はてなキーワード: 苦学生とは
弁護士和田正が小番一騎の妻と不倫したので和田弁護士事務所に妻と乗り込んで
和田の局部を枝切りばさみで切断した、ということでよろしいでしょうか?
元プロボクサー、慶応大法科大学院生、小番(こつがい)一騎(いっき)被告(25)
https://oitachi-ima.com/jiken/4024/
東京中野区に築40年の1軒屋を間借りして暮らしていたと言われる二人の暮らしぶりは築40年の部屋を借りていただけあって、狭い部屋で質素な暮らしぶりだったと言われています。
妻南部希美は、小中は不明でしたが高校は東京の港区にある頌栄女子学院高等学校(しょうえいじょし)キリスト教系の私立高校を卒業しているが、その偏差値は60とも言われます。
一説には、実家の家族と折り合いが悪く実家を出る口実になると小番一騎との結婚を決めたと言われており今回の被害者となった弁護士和田さんとの行為も実に短絡的な成り行きで性的関係を結んだ事が裁判でも明らかとなっています。
被害者和田さんの、怒り狂う夫小番一騎に対して「同意の上での関係だった」は嘘では無く事実で5回程、自らの法律事務所の上司にあたる和田さんとの折り合いを考えて優位にアルバイトとして採用してもらえると言う、忖度を考えての性行為に到ったといとも簡単に供述しています。
ブクマカもそれから高市も「良い教材をタダで配れ(そうすれば教育格差は縮まる)」みたいなこと言ってるんだけど、本当にしょうもねえと思うんだよな
まずそんなん内心どこの誰も信じちゃいねえじゃん
「機会に恵まれないけどやる気と才能はある」ってなあ、そんな理想的な弱者がゴロゴロしてるわけねえだろ
貧乏な奴は怠惰で、周りもだいたい怠惰だから、そんなものあったところでどうせまともに使ったりしないって、知ってるだろお前ら
その辺の中高生にタブレット配ったってどうせソシャゲに使うだけって、何もかもちゃんとわかってるだろお前ら
それでいて都合のいい時だけは「昭和の苦学生」みたいなカビの生えた、文字通り貧困なイメージ持ち出してきてさ
あれやってて空しくならねえのかな?
就活が終わった。
想像していたよりずっと良さそうな会社に滑り込むことができた。
何よりもこの就活を支えてくれたのは、私にベタ惚れで就活中ずっとサンドバックになってくれた人だった。
さかのぼること2年、私はバイト先の偏屈な先輩に興味を持った。
バイト先で店長によく怒られているけどなんだかんだ長くこのバイトを続けているようだった。
この環境が好きなのかと思えば、全然他の人となじまない、バイト終わりに皆でご飯とか誘っても来ない。
最近彼氏とマンネリで、バイトとゼミに追われてストレスまみれだった私は、ストレス発散にその先輩を落としてみたいと思った。
ちなみに私の顔は可愛いとかではない。よく言えば能年玲奈のすべての顔パーツを半分ぐらいのサイズにした顔。
ただ、先輩はいかにも女に免疫のなさそうな感じの人で、理由もなく私にも行けると思った。
バイト先で怒られるたびに慰めてみたり、無邪気なふりして近寄ってみたりしたんだっただろうか。
私に惚れた先輩は、私を可愛い好きだともてはやし、苦学生らしいのにご飯やらお酒やらをおごってくれた。
バイトも忙しい、ゼミも忙しい、でも誰も褒めてくれない、先輩のちやほやが私の自尊心を満たした。
酒の勢いで寝たりもした。
一度そこら辺が崩れるとそこら辺の貞操観念はぐちゃぐちゃだった。
だんだん私もほだされてきて、彼氏と別れて乗り換えるべきか?とか考え始めた。
しばらくして、先輩が大学を卒業して都会へと引っ越していった。
でも、これを良い機会だと思って、さよならお元気でと言った。
財布の都合でバイトのシフトは減らせない、何なら地方学生だったので、移動費がかかる。バイトは休めない。
ゼミはゼミで課題が山積していたし、教授が就活に理解がなくて、まったく融通を聞かせてくれなかった。
その結果、0時までゼミで頑張って資料をまとめ、朝の4時までESを書き、2時間だけ床で寝て風呂に入り、7時台の新幹線に飛び乗って、自由席が空いていなかったらデッキで座って寝落ちした。
お祈りが来ないことなんてザラで、みん就で「連絡来たー」みたいな嘘か本当かわからない投稿で、ああ落ちたんだとわかって心をえぐられた。
心も体も限界で、先輩に連絡を取った。
ちょうど私の就職活動先と先輩の家が近くだったので、ホテルの代わりに毎週のように先輩の家に上がり込んだ。
全然就活もゼミもうまくいかないんだと、またバイトだから早く戻らなきゃと、愚痴を言っては慰めてもらった。
先輩は卒業後も私を覚えていてくれたようで、再現なく私のわがままに付き合ってくれた。
就活がうまくいかないと、この世に必要とされていないような気がして死にそうだった。
今思えば不幸に酔っていたとも思うんだが、その当時はすべての空白を先輩で埋めようと必死にもがいていた。
6月のある日、ダメ元でエントリーしていた会社から内定を得た。
私の就活が終わった。
その瞬間に、一気に先輩への興味が失せた。
そんなことにも気づかずに、私のご飯の誘いを入れて来る。
内定を手に入れてメンタルが無敵状態になった私のとって、先輩はただの人生の汚点になった。
そのタイミングで、就職が決まったことを機に、彼氏がプロポーズをしてくれた。
「私やっぱり彼氏のところに戻るわ」と、LINEで一文送ってブロックした。
その後、もう会ってない。
私が就活中に生きていられたのは、まぎれもない先輩のおかげだ。
いつかきっと私は報いを受けるのだろう。
就活が終わった。
想像していたよりずっと良さそうな会社に滑り込むことができた。
何よりもこの就活を支えてくれたのは、私にベタ惚れで就活中ずっとサンドバックになってくれた人だった。
さかのぼること2年、私はバイト先の偏屈な先輩に興味を持った。
バイト先で店長によく怒られているけどなんだかんだ長くこのバイトを続けているようだった。
この環境が好きなのかと思えば、全然他の人となじまない、バイト終わりに皆でご飯とか誘っても来ない。
最近彼氏とマンネリで、バイトとゼミに追われてストレスまみれだった私は、ストレス発散にその先輩を落としてみたいと思った。
ちなみに私の顔は可愛いとかではない。よく言えば能年玲奈のすべての顔パーツを半分ぐらいのサイズにした顔。
ただ、先輩はいかにも女に免疫のなさそうな感じの人で、理由もなく私にも行けると思った。
バイト先で怒られるたびに慰めてみたり、無邪気なふりして近寄ってみたりしたんだっただろうか。
私に惚れた先輩は、私を可愛い好きだともてはやし、苦学生らしいのにご飯やらお酒やらをおごってくれた。
バイトも忙しい、ゼミも忙しい、でも誰も褒めてくれない、先輩のちやほやが私の自尊心を満たした。
酒の勢いで寝たりもした。
一度そこら辺が崩れるとそこら辺の貞操観念はぐちゃぐちゃだった。
だんだん私もほだされてきて、彼氏と別れて乗り換えるべきか?とか考え始めた。
しばらくして、先輩が大学を卒業して都会へと引っ越していった。
でも、これを良い機会だと思って、さよならお元気でと言った。
財布の都合でバイトのシフトは減らせない、何なら地方学生だったので、移動費がかかる。バイトは休めない。
ゼミはゼミで課題が山積していたし、教授が就活に理解がなくて、まったく融通を聞かせてくれなかった。
その結果、0時までゼミで頑張って資料をまとめ、朝の4時までESを書き、2時間だけ床で寝て風呂に入り、7時台の新幹線に飛び乗って、自由席が空いていなかったらデッキで座って寝落ちした。
お祈りが来ないことなんてザラで、みん就で「連絡来たー」みたいな嘘か本当かわからない投稿で、ああ落ちたんだとわかって心をえぐられた。
心も体も限界で、先輩に連絡を取った。
ちょうど私の就職活動先と先輩の家が近くだったので、ホテルの代わりに毎週のように先輩の家に上がり込んだ。
全然就活もゼミもうまくいかないんだと、またバイトだから早く戻らなきゃと、愚痴を言っては慰めてもらった。
先輩は卒業後も私を覚えていてくれたようで、再現なく私のわがままに付き合ってくれた。
就活がうまくいかないと、この世に必要とされていないような気がして死にそうだった。
今思えば不幸に酔っていたとも思うんだが、その当時はすべての空白を先輩で埋めようと必死にもがいていた。
6月のある日、ダメ元でエントリーしていた会社から内定を得た。
私の就活が終わった。
その瞬間に、一気に先輩への興味が失せた。
そんなことにも気づかずに、私のご飯の誘いを入れて来る。
内定を手に入れてメンタルが無敵状態になった私のとって、先輩はただの人生の汚点になった。
そのタイミングで、就職が決まったことを機に、彼氏がプロポーズをしてくれた。
「私やっぱり彼氏のところに戻るわ」と、LINEで一文送ってブロックした。
その後、もう会ってない。
私が就活中に生きていられたのは、まぎれもない先輩のおかげだ。
いつかきっと私は報いを受けるのだろう。
ごめん。
これ、俺が現在進行系でやってる奴だ。
非モテのオタクで、親が医者でなければ、社会の落伍者だったようなクズだ。
非モテなりに勉強を頑張っても、何浪かしてようやく医学部に引っかかった。
今ではそこそこ財力もできた。
俺が「育ててる」女は、社会に出て間もない、鹿児島出身の娘っ子。
天文館から、いきなり東京に出てきて、戸惑っている子猫のようだった。
「彼氏」は、優秀だが、どうやら苦学したらしく、シングルマザーのもと、鹿児島の超有名進学校に奨学金で通ったそうだ。
いいね。泣けるね。
神田川だね。
ヘドが出る。
そうだよ。
俺の心に、鬼が宿ったよ。
苦学生の「医学部彼氏」から、いっぱしの「医者」が財力をつぎ込む。
女は金で変わるんだよね。悲しいよね。
純情さが仇となったのか、転居してからは「彼氏」と一切の連絡も取らなくなった。
もちろん、この富が永続すると思っている。
同じ末路を辿るとは知らずに。
ごめん。
たかが金で。
趣味で知り合ったおじさんがいる
たまに会って喫茶店などで趣味の話で盛り上がったり、たわいもないラインでのやり取りをする 人生の先輩としてアドバイスを貰ったりする
年齢差があること、同性であることで趣味のみの不思議なつながりだと思う
ただ、そのおじさんは最近パパ活なるものに手を出したらしい 本人はパトロンのつもりか苦学生に食事をご馳走したり、たまにオプションで大人の関係になったりするとのこと
感性が違う、新しい情報を得られる、日常生活では得られない気づきが手に入ると
下心ありきのくせに、気持ち悪いなと思う
若い女の子とアカデミックな話をするのが楽しいのさと性欲をオブラートに包むおじさんが心底嫌だ
そこまでして若い女の子と話したがるおじさんの気持ちが自分には分からないし、自分との会話は楽しくないのかとすら思う
おじさんの配偶者の連絡先を知っているので全てをばらしてめちゃくちゃにしてやりたいと思う
ちょっと年の離れた三人兄弟で、兄二人は私立大学の学費全部出してもらって一人暮らしも仕送りたっぷりで満喫してたのに、運悪くリーマンショックと重なって受験期にカネがないカネがない今は我慢のとき我慢するべきと呪いをかけまくる親のもと、俺だけ国立実家通いバイト漬け苦学生やる羽目になった。兄二人は実家に金を入れるほど稼いでないし、そもそも親が息子に迷惑かけられないっていう精神性だった。俺は息子じゃねーんかよクソがって言いたくなったが、まあバイト代や奨学金を取り上げるようなことはしてないので諦めた。
兄二人はさんざん遊ぶ余裕があった大学時代に知り合った人とさっさと結婚して、俺だけ未だに独身。そりゃあ出会いも遊ぶ時間も無いならしゃーないよな。クソが。
で、今でこそ全く金に困らない、十分な収入がある状態で、「学費分お前の口座に振り込んだ、これでお前だけ不幸じゃないな」って親から連絡が来た。
この金すら憎い。
・追記
研究室に依存しきった生活してたからか、離れることになって情緒不安定なんだろう。ボロボロ泣きながらブコメやらなんやら読んだよ、ありがとう。目についたコメントに答えだけ書く。ほんとつまんねー追記だから読まなくていいです。
博士号は誰でも取れるよ。うちの学科だと査読付き論文2編と査読付き国際会議発表1報あれば博論着手できる。性別や年齢や国籍で差別されないから誰でも取れる。英語圏のほうが有利だけど。
念仏じゃなくて題目にしとけばよかった。せっかく創価学会の話出したのにね。
実際私が博士号取れたのって私の努力が9割なんだけど、研究室の教授や先輩後輩同輩に恵まれてたってのがあるんだよなぁ。海外志向も弱いので、家庭がもっと良くてもちょっと楽できたくらいで変わらなかったんじゃないかな。あと高校時代の友人が5人博士課程進学してて、それにもかなり勇気づけられた。感謝。
一度自分が頑張って勝ち取ったものを勝手に100%関係のない他のもののおかげにされた、ってのが嫌で嫌でしかたないから「環境に感謝しろ」に同じ匂いを感じて腹が立つんだろうな。で、未だに恨みを忘れずに勉強と研究を自分が胸張って私の力だと納得行くまでやっていった結果って思いたい。ある程度納得するところまでたどり着いたけどゴールじゃねえなこれ。本当に足の裏のご飯粒、名刺にPh.Dって書けることだけ楽しみ。ただ、多分メインは目の前にある自分の有能さを発揮できるものが勉強と研究だったから、得意分野で勝負する手っ取り早い方法がそれだった、ってことだと思う。
私はうっせえわと思わず一度は全部聞く性分ですが、皆様が思ってるより健康です。頭の出来が違うので。育ちは悪いが思考が高級品。
救いがねぇ~~~っぇええぇ~~~~~~
ブスで性格が終わってるのは環境のせいだろうが私のせいだろうが関係がない結果なんだよなぁーはぁーうんこうんこ。
結論なんて最初から出てるんだよ。いちいち「環境に感謝しろ」とか言う奴がとにかく嫌い。同じ口で「努力不足」とか言ってねえだろうなァァアァン????って嫌味を言いたかっただけ。
私は凄いし、勉強も研究もできた。大変だったけど論文もいっぱい書いたし博論も内容も濃い良いものが出来たと自負してる。めちゃくちゃ向いていた。ブスで性格が終わってて、恋愛ごとに全く向いてないのは自覚してる。望むものと出来ることが違うのって辛いよね。幸せではないけど、不幸でもないよ。願わくば誰かと一緒にもっと幸せになりたい。
・以下本文
博論公聴会もクリア。公聴会自体がセレモニーなので、まあ博士号取ったと仮定していいだろ。ワイくんは凄いのだ!浪も留もせずに査読付き英語論文2編日本語1編通したのだ!
ワイくんは貧乏家庭で学部のときからずっと奨学金とバイトで全て賄ってきた、今どき珍しいそこそこの苦学生なのだ。修士のときの奨学金が全額免除になって本当に助かってるのだ。
それでも君らは、ワイくんの努力や苦悩のごくごく一部の欠片は認めても、「(努力できる)環境がよかった」「博士号まで取れるような家がすごい」とか言うんだろうな。違うよ。大学以降は全部私が頑張って稼いだ金。県内トップの公立高校に受かったときに「創価学会と私の祈りのおかげ」って言った口を出すのに金を出さない親がマトモな環境、マトモな家庭だと言いたいならどうぞいつでも変わってさしあげましたのに。
で、この「博士号」っていう結果に対していちいち「環境のおかげ」とか「家族に感謝しろ」みたいな嫌味言ってくるのはいいよもう。
じゃあなんで私の恋愛関係がクソまみれなのを環境、家庭、貧乏、顔、アトピーのせいにしちゃいけねえんだよクソが。何が顔じゃなくて性格が悪いだ。99%私の努力のものを環境のおかげにしなきゃいけなくて、環境ほか諸々で少なくとも50%は歪んだ性格や、100%元から歪んでる顔や皮膚のせい、じゃなくて私のせいなんだよ。
というわけで皆様のお望み通り、最悪の性格を披露してあげますよ。よかったね、これで「やっぱり性格が悪い!お前のせい!」っていう逃げ道ができるよ。逃げ道作ってあげるとかホント優しくて気遣いができる人間だね私って。
「マトモに動いてないカスな脳味噌しかもってないのに、「高学歴は環境のおかげ!」「恋愛がクソなのはお前のせい!」っていう覚えた念仏唱えてるだけのしょーもない死んでないだけの脳無し人間さんよ。早めに死ねな?脳味噌がついてる人間全員に迷惑だから。」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/41248
個人の感情を社会問題に結びつけて正当化しようとするはてな民が見苦しすぎる。
もう社会の格差問題として語ってたまともな人たちが去っていったよね。
ひろゆき記事のはてブコメントみたら個人の感情が吹き出しまくっててただの嫉妬にしかなってないコメントばっかりになってる。
「あいつらが東大に合格したのは親が金持ちで遺伝的にも恵まれていて努力すれば報われる条件が揃っていたからだ」
「あいつらは自分が努力したから東大に合格できたと思いあがってるようだが常にことことを戒めてやらねば(使命感)」
「上野先生はあいつらにガツンと言ってくれて気持ちよかった(なんか女性問題について語ってたみたいだけどそっちはどうでもいいや)」
「あれあれ、私は事実を指摘しているだけなのに反発するんですかぁ?そんなに自分が努力したって認められたいんですかぁ?」
「それに比べて親が東大ではなく家も貧しいのに東大に行った人は素晴らしいものがある」
こいつらはいったい東大生に何を求めてるんだ?都合の良いサンドバッグか?
「今の東大生は恵まれてる!チートだ!平等な採点だと格差が固定されるから苦学生を優遇するアファーマティブアクション的な仕組みにしろ!」
というならそれはそれで一理あると思う。
もちろんそういうコメントしてたやつが大卒なら家庭が貧しくて高卒の人間に対してちゃんと席を譲るならだけど。
けど、別にそういう要求があるわけでもなさそうだし、むしろそういうものには反対してるよな。
低学歴の人間にたいする見下しがひどいのはこの前の動物園騒動で明らかになったわけだし。
低偏差値の人間を見下しつつ、東大生にはコンプレックスむき出しで足を引っ張ることだけ一生懸命。
なんて見苦しい生き物なんだ。
ただただ「これで勝ったと思うなよー」って言いたいだけに見えてしまうので
何度も同じネタを蒸し返してホッテントリさせるくらいならそろそろ「どうなってほしいのか」考えてくれよ。
毎回毎回懲りずにシャミ子みたいなこといわれても、
シャミ子なら可愛いからいいけどはてブの人ってだいたいオッサンおばさんだし見苦しいだけ。
実家の太さを論点にしたいなら幼稚園受験の話をしたほうがいいと思うし
本当の意味での学歴の話をしたいなら、文系ならロースクール、理系なら先端技術の博士号の人たちにもっと注目すべきなのに
そっちの話は全然しないしな。
「全然わからない。俺たちは雰囲気で東大について語っている」だけじゃん。
運良く東大合格した程度のヒヨッコに対していちいち「いい気になるなよ?」って嫉妬心をむき出しにするんじゃなくて
もっと博士号とった人たちを評価できるようにならんと世の中良くならんのとちゃいます?
そっちはそっちで日本企業の年功序列とか給与で報われないことを批判してるから大丈夫って?
無敵すぎるだろ。なんでそこまでいつでも自分が正しい前提なの?
あんたら何様なの?
そうで〜〜〜す私はラッキーでした〜〜〜
「大学に行くなんてお家に余裕があるんだね」
「うちは家の手伝いしなきゃいけないから勉強に専念できて羨ましい」
そう言われて、まあそうだよな…て罪悪感と後ろめたさを感じながら育って、
田舎の公立の小中高卒業して東京の国立大に進学してみたら同級生だいたい予備校とか通ってたんか〜〜い海外経験とかあるんか〜〜い中高一貫私立とか出てるんか〜〜い
うちの実家の太さがタコ糸レベルだとしたら工事用トラロープレベルから綱引きの綱レベルまでいるやん
稀にしつけ糸レベルの実家からのし上がった凄い人もいるけど、それ以外の殆どの人はだいたいみんな刺繍糸とかタコ糸とか麻紐とかパラコードみたいな範囲の中で実家が太いとか細いとか言ってるんでしょ?アホくさいよ
それも生存者バイアスじゃん(バイアステープの話ではない) タコ糸から他の運に恵まれて出世街道にうまく乗った人は「実家がしつけ糸じゃなくて助かった」ってなるし、パラコードの家に生まれても何かしらの原因で脱落した人は「もしうちの実家がヨットロープだったら」ってなるわけでしょ アホくさ
そりゃ実家がしつけ糸だったら努力することすらできないのは知ってるよ…
友達にも親戚にも何人もいるもの 中卒で働いて親の借金返してる人とか 中高生の頃から兄姉の子供の世話してて自分の時間が取れない人とか
でも実家が太い細い言ってる人ってだいたいそのレベルの話はしてないじゃん アホくさ
昨日は思いついたままに書き散らしたけどじわじわ見られてるようなので伝わりづらかった部分補足する
主に言いたいのは
てこと
糸の話続けるけど、
例えば
がいたとして、
綱層のAさんから見たら、細い糸層はしつけ糸も刺繍糸もタコ糸もぜんぶ「ほっそい手芸用糸」みたいな解像度で、逆に太い綱層は「トラロープはまあそこそこ苦労してるだろうな、注連縄なら安泰だろうな」みたいな認識かもしれないし、
逆に糸層のBさんから見たらタコ糸もトラロープも注連縄もぜんぶ「太い糸」で、逆に細い糸層については「うちはしつけ糸だから何もできないけど、せめて刺繍糸くらいあれば専門学校に通えたのに」みたいな認識だったりする人もそこそこいるんじゃないの
具体例として自分の話するけど、
これ、どっちもすべて真実だけど(仕送りもらって足りない分は奨学金受けてバイトしてたのは事実なので)、前者からはたぶん細い糸層に、後者からは太い綱層に見られてると思うんだよ 周りからの扱いを見てもね
なんか自分の経験からだけど、こういうこと考えるとぜってぇみんな同じもの見てないだろ、「わかってる」って言ってるヤツも解像度低い自分の理解でわかってる気になってるヤツぜったいいるだろと思っちゃうんだよね 自分も含めてね
蛇足だけど、ちょっと前に話題になってた北海道から都会に出て学歴格差を訴える増田、あれにも「増田は苦労して頑張ったね」みたいなブコメいっぱいついてたけど、
きっとあの元増田も地元の同級生や親戚には「親に支援されて大学なんて進学してお金があってよかったですね」みたいに見られてると思うんだよね 想像だけど
ぶっちゃけ厳しいと思うなあ
周りも親も勉強の価値をまともに認めてない環境に置かれて、それでも頑張れる人間なんてそういやしないよ
いるかいないかで言えばそりゃいるだろうけど、インフラだけ整えてやったところで、まとまった数が拾い上げられるとは到底思えない
極端な話、端末を配って回線を整えてやったところで、どうせソシャゲに使われるのがオチだ
それがわかっているから、みんな結局そっち方面に出す税金はケチりたい
「金も文化資本はないが頭とやる気だけはある」なんて、大概空想上の生き物でしょ
そんなふた昔前ぐらいの貧乏苦学生のイメージからいつまでも進歩しないから、この手の議論っていっつも的外れになるんだよ
そりゃまあ、「やる気のない奴に働きかけるのは無駄」と言われりゃそれまでだけどさ
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
今年22歳になる。同級生達は大学4年生で就活真っ只中だ。もう進路が決まった人もそれなりにいるだろう。
私には夢がある。それは普通の人になることだ。仕事に行って、パソコンの前に座って仕事をして、同僚や上司と他愛ない話をして、多くなくていいからお給料を貰って、そのお金から税金を払って、生活をしていく。一般的に想定されるような、なんてことないOLになりたい。
でも多分なれない。タイトルにも書いてある通り、一度腐った人間だから。
思えば挫折は高校三年生の時から始まっていた。勉強が好きだったから進学校と呼ばれる高校で受験勉強を頑張っていたけど、家が貧乏で進学を断念した。
こう言うと聞こえはいいけれど、今時貧乏でも母子家庭でも奨学金を借りてバイトもしながら苦学生をやっている人なんて珍しくもない。私は勉強は好きだったけれど分野を絞ることが出来ず、かつ多額の奨学金を借りることにどうしても抵抗があり(高三時点で社会不適合者の自覚があり、ちゃんと就職して返済できる自信がなかった)、一言で言えば気概のない子供だった。
高校を出ていくつかバイトを経験したあと派遣社員として1年ほど働いていたが、セクハラとパワハラの多い職場で、気概のない私は最終的に抑うつになって辞職した。
派遣社員だった頃、中国語の歌にハマったことが理由で中国語の勉強を始めた。前向きに取り組めることがあることが嬉しくて、独学だったけど勉強はどんどん進んだ。大した資格ではないが、勉強を始めてから1年くらいである中国語資格の最高級を取った。Skypeの講座を取り、会話練習も欠かさない。
中国語の勉強を楽しむ自分がいる一方で、社会と接するときの自分はどんどん腐っていった。
派遣社員を辞めたあと、どうしても働きたくなかったけど生きていくために働かなきゃいけなかった私は、風俗で仕事を始めた。ブサイクだけど若いから受かった。
中国語をやりながら、デリヘルで働いた。最終的にソープで働きはじめ処女を喪失した。
中国語のレッスンで自己紹介をする時、職業を偽らなければいけないのが虚しかった。
手垢のつきまくった言葉だけど、客とセックスするたび気が狂って叫び出したくなった。薬を飲んで仕事に行き、待機中はずっと勉強をした。待機室でよく一緒になった実家暮らしの女子大生に真面目だと褒められた。鬱は悪化し続けた。
鬱の悪化と同時に、なぜか語学の勉強をしたいという気持ちがどんどん強くなった。中国に留学するか日本で進学するかで悩んだが、英語に興味が湧いており、普通の人のように就職をしたかった私は国際系の専門学校に進むことにした。
収入が途絶えたら死ぬから風俗は続けた。セックスしながらまた勉強をした。大した資格ではないが英検準一級を取った。
あっという間に1年が経ち、いまは専門学校の2年生だ。鬱は治っていないが、ここでまともにならなければ一生まともになれないと思いながら就活に奮闘している。
気概もなければ誇れるものもないけど、語学の勉強だけは人並みくらいには頑張ってきた。中小企業だけを受けている。内定はひとつもない。
就職課の先生曰く、コロナウイルスの影響で、外国語が必要とされるような航空や観光業が軒並み採用中止となっている上、例年だと専門学生がメインに受けるような企業に四大生が受けに来ているらしく、国際系の専門学生は就職が厳しいらしい。
先生の話を聞きながら、たとえコロナがなくても私を採りたい企業なんてないだろうなと思った。
私は英語と中国語が話せる。それ以外で明確な専門分野はないけど、簿記やプログラミングの勉強はしたことがある。インキャだけど風俗で働いていたからコミュニケーション能力はある。派遣だけど事務で働いた経験もあるし、普通の接客とかのバイト経験もまあ豊富だ。人に感謝されたこともある。人に頼られたことも頼ったこともある。家事は自分でやるし身体を売って稼いだ金で学校に通い、家賃を払ってる。高校時代はしょぼい部活だけど部長もやってた。エクセルやワードの資格も取った。
それでも誰も私を採りたいと思わない。なぜなら一度腐った人間だから。
うちも似た感じ
でも幼稚園で「うちって貧乏なの」と私がみんなに言っていることが伝わると母は慌てて「中流家庭」と言い直した
あとからなぜ貧乏だと言い聞かせていたのか聞くと「平均的な金銭感覚を持ってほしかったから」らしい
しかし小学校から海外校で芝生の校庭にエアコン付き屋内プールだし、クラスメイトの親は社長などの明らかに高収入とわかる職業ばかりだったし、年に何度もビジネスクラス時々ファーストクラスで海外旅行
さすがに気付く、というか自分のことをお嬢様だと思い込んで完全に天狗になっていた
そんな時突然父が会社を辞めた
家にあったフィットネス用品やらカラオケやら高そうな家財を売り払って帰国することになった
父は私が高校生になってもまともに働いていなかった
でも私は大学に行きたかったので家計を気遣って奨学金を申請した
先生に呼び出されて、審査が通り無利子の第一種を借りられることになったと伝えられた
奨学金担当の先生は苦学生だったらしく、我が家の源泉徴収票を見て哀れみ激励してくれた
学部4年次、就活が嫌になったし大学院で研究を続けたくなったので再度奨学金を申請した
そして大学院を修了して就職、しかし奨学金の返済がなかなかにキツかった
母に愚痴をこぼすと学部、院の分全て、合計数百万を一括で返済してくれた
ここで疑問が湧く
なぜ一括で返す金があるならわざわざ借金したんだ……?
うちの親は基本的に放任主義で、子供がやりたがることはとりあえずなんでもやらせてみる方針だった
私は貧乏な家計を気遣えるいい子ちゃんのつもりだったので、奨学金を借りることをもちろん両親に相談していた
両親は「とりあえずやってみなさい」と言い私はそのままうちを無収入の貧乏一家だと思い込んだまま奨学金を借り続けた
それは源泉徴収票の提出で行っていた
そんな風に先生に激励されたのを覚えている
それを私は知らなかった
今思えば両親はろくに働いている気配がないのに私は塾にもピアノ教室にも通い続けていたし、海外留学は高校生の間に2回も行った
留学費用を稼ぐためという名目で学校に許可を取ってアルバイトをした
しかしなんだかんだで親が出すことになり、バイト代は全て服に使った
大学附属のやつではない
入居時に百何十万円納め、毎月の支払いも二十万弱だったことを後から知った
住居費と学費は親が払っていた
両親が働いていないからうちは貧乏というのは私の思い込みだった
あまり働かずに好きなことをしていても暮らしていけるほどの資産があったのだ
聞けば家や車などの大きな買い物も含めて、借金や分割払いはしたことがないという
私の奨学金以外は…
まあこれは親ではなく私がした借金ではあるんだが…返済を頼ってしまったが…
今でも私が車などを買う際にローンを組むと払う金額が増えて損ということで、まず母が現金一括払いをし、私が毎月いくらかずつ返す"お母さんローン"というシステムを利用させてもらっている
「今思えば」とは言えどうして気が付かなかったんだろう
かなり狭い枠だったはずだ
それをお金を借りる必要がなかった私が掠め取ったために本当に必要な家庭が枠から溢れてしまったのではないか
直近1年間の収入が極少ないことと、多少成績が良いだけでどうして申請を認められたのだろう
というか源泉徴収額って資産は関係ないの?収入に対してだけ課税があるの?
その辺もいい加減勉強した方がいいのだろうな
これを堂々と語ったら多くの人が呆れ、軽蔑すると思う
元増田を読んで似ているなと思って吐き出したくなった話
ブコメ読んで沸いた疑問
しかしそう考えていくとさらに先祖の資産であって親の金でもない
親はそんなに働かずたまに減った分を補充している程度なので増やしてもいない
今生きている誰の金でもない金は誰の金なんだ
私が生きてきたのにかかった金は私程度の収入では一生かかっても返せない
もちろん収入の半分以上を毎月家に入れて誰かの資産を補充している
でも一生補充しても補充し切れる金額ではない