はてなキーワード: チケットとは
タイトルの通りだ。
風邪もしくはインフルエンザ、ノロなどの症状があるのに、咳や鼻水を垂れ流して外を出歩く。
電車や駅、店内や会社、学校など様々な場所でウイルスをばら撒く。
それが乳幼児や高齢者に直接、間接的に感染して死んでしまったら責任取れるの?
直接死なないまでも風邪がうつって受験や出産に差し障って結果人生台無しにされる人がいないと言えるのか?
風邪の人を出歩かせるな。出歩くな。
企業側も在宅勤務とかさせてくれよ。
咳エチケットすらできない人間に社会性があるとは思えない。信用に値しない。
お前の社会狭いな?
お前がばらまくウイルスが何を引き起こすか考えてくれ。
ターミネーターって1と2が直撃世代付近で見た人にとっては特別面白かったっただけで、シリーズとしてのブランドはとっくに失墜しているんだよな。
T2の成功に味をしめて面白くない続編やスピンオフを乱発してきた結果「ターミネーターは3以降面白くない」という認識を世界共通にまで貶めた自業自得の結末
ターミネーターの新作と聞いて心躍る人間より「どうせ今回もつまらないんだろ?」と思う方が圧倒的に多かったことが興行収入に現れている。
そもそも見る側をバカにしすぎだろ。ジェームズ・キャメロンとリンダ・ハミルトンに泣きついて「今までのは嘘。今回が正統続編!だから見て」ってなんだよ。仏の顔も三度までと言うがT3,T4,新起動とは何だったのかってなるわ。
実際に見て評価しろという意見は御尤だけど、新作ターミネーターのためにわざわざ映画館に行ってチケット代払って120分座って見てやるかって気分に全くならない。せいぜいテレビで放送してたら見てやるかって程度。直撃世代でT2が大好きな自分ですらとっくに興味を失っている。
そして非直撃世代ならなおさら興味を持てないだろう。無骨なサイボーグが自我を持つのも、体が液状化するCGも、美しさと強さを兼ね備えた女性ヒロイン像も、AIが暴走して人類に反抗してくるからタイムトラベルして阻止しようって展開も散々他のフィクションで見たわってなる。
AKIRA今見てもすごさが分からない現象(そのAKIRAも新作やるって…)
思い入れのない非直撃世代から見たらT1もT2も「古典的名作」「当時の水準で見たら凄かった映画」「そもそも名前は知ってるけど見たこと無い」で、さらにT3以降の悪印象も重なりわざわざ見に行かない。
直撃世代からは見放され、非直撃世代からは見向きもされない。このワードは個人的に嫌いだけど「オワコン」という表現が適切だわ。
そのオワコンにしがみついて成功を夢見てる20世紀フォックスも、過去のヒットが忘れられないシュワルツネッガーも醜い。ロッキーとランボーを復活させたスタローンにライバル心を感じてるのかもしれないけど、シュワはとっくに旬が過ぎた過去の人って印象しかない。ラストスタンドを見た限りではまだまだ現役気取ってるようだけど。
もう戻ってこなくていいから。ターミネーターしか無い人なのにそのターミネーターすらコケてるんだから世話ない。ターミネーターを演じるのは今回が最後らしいけど(本当か?)
面白いか面白くないかで言われたら勿論面白い。だけど、そんなの当たり前であって面白くない芸人なんて劇場にすら上がれない。
ただ、面白いだけで売れる世界なんてない。今のテレビはネタ番組がない。ネタが面白いだけではテレビに出れない。ならどうやって売れるのか。手っ取り早い方法は賞レースで優勝すること。
悲しいことに彼らは賞レースに非常に弱い。片方があがってしまうとそれにつられてもう片方もあがってしまうという芸人で一番だめな弱点を持ってる。アウェイの中では基本上手くいかない。
そんな彼らでもホームである劇場で人気を得れば売れる可能性は出てくる。しかし、それなりの特技や華がない限り数多くいる劇場所属の中で注目なんてされない。
残念ながら彼らには何も無い。
仲良しでもなければ、仲が悪いわけでもない。
平場は周りからいじられると前に出るタイプ。片方じゃなくて、両方が。
こんなの売れるわけない。
私は本気で彼らには売れてほしいと思ってる。
バイトを辞めたいと嘆いたり、必死でチケ売りする姿やインスタライブで呼びかけてるのを見たら売れてほしいと願うばかり。
いや、本当に売れてほしいのか…?
今のこの状況に寄り添って応援してる自分に自惚れているんではないか…?
差し入れを必要以上に喜んでくれる姿やチケット1枚買うだけで優しくしてくれることが嬉しいのに本当に売れてほしいのか…?それがなくなる未来を望んでるのか…?
本日、プラチナメダル交換所のSSRスカチケの対象アイドルの追加があったため、プラチナメダル50枚を使い、SSRスカウトチケットを手に入れ、あるアイドルをスカウトしてきた。
そのアイドルとは、私の担当の一人である、先日SSRに追加された「仙崎恵磨」さんである。仙崎さんといえば、ベリショでキャラクター的にも癖があるため、未ボイスのアイドルの中でも、かなり好き嫌いが別れるアイドルでSSR実装されるのかどうか不安視されていたものの、ナゴヤドームの業務連絡にて、SSR追加のラインナップのシルエットに発表された時は、かなりテンションがあがった
しかしながら、いざ実装はされたものの、有償分を含め150連ほど課金しても仙崎さんは出てこなく、ナゴド直後であったことから、それ以上お金を使うに使えず、止む無く、プラチナメダルを使い、月末の実装を待つことにせざるをえなかった。
ただ、「結果的にすぐに引けなかったことで、見えてきたこともあった」から、その意味では、課金した分も含め、決して無駄ではなかったと思ってる。
なぜなら、私が、そこで思ったことは、この先、まだSSRが実装されてないアイドル42人のSSRを順次、実装していくにあたって、必ずぶち当たることになる、問題だからである。
というより、おそらく、そのことがあったから、仙崎さん含む一部の「未ボイスかつ、好き嫌いが明らかに分かれるタイプ」のSSRの実装はつい最近まで見送られてたのだと思う。(第八回総選挙の近辺までに実装されていた未ボイス側のアイドルは、一見さんにもそれなりに受けるタイプか、もしくは好き嫌いは別れるタイプでこそあれ、Pの頑張り等から、一定の市民権は持ってるアイドルばかりなので)
それは、限定SSR等で目当てのアイドルを引こうとしたときに、SSRだと思って期待したら、その自分の担当が出てきてしまった場合、露骨にハズレ扱いされる可能性が存在するからである。
覚えてる人は少ないかもしれないが、デレステのフロンティア時代に、小日向美穂の限定SSRが実装された時、美穂の声優さんである津田美波氏が、美穂SSRを狙ってガチャを回したところ、他のアイドルが出てきてしまって、自らのブログで愚痴ったところ、その他のアイドルの担当Pからお叱りが来て削除したという経緯があった。
blog.esuteru.com/archives/8519641.html
これが批判されたのは、津田さんがシンデレラの関係者であったという部分が大きいし、今は、天井もスカウトチケットもあるから、当時ほど、SSRで騒ぎになることはないにしても、現状、月末限定が入る確率はピックアップからさらに三等分される形になるため、今後、お目当てのアイドルを月末限定で手に入れるのはかなり難しくなってくるだろう。
その上で未ボイス側のSSRは原則、特技が限定されてくる上、「お願い!シンデレラ」のソロも獲得できないため、自分にとってタイプのアイドルなら、納得できても、そうでなければということになってくる。
折角、心待ちにしてた担当のSSRが実装に至ったとしても、そうなってしまったら、矢張りそのアイドルの担当Pは悲しい思いをしてしまうことになる。
とはいえ、全てのアイドルに同等に興味を持つ機会を持ってほしいと言ったところで、少数ながら箱推しの人もいるため「できない」とは言わないものの、大半の人にとっては「難しい」ことであるのは間違いない。
よく「あなたの地雷は誰かの萌え」という言葉があるように逆もまた然りで、シンデレラガールズというコンテンツに登場するアイドルの場合、「もしかしたら苦手な人が出るかもしれないことを上等で作られてるアイドル」が何人もいることで、コンテンツにおける多様性と、登場人物としてのリアリティを出してるように思えるからである。
そう考えていった場合、担当アイドルの良さを広めるためにPが行う「ダイマ」という行動にも限界があるということを覚えておいた方がいいかもしれない。
ただし、ダイマという行動には私は二つの意義があると思っている。一つは「担当を魅力を外に伝える」ため、もう一つは「担当の魅力は解ってもらえないかもしれないけど、その担当に価値を見出してる人間だって居るということ」を知ってもらうため。後者は一つ間違うと自己顕示欲とも捉えられかねないが、「あなたに大切な担当アイドルが居るように、その担当アイドルを大事に思ってる自分のような人も居ることさえ知ってもらうこと」さえできれば、それだけで、十分すぎる価値はあるように思うからだ(特に、未ボイスで好き嫌いが別れるタイプのアイドルの担当Pの場合)。
こういうことを言うと、「アイドルに対して失礼」と思う人も居るかもしれない。しかし、SSR実装については、もう「全員実装するにはどうすればいいか」ではなく「全員実装されるまでの間にどんな問題が生じるか?」の方にシフトしつつある段階だと思っている。そのため、少し、歯に衣着せない言い方をさせてもらうことにした。
新アイドル含めて190人から居るアイドルと、規模の差こそあれど、それぞれについている担当Pたち。「夢をのぞいたら」の歌詞にあるように、その人たちが誰一人欠けることなく、共栄共存していくとするのなら、個人個人が好き勝手やりまくることでも、「俺だって我慢してるんだから、お前もそうしろ」と我慢を強いることでもなく、それぞれが、負の部分もひっくるめてお互いの考えを認め合って、前に進んでいくことが必要なのではないかと私は思う。
単純にいえば、もう疲れたのだ。
ある舞台作品を好きになり、そこにでていた俳優をいわゆる「推し」として応援し続けていた4年。色々あり、その俳優から降りて新しい推しを見つけて応援しだしてから1年。
世間からみても薄月給のなかトータル5年間、人は変われどよく頑張って応援していたと思う。
他にも化粧品とか服とか衝動買いしたあれこれとかにもお金を使っていたので、推しにすべてを捧げて応援している人の足元にも及ばない応援と現場数だったが、たしかに楽しかったし後悔は少しもない。
ただ、貯金もできず彼氏もいないこの5年間、楽しかった思い出が増えていくのとは裏腹に将来に対しての不安は大きくなるばかりだった。
「どうしてこうなってしまったんだろう」「私は何をしているのだろう」 次々と婚約、結婚をしていく友達を横目に虚無感と焦りがでてくるには十分な時間だった。
「それでも好きな舞台があって推しがいるから楽しい」と思っていたのでここまできてしまったが、ふとこれからも本当にこれでいいのかと思い返した。
山のようにある使い道のないグッズ、増えない通帳の桁数、チケットだけでも二桁だしてしまう財布の緩さエトセトラ。
楽しい時間は一瞬で、家に帰ってきてから虚無感で苦しんでいる時間が増えてきた。お金の余裕は心の余裕とはよくいったもので、あらゆるものを我慢して現場に通うには私の心は弱かった。
本当にキツかったときは、紫外線で黄ばんでしまったお気に入りの白い靴を見ては、その靴が汚れてしまったことへの怒りで人に当たり、泣き、玄関に靴を投げて、また泣き。自分でも追いつかない感情に振り回されてしまって、それなら元凶の靴を捨ててやろうとしたところでようやく我に返ったりもした。比較的穏やかな性格だと自負していただけに、こんなにヒステリックになってしまうほど何に追い詰められていたのかといえば、色々要素はあったと思うけどやっぱりお金のなさからくる心の余裕のなさだった。
今から思えば、私自身に何が足りなかったのかといえば、自制心と我慢だった。普通の人は普通にできているそれが私には欠けていた。私のそれは趣味ではなく一種の執着と意地になっていたのだと思う。
オタクなのに通ってないの、このイベント行ってないの、このグッズ持ってないの、あのときのエピソード知らないの…。実際に言われたことなどなかったが、界隈のみならずオタク文化では少なからずある風潮だ。この思想を意識していたわけではないが、きっとコレにかき回されていたのだと思う。
「自分のペースで応援」ができなかった。公演と推しに対して「知らないこと」があることが怖かった。見えない敵と毎日戦って、疲弊して、それでも楽しかったのに、やっぱり無理だった。それだけだ。
SNSでみる作品と俳優への愚痴を見るたびに心が疲弊していたし、そうなることが分かっているのに、怖いものみたさのように覗いては疲れていた。
でも、少しだけ我に返ったことで、オタクをやめようと思えるまでにきた。多分根本的にやめることはできないけれど、グッズを減らして、公演数減らして、イベントを減らして、自分のできる範囲で応援していこうと決めた。
自分の生活を切り崩してお金に余裕がないことは社会人としてどうなのかという思いと、自分の将来の計画性のなさに呆れたこともオタクをやめようと思った一因だ。
オタクをすぐにやめられるとは思わない。
推しは自分の人生になくてはならないものではない。私にとってはだけれども。
私の人生は間違いなく私しか描けないもので、後悔したくないのだ。
今が楽しければそれでいいなんて、いつまでも言っていられない。
全ては模型とお買い物を楽しんでいただくために
https://ameblo.jp/akicyan1017/entry-12490483304.html
該当の商品。転売で1万以上で売れるので毎回即完売。それに文句言われての反応が↑
模型が趣味でECサイト管理してる増田から見たら「大したサイトを運営してたわけでもないのに、なに楽天・三木谷みたいに偉そうなこと言ってるの?」って感想
転売対策は昨今いくらでもあるし、理由の大半も店側の都合。長期的に見れば価格に転嫁させてでも何かしらの手段を講じるべき。熱狂的なファンが付いているなら今のままでも良いが、アイドルでもないし正直悪手としか思えない
でも、転売ヤーから買わないでくださいと言うだけ=無能 は便利だからこれからも続いて欲しい。コンサートチケットのだって広告出した割には現状何も無いだろ?名前や連絡先の記入は一向に進まないしな
いまとなっては(身内の中では)ほぼネタと化している2018年のアフタヌーンティーランドの思い出を忘れないように綴っておく。
乱文なので読むには値しない。
アフタヌーンティーランド(The Afternoon Tea Land)とは名古屋にある植田ラティスという店と日本リビングコーディネート協会(どちらも代表者は同じ)が主催しているイベントである。
ノリタケ社のカップ&ソーサー(以下C&S)を使用し、さまざまな種類の紅茶をいただく。また使用したC&Sはお持ち帰りが出来るという主旨のもと開催される。
2018年は第4回アフタヌーンティーランドとして11月3日、4日にノリタケの森で開催された。
チケットは
・返金不可
・小雨決行
・雨天中止
※中止時にはランダムで告知されているC&Sをチケット購入者に送る
という条件で事前に販売された。
配布されるC&Sは通常3種(カーニバル各色、AMIS各色、レースウッドゴールド各色)と抽選限定3種(1日目:エセックスコート、エイダン、オーチャードガーデン 2日目:ブルーソレンティーノ、花更紗、ジャルダン フルーリ)が告知されていた。
例年では2日間あわせて400人程度の参加だったようだが、2018年はこちらのツイート(https://twitter.com/tealandJP/status/1032761462614253568?s=20)がバズった為にチケット抽選への申込が殺到し、結局4000人にチケットをばら撒いたようだ。
チケットに日付指定はなく2日間どちらかに参加出来るという形式だったため、雨予報だった2日目を避け多くの人が1日目に参加する事になった。
4000人にチケットをばら撒いた割に仮設トイレは2つで手洗い場はなし、ゴミ箱は明らかに足りておらず芝生はゴミの山と化していた。
1日目は先述したとおり人が集中し、開始直後にフードは売り切れ続出&長蛇の列。
主催である植田ラティスが販売していたスコーン類は個数制限を設けていなかった為にお昼前には完売した。
保健所の関係上参加者が食べ物を持ち込むことを禁止されていたため、多くの参加者が空腹のまま紅茶を飲むイベントとなった。
肝心の紅茶も列形成に人員を割いておらず、善意の参加者が自発的に列形成を手伝うという始末。
また、スタッフ間で情報共有が一切出来ていなかった為スタッフに聞くよりも周りの参加者に聞くほうが正確な情報が得られるという事態に陥った。
目玉であったC&Sの抽選時には音響機器に不備があり、集まった人たちが聞き取れずザワザワすると主催から「皆さんがギスギスするならもう抽選やめますよ」という脅しとも取れるような発言も飛び出した。
2日目は朝から雨が降っていたが強行、1日目に人が多かったため現場判断により2日目分のC&Sを配っており2日目開始時点で通常全種が揃っていなかった。
午前の時点でチケット販売時に告知されていた通常C&Sは全滅、いつの間にやら文言が付け足されていた"シークレット"という名目の真っ白なリズモホワイト、コティホワイトのみとなる。
チケット購入時の条件と違うため当然返金を求める声が上がるも主催は対応しない。
人によって対応を変えていたことが明るみになり、また返金不可のチケットだったのにも関わらず開催前にイベントに関する不満をツイートした方に返金するといった旨のDMを送っていることが発覚した。
主催と話し合いをした方ももちろん数名おり、その方たちのツイートから主催の発言をまとめると
・想定外の客の多さだった
・3000円でやれるのはこのレベル
・こんなに荒れるなら来年以降は開催しない
というものであった。
そも3000円で4000人にチケットをばら撒いたのは自分たちなのにさも客が悪いと言わんばかりの態度には本当にあきれ果てる。
イベント終了後に公式ツイッターアカウントに非難が殺到するも当の担当者は主催店所属じゃないのでわかりません、広報担当だからわかりませんの一点張り。
挙句の果てにイベント参加者に捨てアカウントでの問い合わせには応対しないといった旨の発言をしていた。
結局4日ほど経ってから希望の方にC&Sとチケットの返送を条件とした参加費の6割ほどを返金するプランを提示したお知らせページが作られ当時のツイッターアカウントは更新を停止した。
お詫びといえるような言葉もなく(当該ページでは苦情が多かったためといった文言が使用されていた)、なぜこのような事態になったのかという経緯についてもろくに説明がないまま返金期間が終了し、お知らせページも年明け前に削除された。
もちろんツイッターで問い合わせのあった"2日目開始時点でのC&S残数の内訳はいかほどのものか"といったものにも返答はない。
そうして参加者の不満を押さえつける形で2018年のアフタヌーンティーランドは終結した。
ちなみに、"シークレット"という名目のC&Sだが、1日目はアンテプリマ(ダマスコ キアーヴィ)、2日目はロイヤルオーチャードが用意されていたようだ。
では2日目に配布されたリズモホワイト、コティホワイトはどのような位置付けだったのだろうか。疑問である。
リズモホワイト、コティホワイトも正式な"シークレット"であるというのなら、センスがないとしか言いようがない。
誤解がないよう付け加えるが、リズモホワイト、コティホワイトの品質が悪いという意味ではない。
通常C&S、限定C&S共に色や柄、金銀といった装飾がなされたものを事前に告知している中、遠目に見たら同じような真っ白のC&Sを2種も"シークレット"とするセンスがないという意味である。
1日目にもリズモホワイト、コティホワイトのどちらかが”シークレット”と出されるならまだしも、2日目だけに2種出した真意を聞きたいものだ。
ノリタケ社の製品は素晴らしい。しかし、このような運営の不手際で瑕疵がつくのは非常に遺憾である。
蛇足であるが、2019年6月に新規アカウントを取得しひっそりと次回イベントについて告知をしていた。
捨てアカウントで問い合わせるなと発言していた割に炎上したアカウントを捨ててちゃっかり新規転生しているのには笑うしかない。
今年は2018年と同じような日程の11月2日、3日に開催されたようだ。
3000円から5000円に値上げし、午前・午後のセクションごとにチケットを分けるといった工夫があったようだがあまりにもツイートしている方が少ないため当日どのような様子だったのかは分からない。
しかしイベント開催前にツイートをRTしてくれた方に茶葉をプレゼント!(ただしフォロワー1000人以上に限る)というキャンペーンをしていたようだがいつの間にかツイートが削除されているので、まあ、そういうことであろう。
いまからでもいいので2018年アフタヌーンティーランドについてのきちんとした経緯を説明し、イベントを主催したものとしての説明責任を果たしてほしいものだ。
蛇足の蛇足:2019年12月4日に前回の公式アカウントがContinue…Restartというツイートをしている。(https://twitter.com/tealandJP/status/1202025616020664320)
どうやら年明けに松坂屋で新たにCLUB TEA VALLEY(クラブティーヴァリィ)というイベントを開催するらしい。
こんにちは、あなたの感想を読んで、嬉しくて泣いてしまいました。書いてくれてありがとう。
私に見える範囲ではin the skyは人をたくさん傷つけて苦しめたドラマでしかなくて、私は2018年版が好きでitsは観ていないけれど、好きだった作品の続編がそれで終わってしまうことが悲しかった。そうではなかったこと、itsが誰かを救えるような、作ってくれて良かったと思ってもらえるような作品になってくれたことが本当に嬉しい。
以下、2018年版のファンとしての現状についての言い訳です。
itsが2018年版のファン (の一部) から不当に批判されているのは、元からの民度がアレなのもあるけれど、公式がほぼ炎上商法まがいなことをしてきたという背景があるので、そのことも少しだけ知ってもらえたら嬉しい。もちろんitsを楽しんでいるだけの人には関係ないことだし「だから何?」と思われても仕方ないので暇な方以外は読まなくていいです。
放送時期も発表の仕方もSNS運用も、前作ファンが新シーズンを受け入れやすくなるような移行の仕方が他にたくさんあったのに、公式はことさらに2018年版のファンのヘイトを集めるようなやり方をしてきた。せめて放送が半年後だったら、劇場版の上映が終わってからの発表だったら、春田と牧の最後の写真の投稿から1日だけでも空けてくれていたら、と何度思ったか分からない。
その上で2018年版を人質にとるようにして広報を続けている。受け入れられない人がitsは見ないようにして放っておこうと思っても、公式のSNSアカウントはits関連の写真を投稿しながら劇場版の円盤情報を出したりするし、its発表前にチケットを販売していたコンサートイベントの内容にどのシーズンまでが含まれるかを明言しない。
声高に批判している人たちの何倍もの人数が陰で悲しんで苦しんで、そうした中で始まったのがitsだった。
もちろん公式が何をしようが作品それ自体に罪はないし、表でアンチ発言を繰り返したり打ち切り署名をしたりする人たちのことは擁護できない。
あと葛藤や苦悩が描かれていないから同性愛を描く作品として駄目みたいな批判がおかしいのは本当にそれはそうとしか言えないな……。あなたの目に入ってしまったことを心苦しく思います。
itsは私は今は観られないけれど、心の整理がついたら観てみようかなと思いました。
私はケチ。夫はケチではない。無駄遣いもしないけど見栄っ張りなタイプ。夫は本当はケチが嫌い。でもなぜかケチな私と結婚してくれた。私はケチだからそのせいで私は夫に時々嫌われる。私はポイント乞食。そんな私を夫は(冗談で)小馬鹿にしてくる。ポイント目当てで導入した楽天カードを夫は渋々使ってくれているが、本当はアメリカンエキスプレスのカードなどをスマートに出したいらしい。ごめんよ夫。電車は正規の値段を払って乗る夫。チケットショップで安い切符が売っていると勧めても取り合ってくれない。
別にウチはお金に困ってるわけでもなく、共働きで貯金も人並みにはあるが、生まれもってのケチなのでお金が実際にあろうとなかろうと、私がケチなのは変わらない。使えるお金は十分あるのに。
夫は別に客観的に見て浪費家ではないと思う。適切な場面で適切にお金を使うことのできるタイプだ。私がケチすぎるのが悪いのだと思う。松竹梅だと迷わず梅を選んでしまうタイプ。いや、梅を選べるならまだいい。実際にはタンポポと言うメニューには載っていない一番安い隠しメニューがないかと店員さんに聞いてしまうタイプだ。たとえ松を選ぶお金があっても。そんな私を夫は醜いと心底軽蔑している。
最近また、まあ詳しくは書かないが、私がケチなせいで喧嘩をしてしまった。(普段はラブラブ❤) 仲直りはしたんだけれどいつも同じようなパターンで喧嘩をしている気がする。いい加減ケチを直したいが、生まれ持ってるものなので簡単に直せるとも思わない。そこで、私は浪費家になることにした。きっと心の底からの浪費家にはならない、なれないと思う。だから普段一人でいる時は今まで通りケチを貫き、夫の前でだけ浪費家のフリをしようと思う。夫を驚かせたい。
私の愛する大好きな夫は、私が浪費家になるのを喜んでくれるだろうか。気が狂ったのかと思って驚くだろうか。
浪費すると言っても根っからケチな私、あまりにも無駄なことには使いたくないのでどうやって気前の良さを体現するのか迷う。宝くじを買うとかコンビニや自販機でジュースを買うとかソシャゲのガチャに課金するとか毎月分配型ハイイールド投資信託を買うとかそういうのは無し。たとえ演技でも私の魂が許さない。
家電などの実用品は普段から高くても買うので、ルンバやドラム式洗濯機は私の普段の人格でも買いそうなので無し。
今のところ思いつくのは、
①よくランチに行くお寿司屋さんで私はいつも900円の並の定食を頼むのだが、何の前触れもなく唐突に3000円ぐらいの特上を注文する
②今度ベッドを買おうという話が出てるのだが、ニトリなどの量販店ではなくシモンズなどの高級品を買おうと言ってみる
③セールではない時期に、デパートで定価で3万ぐらいのコート、バッグ、1万ぐらいのトップス、ボトムスを買う
どれもそんなに変な話ではないと思うが、普段の私のケチ人格からしたら考えられない行動なので気が狂ったと思われるかもしれない。
夫の反応が楽しみだ。他に良い浪費(というか相対的に高価なものを選ぶ)案があれば教えて下さい。
【追記】
①おそらく大喜利のつもりで冗談で書いてくれたんだろうけど、QJV97FCrさんの「イートイン申告で買った弁当を持ち帰る」というのはあまりお金がかからない割にケチじゃないところを見せつけられる最高の案だ。感銘を受けた。こういうのでいいんだよ、こういうので!!!普段イートイン使う場面はあまりないけど、私ら夫婦のパターンからすると、私が持ち帰りを申告して買ったものをイートインして夫に蔑まれる、ってのが予想されるいつものパターン。しかしもし実行したら、普段の人格と乖離しすぎて、夫には「イートイン脱税しようとしたのに慣れてないから意図したこととは逆のことをしてしまった馬鹿なケチ」だと勘違いされそうだ…
②プレゼントという案を頂いた。私ら夫婦はあんまり物欲がないので、良いプレゼントはすぐには思いつかないが、夫へのプレゼントなら10万でも20万でも惜しくないのでいいものが見つかればやってみようと思う
③旅行という案を頂いた。旅行はいつも私が予約してて、いつも竹レベルのところにするので、次の機会に松レベルのところに行ってみようと思う。
④ランチ定食並900円の寿司屋は、かなりボリュームがあって美味しくて、地元のお客さんで繁盛してる人気店。量を考えればお得なので、ケチな私でも通いたくなる店なんだ。
【追記2】
私がどんな風にケチかというと、同じものを高い値段で買ったり(定価商品、コンビニとか)、買ったものがすごい勢いで値下がりする(新築、新車)が耐えられない。リユース品が大好き。
子供の保育園の洗い替えはリサイクルショップで1着100円の服を買う。ヤフオクメルカリ大好き。しかし夫は「他人のお下がりなんて絶対うんこ付いてるに違いない💩(笑)うんこ付きの服なんてよく買えるね(笑)」と言ってくる。なんなら買う方じゃなくて売る方ですら、「タダであげれば良いのに中古品で金を取るなんてあさましい行為」と思っている。
私も、本当に良いものに相応のお金を払って良い気分になるのは良いことだと頭では理解している。ただ、体がついていかなくて、ついケチなことを口走って、その度に夫に嫌われているんだ…本当に貧乏根性だよ。
あ、浪費じゃなくて贅沢が正しいね。指摘してくれた人ありがとうございます。
つい先日、彼氏と別れた。
私はほぼ無信心、彼氏は創価二世…かどうかは分からないが、少なくとも親が創価学会に入っており、彼氏自身も信者であった。
その後、彼から
「今日は創価学会の会合があるんだった。休めないので、申し訳ないけど今日は行けない」という連絡が来た。
色んなことがショックだった。
しかし彼はどちらか一日のデートだと思っていたようで、二連休の二日目は予定が入ってると言われた。
きちんとお泊りデートしよ♡と言ってなかった私が悪いのだが、家で少し泣くくらいにはショックだった。
まあでもデートできるし!と気を取り直して楽しみにしていたところに、デートのドタキャンと創価学会員だった、ということを知らされたわけである。
衝撃だった。
ただ、以前デートの約束をする時に、彼に予定を調整してもらって私が指定した日を空けてもらったことがある。
何か予定ずらしてくれたんだよね、迷惑かけてごめんね、というようなことがいったら、いや…。と言葉を濁していた。
今思い返せばこれも会合か何かに出席する予定を変えたのかもしれない。
なので、常に私より創価学会を優先していたわけではない…と信じたい。
色々なことがショックだった私は、
「そうなんですね、ではまた今度会いましょう。」と返した。
ショックではあったが、創価学会員だったというだけで別れを選べなかったのだ。
そのあと、彼からざっくりとではあるが、今日の会合の内容と、創価学会に興味があるか、と聞かれた。
私はなんて返していいか分からず、熱心なんですね、創価学会に興味はないです、今まで予定があると言っていたのは会合だったんですか?と返した。
しばらく時間があき、夕方頃に彼から、そうそう。○○(今日行く予定だった地域)にも会館があるから時間があれば一緒に行きたかったけど残念。と返ってきた。
ずっとどうしようどうしようと思ってた。唯一本当に何でも話せる友人に相談した。当たり前だが、あまりお勧めはできないと言われた。
母親にも自分のことだと言わず聞いてみたら、どんな宗教でも一家で信じているようなお家ならやめたほうがいいよ、と言われた。
たとえ新興宗教でなくとも、信心深い家の人間と付き合う、後に結婚するとなると相手の宗教を相手の家族と同じ熱量をもって信じなければいけなくなる。
学ばなければいけないことも多くなるし、信仰の気持ちがなければお互いが嫌な思いをする。
分かっているのだ。それでも私は彼と別れたくなかった。
その後、彼を質問責めにした。
誰かに勧められて入ったのか、
友達はこのことを知っているのか、
創価学会員には見えなかった、ということも伝えた。
彼からは、
・両親が入っていたから入っていること
・今までの彼女には創価の話をしたら連絡がとれなくなった、というケースがほとんどであること
・友人には知らせてないこと
・言わなかったのは、今までの例と、直接は言いにくかった
と言われた。創価っぽい素振りがなかったことに関しては、そりゃあ外では出さないよ。と言われた。
私はこの返事を聞いて、
基本勧誘はしてないのか、
私のことが好きかどうか、
を聞いた。
この時、色々考えていた。
友達に知られていなくても活動できるなら、勧誘もノルマもないのでは?そのくらいなら私は構わない。
でも私は創価学会に入りたいとは思えず、譲歩しても名前だけの入会か、月一レベルで会合に参加する、というのがおそらく精一杯だろう。ということ。
もし、私と付き合ったのが、入信を狙ってのことだったら嫌だと。
創価学会に入らなくても、やっていけてるカップルや夫婦もいる。私たちもそうなれないかと。色々考えた。
彼から来た返事は、「ごめん」だった。
彼にとって、創価学会に入信し、本当に信者になってくれることは譲れない条件だったのだろう。
創価学会を忌避していたのに、彼と共にいられるなら心からの信者とはなれずとも、入信してもいいと思うほど愛していた。
一目惚れだった。誰にも取られたくなくて、自分からデートに誘った。その後もどんどん好きになっていった。全てが好きだった。
全てが好きだったから、創価学会員であることも受け入れられた。
でも、もしかしたら他の信者や彼の家族は私の家族にも入信しろと言ってくるかもしれない。
信仰の自由がある以上、私は彼に創価をやめろとは言わなかったが、こちらにも信仰の自由がほしかった。
その後、彼に電話をかけた。以前映画を観に行く際、彼がチケットを予約してくれた時のスクショに電話番号が載っていたので、その番号にかけた。
普通に考えて気持ち悪いし、下手したらストーカーで訴えられる。
それでも、あのごめんだけで終わるのが辛かった。お互い無理だね、ってなるまで話し合いたかった。
電話は繋がらなかった。彼は私の電話番号を知らないが、たまたま出れなかったのか、意図的に出なかったのかは分からない。
私は後者だと思っている。
その後友人に慰められながら、それでも辛かったし、次の日が仕事だったので眠りについた。何回も目が覚めて、ラインや通知を見てしまった。彼からの連絡はなかった。
朝起きてから仕事に行く前に、電話番号で送れるメール、ショートメール(SMS)を送った。
返事ももらえないだろう、でも彼を諦めるために、彼に宛てて送りたかった。
まあ、返事が欲しい気持ちもあったけど。
お互い折衷案を見つけてこの関係を続けていきたいくらい愛していたこと、貴方も私を好きだったかどうかを聞きたかったこと。ごめんなさい。さようなら。と。
私が好きだから付き合ったと、信じたかったから。ラインで答えてもらえなかったけど、これだけは聞きたかった。
メールを送ってから家を出て、バスを降りてスマホを見たら彼から返事が来ていた。
僕も□□(私のこと)を愛してた。でもこれ以上関係を続けることはできない、ごめん。
やっぱり、別れの言葉だった。
しかし、返事が貰えたこと、愛してたということで、やっぱり話し合いたいという気持ちが湧いてしまった私は、今日の夜電話できますか?と送ってしまった。
これ以上関係を続けるつもりはないから、電話は出ない。ごめん。と返ってきた。
当たり前の返事だし、自分が悪いのだけれどショックだった。
でも、そもそもラインもブロックして明確に別れの意志を伝えてたにも関わらず諦めも悪くメールを送ってきた女にちゃんと返事をくれたこと自体優しいだろう。
その後、彼が読まないとは思うけど、またメールを打った。
この状態から電話をかけたら言い逃れできないくらいストーカーだし、それをしたらいよいよ未練を断ち切れなくなりそうで。
私がこうしたら付き合い続けられるんじゃないか、と都合よく考えていたこと、話し合ってから別れたいと思っていたこと、それが我儘であることの謝罪。
メールの返事をくれたことに対する感謝、貴方の事を頑張って諦めるけど、しばらく泣くということ。一目惚れしたこと。
それらを書いて送った。もう返事はないだろう。
別れを告げられた次の日はボロボロだった。元々風邪を引いており、だるかった、熱が出ていたこともあるが、輪にかけて食事が喉を通らず、体は重く、ずっと彼の事を考えていた。
今は少し食欲が出てきたが、あまり食べたいという気持ちは起きないし、自分が彼を愛していたことを考えると泣いてしまう。
メールでは愛してました。と言ったけど、本当は今でも愛している。
初めて行ったデートでお茶漬けを食べたこと、その次のデートで手を繋いだこと、水族館で私がカワウソの写真を撮りまくっていっぱい撮るね、って苦笑いしてたこと、次のデートで風邪が治らず、咳をするたびに背中をさすってくれたこと、映画を観に行った後、次の関係へ行ったこと。ちゃんと彼女にしてくれるんだよね?と聞いたら、もちろん、先に言うべきだったごめん、と言ってたこと。
彼の好きな漫画家の展示会に誘ってたら喜んでたこと。犬猫カフェに行ったこと。
今まで会ったときのこと、恋人らしいことをしていたこと、ラインでの会話を思い出して、泣いてしまう。
もう会わなくなると分かってたら、もっと色んなことしたのに。恥ずかしがって顔を反らしたりしなかったのに。
なんで彼は創価を信じてるのだろう。
なんで私は創価を信じていないのだろう。
なんでこんなに好きになってしまったんだろう。
こんなに好きじゃなければ、愛してなければ、こんなにも辛くなることはなかったのに。
付き合って長い年月が経っているわけではないので、今言ってくれたことは彼の優しさだろう。
結婚直前まで教えてもらえなかった、という話を聞くとそう思う。
私は今回の一回だけど、彼は何回も経験してるとなると怒りの言葉も出てこない。
どちらにしても非常に辛いことだと思う。
それでも創価を辞めないということは、やはり彼を形成するものなのだろう。
それを受け入れられない相手とは付き合えないよね。
彼と過ごした日、彼とラインした日、彼のことを想って過ごした日、全てがまだ愛おしい。
私は落ち着いたり泣いたり疑ったりと情緒不安定ですが、彼はどうしてるかな。
彼も泣いたかな。泣いてくれたなら嬉しい気持ちもあるけど、可哀想だとも思ってしまう。
一目惚れって一番冷めない愛らしいですね。
私、彼以上に誰かを愛せるかな。
でも、忘れるために、結婚して愛する人と幸せに暮らすために、誰か他の人を見つけないといけない。
彼も、創価を信じてくれる誰かを見つけるため頑張るだろう。
貴方は私を傷つけたし、私も貴方を傷つけた。お互い別の相手と幸せになりましょう。
好きなら創価やめてよ、って言いたくならなくなくもない…が、向こうからしたら好きなら創価を信じてくれ。
お互いがお互いを譲れなかった話。
多分この話は当事者である私と彼と、相談した友人一人、合計三人しか分からないはず。身バレは省いたはずだし…。
もし彼氏がみたらこんな未練タラタラの女でごめんとしか言いようがない。あとストーカーチックな女でごめん。別れたいから創価って嘘ついてるんじゃない?って疑ったこともごめん。ネットに書き込んでごめん。気持ちの整理というか、記録とか、そういうので必要だったと思う。あとずっと彼氏って書いちゃってるわ。それもごめん。愛してるよ。
もしこれを見た人、こんなキモキモな文を見せて申し訳ない。本当はもっとアレないちゃいちゃの話も記録として書きたかったけど、気持ち悪く思う人、そして万が一彼氏がこれを見たときのことを考えると書けない。
忘れずとも、この気持ちにケリをつけたい。彼のことを本当に諦められますように。
結局その日に女性スタッフしかいない脱毛サロンを予約し行ってきた。ホットペッパービューティーで男性も歓迎と書いてあった。
予め施術を受ける箇所を剃っておくよう注意書きにあったので、勢い余ってVIO含めつるつるにして当日に臨む。脇毛を剃るのは初めての経験だ。少しひりひりする。
行ってみるとマンションの一室。マリン風のかわいい内装でかっこいいスタッフが迎えてくれた。サーファーで昔から日焼け肌のため脱毛には苦労してきたらしい。日焼けしてると痛かったりするらしいのだ。その経験からサロンを開くに至ったのかもしれない。増田自身もスポーツで日焼けしまくってるのがこの店を選んだ理由でもある。
日焼け肌に対応出来るような最新の脱毛マシンを入れてるらしく、口コミでも痛みがないという意見が多かった。
コーヒーとカフェでついてくるような洒落たお菓子を出していただき、カルテ記入の合間にくいっと飲み干した。
予約したのは全身(顔・えりあし・VIOなし)コース。正直、脚以外は特になくてもよかったがクーポンであまりに安かったためどうせなら全身にした。一回で生えてこなくなるようなことはないから、脚以外は毛が薄くなる効果を期待してる。
施術開始。ベッドと機械の置かれた部屋に通され着替えるように言われる。用意されていたのは紙製のTバック紐ビキニと巻いた状態でボタンで留められるバスタオル。素っ裸になりTバックを穿きタオルを巻く。初めてのTバックはなかなか快適でエクスカリバーの納まりもよく普段からこれでもいいんじゃないかと思わされた。なぜ男性は慎ましい下着を社会から求められるのだろう。むしろ快適じゃないのかこれ。下着の形状の制約から我がヤマザキナイススティックは横を向いてしまうことはなくポジションが安定していた。
着替えたらベルを鳴らしスタッフを呼ぶ。背中等剃り残している箇所を電動フェイスシェーバーで刈られる。もちろん痛くない。身体の毛を刈られるのは、なんだかひつじになった気分である。めー。
アイマスクをさせられたが、これは脱毛マシンの発する光から目を守るためかな。おかげで何やってるかあまり分からないが、マシンを当ててぴかっぴかっと光り、少しちりちりする感触がした。痛いと言えるレベルでは全然ない。リラックスして身体の表裏を小一時間ぴかっぴかっとされる。
終わると一人にされ、着替えるように言われる。この時点で見た目の変化はない。日が経つといまある毛が抜けるらしい。
アイマスクを外すとタオルははだけ、あられもなく紐Tバック紙ビキニが丸出しであった。Tバックは最後までやはり快適だった。これ、ほしい。でもこれを着用してるとこを他人に変に思われたらと思うと無理だ。第一、紙製では洗うことも出来ない。脱いだTバックを名残惜しみつつ備え付けのごみ箱に入れる。
かわいいお店で丁寧に身体中あれこれされて、ねこになったようでもあった。なかなかいい気分であるニャー。
帰って妻に報告した。VIOをやってないと言うと、なにやらクーポンサイトでVIO脱毛のチケット二回分をくれた。
このさいつるつるにしてみようか。
これフェミ、先約があって行けなかった。すごく行きたかったから、チケットを買おうとすらできないのが悔しかった。期待してたのは、双方手を知り尽くした結果しょっぱくなった柔道の試合みたいな、場外と待てがよくはいって引き分けになるようなのだった。どうせ平行線で終わるとは思ってた。
でも終わったあとの展開をTogetterで見て、私は絶望した。
先週まで私はリベラルフェミニストに共感していてラディカルフェミニストに反感を持っていた。そのつもりだった。でも今は違う。全然違う。
家の、一族の、貴重な財産ぐらいの扱い、それぐらいがちょうどいいんじゃないかな。
難しいことは何も考えないでマッチョなパパにグランパに、大事に大事に門外不出にされるのが女にとって最高の幸福なのでは?
私はダメだ。もう元手をすっちゃった。絶望だ。若い女が私の70過ぎの母とほぼ同じムーブをしてる。50年何の進歩もなく言葉の表面だけ変わっているだけなんだ。女はいったん、箱に詰めた宝石、袋にパンパンに詰めた綿菓子、そういうモノに戻すしかないんだ。私の人生は全て間違っていたんだ。
ヒプステ見てきました
『ヒプステ』
ヒプノシスマイクのステージ(舞台)。所謂2.5次元舞台というやつ。
CDとライブで展開している音楽プロジェクト。声優がキャラクターを演じてラップバトルをするというもの。舞台は近未来。
コミカライズはされているが、アニメは製作されていない。ゲームは来春ソシャゲがリリース予定。
ツイッターでほめている人はほぼ俳優のファンっぽくて、俳優のファンなら、客降りも多くて近くを通るし、華麗なダンスも見れるし、いいのかもしれない。
役者やダンサーが悪いわけじゃないのはわかっているが、とりあえず自分には18000円(チケット代/全席同じ値段)の価値はなかったなぁ…。
昔は今より少し金銭的に余裕があったので、近くの展覧会は手当たり次第に行ってた。美術館の友の会にも入っていた。
そんな中でも自分なりに節約して、おにぎりを作って美術館の近くの公園のベンチで食べたりしていた。
無理して図録を買ったり、買えなくて後ろ髪を引かれる思いをしながらポストカードだけ買ったりもした。
専門外のものもたくさん見た。少しずつ何かしらの共通項があって、とても楽しかった。
豊かな時期だった。
今はそこにいくまでの交通費やチケット代を考えるだけで頭が痛い。チケット代は作品に見合う対価だと本当に思う。今の私に見合わないだけなのだ。
忙しなく生きているなかで、空いた時間にインスタをみると、とても行きたかった展覧会のアカウントが「〇〇日をもって……」と終了の知らせを投稿していた。
だんだんと情報を集めることも少なくなってきた。どうせ行けなくて悲しい思いをするのだ。
惨めで貧相で悲しい。
昨晩、あんさんぶるスターズ!DREAM LIVE - 4th Tour "Prism Star!" -に参加してきた。
2次元を愛する女性ファンなら一度は名前を聞いたことがあるだろう巨大コンテンツあんスタ。
上記はキャラクターが実際に存在するかのように造られた映像が流れるバーチャルライブである。夏に別作品のライブにも参加していたが、彼らは“いる”のだと錯覚を覚えてしまうクオリティである。
私があんスタに出会ったのは約四年半前のことだった。当時高校生でスマホに移行したばかりだった私は、多くのソシャゲに手を出していた。実際に長く続いたものは少なかったが、あんスタは続けられた側のアプリだった。
正直ゲームシステムには惹かれなかったが、今まで好きになった2次元キャラの中でも最推しかもしれないと感じられるキャラに出会ってしまったのである。
それからはもう夢中だった。
途中に受験もあったが、引退はせずに続けていた。ポイボ☆5は確実に取り、推しがランキングだったら走る。ストーリーも全部読んでCDや書籍も購入する。あんスタは私の青春だった。
しかし、1年前くらいのことだっただろうか。
それまでも少しずつ抱えていたシナリオや運営の対応へのモヤモヤ、一部キャラクターへの苦手意識などが爆発し、少しだけあんスタから離れたいと思ってしまった。
当初今まで生活の一部だったあんスタを休むことは辛かったが、そこは2次元。あんスタ以外にも魅力的なジャンルはたくさんある。少しずつ、少しずつあんスタのいない生活に慣れていった。
いつの間にか数ヶ月が経過していた。ここでようやく冒頭の話に戻る。
こう書くと特定は容易だろうが、今回のスタライにてようやく私の最推しの所属するユニットと箱推しユニットの2ユニットが出演すると発表があった。今までのスタライにも何度か参加したが、本当に楽しかった。私の推しはいつライブをしてくれるんだろう、とずっとずっと楽しみに待っていた。
あんスタを休んでいるタイミングではあったが、推したちへの気持ちは変わっていなかったので絶対に行きたいと思った。
私自身は選考に落ちまくったが、友人(あんスタ現役)がチケットを確保してくれたので多少ガチユーザーへの申し訳無さは感じつつ、スタライ参戦が決まった。
今日見て最高だったらあんスタ戻ろうかな、新しい展開や音ゲーも始まるしね、なんてワクワクしながら会場に足を踏み入れた私を迎えたのは大量のフラスタだった。
推し宛のフラスタもたくさんあり、推しが愛されていることに安心した。自分でも不思議だが頭に浮かんできたのは「安心して推しを任せられる」なんて他人ごとみたいな内容だった。
また、周囲にはブランケットを羽織り、痛バを所持したあんスタ現役のオタクがたくさんいた。
昨日私は大学の帰りにライブに行ったので、痛バは所持しておらず、申し訳程度に推しカラーの服を着てぬいぐるみを持っていった。
内容についてはこれからの公演もあるので伏せておくが、最初のキャラナレから会場から歓声が上がり、湧いていた。私も「おおー」とは思ったもののそこまで大きな歓声を上げることができなかった。
振り返るとライブが始まってからも周囲のノリにそこまで対応できていなかったのだとわかる。追っていたから曲は全部知っていたし、どのユニットのパフォーマンスも素直にすごいと思った。
特に推しが出てきたときは本当に嬉しかった。大好きな曲を歌ってくれた。動いていた。幸せだった。ずっと待ってたから。
でも、それでも、私が全力であんスタを愛していた時と同じ熱量で彼らを見ることはもう出来ないのだとわかった。
周りのオタクが羨ましかった。全力でスタライを楽しめていたから。
1年前距離を置きたいと思ったとき、既に私の心はあんスタから離れてしまったのだと思う。
それなら今回のことを一番の思い出にして完全に離れた方がいいのかな、なんて思ってしまった。でもこれは言い訳に過ぎなくてずっと完全に降りるきっかけを探していたのかもしれない。
数年前の私だったら昨日のライブも全力で楽しめていたと思う。それが本当に悔しい。
それでも、あんさんぶるスターズ!に出会えて本当に幸せだった。