで通勤時間が40分から1時間半になり、毎日ストレスが溜まって情緒不安定になってる。

そのうち慣れるだろうと思ってたけど、全然慣れる気がしない。朝早く起きるようになったのもつらいし、親と暮らすより一人暮らしの方が精神的に楽なのも実感してしまった。

前にうつ一歩手前的なのを発症してたんだけど、寝不足のせいか転職できないストレスのせいかそれが再発してる。怒りっぽいしすぐ涙が出てくる、あげくには死んだほうがマシなんじゃない?みたいな気持ちにもなってくる。

実際死んだら楽になれるんだろうな〜と思うんだけど、親とかすごいショック受けるんだろうなと思うし、それで親が苦しんで生きていくのも嫌だなとは思うので、実行できない。言い訳かもしれないけど。

仕事辞めて大学院で好きなこと学んでそのあと海外大学院留学して満足して死にたいな。

親を亡くして

父親を亡くした。

随分昔に両親は離婚していて、下の兄弟音信不通になって久しい。連絡先も知らないし、今どこに居るのかも知らない。

もうここ十数年は私と父の二人暮らしだった。

私もいい歳だし、父親ももういい歳だし、いずれこうなる日がくるとは思って居たけれど、あまりにも突然で一切気持ちの整理が付かない。

警察署で検案書をもらって、こんな紙切れ一枚で終わりなのか、とお腹の奥がずーんと重くなったのを鮮明に記憶している。

離婚した母方の祖母が近くに住んでいたから、わんわん泣きながら電話をしたら寒い中すぐに駆けつけてくれた。

職場は私が高齢の父と二人で暮らして居る事を承知していたし、急な休みフォローをする体制は整っているか規定休み以上でも気にすることはないと声をかけてくれた。

友人たちにも報告したら優しい言葉をかけてくれたし、いつでも飛んでいく、電話で話を聞くこともできると何通もLINEが来た。

苦労した人生だけど、私を助けようとしてくれる人間が周りにはたくさん居る事を改めて実感することができて、ありがたさから涙が出た。

前職で何週間も一人でホテル暮らしなんてこともやっていたはずなのに、こんなに家に一人で居るのがしんどいとは思いもしなかった。

情けない事に不意に涙が止まらない瞬間がある。これから事務的な処理がたくさん残って居るはずだからきっとそういうことをこなしている間に気持ちが落ち着いて行くのだろうと思う。

ただ、高齢の父を支えて生きていかなければという気持ちに寄りかかっていた自分人生が急に解放されてしまった事で、どこへ気持ちを持って行けば良いのか分からなくなっている。

しっかりものだね、なんて言われて生きてきた自分が知り合いばかりのSNSに弱音を吐くのもなんだか気持ちが悪くて、結局こういう場所に吐くほか思いつきもしなかった。

自分は間違いなく幸せ者だという気持ちがあるからこそ、父に対して私は子供であれたのだろうか、とそんな事ばかり考えている間に寝落ちるような日々が続いている。

いつまでも引きずり続けて生きていく事になるとおもうけれど、それでもきちんと自分人生を歩める瞬間訪れてくれる様に生きていく他ないのかな、と思う。

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