はてなキーワード: にしんとは
ネットで声がでかい人の意見が歴史修正するのはちょっとどうかな、と思う
そもそもiPhone登場の前にiPodの躍進っていうのが史実としてあるし欠かすことはできない
2001年に初代が登場、躍進したiPod nanoが2006年、iPhone登場が2007年。
iPod登場以前からmp3の音楽違法ダウンロードっていうのはインターネット普及と共にあって
しかし日本の各社、特にSONYはmp3の違法性から開発に難色を示し、MDを推進したりATRAC作ったりした
そんな中で空気を読まないAppleっていう会社がiPodを発表、mp3が聞けるってことで大流行。
当初はMacとしか連携できなかった(気がする)けど、WindowsでもiTunesが使えるという当時としてはビックリな対応で世間を賑わせていく。
時を同じくして韓国系メーカーも参入。Rioとか懐かしいよね。当時からFLACとかOgg Vorbisとかが聞けるっていう尖ったデバイスもたくさんあった。
後はCDにmp3を焼いたらフォルダ構成読み込んでアルバムとして再生してくれるやつとかもあったし、wmaとかとの覇権争いもあった。
日本は権利問題が難航して全然そういうデバイスが出てこず、確かAIWAが発売してちょっと世間が沸いたぐらいだった。
そんな中でiPodが更に躍進したのがiTunesのおかげ。これで音楽ダウンロードっていう商売を成立させた。
日本では長らくiTunesで聞けるのは洋楽だけで日本のレコード会社が提供してくれないっていう状況が続いたし
SONYはレーベル持ってたりするのでますます違法コピーの可能性があるmp3配信に難色を示して結果としては完全に出遅れた
そんな中でiPod nanoが発表。信じられないくらい小さくなっておしゃれになったデバイス。
巷を席巻して、もはや携帯音楽プレイヤーはiPod nanoって感じになった。
この頃から携帯電話が音楽再生機能を盛り込み始める。(まぁ前からあったがおまけみたいな機能だった)
しかし例によって音楽業界の圧力なのかSONYの圧力なのかmp3は聞けなかったりして独自仕様に固執。
SDカードは吸い出しできるからMemory Cardとか、いろんなプロテクションをかけてとにかく使いにくかった。
とはいえ邦楽聞くにはそれしか方法が無いので着うたフルとかLISMOとかが出て、SONYからはwalkmanケータイが発表。
まぁそれはそれで結構流行ったけど海外で流行るはずも無く完全にガラパゴスになった。
その頃からみんな噂してたのが
っていう話。
だって携帯とiPodの2台を持つのが面倒だから一台にしたいっていうのが強い思いとしてあった。
Appleが日本の携帯メーカーと協業するっていうイメージが全くなかったから出るならAppleから直接出るだろう、と。
2004年に発売されたNintend DSがタッチスクリーンでUIの新しい方向性を見いだしてた頃だったので
Appleが乗り込んでくるならタッチスクリーンだろうことは間違いなかった
そもそもiPod nanoのディスプレイがタッチスクリーンになるのでは?っていう話もあった。
だって当時のUIのCover Flowなんてタッチすること前提っぽい作りだったから。
まぁ乗り込んでくるなら名前は「iPhone」だろうっていうのもみんな予想してた。
iMacとかiPodとかiで攻めてるからまぁ安直にiPhoneだろうな、と。
ただ、全面タッチスクリーンっていうのは難しいだろうという意見が多かった気もする。
これは自分の周囲だけかもしれないが、キーを無くすと視覚障害者が使えないのでユニバーサルサービスの電話での導入は難しかろう、という話があった。
当時は画面が指紋で汚れるのは御法度でクロスをみんな持参してことあるごとに拭いてた。
その画面を触りまくる携帯なんて考えられない、というのが大勢だった覚えがある。
ところがAppleはやってのけた。そういう弱者は全部切り捨てて全面タッチスクリーンのiPhone発表。
日本の音楽業界と繋がりの強いdocomoは絶対に販売しないと分かってたのでソフトバンクの独占販売。
下手したら日本で販売されない可能性もあったからソフトバンクには感謝しかなかった。
このiPhone、iPodで音楽業界を席巻したAppleだから携帯業界でもやってくれるだろうという期待があった。
ただ初代は流石にしんどい部分が多くて音楽聴いてたら電池なくなるし電話はしづらいし画面が指紋だらけになるし。
とはいえiPod nanoとの二台持ち解消のためにiPhoneを選ぶ人も結構いた。
最初はiPodの代わりっていう立ち位置だったけどApple Storeがその情勢を変えていく。
Nintendo DSがゲームとして提供してたタッチパネルを活かしたいろんなアプリのアイデアがApple Storeでアプリとして提供される。
ギターアプリをインストールしたらギターになって、それを披露するとキャバクラでモテるとかいう噂が流れておっさんがみんなiPhone買い始めた。
後はもう、ご存じの通り、という感じ。
iPhone 3Gとか3GSとか4とかで盤石になっていった。
Androidが対抗馬として出てきたときはかなり期待したけれど
Appleのようにデバイスを固定化できるOSとは違ってAndroidはいわばWindowsを目指したので立ち上がりに失敗した。
デバイスに合わせてゴリゴリにチューニングすることができず、逆にOS内部まで手を入れるとアップデートが出来ないというジレンマ。
そもそも各社がOSのチューニングをするのはAndroidの思想に反するし、とはいえ各社サプライチェーンがあるからデバイスはバラバラ。
Androidでまともに動くケータイの方が少なかったけどXperiaは頑張ってた。そこはSONYの意地だったな。
とはいえAppleみたいにクローズド戦略じゃないから世界的にAndroidの数の方が多いのは当たり前
デバイス差分が大きいからAndroidっていうプラットフォーム上で商売するのはちょっとしんどいんだけど
ただ、Androidデバイスが多いとはいえ公開したアプリが全てのAndroidデバイスで動く保証が無いので
iPhone向けにアプリ作る方が実際に動くデバイスが多いのは確かだろうな
「ゼルダの伝説」の主人公の名前をゼルダと思っていたとか、大判焼きの地域ごとの名称の話とか、ソフト麺の分布の話とか、メロンのケースに入ったアイスを食ったことがあるかどうかとか、Wikipediaの地方病の記述が凄いとか、何回同じ話題を繰り返すんだと思うくらいネット上の話題がループしててしんどい。
しかも、こういうのって初めて知った人がドヤ顔で話してるから余計にしんどい。いやもうわかってるよ……。
それで上記の例にみたいに頻繁に出てくる話題にじゃなくて、たまに思い出したように出てくる話題だと、ネットニュースが乗っかってきて、白々しく知らなかった!という論調で記事を書いてくるしな。そのニュースサイトに過去に同じ内容の記事があったとしてもだ。
やっぱり話題のパイには限度があるのか。そして話題がないから、不毛な対立煽りで話題を無理矢理作り出してるのか、最近そんな風に思えてきてならない。
ニュースや報道番組で暴力映像を目にするたびに本当にしんどくなる。
近年の話題で言うとアメリカの白人警官による黒人男性への暴力やさらなる問題としてアジア人への暴力。香港やミャンマーでデモ隊を鎮圧する警察官。
日本では入管職員による外国人の人道を無視した暴力の他、理不尽なあおり運転やクレーマートラブル、録音されたパワハラ音声(これは言葉の暴力だけど)等々。
ちょっと古いけど障害者施設の職員が利用者を殴っていた映像とか運動系の部活のコーチの部員への体罰の映像もあった。
何の注意も予告も無く流れてくるので対策の仕様がないのだがニュースを見ないわけにもいかないので本当に困る。
報道する意義があると判断しているのだろうけど、辛くなる人も存在します。言いたいことはそれだけです。
ちなみに数少ない配慮の例として
震災特番で「この後津波の映像が流れます」のテロップと戦争特番で「この後残酷な映像が流れます」みたいなテロップが出ていた。どちらもNHK。
『ダークサイドミステリー』のケネディ暗殺の回では暗殺の瞬間の映像にボカシが入っていた。これもNHK。
CoCにおけるいわゆるエモシとかいうやつ、楽しいっちゃ楽しいけどとても疲れる。精神を揺さぶろう!!という魂胆が割と透けてるやつなんかは冷めてしまうし。エモシばっかりやるのはきついから、エモシ以外とエモシの比率は5:1くらいでいい。
エモシじゃなかったとしても同卓のPLがエモを求めてプレイングしていると中々にしんどいものがある。それいつ使うの?みたいな量のキャラ設定(大概なんか重い過去がある)を見る度にそんなに設定盛る必要あるのかなあという疑問が浮かんでしまう。ギャグシナリオだって言ってんじゃん。それで「このキャラは自分の過去の体験を元に作ってて~」って何?もうTRPGじゃなくて一次創作したら?
ロールプレイを凝るのもいいんだけど、別に出さなくてもいいところで練ってきた闇深設定を持ち出して「しんどい!」「エモい!」っていう雰囲気を作ろうとするのもよくわからない。それ、シナリオの進行止めてまですることなの?「今回のセッションでこのキャラの設定いっぱい出せてよかった~」とは?セッションってあなたの性癖詰めまくり設定披露大会なの?違くね?
ダイスの出目やその時々のロールプレイを通してキャラの個性が立ったりドラマができたりするのはすごく楽しいよ。でもさ、無理くりドラマティックな展開にしなくたっていいじゃないか。いちいちそれに「うわ、めっちゃいいじゃ~ん」って言うのも疲れるし。
統一協会への危機感を語る人たちの説明は、下手すぎるということになるのかもしれません。
「統一協会への危機感を語る人たち」、気持ちは凄くよくわかります。
私も「統一教会」絡みについてはもっと警戒すべきだとおもってます。
ただ、警鐘を鳴らしたいのであれば「統一教会のやばさを知らない人」に対して、そのやばさを説明するべきだと思うんですよ。
でも実際は、「知ってる人向け」に語っていて、知らない人をバカにするような語りばかりが目立ちます。
これ、2015年くらいまでのインターネットならそれでもよかったと思うんですけど、
今って多分これは「限界集落村」のやり方であって、それだとただの愚痴にしかなってないし、
もっと言えば批判してるつもりで、その目的に逆行して敵を作ってしまうだけになりがちなんじゃないかなと。
やばさをよく知ってる人からすると、もうそのやばさって説明不要なものなんですよね。
だから「これだけやばいやばいって言っておけば自分で調べてやばさを実感するだろ」って期待しちゃう。
でも、それは「今の」インターネットユーザーの標準レベルを考えると、期待しすぎなんだと思います。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210930/1633010640
これとか、もう完全に老害の戯言くらいに処理されちゃうんじゃないかな。
YouTubeの人気動画って、本当にわかってる人間からしたら
「え、そこから?そこから説明するのか?」って感じちゃうレベルのところからめちゃくちゃ丁寧に説明するんですよね。
こういう記事もありましたが、「わかってる人」にとってみたら
20分くらいの動画で、「そんなん知ってるわ」って内容しか語られてない、みたいなことが結構あります。
https://togetter.com/li/1781714
そういう意味で情報密度はすごく低いです。活字で情報摂取する人からしたら「効率悪すぎてつらい」っていう感想が出るのはよくわかります。
逆にいうと「死ぬほど丁寧」なんですよね。
文章と違って、テレビと同じようにぼーっと見てるだけで向こうから情報が来てくれることもあり
「特に興味がない人」や「今まで何も知らなかった人」への入り口としては圧倒的に強いなと感じます。
「すごく初歩的なこと」ほど時間をかけて丁寧に説明することが大事だと思うんですが、
「特に興味がない人」や「今まで何も知らなかった人」、勉強したくない人って文章で長々と書かれてたらやる気でないじゃないですか。
だから、この部分ってどんなに頑張ってもブログではカバーしきれない部分があったんだと思います。
でも今はこうやって動画コンテンツという形でその人たちにもリーチできる。
YouTubeがブログよりもはるかに多くのアクセスや反応を得てるの凄くよくわかります。
今まではそのあたり、金儲けにつながるものであれば
「いかがでしたか?」ブログとかアフィリエイターが一生懸命頑張って解説記事を書いてたわけですが
そういうアフィリエイターの人ほど、YouTube動画を有効活用することを考えてる。
タチが悪いのは、YouTubeを見てる層が今のインターネットの主力になってしまっているということ
そもそも話題に興味がなかったので、あんまり政治とか宗教とかみたいなめんどくさい問題に意見を述べることはしなかったのですが
今はこういう人たちが入門コンテンツだけに触れて意見を述べるなんてのが当たり前になってきました。
こうなってくると、この人たちは「自分たちがネットの標準だ」と思ってふるまうようになってきます。
現状において特定の話題について「知ってることを前提で話す」ということ自体がすでに傲慢という扱いになる。
まして「知らないこと」や「自分の意見と違うこと」をけなすような発言をする人間は憎悪の対象にすらなりうる。
「知らないこと」「基礎的な事すらわかってないこと」に対して寛容になりその人たちにもアピールしていかないと、
中途半端に警告を発しても「かえって敵を作る」ことになりかねない……。
こういう状況だと、開きなおって「知ってる人だけ読めばいい」スタイルか「0から丁寧に説明するね」のどちらかでないとやっていけないのかなという気持ちになります。
そりゃもうブログなんかやってられませんわ。
ある程度自分たちが選んだ人たち、「少なくとも話のレベルに差がありすぎなくて、いちから説明しなくても良い相手」にだけ情報を発信できるSNSにこもりたくなります。
ある自殺者の親の文章が目に入った。息子がうつ病だなんて全然知らなかった、助けを求めてほしかった、話を聞いてあげたかった、という。胸が締め付けられる一方で、親にそんなこと言えるわけがない、と思う自分がいた。
私は小学校低学年くらいから、親に悩みを打ち明けることができなくなった。きっかけをよく覚えている。学校でいじわるをされた、という話をしたら、親が泣き出したのだ。ギョッとした。いじわるをされたことでどれくらい傷ついたのかは覚えていない。親が泣いたことの方がインパクトが強かった。親が私の悲しみを共有してくれたというよりは、私がそれを伝えたことが親を傷つけた、というように感じられた。この時の心の冷える感じが、私は未だにおそろしいのだ。
この嫌な感じを分解してみると、一つには親が私のことを完全に自分自身のように思っているらしい、という恐怖がある。自分のことのように悲しんでくれる、と言えば聞こえはいいけれど、私の悲しみや怒りを受け止めてほしいような時に、相手の方が全く同じように傷ついてしまったら困るのである。そんな人危なくて頼れないし、だいたい不気味である。
もう一つには、そうやって親が自分のように思っている私、というのが、全然私自身じゃない、という気持ち悪さだ。今日いじわるをされた、と言っただけで、詳しく状況を説明したり、私がどんな気持ちになったかを言う前に親は泣き出した。そんな反応は私自身の事実とは何も関係がない。この人はこの人の中で勝手に作り上げた私について泣いている、そう思うとこっちは悲しいというより、引く。
こういう体験を一度すると、自分の悩みを親に伝えても何にもいいことがない、と学んでしまう。感情のケアをしてもらえるわけでも、建設的な意見をもらえるわけでもなく、私が親をただ傷つけた、という痛みだけが残るのだから。誇張じゃなく、親のからだに刃物を突き立てるのと同じくらい、タブーに感じる。
それから20年以上、私は親に悩みを打ち明けなかった。表面的な話はするけれど、何を考えてるのかは絶対に知らせない。いきなり結論だけ報告することで、私はあなたとは別の個体だからね、とアピールし続ける。そういうやり方で通してきた。
私も20になってからずっとうつ病だし、しょっちゅう死にたいと思っているけれど、親にそんなことを言ったことは一度もない。元気なふりしかしてない。元気じゃない時は怠惰なふりをしている。親の心を傷つけるのが怖いからだ。
いきなり死なれるショックよりは、死にたいと打ち明けられるショックの方が軽いことくらいわかっている。わかっていても、打ち明けるよりは死ぬ方が簡単というか、現実的なように思える。だって自分が死んだ後のことなんか想像しづらい。自分が死んだことによる親の悲しみは私に返ってこないけど、死にたいって打ち明けた場合のそれは返ってくる。そっちの方が現実的にしんどい。
それでも、自分が死んだことによる親の悲しみを想像して今の私に返ってくるしんどさで、死なないことを今は選べている。でもうつが重くなって視界が狭まってきたらその想像もきっとうまくできなくなるんだろう。そうなったら死んじゃうかもしれない。
子どもがなんのサインもなく逝ってしまった親はかわいそうだし、相談してほしかったと思うのは当たり前だと思う。でもね、小さい頃からそれができなくなるように育てられたんだよ。いざ死にたくなるほど追い詰められてからそれまでと違うことなんかできないんだよ。
私は死んでないし、親も死んでない。でもここから関係が変わって、もっと心を開いて関われるようになる日が来るとはとても思えないし、そうなってるのを想像することもできないんだよな。
帰って来るなり怒りをあらわ
・保育園の迎えに行かなかったこと(過去に行って怒られたので行けない)
・書類の提出しない(以前に勝手にやるなと厳命されていたので動きが取れない)
これについて言及し、過去に勝手にやるなといわれたから出来なかった旨話したら、逆上して口論。
「早く帰ってきて何もしていない。」(何もしていない事はない。やるなと言われてない出来る範囲の家事掃除はやっている)
子どもの習いごと行かせている間、外に呼び出され車の中で口撃
「なんで子どもの前で喧嘩してるとこ見せるの」(こちらから口論を仕掛けることはありえない)
「ジムの開始10月からを拘ってて延々と繰り返しているだけで結論を出さない」
(10月の話は一番最初に一言言っただけで、その時に入会金の話してそれ以来一回も10月開始のこは言及していない。ひどい誇張)
「申込書置いてあるの見て何も言わないの?」(勝手にやるなと言われている。行く意思の言明を受けていないので手続きできない)
(だいたい「申し込んでいい?」とこちらから聞くこと自体が妻の認識では「勝手に進めた」事としてとらえられてしまう)
「スイミング何も考えず土曜日に行くっていってるだけ」(常にしんどいと言っている妻は出来ない。土曜日なら自分が連れていける。という前提で提案した。結果妻のいった水曜日で独断決定され事後追認)
「水曜日に行かせるのにどんだけ苦労したか」(もうよくわからない)
「家買うのも、車買うのも、冷蔵庫買うのも、全部あなたのいったタイミングにしている」(拒否の意思を示したらあきらめた。言いなりにさせてるつもりは全くないが、勝手に言いなりになったことにされている。しかも選んだ車や冷蔵庫は自分でチョイスしている。それをこちらは納得して購入しているが、完全に言いなりで欲しくもないもの買わされたという体裁でマウントを取りに来る)
うつの診察を受けている旨話したら、「私も通っている。薬飲んでいる」
それ以上聞こうとしたら全部拒絶。こちらの症状は詳細に答えさせられる。親にも言っとけと言われ、親に送ったLINEの文面まで検閲を受ける。そこまでするんか、といったら、「あなただって私の携帯のメール受信障害を調べる時に携帯みせろっていったでしょ」
何がいやなのか聞いたら「何にもせず家でうろうろしているのが気に入らない」(何も危害を加えていない。ただ人格否定したい。こっちはできることやりたいが、何かしようもんなら余計なことするなと怒られる)
ことあるごとに「あなたは変わらない。もう期待しない」(だいぶ言いなりになっている。うつにもなっている。)
「自分の親の事何もしない」反論しにくいフレーズで論点をそらす。
暴力をふるうわけでもない。酒たばこギャンブルに手を出すわけでもない。悪意をもって接することもない。言われたことなら少なくともやろうとするし、あなたに対してこうしろああしろと指図や命令だってすることない。行動を規制することや叱責・罵倒することもない。仕事以外で自分だけの趣味とかで浪費することもしてないし、何も危害を加えていない。
にもかかわらずこんなに辛い扱いを受けてるので、他の家庭の旦那さんがどんなかしらないけど、ただ人格否定したい。ただただ気に入らない。ように考えてしまう。
他人事だと思えていたときは、公共の場所での声くらいは平気だったんだけど
たまに来る甥っ子が騒いだり、近所の子どもが家の周りで騒ぐようになってからは、他の場所で聞く子どもの声もダメになってきた
音への敏感さもあるかも、もともと聞き慣れない物音がすると、ビクッとなる
直接害はないと分かっていても、リラックスしたい場所でリラックスできない、その音がいつまで続くのかわからないストレスと不安で、自律神経がおかしくなってく
飼っていた犬が天国に旅立った。
最後の1年は痙攣がよく起こるようになって。
落ち着くまでに3~6時間かかってた。
痙攣は脳にダメージが行くらしい。
うちの子は半年で10回以上起こってたからとんでもないダメージだったんだろうな。
とりあえず仕事をやめてずっと側にいた。寝るときもリビングに布団ひいて一緒に寝た。
8月には前足もだめになった。
痙攣で神経にもダメージが行ってるとのことだった。
足が動かなくても、うまく座れなくても、
食欲だけはすごかった!
腎臓の数値も前から悪かったので、腎臓サポートのご飯をあげてた。すごい食い付きでいつも食べてくれてた。
というかうまく食べられない感じで、飲み込むのがしんどいのか、半分くらい残すようになった。
病院に行ったら腎臓の数値がすごく悪くなってるから、点滴をしたほうがいいとのこと。
4日間は病院で点滴と抗生剤の注射をしてもらって、あとは家で自分で点滴をすることになった。
最初はその抗生剤で体調がよくなってたんだけど、日に日にしんどいのか寝れない日が続いて。1時間おきに起きては暴れて鳴いて、抱っこして過ごすって感じで。
犬も飼い主も疲弊してた。寝れないってつらいよね。
点滴の量を増やしても変わりなくて、先生が、
そしたらグッスリ寝てくれて、体調が戻った!
でもそれも1日だけ。
次の日から抗てんかん座薬をもらって、しんどそうなときに入れてたんだけど、効果が2時間くらいしかなくて。
結局次の日またその注射を打ってもらって、ゆっくり寝かせることになった。その注射を処方してもらって、しんどそうなら打ってくださいと言われた。
その日、法事があって、家族が実家に集まった。その日はうちの子も注射後で体調がよかったのか、元気な姿をみんなに見せてた。ご飯もバクバク食べてくれた!
あんな苦しそうな姿を見たら他の家族は泣いちゃうかもしれないな、と思ってたから安心した。
その日の夜、みんなが帰ってからまたしんどくなったみたいで、注射を半量だけ打ってあげた。
多分みんなを心配させたくないからいいところ見せようと頑張ってたんだろうな。
次の日、なんだか息がしづらそうにしてた。ゼェゼェ口を開けて息をしてる感じ?喉から変な音がしてる。
翌日がどうぶつ病院が休みの日だったので、その日のうちに見てもらうことにした。
しんどくなる=部分発作が起こってるということなので、抗てんかん注射を1日に3本打って、まずその発作をなくしてあげましょう。と言われた。
その日も注射を打ってもらった。でも息が荒いのはそのままで、寝てる間もずっと口を開けて息をしてた。お腹から息してる感じかな。
お昼に起きて息がうまくできずにしんどそうにしてる犬に注射を半量だけ打ってあげた。でもあんまり効果なくて。
唯一抱っこしてる間は寝れたみたいなので、家族で代わりばんこに抱っこしてた。置いたら起きるっていう赤ちゃん状態。
その日の夜中、またしんどそうにしてる犬に、注射を打つべきかどうか迷った。お昼は効かなかったし、息苦しいのと発作が本当に関係あるのかちょっと疑問だったから。
でも犬が苦しそうだから、少しでも寝れたらと思い、注射を打ってあげた。
母は苦しそうな犬を見て隠れて泣いていた。
夜中に何回も起きては息ができない犬を抱っこした。途中、晩御飯で食べたちゅーるを吐いて、ちょっと楽そうになったので、詰まってたのかもしれないな…。
次の日の9月14日、自分が一人で犬を見てた。朝から息がすごくしんどそうで、抱っこをしてもしんどそうだった。
体温がいつもより低く感じて、エアコンを止めて布団を何重にも着せて抱っこした。
息が苦しく口が閉じれないので、舌がだらんと垂れていた。朝ごはんのちゅーるもひと舐めもできなかった。
あまりにも舌が乾いてたので指で水をすくって濡らしてあげた。
もしかしたら今日か明日が山場かもしれないと思った。苦しそうな犬を見て、もう無理しなくていいんだよ、と思う自分と、もっと一緒にいたいと思う自分がいて、むちゃくちゃに涙が出てきた。
犬が寝れそうだったのでベッドに置いて仕事をしようとしたら、犬がキャンキャン!と吠えた。苦しいみたい。すぐに抱っこしてあげた。大丈夫だよ~と声をかけながら背中をさすってあげた。
そこから、犬の呼吸が今までにないくらい荒くなって、キャンキャン!と言ったあと、私の顔を見ながら荒かった息がスッと止まった。
私はパニックになって、声をかけながら、カイロで体を温めた、大丈夫だよ、大丈夫だよ、って。
そしたらこっちを見ながら、口がガクガクッと動いた。
多分「もういいよ」って言ってくれてたんだろうね。
朝からずっと苦しそうな表情してたくせに、最後は私の顔を見ながらめちゃくちゃ可愛い顔で死んでいった。
昨日から閉じれなかった口もすっと閉じて、くりくりした目でこっち見ながら、私の腕の中で逝った。
もちろん、覚悟はしてた。
でも耐えられない悲しみが襲ってきて、犬の体がびちゃびちゃになるくらいに泣いた。
最後まで頑張らせてしまった。十分頑張ってたのに。心配させないように可愛い顔で死んでった。
おっきくこっちを見てくれてた目を閉じてあげた。スッと寝れたみたいに、すごく穏やかな寝顔だった。
この2週間、薬なしではしんどくて寝れなかったから、やっと穏やかに寝れたみたいで安心した。
そこからベッドに寝かせてあげて、次の日の朝までずっと散髪してあげたり話しかけたり撫でたり匂い嗅いだりしてた。目の前でただ穏やかに寝てるみたいだった。
次の日、火葬に送った。大好きだったおやつをこれでもかってくらい入れてあげた。朝食べられなかったちゅーるもいっぱい入れてあげた。そこでは泣かなかった。ちゃんと送ってあげられた。
でもそのあとどうぶつ病院に挨拶にいったとき、いつもは犬を抱っこして連れていくから思い出して号泣してしまった。
昨日の夜、注射打たなかったら、もしかしたら、と思ってはあんなに苦しい思いをもうさせたくない、あれでよかったんだと色んな気持ちが葛藤して、涙が止まらなかった。
家に帰ってまだ犬の匂いがするブランケットを抱き締めて、いるはずの場所にいない虚無感に襲われて泣きながら寝てしまった。
起きたら犬は遺骨になって家に戻ってきた。
骨になった犬を見て、もう会えないんだなと実感した。
また涙が止まらなかった。
次の日もまた次の日も、仕事をしてたら大丈夫なんだけど、ご飯を食べてたり、テレビを見てたりすると、ふと最期が思い浮かんでは涙が出た。
犬を送って3日目、それが今これを書いてる今日。
昔の写真を整理しようと思って見てたら、2000枚以上あって、おバカなことしてる動画だったり、ご飯くれって吠えてる動画だったり、見てたらすっごく笑えて、色んな思い出が蘇った。
最後の1年間の介護生活の印象が強すぎて忘れてたけど、犬は17年間すっごい幸せに私たちと暮らしてきたんだった。
絶対に世界一幸せだったよね、ってくらいみんな犬のことが大好きだったし、犬も家族が大好きだった。
この辛さは多分人生で一番の辛さで、人生で一番の悲しみだけど、昔の犬の写真を見てるときだけが今唯一笑える時間。
天国では、自由自在に走り回って、大好きなおやつを食べまくって、グッスリ寝られてるといいんだけど。
もうきっと犬を飼うことはないけど、私が天国に行ったら絶対にまた一緒に過ごそう!
これから前向きに生きていくために記録として書かせてもらいました。
小学生のころからずっと一緒に育ってきた弟みたいな存在だったので、心にポカンと穴が空いてしまった感じで。最期腕の中で死んでいったのを思い出しては泣いてしまう感じです。
たぶん幼稚園の年長か小一くらいの時のこと。
ある日の夕方、母が弟妹を連れてちょっと本家に行ってくると私に言ったのだが、私はテレビで『天才バカボン』を観るのに夢中になっていて、「わかった」と生返事をした。母はそんな態度の私に腹を立てていたようだ、というのは覚えている。
荒々しく玄関の引き戸を閉める音がして、家の中が急にしんとした。それでも私はバカボンを観続けていたのだけど、番組が終わるや、急に寂しくなった。私はそのとき、母が「本家に行く」と言ったことを忘れて、母を探したがおらず、弟妹も誰もいない。小さい頃ずっと私の面倒を見てくれた祖母は、長期入院中で家にいない。今思えばそんなに長い時間ではないのだが、家に一人ぼっちで置き去りにされたのは初めてで、私はパニックになった。
私は大声で泣きながら家の外へ走り出た。庭にも誰もいないのを見て、駐車場から敷地外へ抜け出して農道に出た。門扉を開ければ庭から直接公道に出られるのだけど、それはしなかった。「勝手に門を開けて道路に出ると車に轢かれておっ死ぬぞ」と、小さい頃から祖母に脅かされていたためだ。
畑にも誰もいないことを見てとると、私は泣きながら農道を歩いた。農道の、畑から公道までの間の距離は短い。たぶん20メートルもなかったと思う。私はその短い距離を行ったり来たりした。
母は本家に行くと言っていた。本家までは数百メートルくらいだっただろうか。私の家と本家までの間には、屠殺場と二つの工場があった。そのせいで、うちの目の前の道路は二台の車がすれ違う程度の幅しかないのに、日中は沢山の配送トラックが行き交うし、通勤の乗用車やバイクもよく通った。幼い子供が一人で通るには危険な道だったから、「一人で道路へ出ない」と厳しく言い付けられていた。だから、母はきっと本家にいる、と知っていても、砂利道の農道からアスファルトで舗装された公道に出る勇気が私にはなくて、ずっと農道の、家の垣根に沿った部分を私は往復し続けていたのだ。
時刻は午後6時を少し回ったところだったと思う。確か『天才バカボン』は6時ごろに終わったからだ。外は夕暮れどきで、東の空が薄いピンクと紫のグラデーションで、少し霞がかっていたと思う。近所の屠殺場も工場もとっくに終業していて、車通りの少ない時間帯だったはずだ。でも「一人で道路には出ない」という約束だったから、私は他にどうすることも出来ずに、大泣きしながら同じ所をぐるぐる歩き回っていた。
そんな時に、本家の伯母がやってきた。
「おっかさんがお喋りに夢中になってっから、ちょっと心配で見に来たのよ」
と言って、伯母は私をおんぶした。私は伯母の背中でわあわあ泣いていた。伯母は私を背負ったまま、公道と農道の接する所に立って、母が弟妹を連れて帰ってくるのを待った。伯母が来てくれてから、母が戻ってくるまでにはそんなに時間はかからなかったと思う。
泣いている所へ伯母がふらりと現れたことは、当時の私にとっても不思議なことだった。我が家には、よく祖父母と伯父が遊びに来たものだが、伯母が来ることはなかった。伯母はいつも本家の台所か、近くの畑にいた。寡黙で余計な口を利かず、そして何故か家族親戚から疎まれている人だった。家族からちょっといじめられていて、それに黙々と耐えている姿が近寄り難くて、私は本家の人達の中で伯母にだけはなついていなかった。伯母も私には数多くいる親戚の子の一人であるという認識しか持っていなかったのではないか。赤ちゃんの頃から知っているにしても。
なのに、そんな伯母が、
「あぁよかったよぉ」
と、真底安堵した様子で私をあやした。伯母が素の笑顔を見せること自体がとても珍しいことだったように思う。
だから、伯母に助けられたことが私の記憶には鮮明に残っているのだけど、そんなことがあったのを綺麗さっぱり忘れた母は、「まさかあの人がそんなことを?」という。
それから30年くらい経った時、父と話ていてひょんなことから伯母が何故本家であんなに疎まれていたのか、その理由を知った。
伯母はまだ若い頃は身体が弱くて、たびたび実家に帰っていた。そのことを元から「言い訳だ」と家族には思われていたようであるのだが、長男を出産した後に決定的な事故を起こしてしまう。伯母は不注意から自分の長男を死なせてしまったのだ。
当時、伯母の長男はまだ一歳半だった。全く分別がないのに活発過ぎるほど活発なお年頃だ。伯母は出産後の里帰りから本家に帰らず、長男息子と一緒に実家にいて、その日はどうやら床に伏せっていたようだ。それで長男は母親が寝ている隙に家から出てしまい、用水路に転落して溺死した。そのために、祖母をはじめとする身内から責められ疎まれたのだ。
私の母が幼い私を一人きりで家に残して来たのを知った時、伯母は「ちょっと心配」どころか、かなりの危機感を持って私を探しに駆けつけたのかもしれない。私の両親は「あの人にそんなことが出来るわけがない、いつもボーッとしてるんだから」と言うけれど。
安定した仕事についたものの、結婚したり子供作ったりするつもりもないからこの先にある数十年間という時間をどう生きようか途方に暮れる。
恋愛や結婚以外の幸せを…と思い自分の専門分野を勉強し仕事に打ち込んだが、もともと仕事のできる人間ではないため結果はパッとしない。
読書とかの趣味もできたが、精神的にしんどい時はなにもする気が起きないから気分転換の方法を持ってたとしても限界を感じる。
この前生きてるのもしんどいから首吊ろうとしたけど練習不足で失敗したし、なにやってもダメ。
毎日のように、このままではダメだと強迫的に自分を責めてしまえからほんとに生きづらい。自分に期待しすぎとわかってるのに、やめられない。楽になる生き方をどうやって見つけたらいいんだ。
立憲民主主義を掲げる姿勢には賛同するし、枝野さんのことは原発対応のときから好きだし、自民党のことは新型コロナへの対応で大嫌いになった。
でも、枝野さんを含め、立憲民主党の議員が喋ってるのを見るたびに、ものすごく心がしんどくなる。
いっつも目を吊り上げた怖い顔をして、きつい言葉で怒ってるイメージ。
あれを見るだけで気分最悪で、しばらく立ち直れなくなる。比喩ではなく、ちょっと吐き気がしたり動悸を感じたりする 。
最近だと、ニュース記事の文字で見るだけでもダメ。記事を開いて飛び込んできた文字を認識した瞬間にしんどくなって即閉じ。毎回、「見なきゃ良かった」って後悔する。
自民党の会見は、内容にむかつきはするけど全然しんどくない。中身が嘘っぱちでも、明るいメッセージ風に仕立て上げられているからだと思う。
不機嫌な顔とか、怒りがこもった声は、暴力だと思う。
正しいことを言っていれば済むってのは思考停止だと思う。支持者が暴力から目を背けて甘やかしてるんじゃないか。
ただの愚痴で私には実害ない話しだけれど。
夫の家は代々農家で土地だけはあるけれど、もう義両親共に高齢で、義父の趣味程度にしかお米や畑はやってないし、長男の夫も農業をやる気はさらさらないので、私と出会うずっと前から相続税対策でいくつか田んぼをつぶして借家にしている。ローンを家賃で払えるようにしているだけで、その借家の収入で悠々自適に暮らしてる…なんてことは全くない。むしろ、昔に持っていた土地を高速道路として国に買いとってもらったお金で当時は派手に使っていたらしくて、義父も義母も私から見ると金銭感覚がちょっとおかしくて「お金がないお金がない」と言いながら変なお金の使い方をしている。
借家の中には作りが古くて、長屋って感じのものもある。そこに入る人は生活保護を受けている人が多い。なんでもそういう人は家賃を本人からもらうのではなく、市とかから直接家賃として振り込まれるらしくて家賃の取りっぱぐれがないんだそうだ。
しかし、どうしてもやっぱりちょっと変な人が入居することが多い上に、お金が少しでも欲しい義父母は多少難がありそうな人でも入居を許可している。その物件は建物が古いので、ローンはもう終わっているらしくて、不動産屋に任せている管理費等を差し引いた毎月数万円が義父母に入ってきているらしい。夫と知り合って10年経つが、その間に夫から聞いたり3年前に結婚して同居し始めてから実際見てる限りでは、次から次へと変なトラブルが続いている。中でも今入っている人は、私が聞いてる限りでは一番やっかいだなと思った。
今年になってくらいに、その長屋に住んでいる一人が出て行くことになった。理由が「隣の人がお金を貸してくれと集ってくるのが嫌になった」というのだ。その2人は家の前でよく話しをしているので、仲が良いのかと思っていたのでビックリした。その人たちと義母は顔を会わしたら雑談くらいしていたらしくて、出て行く人が「大家さん、1回あの人(集る方の人)の家の中、確認した方がいいよ。家の中ボロボロだから」と教えてくれたらしい。
その人は70代くらいの男性で一人暮らしなのだが、犬が1匹と猫が3匹飼っている。(私は生活保護の受給者がペットって飼っていいんだっていうのを知らなかったので、ペットがいるのでもビックリした)入居当初は犬1匹と猫1匹と約束していたらしいが、実は猫は3匹いるし、犬もゴールデンレトリバーみたいな大型犬を家の中で飼っている。家の中の確認まで、居留守等で抵抗されたが、何とか義父母で中を確認したら、その人が入居する時にガスとかも直して、畳も張り替えてそんなに経ってなかったのに、ガスが壊れていて、家中多分ペットたちのせいでぼろぼろだし、しかも掃除もできてなくて非常に汚くて部屋の中は相当傷んでいるそうだ。
不動産屋に連絡したら「その人には出て行ってもらうようにしますね」となったが、今の所、いつ出て行くかは分からない。一応その人の次の部屋を不動産屋があてがう予定なのだが、今飼っている犬と猫を処分するのを条件としている。犬と猫には罪が無いので聞いているだけで辛くなった。
不動産屋と義父母は物件の修繕費を請求したくて市に問い合わせているが、市の対応はけんもほろろ。夫が詳しい人にちらっと相談したら「まず市からは貰えないでしょうね。できて、受給金額から毎月少しずつローンを返してもらう程度でしょう」とのこと。
この話題を最近、頻繁に義母から愚痴られる。正社員で働いているので、聞かされるのはいつも夕ご飯の時なのだが、仕事終わりで疲れている上に、現在妊娠しているので心身共に疲れているところにずっと愚痴を聞かされるのは本当に辛い。ご飯を食べているのにゴミや犬猫の糞尿の話しも平気でしてくる。こっちが疲れて碌に返事しなくても義母の愚痴は止まらない。
話題が少し脱線するが、ゴミに関しては義母は人の事が言えないと思う。掃除片付けが本当に苦手なようで折角広くて立派な家なのに、所々廃墟みたいになっているし、要らないものでぎゅうぎゅうの家は非常に住みづらい。ゴキブリやねずみも頻繁に家の中に出る。こんな所で子育てはできない…と手を出すと嫌がられるのを無視して最近少しずつ私が片付けてはいる。つい一昨日の休みも多分、乾物と粉物入れだったのかなという収納スペースを片付けた。蜘蛛の巣が張っていたり、かつて片栗粉だったのかな?という茶色い粉が大量に漏れていて、比較的手前にあったマカロニの賞味期限は2000年で切れていた。少し前は野菜室が半分くらい腐った野菜が液化した冷蔵庫も丸々洗った。台所だけでもそんなことになっている。
そんな家だし、ボロボロになった借家の修繕費の回収は絶望的だし、元々トラブルばかり頻発しているので、夫がその土地で借家を辞めて自分たちがリフォームなり建て替えて住むのを提案してくれた。私はその案に大賛成だったが、義母が激怒して「私の収入が無くなるでしょう!!」と言うので無理になってしまった。たかだか数万の話しなのになと思ったが、後から私たちが入れてる生活費もあてにしてんのかなと思ってちょっと納得してしまった。
義両親も高齢なので、もう管理や業者の窓口を夫が変わったらどうだと一度話しがたが「だって、それしても俺にお金が入ってこないんだよ?」といって無視を決め込む考えだった。義両親は所謂「長男教」の全く逆で、夫の下の兄弟ばかり可愛がっている。そのくせ面倒ごとや頼み事は夫に持ってくる。昔から義父の尻ふきばかりさせられてきたとも言っていた。同居しているのも、夫の都合がいいことがあるので住んでいるだけで「高齢の両親が心配だから」とかいう気持ちは微塵も持ってなさそう。介護も「その時は施設に入れるからいいよ」と言ってくれている。そんな親子関係しか築けてこなかったんだなと思って私も夫の考えに従うようにしている。
私は嫁の立場なので、根本的にどうこうすることも出来ないし、金銭的にも美味しい目も痛い目もあってはいないので蚊帳の外の話しだが、一度夫の方から打開案は反対するのに、現状をずっとぶつぶつ文句言ってる義母の愚痴を聞き続けるのは本当にしんどい。基本的に「でもでもだって」の人間がそもそも嫌いなのもある。できるだけご飯の時間をずらすようにはしているけれど、毎日のことなので難しい。今日は静かにご飯食べたいなぁ。義母はご飯の用意も大変だのしんどいだのめんどくさいだのばかり言うので、私が帰ってから作るよと言ったり、自分たちの分だけでも私が用意するから作らなくてもいいよと何度言ってもご飯を用意してくれる。最初はありがたかったが、こんな話しに付き合わされるくらいなら自分で作った方がましだ。義母、料理もちょっと苦手っぽいし。
話題的にも身近な人には言いづらいし、自分の親にも心配させたくなくて実害のないことだから黙っているけれど、いい加減嫌になって書き捨てにきた。長々とすいません。
音すげぇ!歌うま!絵が綺麗!ストーリーは謎。
個人的には主人公が瓦で自作のラブソングをたどたどしく口ずさむところで何故か共感性羞恥が発動してしまった。
歌ってた中の人を批判するわけじゃないんだけど、実際にUがあったら、あれくらいの歌唱力なら埋もれてしまったんだろうなあと思うと、動画サイトで10回くらいしか再生されてない「高校生が自作ソング歌ってみた」を想起してしまって辛い
全然関係ないけど、どっかの増田が「細田守はホラーやるべき」と言っていたが、案外悪くないかも。サマーウォーズで感じた親戚同士の馴れ合いに対する苛立ち、おおかみこどもの雨と雪で描かれていた貧困生活のままならさ、そして今回の序盤、母親が自分を置いて他人を救助に向かって行くところ(正直映画の中であそこが1番記憶に残った)、とナチュラルにしんどいシーンを入れるのが凄く上手い感じがする。あの可愛い絵柄で、思わず目を背けたくなるような酷くて救いのない物語を描いてくれたらいいのに。まあ需要ないよなあ。
Twitter上で仲の良かったフォロワーと相互ブロックになったので日記を書きます。
その人とは一年と少し前にとある界隈を通じて仲良くなった相手で、自分も向こうも絵を描いていたから推しを描きあって褒め合ったりもした。
向こうの方が圧倒的に上手いし今もそれは変わりないと思うけど、そんな絵の上手い人が自分の絵を褒めてくれたのがすごい嬉しかった。
それで日常アカウントでもインスタでも繋がって、所謂自我のことも結構知るようになった。お互い受験生だったから励まし合ったこともある。会ったことこそないにしろ住んでる都道府県と家族構成と顔も知ってる。
なんでだろ~~~~?!!!って今文字打ちながら考えてるけど、自分が自意識過剰でメンタルが終わっているのもだいぶある気がしてきたな。
相手は自分の思っていることをはっきりというタイプで、毒のあるツイートに共感することが何度もあった。
が、それの矛先が時々自分にも向いているツイートがあると感じるようになってきた。
ただこれは私の自意識過剰から来るものだと思ってスルーしていた。実際だいたいがそうなんだろうな。被害者意識が強い自覚はあるので……。
それはそれとして、その中で「あ、絶対これは私を指しているな」と確信したツイートがある。
私は先述したとおり絵を描いているが、趣味の範疇を出るものでない。というか全然上手くない。でも上手くなりたくて日々試行錯誤していた。
そしてこれも先述のとおり、私はメンタルが著しく弱い。絵を完成させて、ネットにあげて反応がないとかなりへこむ。評価されるために絵を描いてる状態に陥ってる!目的と手段が逆だ!と自戒すること早数年……。
もう結構前なため(冬でした)詳細は覚えていないが、私は「まず自分が自分の絵を好きにならないと他の人が好きになってくれるわけないよね」という旨のツイートをした。
そのツイートをした数時間後の深夜一時過ぎ、いつもどおり寝る前のTL巡回をしたときにその人のツイートが目に入った。
「誰も私の絵好きにならないとかいう人、評価してくれてる数人を無視してるしめちゃくちゃメンヘラでニキビ多そう」(ということをツイートしていた)
これ私のこと言ってますよね??????????!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いや、前半に関しては正しいことを言っている。評価してくれてる人を無視していると受け取られるのはしょうがない。
だって私は「私を全く知らない大勢の他人からも」評価されたいから。ここまでは流石に公言してないですが。
ちゃんといつも見てくれている数人がいることは分かったうえで、私は他人からも評価されたい。なんか文字に起こしてみると我儘極まりなくて笑ってしまう。
多分メンヘラツイートが嫌だったんだろうな。だからそういうことはネットで言わないように控えるようになった。
問題は後半で、急に容姿批判をしてきたのは何……?としか……。あまりのショックでスマホ切って寝た。朝起きたら該当ツイートは消えてた。
その人は三次元アイドルとかも推してて、リアルだと多分陽キャグループに属しているタイプだったと思う。ストーリーにも色々友達といるの載せてたし。
クラスにいる暗い人のことを糾弾するツイートも割とあって、「ああ、自分がこの人と同じクラスだったら絶対にこうやってツイートされてるんだろうなあ」と時々思う事があった。
だからその人はやっぱり私のこともそういう風に思っていたんだな、と辛くなった。
だけどその後普通に日常的なことで会話したし、絵を褒めてくれるのも変わりなくて、分からなくなってきた。
徐々にTLを見るのが辛くなった。でもミュートをしたのちにそれがバレるのが怖かった。
例の件の数か月後、使っていたアカウントを全部消して、新しく鍵の日常アカウントを作って、繋がらないようにした。
日常アカウントで繋がっていたのは同界隈の人らなので、仲の良い相互はもちろんその人と変わらずに繋がっている。
なのでアカウントも名前もミュートにしてなるべく見ないように心掛けた。お互い同じ界隈に未だにいるからなるべく穏便に済ませたくて、ブロックはしなかった。
でもその人が絵をあげる度に他の相互が褒めているのがなんとなく伝わってきてしんどかった。日常ツイートも然り。
あとそのリア友で、同様に繋がっていた人にもなんやかんやされて(それこそ一年前くらいのことですが)もにょった出来事があり、当時はなあなあで済ませてしまったことを色々思い出して急に無理になってきた。
で結局一か月近く前に全てのアカウントでブロックした。そしたら今日向こうからブロックされていることが判明し、現在に至る。
地獄のインターネットか?いやお互い自衛が出来ていると思えばいいか……?
今その人と繋がっている相互はかなりいるし、これをツイートしたらめちゃくちゃ……なんか私がアレな人じゃん……と思ってここに記しました。
私の自意識過剰だったら恥ずかしいし……。
でも中学三年生の一年間、ずっとクラスの一軍男子グループに悪口を聞こえるように言われていたのがかなりのトラウマで、それを思い出してしまうのでこの件は最悪でした♪
インターネット上であっても、悪口を本人に聞こえるように言う人間になりたくな~~~~~~~い!少なくともそう思わせてしまうようなツイートを控えよう(これは自戒です)!
私の見えないところならいくらでも言っていいから!惨めな気持ちになるから聞こえるように言うのをやめろ!鍵引rtすな!
以上結論です。
これだけ書いといて言うのも悪いのですが、これは私の一方的な視点から書いているものなので無茶苦茶なところが多々あります。身バレに若干フェイクも交えてます。
あと確実に私が勝手に被害者ぶってるところとかもある。ので、「ウケるンゴねえw」くらいの気持ちでいてください。日記を終わります。