はてなキーワード: 自己主張とは
ま・じ・で 愚痴垢が 嫌い!! この世でマイ・ベスト・オブ・嫌い・ゴミクソインターネットカスアカウントに堂々とランクインするとおもう!!!!!
何が嫌いってこいつらは嫌いなものに執着しているところ!!!! 大体はコスプレイヤーとかにブサイクとか、ブスとか、オエーーーとしか言わねえんだけどこの人たちの顔面こそどうなってるの?
美人だとしても性格は相当ブスやぞ? こいつらの中に入ってるのほんとに人か? ロボットじゃねーの? この人たちずっとずっとずっと、人の好きなものの文句ばっかりいってて人生たのしーの!?
そんなに嫌いだったら、さっさと捨てろよ!!!!
っていうか毎日毎日人の粗探しして、人を傷つけるために脳活性化して、普段どういう風に過ごしてるんだろう?
道ゆく人をみては「あいつきめぇ~」とかずっとおもってる人間性の人物が、同じ職場や学校にいるんだとしたらぜぇぇったいに友達になりたくないし、近寄らないでほしいとおもってしまう。
死神と目玉を取引したらそいつの愚痴垢割れるとかなら死神と取引したいレベルで愚痴垢がいますんんごくく嫌い
こいつら友達になったとしても、愚痴垢でずっと「仲良くしてやったけど顔きもいんだよな~」とかいってるんでしょ・・・ 性格が悪すぎる!!!
最近見てると、二次元アイドルの愚痴垢みたいなのがほんとーに多くて辟易してゲロ吐きそうなのだけど。
つーか自分の好きなものと同じもので、こんなやつらいんのかと知ってめちゃくちゃ引いてる。
とか、ウ・ル・せ・え・な~~~~~~~~~!!!
作品どころか、自分たちの好きな作品を応援するファンのことを「お花畑」とか「クズ」とか「ジャンルから消えろ」とか「うぜぇ」とかファン潰しをするようなファンを、
アイドルたちがいつも応援してくれてありがと~~~うなんて笑顔でいうわけねーだろ てめえの顔みてみろ、 このコンテンツがすごく大好きなんです☆とかいいながら、
ほんとはーーーは気にくわねーやつを殴ったりdisったり、いかに揚げ足とるか~!?の方を楽しんでるだけだろ、楽しんでるひとたちがいるコンテンツでてめぇのストレス発散の場所にするのいいかげんやめてくんない!!!!
お前たちは間違っている、正しい方向に導いてやる!!! 目を覚ませ!!! この作品はぱくり!!! とかも~~うるせぇえ~~~な だったらお前もう、公式に入社しろよ!?
公式になって、著作権侵害で相手を訴えるなり裁判しろよ!!! ファンの時点で権利者でもなんでもないだろ、公式の私物化っていうけど、ファンの私物化の方がよっぽど問題だわ。
いちいちこのキャラクターはこんな絡み方しましぇ~んだの 昔の○○のほうがかっこよかった・・・ だの、公式の同人誌はよみたくないだの、腐媚びにしかみえないとか だったらもうやめな!!???
このキャラクターばっかり贔屓されてひどいとおもいますなんて知らんわ。なんで贔屓するんですか? って本社にいってプロデューサーに直接聞けよ。いくらファンに贔屓されてるってぐちぐちいってもファンはどうしようもうねえだろうが!!! お花畑はどっちだよ!!! 脳みそパックンフラワーか?
もう、そうにしか見えなくなってる時点で、それはおまえの視界がそうなっているだけだから!!!!
そうじゃないって思ってる人た~~~~~~~~っくさんいるのに、たかだが300人くらい愚痴垢フォロワーを集めただけで、これがこの世界の現実みたいな顔すんのやめてください!!!!
人を貶めて、バカにして、クズとかキモ!とかいってる時点で何がしたいのかさっぱりわからん。なんなの?
語彙力ない愚痴垢のつぶやきをみてると本当に大丈夫か? っておもう。何歳なの? 愚痴垢なんか作っちゃう人たちって何歳なの?
学生でも頭良ければこんなのに時間使わないのに、愚痴垢まで粘着する人って、精神年齢も実年齢もまじめに何歳でこれを本気でやってるの? って疑うときある。何歳であっても同い年のその人たちに失礼すぎて。恥ずかしい。
おまけに愚痴垢の特徴は、こんなに文句ばっかりいってんのに、しっかりライブやイベントにくるんですよ? 地獄ですか?
疲れたならとっととTwitterもやめてくれ。応援するのも疲れたなら頼むからその席どいてくんねーか。
純粋な気持ちで追いかけてるファンが当選できないから、邪魔するのはやめてくれ。
苦しいって言ったら降りろって言われたって、そりゃキミ、他のファンを散々バカにしたり、ブスって言ったり、クズ呼ばわりやジャンルから消えろって言ってたらやめてくれって言われると思わないか?
嫌われない自信が逆にあるのがすごい…自分は相手を全力で傷つけておきながら…自分たちがそういう反応をうけたらそういう返しをするんだ。すげぇ神経だな、さすが愚痴垢を作るだけある。
私はそんなこといってないのに?
愚痴垢を名乗る時点でぜ〜〜んぶおんなじだよ、いい愚痴垢もわるい愚痴垢もいる…わけないだろ、愚痴垢なんか作った時点で人を貶めようとしてんのわかってんだよ。
ライブに行っても、結局またイベントで見ただけのファンの服装や化粧、顔を査定するんでしょ?
○○推しの子は美人が多いけど、○○推しはブスばっか、芋ばっか~~~
おまえらはライブに何を見に来てるんですか? ファンを見に来てるんですか???? ライブにふさわしいカッコをしてこいって、そんなん当たり前だけど、他ファンのご機嫌取りのためにするわけじゃないでしょ?
自分が応援するアイドルのために、心をこめて、一生懸命きれいにして、会いにいくんでしょ? もちろんそういうのに興味がなくて、ただ応援したいって子たちもいるだろうに、そういう気持ちをただ自分の価値観だけで否定して気持ち悪い気持ち悪い、ってお前それ、ライブ会場で直接本人たちにいえるの?
大勢の人たちが大好きなものを見にきてる中で、大声であのコ気持ち悪い、ファンやめてほしいって言えんのか?
そんなこといえるわけないじゃんっていうならその時点でいうなよ。
それはそういうことをしたい同士でやってください。無関係な人を巻き込むな。
自分たちの応援しているアイドルに、「あなたたちのファンでキモイやつがいたのでバカにしておきました」って笑顔で報告できるの? それで「ありがとう」ってアイドルに喜ばれるのが愚痴垢共が望むアイドルとの関係性なの?
こういう世界を作るのが、アイドルの目指した世界だとおもっててやってるの?
違う、こんなこと私はしたくてやってるんじゃない・・・! あいつが悪い! 公式が悪い! ってキミたち言い訳するけど、どんなにそれがキミたちにとって気に入らない事実だろうが、人をバカにして、コケにして、傷つけてるっていう自覚はあってやってるの?
人のせいにしているのが1番タチ悪いとおもう。
公式のせい、他のお花畑のファンのせい、ブスなやつが写真をあげるせい、そうじゃない、そうした言葉を使って人を貶めたり傷つけたりするのを選んだのは他ならない自分だ。
自分の心が1番汚くて汚れているくせに、その責任を誰かに押し付けようとして必死にゴミタメみたいな言葉をぶつけて自分の正しさを正当化しようとする。
昔から2chのアンチスレやネトヲチをみるのは大嫌いだったけど、ここのところのTwitterの愚痴垢の2ch(現5ch化)は著しいし、棲み分けすらできなくなってきたんだなと思う。
そういうところにずっと住み着いて、濁ったまなざしで自分の好きな物を見て腐っていくのは楽しいかい?
いつかその愚痴垢が仲良くなった人たちや、ふとしたことから本垢がバレて、散々いってたことが誰かに伝わったとき「別に本音だしかまわねーよ」って思うなら最初から本垢でやればいいんじゃないの?
自分の好きな人、友人、家族、学校や職場の人が全員見てる中で、あのレイヤーはブスとか、あのファンはキモイとか、堂々と見知らぬ誰かを指差して大声でいえるの?
いえるなら本垢でお友達が見てる中で言っててくださいよ。わざわざ愚痴垢なんか作る必要ないよね。
それができずに、「愚痴垢作りましたぁぁ」とか言っちゃうとこが、どちらも匿名だろうが、「卑怯」とおまえらが言われる所以なんだよ。
誰かを傷つけたくないから、っていいながら、誰かを傷つけるための専用の愚痴垢作って、な~~~~~~~~~にがお互い匿名だよ、イーブンになってないから。
十分卑怯でしょ。
人との繋がり遮断してる愚痴垢と、普段使いして、たくさんの人間関係に縛られながら発言をする人たちとのどこが対等ですか~?
誰かわからない場所から殴られる痛みは人を殴り続けてもう麻痺してるんだろうから、こういう場所に書かれても痛くも痒くもなさそうだけど、私は愚痴垢がいかに正論を言おうが、揚げ足取りしようが、愚痴垢の時点ですべての主張が価値なしだと思ってるから。存在に価値がない。
いくら自分たちが正しいとおもっても、その取った手段は間違ってると思ってる人たちもいるってこと忘れるなよ。
人を傷つける痛みも理解できないような人たちと、同じものが大好きだってことがこの上なく悲しいし、恥ずかしいし、アイドルをずっと応援しつづけた中で1番の最大がっかりだよ!!!
公式よりも、ファンよりも、平気で人を傷つけるような人たちがアイドルを応援している事実の方が、最高に滑稽だよ!
こんなこと書いた時点で私もこいつらと同レベルになってしまった。
頼むから、本当に大好きなものを応援したい人は、大好きなものを信じて応援していってほしい。
この人たちはそうした反応を見て楽しんでる愉快犯だったり、祭りに火を注ぎたいだけのゲスヲチャーだ。
本質的にその作品が好きなのではなく、作品が好きな自分に酔ってるのだと思う。
これだけ心を狂わせた自分を見てほしいと作品そのものより自己主張を始めてるわけだから、末期だ。
作品そのものより自分を見てと踊り狂うその姿はさながら狂気だ。
自分たちは間違ってない、正しいと主張してるわりには正々堂々とした意見の交換すらできない、する価値すらないと自らが証明している存在だ。
伏せ字や検索除けばかりで、ちゃんと自分の好きなアイドルの名前も、グループ名も、作品名も呟けない人と話せるはずがない。
話すべき相手はちゃんと正々堂々と真っ直ぐにアイドルたちを見て、公式に思う言葉を投げて、向き合ってる人たちだ。
毎日ファンのつぶやきをヲチして、揚げ足とって、まるで大問題かのように囃し立てて学級会をするような人たちがこれから先よくしていこうなんて考えていると思う?
結論が欲しいんじゃなくて、揉め事が楽しいだけだよ。自覚してるところがまた卑怯で人間性がない。
1番は相手にすることではなく、無視すること、存在を認めないこと。
自分たちがそうした手段を自ら選んでゴミ溜めに堕ちていったのだから、その汚い手に掴まれて引き摺り込まれてはいけない。
話を聞くべきはこういう人たちではない。
本当に応援していて苦しんでる中で吐露した言葉の方に価値がある。
相手を傷つけることを目的にした人たちの心無い引用RTや、リプに負けないでほしい。
でも言われたら傷つくよね。
せっかく楽しんでたのに悲しいよね。
腹立つ気持ちは抑えてあの人たちは可哀想な人なんだなと哀れに思うしかない。
なぜ言われっぱなしにならなきゃいけないんだと思うかもしれない。
反応したらしたでオモチャ扱いでイジられまくる。こんなのイジメと何が違うんだ。
アイドルって素晴らしいとのたまないながらファンがファンを虐める世界を見てたら心が死ぬよね。
自分の価値観が間違っているかはSNSで心無く誰かを傷つける人に判断なんかされないでほしい。
悩んだら、苦しかったら、自分のことを大切に思う友達や、家族に相談してください。
誰も傷つけることを目的にしない人に話を聞いてもらってください。
同じく自分が大切に思う友達や家族に優しくしてあげてください。
私みたいに発狂して反応したらだめだよ。
来世で、今度は笑い合おう。
偉そうだと言われた。
空気が読めないと言われた。
いや、言われたことはない。
ただ後から振り返ってみれば、自分の態度がそうだったんだなというだけだ。
自分から手酷く別れを告げたこともある。人間として最低だと言われて縁を切られたことがある。
ずいぶん長いこと傷ついてきたけれど、傷つけていたのはこちらもおなじであったと最近気づいた。
その場のテンションに任せて口を回す。けれど相手はそれを不快におもう。後から考えれば、自分も確かに不快にする言葉だろうとわかる。
後先を考えず、ひとの気持ちを考えない。
だから嫌われる。
わかっているのに直せない。きっともう一生直せないだろう。直そうとする努力が足りないだけなのかもしれないけれど。
今まで自分が傷つけてきたひとの数を数えようとするたび、死にたくなる。
呆れられて皆が離れていく人生を、うまく修復する方法を考える。
たぶん少数派ではあるが、それであるが故に多くの人と悩みを共有できないこのような考え方を、自分もずっと持っていた。別に誰かに読んでほしいわけでもないが、もし仮に僕が慣れない筆をとることによって誰かの心に少しでも寄り添えることができるなら、また他の誰かからしたら到底理解不能な考え方であるかもしれないけれど、それでもただ貶すためではなく、僕たちのような存在の頭の中を少し覗き見してみたいという好奇心を持ってくれる方がいたら、と思い文字を起こしてみることにする。重ね重ねいうが、書き物をするのが初めてで、稚拙な表現も多いと思うが、ご理解いただきたい。そして、他人に言われるまでもなく自分が一番よくわかっているのだが、この文章を書いているのは蟻地獄に落ちた蟻のように、何年もこの考え方に雁字搦めに縛られている本当にダメな奴だということも、どうか頭の隅に置いていただきながら読み進めていただければと思う。
本当は語りたくもないのだが、簡潔にでも語っておかねば正しい背景を理解できないかもしれないので、述べておこうと思う。何はともあれ、この記事を書くきっかけになったの一番の理由は、元記事を書いた方のエロゲー経験という共通点があったからである。この単語を聞いて、女性の方は嫌悪感を催すかもしれない。もちろん、無理に読み進める必要もないのだが、私にとっては私の恋愛観と切っても切れない関係性なので、これを語らずには話が先に進まないのである。
元々、小さいころからPCを使っていた私がそういったゲームを遊ぶことになるのは至極自然な流れであった。いわゆるオタク男子という奴である。私はプレイした本数自体は少なかったが、それでも買ったゲームは大切にじっくりとプレイした。エロゲーには様々なジャンルがあるが、私は"泣きゲー"というものを好んでプレイしていた。こういったゲームは、理想の女性が望むような行動をとってくれて、性欲の発散の手助けのために作られた所謂抜きゲーとは違って、僕にとってはそういうシーンはむしろおまけであり、濃厚で綿密に練られたシナリオに没入することであたかも別の人生で青春をやり直してるかのような感覚になり、私が中高生のころに味わえなかった経験を追体験させてくれる稀有で貴重なものであった。
私のプレイしたゲームだけかもしれないが、このころ"泣きゲー"には大体のおきまりがあって、ヒロインは大体誰でも何かしら問題を抱えていた。そしてもちろん、恋愛経験のない方向けのゲームのため、知る限りほとんどのヒロインが未経験の女性ばかりであった。主人公はシナリオを進める中で、好感度をあげ、特定のヒロインのルートに入ることによって、ヒロインが直面している問題を一緒に背負うことになる。好感度を一定の基準まであげ、かつ彼女たちが何かしら抱えている問題を解決に導くことができれば晴れてヒロインと結ばれトゥルーエンドである。そして、そのどちらかの条件が満たせなければ、対応したバッドエンドに入る仕組みになっている。(例外もあるが話の本筋とずれるので詳細は省く)何より私が面白いと感じたのは、そのゲームの中で私が恋した女性と二人で困難を乗り越えながら絆を深め、問題を解決できたときに用意されている感動的なシナリオ、そして愛する人とお互いが初めて結ばれる幸せ、これは当時の私のようなオタク人間が現実ではとうてい味わうことのできない幸福感であった。
しかしながらあくまで仮定ではあるが、恋愛経験がないままこういうゲームばかりをしていれば、中には恋愛観をこじらせてしまう方もいるのではないだろうか。自覚はなくとも、何度もそういったゲームを繰り返すことによって、お互い初めてどうしの人間が結ばれるのが至上の幸せ、いや唯一の幸せという価値観が力強く形成されてしまうのである。多感な時期に強くインプットされてしまえば、その感覚から抜け出すのはなかなか難しい。
少なくとも僕にとっては、恋愛とはそういうものだと強く印象付けられてしまった。
だからこそ奥手なのだと、自分を万年童貞だとのたまいながら、こころのどこかではいたいけな少女もびっくりのロマンチストな、自分ぴったりのプリンセスが私の目の前に通りかかって私に助けを求める場面を自覚なきまま何年も求めていたのである。そして、その相手と耐えがたき困難を抜けたそののちに、相手が自分のことを愛してくれて初めてそこで、自分の初めてを捧げるにふさわしいと本気でそう思っていた。自分で書いていながら、少々うすら寒い。しかしながら、これが私の恋愛背景である。
ここまで説明して、どうだろうか。所謂エロゲー全盛期の頃にプレイしていた諸君は、どのような価値観を持っているだろうか。
今思えば、自分を童貞だと自嘲するのは、自分の童貞はそう安くはないという表現の裏返しであり、簡単にはくれてやらないぞという誰も聞いていないのに勝手にしゃべりだす迷惑な自己主張であったのかもしれない。そして、恋愛を必要以上に自分自身の中で神格化させてしまったが故に、性行為というのは本当に為すべき相手としかしてはいけないという意固地な考え方になってしまい、初めて付き合った彼女の経験人数を知ってからは、そのことを思うだけで胸がきゅっとなる毎日を過ごしていた。ちなみに為すべき相手としかしてはいけないという考え方について、具体的には私にとって人生においてたった一人の相手のみをその行為のパートナーとすることである。
おそらく、我々は、いや私だけかもしれないが、過去の男と比べられるのが怖いのではなく、そういう経験を汚いものと思ってるわけでもなくて、その行為が自分だけでなく相手にとってもとても特別なことであって欲しい、というちょっとわがままな押し付けがあるのだと思う。過去にプレイしたゲームの主人公のように、自分だけが相手にとっての特別な存在になることができ、自分だけが相手の抱えてる問題を解決することができ、自分だけが相手の、自分以外の誰にも見せることのない色々な表情をみることができる、そんな彼女にとって随一の関係でありたいと。
でもそれはゲームの中に作られた砂上の楼閣のようなもので、現実というのは私にはそう甘くなかった。私も最近やっと理解したのだが、性行為というのは何も特別なことではなく、相手の問題を解決したり、一緒に困難に立ち向かう必要などもなく、もっと言えば恋愛関係になる必要すらなく、ただただ当事者同士のきちんとした合意さえあればできてしまうことなのだと。そしておそらく、水が流れる川のように、風になびく木々のように、自然の営みの一環として、我々の目に見えないところではあるがごく自然に平然とそういう風に行われているものなのであると。ただただ我々だけが、ひどく特別なものだと、神聖であるべきだと、簡単には触れてはいけないところだと思っているだけで、現実の多くの人はここまで頑なに守り固めた価値観を持ち合わせていないのだ。
そして、だからこそ苦しいのだ。こんな価値観、そうそう持っている人などいない。持っていたとしてもそれを口に出す人などめったにいないだろう。
我々が愛読していたのは、シンデレラの結末のその後が少しだけ書いてある、ちょっとおませな絵本にも等しい。
そんな絵本のストーリーを、少なくとも私は本気で望んでいたのだ。
私も彼と同じように、初めて付き合った彼女とのそういった部分での価値観の違いに直面し、結婚を考えるにつれてとても暗い気持ちになった過去があるので、彼の気持ちはすごくよく分かる。私がどれだけ思っていることを素直に伝えても、正直彼女との価値観の違いを嫌というほど知らされお互い不幸になるだけであった。
でも一つだけ言えることは、あなたが彼女の今までの経験に対してとても辛く思うということは、少なくともあなたにとって彼女はとてもとても大切で、特別な存在で、彼女にたいして君は他の人に見せない部分をたくさん見せているのではないだろうか。こんな言い方するのも卑怯ではあるかもしれないが、過去僕を受け入れてくれたゲームのヒロイン達は、僕が仮に未経験ではなかったら受け入れてくれなかったのだろうか。もちろん全員が受け入れてくれるかはわからないが、きっと多くの子がそんなこと関係なしに僕を受け入れてくれたはずだ。もちろん性は繊細な問題であり、三大欲求の一つにも数えられるぐらいだから、そこに関しての価値観の違いというのがとても重要なのは確かだ。しかしながら時として我々も譲歩しなければならない。我々の人生はあくまでゲームの中ではなく、現実というリセットもセーブもできない世界なのである。そんな僕たちにとって非情で冷たい世界だからこそ、自分を受け入れてくれる存在に対して行動するときは後悔しないようによくよく考えて欲しい。
もちろんこのまま付き合い続けて、一生その悩みに苛まれ人生の最後の最後で後悔することもあるだろう。
いつか時間が解決し、あの頃どうしてあんなことばかり気にかけていたんだろうと思う未来もあるだろう。
彼女と別れることで、自分の悩みを解決してくれるような新たな存在に出会えることも当然ながらあるだろう。
きちんと彼女の存在に向き合って、自分にとっての彼女がどれだけの存在か、そして自分がどうするべきかゆっくりゆっくり考えて欲しい。
私はオタクだ
小さい頃から絵を描くのが好きだったし今も描いてるし、
でも、オタクが嫌いだ
私はおおっぴらにオタクです!と公言した事がないけど、まったく喋らないわけでもなく、わかる人にはオタクだと思われてるんだろうなという生活を送っている
今高校生だけどクラスに居るラブ●イバー、アニメオタク、そのオタクと喋る女オタクが本当に気持ち悪い
最近ラ●ライバーが至る所でオタ芸をし始めた辺りでほんとに無理になった
文化祭でのステージ発表では時間制限がある中で、クラスの人には内緒でオタクコール(よく分からなかったけど推しと自分の自己紹介と何かのコール?)をして時間を押したり
もうやりたい放題だ
地蔵(?)のオタクが多くて嫌になると言っているけど地蔵の方がおめーの1000倍マシだわ
私はオタクは忌み嫌われるものだと思っているし気持ち悪いと自覚しながら過ごしているのでもう吐きそう
クラス替えでいなくなってほしいけど固まると急にうるさくなるアニオタがクラスに10人はいるので無理そうだ
中学や高校で野球部に入るような男なんて、同性から見ても頭のおかしい奴らしかいないから、あれが普通の男「一般」だと思ってほしくない。
まあ、こんなことが言えるのも、私自身が野球部の人間に対してあまり良い印象がないからなのかもしれない。
野球部に入るような連中は、野球を通してでしか自己実現や自己主張ができない馬鹿ばかりである。
それだけならまだしも、その負のエネルギーを周囲にも発散するから始末に負えない。
特に、何もしなくても異性に人気のあるイケメンや美男子を目の敵にしていたのが野球部のハゲ達だった。
父の法要から一日明けた朝、漫然とテレビをつけていたら、NHKのみんなのうたが始まっていた。
あ、ボブネミミッミじゃん、そう思って聞き流した次の曲が七尾旅人さんの「天まで飛ばそ」だった。優しい歌声に枯れたと思った感情がぶり返してきた。
花粉症の鼻をすすっていると母も洗濯物をハンガーにかけながら「この歌誰が歌ってるの?」と聞いてきて、答えられなかったからググって今また歌詞を読んでる。
隠した願いを天まで飛ばそ。あの子は知らない。あの子は知らない。
渡しきれぬ夢を天まで飛ばそ。あの子は知らずにここから旅立つ。
親の心 子知らず、なんて言うけれど、自分もまた知らなかった。
父に勘当されて十数年、妹に見せてもらった家族(自分を除く)のLINEチャンネルにも、遺書らしい遺書にも自分の名前が登場することはついぞなくて。
死ぬ二週間前にお互いに様変わりした顔を合わせた席で「ひさ…」「次に会うのは葬式だな」と会話にならない会話を交わしてすぐに病室を出ていったから、最後まで父が自分のことを思い出す時間があったかどうかも不明で。
それでもあの時の掛け違いの理由を何処かに遺していってくれたらと願わずにいられなくて、書斎を探してみたけど、出てきたのは茅田砂胡さん、菅浩江さん、小野不由美さんと懐かしい著名のファンタジーばかり。晩年は抗がん剤の研究をしていたと聞いたが、仕事に関する本は古いバイオインフォマティクスの参考書を除いて一切なかった。
目を閉じれば思い出すのは、港南台の子ども科学館に、青葉台の郊外の勤め先の研究所と、土日車で連れて行ってもらった子どもの頃の記憶ばかり。あの延長線上に、父の秘された希望もあったのだろうか。隠した願いはもう一生分からない。今の自分ははっきり違うということだけが分かる。歌を聞いて三度去来するのはもう解決すらできないこの寂しさだ。
後、数年もすれば自分も子どもに名前と一緒に隠した願いをそっと飛ばすだろう。夜をギラギラに自己主張するのではなくて、色々な人が打ち上げた願いの中にひっそり混ぜて、旅立ったあの子が気づかずに手に取ってくれることを願おう。そうしてくれたら、いやもし選ばなかったとしても自分から伸ばした手で願い星を掴んだとしたら、それが親としての本願だ。
どうも、しくじり先生の18卒女です。
・中堅大文系
そう、就活解禁日の2017年3月から翌年2月末まで内定が貰えませんでした!
という訳でこれから就活をする皆さんへ、私のようなしくじりを犯さないように、アドバイスしていきたいと思います。
大企業を受ける気が無いなら、使わなくて良いです。
特に私のような、希望職種・業界の無い人間には使いこなせません。
得られる情報が膨大なので、情報を精査するのはかなり難しいと思います。
あとタッチ1つで沢山エントリー出来るので、選考にエントリーしている意識が薄くなり、企業研究や志望動機の作成が疎かになりがちです。
適当にフィーリングでエントリーして説明会へ行き、「残業が100時間ある社員もいますが、本人はやりがいがあると言っています」と言われ即帰宅、なんて事もよくありました。
もし、絶対に大企業じゃなきゃ嫌だ、というこだわりが無いなら、就活エージェントをおすすめします。
自分の希望条件(勤務地、残業時間等)に合った求人を紹介してくれるので、多少マシになります。
私はそれを鵜呑みにし過ぎて、事前に教えられた事しか対策せずに爆死しましたが。
でも、自分についた担当がちょっとでも合わないと感じたら、すぐチェンジして下さい。
そして、就活エージェントは最低2社くらい同時に使った方が良いです。
ただ、12月過ぎてから入る求人は希望条件ガン無視の求人(地方転勤、深夜工場勤務等)しか無いので、この時点で内定を貰えていない人は、エージェントと縁を切ってください。
中小企業のみや既卒向けといった、よりニッチなサイトに切り替える事をおすすめします。
■しくじりその2「コミュ力が無い 」
前述した通り私には大学の友人がいません。
アルバイトも接客業ではなく、1人でコツコツやるオフィスワークでした。
無理でしょう。
面接後の就活エージェントからのフィードバックでは「話し方が子供っぽい」「自己主張が強い感じがする」「馴れ馴れしい」と散々でした。
レジ打ちでもファミレスのホールでも、何か「初対面の人と話す機会」のあるアルバイトを短くても良いからやるべきだったな、と今は感じます。
そういった経験の無い人は、とりあえずNHKアナウンサーの話し方を意識してみてください。
多少はマシになります。
雰囲気とか。
就職指導課で面接指導を受けられますが、それを申し出るコミュ力すら無いんですよね。
大学指定の履歴書を貰いに就職指導課に入る事自体、緊張していつも吐きそうでした。
■しくじりその3「面接で話す事が無い」
あと「大学には友達が何人いますか、またその友達からあなたはどんな風に思われていますか」という質問が来たら終わりです。
それを怠った同志達よ、地獄へようこそ。
対策は無いです。
このように、なんだかんだやらかしながらも、今は無事2社から内定を頂き(SE職、事務職)、親もヤケ酒から解放されました。
「売り手市場」なんて言いますが、中堅大やMARCHクラスでも、なかなか内定が取れず、そのまま就活を諦めてしまった人もいます。
とにかく、もし就活が上手くいかなくても悲観するのは良くないです。
自暴自棄になり過ぎない事。
大丈夫、お祈りしてきた企業はあなたのいるべき場所じゃなかっただけ。
それでは、皆さん、頑張ってください。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
詩織「……」
詩織「……怒らない人いないわよ」
愛海「ごめんなさい」
詩織「……あの界隈。
あの界隈なにがしたいの?」
愛海「誰と、誰かな」
詩織「あなたを中心に、同じ事務所のアイドルのライブに来る子たちよ……」
愛海「はいはい、「アイドルだけどアイドルのライブに行ってもいいんだからね! の会」ですね」
詩織「……」
愛海「その、ラジオなので、できれば言葉で表現してもらえると」
詩織「……」
愛海「ごめんなさい」
愛海「そのー、なんていうかー、あたしのせい?」
愛海「ごめんなさい」
愛海「その、美羽さんに客席からライブを見ると色々勉強できるよーと言って誘いまして」
詩織「……それは、まあ、そうね」
愛海「そしたら、きんきんにやってたライブが、詩織さんのでして……
詩織「……愛海ちゃんにだけ嘘のスケジュール教えればよかった」
詩織さんがああいう可愛い可愛いした曲歌うのが珍しかったのもあるかもですけど」
愛海「それで、こうあの日はお客さんも湧いてて、コールもすごかったし、とにかくこう一体感? グルーブ感? でハコユレ? 的な?」
愛海「さらにそこから、二曲目もラブレターでまた、可愛い可愛い曲なのでとっても盛り上がって」
詩織「そのあとよ……」
愛海「ごめんなさい。
それで、ラブレター終わって、MCで恒例の海の話やってるときに、お水を飲んだじゃないですか」
これまあよくあるんですけど
詩織「……どうでもいいけど、この世界の私たちはアイドルだから、そんな文化ないんじゃ?」
愛海「世界? とにかく、そのとき美羽さんの、その悪い癖というか、どんなときもネタをやってしまう前向きな心構えといいますか」
詩織「なにいったのか言いなさいよ」
愛海「その…… 美羽さんが、お水おいしいー? にかぶせるように
『海水おいしいー?』って」
そのあと、あなた何言いった?」
愛海「許して!」
詩織「……あのね、そういう自己主張をしたければ舞台にあがりなさいよ、舞台に」
愛海「ごめんなさい」
詩織「だいたい…… それだけで終わらせればよかったのよ…… まだ……」
愛海「はいー、そのあたしも被せたのが、美羽さんの対抗意識に火をつけてしまいまして」
詩織「だから、次に物販Tシャツに着替えて出て来たMCのときも……」
『回ってー』と言いまして」
愛海「そしたら、美羽さんが
『シャツがー 空回りー!』とミラクルテレパシーの替え歌を……」
詩織「……私の歌じゃないし」
愛海「それで、あたしも楽しくなって
『くるっと回って見渡してみてー! もみもみ!』とlittle trip around the worldの替え歌を……」
詩織「別の事務所の曲だし…… 替え歌してる部分合いの手の部分だけだし……
美羽ちゃんが言うのは…… うるさいから今後気をつけてね…… で、いいけども……
それに便乗するあなたよ……」
愛海「ごめんなさい!」
愛海「そんなー!」
私は、今まで活動していたジャンル者との交流をやめてフォロー・フォロワー0の鍵アカウントに引きこもっている。
そうしようと思い、行動に移したきっかけはジャンル内の雰囲気についていけなくなったからだ。
あるカップリング、仮にA×Bとする。
原作でAはあまり自己主張しない方だが、いざという時はみんなのために意見し、行動するキャラ。BはAや他のキャラクターを翻弄することが多く、他人に本心を見せようとはしないキャラ。
私は原作でBがAを翻弄するシーンを見て、この関係性がいいな、と思った。
二次創作も見てみたい、と思い、Twitterやpixivを閲覧した。原作のような2人が見られると思って。
しかし、二次創作でのAとBは原作とは違うキャラクターになっていた。
Aは考えるより行動が先の変態キャラになっており、Bは本心を察してほしいという気持ちがだだもれのなんちゃって乙女と化していた。
正直、そのキャラクターは誰?と思った。
これだけ聞くと、「自衛したらいいだろう」と思う人もいるかもしれない。
しかし、今のABの主流はこれで、むしろ原作どおりのキャラクターであることが珍しくなってしまっている。
二次創作は全部捏造だとか、そもそもBLの時点で…という話はとりあえず置いてほしい。
そんなことはわかっている。わかっているけれど、二次創作は「キャラクターの雰囲気を活かす」から面白いのではないのか?
この方が萌えるからと過剰に設定を盛り込み・改変して原型をなくしてしまうのは、もうほとんどオリジナルではないのか?
自分の頭が固いのはわかっている。他人のことだから口にすることもない。
それでも、私はどうしてもこのABのを見るたびに思ってしまう。
あなたはAやBのどこに惚れたのか。AとBのどんな関係性に、原作のどこに萌え滾って二次創作をしようと思ったのか。
もう一度原作を見て考えてほしい。
先日から始まったアイドルマスターSideMの3rdツアー。数万円詰んだが当たらなかったのでとりあえずLVにいった。アイドルマスターSideMは去年末にアニメ放映を終え、なんとなく今はそこそこ勢いがあるジャンルな気がする。
まずアイドルマスターSideMとの思い出を語りたい。話の本筋とはそんなに関係ないかもしれない。
私はアイドルマスターシリーズに本家アニマスからハマった。その時既に放送は終了していて、TSUTAYAで借りたDVDを一気に視聴し、ストーリーや設定に引き込まれた。ただの萌え豚アニメではない、れっきとしたアイドルアニメだと感じた。
本家キャラのカードが欲しいがためにデレマスを始めて、私は当時不遇だった健気で頑張り屋さんで没個性な島村卯月にハマった。デレマスが初ソシャゲだったが、ポイントSRを集めたりとそこそこ頑張って続けていた。しかし、島村卯月が報われて声が付きCDが出てアニメ化が決定し、なんとなくデレマスはもういいかな、という気になっていた。ふと、女性向けがあれば友達にも勧められるしハマってくれるかも、私ももっとハマれるかもと思ったりもした。しかし、Jupiterの事件のこともあってアイマスシリーズで男性アイドルはもうないだろうな…と思っていた。
だがそのときアイドルマスターSideMが発表された。驚いたがJupiterが正規に活躍出来る上に、待ちに待った女性向けアイドルマスターシリーズの発表だ。もう発表の時点でこのゲームにハマろう、と決めていた気がする。
ゲームは始まった瞬間終わってしまった。一番周りの気持ちが盛り上がっていて、話題性にも富んでいた時に長期メンテナンス、サービス開始の遅延…。サービスを再び開始した時にはすっかりsideMの話題性は無くなっていたように思う。それでも腐ってもアイドルマスターシリーズ、突拍子もないアイドルの過去や女装アイドル、BL紛いの関係のアイドルだったりとサービス再開直後もそこそこは盛り上がっていた。
突拍子もないキャラ設定には私も当初から不満はあったが、デレマスで慣らされていたためかやめるまでには至らなかった。始まったばかりだからか、女性向けだったからか、初めてソシャゲでとれた上位報酬が桜庭さんだったこともあって、無課金でも走ればとれるんだ!と学習して遊ぶに気もなれた。
sideMはネタゲームとしては面白かったし、逆にそのネタゲー感が他の女性向けと違って良かったのかもしれない。
けれど、当初は1度で覚えられなかったりあまり好きになれないキャラもいた。その1人がカフェパレードの卯月巻緒で、ケーキチという設定からして法子がウケたからってその二番煎じキャラかよ、と思っていた。三つ編みや編み込みのキャラは好きだったため外見はタイプといえばタイプだったが、男キャラだと思うとどうなのか自分でもわからなかった。
それが一変したのはゲーム内の雑誌を開けてからだ。咲ちゃんや巻緒の雑誌を見て、見た目がこんなにかわいいのに少女漫画の男役のようなイケメンだということを知り、ギャップで巻緒に落ちた。カフェパレの雑誌をあけ、個性豊かすぎる面々が継ぎ接ぎだらけの家族のように過ごしているその様子におちた。カフェパレというユニットにこめられた、自分らしく幸せになろう、といったメッセージ性を感じ、そこから私はめでたくカフェパレ箱推し巻緒Pとなったのだ。
サービス再開してしばらくして、イベントのバランスだったりハブイベが出てきたりあまりにも渋いガシャだったりと問題も頻発して、その度に一喜一憂した。受験を挟んでいたりなどして離れる時期もあったが、カフェパレのイベントで2枚取りをしたり、ドラスタに声がついたニコ生をリアル視聴して興奮したりと、いわゆる自分がこのコンテンツを育てているような錯覚は気持ちよかった。
sideMの1stライブに当選した私は、初めてアイドルマスターのイベントに現地参加をした。この時はこのユニットたちに意味があるなんて全く思わなかったし、2ndではあとのユニットがきっと出るだろうと信じて疑わなかったから、純粋な気持ちで参加できた。とりあえずサービス当初からずっと追いかけてきたゲームのライブに参加できることが嬉しかった。
1stライブは最高だった。長い時を経て揃ったJupiter、新人なのにジャンルを盛り上げようと頑張ってくれているドラスタ、クオリティの高いダンスを披露してくれたW、あまりにもインパクトのあったSEM…、その他諸々…。とにかく涙が出たし、声優ライブを批判的な目で見ていた私だったがとても感動したのだ。声優さんたちってすごく頑張ってくれてるんだなあと思った。カフェパレが出なくても、当然のように2ndがあると信じていたし、そう信じさせてくれるような1stだったから満足だった。
格差を意識したのは、ハイジョーカーは箱イベなのにカフェパレは分断イベが多かった時だろうか。総選挙はワクワクしたが、蓋をあけてみればハイジョ一強で、なんとなくこのコンテンツに不安を感じた。
その後カフェパレにも声がついて、あれよあれよというまに2ndが決まった。1stがとれたからと油断していたら抽選は外れたが、詰んでなかったのでダメージは少なかった。しかし、初日LVに参加したものの、楽しくなかったのだ。それもそのはずで、私はSLをカフェパレあたりから買ってなかったのだ。オリピなんて当時一枚も買ってない。ちょうどその時が受験で離れていた時と重なっていたのか、プライベートが忙しかったのか…。とにかく初期に比べて生活のsideMへの比重は少なくなっていた。
それでも二日目はカフェパレが出る。最初から二日目が私にとってのメインだったので、二日目に期待を寄せていた。
結論から言うと私は二日目LVに参加できなかった。単純に自分のチケット手配のミスで。担当アイドルの初披露を見れなかった、このショックは大きく、しかしこんなことでショックをうけるオタクの自分にもいい加減嫌気が差してしばらくsideMから離れようとした。しかし、その日のライブでアニメ化とアプリ化が発表された。アニメ化アプリ化は純粋に嬉しかったし本当に楽しみにしていた。
けれどしばらくして上がったアニメのキービジュアルにはカフェパレがいなかった。
エムステが始まって、勝手にデレステのようなアプリを期待してたからかやり込み要素のない音ゲー、代わり映えのない立ち絵、今時フルボイスじゃない…、謎のゲームバランスだったりとヘイトがたまってしまった。
けれど3Dでアイドルが踊るのだけは本当に嬉しくて、ご祝儀だったりこれからのアプデへの期待も込めてそこそこ課金はした。
ただSSRを何枚集めてもイベントを走っても、カフェパレのストーリーはまだない。カフェパレ箱イベントはエムステにはない。私はカフェパレの関係性が好きだったのに…。
アニメ放映が近づいても、キービジュアルにカフェパレがいないことがずっと腑に落ちなかった。2クールやって、途中から全ユニット出るんだよね?とか、2期があるはず、とかキービジュアルには出てないだけだ…とか。
そしてアイドルマスターSideMのアニメが始まった。友人との誘いを断ってまでリアルタイム視聴にこだわり、正座待機して見ていた。楽しみでもあるけど、親のような気持ちというのが大きかったと思う。でもあんまり期待していなかった。カフェパレが出るかどうかもわからないし、期待しすぎると痛い目にあうのがsideMだったからだ。
けれど、最初のEpisode Of Jupiterに期待ではなく予想をうらぎられた。
これが、あまりにも良かった。
泣いたし興奮もした、こんなにアニメが愛に溢れてるなんて…と驚いた。
アニメの出来自体は良かったと思う。けれど、なにか物足りない。EOJと違って、アイドルをしてる感じがないのだ。ユニット内で完結していることが多すぎる。ファンに伝えたいことは?どうしてアイドルになったの?無難にまとめようとして、魅力が伝わりきらない…そんなように見えた。EOJとどうしても比べてしまい、Jupiterは思入れもあって設定も作り込まれていたから面白かったのかな…と思ってしまった。(あとSEM回は文句なしに面白かった)
最終話が近づくにつれ、Twitterも荒れてきた。グッズ展開にも、全てにおいてアニメ組とそれ以外で格差ができてしまった。アニメから入ったアニメ組ユニットのPが楽しんでいて、サービス開始からいたアニメに出てないユニットのPが楽しめないでいる、そんな図が確かにあった。勿論私も典型的な後者だ。
アニメの話がつまらなければヘイトが溜まるし、面白ければなんでここに担当がいないのかとヘイトが溜まる。アニメ組のユニットも大好きだったのに素直に応援出来ない。楽曲格差、グッズ格差、アニメ展開との解釈違い…。
そして何故かリアルの2ndライブがsideMのファンやそれ以外にも強く受けていたように思える。アイドルマスターの若手声優の登竜門となっているところは好きだったし若手声優のことは応援していた。けれど、どうしても声優とキャラを同一視する流れについていけなかった。
そんなに若手声優をファンが持ち上げる…、まあ若手声優は囲ってあげないといけないのかもしれない、そう思っていた。けれど、あるときの某若手声優のニコ生でのイキリ発言。悪気があったのかどうかはわからないが、先輩声優は苦笑いしていたように見えた。その人にもストレスがあったのかもしれないけれど、その人がキャラと同一視されやすく、sideMのファンから持ち上げられることが多い声優だったからなんだか無性に腹が立った。
自分のことをアイドルかなんかと勘違いしてないか?私が好きなのはキャラであって声優じゃないのに…と落ち込んでいる私をよそに、だいたいのファンが声優とキャラを同一視して楽しんでいた。声優から作品にハマるのはいい、声優ファンなだけで作品にそんな興味はないのもいい、けれど声優と作品をごっちゃにするファンのせいで声優が自分をアイドルと勘違いするのでは…とおもっていた。逃げ場を求めて2chを探すと、声優のアンチスレが沢山出てきた。私だけじゃない、と安心したのもつかの間で、アンチスレでは声優を蔑称で呼び、人格的なこと、容姿のことについて攻撃的な悪口がたくさん書かれていて、ついていけなかった。人格を攻撃したい訳でも容姿を攻撃したい訳でもない。ただ、声優さんにキャラを、作品を、そのファンを大切にしてほしいだけ。ファンに声優とキャラを同一視してほしくないだけ。そんなことしたいなら、今流行りの2.5次元のミュージカルにでもいけばいい。
我慢出来なくなったのは、アニメが終わって年明けの担当ユニットのラジオだろう。当然楽しみにしていた。でも率直な感想を言わせてもらうと仲悪そうなオッサンたちがぐだくだつまらない話をしてるだけに聞こえた。エムステで配信されてたユニットで演じるラジオみたいなのを期待した訳では無いけど、理想と現実の落差。よくこんなのをキャラと同一視する人がいるな…と、アニメに出ずエムステのラジオもなく、やっと担当の仕事だ!と思ったラジオがこんなのだったショックが大きかった。声優や運営との温度差を感じたのだ。
気がつくと3rdが近づいていた。3rdライブについても不満はたくさんあった。EOJで好きなのにライブに行けないファンの悲しみを描いた癖に、それを現実でやるのかと。アニメ化する前とした後のライブをなぜ一緒のとこでやるのかと。声優とキャラを同一視する風潮は嫌いでも、sideMのリアルイベントはファンとしてもどうしても行きたい。なけなしのバイト代で何万かかけてシリアルを詰んではみたが勿論全部落選だった。ガシャで爆死する何倍も辛かった。
そのときに某ソシャゲがそういえばアニメ化して、放映するという情報を掴んのだ。アイドルものは基本的に見るので、アニメを見ることにした。それがきっかけでそのソシャゲも前にアンインストールしたのを再インストールした。
そのときアイマスに飽きていた訳では無い。むしろモバエム、エムステ、デレマス、ミリシタ、その某ソシャゲ…と私の中でソシャゲ全盛期だったと思う。アイマスアプリの体力回復待ちのつもりで始めた某ソシャゲだったが、昔詰んでいたのが不思議なくらいさくさく進められて、いきなり沼に落ちてしまった。そのアプリの一番の特徴として、作り込まれたストーリーが印象的だった。アイドルマスターシリーズはなんとなく、あえて設定を作り込まないでファンの解釈に任せているところがあるが、そのアプリはその逆だった。
そのアプリにハマっている最中に3rdライブがやってきた。知っての通り、つい最近の話だ。3rdライブは楽しかった。情熱が落ち着いたお陰か期待しないで見れたし、いい席だったしLVでも楽しめた。ただ、やっぱり声優のことでなんとなく、場面場面でもやっとしてしまうことがあった。
例をあげれば投げキッス。男性アイドルのライブならわかるけど、私はキャラが好きでこのライブにきている。声優が好きな訳では無い。声優が出ているだけ。いや、声優が好きだとしても声しか好きではない。仕事を尊敬しているだけでしかない。なのに、オッサンの投げキッスをアップで見せられる。
例えば挨拶。キャラが好きなだけなのに、キャラ声でもない地声で、オッサンに俺たちをここまで連れてきてくれてありがとうとか言われる。
例えば歌。アイマスの能力値と実際の能力が一致しないのなんてわかってる。ダンスやビジュアルなんて声優に一切求めていない。でも、歌だけは声の範疇なんだから頑張らなきゃいけないところなんじゃないの?と思ってしまう声優さんが何人かいた。
3rdライブが終わって、キャラの絵で声優の掛け合いを描いたレポが多く出回った。声優の掛け合いについてみんな熱く語っていた。こんなにアイドルマスターsideMって声優ありきのものになってしまったんだなあ、と他人事のように思った。
そうしてストン、と何か諦めがついたのである。あのころのsideMは、もうないのだと。
誤解されないように言うが、声優が嫌いなわけでは全くない。歌下手だな…とか演技下手だな…と思う人がいても新人だったら仕方ないと思うし感じ方にも個人差がある。問題は、どれだけ作品とキャラとそのファンのために献身的に自分を殺せるかどうかだけだと思う。けれど、声優の自己主張を良しとして、むしろそれを喜んで受け入れてるファンの存在が目立ったのが一番辛かった。でも、声優さんにもファンにも何も罪はない。私がただ、ずれているだけだだから。
声優ありきの、ライブありきのジャンルとなってしまうのが辛かった。だって私が一番このジャンルにハマったのは、キャラに声がついていなかったときだから。キャラに声がつくのはすごく嬉しかった。曲が増えるのはとても嬉しかった。だから自分がこんなことになるとは思わなかった。
声優についての考え
アプリへの不満
改めて感じる設定の粗さ
これらに嫌気がさしていた私が、某ソシャゲにハマったのは必然だろうか。
某ソシャゲは、ストーリーがフルボイスでしっかりしていた。音ゲーが面白かった。曲が、アニソンキャラソンっぽくなく、本物のアイドルソングのようだった。私の好きな作曲家が提供している曲もあった。アニメ化が決定してもまだライブを行っていなかったことから、ライブありきのジャンルではない安心感があった。ストーリーではちゃんとアイドルものに欠かせないファンが出てきた。キャラがファンのために頑張っていた。アイドルになりたい理由がはっきりしていた。キャラクターの感情表現に臨場感のあるシナリオ。空白の補完に疲れていた私は、綿密に練り込まれているキャラ設定だったり伏線多めでリアルなストーリーに惹き込まれたのだ。
これでも随分文章を消した。こんなまとまりのない文章でも、言葉にしてみたら少し気持ちの整理がついた。ここまでTwitterで言ってきたこととほぼ同じことを語りました。Twitterでこんな感じのアカウント見かけたらそっとしておいてください。
文章の中でsideMの声優さんやファンについての文句が垂れたが、結局のところ自分がジャンルの流れについていけなかっただけで悪者なんかどこにもいないことはわかっている。アニメだって2クールやって全員出したところで格差をなくすのは不可能だっただろう。
次にハマれるジャンルが見つかって、sideMとプラスな気持ちで距離をとれることが嬉しい。某ソシャゲがなかったら、モヤモヤした気持ちのまま他にハマれるゲームもなくずるずると続けてはヘイトをためていたかもしれない。だから良かった。これからも応援くらいはさせてね。
一部のビーガンの選民思想的な考え方は苦手なんだけど、料理に関しては結構面白い
特に身近な食材でベジミート的なものを作るレシピは別にベジタリアンじゃなくても応用が利くことが多い
高野豆腐を粉チーズ風にしてみたり、唐揚げにしたりというのは肉食禁止という制約がなければ出てこない発想だと思う
この組み合わせで卵っぽい味になるというのは完全に盲点だった
俺はハンバーグを作る際に高野豆腐をすりおろして入れるのだが、これはベジ系レシピから丸パクリしてきたやり方だ
こういう事書くと、勝手に肉料理に応用するなと怒られるのかもしれないけどね
正直、肉食ってる人にマウンティングする為にビーガンやってる様に見える人がいるのも事実
でもそういう人達ばかりって訳でもない
肉食うかどうか程度で大した影響は無いと俺は思うけど、そう考えない人達がいても問題はないとも思う
なんにでも言える事だけど、人それぞれの価値観があるということと、特定の価値観を誰かに強制しようとすること、とは切り離して考えないとなぁと思う
もう30年くらい生きているが初めての体験をしたので記念に書き記しておく。
昼間からうっかりゲームに熱中してしまい、23時頃と遅めの外食。
倦怠感を感じつつも会社に出向き、昼食には刺身定食を平らげオフィスに帰還。
歴史的瞬間が訪れたのはその時だった。
便意を感じてトイレに向かい、いつものように洋式便座に腰掛けいつものように脱糞する。
そしてまた、普段と変わりのないルーチンにてウォシュレットのボタンを押し、3回程度手繰り寄せたトイレットペーパーを雑に畳んで菊紋を拭った。
最後に「大」の方向へレバーを捻り、ほぼ毎日行っている作業を完了した。
しかし立ち上がり、ふと振り返ったわたしの目にはいつもと異なる世界が存在していた。
まだ、そこに”いた”のだ。
なんと言えばいいのだろう。
便座の奥の部分にもたれかかっている感じ。
太くて長いそれは、まるで便座の局面に身体を預けるようにしながらそこに鎮座していた。
まるで水など流れていなかったかのように。
その瞬間、流し忘れていたのかもしれないと考えた。
しかし、確実に使用したはずのトイレットペーパーの姿はそこになく、水も黄色に染まることなく澄んでいた。
また、慌ててもう一度レバーを捻った際にその一物がびくともしなかったことから考えると、流したにも関わらずそれはまだそこに存在しているのだと考えるのが妥当だと結論付けた。
ここで簡単に弊社のトイレ事情を説明しておくと、いわゆる雑居ビルの中に居を構えている弊社トイレは、作業・休憩スペースから少し離れた場所にあるものの同じ空間に位置しており、しかも男女共用だ。
つまり、わたしがここでこの一物を放置してしまうと、他のスタッフによってそれは発見されてしまう。
また、わたしがトイレに入った際、トイレ入口を見ることができる休憩スペースに人がいたため、もしそれが発見された暁にはわたしが犯人であるということはすぐに露見してしまう。
そのため、残された選択肢はこの巨大な一物をどうにかして亡き者にするというものだけなのだ。
どうすれば良いのか。
しかし、先ほど2連続でレバーを捻ってしまったため、すぐに水を流したとしてもその一物はまだ自己主張を続けるだろう。
そのため、すぐに道具を置いてあるスペースにいき、トイレクイックルを手に取り、トイレ各所の掃除を始めた。
いつも以上に念入りに便座やその周辺を磨き上げた後、わたしは三度目の正直とばかりにレバーに手をかけようとした。
もし、ここで水を流してもこの巨大な一物になんの影響も及ぼせなかった場合、わたしはどうなってしまうのだろうか。
トイレ掃除という言い訳があったとしても、これ以上この場所に居続けることは不自然だ。
しかし、先に書いたようにこの一物を放置してその場を去るわけにはいかない。
そこでわたしが採った選択肢とは、一物を小さくして流れやすくするというものであった。
つまり、その手に握ったトイレクイックルを指先に被せ、そのままピンチインによって一物を分断したのである。
もしこれでも流れなければどうしようという不安を余所に、3回目のレバー捻りの後に便座には何も残らなかった。
しかし、わたしの胸には「水で流れない程の巨大なうんこを捻り出した」という達成感が去来していた。
この一抹の自信は、何があろうとも私の中に生き続けるのだ。